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「天皇在位20年奉祝」キャンペーンにクサビを打ち込む共同の闘いを(かけはし)
http://www.asyura2.com/08/senkyo56/msg/1066.html
投稿者 ダイナモ 日時 2008 年 12 月 19 日 18:54:07: mY9T/8MdR98ug
 

http://www.jrcl.net/web/frame090101g.html

 二〇〇九年十一月十二日に大々的に「天皇陛下御在位二十年」奉祝式典が開催される。さる十二月十九日にはすでに民間式典がとり行われた。当日を一年だけの「祝日」とする法案も準備されている。一方で「皇室の危機」が露呈し、他方で「国民統合」装置として象徴天皇制が活用されようとしている中で、労働者市民はどのように批判の声を上げていくのか。天野恵一さんに聞いた。(編集部)

「美智子批判」と「雅子批判」

――二〇〇九年は今の天皇在位二十年で、右派の側は二〇〇八年から準備を進めてきました。十一月十二日を「即位の礼」の日を一年かぎりの祝日にするという法案を提出するようです。反天皇制運動の側は、今の政治情勢とからめながら、大きく反対運動を作っていく準備をしていますね。
 この二十年を振り返ると、最初のうちは明仁天皇は、代替わりの時に「国民と共に憲法を守る」という「護憲発言」のようなことをやりました。天皇外交としては最初に一九九一年に東南アジア訪問をして、その後九二年に中国を訪問し、中国に対する「謝罪」的なことばを語りました。しかしその後の明仁・美智子天皇制を振り返ると、非常に特徴的なところでは右派の側から批判が出てくる。最初は一九九三年の「美智子バッシング」でした。

 それはメディアの側から、明仁を批判できないから代わりに美智子をターゲットにするという形でしたね。天皇主義者が皇后を批判するし、天皇を批判する。それは「護憲宣言」的なものに対するリアクションでしたよね。自分たちの考える旧大日本帝国憲法的な天皇ビジョンが裕仁にはある程度延命してきたわけですが、それが「バイニングの教育」を受けた明仁の代になって、全然違ったものになるという危機感がそれをもたらした。
 しかしそれも結果的に皇后非難を軸にかなり大々的なキャンペーンとなり、美智子が倒れて失語症になるところまでいった結果、『宝島』とか『文春』とかに銃弾が撃ち込まれるところまでいったわけです。右翼内の「内ゲバ」で事態が終息するという奇妙な流れになった。その流れが現在の「雅子バッシング」までは続いていると思うんです。明仁のところまではいいけれど宮中祭祀を拒否している雅子、それを擁護している浩宮は許せないということになっている。はっきり浩宮批判ですよね。
 事態をややこしくしているのは、天皇夫婦が雅子・浩宮のビヘイビアにかなり焦っており、弟・秋篠宮と紀子が天皇夫婦の側についているという構造になり、長男に男の子ができず次男がむりやり男の子を作ったという結果、よじれ構造になっちゃって直系継承の自然な構造がこわれてしまっている。その状況の中で右派が雅子をバッシングして、そこでは陛下の気持ちを立てているという関係になっている。持続しているのは基本的に代替わりした象徴天皇制の位置づけをめぐる右翼の焦燥感ですね。
 その前には小泉が突っ走って女系天皇を可能にする皇室典範プログラムが出来上がる直前にまでいく。その時に右派は総結集して反対したという流れが作られていて、そうした動きの一番大きな源泉は、戦後史の流れで言うと訪中反対運動ですよね。それは戦後補償に対する反対運動と重なっていて、「訪中反対」のところで右派が総結集した。
 『諸君!』や『正論』など右派メディアが大きな力を持つようになり、宮沢内閣の時ですが、「日本会議」系が自民党議員の過半数を制するようになる。宮沢が「天皇訪中」外交を推進することに足を引っ張る自民党議員が多数派だった。そういう恐るべき時代が見えてきたわけです。自民党の根っこ、保守派の根っこにある戦前型の天皇制への志向が「謝罪外交」、侵略戦争を「反省」したような――天皇の言葉ですから必然的にポーズに過ぎないわけですが――、そうしたポーズを外交で取らせること自体に反対する、という対立軸だったわけです。
 それを源流にした流れが今まであったんですが、今度の局面では西尾幹二の『皇太子さまへの御忠言』(WAC刊)がはっきりした皇太子批判をしています。「皇室がそうなった暁(「反日の政治勢力がうろうろとうごめ」き「天皇家は好ましからざる反伝統主義者にのっとられる」事態)には、この私も中核から崩れはじめた国家の危険を取り除くために天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」という発言を西尾はしていて、2チャンネル右翼的な人たちが、それにかなり賛同するということと、右翼の中でもかなり共感を組織している部分があるわけです。もちろんそれに皇室上がりの竹田恒泰(戦後、「臣籍降下」した旧竹田宮家の直系)を中心にそこまで言ってしまったら「不敬だ」という話に右翼文化の中でなっていて、前の美智子バッシングが、銃弾発砲で右翼の発言が別の右翼によって抑えられるのとはちょっと違っています。
 というのは右翼の中で、西尾幹二的発言が市民権を得ているからです。西尾がこの間、「自由主義史観」系の大物だったということもあるでしょうし、それなりの学者だということもあるでしょう。僕には不思議なことに、西尾はそれなりに決意して言っていると思いますが、社会全体の右傾化を表現する流れが西尾を支持していたりしています。2チャンネル右翼的にワイワイと雅子バッシングをやっている人たちを見ると、皇室に対する尊重度が右翼の中でも希薄になっている結果が読めると思うんです。右翼自身の根本的自己矛盾だけれど、それが露出しているんじゃないか。
 もともと名目的に信仰しているんであって、Xデーの時だって「自粛」を強制してカネを取ってまわっている。つまりカラオケに行って「不敬」だとかいってカネ儲けの口実に天皇を使っている暴力団右翼がいっぱいいるわけですし、実際に右翼の脅迫とかもみんなカネがらみですから、尊敬度も名目的だったということは戦前から言えるんですが。右翼文化の中で天皇制への尊敬度がここまで希薄になっているというのは、この局面では特徴的な事態だと思うんです。

天皇制への
無関心的支持

――それはなぜなんでしょう。

 それは「皇室を開きすぎたらこうなる」っていうことが右翼にも反映しているということなんじゃないですか。タレント化した大スターのようにして、国民的スターにして、現人神を後景に退けて「大衆天皇制」でやってきて、メディアの中で皇室のキャラクターをスターとして売りまくるといった演出が続いた結果、芸能記事と皇室記事が同じになっているわけですね。女性週刊誌もテレビの番組もそうです。芸能スター的感覚は代替可能ですから、誰でもいいわけです。
 しかし天皇制は誰でもいいというわけじゃなくて、その人でなければならない絶対性がどこかにある。それは宗教的権威などで裏で支えているわけで、全面的に表に出す局面はあまりないわけです。そういう強権的な統合、つまり現人神の絶対性で統合するのは裏側で隠してやるのが象徴天皇制のスタイルだったわけです。むしろ「大衆天皇制型」で国民統合を発揮してきたわけでしょう。その裏表で蓄積されてくる一つの集合的無関心とか意識とかいうこと自体がそういう問題をもたらしてくるんじゃないか。
 Xデーの時から思っていたんですが、強権的天皇制だけを天皇制の問題として、つまり警察であれ軍隊であれ暴力装置的な側面だけで問題を捉えていると、天皇制批判の意識は広がらない。むしろアクティブに万歳とか言わないけれど、ハッピーならいいじゃないかという、反対することは許されないという意識と裏表であるようなそういう意識、ある種独特の無関心的支持みたいな意識が国民の大多数だと思うんです。それはあまり変わっていない。そこに批判派がどのように切り込んでいくかというのが、Xデーの時からずっと課題だったと思うんです。その問題が在位二十年においても考えなきゃいけない大きな問題です。

天皇制の「連続」と「断絶」

―― 一方で戦後日本国家には、武藤一羊さんなども言っているように、裏の原理としての「戦前的な天皇制原理」がある。しかし他方、国際社会の中で戦後の建前としては憲法に代表される平和主義と民主主義があって、それを代表する象徴天皇制でなければならなかったわけですよね。ただこの間、自民党の動きなどを見ていると天皇主義は戦前の戦争や植民地支配を肯定する論理と絶対に結びつかざるをえない。
 しかしそれが安倍の時もはねかえされてしまう。「慰安婦」の強制連行はなかったという論理がアメリカによってはねかえされたのが決定的だったわけだけれども、そのあたりで右翼の側のフラストレーションがものすごくあります。それは単に右翼だけではなく、戦後の保守主義もどこにも行き場がなくなってしまっている。そのことと、今の右翼の天皇制に対する態度の取り方が関係しているのじゃないでしょうか。

 関係あると思います。さっき言ったような問題は二つあって、一つは天皇制は戦争責任を取らずに延命した結果、戦後は象徴天皇制にモデルチェンジしてみせたものの、戦前の天皇制を引き受けざるをえない。侵略戦争と植民地支配の記憶なしの天皇制はありえないわけであって、それをどこかで肯定するからこそ象徴天皇制国家になっちゃったわけで、表の顔は平和主義と文化主義で来たとしても、裏では侵略戦争の実態を背負っていかなければならないわけです。そういう矛盾を帯びています。
 それからXデー前後まで、象徴天皇制になって平和天皇制になったんだから、天皇制はそれほど大した問題ではない、もともと天皇制は「封建遺制」だという戦前・戦中・戦後のコミュニズムを中心とする理解のしかたがあった。あんなものを問題にするのはアナクロだという意識があったわけですよ。僕たちはそういう歴史を超えて象徴天皇制をちゃんと問題にしようという運動をしてきました。その時僕たちが強調したのは「断絶しているのではなくて連続しているんだ、戦前の天皇制の問題は実は解決していない。断絶して、いい民主主義になったのではなくて、象徴天皇制民主主義でデモクラシーと天皇制が矛盾しないような変な構造にしてしまって、戦前の天皇制を延長しているわけだし、問題は解決していない」という主張でした。「戦争責任を取れ」という運動の論理もそうでした。
 ただ僕自身の個人的な認識の転換ということで言うと、沖縄を中心とする反戦運動の過程で見えてきたのは、ある意味て戦前と戦後はものすごく断絶しているということですね。それは戦後民主主義による断絶ではなくて、アメリカという問題です。
 アメリカが天皇制を作り直したわけじゃないですか。アメリカによって占領されて、作り直された天皇制などというのは戦前の天皇制と同じわけはないですよね。逆に言うと支配者の方は、その部分については連続性を演出してきたわけです。僕たちの方は、その連続性が演出であることを逆にはっきりさせなければならない。アメリカという軸を入れると認識の構造が少し変わってくる。連続しているものがないというわけではないですが、連続は巨大な戦勝国アメリカの力とそれにすがった戦前から続いた戦後の日本の支配者の共作によって、ものすごく変形されているわけです。
 連続性を演出しているけれど実は連続していないんです。象徴的に言えば、靖国神社に米兵が参拝したりしているわけじゃないですか。もともと非常に矛盾しているわけですよ。国家神道をやめて民間宗教になって裏でつながってうまく延命したけれど、延命したと言ったって向こうの論理から言って靖国神社そのものがかなり変なものになっている。それを無理やりイデオロギー的に突っ張って昔と同じだと言って頑張る奴などいろいろいるわけでしょうけれど、そこにはものすごいメスがバサッと入っています。
 天皇自身延命のためにアメリカ、マッカーサーと結びついて「人間宣言」から地方巡幸まで、アメリカの要求と日本の延命した支配者側の要求が合体しながら象徴天皇制を作っていくプロセスは、天皇制に微塵も批判的でない著者ですが、高橋紘の『昭和天皇』(岩波現代文庫)によく出ています。今までの仕事をまとめたものにすぎないのですが、いわゆる「国家神道解体プロセス」と、それより摩訶不思議なのは日本側が天皇ふくめて結果的に憲法を作るところまで全部協力して、アメリカ・ヘゲモニーに便乗しながら延命してきた人たちによって作られた戦後国家の実相が、天皇を軸にしてよく読める作品です。
 安保に飛びつき自分の責任を回避して裕仁が安保を「国体」に押し上げていくプロセスを描いたのは、豊下楢彦さんの本(『昭和天皇・マッカーサー会見』、岩波現代文庫)ですね。残念な結論で、明仁天皇の賛美で終わっているのは呆れ返ってしまいましたが。しかし丹念な実証を含めて、見えるものは見えてきている。そこは逆に言うと戦前と戦後は決定的に断絶しているんですよね。

戦後の皇室と
田母神論文

――ある意味では「断絶」を一番自覚しているのは裕仁ですよね。

 それはそうです。だけど彼も必死になって連続を演出している。それはGHQの意思でもあり、天皇もふくめて支配者たちが自分たちが作った国家であると演出しなければならないという戦略上の位置もある。その上で圧倒的に演出に乗ったという、戦後において隠した史実がかなり表に出てきて、そのプロセスが今ではかなり読めるようになってきたわけです。戦後象徴天皇制国家はアメリカ製なんです。アメリカ製の天皇制を崇拝する天皇主義右翼はなんなのかという自問が発生せざるをえない。
 天皇主義は根本が衰弱してしまっていて、もともと天皇制は虚偽なんだけど、最大の虚偽が戦後象徴天皇制イデオロギーなのではないかと思います。今の天皇制をめぐる問題では、アメリカの言いなりに対する不満のようなものが一杯あるだろうけれど、あれは明仁の代までふくめてアメリカの言いなり当たり前の天皇制なんです。そのすごい奇妙奇天烈な構造は、日米関係の中で、一番大きな問題なんじゃないかな。

――田母神が書いているものを見ていると、天皇の問題については全く触れていないですよね。

 触れていないですね。逆に言うと裕仁や明仁の戦後発言を拾っていったら、あれほど天皇の意思と対立する論文はないですよね(笑)。そういうことが持っている意味合いはかなり大きいと思います。彼らのアイデンティティーはどうしても天皇や天皇制なんでしょうし、そういう時に天皇がアメリカに対して発言してきた一連の流れを整理すれば、河野談話や村山談話というより、戦後の「勅語」の精神をどう踏まえるのかということになるんじゃないかな(笑)。

「朝日」論調と積極的活用論

――『朝日新聞』的な象徴天皇制=明仁天皇制を積極的に認める論理は、裕仁天皇制と明仁・美智子天皇制の違いのようなものを強く押し出して、その上で明仁・美智子天皇制を擁護する形になっているんじゃないですか。

 「朝日」のスタンスは若宮啓文という論説主幹が中心になってからかなりはっきりしてきていて、「裕仁天皇までは右翼にくれてやっていいけど明仁の時からはいただきだ」という非常に愚かな発想じゃないかと思います。明仁・美智子になってから第二次世界大戦で侵略したり、戦争したりした諸国との関係の作り直しに重点をおいた。そういう外交とそれから「慰霊」の問題もはさみますが、それが彼らが主に行ったことで、それはそれで成功してきたわけです。Xデーの直後に、次の天皇に何を期待するかという社説のようなものがいっぱい出ましたが、「皇室外交に期待します」という報道がたくさんありました。
 日本の財界は御手洗の文章なんか読むと極端な天皇主義だから「財界そのものはブルジョア合理主義で、天皇制的なものとは遠い」と理解しない方がいいのですが、東アジア経済圏の中で日本が安定的な位置を持つ必要を含めて、天皇外交や国連常任理事国入りにも野望があったわけですね。それが全面的に出ていて、その段階から『朝日』も天皇の積極的活用論に本格的に踏み込んだと思います。裕仁じゃまずいけど、明仁・美智子だったらなんとかいけるんじゃないかと。
 皇室外交についてはもともと裕仁の代には二回しかないでしょう。ヨーロッパとアメリカだけですから。それも「ヒロヒトラー」という糾弾で迎えられ惨憺たる結果となったヨーロッパ訪問と、「原爆やむなし」発言まで引き出されてしまったアメリカ。要するに裕仁はアジアにもヨーロッパにも使えないことがハッキリしたわけで、そのこととも重なって早く明仁でやりたかったのが、遅れてなんとか実現することになった。
 だから明仁の代は「皇室外交」が一つの軸ですね。訪中を果たしたんだから訪韓もやりたいのだろうと思います。戦争責任の清算のセレモニーですね。それは戦後賠償をちゃんとしないことと対応していて、天皇がきれいごとを言って日本の支配者はきちっと補償も反省もしないのが、戦後国家らしいスタイルだと思います。『朝日』にも『読売』にも皇室外交賛美はあって、訪中でぶつかったのが典型的ですよね。右派は「謝罪外交反対」から「皇室外交」全体に反対する論陣まで張ってしまって、典型的に「謝罪外交」と見られるものに反対するところから始まった分岐があり、右派の論理は国際社会での普遍性を持てないからいつも挫折を強いられてぶっこわれてしまう。
 むしろこの間、戦争が始まってアメリカに引き寄せられて派兵国家になっていく過程で、裏にあった伝統的な天皇制イデオロギーが表に出てきて、安倍政権ができるところまで行って、いま麻生のような右翼ゴロが首相になる時代になってはしゃいでいるわけですが、それでも外との関係ではそのイデオロギーではとてもやれないわけですね。そうするとやっぱり、戦後それなりに反省したポーズの象徴天皇制の延長で何かしなくちゃいけない。
 明仁・美智子がやったのは、一つは外交であり、もう一つは「慰霊」ですよね。サイパンまで行ってみせた。戦死者、それも外国の戦死者にまで追悼してみせるという手の込んだことをやった。内側に閉ざされた追悼だけではなく、平和主義的追悼というイメージを演出してみせるところまで行った。それは外交での「お言葉謝罪」と対応している。
 それともう一つ、明仁・美智子で典型的だったのは被災地のお見舞いです。皇太子も使って片っ端から行く。美智子が跪いて被災者の手に触れるとか、これはイギリス王室型ですよね。裕仁の時からやりたかったことですが、ちょっとサマにならない。これも明仁・美智子になってサマになるスタイルになったんです。
 こうしたことがこの二十年のセールスポイントで、それを奴らはそれなりにうまくやってきたんじゃないでしょうか。

歴史認識をめぐる闘い

――二〇〇九年は「在位二十年」になるんですが、「奉祝」キャンペーンへの反対運動について今考えていることを話してください。

 すでに大阪や大分では神社を中心に行政も巻き込んでいろんな「奉祝」イベントが始まっています。それは裕仁の「在位六十年」キャンペーンと似ていると思います。「在位六十年」の時は裕仁天皇が戦前も実は立憲主義者だったという話にして、「平和・文化天皇」の戦後のイメージに戦前・戦中も合わせる歴史観を通史的にまとめるキャンペーンだったと思います。それが「在位六十年」の時に準備されて、Xデーの時に画一的報道がマスメディアに流れることになったわけです。今始まるのは、多分メディアを含めて明仁Xデーが近いということで、この二十年をどういう時代として総括するのかという歴史総括の軸の立て方が争われる時間になっています。その中で右翼は、自らの右翼的見解を軸として出したいということがありますよね。
 しかし「大東亜戦争」全面肯定史観で戦後の天皇制をまとめると、戦後の裕仁天皇制も明仁天皇制もヤワでダメだったという話にならざるをえない。それが勢いを得るとはとても思えない。そうするとメディア全体の主流になるのは、おそらく『朝日新聞』的史観ですね。平和天皇としての役割と、戦後の平和国家への転換の良さ、象徴天皇制デモクラシーの賛美ですね。
 象徴天皇制デモクラシーが決定的に定着したのはミッチー・ブームの時だと思うんですが、ということは裕仁では無理で、明仁皇太子夫婦を使うことでそういうイメージを作ってきたという歴史から言っても、明仁・美智子天皇の時代は象徴天皇制デモクラシーの平和主義が定着した時代の賛美になり、むしろ裕仁の時代からは断絶したことになるんじゃないでしょうか。結婚五十周年キャンペーンと重なるでしょう。そうしたニュアンスでの捉え方と、右翼の「大東亜戦争」肯定的歴史観、これは浩宮・雅子に批判的な見解でもありますが、この二極的な対立が歴史認識の問題としても出てくる。
 その全体を天皇制の批判としてちゃんと批判していくことが運動的には一番重要で、僕たちなりの近代史・戦後史、この二十年の歴史をどういう批判的な総括軸を立てて対置していくかが運動の中でも問われていく。そういう討論を全国的に巻き起こしていくこととが重要なんじゃないか。
 それと僕自身のこの間の個人的経験で言うと、憲法改悪反対運動などでの意見広告運動の広がりがあった。意見広告運動は、直接運動圏にはいない人たちとの接点を作りだすにはいい媒体でした。Xデーの時にもすでにやっているわけですが、「二十年奉祝」反対の運動でも立ち上がりの時に意見広告運動をきちんと打ち出して、その組織化の中でいろいろ問題を広めていきたいと思っています。まだ共同行動の準備会も出来ているわけではないので、これからみんなで相談して決めることですが。
 ただマスコミ主流が作っている象徴天皇制の「積極活用」的なイデオロギーとどう闘うのかは一定のリアリティーがあちらにある分だけ大変むずかしい。ただ彼らのネックは日本がすでに「派兵国家」となっていることで、そうなると軍隊と天皇、軍人と天皇という問題が出てくる。日本を守るために命を賭けるためのアイデンティティーはかつては天皇であり、今でも軍隊教育の中では代替するものがないぶん天皇しかないんでしょう。そうしたらそういうことを含めて「平和天皇」のイメージとか「謝罪外交」のイメージとか、「被災地めぐり」の慈悲深い天皇のイメージとかなり矛盾した右翼的なものが活性化していくという問題は後景に退くわけではないので、分裂を抱えて進んでいくことになるでしょう。だからその分裂をちゃんと見ながら僕たちがどう主張していくか。その両方を批判していく論理をちゃんと提示しなければいけないでしょう。

Xデー以後の運動の蓄積

――天野さんたち反天皇制運動連絡会として、昭和天皇の最後の時代から天皇制批判の運動を進めてきて、今、憲法や反戦などほかの政治課題とも重ね合わせながら闘ってきたわけですが、反天皇制運動を持続してやってきてそこでの成果をどう考えていますか。

 裕仁Xデーの前に運動を立ち上げて、中曾根の靖国参拝とか在位六十年とか、全斗煥韓国大統領との外交とかいろんな問題をやってきて、国体や「海づくり」とか「植樹祭」とか各地を結んで運動を作るスタイルをそれなりに持続してきました。
 Xデー状況で思ったのは、地域で初めてデモをやったのが反天皇のデモだったりした所が幾つもあってビックリしたんですが、反天連だけではなく非常に全国的に広範に「自粛」に反対する運動が行われ、天皇問題の全面化と闘ってきた経験があります。僕は未だに市民とか市民運動という言葉にアイデンティティーを持てないのですが、社会的なさまざまなテーマでの市民運動の中に反天皇制運動があるということが認知された時間だと思っています。縮小しながらも、全国で反天皇制の課題に取り組んでいる人びとが現在までネットを組んで続けてきたという成果は、Xデーを前にして急に作りだしたという時とは違う、立ち上げる時の全国的な力としてすでに存在するということです。
 ピークの時に比して後退していることは間違いないにしても、それなりにネットを持ち連携した動きが有機的に続いていて市民運動の流れの中に存在していることは、何もなかった時に比べると大きなことです。
 マイナスの条件と言えば、裕仁のXデーで街頭でビラを撒きだす時は、右翼の暴力だけではなく、天皇を批判するビラが破かれるとか、殴りかかってくるとかいうことはほとんどなかった。多数派民衆意識はそれほど大きく動いているとは思いません。しかし問題は右翼です。この間、直接天皇制に関する問題から、軍隊「慰安婦」や憲法問題までふくめ右翼が押し寄せてきて誹謗中傷・恫喝し、「反靖国」デモのように殴り込んでくるという事態になっている。こういう趨勢が変わるかと言えば変わらないでしょう。それを抱え込んで闘争に入っていくことは、客観状況として、以前にもまして神経を使わざるをえない。それが運動主体をガチガチに硬直させてのびやかな闘争をできなくさせてしまうとしたらヤバイなと思います。そこのところを気楽に誰でも参加できるデモ・集会であるような広がり方をどう作りだしていけるかが大きな課題です。その条件がないわけではないので、ゆっくり着実にやっていきたいと思います。(08年11月26日、聞き手:国富建治)

2008日朝日韓民衆連帯行動
つぶさない!平和・人権施設
めざそう共生と連帯のアジアを


 【大阪】ヨンデネット大阪(日朝日韓連帯大阪連絡会議)の呼びかけでつくられた実行委員会(33団体と在日8団体)主催で、大阪平和人権センターが協賛した「つぶさない!平和・人権施設! めざそう 共生と連帯のアジアを! 2008日朝日韓民衆連帯行動」集会が、十一月二十六日大阪市立青年センターで開かれた。
 朝鮮留学生同盟の仲間によるサムルノリの演奏に続き、主催者を代表して林さん(ヨンデネット大阪共同代表)があいさつをし、「ピース大阪で映画『プライド』の上映が行われたとき、多くの市民団体と反対行動をしたことがある。いま、橋下知事はこのピース大阪やリバティ大阪の予算を大幅に削減したし、平和人権共生をめざすヒューライツの予算をゼロにするという動きもあった。府の動きに同調して大阪市もまた同じことをやっている。正しい歴史認識の共有のためにもこれらの施設を存続発展させていくことが重要だ。そのための運動を広げていきたい」と述べた。

加害と被害の展示館:ピース大阪

 続いて現場から訴えがあった。
 ピース大阪は今大変なことになっている。予算は半減、職員も半減、仕事は減っていない。リバティ大阪に比べピース大阪の方がテレビにもよく出るし予算規模も大きいと思っている人が多い。リバティ大阪(正式には大阪人権博物館)は博物館法に基づく博物館だが、ピース大阪は大阪平和博物館と名乗れない。博物館の類似施設だ。
 実は、ピース大阪の問題は今になって起きたのではない。ピース大阪には、バブルの頃から財政上の問題と政治上の問題があった。前身は、谷町にあった世界福祉会館のフロアーを借りていた。ここで十年間空襲の展示をしていた。被害のことだけ展示するのではなく加害の面も展示しなければという内部の意見があって、それがピース大阪につながった。ピース大阪に移行するとき手伝いをした岸元知事は、今日本会議にはいっていて、ピース大阪を潰せと言っているらしいが、加害と被害を展示している博物館は全国で類がない。
 ピース大阪は大阪の宝だ。ところが、反日展示だとか偏向展示だという攻撃がかけられてきた。ピース大阪偏向展示をただす会なんていう会も出来た。国の恥になるような展示をするなとがなり立てた。ピース大阪で九九年「プライド」上映、〇〇年には「二十世紀最大のウソ南京大虐殺集会」が開かれ、外交問題にもなった。
 橋下財政改革で、一億九千万円の予算は五千万円減額され、大阪市も同調して同額を減額したので、計一億円削減された。職員も十人から四人になった。来年は二人になる予定だ。非常勤職員も週に二日休ませて、費用を減らすというちまちましたやり方をしている。将来的には非正規職員だけにするのだろうか。ピース大阪には被害のA展示と加害のB展示があるが、やがてA展示だけにしてしまうというねらいがあるのだろう。でもこんな時だからこそ、市民に開かれたものにしていくというチャンスもある。

「敵対」への道を
拒否するために

この現場からの訴えの後、以前ピース大阪の事務局長をしていた有元さん(元大阪港地評議長)から訴えの追加があった。ピース大阪は一九九一年九月十七日にオープンしたが、この日は世界平和デーだとのこと。長崎・広島の記念館を見学してピース大阪に来る外国の見学者からは、ピース大阪の展示に対して「日本政府から文句が来ないのか」と聞かれるという。
 有元さんは、岡本智明さん(現ピース大阪理事長)が今日逝去されたことを報告。右翼の攻撃からピース大阪を守る上での岡本さんの存在は大きかったことや、ピース大阪の設置理念のすばらしさを強調した。
アピールは富永さん(平和人権センター)が行った。田母神論文にふれながら、戦争と平和の問題を見直すべきこと、ピース大阪が自立化をめざすとき、自主財源分を補助金から削減する府のやり方には問題があるということ、またピース大阪自身も市民ボランティアの力を借りるとか外国人にも分かるよう展示の工夫をすべきであるとの意見を述べ、右に偏向しないようピース大阪友の会を広げて支えていこうと訴えた。
最後に、在日の団体から連帯のあいさつがあった。
 崔さん(韓統連大阪)は、「在日同胞が全国でもっとも多いところが大阪だ、国際都市大阪というのなら正しい歴史認識のために平和施設を守ることが重要だ。田母神論文では共生と連帯のアジアではなく敵対のアジアになってしまう」と述べた。また、朴さん(朝鮮総連大阪)は、六カ国協議の合意事項と裏腹に、十月二十九日に新宿商工会や総連支部等に警視庁公安部の家宅捜索が行われたことや、経済制裁の延長をみても在日朝鮮人が人質であるかのような扱いだと批判し、対話によってしか問題は解決しないと訴えた。
 集会後大阪府公館前を通って大阪城までデモ行進を行った。    (T・T)

 

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