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女子高生二人(豊田市と舞鶴市)は何故、”水辺”で殺されて捨てられたか? 理由は水災害への生贄と考え得る。
http://www.asyura2.com/08/senkyo50/msg/118.html
投稿者 新世紀人 日時 2008 年 5 月 09 日 16:55:34: uj2zhYZWUUp16
 

さて、よく似た奇怪な事件が連続した。

これら二つの事件は極めてよく似ている。

@共に被害者が高校一年生であること。
A性的な被害を受けてはいないらしいこと。
B暴力的な殺され方をしていて苦しんで死亡したであろうこと。
そして、
C共に殺害されて捨てられた現場が「水気の場所」であること。即ち田んぼと川であること。

私は特にAとBとCの特徴に注目した。
どうも暴行目的ではなかったらしい。
下着が目的であれば暴力的な殺害に専念する必要は無かろう。
では他に目的があった筈だ。
それは何か?
と考えると、
犯行現場が”水辺”である事に意味があるらしい。

古来、水の神の怒りを治める為に人柱などをたてて人身御供を捧げた歴史が存在している。
しかし、怒りを治める目的としてではなく、
さらに積極的に「生贄」を捧げて自然界の背景の神々を動かして目的を達成しようとする試みも為されてきた歴史があると語られている。

さて、
水の神に生贄を捧げて、
水の神に乱舞をして頂けば、
人間社会には大災害として現れる事になるであろう。

二人の女子高生殺害事件とミャンマー大水害は関連しているのではないのか。

殺害事件は実は日本に災害をもたらす目的であったが、
方向が逸れてしまってミャンマーが身代わりとなってしまった可能性がある。

又は始めからミャンマーが標的であったのかも知れない。

大災害の結果となり、「水の神」は不本意な舞を舞ってしまった事に怒った可能性はあろう。
そこでご機嫌を取る為に舞鶴で二つ目の事件を起こしたのかもしれない。
又は、結果が満足なものだったので、追加のお礼をしたのかもしれない。
そのあたりの事情は判らないが、
何れにせよ、日本での胡錦濤主席訪日行事に水害をぶつけたいとの思惑があったとしても不思議ではあるまい。
標的が日本本土であったものが、切っ先を逸らされてミャンマーに向かってしまったものなのか、又はミャンマーが始めから標的とされていたのか、どちらか内情は知る事は出来ないのではあるが。

とんでもない行いである。
水の神は様々居られるが、どの神であっても大変に迷惑であった筈である。


http://homepage1.nifty.com/shincoo/m230kamisama.html

川にかかわる宗教的な行事のいわれ

 川は、私たちに大きな恵みを与えてくれるとともに、生命や財産をも奪う恐ろしい存在でもあります。川に対する感謝や畏怖は、私たちの生活に直接かかわるため、信仰という形で古くから私たちに伝えられてきました。川の神様、水の神様である水神として、あるいは水神が姿をかえた竜や大蛇として崇めることはその現われなのです。川にかかわる宗教的な行事は、風土の違いなどにより地方によってそのあり方は変わっていますが、ここでは九州の代表的な筑後川の中流域の行事について述べてみます。
 筑後川における代表的な宗教的行事に「川祭り」があります。その始まりは、集落の井戸を祭ったことにあるといわれています。井戸は、集落にとって最もたいせつで、神の宿る場所として考えられていました。この井戸を祭ることに、水難を免れることを祈ることが加わり、水にかかわる災害の難を避けることを願うようになったと考えられています。筑後川の中流域の久留米には、安産の神様で有名な水神を祭る水天宮の本社があり、この水天宮の川祭りでは、かつてはカッパ除けの御札(5文字の護符)を参詣して受けることが慣習となっていました。そのほか、各地で水神を祭るため、いろいろな供え物を笹竹につるして川に立てたり、川に流して祭る川祭りがあります。そして、水神を祭るという本来の意を失って、川祭りと称して集落あるいは子供組で食事を行うようなイベント的な祭りに変化したところもあります。
 また、カッパ祭りと呼ばれる行事は、人が川で溺れないよう、また稲に水が枯れないようにカッパが約束したという古くからの言い伝えによるものであり、カッパの霊をたたえるものもあります。筑後地方には、このようなカッパ伝説は各地にあり、各地にカッパ信仰があります。
 川は、洪水のたびに人々の命を奪っていった場所でもあり、また、古くから川が領土の境界になることが多く、そのため戦場として多くの戦死者がでた場所でもあります。このように水死者や戦死者の霊である無縁仏の供養行事として川施餓鬼が行われます。この時は、川に灯篭を浮かべ、川原で供養するものですが、現在は、川原一帯に露店がならび、花火大会などが催ざれ、多くの人出で賑わうところもあります。
 そのほかに、流れ灌頂や川渡りなどの伝統行事が現在も行われていますが、河川改修が進むに従って、筑後川の周囲の状況も大きく変化し、このような伝統行事は廃絶してしまったところも多いのです。
 治水事業が進み、ある程度は洪水からの恐怖は少なくなったものの、川が私たちに与えてくれる恩恵はもちろん、恐怖は、現在でも変わらないと考えられます。水神様のような存在を自然のシンボル化と考えれば、川に感謝することや、あるいは畏怖の念を抱くことは、今の私たちが忘れてしまった、とてもたいせつなことなのではないでしょうか


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水の神
 神道では、水の世界を掌る神は、海神と河神の二つの系統があります。
 河神には、
・アメノミクマリノカミ(天之水分神)
・クニノミクマリノカミ(国之水分神)
・アメノクヒサモチノカミ(天之久比奢母智神)
・クニノクヒサモチノカミ(国之久比奢母智神)
の四柱の神があり、目的によっていろいろの神にたいして祈願をしています。
 水神、水神宮、水除大神宮、水天宮など呼ばれている神社や石碑には、これらの神々が勧請されてるのです。

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蛇口の語源  日本で初めて水道が開設されたのは明治20年の横浜。
 水道が布設された当初は、道路端に設けられた共用栓から水の供給を受けていました。この共用栓はイギリスからの輸入品で、ヨーロッパの水の守護神であるライオンのレリーフがついていました。
 つまり、ライオンの口から水が出るようになっていたのです。その共用栓が徐々に国産化されていく過程で、ヨーロッパのライオンが中国や日本の水の守護神である龍の形に変わってきました。「龍口」がいつしか「蛇口」と呼ばれるようになりました。

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水や川の神様といわれる水神様について

 水神、水の神は、豊作を祈願する田の神との関連が強いと考えられています。豊作になるか、あるいは凶作になるかは、ひとえに水が必要な時期に、必要な量を得られるような雨が降るかにかかっており、水の重要性が水の神様の本領発揮と密接に結びついていることには間違いありません。また、同じく水の重要性を感じる場所として、飲料水を汲む集落の井戸や湧水地も同様であり、ここでも水神様を祭ります。
 さらに、数多い洪水は、人の生命・財産を奪っていきますが、このような川の怒りを鎮め、また、水難に会わないような祈りを込めて水神を祭ります。
 このように、しだいに生活様式が複雑になるに従って、水の神様の性格も多様なものになっていったと考えられています。
水神は、また、竜や大蛇あるいは鰻などの魚の姿で祭られることも少なくありません。毎年、川にすむ大蛇に子供を人身御供としてさしだし、災難を逃れたという古くからの言い伝えを、行事として伝えているところもあります。
  一方、現在ではキャラクターとして、よく用いられるカッパは、水神の落ちぶれた姿であるともいわれています。カッパ(河童)は、水にすむ童という意味の名前ですが、水神のもつ母子神的な信仰から派生したものであろうとも考えられています。というのも、水神様は、豊作の神様という植物にとって豊かな収穫をもたらしてくれる神様であり、これは、人間にとっても、多産を約束してくれる神様でもあるということです。水神が母なる神として考えられ、信仰されたのです。
 九州を代表する筑後川の中流域久留米(福岡)には、川沿いに水の神様を祭る水天宮(東京・日本橋蛎殻町の水天宮の本社)がありますが、このお宮は、安産の神様でも有名で、このような母なる神であることが背景にあるのでしょう。なお、雨乞いの行事も水神信仰のひとつといわれます。水神様を怒らせることによって、雨を降らせる行為を行う雨乞いのやり方もあります。
 また、川の水を利用し地域に貢献した人も神として祭られることがあります。
 古事記や日本書紀の古い資料によれば、神話の中で、伊邪那美神が、火之迦具土神を生み、陰所を焼き苦しんでいた際に、尿から化生した神、水波能売命がいますが、この神様の名前が、水が走るという意味で、水の神、灌漑用水の神として知られていることです。
 ところで、平成6年に宮崎県北部の五ケ瀬川で水神様の調査が行われています。市民からの情報提供による調査でしたが、この調査だけでも五ケ瀬川沿いに祭られている水神様は、約100近くにのぼると報告されています。このように、かつては川沿いのいたるところに水神様が祭られ、川と地域の人々が密接にかかわりあって生活していたことがうかがえます。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E8%BA%AB%E5%BE%A1%E4%BE%9B
人身御供
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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人身御供(ひとみごくう)とは、人間を神への生贄(いけにえ)とすること。
(中略)

特に日本では、河川が度々洪水を起こしたが、これは河川を管理している水神(龍の形で表される)が生贄を求めるのだと考えられた。今日に伝わるヤマタノオロチ等の龍神伝承では、直接的に龍に人身を差し出したと伝えられるが、実際には洪水などの自然災害で死亡する、またはそれを防止するために河川に投げ込まれる、人柱として川の傍に埋められる等したのが伝承の過程で変化して描写されたのだと考えられている。

(後略)


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E5%B4%87%E6%8B%9D
サタニズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(悪魔崇拝 から転送)
移動: ナビゲーション, 検索
サタニズム(Satanism)とは、宗教的、あるいは哲学的な概念、またはその運動。悪魔主義、悪魔崇拝。

一般的にサタニズムと言えば、「サタン(悪魔)」を崇拝し、悪の力をもって善なる力に打ち勝ち、世界を支配することが想像されるが、最大のサタニズム組織である「悪魔教会 (Church of Satan)」はこの考え方を否定する。悪魔教会は「サタン」が実際に存在するともしておらず、単にある概念を物質的に代表する名称として「サタン」の名を捉えている。サタニズムにも様々な形が存在するが、多くのサタニズムでは、サタンとは次のいずれかに該当する。即ち、イデア・人間性のある一面、あらゆる存在の源・あるいは宇宙を超越した何らかの力の人間界でのインターフェイス。

サタンと言えば悪や理不尽な力を連想させる言葉ではあるが、サタニズムは支持者にとってある少数派的な精神性と思想を示す言葉でもある。例えばそれは、少数派(左利き)と多数派(右利き)に言い換えることができよう。 多数派(右利き)の人々は、何か不満があれば、自分と同様に多くの人も困っているであろうと考え、状況を変化させようと努力する。それに対し少数派(左利き)の人々は、自己解決が全てであり、自分を変えようと努力する。

悪魔教会の創設者であるAnton LaVeyは、あらゆる神を信仰しない。例えそれがサタンという名の神であっても、だ。同様に、悪魔の掟に従うこともない(このことは、有神論のサタニズム信仰者も存在することから、サタニズムが自己矛盾した存在であると誤解されがちである)。 よって神に仕え、天の御命に従うような(欧米では一般的な)考え方も存在せず、サタニズムにおいては自身の物質的・身体的な発展と解決が殊更に重視される。

このような理由から、サタニズム信仰者は伝統的な宗教の信仰を疎んじ(キリスト教やユダヤ教。欧米では何らかの伝統的な宗教を信仰することが当然とされる)、自己中心的な世界観を構築し、エゴイスティックであることを好むと捉えられる。

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