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イラク派兵9条違憲判決の効力 = マガジン9条
http://www.asyura2.com/08/senkyo49/msg/452.html
投稿者 ダイナモ 日時 2008 年 4 月 23 日 20:36:03: mY9T/8MdR98ug
 

http://www.magazine9.jp/juku/064/064.php

「画期的判決」とする日本の現状

 今回は、さすがに、4月17日の名古屋高裁イラク自衛隊派兵違憲判決について触れないわけにはいかないと思われます。報道にあるとおり、航空自衛隊のイラクにおける多国籍軍武装兵士の空輸活動は、他国による武力行使と一体化した行動であり、憲法9条1項に違反することが明確に示されました。今回はこの判決に対する政治家の反応について考えてみたいと思います。

 まず、この判決は戦後、自衛隊の具体的な活動を違憲と判断した初めての高裁判決であり、画期的なものです。日弁連も「画期的な判決として高く評価する。」と声明を出しているとおりです。ですが、これまで多くの憲法学者や有識者がイラクにおける自衛隊の活動、特に航空自衛隊の活動は違憲である旨を指摘し続けてきました。その意味では当然の判決です。
 しかし、それが画期的であると評価されざるをえない日本の現状が事実として存在することを再認識しなければなりません。4月11日には最高裁(第二小法廷)で自衛隊ビラ配布有罪判決がありました。もう少し表現の自由への配慮がほしかったと残念です。
 仮に今回の事件が最高裁に上告されていたとしたら、高度に政治的な問題は司法審査しないという統治行為論を持ち出したり、結論を出すために必要ではないといって憲法判断を避けたであろうことは容易に想像できます。

 そうした政府追随の裁判が多い中で、今回のようなイラク派兵違憲判決が出されたことはまさに画期的なことです。退官する裁判官だからできたのだという評価もあるようですが、そのような個人的事情で裁判長一人が違憲判決を出せるわけはありません。3人の裁判官の合議により周到に検討を重ねて判決文は作成されます。裁判官は憲法の番人としての、人権保障の最後の砦としての職責を全うしただけです。

自衛官、政治家の対応を考える

 さて、この判決が出ても、政治家の反応はまちまちです。政治家の前に、田母神俊雄航空幕僚長の「『そんなのかんけいねえ』という状況」という発言を批判する人もいるようです。確かに憲法尊重擁護義務(憲法99条)を負っている公務員ですから、もう少し今回の憲法判断について見識ある発言を期待したかったところですが、現役自衛官にそれを求めるのは酷かもしれません。
 善意に解釈すれば、これは日本の自衛官としてはある意味で当然の反応だということもできます。ドイツのように軍人に人間の尊厳に反する命令に従わない権利があるのであれば、まだしも、あくまでも法律と政治家、特に内閣総理大臣の判断に従わなければならない現場の人間としては、政治家が撤退の決断をしない限り、自分たちではどうしようもない、それが文民統制だと言っているように聞こえました。

 政治家が判断しないのに、現場の自衛官が独自の論理で勝手に行動する方が文民統制の観点からは恐ろしいともいえます。あくまでも責任は現場ではなくそれをコントロールするべき立場にある政治家にあると考えます。

 さて、その政治家ですが、与党の政治家からは、あの判決は、高裁だし、傍論にすぎないから、拘束力はなく従う必要はないという声が強いようです。福田首相も「それは判断ですか。傍論。脇の論ね。」空自の活動についても「問題ないんだと思いますよ。」と述べている。これはいくつかの点で誤解があるように思われます。

福田首相の「誤解」

 まず判決の拘束力の問題は、当該判決が、類似する別の事件に関して後の裁判所をどこまで拘束するのかという議論です。判決が立法権や行政権に対してどのような影響を持つのかという問題とは関係ありません。こちらは判決の権威性の問題であり、判決の拘束力の問題とは別ものです。これを混同している人が多いようです。
 そして傍論にすぎないから拘束力がないという議論は、この拘束力の問題であり、後の裁判所が今回の判決に従う必要があるかどうかが問題になるときに必要な議論であり、ここで問題にしているような国会、内閣のとるべき対応とは直接、関係はありません。

 仮に判例に拘束力があるとしても、その拘束力も判例法主義をとっていない日本ではあくまでも事実上のものにすぎないと考えられています。また、下級審の判決に判例としての意味がないのかというと、そんなことはありません。下級審の判断であっても、重要な意味を持ち、事実上判例法として機能している例はいくらでもあります。
 もと最高裁判事である団藤重光博士も「下級審の裁判は判例を動かしていく原動力となる。」と指摘されているとおり、その意義を軽視するべきではありません。

 このような判例の持つ、後の裁判所への拘束力の問題と、三権のうちの司法権が下した判断を立法府や行政府がどこまで尊重するべきなのかはまったく別の問題です。これは法の支配と三権分立の原則の下で、裁判所の判断にどこまで権威性を認めるべきかの問題です。
 元々最高裁の違憲判決ですら、立法、行政に対する法的拘束力はありません。刑法の尊属殺人規定(旧200条)について違憲判決(1973年)が出たにもかかわらず、これを国会は1995年の刑法改正まで20年以上も放置していました。検察は最高裁判決を尊重する立場から、この刑法200条による起訴をせず、尊属殺の事案もすべて通常の殺人罪(刑法199条)で処理するという行政実務が行われていました。結局はどこまで裁判所の判断に権威性を認めてこれを尊重するか、権力分立をどこまで尊重するかにかかっています。

 憲法があえて裁判所に違憲審査権を与え、憲法の番人としての地位を与えたことからすると、立法府や行政府は裁判所の違憲判断を何事もなかったかのように無視することは許されません。少なくともそれぞれの立場から問題になった事案の合憲性を再検討する法的義務はあるというべきです。
 そして最高裁の判決でなければ違憲判断に意味がないという議論も間違っています。確かに最高裁は憲法適合性を判断する終審裁判所とされています(憲法81条)。しかし、これは最高裁だけに違憲審査権を与えたのではなく、下級裁判所にも等しくその権限を与えたものと解釈されています。

 下級裁判所も含めてすべての裁判所は、事件を解決するのに必要な限りで違憲審査を行うことができ、憲法秩序を守る必要があれば、さらに積極的に違憲判断をすることができます。
 たとえ、裁判所の違憲判断が、下級審のものであったとしても、憲法が下級裁判所にも違憲審査権を与えている以上、その判断に敬意を払うのが、法の支配および三権分立の観点から正しいあり方だと考えます。

「傍論」とか「蛇足判決」だとする誤り

 次に傍論にすぎないから従う必要がないという議論はどうでしょうか。先ほども述べたように、この傍論に過ぎない云々の話は、後の裁判所を拘束するかどうかの問題であって、立法府、行政府への影響力の問題ではありません。

では、事件の結論を導くために不可欠の論点でなければ、裁判所の判断は立法府、行政府に対して何の影響力も持たないのでしょうか。蛇足判決だという評価もあるようです。しかし、こうした傍論にすぎないとか、蛇足だという理解は3つの点から間違っています。

第1 司法の役割という原理的な観点からの間違い。
 そもそも、たとえ、結論を導くために不可欠の論点でなくとも、当事者が争点として提示し、真剣に争った部分についての裁判所の判断は、重要な意味を持ちます。これは傍論ではなくむしろ本論といってもよいものです。

 本来、裁判所の役割は、当事者が提起した事件をきっかけに、法の意味を探り、法原理を探求しこれを明らかにするところにあります。ここに国会、内閣という政治部門と異なる司法部門としての独自の存在意義があるのです。この点から、今回の違憲判断はまさに当事者が真剣に争った重要テーマであり、裁判所が判断するのにふさわしい問題でした。判決の中でも丁寧に当事者の主張を検討してその当否を判断しています。傍論として片づけることができるようなものではありません。

第2 判決を導くために必要な論理の点からの間違い
 本件のような損害賠償請求訴訟の際には、行為の違法性を判断し、違法であると判断されると損害の認定をします。つまり自衛隊の行為が違法かどうかを判断し、そのあとに損害があるかを判断するのです。そして自衛隊の行為が違法かどうかの判断において憲法違反かどうかの判断がそこに影響することは明らかです。

 これまで、いくつかの裁判所では憲法判断を避けるために、あえて、損害の認定を先に行い、損害がないから請求棄却とすることがありました。しかし、これはむしろ判決を導くための判断の順序からすると例外です。憲法判断を避けようとする意図からあえて、そのような判断をしたにすぎません。今回はそれを原則通りの判断過程を経たというだけのことです。憲法判断は蛇足でも何でもありません。必要だから判断したまでです。

第3 違憲審査権の機能の点からの間違い。

 裁判所の第1の役割は個人の権利保障ですから、個人の権利を守るために必要な限りで憲法判断を行うのが原則です。ですが、裁判所にはさらに憲法保障機能というものが期待されています。これはなんらかの違憲状態が存在するときに、憲法秩序を回復するために裁判所が積極的に違憲判断をしていくという役割です。

 仮に個人の権利救済のためには必ずしも必要とはいえない判断であっても、将来の人権侵害や憲法秩序の破壊を防止するために、あえて積極的に憲法判断に踏み込んでいくことも、憲法の番人としての裁判所の役割として憲法が期待していることなのです。
 以上から、今回の違憲判断は傍論でも蛇足でもなく、必要な判断として適切に行われたものといえます。

 こうした裁判所の判断を行政府や立法府が無視することがあってはなりません。たとえ下級裁判所の判断であっても、丁寧に事実認定をした上での司法権の判断ですから、それに対して敬意を払い、慎重に当該問題の合憲性について再検討することが、三権分立からの要請であり、憲法を尊重する立憲民主主義国家の政治家の態度だというべきでしょう。
 今回の判決に対する与党政治家の反応は、無知と無教養に起因するだけでなく、憲法を尊重する態度の欠如と思い上がりがその原因であるように思われます。そしてそれを許してしまう野党政治家とマスコミ、そして私たち国民にも問題がありそうです。

 次回は、平和的生存権の裁判規範性の意味を再確認してから、非暴力防衛の有効性に話を進めたいと思います。


いとう・まこと1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。近著に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)。法学館憲法研究所所長。
 

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