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投稿者 ダイナモ 日時 2008 年 10 月 09 日 23:48:07: mY9T/8MdR98ug
 

http://www.jrcl.net/web/frame0801013e.html

自由と権利を奪い民主主義を
否定する権力犯罪はね返そう

 二〇〇六年十月二十四日、私たちの仲間であるAさんは、「免状不実記載」を口実に自宅を出たところで逮捕された。Aさんの自宅と東京・大阪の事務所は不当な捜索を受けた。この弾圧に対して国家賠償を求める裁判が、10月28日の第9回(横浜地裁)で結審を迎える。共に闘ってきたS・Mさんの投稿を掲載する。

「過激派」という口実

 「2006年10月24日、Aさんは、免状等不実記載罪(運転免許証に記載されている住所と現住所が違っていた)で、神奈川県警察公安三課に逮捕され、 10日間の勾留と人権侵害の取り調べを受けた。Aさん、不当な家宅捜索を受けた越境社、関西新時代社が原告となって、逮捕・家宅捜索令状を発布した裁判所と逮捕・強制捜索を強行した県警公安三課の権力犯罪を許さないために、国家賠償請求を横浜地方裁判所民事部に起こした(2006年12月25日)」。
 Aさんの運転免許証に書かれている住所は、実家のままだった。だが、普通は、そんなことで逮捕されることはない。「免許証の住所が違う人は、100万人いる」という。しかも、Aさんは、月一回以上、Aさんの母親がいる実家に帰っていた。「免許証記載の住所は、現実にそこに書かれている住所に連絡がつけば、問題がない訳だ」。「なんら保護法益、社会における利益が害されたというものではない」。内田雅敏弁護士は、そう語っている。
 「過激派」とか「極左暴力集団」などの言葉は、戦争中の「アカ」とか「非国民」などの言葉と同じ性格を持っている。警察などによる民衆に対する弾圧を正当化するための、反動的な言葉だ。差別用語だ。私は、そう考える。
 その上で、問いたい。相手が「過激派」や「極左暴力集団」なら、何をしても許されるのか。「過激派」や「極左暴力集団」は、何をされても仕方ないのか。法律というのは、万人に平等に適用されるべきではないのか。「憲法にうたわれた表現の自由は、世間にとって不愉快なものにこそ保障されねばならない」。秋谷静雄さんは、そう述べている。

共産主義者の目指すもの

 警察(神奈川県)は、日本革命的共産主義者同盟(JRCL)が「極左暴力集団」だから弾圧は正当だった、というようなことを主張している。「極左暴力集団」とは、何か。「マルクス、レーニン、トロツキーの革命理論に基づき、社会主義ないし共産主義革命(共産主義革命)を目指し、社会を暴力で破壊・転覆しようと企てている反社会的な集団を過激派といい、極左暴力集団と呼称している」。「極左暴力集団は、極左的革命理論の下に暴力的な闘争を進めている集団と言える」。警察(神奈川県)は、そう主張している。
 「人生は美しい。未来の世代をして、人生から一切の悪と抑圧と暴力を一掃させ、人生を心ゆくまで楽しませよ」(トロツキーの遺書)。これが共産主義(民主的共産主義)だ。自由で平等で豊かな世界を実現する。戦争のない世界を実現する。これが共産主義(民主的共産主義)だ。共産主義者(民主的共産主義者)は、「ニセモノの社会主義」に反対し、「真実の社会主義」のために闘って来た。共産主義(民主的共産主義)を支持して、何が悪いのか。
 そもそも人が何を信じるか、何を支持するかは、個人の自由であるはずだ。思想・信条の自由のない社会は、民主主義社会とは言えないはずだ。マルクス・レーニン・トロツキーを支持するのも共産主義革命を支持するのも、すべて自由であるはずだ。警察(神奈川県)は、思想・信条の自由を否定している。民主主義を否定している。警察(神奈川県)は、恐ろしい。

テロ・内ゲバ否定のJRCL

 JRCLは、テロや内ゲバには常に反対して来た。「過激派」や「極左暴力集団」と言ったって、色々なグループがあるのだ。「革命は、暴力でやるものではない。革命の本質は、権力の暴力装置である軍隊や警察を政治的に解体し、労働者人民の側に獲得することにあるのだ」。「1917年のロシア革命で、ぺトログラードでは、ほとんど無血で革命が成立した」。2004年に登山で亡くなった高島義一(右島一朗)さんは、『かけはし』2003年8月11日号で、そういう意味のことを述べている。JRCLは、「社会を暴力で破壊・転覆しよう」などとは考えていないのだから、警察(神奈川県)の「過激派」や「極左暴力集団」の定義には当て嵌(はま)らないではないか。
 確かに、かつての三里塚闘争には、内ゲバ党派のテロなどを除いても、暴力的な側面があったかも知れない。だが、空港反対派は、一方的に暴力を振るっていた訳ではない。先ず何よりも、空港推進派が暴力的だったのだ。ここを忘れてはならない。空港反対派の抵抗は、止むに止まれぬ抵抗であったのだ。正義の闘いであったのだ(尾瀬あきらさんの『ぼくの村の話』というマンガ(講談社)が、三里塚闘争のことを描いている)。「非暴力直接行動こそを基本とし、本質としていた三里塚の実力闘争を急進化させたのは、国家権力が農民に加えた凄まじいばかりの暴力に他ならなかった」(白川真澄さん)のだ。
 それに空港推進派は、自らの行為を空港反対派に対して、正式に謝罪しているではないか(1993年、第15回成田空港問題シンポジウム。1995年、村山富市首相)。このことをどう考えるのか。謝罪とは、何か。「自分が悪かった。どうも済みません」ということだ。空港反対派の抵抗を問題視するということは、空港推進派の謝罪がウソだったということになる。「過去の多数の犯罪行為」について反省していないということになる。警察は、空港推進派の手先となって、暴力を振るっていたのだ。

国家権力の戦争犯罪

 人民がどのような方法で闘うべきかは、その国の民主主義のレベルなどによって決定されるべきだ。ケースバイケースで決定されるべきだ。私は、そう考える。暴力は悪だが、人民による正当防衛的実力行使の類まで否定するのは、ナンセンスだ。
 国が作った靖国神社は、自分たちが行なった「過去の多数の犯罪行為」(日本軍国主義は、アジア太平洋戦争で、3千万人以上のアジアの人びとを殺戮(りく)した。310万人の日本人を死に追い遣(や)った)について肯定し、自画自賛している。靖国神社には、少なくない国会議員が参拝している。日本は、戦争と差別の元凶である天皇制を、部分的に改革しただけで、維持し続けている。安保体制下の核兵器(核武装したアメリカ軍の存在)を肯定している。無差別大量殺人のための兵器である核兵器を肯定している(JRCLは、現在あらゆる国の核兵器に反対している)。人びとの安全を無視して、危険な原発を推進している。憲法違反の自衛隊を派遣して、テロリスト・アメリカによるアフガニスタンやイラクへの侵略を軍事的に支援している。
 国やその手先である警察とJRCLのどちらが「過激」で「暴力的」な「反社会的存在」なのか。答えは、明らかだ。

「武装闘争」とは何か

 警察(神奈川県)は、JRCLが武装闘争路線を堅持しているから弾圧は正当だった、というようなことを主張している。とんでもない。JRCLは、武装闘争など一度も行なったことはない。「議会制民主主義が成立し、言論や結社の自由、表現の自由がそれなりに保障されているような社会では、武装闘争が革命を主導するなどということは考えられない」。高島義一(右島一朗)さんは、『かけはし』2003年8月11日号で、そう述べている。JRCLは、武装闘争(爆弾や銃を使った闘争)を否定しているのだ。
 「原則として非暴力で闘う。ただし人民による正当防衛的実力行使の権利は否定しない」。これがJRCLの暴力についての考えなのではないか。JRCLの暴力論は、日本共産党の「敵の出方論」と同じようなものなのではないか。私は、そう理解している。
 「管制塔占拠闘争などを否定していないから、JRCLは武装闘争(実力闘争?)路線を堅持している」などと言うのは、ナンセンスだ。こじつけだ。現在、秩父事件(秩父事件における農民による武装蜂起)を多くの人びとが肯定的に評価している(神山征二郎監督の「草の乱」という劇映画が、秩父事件のことを描いている)。だが、だからと言って、それらの人びとを、「武装闘争路線を堅持している」などとして、弾圧するのはナンセンスだ。管制塔占拠闘争を評価するのも秩父事件(秩父事件における農民による武装蜂起)を評価するのも、同じことだ。私は、そう考える。
 新時代社は、20年以上実力闘争(大衆的実力闘争)を行なっていない。昔と今は、時代が違うのだ。「20年以上実力闘争を行なっていない組織が、武装闘争(実力闘争?)路線を堅持している」などと主張するのは、ナンセンスだ。
 JRCLは、現在、事実として武装闘争も実力闘争も行なっていない。非合法活動も非公然活動も行なっていない。合法活動、公然活動のみを行なっている。これはJRCLを知っている人で悪意のない人なら、誰にでも分かることだ。JRCLは、「行動するジャーナリストの党」だ。「行動する知識人の党」だ。私は、そう考えている。
 Aさんの免状等不実記載は、「武装闘争(実力闘争?)路線の一環として行なわれた組織的、計画的犯罪」などではまったくない。Aさんは、10年以上も住居を変えずにいた。「10年以上も住居を変えずにいる活動家を非公然活動家と言えるのか」。Aさんは、そう主張している。警察(神奈川県)は、Aさんの免状等不実記載が「武装闘争(実力闘争?)路線の一環として行なわれた組織的、計画的犯罪」であるという具体的証拠を何一つ提出する事が出来なかった。証拠がないのに、人に罪を着せることを、世間では「でっちあげ」と言うのだ。「警察は、罪証湮滅の恐れもない、逃亡の恐れもない、公然活動家のAさんを逮捕した。Aさんには、任意出頭の要請すらなかった。警察は、全国三カ所に対して家宅捜索を行なった」。絶対に許してはならない。

公安警察を廃止せよ

 警察(神奈川県)は、三里塚闘争、反天皇制闘争、反戦・反基地闘争、反核・反原発闘争などを敵視している。警察(神奈川県)は、「天皇制の廃絶を阻止する」とまで主張している。ナンセンスだ。警察(神奈川県)は、思想・信条の自由を否定しているのだ。警察は、非暴力の集会やデモに参加する市民を盗撮している。今の警察は、戦争中の特高警察とどこが違うのか。警察は、小林多喜二を虐殺して置きながら、未だに謝罪も補償も行なっていないのではないか。警察は、これでいいのか。
 「1986年11月、神奈川県警の公安部が日本共産党の幹部宅を盗聴していた事実が発覚した。検察庁は、この盗聴の実行者三名が現職警察官であったことを、特定しながら、起訴をせず、厳しく批判された」。内田雅敏弁護士は、そう述べている。「「神世界」グループの霊感商法事件に関与した神奈川県警警備課長の吉田澄雄は、未だに逮捕されていない」。
 権力の犯罪には甘く、人民に対しては、犯罪ではないものを犯罪に仕立て上げる。日本は、これでいいのか。法律というのは、万人に平等に適用されるべきではないのか。というより、権力に厳しく適用されるべきではないのか。権力は何をしても許される、そんな国家に民主主義を語る資格はない。私は、そう考える。「無茶苦茶な逮捕状を請求した警察官、拘留を請求した検察官、勾留を決定した裁判官にキチンと責任をとってもらおうじゃないか」。内田雅敏弁護士は、そう語っている。
 「ナチが共産主義者や社会民主党員や労働組合員を捕まえに来た時、私は沈黙していた。私は共産主義者でも社会民主党員でも労働組合員でもなかったからだ。ナチが私を捕まえに来た時、抗議してくれる者はもう誰もいなかった」。そういう意味の詩を、マルチン・ニーメラーは書いている。
 権力がAさんらを弾圧した時にあなたが沈黙していたら、権力があなたを弾圧した時に誰が抗議してくれるのだろうか。抗議してくれる者は、もう誰もいなかった。そういうことになりかねない。無関心は恐ろしい。無関心は、犯罪だ。「ヒトラーを支持したドイツ国民の犯罪」を繰り返してはならない。私は、そう考える。
 公安警察は、悪の固まりだ。ウソツキは、公安警察の始まりだ。公安警察は、民主主義とは相容れない。公安警察は、廃止されるべきだ。警察・検察・裁判所は、民主的・革命的に改革されるべきだ。日本軍国主義の負の遺産は、完全に清算されるべきだ。私は、そう考える。すべての民主主義者は、「公安警察の廃止」「警察・検察・裁判所の民主的・革命的改革」を掲げて、闘おう。より民主的な世界を作るために、力を合わせて闘おう。
 Aさんらの裁判で、正義が勝利することを、私は願っている。
 (2008年9月18日)

第9回 10・24免状等不実記載弾圧を許さない!国賠裁判│結審│/08年10月28日〈火〉/横浜地裁第6民事部503号 午前10時開廷/JR関内駅下車(公園口)
 


 

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