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社会システムと政治環境の底が抜けた国、ニッポン
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投稿者 鷹眼乃見物 日時 2008 年 8 月 31 日 14:05:41: YqqS.BdzuYk56
 

社会システムと政治環境の底が抜けた国、ニッポン


[副 題/スーベニール・シリーズ]2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/アントワープ編


<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080831


[プロローグ]社会システムと政治環境の底が抜けた国、ニッポン


(社会システムの底が抜けた国、ニッポン)


クローズアップ現代(8/27)『日雇い派遣禁止/さまよう若者たち』(参照→http://www.nhk.or.jp/gendai/)を見て、<日本の特殊性>について色々と考えさせられました。当番組・ゲストの斎藤貴男氏(ジャーナリスト)も言ってますが、“日本企業のことごとくが、この余りにも便利な制度(労働者の人権を蹂躙するという意味で世界でも稀な非人権的雇用システム)に甘ったれている”と思います。番組では主に運輸・引越業界等を取り上げていますが、トヨタ・キャノンらの一流企業も似たり寄ったりで、むしろリーディング・カンパニーとしての社会的役割を放棄したコチラの方がより悪質です。


もう一つは、<社会のあり方の根本、つまり企業(市場経済)の存在意義、あるいは人権と公共の意味などを学ぶための教育>が日本で機能していないという現実です。無論、これは急にいま始まったことではなく、これら“若者たち”の親たちが“さまよわずに済んだ”のは、たまたま運が良かったからに過ぎないのだと思います。


小泉・竹中らの政治家、およびそれと呼応したマスコミ界とアカデミズムの主流を占める「アメリカ型・新自由主義」かぶれたち(例えば、現在の朝日新聞・主筆ら/参照→http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C1%A5%B6%B6%CD%CE%B0%EC)の登場で、その状態が深刻化した訳です。欧州諸国の政治家・経営者らは、非市場部門(家庭、地域社会、公共ど)を市場と対等に置きます。この点が日本と決定的に違います。


欧州諸国の政治家・経営者らは、市場経済の持続的活力が、この非市場部門から創生されてきたものであることを理解しています。このことに気づかぬ(ふりをしている?)日本について、番組ゲストの斎藤貴男氏は“日本は社会の底が抜けてしまった”と話していました。


人間社会を特徴づけるのは、社会、経済、政治、労働、そして法制などの諸システムですが、なぜ、日本は、今やサブプライム・ローン等でその決定的な欠陥(≒アングロサクソン型会計システムの限界)が暴露された「アメリカ型セレブ経済社会システム(=米国型崇高美?/参照→http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080813)」を律儀に追い続けるのか、不思議です。
「俗悪化したロマン主義と優生学的テクノロジー信奉の融合」をナチズムの本性と見なすならば(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080819)、現在の「改正・教育基本法」(2006年〜)の底流には、これと酷似した、そして余りにも怪異な「科学還元主義の理念」が居座っています。


具体的に言うなら、それは江崎玲於奈氏らのような“一種のカルト型科学者”の特異思考・症候群(シンドローム)である、劣勢遺伝子に対する激しい憎悪、環境と人間 (生物個体)の間における上方・下方因果的な関係性を一切排除するという、言い換えるならば一切の暗黙知を排除するのぼせ上がった精神環境です。そして、これこそが、現代の日本で職業教育や労働・雇用行政などの領域へ底なしの悪影響を与えつつあるのではないかと思われます。


戦後60年以上を経た今でも、折にふれて機会をとらえつつナチズムへ の反省を繰り返し続けるドイツのあり方に比べると、この点でも彼我の大きな落差に愕然とさせられます。ドイツに限らず、欧州的な「市場経済」の概念には、このような意味での病理学的な精神環境への危機感(自然環境と人間社会に遍在すると見るべきリスク恒常性についての意識)が存在すると思われます。また、“アメリカ的崇高のグロテスク”(参照→http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080813)には、限りなくこのナチズムに似た社会ダーウイニズムの臭気(優生学の幻想に毒された空気)が漂っています。


<参考/関連記事>


 → 『センチメントの操作と“名ばかり管理職組織(会社)”が意味するもの』、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080217(部分)


 →  『フレキシキュリティ=積極的労働市場政策の視点』、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071227(部分)


(政治環境の底が抜けた国、ニッポン)


一部のメディアが報じる(8/30)ところによると(情報源:下記★ほか)、あれほど我われの耳目を驚かせた『防衛疑獄関連の核心についての捜査』がヒッソリと幕を下ろしたようです。これは当初から予見されていた結末ですが、すべては「日米平和・文化交流協会」の専務理事、秋山直紀容疑者の個人的犯罪ということで終結し、背景の「政界ルートに潜む巨大な利権構造」を切り出す道はピタリと閉ざされてしまいました。


★『防衛利権 政界不発で終結 秋山容疑者を追起訴』、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080830-00000078-san-soci


その一方で、この結末に勇気づけられたのかどうかは知りませんが、アフガニスタンでの日本人NGOの拉致事件を受け、民主党・前原元代表(元・日米平和・文化交流協会理事)は、"アフガンの治安状況は悪化しているので政権担当の可能性が高いほど具体的で実行可能な施策を打ち出すことが大事だ。よって、航空自衛隊による輸送を担うのも、一つの具体的な案として考え得るのではないか”と、アフガニスタンへの空自派遣も選択肢になり得るとの認識を示しています(情報源:下記◆)。“空自派遣”が、同種事件の更なる誘い水になる懸念の方が大きいにもかかわらず・・・。


◆『アフガン支援、空自派遣も=民主・前原氏』、http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008082700735


また、8/30付・朝日新聞の記事『クラスター弾対策に着手 防衛省』によると、防衛省は2009年度の概算要求にクラスター弾・廃棄方法の調査費(2億円)を含む代替兵器導入費として約75億円を盛り込んだようです。クラスター弾の廃棄そのものは結構なことですが、一部の専門的情報(参照→http://www.kamiura.com/new.html)によると、防衛省は、本来であれば2段階進めることができるプロセスを今回はわざと1段階だけ進むにとどめ、次回にもう1段階すすむ方法で概算要求をしたようです。


そして、その裏側には“防衛予算を継続的(長期的)に獲得しつつ防衛産業などにより多くの予算を振り分け、天下りなどの見返りを円滑にする”という意図が隠れているようです。軍事技術的な分析について正しく評価できるだけの知識・能力は持ち合わせていませんが、仮に、この軍事専門筋の分析情報が正しいとすれば、『防衛利権 政界不発で終結』という政治的幕引きとほぼタイミングを合わせた、この不埒な防衛予算の概算要求動向には十分に注目せべきだと思います。


なぜならば、今回の「クラスター弾破棄事業にかかわる高度なトリック」が仕掛けられたことによって、再び、悪徳利権政治家と悪徳防衛官僚らの<新たな防衛利権のタネ>が撒かれた可能性があると考えられるからです。結局、この種の問題への決め手となるのは<市民意識の覚醒と参政権の行使>以外にはあり得ないのです。司法当局といえども、突き詰めれば、政治権力の掌中で踊る官僚組織の一部であることを絶えず念頭に置くべきなのです。


・・・以下は、[2006-09-02付toxandoriaの日記/2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/アントワ−プ編]の再録です。ただし、一部に加筆・修正があります。・・・


【画像解説】


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フランドル・バロック様式の代表的な天才画家であるルーべンス(Peter Paul Rubens(1577-1640))がイタリアから帰国して最初に制作した『キリスト上架』(The Raising of the Cross、1610/ノートルダム大聖堂、Onze Lieve Vroux Kathedraal/より大きい画像はこちらへ→http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Peter_Paul_Rubens_068.jpg)です。


イタリア留学中のルーベンスは主にマントヴァのゴンツァーガ公の宮廷に使え、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロらイタリア・ルネサンスの大家たちの作品を模写するとともにティツイアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼらヴェネツィア派の画家たち、及びイタリア・バロック絵画の創始者たるカラヴァッジオなどから大きな影響を受けました。急遽、母親の訃報でイタリアから帰国したばかりの頃に制作されたこの絵の主題は、十字架に架けられたキリストが無理やり引きずり上げられる痛々しいシーンです。しかし、そのためにこそ、このキリストはイタリアのミケランジェロ風に筋骨たくましい躍動的な姿で力強く描かれたのです。


英国の作家ウイーダ(Ouida/Marie Louise de la Ramee/1839‐1908)原作のテレビ・アニメで有名になった『フランダースの犬』(A Dog of Flanders)のラストは、この絵の前での感動の場面です。力尽きた主人公ネロ少年が愛犬パトラッシュに語りかけます。“ねえパトラッシュ、見てごらん、あれがあんなに見たかったルーベンスの絵だよ・・・そうだね、僕らはずーっと一緒だよね・・・パトラッシュ、疲れたろう、もう僕も疲れた・・・なんだかとても眠いんだ・・・”という言葉を残すなか、薄倖の二人(一人と一匹)が共に天に召される、あの涙抜きには語れぬ感動のシーンです。あのあまりにも有名な場面は、このアントワープのノートルダム大聖堂の二つのルーベンスの絵の前を想定したとされています。しかし、このお話は、肝心の地元では日本ほど知られていないそうです。


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ルーベンスの作品『聖母被昇天(Assumption of the Virgin 1626/同寺院所有/より大きい画像はこちらへ→http://www.abcgallery.com/R/rubens/rubens2.html)です。こちらはルーベンスの円熟期(40台半ば〜50代前半/前妻イザベラ・ブラントが1626年に病死したため、54歳のルーベンスは16歳のエレーヌ・フルーマンと二度目の結婚をした)に描かれたものです。


頭脳明晰・容姿端麗で健康・円満な性格でもあったため、1620年代のルーベンスはスペイン総督(この頃、フェリペ2世の娘イザベラが南ネーデルラント(ベルギー・フランデレン地方=南フランドル)総督を務めていた)・宮廷の宮廷画家及び優秀な外交官として活躍しました。しかも、この頃の南ネーデルラントは、ローマ・カトリック教会が主に北ネーデルラント(オランダ)からのプロテスタント勢力の侵入を防ぐため芸術を通した民衆の教化に力を注いでいたこともあり、天才画家ルーベンスの仕事は途切れることがない状態でした。


そのためか、この作品には1622〜1625年頃にフランスのアンリ4世の依頼でパリのリュクサンブール宮を飾るために制作された『ルーベンスのマリー・ド・メディシスの生涯シリーズ、24枚の連作大画』(http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:Peter_Paul_Rubens_035.jpg、ルーブル美術館)に似た、一種の覇気に満ちた力強い雰囲気があります。因みに、この頃のルーベンスはイギリス王チャールズ1世とスペイン王フェリペ4世から騎士に叙せられるという栄誉も受けています。


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円熟期にあたる1630年頃のルーベンスの『自画像』(所蔵、ルーベンスの家)です。この自画像には、権力者の栄光のクライマックスを芸術家の能力で支えてきた偉大な画家の自負心が感じられます。


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四枚目はピーテル・ブリューゲル(Pieter d. A. Brueghel/ca1528-1569)の『狂女フリート』(Dull Griet=Mad Meg c. 1562、アントワープ・マイヤー・ファン・デン・ベルグ美術館/ Museum Mayer van den Bergh /より大きい画像はこちらへ→http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/bruegel/mad-meg.jpg)です。


ピーテル・ブリューゲルは、ルーベンスより約半世紀前の時代のアントワープとブリュッセルで活躍した画家です。ルーベンスと同様に、当時流行りのイタリア旅行はしましたが、ルーベンスと異なり、ブリューゲルはルネサンス・イタリア絵画の影響は殆んど受けませんでした。むしろ、彼は、ロベール・カンパン(Robert Campin/ca1375-1444)に始まったと見なされている対象物を非常に精緻に描き込むフランドル・リアリズム絵画の伝統を一足飛びに「現代のリアリズムの視点」まで届かせてしまったようです。


それは、時間をシンクロナイズさせつつ同時にすべての現実世界の諸相(社会的な格差と矛盾、権力者の驕りと腐敗など)を表現する「批判的リアリズムの手法」です。彼が生きた16世紀前半は宗教改革と反宗教改革の嵐が吹き荒ぶ時代ですが、カール5世のハプスブルグ帝国を支えてきたため「スペイン帝国の財宝」とまで呼ばれた「アントワープを中心とする豊かなネーデルラント一帯」が、スペインとフランスが血で血を洗う地獄絵図のような戦場と化した時代でもあります。このため、いたるところで戦火に巻き込まれた民衆の悲惨が目撃されたのです。


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これは「ルーベンスの家」(Rebenshuis)です。この家にルーベンスはイザベラ・ブラントと結婚してから住み始め、1640年に、ここで64歳で亡くなっています。館内の各部屋は当時の生活のままに再現されており、ルーベンスが王侯貴族のように豪奢かつ豊かで非常に恵まれた生活を送っていたことが分かります。


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その「ルーベンスの家」の中庭に咲いていた季節の花々です。


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ベルギーで最大規模を誇る教会建築とされる「アントワープ・ノートルダム大聖堂」のほぼ全景です。名高い47の鐘を持つカリヨンを備えた塔の高さは約123メートルあります。


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アントワープ・ノートルダム大聖堂・内部の色鮮やかなステンドグラスと壮麗な内陣の景観です。


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アントワープの美しい「市庁舎」(16世紀に建造)です。当日は、あいにくの曇り空でしたが、一歩この市庁舎前の広場(マルクト広場)に足を踏み入れた時の印象は、やはりブリュッセルのグランプラスと同じで、周囲の建築物が華麗なシンフォニーを奏でるような雰囲気がありました。この市庁舎の前にある噴水は、アントワープの語源になったとされる巨人退治の伝説(ジュリアス・シーザーの一族とされるブラボーという名の青年が、スヘルデ川を行き来する船舶を襲っていたアンチノゴスと呼ばれる巨人を退治し、その手を切り落とし川へ投げ込んだ場所がアントウエルペン→アントワープ・・・すなわち“hand werpen”(=オランダ語で“手を投げる”意味)が、アントウエルペンとなった?)を表現した「ブラボーの泉」です。


<注>ブリューゲルの『狂女フリート』の画像解説については、下記の記事(◆)も併読ください。


◆“好感度”抜群の寄生政治家が創る好戦的な「妖術国家・日本」
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060612


・・・本論・・・


アントワープ(蘭アントウエルペン、仏アンヴェルス or アンヴァース、英アントワープ)は、ブリュッセルの北方約50kmに位置する、人口が約50万人のベルギー第二の都市です。この都市の特徴は、先ず北海に注ぐスヘルデ川の東岸に発達した世界規模の貿易港(周辺に大工業地帯を形成)として発達してきたことであり、同時にアントワープは中世以降の繁栄に支えられた豊かな伝統文化都市でもあります。13世紀頃から始まる繁栄の頂点は、神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)が統治した16世紀です。


その間、15世紀にはブリュージュやゲントとの間で経済的な繁栄を競いましたが、凡そこの頃こそが初期北方ルネッサンス絵画(初期ネーデルラント絵画、初期フランドル絵画)の時代であり、ロベール・カンパン、ファン・アイク兄弟、クリストウス、ロヒール・ヴァン・デル・ヴァイデン、メムリンクらの画家たちが活躍しました。


現代のアントワープ港は、ヨーロッパ有数の港湾施設で、ベルギーの経済を支える中枢機能の役割を担っています。その港湾・産業関連施設の広がりは北部のオランダ国境へ伸びており、スヘルデ川の周辺に広がる入り組んだ運河地帯には、ロイヤル・ダッチシェル、エッソ・スタンダード、GM、BASF(Germany. Multi-national chemicals manufacturing corporation)、ユニオン・カーバイトなどの多国籍企業が進出しています。


また、クラレ(樹脂製造)、日本碍子(ガイシ)(絶縁体、送電設備関係)、日本触媒(医療用、精密機器用エチレン系素材製造)、ダイハツ自動車、東京化成(研究開発実験用試薬、半導体材料等の特殊化学品製造/欧州事業統括の現地法人)、山武(製造装置メーカー)、トヨタ自動車(製造統括会社と販売統括会社の持ち株会社トヨタモーター・ヨーロッパ)などの日本企業が進出しています。


15〜16世紀頃のアントワープには「イングランドの毛織物、南ドイツの銀と銅、ポルトガル人伝来のアジアの香辛料」などが集積し、商取引とともに金融業が発達し、この時代のアントワープの人口は約10万人(パリに次ぐヨーロッパ第二の都市)まで膨れ上がり、約1,000にも及ぶ各国の商館が軒を競っていました。


そして、この頃からフランドル絵画の中心はブリュージュやブリュッセルからアントワープに移り、ピーテル・ブリューゲル、ルーベンスらの大画家が輩出したのです。なお、このフランドル地方の絵画の伝統は、オランダ独立戦争(1568-1609)の渦中にアントワープがスペイン軍によって破壊(1585)されて世界的な貿易港の地位がアムステルダムへ移る16世紀末〜17世紀初頭頃、つまり凡そルーベンスが活躍した時代頃からフランドル美術(南ネーデルラント美術)とオランダ美術(北ネーデルラント美術)に区別して論ずることが可能となります。やがて、17世紀オランダの美術と経済は「レンブラントの時代」(現代オランダの歴史家ホイジンガーの命名)と称される黄金期を迎えることになります。


これに先立ち、16世紀中頃に経済的繁栄の頂点を迎えたアントワープには17世紀前半にイタリアで起こったバロック様式の美術が他に先駆けて流れ込み、ルーベンス、ファンダイク、ブラウエル、ヨルダーンスなどのフランデレン・バロック絵画を生み出します。現代のアントワープにも、これらの遺産の大部分がマルクト広場から「アントワープ・ノートルダム大聖堂」(1352年に着工し、約170年をかけて完成)周辺の旧市街地一帯及び「王立美術館」(KMSK/Koninklijk Museum voor Schone)及び「マイヤー・ファン・デン・ベルグ美術館」(Mayer Van den Bergh Museum)に残されています。


アントワープにおける、その他の観光資源としては「アントワープ現代美術館」(Museum van Hedendaasgse Kunst Antwerpen)、「アントワープ・ダイヤモンド博物館」(Provinciaal Diamantmuseum)、「国立海洋博物館」(ステーン城/Steen National Scheepvaartmuseum)などがあります。


もう一つ、文化的価値という意味で忘れてならないのは「プランタン・モレトウス印刷博物館」(Plantin-Moretus Museum)です。「プランタン=モレトウス印刷博物館」はルネサンスおよびバロック時代にまで遡る印刷出版工房です。パリやヴェネチアと並び世界で印刷術の先端をいく都市でもあった当時のアントワープですが、これは、1549年にアントワープへ移り住んだクリストフ・プランタンによって創業されたものです。


そして、この印刷所は、16世紀以降のヨーロッパで最も名声を馳せた出版社でもありました。しかも、この博物館の建物は1867年まで実際に印刷関連の業務に使用されており、世界一古い印刷機やその他の印刷機、莫大な書籍や文書、芸術作品などがソックリ保存されており、その中にはモレトウスと親交があったルーベンスの絵画も含まれています。


同博物館は建物自体にも建築的価値があり、当時のヨーロッパで最大・最高水準の印刷出版所の職人らの生活と仕事の完全なる例証であることから、2005年7月に世界文化遺産に登録・認定されています。また、同博物館所蔵の古文書類は2001年にユネスコの「世界の記憶」としての認定を受けています。その所蔵内容の主なものは、書籍・写本類が約3万点、銅板画が約3千点、インキュナブラ(incunabula/15世紀後半に印刷された初期の活字印刷本/グーテンベルグ聖書など)が約150点、その他の絵画・デッサンなどとなっています。


このような出版文化の伝統があるため、今でもベルギー及びオランダの出版文化の水準は世界でトップレベルにあります(1830年以降、ベルギーはフランス及びオランダの支配圏を離れて王国(立憲君主国)として独立しますが、そのオランダとの特異な歴史的関係から「プランタン・モレトウス印刷博物館」はオランダ・ベルギー両国にとって共通の文化遺産であり文化基盤となっています)。


例えば、それはユネスコが、2001年から毎年選んできた「World Book Capital」(世界における本の首都)に、早々とアントワープ(ベルギー/2004年)とアムステルダム(オランダ/2008年)が選ばれたことが実証しています(参照、http://portal.unesco.org/ci/en/ev.php-URL_ID=22376&URL_DO=DO_TOPIC&URL_SECTION=201.html)。


この「World Book Capital」を選ぶ基準として重視されるのが、先ず“その国の出版活動が、どれほど「その国の歴史・文化」と「その国の子供や若者たち」を結びつけることに努力し貢献したか”ということであり、かつ“その国の出版活動にかかわる投資が、いかに多様な価値の理解のため効率的にバランスよく活用されたか”という点であることに注目すべきです。つまり、自国の出版文化に関する、このような二つの厳しいハードルをクリアできるということは、余程シッカリした国家としての戦略と見識が存在しなければあり得ないということです。


とろで、「ベルギー憲法」は国民の基本的な権利として「信仰の自由、教育の自由、結社の自由」とともに「出版の自由」(第25条)を掲げています。因みに、「ベルギー憲法」の第30条は“ベルギー国で用いられる言語の使用は任意である”(つまり、ベルギー国民が何語を使うかは一切自由である)ことも定めています。フランデレン語(オランダ語)とフランス語の間での“言語闘争”という特殊な歴史を持つとはいえ、このようにユニークな憲法上の「寛容性の宣言」には驚かされます(参照、「ベルギー憲法」http://members.aol.com/Naoto1000/Loilinguistique/archives/ConstitutionBelge_jp.html#2)。


また、近年の学術出版における「電子ジャーナル化」についての先見的な動きがオランダで見られことにも注目すべきです。電子ジャーナル化とは、インターネットの普及とともに1994年頃から学術雑誌の世界で見られるようになった新しい出版傾向のことです。それは、学会機関であるか民間出版社であるかの別を問わず、従来の冊子体の学術雑誌が電子化され、インターネットを介したオンラインサービスで読者へ提供されるものです。


そのサービスの形は(1)出版社のサーバから直接提供されるタイプ、(2)統合サービス提供者から提供されるタイプ(出版元が弱小のとき)の二つに大別されます。出版社や学会から提供される多くの電子ジャーナルは有料です。しかし、電子化の費用による購読価格の上昇で苦しむ中小規模大学などで購読中止などの事態が発生したため、オープンアクセス運動(電子ジャーナルの無料化運動)が起こっています。


ともかくも、この電子ジャーナル化ということは、価格問題もさることながら、より新しい重要な問題を提示しています。それは電子ジャーナルによって、今や「アカデミズムの研究環境」が様変わりしつつあるということです。具体的には次のような点を列挙することができます。


●研究者は、あまり図書館へ行く必要がなくなった
●研究者が読む文献数(量)が、ますます増加しつつある
●アラートサービス(新論文のメール通知)の普及で、研究者は新しい論文により迅速にアクセスできるようになった
●予算上の都合で購読契約をキャンセルすると、各研究機関や図書館に何も痕跡が残らない


これらは殆んどが研究上の生産性向上に結びつくので歓迎すべきことなのですが、唯一懸念されるのが“四番目の問題”です。特に、それは、明治維新以降すでに140年も時間を経たにもかかわらず、未だに欧米からの学術文献輸入型の研究スタイルを脱していない日本におけるアカデミズム環境の問題を直撃しています。


学術雑誌の講読を予算上の都合でキャンセルした途端に特定のアカデミズム分野の先端情報がデフォルトされ何も痕跡がなくなるというのは国家リスク管理の観点からすれば大いに由々しきことです。この点、人口規模等のレベルで比べれば我が国より遥かに小国であるオランダ・ベルギー両国の見識は秀逸です。


つまり、オランダ・ベルギー両国は、出版文化に関する国家的戦略を伝統的に明確化してきたこともあり、世界を視野に入れた学術出版の蓄積(一次資料及び二次データベースの蓄積)は膨大なものとなっており(参照、http://www.cyndislist.com/nether.htm)、電子ジャーナルの提供者に対しても、同じように優越的な立場を保証しています。


例えば、オランダの出版社エルセビア(Elsevier/参照、http://www.elsevier.com/wps/find/)は、既に1990年に、「TULIP PROJECT」(参照http://www.clir.org/PUBS/reports/mcclung/app1/096.html)と呼ばれる実験プロジェクトを開始して電子ジャーナルのサーバ出版社としての優越的立場を確保しています。現在の電子ジャーナルのサーバを担う出版社は、エルセビアの他ではシュプリンガー(独)、Wiley(米)、米国化学会などがありますが、その殆んどが欧米出版社または欧米学会機関となっています。


ここで懸念されているのは主に科学技術分野の問題ですが、最近、オランダの日本学研究者(オランダでは、伝統的に、プロテスタント・カトリック両系統の神学者らが、一次資料(原典)に基づきつつ日本の神道・靖国・英霊などの研究に取り組んでいる)らの中から、靖国神社や英霊についての日本国内における近年の閉鎖的研究傾向(「ethnocentrism/自民族中心主義」の傾向)への批判が提示されています。


彼らの研究の恐るべきところは、徹底的に日本語の歴史的文書類を読みこなすという文献学的研究を徹底させていることです。おそらく彼らのホンネの部分では、現代のニッポンは、未だに「幕末・開国以前の状態」かもしれません。いずれにせよ、我が国のアカデミズム・出版文化・情報分野における「国家戦略の不在」と「リスク管理意識の欠如」には余りにも悲しむべき点が多すぎます。


ともかくも、ショービニズム信奉者(chauvinism/狂信的愛国主義、盲目的国粋主義=ナポレオン1世を理由なしに熱狂的に崇拝した兵士ニコラ・ショーバンの名前からの造語)ならぬ、私腹肥やしにウツツ(現)をぬかす、悪徳化したタカ派政治家(軍事利権化した軍事国体論者ら)が政治の中枢に潜み続ける日本は、21世紀以降も永遠に「擬装民主主義国」(=かくれ暴政国家、公金横領国家)であり続けるのではないかと思われます。

 

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