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投稿者 ダイナモ 日時 2008 年 8 月 15 日 19:55:53: mY9T/8MdR98ug
 

http://www.jrcl.net/web/frame080811f.html

支配的地位にある漢民族の民族主義と

被抑圧民族の民族主義は同列ではない

少数民族に対して何ら自治権を付与しない中国共産党
許 由(香港 先駆社)

 チベット民族と漢民族の矛盾は、深遠な歴史的根源を有する問題である。そのなかで、中国共産党も多くの誤りを犯してきたことが、近年のチベットにおける民族主義の高まりの原因の一つでもある。それゆえ、中国共産党は、弾圧一辺倒ではなく、チベット政策全体に対する反省が必要である。現行の政策の継続は、一時しのぎでしかなく、長期的に見れば、チベット民族主義は弾圧されればされるほど高揚するだけである。

政教一致のチベット憲章

 中国の外交部(外務省)報道官の秦剛は、ダライ・ラマは「政教一致の農奴制度の総代表」と批判した。この批判の前半部は正しい。亡命チベット人憲章の第三条では「将来のチベット政治は、……政教結合の民主連合の民衆国家」とはっきりと謳っている(訳注1)。十九条では、亡命政府の最高権力は、ダライ・ラマに帰属し、すべての法律は彼の同意を経て発効し、彼はいつでも議会を解散することができる(原注1)。だからチベット亡命政府は今日に至ってもいまだ政教不可分であり、ダライ・ラマは、宗教指導者であるだけでなく、政治的指導者でもある。
 欧米各国の政府はダライ・ラマを宗教指導者としてのみ描き出しているが、それは間違いにとどまらず虚偽でもある。政教分離は現代の民主主義国家の最低限の条件であり、いかなる民主主義国家においても、ローマ法王に天国の権威があるからといって世俗国家の統治者にすることはあり得ない。フランス政府はムスリム女性がスカーフをつけて学校の授業を受けることさえ政教分離の原則に反すると主張しているくらいである。
 しかし欧米がダライ・ラマを首班とするチベット亡命政権の政教一致を批判しないのは明らかにダブルスタンダードである。己の欲せざるところを人に施すなかれ、である。

 それとは逆に、中国共産党は、ダライ・ラマは政教一致の代表であると批判しており、それ自体は事実である。ダライ・ラマも自らの損得は理解しているようであり、チベットに戻ることができれば政治的指導者にはならず、宗教指導者に徹するということを何度も表明している。
 だが、もしダライ・ラマが本当に民主主義を信じ、政教一致を確実に放棄するのであれば、いますぐにでもそれを実施しなければならない。亡命政権の憲章にあるその条文は、いつ訪れるかも分からないチベット帰還の日を待つのではなく、今すぐに削除しなければならない。ダライ・ラマは、外交や人的交流に太いパイプを持っており、それゆえ西側諸国の政治家の賞賛を受けているが、現在に至るも政教一致を放棄していないのである。

中国政府のダライ・ラマ評価

 しかし「ダライ・ラマは農奴制の総代表」である、という中国共産党の主張は公平性を欠いているだろう。亡命政権の憲章およびダライ・ラマの発言から判断すると、かれらの政治的青写真にはいまだ民主主義の原則に大きく反する部分(たとえば政教一致など)はあるが、その他の部分については、近代化を経たことによって、農奴制に対して未練はないようである。
 先代のダライ・ラマ13世は頑迷な排外主義であったが、現世のダライ・ラマ14世は政治および宗教界の世界的スターである。客観的に見ても、チベットにおける農奴主階級もすでに完全に消滅しており、かつての農奴もすでにそれぞれ農牧民に変わっている。
 ダライ・ラマが歴史の流れを逆流させ、農奴制度を復活させることは不可能である。ダライ・ラマは歴史的な飛躍を遂げた。その飛躍は中国共産党の「革命の輸出」によって強制されたものではあるのだが。中国共産党はこの点について最も多くを知るに足る資格を持っているのであるから、ダライ・ラマが農奴制度の総代表であるなどと批判し続ける理由はないはずである。今後も同様の批判を続けるのであれば、周囲からは批判のための批判としか見られないだろう。それは「敵を徹底して貶める」という中国共産党の伝統的な手法である。だが、彼らは、このような方法が、最終的には往々にして全く逆の結果をもたらすことに想像すら及ばない。
 こうして、われわれは歴史の風刺劇を鑑賞することになる。ダライ・ラマは中国共産党による革命で進歩する一方、中国共産党は外から共産党を変えようとする勢力を恐れ、一切の言論の自由と党内反対派の存在を必死になって弾圧した。革命が成功した日は、歴史の大後退の始まりでもあった。なぜならそれ以降、共産党が耳にする一切は自らの木霊のみであり、世論がどう思っているかを知ろうともしなかったからである。
 今日、ダライ・ラマのあらゆる言動が中国共産党よりも進歩的で、開明的に見える理由は、たんにダライ・ラマの外交的な振る舞いのせいだけではない(原注2)。それは、ある支配的集団が人民の制度的な監視と突き上げに規制されなければ、当初どれだけ進歩的であっても、その堕落は不可避である、という歴史発展の法則でもある。これはかつてのチベットにおける政教一致の農奴主政権にも当てはまるし、今日の中国共産党にも当てはまる。

人々を納得させられない中国の主張

 中国共産党は、「ダライ集団」が三月暴動を画策したと批判し、その証拠も把握していると主張している。しかし今日までに語られていることは一方的な主張だけである。司法の独立と公正な審判不在の中国において、そのような主張で人々を納得させることは難しい。
 最近の胡佳事件(訳注2)では、中国共産党の法律概念が封建時代そのままであることを改めて人びとに印象付けた。でたらめに証拠を集め、思想言論と実際の行動の区別を行わず、主義主張だけで罪に問われ、それさえも「法律」に従って進めていると強弁する。人身の保護、推定無罪、黙秘権、被告による無罪立証の禁止、弁護人選定の権利など、これらの国際的にも認められた法的概念のもとでの公正という原則も、紙切れに過ぎず、いや紙切れにすらなっていない。これでどうして中国政府の司法制度に対する懸念を払拭することができるというのか。
 われわれには、ダライ・ラマが直接、あるいは間接的に暴動の計画に関与したのかどうかを判断する材料はない。ダライ・ラマはそれを否定しているが、その主張が正しいかどうかを知ることもできない。しかし、いまのところ、中国共産党の主張では人々を納得させることはできない。

亡命政府とチベット青年会議

 中国共産党は、ダライ・ラマがチベット独立活動を進めていると非難している。ダライ・ラマは、従来と同じくそれを否定しており、かなり以前から中道政策に転換したことを強調している(訳注3)。中道政策とは、チベットの独立を求めず、一国二制度を追求するというものである。もちろん簡単にそれを信じることはできない。彼あるいは亡命政府の指導者は、異なる場面では、いわゆる中道政策とは一致しない発言をしているからである。亡命政府は、表面的には一国二制度を追求し、水面下ではチベット青年会議(訳注4)によるチベット独立運動を鼓舞あるいは少なくとも黙認するという二股をかけている可能性もある。
 しかしもし中国共産党がすこし賢明であれば、ダライ・ラマと交渉を再開することは可能である。ダライ・ラマがチベット独立運動ときっぱり断絶することを表明し、亡命政府のメンバーにチベット独立を掲げないよう公然と束縛することで、中道政策に対する誠意を表明するのであれば、ダライ・ラマと中国共産党の間における交渉の基盤はあるといえる。もしダライ・ラマが何ら誠意を持っていないのであれば、交渉の過程でそれが暴露されるだろう。彼に少しでも誠意があるのであれば、交渉する価値はあるし、その後に一定の譲歩をすることで、ダライ・ラマにチベット独立運動に対するたがをはめさせることもできるだろう。
 これまで中国共産党がチベット人に対して行ってきた多くの悪事に対して、政治的な補償は当然なされなければならない。チベット人が本来享受できた自治権がそれである。しかし中国共産党は、理にかなった譲歩を通じてダライ・ラマをチベット独立運動の側から獲得する試みをしようとはしていない。逆に、すべてをごっちゃにして「ダライ集団」と規定して罵っている。それは、(中道派と独立派の)両派が団結し、中国共産党に反対することを後押しするものになっている。
 ダライ・ラマはすでに亡命政府の中でもっとも穏健な一角となっており、亡命政府はチベット青年会議よりも穏健であることを理解しなければならない。もし中国共産党が理にかなった譲歩を行いダライ・ラマを引き止めなければ、客観的にはさらに急進的なチベット独立運動を鼓舞することになるだろう。中国共産党の「道理を語らず弾圧を行う」という立場は、偶然の産物ではなく、江沢民時代における台湾政策の誤り(訳注5)の繰り返しだといえる。

支配秩序と民族抑圧

 チベットにおける民族抑圧はあるのかという質問に答えるには、まず中国政府がチベット人民の自治権を実現させてきたのかどうかを見る必要がある。
 異なる民族であり、また少数民族であれば、チベット人が真の自治権を享受することは最低限の権利であり、そうでなければ民族平等は実現できないし、漢民族という多数による少数への抑圧を防ぐことはできない。中国共産党はチベットでは民族抑圧は存在しない、その理由はチベットでは民族自治が行われているからであり、チベット人によるチベット人の管理が行われれているからだ、とあくまでも言い張っている。
 その主張の根拠のひとつはチベットにおける中国共産党幹部の大部分がチベット人だということである。これは説得力に欠ける。それはせいぜい公務員の現地人化であり、チベット人が自治権を享受している証拠にはならない。かつて香港がイギリスの植民地であった時代に、植民地政府は中国への返還間近の過渡期において役人の現地人化を進めたが、だからといって香港の中国人に自治権を譲ったことにはならない。
 小平の時代から、中国共産党は徐々にチベットの漢民族幹部をかなりの数まで削減し、チベット人幹部を中心に据えたことは確かである。しかしそれは、かなりひいき目に見ても、中国共産党が北京の命令に従うチベット人官僚支配集団の養成に成功したということに過ぎない。チベット人のデモ参加者に対する発砲が、漢民族警察官ではなく、チベット人警察官によってなされたものであったとしても、それだけでチベット人が真の自治を享受していることの証明にはならない。それは北京の傀儡となっているチベット人役人が存在しているだけに過ぎない。

自治権なき憲法と自治法

 憲法および「中華人民共和国民族区域自治法」(以下、自治法)と香港の基本法を比較しさえすれば、中国の憲法や法律が少数民族に対して何ら意味のある自治権を付与していないことを知るのは難しくはない。憲法第四条は民族分裂を禁止している。自治権については、「言語文字」と習慣において自由を享受することができるということ以外に、政治上の自治権力を享受できるかどうかについては全く触れていない。さらに「自治法」を見てみよう。第三章では自治権について述べられている。しかしよくよく見ても、民族自治区においてまともな自治権がどの程度あるのかについてはうかがい知ることはできない。

 第十九条では、民族自治地域の人民代表大会(議会:訳者)には、現地民族の政治、経済、文化に従う権利があるという特徴があり、自治条例を制定するとしている。しかしそれに続いて自治地域の人民代表(議員:訳者)は「全国人民代表大会常務委員会へ報告し、批准された後に発効する」と書かれている。この条項の前半部分で自治権を定め、後半部分でそれを取り消しているといえる。
 第二十条も基本的に同じである。「上級の国家機関の決議、決定、命令、指示について、民族自治地域の現実の状況に適さない場合は、自治地域の政府機関はその上級国家機関の批准の後に、弾力的に執行するか、あるいは執行を停止することができる」。あらゆることを北京に問い合わせて許可をもらわなければならないのであれば、それは自治といえるであろうか。
 また周知の事実だが、中国における人民代表選挙はすべて共産党がコントロールしており、それはチベットも例外ではない。それゆえ「自治法」では民族自治区域の行政の長は現地民族の出身者が務めなければならないと規定されているにもかかわらず、実権を持っているのはかれらではなく、現地の中国共産党委員会書記なのである。今日までチベットの共産党委員会の書記のポストはずっと漢民族が占めてきた。
 これらの条件を総合すると、チベット自治区政府は中国共産党中央の傀儡であると言うのは言いすぎではないだろう。これこそが漢族政権によるチベット民族への抑圧だと言えるだろう。「自治法」は「自治反対法」と呼ぶべきである。

 自治を語るのであれば、少なくとも香港の水準がクリアされなければならないだろう。中国共産党は、香港では高度な自治が実現されていると宣伝しているが、それは誇大広告である。中国では、各省の人民代表大会で行政の長が選出された場合、中央政府の批准を経る必要はなく、すぐに発効する。しかし香港特区政府の行政長官は、香港での選挙によって選出された後、高級官僚とともに中央政府が批准して初めて発効する(訳注6)。
 とはいえ、このような限定された条件であっても自治は自治である。中国共産党の一党独裁に反対するからといって、この事実を無視することはできない。すくなくとも香港の行政長官の頭上には外から面倒なことを言ってくる共産党委員会はない。同じ漢民族である香港人でもこの程度の自治を実現できているのだから、チベット人は少なくとも同等の権利を享受することができるはずだ。ダライ・ラマはチベットで香港と同じような一国二制度を実施することを要求しているが、それには一定の道理がある。たとえダライ・ラマのことを「仏門の極悪人」だと規定するにしても、それだけで彼の発言の内容を検討することなく切り捨てることはできない。

弾圧と宗教、文化の破壊

 中央政府が経済、教育、文化、一人っ子政策などの面で少数民族を優遇している無数の政策をもって、中央政府がチベット人を粗末に扱っていない証明にしようとする人々もいる。しかしこれら一切の優遇措置は政治的な性質のものではなく、民族自治権に関連させることはできない。中国共産党が民族自治権を実現していないことは明らかである。違うものを持ち出してそれに換えようとすることはできない。奴隷主がどれだけ自分の奴隷にたらふく御馳走しようとも、奴隷は奴隷に変わりはない。奴隷がたらふくご馳走にありつけたとしても自由の身であるかどうかは関係がない。奴隷かどうかは、自由の身であるかどうかこそが重要なのだ。なぜなら奴隷が自由の身になったとすれば、奴隷主の地位もなくなるからだ。
 同じ論理であるが、中国共産党は労働者人民に経済的に譲歩する用意はあるが、政治的な自由については一切認めようとはしない。中国共産党は労働者の賃上げを認める用意はあるが、自立的な労働組合を組織する権利やストライキ権を絶対に認めようとはしない。
 中央政府は少数民族に対して経済的な、あるいは文化的な優遇政策の実施は可能だが、何があっても自治権を付与しようとはしない。少数民族にしてみれば、たらふく御馳走になっていたとしても、自治権もないなかでは、抑圧されていることに変わりはない。中央政府の一方的な都合で優遇政策を実施したり、時には弾圧したりすることもできる。
 過去五十年のチベットと中央政府の関係は不断に続く恩寵と弾圧の循環であったし、弾圧時期のほうが長かったのである。それゆえ、チベット人の独立要求は、完全に理解することができる。中国の漢民族政権は、まず反省しなければならない。もしチベット人が本当の自治権を享受することだけを要求しているのであれば、なおさら当然のことである。中国共産党はこれすらも理解することができない。
 支配階級ではないすべての中国人民は、中国共産党が少数民族の自治権を奪い続けていることに対して、そして十三億の人民の政治的な権利を奪い続けていることに対して無関心でありつづけるのであれば、また一方の側からのみによるダライ・ラマ批判にしか接することができないのであれば、それは共産党に加担していることと同じであり、きわめて悲劇的なことであるといわざるを得ない。

 「自治法」は一九八四年に制定された。文化大革命後の「混乱を収め平常を取り戻す」政策の産物である。
 文革期間中には多くの無辜のチベット人が政治的弾圧にさらされ、チベット人の文化と宗教は徹底的に破壊された。寺院を破壊したのがチベット人の紅衛兵であったとしても、その表面的な事実だけでは次の根本的な事実を覆すことはできない。それは、紅衛兵の「革命行動」は中国共産党の国家システムの半神の指導者である毛沢東が計画的に発動したものであるということだ。直接の実行者が漢民族であろうとチベット人であろうと、チベット人が弾圧され、その宗教と文化は破壊されたという客観的な結果の総責任者は、中国共産党の独裁主義であることは疑うことのできぬ事実である。

「中華民族」でくくる矛盾

 チベット人に対する大犯罪が行われたのち「混乱を収め平常を取り戻す」という政策の結果として実施されたのが、自治に反対する「自治法」の制定であった。「自治法」は民族抑圧に対して「混乱を収め平常を取り戻す」のではなく、中国共産党による虚偽の民族自治を肯定し、それはまた民族抑圧を肯定する。もちろん文革時代に比べて格段にましにはなったのだが。民族抑圧の必然的結果は被抑圧民族の民族主義的反発である。かつての中国の民族主義は帝国主義による侵略の産物である。そして今日のチベット民族主義の高揚は、チベット人に対する中国共産党による民族抑圧の産物なのである。

 もちろん中国共産党は大漢民族主義を否定してきた。その弁護人たちも「自治法」を持ち出してそれを証明しようとしている。「自治法」では序論の部分で次のように述べられている。
 「大漢民族主義に反対しなければならないし、地方民族主義にも反対しなければならない」。
 ほら見てごらんなさい、中国共産党はこんなにも民族平等を重視しているではないですか、と。しかし支配的地位にある漢民族の民族主義と被抑圧民族の民族主義とを同列においている。これは民族平等の立場ではなく、民族抑圧の立場であり、まさに大漢民族主義の表現なのである。これは、ヘビー級のボクサーと子どもとを同じリングにあげて、両者に等しくルール違反をしないよう通告するようなものである。

 一部の民主派はチベット人に同情して、中国共産党がチベット人を迫害することに反対している。しかしかれらはそれを民族抑圧とは認めず、独裁主義による市民への抑圧であるという。かれらは、漢民族であれチベット人であれ、すべて独裁主義の被害者であると主張する。王力雄(訳注7)のような比較的客観的でチベット人に同情する作家ですらそのような主張をしている。
 しかしあるチベット人は明快にそれに回答している。「漢民族の苦難はチベット人のせいではないが、チベット人の苦難は漢民族のせいである」。漢民族は一方的に、漢民族とチベット人(あるいは他の少数民族)は、みんな中華民族であり、家族である、と考えている。問題は、チベット人が、この「家庭」のなかで差別され抑圧されていることにあり、いまでは漢民族と同じ家族などではないと思っていることにあるのだ。相手の気持ちを無視して無理矢理に家族であることを見とめさせようとするということは、少数民族の権利を無視することである。
 これらの民主派は「漢民族とチベット人はともに同じ独裁体制のもとにある臣民だ」という概念で中国に存在する民族不平等と民族抑圧という事実を抹殺し、そこから必然的に生まれてくる少数民族が抱く自由への感情を抹殺する。それはかれらが漢族主義の色眼鏡をかけているからに他ならない。チベット問題を解決するにはどうすべきかについて、かれらは極めて単純に一党独裁を解決することから語りはじめ、少数民族の権利については触れたがらない。民族自決権どころか、十分な自治権ですらあまり触れたがらない。議会制民主主義が実施されさえすれば、チベットの民族問題は解決されるといわんばかりである。それは議会制民主主義においても少数民族が暴政の下におかれているという普遍的状況を理解していない証拠である。
(つづく)

【原注】
(原注1)『流亡中的民主---印度流亡藏人的政治與社會(1959-2004)』、蘇嘉宏著、水牛出版社、二〇〇五年、台北、付録三より。
(原注2)中国政府は海外の広告会社を雇い、外見を良く見せるようにしているといわれている。
【訳注】
(訳注1)亡命チベット人憲章
http://www.tibet.com/Govt/charter.html(英語)
http://www.xizang-zhiye.org/b5/ex/liuwangfagui/index.html(中国語)
ダライ・ラマによる解説
(日本語)
http://www.tibethouse.jp/cta/charter.html
中国政府による解説(日本語)
http://www.people.ne.jp/a/43e51822bfa948dfa4f7a0773f51b5af
(訳注2)胡佳:北京愛知行健康教育研究所の共同設立者として、HIV/エイズ問題にとりくんできた市民活動家。二〇〇六年二月十六日に一時拘留され、釈放後も妻とともに二〇〇七年三月まで自宅軟禁がつづく。同年五月には国家安全保障上危険ありという理由で再度自宅軟禁。二〇〇七年九月には、オリンピックを控える中で中国の人権状況について小論を発表。同年十一月、ベルギー・ブリュッセルで開かれた欧州議会で、中国の人権に関する公聴会にインターネットを通じて参加。二〇〇七年十二月二十七日、国家政権転覆扇動罪で逮捕され、二〇〇八年四月三日、北京市中級人民法院において、三年六カ月の禁固刑が確定した。アムネスティ・インターナショナルは、四月三日付で、「良心の囚人」である胡佳を即時・無条件で釈放するよう訴える声明を公表した。
http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=463
(訳注3)中道政策:一九九七年九月十八日に開かれた第十二回亡命チベット代表者議会の第四会期において可決された方針。「チベットの三地域に暮らすすべてのチベット人が中華人民共和国という枠組みのなかで真の自治を得るために掲げられた政策」。後述の五項目和平案やストラスブール提案などを中国政府に拒否された後、同案の基本骨子を踏まえたうえで公表された。
http://www.tibethouse.jp/cta/middleway.html
(訳注4)チベット青年会議:一九七〇年に結成された亡命チベット人による組織。現在インドを拠点に世界八十一カ国地域に支部を持ち三万人のメンバーを擁するとしている(公式サイト:
http://www.tibetanyouthcongress.org/) 中国政府系メディア「人民網」では、「設立当初から『チベットの完全な独立』を公然と主張。その後『チベット亡命政府』に全面参加し、ダライ集団の権力中枢の一部となる。……チベット青年会議は、暴力事件を企ててテロ活動を行うことを、西蔵独立実現のための第一手段としてきた」として、今年三月のチベット騒乱の首謀組織として名前を上げ、「チベット青年会議は、東トルキスタン・イスラム運動のテロリストにも劣らないテロ組織だ。アルカイダと同じようなこの組織がテロ組織でないとすれば、いったい何がテロ組織と言えるだろうか」と非難している。
(訳注5)江沢民時代の台湾政策:一九九五年一月三十日、当時の国家主席、江沢民派、「祖国統一の大業達成促進のために引き続き奮闘しよう」と題する八項目の要求を台湾同胞にむけて発表したが
http://japanese.china.org.cn/ri-taiwan/6.htm)、翌一九九六年三月二十日に行われた台湾史上初の総統選挙が台湾の独立を推進するものであるとして強く反発し、総統選挙に合わせて「海峡九六一」と称する軍事演習を実施、ミサイル発射実験を行った。アメリカは二隻の航空母艦を台湾海峡に派遣し、台湾海峡危機を作り出した。江沢民の強硬路線は、結果的に台湾の独立志向を強化したといわれる。
(訳注6)香港の行政長官選挙と中央政府の任命権:八百人からなる選挙委員会によって選出される。内訳は、企業・産業界二百人、専門職二百人、社会団体等二百人、各級議会議員等二百人。業界および中国政府よりの委員が多数を占める構造になっており、民主的な代表性には乏しいという強い批判がある。二〇〇三年には行政長官の直接選挙を求める五十万人デモなどが行われている。北京の中央政府の任命権の対象役職は、行政長官、三司長、十一局長(以上、日本の内閣を構成する担当大臣に当たる)のほか、廉政専員(廉政公署=汚職取締独立委員会の長官)、審計署署長(会計検査院に相当)、警務処長(警察長官)、入境事務処長,海関長(税関長官)が含まれている。
(訳注7)王力雄:一九五三年、吉林省長春市生まれ、漢民族。父親は国有企業「長春第一汽車」の副工場長だったが、文革で「走資派」「ソ連修正主義の特務」として長期拘留され自殺。王力雄本人は、七七年に「長春第一汽車」に入社し、その後、文藝活動に目覚め、七八年の民主化運動「北京の春」で「民主の壁」に作品を発表以後、本格的に執筆活等に専念していく。母親も集団思想改造施設などに送られ、その後、ともに下放生活を送る。九一年に香港で出版した政治寓話小説『黄禍』がベストセラーになる。チベットとのかかわりは、八四年に自作のタイヤ製イカダで黄河上流千二百キロを渡航した際に、現地のチベット人地域に足を踏み入れた以降、関心を持ち続けたという。九八年にチベットの歴史に深く切り込んだ著書『天葬 西蔵的命運』を発表。取材のために二年間チベット各地を訪ね歩いた。九九年、現地調査のために訪れた新疆ウィグル自治区で「機密情報窃盗」の容疑で四十二日間拘束される。二〇〇一年、中国作家協会を脱退。現在は独立中文ペンクラブなどで作品を発表している(http://www.boxun.com/hero/wanglx)。〇二年四月『ダライ・ラマとの対話』を出版。三月のチベット騒乱の直後に、三十人の知識人の声明を発表し、中国政府の一方的なチベット民衆批判をたしなめ、非暴力での解決に向けた努力を中国政府に呼びかけた。(声明:http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/entry/520012/)。王力雄は『New Left Review』二〇〇二年三・四月号に「REFLECTIONS ON TIBET」という論文を発表。同誌は次号では王力雄の論点を批判するバンクーバー在住のチベット人研究者、Tsering Shakyaによる「Blood in the Snows--Reply to Wang Lixiong」を掲載した。Tsering Shakyaは同誌二〇〇八年五・六月号のインタビュー「Tibetan Questions」で今年三月のチベット騒乱についても発言をしている。
「REFLECTIONS ON TIBET」http://www.newleftreview.org/?page=article&view=2380
「Blood in the Snows」http://www.newleftreview.org/?page=article&view=2388
「Tibetan Questions」http://www.newleftreview.org/?page=article&view=2720
 

 

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