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「市場原理」の人権破壊に抗うEU、国民へ向かうその牙を擬装・隠蔽する日本政府
http://www.asyura2.com/08/senkyo51/msg/905.html
投稿者 鷹眼乃見物 日時 2008 年 7 月 17 日 06:43:59: YqqS.BdzuYk56
 

[原理主義の罠]「市場原理」の人権破壊に抗うEU、国民へ向かうその牙を擬装・隠蔽する日本政府


<注記0>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080716


【画像1】デオダ・ド・セヴラックの風景


Deodat de Severac(1872−1921)
[f:id:toxandoria:20080716220442j:image]
・・・この画像は、http://www.hmv.co.jp/search/artist/works/000000000046297/より


セヴラックの故郷の風景
[f:id:toxandoria:20080716220444j:image]
・・・この画像は、CD『舘野 泉−ひまわりの海』より


セヴラックの生家
[f:id:toxandoria:20080716220443j:image]・・・この画像は、CD『舘野 泉−ひまわりの海』より


CD『舘野 泉−ひまわりの海』
[f:id:toxandoria:20080716220445j:image]
[f:id:toxandoria:20080716220446j:image]
・・・CD情報はコチラ → http://www.hmv.co.jp/product/detail/746433


デオダ・ド・セヴラックは南フランスでもピレネー山脈とスペイン国境寄りのトウールーズに近いサン・フェリクス・ド・カラマン・アン・ロラゲというオーロ・ガロンヌ県の村に生まれていますが、彼はその生涯の殆どを南フランスのこの片田舎で過ごしました。


また、セヴラックは後期ロマン派と印象派ドビュッシーの先駆けが重なる不思議なフランスの作曲家ですが、日本では殆ど知られていないようです。CD『ひまわりの海』の解説によれば、セヴラックはアルベニスに師事し、スペイン系の血も流れているようです。美しく、ゆったりした時間に満ちた南フランスの自然景観と一体化したセヴラックの心象風景は、少しずつですが、その波紋を広げつつあるようです。


この『ひまわりの海〜セヴラック、ピアノ作品集(CD)』は、ヘルシンキ在住のピアニスト舘野 泉(母は明治維新まで7代にわたり仙台藩で能楽を司った家系)が病に倒れて右手が不自由になる直前にワーナー・クラシックスで制作した素晴らしい演奏の録音です。


なお、その後、病を克服した舘野 泉が左手のピアノ作品によるリサイタルを開き、マスコミにも大きくとりあげられ、以後は演奏会、録音などを通して左手で演奏するピアノ曲の普及につとめていることは周知のとおりです。


The music of de Severac - Les fetes (Souvenir de Puigcerda)
[http://www.youtube.com/watch?v=p11ktoyk6ug:movie]


【画像2】仙台郊外(泉区)、夏の風景(2008.7.15


[f:id:toxandoria:20080716224735j:image:right]
[f:id:toxandoria:20080716224736j:image:right]
[f:id:toxandoria:20080716224737j:image]
[f:id:toxandoria:20080716224738j:image:right]
[f:id:toxandoria:20080716224739j:image:right]
[f:id:toxandoria:20080716224740j:image]

・・・・・・・・・・


<水面から見上げる魚眼レンズ的視点の重要さ=アイルランドのリスボン条約・否決が意味すること>


2008.7.14のNHKクローズアップ現代『小国の“反乱”〜欧州からの報告〜、http://www.nhk.or.jp/gendai/』は、アイルランドがリスボン条約批准を拒否した意味を的確に分析・報道していました。つまり、これはEUが「米国型の市場原理」とは異なる、「基本的人権と社会的弱者の保護の視点を十二分に取り込みつつ市場機能も活用できる新たな社会モデル=新たなEUのアイデンティティ」を創造する良いチャンスになるだろう、ということです。そして、このことは[2008-07-09付当日記/『米国型デュー・デリジェンスの暴走』を擬装し続ける自公連立政権の底なしの罪の深さ、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080709]を書くためtoxandoriaが準備した、次のメモ内容(アイルランドのリスボン条約・否決が象徴する、グローバル市場原理へのEU市民の懐疑)にほぼ重なります。


(アイルランドのリスボン条約・否決が象徴する、グローバル市場原理へのEU市民の懐疑)


「魚眼レンズの風景」に興味を持ったのは、解説書でアフォーダンス理論の創始者J.ギブソンが「カエルの眼の知覚」の観察からもヒントを得たらしいことを記憶していたためです。


無意識ながらも、基本的には人間もカエルや魚と同様のアフォーダンス認識(視覚、聴覚、触覚などの各レベルで)を併用している筈です。


そこで(いきなり飛躍しますが)、欧州の片田舎の小国であるアイルランド国民の対リスボン条約ノーも、案外、このカエルの眼か魚眼レンズのような殆ど本能に近い感性が働いたためだと思います。


従って、長い目でみればEUがこの難儀な紆余曲折のプロセスを経るのは良いことだと思われます。


一部の情報では、アメリカ型グローバリズムへ傾く仏サルコジ大統領だけがリスボン条約の成功へ向け張り切っており、片方の盟主たるドイツでは、ケーラー大統領が「単なる“修正リスボン条約”では批准条約にOKの署名ができない」と言い始めたようです。


公式には「連邦憲法裁判所が違憲訴訟への判断を下すまでは批准書に署名をしないと表明(ドイツではリスボン条約に対し9件の違憲訴訟が起こされている/情報源:http://www.asahi.com/international/update/0701/TKY200807010502.html)」


なお、英国でも、条約批准に関する国民投票を求める市民の訴えを受けた高等法院が「高等法院の判決が出るまで政府は批准手続きを遅らせるべきだ」と政府に要請しています(情報源:http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/29861)(下記★を参照乞う)。ドイツの大統領は殆ど象徴的存在ですが、その署名を欠けば批准は有効となりません。しかも、ドイツのみならずポーランドのカチンスキー大統領も署名を拒否しています。


★2008-06-22付toxandoriaの日記/“会津の風景”と“愛蘭・リスボン条約、No!”の対比に滲む幻影国家・日本のアキレス腱、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080622


今、ヨーロッパでは「現在の拡大EUが果たして本当に各国の地域住民らにとって利益となるのか?アメリカ型の市場原理へ傾き過ぎていないか?立ち止まって、これらをもう一度よく考えよう」という空気が広がっている様子です(以上、第五〜七パラグラフの情報源:http://www.spiegel.de/international/europe/0,1518,druck-563170,00.htmlhttp://www.spiegel.de/international/europe/0,1518,druck-563127,00.htmlhttp://sankei.jp.msn.com/world/europe/080701/erp0807011841005-n1.htm)。


“ひたすら偽装的・高圧的・閉塞的な権力が支配するわが日本の状況”と比べ、このような欧州の動向は羨ましくさえなります。


なお、ここで書いた「魚眼レンズの風景」とは、例えば巨大なEU全体に対しその人口比で言えば1%にも満たないアイルランドのような片田舎の小国、あるいは日本でいえば東京・横浜・名古屋等の大都市に比べて財政・経済力がひ弱な地方の中小市町村からのローカルな視点の重要な役割を喩えたコトバです(下記の関連記事◆も参照乞う)。また、些か文学的な表現をするならば、我われはエコ・メンタル(下の注記を参照乞う)な視点を一刻も早く取り戻すべきだということです。


◆2008-06-22付toxandoriaの日記/“会津の風景”と“愛蘭・リスボン条約、No!”の対比に滲む幻影国家・日本のアキレス腱、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080622


<注記>エコ・メンタルは松岡正剛氏(http://www.eel.co.jp/seigowchannel/)の用語を借用したものです。


エコ・メンタル(eco-mental)


「宇宙スケールの孤独感の反照として認識される人間的情感と他者の存在への豊かな想像力を持つ精神」のことであり、次のロマン・ロランの言葉は、このような世界観に近いと思われる。


“理想主義のない現実主義は無意味である。現実主義のない理想主義は無血液である。”―「先駆者たち」―、http://kuroneko22.cool.ne.jp/Rolland.htm


<人権の基礎としてのプライバシー保護に関する欧米の立脚点の違い、および日本の立ち遅れ>


米国型の新自由主義思想(グローバル市場原理主義)とユビキタス社会化(IT&Web技術の進化による社会の隅々までのネットワーク化)が進む中で「アンバンドリング、デュー・デリジェンス、ベスト・エフォートの新たな三つの価値観」と「プライバシーの権利」(国民の人格権保護の問題)が法制度をめぐり厳しく対峙する場面が頻繁に見られるようになっています。例えば、その典型事例はインターネットが得意とする能力の一つであるPTP(Peer to Peer/参照、http://ja.wikipedia.org/wiki/Peer_to_Peer)を利用するファイル共有ソフトを介した「個人データ流出」のようなプライバシー侵害事件が頻発していることです。そして、この「個人データ流出」問題が深刻化した場合は法廷における決着へ持ち込まれることになります。


<注記>論点を簡略化するため、ここでは「“プライバシー=人権の基礎を構成する概念”であり、具体的には自分と家族等に関する個人情報を占有的に統制・制御する権利」と見なしておく。アンバンドリング、デュー・デリジェンス、ベスト・エフォートの意味は以下のとおり。


アンバンドリング(unbundling)


元の意味は「束をばらす」。1960年代にIBM社が、ある画期的ビジネス戦略に命名したのが嚆矢。従来、製品価格は各種の付加価値が加算され決まってきたが、発想を変えて最小限の本体と諸付加機能の価格を別建とした。その結果、今やパソコンと各種IT機器が殆ど文具感覚で使えるようになり、その恩恵を享受している。しかし、これが規制緩和の暴走と融合し、次第に消費者に責任を押し付ける無責任ビジネスや作為的に消耗品や別売機器等を際限なく売りつける一種のポンジー・ビジネス化へ変化してきた。そのため、この言葉は規制緩和と殆ど同義で使われることもある。


デュー・デリジェンス(due diligence)


元は金融法関係の用語で、直訳で「投資家が(M&Aや事業再編で)当然やるべき努力」。それが、市場環境の規制緩和で投資家自身の「リスク選好」(リスクに見合う大きなリターンのチャンス)が増える意味でも使われている。従って、これも殆ど規制緩和と同義で使われることがある。


ベスト・エフォート(best-effort)


インターネットを使うネットーワーク社会はアンバンドリングの原則で機能しているため、ネットサービスそのものは回線が異なるサービスと個別のアプリケーションサービスに切り離されている。それはサービス提供側がユニバーサルサービス(一元的制御)の責任を放棄したことに等しい。しかし、パソコン端末という高性能・低価格の機器を賦与された「ユーザーの満足度」と「その理不尽さ」は、デファクト的に(事実上)バランスしている。従って、事故等の不都合が生じても、個々のサービス提供者は「自らの出来る範囲での最善の努力」(best-effort)のみで容赦・解放され、ユーザーはそのレベルで我慢すべきものと了解されている。従って、このベスト・エフォートは社会が無責任化する傾向を後押ししていると見なすこともできる。


ところで、個人データの保護に関するアメリカとEU(欧州連合)の法的な立ち位置は根本的に異なっています。また、日本の個人情報保護法(基本法)は欧米と比較すると大きく立ち遅れた内容となっています。その概要と問題点を纏めておくと次のとおりです。


(アメリカ/出典、http://www.nmda.or.jp/enc/privacy/privacy-now1.htm#eu1


米国には全般的なプライバシー保護法はなく(憲法にも規定はない)、問題解決の個別的な有効性に賭けること(=市場原理の“見えざる手に賭ける”という発想)を原則とするため、「プライバシー保護」は個別の事業者の自主規制に任されている。そして、もしそれで不十分の事態が発生した場合は訴訟(差止請求、損害賠償請求など)で救済し、そのための法的不備が見つかれば新たな法律を作る。要するに、「プライバシー保護」も第一義的な意味で市場原理に任されている。


(EU/欧州連合/出典、同上)


理念の普遍性を信じるEUは「個人データ保護の原則」を掲げており、公的部門・私的部門の別を問わず同一の法律で規制するための制度を築いてきた。


1995年10月に「個人データ処理に係る個人情報の保護及び当該データの自由な移動に関する欧州議会及び理事会の指令」が公示された。


1997年12月に「通信部門における個人データ処理及びプライバシー保護に関する欧州議会及び理事会の指令」が公示された。

1998年3月に「情報ハイウェイにおける個人データ処理及び収集に係る個人情報保護のためのガイドライン案」が作成されている。


1998年10月25日からは1095年10月公示の通称「EUデータ保護指令」が施行されている。「EUデータ保護指令(EU指令)」は第25条において、個人データに関する十分なレベルの保護が行われていない第三国への個人データの移動を禁じている。


(日本/出典、http://www.cec.or.jp/es/E-square/privacy.html


●公的機関を対象とした「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」が公布(1988年、公布)、「民間部門における電子計算機処理に係る個人情報の保護に関するガイドライン」(1989年、対民間部門・通産省策定)があったが、個人情報の保護という観点から十分に機能してこなかった。


●2003年5月に個人情報保護法(基本法)が成立した(個人情報の利用方法を本人に明確に伝えなければならないため、報道の自由を侵害するなどの理由から反対運動のプロセスを経て、マスコミ・著述業・宗教団体・政治団体は適用除外団体となった/行政機関、独立行政法人等は別法による)。ただ、主に以下のような問題点が残る。


●EUの「個人データ保護の原則」(=人格権の保護)のような「国民のデータ保護の権利の保障」という明確な宣言がない。これは当基本法の致命的な欠陥である。つまり、当基本法は「データ主体の権利」を一切規定していない訳である。諸外国のデータ保護法は「データ主体の権利」を明確に定めている(事例、1950年の人権及び基本的自由の保護に関する条約(欧州人権条約)、http://conventions.coe.int/treaty/Commun/QueVoulezVous.asp?NT=005&CL=ENG)。


●第三者的立場での「データ保護監査人」の規定がないため「個人情報保護法」といえるのか疑問が残る。これは、住基ネット訴訟における大阪高裁判決が“個人データ処理を中立的な立場から監視する第三者機関がないことが、住基ネットシステムにおける個人情報保護対策上のひとつの欠陥である”として、その違憲性を指摘した問題点に重なる。これも、当基本法の致命的な欠陥である。


●当基本法の対象となる「個人情報取扱事業者」の条件が“5,000人以上の個人情報を処理する者に限られる”となっており、対象漏れが発生する尻抜け法となっていることも問題である。


●個人情報の利用目的の範囲を超える時に初めて当該個人の事前同意が必要とされるが、その“範囲を超えない”をどう判断するのか曖昧さが残る。


●対象となる「保有個人データ」は、事業者が6ヵ月以上の期間保有する個人データに限られており、この点にも抜け道が隠れている。つまり「個人情報」(事業者が取得したばかりの個人にかかわる情報)、「個人データ」(それがデータベース化されたもの)の段階で消去・廃棄されてしまう(あるいは何処かへ消える)おそれがある。


●個人情報の利用目的の制限が適用されない例外(法令に拠る、生命・身体・財産保護)があり、事業者等の恣意的利用の懸念が残る。


●不当アクセス等に対する安全・保護に関する具体的措置がない。


●個人情報のデータ主体が自己の個人情報の開示を求めた場合でも、個人情報取り扱い事業者がデータ開示を拒否できる例外(権利・利益の侵害のおそれ、業務支障のおそれ、法令違反のおそれ)がある。


<「自治体再生法制」に隠れる市場原理主義の牙、それを擬装・隠蔽する日本政府>


一方、2008年4月に「自治体再生法制」(地方財政健全化法/北海道・夕張市の財政破綻が切欠)が施行され、各自治体で財政の健全性の確保に向けた取り組みが始まっています(出典:2008.7.10付・日本経済新聞/『規律確保、市場機能活用で/上智大学・準教授、中里 透氏』)。それによると、従来の監査制度・住民監視などの「見える手」による地方財政の監視が不十分であったことを踏まえて、特に財政健全化に向けた監視を「見えざる手」(市場原理)に委ねるべきだとされています。


この日経記事によると、中里氏の推計によれば、地方債発行の「適切な格付け評価」と「調達コスト改善」の間に有意な関係性が見られるとのことであるので、市場が有効に機能するスキームの下では、例えば、夕張市のような過大投資による財政収支の悪化が生じた時には、債権市場における資金調達コストの上昇や新規融資の停止につながるので、必然的に不適切な財政運営は市場を通して早期に是正されることになると考えられています。


しかしながら、このような市場原理を自治体運営に生かそうとする手法は、よほど慎重に制度設計が行われぬ限り(例えば、個人情報保護法(基本法)の場合、それを公正・中立な第三者機関としてのデータ保護監査人の設置で補強する仕組みを実現させるような工夫が実現せぬ限り)、一方的に自治体側(=地方に住む住民たち)が直接的に身に浴びる新たなリスク要因(より熾烈な市場の牙の洗礼)を浴びせられる可能性が高まると思われます。


例えば、サブプライム・ローン問題の波及がますます深刻化する中で、自治体としては初めてアメリカ・カリフォルニア州のバレーホ市(VALLEJO/人口約12万人/http://en.wikipedia.org/wiki/Vallejo,_California)が財政破綻したことが報じられています。直接的な原因は新築住宅の販売低迷や住宅価格の下落に伴い市の関連税収が減っているほか、市民所得の減少と風評的な悪循環の被害、それに連鎖した大手スーパーチェーン店舗の閉鎖などの影響があり、ことし7月から始まる会計年度で1,600万ドル(約17億円) の歳入不足に陥ったということのようです(情報源:http://blog.goo.ne.jp/ibarakiisuzu/e/d0bf2de41d94b92a74a72880dff72326http://huhcanitbetrue.blogspot.com/2008/05/blog-post_27.html)。


無論、サブプライム・ローン問題が起こらなかったとしても、例えば日本の夕張市のように野放図な国の補助金行政頼りでも自治体の財政破綻は起こり得ることですが、(1)歴史的に見ると市場経済は宿命的に市場破綻現象が繰り返されてきた(1970年代以降に限っても、日本のバブル崩壊・アジア通貨危機・米S&L(貯蓄貸付組合)破綻・ヘッジファンド破綻・ニューエコノミー崩壊・サブプライム問題・・・と市場危機が続いてきた)という現実があること、(2)そもそもサブプライム・ローン問題の直接的原因として格付け機関の不適切な債権・証券の評価が疑われていること、(3)グローバル経済が進む中で資金の流れの多くが機関投資家を経由する「超金融資本主義」の時代に入りつつあるため資金運用が短期重視型へますます傾き、よりハイリスク・ハイリターン志向が強まっている(当然ながら、資源価格の投機的な高騰もこの流れで起こっている)こと・・・などを想起するだけでも、市場原理(格付け機関)による地方債の評価に傾斜して、地方自治体の運命をそれに託すのが、いかに危険なことであるかが分かるはずです。


従って、そもそも長期的な視野の中で歴史と伝統に基づく地域経済の発展と住民の厚生・福祉サービスを担うべき地方債の性質と格付け評価の間には、根本的に相容れない価値観の違いがあるのです。そして、これこそが冒頭で述べた「アイルランドがEU・リスボン条約批准を拒否した意味」ということです。そもそも、EUは戦後ドイツの経済モデルであった「社会的市場経済」(社会の下に市場経済を位置づける)を下敷きにしています。第二次世界大戦後の非常に困難なドイツ経済を復興に導いた立役者が、この「社会的市場経済学派」の影響を受けた政治家ルートヴィヒ・エアハルト(Ludwig Erhard/1897-1966)です。彼はドイツ連邦共和国の初代経済大臣であり、後にはドイツ連邦共和国の首相となっています。エアハルトの最大の功績は、「社会的市場経済」の構想を練り、それを現実政策で実践して奇跡的に(西)ドイツ経済の復興を果たしたことにありますが、今こそこの「社会的市場経済」の四本の柱(★)を思い出すべきです(下記の関連記事▼も参照乞う)。


★基本的には、社会が経済システムを支配すべきだと考える。


★しかし、市場にかかわる活動単位(企業、人など)の経済活動の自由は保障される。


★ただ、国は市場における独占・寡占状態が発生せぬよう監視しなければならない。


★同時に、国は地域と国民一人ひとりが自らの責任で行動して経済的に自立することを奨励し、そうなるように支援しなければならない(これが本当の自己責任と自立性の確保) 。


▼2005-03-29付toxandoriaの日記/シリーズ「民主主義のガバナンス」を考える(3/4)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050329


それどころか、我が日本では、福田首相が、洞爺湖サミットの前日に「対日・規制改革要望書の評価報告」(第7年次)を米側から手渡され、”アメリカ合衆国は、日本に対する諸要求が科学的検証に基づく国際標準であるにもかかわらず、農産物輸入制限を含む複数の<農業関連分野の改革に日本政府(福田政権)が失敗したこと>に大いに落胆している。・・・途中、略・・・、<米国産牛肉の輸入拡大が実現しなかったこと>にもブッシュ大統領は大きな落胆を覚えている。・・・途中、略・・・攻撃的で持続的な規制改革と日本市場の対米開放は、日本の非効率な経済と市場を活性化するとともに日本国民にも大きな利益をもたらすことになる。それにもかかわらず、規制緩和と市場開放を妨げて旧弊を死守しようとする一派が増えつつあることは由々しきことだ。また、福田首相が、「ダボス会議で自身が意志表明した規制緩和と市場開放の改革方針」と「その改革を妨げる守旧派」の両方の上に乗って足場固めをするような対米&対日本国民の<二重擬装政策>を採ることは、日本の将来にとって危険なことである。・・・後、略・・・”という具合に、シュワブ米国通商代表からドヤしつけられる始末です。


このため、なんら「洞爺湖サミット」の成果が見られなかったという国民からの酷評を浴びながらも、我が福田首相は、超低支持率もなんのそのであり、日本国民の人権の基礎としての「プライバシー保護」にかかわる原則(国民の人格権保護の原則)を顧みることもなく、ひたすら米国側が求めるままに、新自由主義思想(グローバル市場原理主義)とユビキタス社会化が進む中で「アンバンドリング、デュー・デリジェンス、ベスト・エフォート」という、日本改造のための新たな「三つの錯誤的な価値観」に相応しい「対国民擬装&隠蔽的な仕事づくり」に勤しむばかりです。そして、そのような流れの中で尖兵モデル化しつつある分野が「自治体再生法制」に基づく地方財政の健全性の確保へ向けた取り組みであることに、一刻も早く、我われ日本国民は気づくべきです。なぜなら、それは格付け機関による「適切な(不適切な?)格付け」と「非情な市場原理主義」による最低ランクの格付け評価まで落ちぶれた地方自治体が、その住民ぐるみで叩き売り(人権と国民の人格権が冒涜・破壊)される悲惨な時代の足音がすぐそこまで近づいているからです。
 

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