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第57回 女性・女系天皇容認で議論呼ぶY染色体論とミトコンドリア (2005/11/30)
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投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 06 日 23:06:05: Dh66aZsq5vxts
 

(回答先: 第56回 薄れ行く記憶と歴史認識 大日本帝国滅亡60年の意味 (2005/11/16) 投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 06 日 23:02:31)

第57回 女性・女系天皇容認で議論呼ぶY染色体論とミトコンドリア (2005/11/30)
http://web.archive.org/web/20051231032541/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051130_tennou/

2005年11月30日

 皇室典範有識者会議の最終報告で、「女性天皇」ないし「女系天皇」を容認する方向がはっきり打ち出された。

 世論調査の数字を見ると、国民の大半がそれに賛成しているようである。朝日新聞調査で女性天皇容認78%、女系天皇容認71%、男系維持すべし17%。しかし、一部に強く反対(ないし疑問視)する声があがっている。

 反対者の主たる論拠は、「伝統」である。

 
女系容認は天皇制の根幹を変更することになるのか
……………………………………………………………………
 天皇制は二千数百年にわたって男系相続によって維持されてきた。それをここにきて、女系容認に切りかえてしまうということは、天皇制の根幹を変更することを意味するが、それでよいのかという主張だ。

 短兵急にそれほど大事なことを決めてしまう前に、もっとなすべきことがあるのではないか、ということで、いくつかの男系相続維持のための方策が提案がされている。

 主な反対論者は、三笠宮寛仁、平沼赳夫前経産相、渡部昇一(上智大名誉教授)、小堀桂一郎(東大名誉教授)、八木秀次(高崎経済大学助教授)などの保守派論客たちだが、その見解は大同小異である。

 要するに、ここまで男系がつづいてきた万世一系の天皇制を維持するために、男系の血の流れを拡大せよということなのだ。

 具体的には、男系の血の流れを確保するために、歴史的に活用されてきたさまざまの方策を復活させたらどうかということで、その一つは側室制度を復活させること、もう一つは、戦後一挙に縮小(11宮家を廃絶)された皇族制度を復活させることだ。

 前者は、社会的に拒否反応が強く出るにちがいないということで、最近、大声でとなえる人は少ないが、腹の中では、それを復活させるべきだと思っている人が少なくないはずだ。

 
多産系の側室によって守られてきた「万世一系」
……………………………………………………………………
 一夫一婦制で男系優先の血統は、生物学的確率の問題として断絶しやすい。

 そのため、天皇家にかぎらず、あらゆる権力者の家系で、洋の東西を問わず、側室制度がとられてきた。側室が沢山いれば、嫡子の系統が途絶えても、すぐに庶子の系統をもってそれに代えることができたからである。

 実際、歴代の天皇家は実は嫡出子より、庶子のほうがずっと多い。

 側室は以前から天皇制国家の公的制度になっており、現存する日本最初の基本法典である養老律令(718年)では、天皇は妃(ひ)を2人、夫人(ぶにん)を3人、嬪(ひん)を4人の、計9人の配偶者を持てることになっていた。

 
next: 時代が下って…
http://web.archive.org/web/20051229201733/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051130_tennou/index1.html

 時代が下って、12世紀(平安末期)ころになると、天皇の配偶者は「三婦人、九嬪、二十七世婦、八十一女御」(保元物語)まで許されるようになったといわれる。

 そういう時代には、天皇は血統を絶やさぬことが神聖な義務とばかりに多数の配偶者相手に子作りにはげみ、桓武天皇(在位781〜806)は16人の女性との間に36人の子供をもうけ、嵯峨天皇(在位809〜823)は28人の女性との間に58人の子供をもうけた。その他、10人単位の女性に10人単位の子供を産ませた天皇はゴロゴロいる。

 そのような多産系の側室によって、万世一系といわれる天皇の血統は守られてきたのである。万世一系とはいっても、いたるところで、子供を産んだ配偶者の家系から遺伝子が天皇の血筋に流れこんできていたのである。

 
明治、大正時代も皇族が断絶する危機に
……………………………………………………………………
 側室当たり前(庶子相続当たり前)が天皇家の伝統であったから、明治維新で、皇室が京都から東京に移るとき、女官の女性たちも東京に移転して(明治 2年)、皇居にはすぐ「お局(つぼね)」が作られた。しかし、明治天皇は、このとき17歳だったので、まだ側室はいなかった。なにしろ、明治天皇はこのとき新婚ホヤホヤだったのである。

 明治天皇は、16歳で即位するとすぐに18歳の美子(はるこ)を皇后に迎え、東京へ移転するに際しても、もちろん彼女をともなってきた。しかし、3年たっても美子皇后に子供ができなかったので、19歳の天皇に18歳と14歳の2人の側室が与えられることになった。

 その選定に当たったのは、なんと皇后自身だった。2人の側室は、それからほどなくして、それぞれ男子と女子を産んだが、2人とも間もなく母子ともに亡くなった。

 その後明治天皇には次々に側室が与えられ、最終的には合計9人の側室を持った。彼女らによって、計15人の子供を持ったが、多くが夭折し、成人するまで育ったのは、女子が4人、男子がただ1人であった。その一人残った男子が大正天皇になった。大正天皇の生母は、側室の柳原愛子だったから、大正天皇は庶出である。

 9人の側室と15人の庶子まで枠を広げても、男系男子の相続にこだわると、成人するまでに育った男の子供はただ1人になってしまったわけである。明治天皇も、父孝明天皇の側室の子供で、庶出子だった(ちなみに、父の孝明天皇も庶出子だった)。明治天皇の場合も、生き残ったただ一人の直系男子だった。

 側室がなかったら皇族が断絶する危機は明治天皇のときも、大正天皇のときもあったわけである。

 
天皇家は女系家族の典型
……………………………………………………………………
 大正天皇は病弱だったが、妃の節子は健康で多産系であったため、次々に子供を産み、4人が壮健な男子として育った。それが昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮である。

 天皇家の正室が産んだ子供によって、大正から昭和へ、天皇の位が相続されたわけだが、これは実に150年ぶりのことだった。嫡出子の男子のみに皇族を限定したら、どれほど皇族の維持が難しいかを、この「150年ぶり」という事実が、何よりもよく物語っている。

 
next: 大正天皇が妃の節子と結婚したのは…
http://web.archive.org/web/20051229211132/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051130_tennou/index2.html

 大正天皇が妃の節子と結婚したのは明治33年で、その2年前から、日本に一夫一婦制を確立した民法典が施行されていたため、大正天皇も一夫一婦主義を宣言し、側室を置かないことにした。置かなくても、妃が多産であったため、血統が途絶える心配があるとは誰も考えなかった。

 昭和天皇もまた、香淳皇后との結婚(1924年)にあたって、一夫一婦で行くと宣言し、側室を置かなかった。ほどなくして、男子が2人生まれた(今上天皇と常陸宮)ため、このときも血統が絶えることを心配する人はいなかった。

 このとき男子がすぐに生まれなくても、昭和天皇には弟宮が3人もおり、そのうちの三笠宮はすでに男の子供(寛仁親王)を作っていたから、将来、男系相続困難になるなどとは誰も考えていなかったのである。

 しかし、それからこれだけの時間がたってみると、系図を見るとすぐにわかるが、天皇家は、男子がいかにも少なく、男子が生まれても、その子供の代までいくと女子ばかりという女系家族の典型で、男系男子にこだわっていては、皇統断絶の日が目の前に迫っていることは、一目で明らかである。

 天皇制をやめてしまおうというなら話は別だが、天皇制をつづけるというなら、ここはどうしても、女性天皇、女系天皇の容認に踏み切らざるをえない、というのが、有識者会議の報告書のエッセンスである。それは事実問題としてその通りだと思う。

 
象徴天皇のあり方は国民の総意に基づくべき
……………………………………………………………………
 天皇に関する議論は、すべて、日本国憲法第1条の、

 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の在する日本国民の総意に基く」

 の規定に基づいて考えられるべきだと思う。

 要するに、大事なのは、国民の総意であって、それ以外の要素に対する総意ではない。この世の中には、天皇制の廃絶をとなえる人もいることはいるが、いまだかつて、その意見が「国民の総意」に近づいたことは一度としてない。

 女性天皇、女系天皇の容認もそれと同じだと思う。国民の大多数がそれを容認する立場にあることは動かないと思う。第一、人口の半分にあたる女性がほとんど全部それを支持するだろう。

 そもそも天皇という存在は、歴史的にいって、政治における女性原理の側に立つものであって、男性原理の側に立つものではない。

 何をいいたいのかというと、歴史において、明治天皇、後醍醐天皇、後鳥羽上皇、神武天皇など、自ら武人として軍を率いて闘ったマッチョな天皇もいるにはいたが、ほとんどの天皇は、戦場に出ることなど全くない宗教的、政治的、文化的天皇として終始した。

 これからの時代、マッチョな武人天皇は全く必要とされない。憲法によって、天皇は政治に関与することが禁じられているから、政治的天皇も必要ではない。宗教的存在としても、天皇家の伝統を守る行為としての宗教的行いをとり行うことは許されているが、それ以上の宗教行為は、やはり憲法上許されていない。

 
next: 結局、天皇の役目というのは…
http://web.archive.org/web/20051229211158/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051130_tennou/index3.html

結局、天皇の役目というのは、国家をシンボライズする国事行為と、国家と国民統合の象徴として、それにふさわしい存在の仕方で自らを国民の前に示しつづけることといってもいいかもしれない。要するにこれからの天皇は、文化的(民族カルチャー的といってもいい)天皇以上のものであってもらっては困るのである。

そうであってみれば、おそらく、女性天皇のほうが、男性天皇よりはるかにそれにふさわしい立ち居振る舞いを示せるのではないだろうか。

 
日本の歴史で女帝は「つなぎ」ではない

そもそも、天皇制成立以前から、日本は女性原理によって支配されてきた国なのである。

だいたい、天照大神は、女性であった。天皇家のもっとも遠い先祖と思われる邪馬台国の女王、卑弥呼もまた女性だった。日本国最古の天皇もまた女性だった。−−これは推古天皇を意味するが、天皇を始めて名乗ったのは推古なのである。

いまでは天皇と呼ばれているそれ以前の日本国支配者達は、その当時、天皇とは呼ばれず、大王(おおきみ)と呼ばれていた。

最近、男系天皇論者がさかんにいい立てていることは、歴史上これまで8人の女帝がいるにはいたが、それはいずれも男系の後継者がいないなど特殊な事情があるときに、たまたま一時の「つなぎ」としてたてられた女帝であって、本格天皇が登場してくるまでの一時しのぎでしかなかったという主張である。

しかし、これは事実に反する。

女帝が特に多かった、飛鳥時代から奈良時代にかけての時期(7、8世紀)、178年間に16代の天皇がいたが、そのうち、実に半数にあたる8人までが女帝で、そのうちの何人かは(推古、斉明、持統、元明、元正など)、男性顔まけの立派な帝王ぶりを発揮し、日本国の繁栄ぶりを内外に示した名帝王だった。「つなぎ」などでは全くなく、日本が国力あふれる繁栄国家となり、文化的に最も栄えた時代を作りだしたのである。

 
男系維持論者が喧伝するY染色体論とは何か

最近男系維持論者がさかんにいいだしていることは、男系の天皇がみな神武天皇と同一のY染色体を伝えてきたというところに、万世一系の天皇の本質があるという主張だ。

Y染色体は女性にはなく、男性にしかないから、女性天皇を間にはさんだりしたら、このなにより大切な、神武天皇のY染色体が失われてしまい、万世一系の皇統の最大価値が失われてしまうという主張である。

Y染色体は男性だけに伝えられていくから、男系の直系の天皇なら、神武天皇と同じY染色体が伝えられているはずという主張は半分は正しく、半分は正しくない。

 
next: 正しくない点は…
http://web.archive.org/web/20051229211221/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051130_tennou/index4.html

 正しくない点は、Y染色体といえども、父から息子に伝えられ、代替わりするごとに、少しずつ変異が積み重ねられていくというのが遺伝の法則だから、2600年後の今、皇族につらなる男性といえども、神武天皇と同一の染色体を伝えているということはないということである。

 それにY染色体になにか、人間の価値に直結する形質を示す遺伝情報が含まれているかというと、特別なものは何もないのである。

 それよりもっと重要なことは、その程度の同一性でよいとするなら、神武天皇と同じY染色体を伝える男性は、いまの日本にゴロゴロ掃いて捨てるほどいるということである。それが正しい遺伝学の教えることであって、皇族、あるいは旧皇族だけが、神武天皇のY染色体を伝えているなどということではないのである。

 
神武天皇のY染色体を受け継ぐ人々はゴロゴロいる
……………………………………………………………………
 神武天皇から今上天皇まで、一応125代ということになっているが(実際には、かなり神話的な部分が入りまじった伝承だから怪しい)、一応これを信じたうえで、計算の便宜上以下100代ということにする。

 先に述べたように、神武天皇以下、歴代の天皇たちは、子供数人どころか、数十人ももうけるのが珍しくなかったのが現実だが、仮に、これも計算を簡単にするため、各代子供二人しか作らなかったとする。すると、子孫の総数は2の累乗ということになる。

 要するに、二人の子供がそれぞれ二人の子供を作ったと勘定していけば、2、4、8、16、32・・・と世代の数だけ倍々ゲームで増やしていったのが子孫の数ということになる。これは世代の数だけ2の累乗にするということだ。つまり、先の数列は2の2乗、2の3乗、2の4乗、2の5乗ということになるから、100代後には2の100乗になるということである。

 つまり神武天皇がたった二人の子孫だけを残し、その後の世代も各代二人の子孫しか残さなかったとしても、神武天皇の子孫は今、2の100乗人いるということである。2の100乗というのが、どれほどの数になるか、ちょっと想像がつかないだろうから、わかりやすい簡易計算をしてみる。

 2、4、8、16・・・の数列さらに引きのばしていくと、32、64、128、256、512、1024になる。これをいいかえると、2の10乗が 1024になるということで、これを約1000ということにしてしまうと、2の10乗=10の3乗ということになり、これを使うと、2の100乗が簡単に計算できる。2の100乗=(2の10乗)の10乗=(10の3乗)の10乗=10の30乗だから、1にゼロを30個つけたのと同じ数字ということである。ゼロが12個だと兆だから、1兆の1兆倍のさらに100万倍ということである。これは日本の総人口(1億人とする)の1兆倍の100億倍というとんでもない数字になる。

 子孫の半分は女性だろうからそれを半分にする、子孫同士の結婚によるダブリを差し引くなどの、いろんな条件をつけての割り算、引き算をたくさんしていったとしても、神武天皇のY染色体を受け継ぐ人々が、今の日本にゴロゴロいるはずという意味がわかるだろう。

 
next: 何度も行われた臣籍降下…
http://web.archive.org/web/20051229211245/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051130_tennou/index5.html

何度も行われた臣籍降下
……………………………………………………………………
 天皇の男系子孫がどんどん減って、今回のように皇族断絶の危機にさらされたということは、過去にもないではなかったが、歴史の現実においては、天皇の子孫が増えすぎて困ってしまい(養いきれなくなる)次々に姓(かばね)を与えて臣籍に降下させたという事例のほうがはるかに多い。たとえば、日本の四姓といわれる、源平藤橘すべて、始祖は天皇家から出ている。

 私の本名のほうの家名は橘だが、系図によると、橘家は敏達天皇(推古天皇の兄)からでたことになっている。ということは、系図を信ずれば、私の血にも神武天皇のY染色体が流れているということなのである。この一事をもってしても、神武天皇のY染色体を持つ男性などその辺にゴロゴロ、の意味がわかるだろう。

 私の家だけではあるまい。もとをただすと、自分の先祖は天皇につらなるとか、天皇家からでた藤原家につらなるなどといった人が、この日本には無数にいるはずである。臣籍降下は何度も何度も行われ、与えられた姓もたくさんあるから、天皇家の血の流れにつながる男(神武天皇のY染色体を持つ男)は、本当に日本にゴロゴロいるはずなのである。

 最近、男系天皇論に与する人の中に、終戦直後臣籍降下された竹田宮家の子孫を名乗る男が、もしかしたら、自分にも天皇になるチャンスがあると思ったのかどうか、最近盛んに神武天皇Y染色体論を主張しはじめ、(Y染色体を持つ)自分も求められれば、天皇家の血統を守るために皇族に復帰してもよいなどと誇らしげに語っているのを見て、冗談もいい加減にしてもらいたいと思った。

 
天照大神のミトコンドリアを受け継ぐ天皇家の女性たち
……………………………………………………………………
 こういうばかげた主張を封じるために、女性天皇容認論者は、神武天皇Y染色体より、はるかに貴いのは、天照大神由来のミトコンドリアであり、これは女性にしか伝えられていない、という主張でもするとよい。

 細胞生物学の知識がある人はよく知るように、ミトコンドリアは女性から女性にしか伝わらない。だから、人類の起源を調べる時によく資料として使われ、その資料をもとにイブの最初の子孫は何系統いて、そこからどのような人種、民族が生まれたなどという議論も行われている。

 天皇家の祖先そのものである天照大神のミトコンドリアを受け継ぐ天皇家の女性たちこそ、天皇の台座に登るいちばんの資格者だという議論が行われてもおかしくない。

 
立花 隆

 評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。

 著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌―香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。

 

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