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「品格」という言葉、そして言葉の品格(鷲田 清一)
http://www.asyura2.com/08/social6/msg/505.html
投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 2 月 21 日 21:24:23: mY9T/8MdR98ug
 

http://allatanys.jp/B001/UGC020005320090220COK00235.html

 苦手な言葉に「品格」というのがある。「品格」がきらいなのではなく、大声で言われる「品格」という言葉がきらいなのである。

 「国家の品格」に「女性の品格」。「品格」について語られる言葉にどれほどの品格があるか、それがつい気になる。

 二つのインタビュー記事に吸い込まれた。一つは、「朝日新聞」(2009年2月15日)の「耕論」に掲載された金田一秀穂へのインタビュー。もう一つは、「読売新聞」(2月19日朝刊)に載っていた北野武へのインタビュー。

 金田一は言う。「品」も「格」も、地位の高さとか社会的な階層をさすものではない。「品格」は、「俗世間とは違った価値観を示す言葉」であって、だからもともと、「政治家とか実業家にはそぐわない」。

 そしてこう言葉を継ぐ。「いつの時代の流行語も、そのとき欠けているものを表している」。そういう意味では、いま「国家の価値が経済力でしか語られない」から、「品格」という言葉がその穴を埋めるべく呼び寄せられて、みずみずしく感じられたにすぎないのではないか、と。

 最後は言語学者らしくこう締める。――「『品格のある日本語』というのは、借り物ではなく、自分が一番よく知っている言葉で語られるものですよね。方言なんかはとても品格がある」。ここのところ、つまり「品格」について語るその地声に言い及ぶところに、金田一の矜持が現われているとおもう。

 自分について語る言葉が信用できるかどうかは、語られる自分に対してどれほどの距離がとれているかにかかっている。「離見の見」などと高尚なことを言わなくてもよい。何かについて語るとき、そのように語っている自分がどこから語りだしているのか、それについての明確な意識をもっているかどうかに、その言葉の誠はかかっている。

 何かについて語るとき、いつもどこか断片的であって、語りつくすことをしない。語りだすのは否応もなくつねに地上のどこかからであって、語りつくすというのは、自分がこの地上のどこでもないある特権的な場所に自分がいると錯覚することである。それこそ品格に欠けることである。

 これに対して、北野武は、品格から外れることに自己の品格を賭けるという、それこそ綱渡りをしてきた。

 いきなり北野は言う。「どうしようもない人」、これが自分にとっての最高の褒め言葉だと。「人から『あこがれている』と言われると、失望させないように自らを律したりするじゃない? そういうのが大嫌いで、頼むからあきらめてくれって。『この人はだめだ』って言わせるためにわざわざ変なことをやる。『どうしてそういうことをするの』って言われるのが一番好き」。

 北野もまた、この世の価値序列から外れるところに「品格」を見る。「みんな社会的な立場上、言えない部分があるけれど、俺の場合、お笑いというジャンルが隠れみのになっていて、意外に好きなことを言っちゃっている」。たしかに、「トップには立ちたい」けれど、そしてそれは「すごく下品」なことだけれど、同時に、「何をやっても勝てない相手がいる」ことは身に沁みている。だからちゃらんぽらんと見えるほど、いろんなものに手を染めてきた……。

 首尾一貫していないこと、立派な「先輩」と見られたらすぐにそれを裏切ること、つまり自分を模倣しないこと、そういう囚われのなさに肩肘張らない自由を見る。

 ここにもなるほど、みずからへのクールな隔たりがある。その隔たりを構えずにほのめかして、北野は最後にこうつぶやく。「いつも何か考えているけれど努力して考えているわけじゃない。魚に『アンタ、いつも泳いで偉いね』とは言わないじゃない?」

 自分が壊れる……。そういうあぶない場所に自分をもってゆきながら、かろうじて身を持す。ぎりぎりのところでみずからを揺さぶることのないひとに、「品」はぜったいに訪れない。「自分が壊れる」という、そういう危うさのなかに自分を置いたことのないひとの語り口に、わたしは「品格」を感じたことがない。

 その、ぎりぎりのところで、ということでわたしがまっさきに思いだすのは、ジョージ・オーウェルの『絞首刑』(小野寺健訳)に書きつけられたささやかな文章だ。

 <絞首台まではあと四十ヤードくらいだった。わたしは自分の目の前を進んで行く囚人の、茶色い背中の素肌をみつめていた。腕を縛られているので歩きかたはぎごちないが、よろけもせず、あの、インド人特有の、決して膝をまっすぐ伸ばさない足どりで跳ねるように進んで行く。ひと足ごとに、筋肉がきれいに動き、一掴みの頭髪が踊り、濡れた小石の上に彼の足跡がついた。そして一度、衛兵に両肩をつかまれているというのに、彼は途中の水たまりをかるく脇へよけたのだ。>

 オーウェルはこの情景を目にして、とっさにこう感じた。「その囚人が水たまりを脇へよけたとき、わたしはまだ盛りにある一つの生命を絶つことの深い意味、言葉では言いつくせない誤りに気がついたのだった」、と。

 「品格」のある文章というのは、例外なしに、空恐ろしいことを告げている。さりげなく、いとおしく、かろやかに。

 

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