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デモクラシーと差異―――グローバル化時代における民主政治の再定義をめぐって(山口二郎)
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投稿者 ダイナモ 日時 2008 年 8 月 07 日 23:04:17: mY9T/8MdR98ug
 

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1 近代的デモクラシーにおける差異

 政治とは、複数の価値観や利害の衝突や葛藤の調整である。言うまでもなく、政治、特に民主政治は人間社会における差異を前提としている。したがって、差異をどのように定義し、その定義に基づいて人間をいかに束ねるか、即ち、ほかとは違う共通点を持った集団の一員として自らを認識させるかは、民主政治の帰趨を左右する重要な争点となる。

 差異の準拠枠組みには様々なものがある。言語、宗教、ネーションなどのアイデンティティもその代表例である。ベルギー、オランダ、スイスなどの大陸ヨーロッパ諸国では、依然として政党の基盤をなしている。

 近代資本主義の発達以降、最も重要な準拠枠となったのは、豊かさのヒエラルヒーであろう。富の有無が、「我々」と「彼ら」を隔てる最もわかりやすい基準となった。社会主義思想が政治的な力を持ったのも,このわかりやすさ故のことであった。また、資本主義自体が持続するためには、市場経済がもたらす資源配分の格差を、縮小するメカニズムを埋め込むことが必要不可欠となった。

 特に第二次世界大戦後の西側資本主義国においては、そのような再分配の仕組みが整備された。ロベール・ボワイエは、フォーディズムという概念でそれを説明する。労働者に十分な賃金を支払い、消費の主体として市場に引き込むことによって、資本主義経済は一層の発展を遂げることができた。コリン・クラウチは、デモクラシーの放物線というモデルでこのような政治の展開を説明する。組織された労働の政治参加によって労働者に対する再分配政策が制度化され、第2次世界大戦終了後から一九七〇年代後半の石油危機までがデモクラシーの頂点に当たるとクラウチはいう。民主主義的な制度を通した政治参加が平等化政策と結びついたのが、頂上期のデモクラシーの特徴であった。戦後日本では、高度成長期の生産性向上と賃金引き上げの組み合わせがこのモデルに当てはまる。

 戦後資本主義がケインズ主義や完全雇用と結びついた時代においては、経済的ヒエラルヒーによる差異が縮小され、不可視化されたということができる。日本においては、一九八〇年代に出現した「総中流社会」において、差異の曖昧化は完成した。

 政治における差異が曖昧になるということは、それだけ対立や闘争のエネルギーが低下するということでもある。社会民主主義勢力が強かった西欧においては、労働者への配分に関する合意の政治が成立した(たとえば、イギリスにおけるバッツケリズムやドイツにおける社会国家の理念)。政権交代が起こっても、社会保障や福祉国家の基本に関しては大きな変化は起きないという状態が続いた。

 社会民主主義勢力が脆弱だった日本においては、労働者は企業を単位として統合され、再分配を受けた。また、大企業に属さない人々に対しては、公共事業や農業・流通業に対する保護・規制という政策手段を通じて、雇用を確保することによって再分配が実施された。こうした政策は、自民党一党優位体制において開発、整備され、同時に自民党の長期安定政権の成立に貢献した。日本的な「戦後デモクラシー」の頂点であった一九八〇年代中頃、当時の中曽根康弘首相は自民党が左にウィングを伸ばしたと自讃し、政治ジャーナリストの石川真澄は「深い保守化」と事態を表現した。両者は、立場は違っても、政治における差異と対立の消滅を説明したのである。

2 経済的飽和状態における差異の再定義

 経済的飽和化と差異の消滅という政治状況は、二〇世紀末から急速に崩れ始める。その理由としては、石油危機以降の経済成長の鈍化、経済のグローバル化の進展、先進国における製造業から金融業、サービス業への産業構造のシフトなどがあげられる。大雑把な言い方をすれば、グローバルな市場の拡大の中で、それぞれの国内において労働力の供給主体としても、消費の主体としても、労働者をつなぎ止める必要がなくなり、必然的に平等化装置も必要とされなくなったということができる。富のヒエラルヒーが復活するという新たな環境において、ヒエラルヒーを正当化する政治的圧力と、平等を回復させようとする政治的圧力が対峙し、政治的対立軸が復活するという展開が見られるようになる。こうした平等を争点とする新たな政治的対立構図の中で、左派勢力は支持基盤の拡大や政策理念の彫琢などの課題に取り組むこととなる。

 もちろん、対決型政治の復活には、国によるバリエーションが存在する。金融を中心とするグローバル化の発信地であり市場競争モデルが最も早く復活を遂げたアングロサクソン諸国においては、サッチャリズムやレーガノミクスによっていったん平等化装置が解体され、格差が拡大した。これに対抗するために、社会民主主義勢力(アメリカにおいてはリベラル派)が、グローバル化時代に持続しうる平等化政策を掲げて再生を図るという展開が見られた。イギリスでは九〇年代末にこのような反転攻勢が行われ、ニューレーバーを自称する労働党政権の下で、十全とまで行かないものの、福祉国家の再生が図られた。アメリカでは、テロや戦争による世論の誘導という要素も働いて、国内の不平等が政治争点化するのが遅れた。ようやく二〇〇八年の大統領選挙で医療や住宅ローン問題を中心に中産層の没落に対する政策が論じられる展開となった。

 ドイツやフランスなど、すでに堅固な福祉国家をもった国においては、左右を問わず、政党がグローバル化時代に福祉国家体制を持続するための制度改革を追求するという展開が見られる。既存の社会サービスをどの程度切り下げるかをめぐって、政党と労働組合などがせめぎ合うというのが主要な政治争点である。

 保守政党の長期政権を支える仕組みの一部として平等化装置が確立された日本では、このような平等をめぐる政治的再編成は独自の展開をたどることとなった。まず、日本では一九八〇年代末にバブル経済の栄華があり、その中で生じた政治の腐敗が大きな問題となった。即ち、九〇年代初めに、政治改革の文脈において政党再編成の議論が盛んになった。そして、そのような再編の議論は八〇年代の「差異の消滅状況」をある意味で前提として行われていた。即ち、物質的豊かさや「総中流社会」の残像の上に、新たな政治勢力の創造、再編が論じられていたのである。

 その場合の新たな結集軸は、政治腐敗をもたらした利益政治への反発、その裏返しとしての脱物質主義的価値観であった。その当時から、既成政治を批判する勢力の呼称が「革新」から「改革」や「市民派」に変わった。わずかに残っていた左派的勢力に対する言及ではなく、既存の政策軸とは別次元の政治勢力を造り出す必要があるという認識が広まった。そこで追求される新たな価値とは、環境などの経済発展の対極にあるものや、市民としての自己実現を支援する仕組み(男女共同参画、NPO法など)であった。もちろん、これらのアジェンダを追求することには大きな意味があるし、一九九〇年代にこれらのアジェンダが政治の前面に浮上してきたことにはそれなりの必然性がある。しかし、九〇年代の日本において、政治改革の文脈で政治の再編成を論じた際に行われた「政治の差異化」が、後の日本政治の混迷に大きな影響をもたらすこととなった。

 そうした新しい価値観を追求する際の障害は、開発主義に固執する建設省や農水省の官僚と族議員であり、市民の自立を抑止する官僚制であった。したがって、政治的な対決を演出する差異は、官(公共セクター)と民(市民セクター及び市場)という対決軸であった。もちろん、一口に民といっても、民間企業と市民では利害はまったく異なるはずであるが、九〇年代の再編論議の中ではその点の差異はむしろ曖昧にされ、官と民という対立軸が主要なものとなった。

 現実には、九〇年代初頭にバブルが崩壊し、日本経済は長い停滞の時代に入った。また、市場開放、規制緩和が進み、「総中流社会」を支えた平等化装置は解体の一途をたどり始めた。しかし、九〇年代は財政出動による景気対策が行われたこともあり、不平等が顕在化するまでタイムラグが存在した。

 二一世紀初頭の小泉構造改革は、九〇年代以来の政治改革の文脈における政策転換の仕上げだったと位置づけることができる。小泉は、郵政や建設などをはじめとする官僚機構と、その親衛隊としての自民党族議員を敵と設定して、自らの改革を正当化した。官と民という差異化を、ほかならぬ官の頂点に立つ首相自身が採用することによって、改革に対する世論の支持を動員したのである。

 経済政策の効果に即して評価すれば、構造改革は、社会保障、地方財政などに対する公共支出の削減、市場に対する公的規制の撤廃による競争原理の解放を柱としており、それらはいずれも豊かな地域(人)とそうでない地域(人)との格差を広げる結果をもたらす。しかし、改革の初期において、政策転換の結果を予測し、国民自身に選択の機会を与えるという政治的な手続きは存在しなかった。もっぱら政治改革の文脈において、官対民という構図の中で、古い自民党と利己的な官僚機構を破壊するという触れ込みで、構造改革が演出されたのである。したがって、日本においては平等化装置の破壊と、不平等問題の政治的争点化の間に大きな時間差が存在することとなった。

3 資本主義の逆襲と差異の復活/曖昧化

 一九九〇年代以降、先進国では多かれ少なかれ、不平等が拡大してきたが、それがどのように政治争点化するかは、決して単純ではない。この点について、私自身、今年の四月にレギュラシオン経済学のロベール・ボワイエと政治社会学のコリン・クラウチを招いて、国際会議を開き、議論を行った。彼らの議論を紹介しながら、問題点を整理したい。

 クラウチは、著書『ポストデモクラシー』において、新自由主義の席巻によって民主政治がどのように変容したかを分析した。今回の日本の会議でも、そこでの議論を紹介しながら、さらにポストデモクラシー以後の展望を述べた。

 クラウチは、最近の先進国の民主政治に共通する「ポストデモクラシー」という傾向として次のような指摘を行った。第1は、ポスト産業社会の帰結として現れた新たな中・下層階級の人々が、自らの利害や要求を政治的に主張する能力を失う点である。相対的に弱い立場、経済社会構造の変化によって不利益を被る人々が、政治的アジェンダを形成できない状態におかれている。

 第2は、ビジネス、特にグローバルな市場で活動するビジネスの政治的な力が大幅に増加するという変化である。企業は政治的な権威を欠くが、国際的なルールを事実上決める力を持つ。ソフトウェア、知的財産権などの事例を見れば、先駆的企業が世界標準を規定するという事例が見られる。さらに、社会の安定、人々の生活が、金融資本の行動に依存するようになる。最近のサブプライムローン問題に現れているように、金融機関の投機や無理な利益追求が失敗すれば、社会全体が振り回される。

 第3は、バランスを欠いた政治の出現である。政党は社会の関心や利害を政治システムに伝達する能力を失う。その反面、政治階級(政治、行政、経済のエリート)は、自己完結的、自己充足的(self-referential)になる。権力を使って自分の利益を追求することに歯止めがなくなるのである。

 クラウチの話の中で、エリートの自己充足化という指摘が印象に残った。政治階級が自己完結的になれるということは、その集団が一般市民や労働者から識別された敵対的集団として認識されていないということを意味する。グローバリズムの進展の中で富のヒエラルヒーは以前よりもはるかに急峻になって復活しているにもかかわらず、ヒエラルヒーの縦の差異を政治的な差異として認識することが非エリートの市民にできていない。

 この点に関しては、日本で起こっていることはいわば世界の潮流の先駆けであろう。公共セクターと市場との対立軸がメディアにおける政治論議を支配し、市民の政治認識がそれによって構築されている。公共セクターと市場を対置するなら、経営者も非正規雇用の低賃金労働者も同じく市場の側に属する。公共セクターで働く人々や市場の側でも公共セクターからの保護や支援によって生計を立てている人々(農民、建設業者、年金生活者などボワイエの言う rentier)を敵に設定すれば、市場の側に存在する富のヒエラルヒーは問題化を免れる。そのような言説こそ、エリートの自己充足化を受容させるイデオロギーとなる。

 最近の日本におけるこうした議論の一例を紹介すれば、飯尾潤の「行政依存人」と「経済自立人」という概念がある。行政依存人とは、レント(市場に対する政策介入がもたらす超過的利益)を享受している人々であり、経済自立人とは行政の保護とは無縁の経済活動で生計を立てている人々を意味する。一九九〇年代の日本のように利益政治を批判する文脈では、こうした議論も意味を持つ時期があった。しかし、この種の議論は、政策とは無縁の経済活動が広汎に存在するという空虚な前提に依拠している点で、大きな誤りをはらんでいる。

 その点を的確に指摘したのが、ボワイエの議論であった。彼は、政治経済学の観点から、資本主義と政治(国家)の関係について歴史的なアプローチを行い、政治から独立した純粋な市場というものが決してあり得ない事を強調した。国家(polity)と経済の間には、循環関係が存在した。経済活動の結果は市民に影響を与え、様々な要求を生成させる。そして国家はその要求を受け止め、経済活動のルールを規定する、(経済発展について)戦略的な選択を行うことによって経済に働きかける。

 民主主義という政治体制も市場・資本主義体制も、決して単線的に発展、形成されたものではない。歴史的な紆余曲折、国による個性が存在する。巨視的に見れば、政治経済体制は、初期の資本主義から、@社会主義−共産主義−社会主義の崩壊、A混合経済体制−社会民主主義などのいくつかの経路を通って、いくつかのモデルに進化、展開していった。

 一九六〇年代には、経営者と労働者の事実上の合意により、生産性向上、賃金上昇と国内市場の充足に両者は共通利益を見出した。その時期に、いわゆる戦後経済の黄金期が形成された。しかし、一九八〇年代以降、国内市場は飽和する一方国際的な競争が激化し、労使合意は崩れた。むしろ、経営者は消費者の利益を背景に労働者に対する資源配分を削減した。さらに、一九九〇年代以降、グローバル化と製造業から金融へ経済の中心が移行すると、世界市場で競争する経営者は、労働者により大きなリスクをかぶせつつ、株主利益の最大化に向けて行動するようになる。

 こうした変化には、市場のルールや様々な政策が密接に関連している。そして、クラウチが『ポストデモクラシー』で強調したように、そうした政策を自らに有利な方向に向けるために、ビジネスエリートは政治に参加している。もちろん、その際の参加とは一市民としての政治参加からはかけ離れたものである。豊富な資金力により政治家や政党にロビーイングを行い影響力を購入すること、あるいは審議会の委員など直接政策形成を行う地位に就くことによって、エリートの政治参加は進められる。

 オリックス会長の宮内義彦などは、小さな政府、市場介入の撤廃を説く点で、飯尾の言う経済自立人のモデルということになろう。しかし、実際に宮内が行ったことは、自ら規制改革会議の議長となり、規制緩和を進めることによって自分の会社のビジネスチャンスを広げることであった。たとえば、宮内路線によってタクシーの規制緩和が進み、タクシーは大幅に増車された。その結果、必然的に運転手の賃金は大きく低下した。他方、増車によってタクシーの車両をリースするオリックスにとっては、ビジネスチャンスが広がった。この一例を見れば、政治と無関係な経済活動などありえないということは明白である。

 およそ政策とは、既存の利害関係を変更するものである。民主政治においては、人や集団は自らの利益を追求して政治に参加するものであり、利己的動機を非難しても意味はない。重要なことは、すべての当事者が等しく利己的動機を追求するという相対主義的な視点に立つことである。そして、各当事者に政治的発言の機会を平等に保障することが、現代の多元的民主主義にとっては必要である。

 しかし、現在の日本では、改革という言葉を使って差異の構築と隠蔽が行われている。小泉改革の中で改革と称された政策転換は、社会保障支出の抑制、地方自治体に対する地方交付税と公共事業費の削減であり、労働分野における規制緩和である。これらは、高齢者、過疎地の住民、非正規労働者など弱い立場の者に対する配分を減らし、経営者など強い立場の者の収益を拡大する効果を持っている。こうした政策転換を強者の利己的政策形成と呼べば、議論としては公平である。しかし、実際にはこれらの政策転換は改革と賞賛された。他方、福田政権が誕生してから、自民党から地方再生や農業対策などが打ち出されると、多くのメディアではバラマキの復活という否定的な論評が見られた。強者への再分配が改革と賞賛され、弱者への再分配がバラマキと貶められることで、富のヒエラルヒーの差異が隠されているのである。飯尾の議論のように、レントの追求を識別基準として差異を構築すれば、このような認識もまた富のヒエラルヒーにおける垂直的差異を隠蔽することに役立つ。

4 差異の再定義に向けて―――弱者の自己責任という呪縛をいかに打破するか

 日本でも、この一、二年、ようやく不平等や貧困に対する社会的関心が高まってきた。私が主催する研究プロジェクトは、日本人がどのような社会経済システムを望んでいるかを調べるために、科学研究費を使って昨年一一月に全国一五〇〇サンプルの世論調査を行った(詳細は、http: //www.csdemocracy.com/opendata/200801.htmlを参照のこと)。小泉・安倍時代の改革の結果、日本社会はどうなったかという問いに対しては(二つの選択肢を選ぶ)、格差拡大、金儲け主義の蔓延、医療、教育等の公共サービスの劣化という否定的な答えが上位三位を占めた。労働分野の規制緩和が人間をモノ扱いし、金儲けのみを追求するという風潮を強めることになったこと、社会保障や地方財政に対する財政支出が削減されたことで、普通の人間の生活基盤が脅かされていることは、今や広く認識されているのである。もはや、小泉時代の改革のトリックは破綻したと言ってよい。

 四月の会議では、今や「ポスト・ポストデモクラシー」への反転攻勢の時期だという点でクラウチと見解が一致した。サブプライムローンに端を発するグローバル金融資本主義の動揺、挫折は、もはや自由放任の市場が決して持続可能でも、社会的厚生を増大するものでもないことを物語っている。また、環境制約に対する取り組みが必要だという点でグローバルな世論が形成されつつあることも、単純な市場モデルからの転換を促す契機となる。人間の尊厳を守ることと、地球の持続可能性を確保することこそ、次なる政治の大きなテーマであり、また政治勢力を再編成する際の重要な分水嶺となる。

 利害対立を政治の世界に表出させるためには、状況を再定義(reframe)することが必要であり、そのためにはメディアと知識人の役割がきわめて重要だというのが、クラウチ、ボワイエ両氏の結論であった。格差や貧困の問題が必ずしもメディアで正確に伝達されず、問題が広範に共有されないという点では、日本もヨーロッパ、アメリカも同じ問題を抱えている。メディアの大半も私企業であり、売れることが至上命題である。したがって、メディアに対する資本の影響力は大きい。

 しかし、絶望するには及ばない。人々が不平等や貧困に対する関心を高めれば、それらに関する情報は売れ筋の商品となる。最近、小林多喜二の『蟹工船』が若い世代に読まれるようになり、文庫本は増刷を重ねているというニュースがあった。反転攻勢の機は熟しつつあるといえよう。

 今最も必要なことは、弱者の自己責任という呪縛から、人々が自らを解き放つことである。新自由主義は自己責任論を武器に、貧困、失業、介護など様々なリスクを個人化している。そして、弱者は律儀にそうした問題を自己責任で引き受け、個人個人がばらばらに苦しんでいる。もちろん、新自由主義の唱える自己責任論は虚妄である。強者は自らの責任で失敗しても、それを他人に転嫁して平然としている。たとえば、石原慎太郎は東京都の税金を投入して銀行の真似事を始めて、巨大な損失を出した。しかし、その穴埋めのためにさらに税金を投入しても、恬として恥じていない。弱者が石原の破廉恥さを真似する必要はないが、自己責任論のばかばかしさを理解する参考にはできるだろう。

 依存と自立を対立概念と考えれば、新自由主義の罠にはまる。介護や介助を必要とする高齢者や障害者も、尊厳ある人生を送れるし、送るべきである。低賃金労働で苦労している人々、経済的理由で進学の機会を奪われた若者など、格差社会で自分の責任によらず不幸を背負っている人々も同様である。政策的なサポートは、逆境にある人間が尊厳ある人生を送るためにこそあると認識を切り替える必要がある。普通の人間は政策的支援を受けることによって、自立した、尊厳ある人生を生きることができる。こうした発想の転換については、上野千鶴子の唱える「当事者主権」という概念が参考になる。

 そのような言葉の定義をめぐる戦いこそ、知識人が取り組むべき課題である。人間の尊厳を回復しようとする側と、人間をモノ扱いして利益を追求することを当然と考える側という差異こそ、これから最も重要な政治的対決枠組みを提供するように思える。批判的知性を持った知識人にとって、今ほど戦える、また戦うべき時はなかったと思う。(『現代の理論』2008年夏号)
 


 

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