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第52回 立花隆の仕事場から(2)〜天皇と東大 大日本帝国の生と死 (2005/10/31)
http://www.asyura2.com/08/senkyo56/msg/620.html
投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 06 日 22:28:47: Dh66aZsq5vxts
 

(回答先: 第51回 東大の産学共同研究センターで人間サイボーグの実験台に立つ (2005/10/20) 投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 06 日 22:25:15)

第52回 立花隆の仕事場から(2)〜天皇と東大 大日本帝国の生と死 (2005/10/31)
http://web.archive.org/web/20051125142657/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051031_shigotoba2/

2005年10月31日

 11月1日、書籍情報社から『エーゲ 永遠回帰の海』という本が出る。これは、22年前に写真家の須田慎太郎と40日間かけてエーゲ海周辺を大きく一周した旅での思索をまとめた本で、『思索紀行』(2004年書籍情報社刊)ギリシア篇というおもむきの本だ。

 175点もの写真が豪華に入ったオールカラーの本だが、価格は1500円と驚くほど安くおさえることができた。これだけ安くできたのは、本作りを編集者がコンピュータのDTP(デスクトップ・パブリッシング)ソフトで、文字通り机上で作りあげてしまい、外注部分を最小限にとどめたからである。

 制作過程の途中経過をつぶさに知っているが、いまコンピュータを大胆に使っていくと、本造りはこんなに簡単になってしまうのかと、驚いた。

 この本は旅行の時点からかぞえると、22年かかっているわけだが、その頃出版しようとしていたら、これだけ写真を入れたフルカラーの本を、とてもこんな価格で作ることはできなかったろう。この本の内容については、書籍情報社のページに紹介があるからそちらで見ていただきたい。

 
天皇のための大学「東大」という装置
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 このあとさらに一カ月ばかりすると、12月初頭に、『天皇と東大 大日本帝国の生と死』(文藝春秋)という本が出る。これは「文藝春秋」に、7年間にわたって、長期(70回)連載をつづけた、「私の東大論」を本にしたものである。

 なぜ、「私の東大論」が「天皇と東大」になったのかというと、「私の東大論」が、連載中から次第に「東大論」を離れ、東大というのぞき窓からみた日本の近現代史そのものというべきおもむきの連載になってしまったからである。そういう性格の変貌をはっきり示すために、タイトルそのものを「天皇と東大」にあらためたのである。

 東大はそもそも、天皇のための大学だった。近代国家日本は、天皇制という君主制の上に建てられた国家であり、東大は、そのような国家を支える人材育成のために作られた大学だった。

 国家公務員の上級職(一級職)試験で、いつも東大卒が上位を占め、高級官僚というと、東大卒のオンパレードになるのはけしからんと息まく人が多いが、もともと、東大というのは、そういう人材を育成するために作られた大学だったのである。

 明治憲法下では(1945年以前は)、官僚は、戦後憲法に定められたような国民のためのパブリック・サーバント(奉仕者)としてあったのではなく、天皇に直結して天皇につかえる天皇のサーバントだったのである。官僚は天皇によって任免され、天皇の命によって動く、天皇制国家そのものの骨格をなす人間マシーンだったといってよい。

 天皇制を支える一方の翼として、天皇に直接統帥される陸海軍の武官たちがいた。もう一方の翼は、天皇に直接司える文官たち(行政官僚)だったし、さらにもう一つの翼にいたのは、天皇制を司法の側から支える司法官たちだった。

 武官も文官も司法官も天皇の任命大権によって選ばれ、天皇の名において行動する人々で、天皇制そのものを支える人々だった。そのうち、武官以外の部分は、当初東大がほぼ独占的に供給していたのである。東大は天皇制を支える大学だったのだ。

 東大は、日本が帝国だった時代、帝国大学を名乗っていた。帝国を支える人材を育てる大学だったからだ。

 
next: 帝国が滅びるとともに…
http://web.archive.org/web/20051105025812/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051031_shigotoba2/index1.html

帝国が滅びるとともに帝国大学も滅んだ
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 帝国大学の目的を定めた大学令の第1条には「国家に須要な人物を育てる」とあるが、それはそういう意味だったのである。−−それに加えるに工学部が育てた技術官僚たちもまた、大学が国家のために供給した須要な人材群だったということができる。

 東大は、そのような国家を支える官僚を育てる教育機関でありながら、また一方では、国家と何度も衝突を繰り返した。大学は国家の一機関でありながら、なにをおいても国家につかえることを最優先の目的とする機関ではなかった。

 大学にはもうひとつつかえる対象があったからである。それは何かというと、学問である。学問は真理の探求を目的としていたから、つかえていたのは真理に対してであったといってもよい。

 国家のありようがあるいはめざす方向が真理と合致していれば何の問題もないが、それはしばしば一致しなかった。それが一致しないどころか大きく背反している場合には、大学人は国家と真理の間で引き裂かれた存在となり、そのようなポジションに深く悩まざるをえなかった。

 森戸事件、滝川事件、天皇機関説問題など昭和戦前の日本において、そのような国家と大学の衝突が何度も起きた。それらの衝突によって、日本の社会がどのように変質していったかをこの連載は詳細に描いている。

 帝国が滅びるとともに、帝国大学も滅んだ。二つの滅びのドラマがどれほど深く重なりあっていたかを描いたのがこの連載であったから、「天皇と東大」の副題は、「大日本帝国の生と死」になっている。

 
“明治137年”を迎える小泉2005年体制の意味
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 先だって(第47回)高級官僚たちといろいろ語り合う機会があったと述べたが、それは、ちょうどこの連載が終わった頃に、人事院が主催して開かれた「幹部行政官セミナー」に出たことをさしている。テーマは何でもいい、いま語りたいと思っていることを何でも語ってくれといわれたので、この連載で書いてきたような、近現代史の大きな流れから現代日本をながめ直したとき、何が見えてくるかというような話をした。

 そういう大きな流れから見たとき、小泉政権の大勝利によって起きた2005年体制の問題がどう見えてくるかという話をした。

 そこでまず、

 「今年は明治何年か?」

 というところから話を切り出した。今年はもちろん平成17年なのだが、明治がそのままつづいていたとしたら何年かという意味だ。

 今年は明治137年である。このようなことを考える意味がどこにあるかというと、日本が近代国家になってどれぐらいになるかということを意識してもらいたかったのだ。

 
next: 明治以前の日本は…
http://web.archive.org/web/20051104044013/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051031_shigotoba2/index2.html

 明治以前の日本は江戸時代であり、徳川時代である。徳川将軍が日本を治めていた封建制度の時代であり、それは近代の日本とは、全く質的にちがう時代だった。

 日本の近代は明治元年からはじまったわけだが、その年(1868年)が、西洋史の流れでいうと、どのような年になるかというと、フランス革命80年であり、産業革命100年だったのである。フランス革命の思想的背景をたどると、啓蒙思想に行きつくが、政治思想におけるその代表格、ルソーの「社会契約論」までたどると、それはやっぱり100年前だったから、日本の近代化はヨーロッパにくらべると、100年おくれていたといっていいだろう。

 ついでにいっておくと、明治元年は、マルクスの「共産党宣言」の20年後である。ヨーロッパが近代化から一気にそこまで(暴力的社会主義革命実現をはかる政治集団の登場)進んでしまったときに、日本では、フランス革命も産業革命も何一つ知らず、チョンマゲ姿の志士たちがチャンバラで殺し合いながら近代はるか以前のところで四苦八苦していたのである。

 日本は政治経済の両面において、グローバルスタンダードからそれくらい遅れて、近代国家作りをはじめたということである。日本という国のかかえる問題を考えるとき、この近代国家作りの出発の遅れの問題が、今日にいたるまで、さまざまの後遺症を残しているということを忘れてはならない。

 
大日本帝国の56年と戦後60年の重み
……………………………………………………………………
 次に

 「今年は大日本帝国何年か?」

 を考えてみた。

 すなわち、日本が立憲君主制の国になって何年かを考えてみたということである。

 日本が帝国になったのは、明治憲法(大日本帝国憲法)の発布をもってだから明治22年(1889年)である。すなわち、現在は大日本帝国115年ということになる。もしあのとき大日本帝国が滅亡しなかったら、いま帝国成立後115年になっていたということだ。

 大日本帝国は1945年に消滅しているから、むろん、このような数え方にはあまり意味はない。大日本帝国は、誕生から滅亡まで、わずか、56年しかかからなかった。

 今年が戦後60年目にあたるということを考えると、それはあまりに短い年月だったといえる。

 しかし、今日の日本がかかえる重要問題のほとんどが、この日本の帝国時代に端を発している。

 このあと、官僚たちに話したことはまだ長くつづくのだが、小泉内閣の改造問題が、急に切迫してきたので、ここでこの項はいったん中断して、ニュースをフォローさせていただくことにする。おそらくこのつづきは、明日、改造内閣について書いてからということになる。

 
立花 隆

 評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。

 著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌―香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。

 

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