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「原理」の要・不要(恐山あれこれ日記)
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投稿者 スタン反戦 日時 2009 年 2 月 10 日 17:03:11: jgaFEZzEmIsYo
 

http://indai.blog.ocn.ne.jp/osorezan/2009/02/post_0e65.html

 私事ですが、端無くも最近立て続けに雑誌やテレビに出させてもらい、思いもかけず大勢の人に声をかけていただいて、まことに恐縮に存じます。わざわざ御高覧下さった皆様、ありがとうございました。

 そこで気がついたのですが、いまや「人の噂も七十五日」ではありません。私の実感では、「人の噂も一週間から十日」くらいではないでしょうか。

 雑誌の発売やテレビの放送から、ほぼ一週間程度は、知り合いは無論、通りがかりの面識のない(あるいは私が覚えいない)人にまで、「見たよ!」などと声をかけられましたが、この一週間を過ぎたあたりから、パタッと何も言われなくなりました。

 お前ごときがメディアにでたところで、その程度しか話題にならないのは当然だ、という御意見はまことにそのとおりなのですが、私に限らず、テレビで報じられる「大事件」も個人的な印象では、同じくらいのスパンで消えていくような気がします。

 商売としてのメディアの性質としては当たり前なのでしょうが、噂が七十五日もつ社会は、それだけの関心と思考の持続があるのでしょうから、ある意味では迷惑でしょうが、見方を変えれば、今の我々の社会よりも精神的に強靭なのだと言えるかもしれません。

 しかし、それにしても、昨今の経済状況の劇的悪化と、働く人々の極端な苦境は、七十五日ではとてもすまされない問題でしょう。

 とりわけ、非正規労働者と言われる派遣労働者や期間労働者などの雇用状況は深刻の度を増し続け、連日メディアに取り上げられています。

 そういう報道を見ていると、ときに派遣労働の禁止や規制が提案され、賛否両論が紹介されたりします。このとき、必ず出てくるのが、例によって「自己決定・自己責任」論です。つまり、「期限付き雇用と知って派遣労働者になった以上(自己決定)、会社の都合で解雇されるのは当然覚悟すべきで(自己責任)、それがいやなら正社員になるべく、あるいは起業すべく自分で努力して頑張るのが当たり前である」という主張です。

 このアイデアは、ほかの二つのアイデアとリンクしていて、いわば雇用問題に関する「市場原理主義」的考え方の要素となっているでしょう。ほかの二つとは、 @そのような働き方を望んでいる人たちも数多く存在する。 A非正規労働者が存在しなくては、日本の企業は熾烈な国際競争に淘汰され、勝ち抜けない。

 私が思うに、もしこの三つがワンパックで主張されるなら、そのような「市場原理主義」は不要でしょう。それというのも、次のように考えるからです。

 まず@とAが主張されると言うことは、この社会には個々の意志や希望とは無関係に、常に一定量の「非正規労働」が必要とされるということでしょう。個人的に誰が正規に雇われ、誰が非正規労働をするのかは別として、かなり大量の人々とその家族が、現在の社会・経済構造に組み込まれた「非正規労働者階層」として、必要不可欠だということです。

 そうなると、当然正規労働者にも構造的かつ恒常的に「定員」があることになりますから、個人的にどう努力し頑張ろうと、それと無関係に、必・当然的に「定員外」の非正規労働者が「社会的必要もしくは要請」として発生することになります。

 このとき、「非正規労働者階層」に属した場合、解雇されれば即ホームレスになるような状況、再就職もままならず、必要な医療も受けがたい極端な状況に、急転直下滑り落ちるとすれば、これは単純に「自己責任論」で片付きますまい。この階層を必要とし、生み出した社会・経済体制に責任の一端、それも相対的に大きい責任があることは当然でしょう。まして、国をあげて少子化が叫ばれ、その対策が急がれるというときに、結婚や子供を持つことさえ困難な「階層」が無策のまま放置されることは、どうみても社会的経済的な大損失です。

 宗教であれ政治であれ何であれ、およそ「原理主義」は、あらゆる「真理」と同じで、条件付き・賞味期限付きでしか通用しません。それを「絶対真理」のように錯覚して、原理自体を具体的に実現しようとすれば、必ず現実を破壊して、原理自体が無意味になります。

 私には、非正規労働者の苦境と、振り込み詐欺の激増と、「誰でもよかった」殺人の連続には、やはり共通する問題があると思えてなりません。それは社会における人々の信頼関係の衰弱・劣化、それと裏腹にある「自己決定・自己責任論」の、根拠が曖昧で、それこそ無責任な拡大解釈です、

「原理」は、現状を批判的に熟考し、我々の意志と行動をよりよく導く「方法」として有効なのであり、正邪・善悪を裁く「真理」としては不要なのです。
 

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