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イスラエル建国=「ナクバ」60年 パレスチナ人の帰還権と被害補償を(かけはし)
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投稿者 ダイナモ 日時 2008 年 6 月 02 日 21:51:25: mY9T/8MdR98ug
 

http://www.jrcl.net/web/frame080602e.html

欧州の反ユダヤ主義の犯罪を償わされたパレスチナ人

板垣雄三さんが講演

 【大阪】五月十八日エルおおさかで、パレスチナの平和のための関西連絡会主催の講演会が開かれ、「『アパルトヘイト国家』イスラエルとパレスチナの今」と題して、板垣雄三さん(東大名誉教授)が講演した。以下要旨。

「ハイファに戻って」から

今年はイスラエル建国六十年。パレスチナにとってはナクバ六十年。ナクバは大破局と訳されているが、ホロコーストと同じではない。ホロコーストは降りかかってくる災難のことで、ある悪いやつが原因の場合だ。ナクバは、悪いやつがいるうえに、自分の中にも心の痛みがある状態を表す、人間的破局。
 板垣さんは、「ハイファに戻って」(ガッサン・カナファーニの小説)を引用しながら話した。この小説は、海辺の街ハイファに住んでいた一家の流転の生活を描いている。
 一九四八年五月、長男を家において外に出ていたとき、突然イスラエル軍が侵攻してきて、家に帰ろうとするが洪水に押し流されるようにしてどんどん海から離れ、ヨルダン川西岸にまで追い立てられていき、そこで避難生活を始める。そして二十年がたった。残してきた子どものことが気になっていた夫婦はハイファに帰ってみる。元の家にはポーランドから移ってきた老夫婦が住んでいて、子どもは彼らに育てられイスラエル兵になっていた。避難後に生まれた次男はパレスチナの兵士に……。
 大江健三郎はこの作品が載っている『アラブ小説集』の序文で、イスラエルに許されて帰ってみたら……と書いているが、そんなことはありえない。メナヘム・ミルソン(ヘブライ大教授)はカナファーニの研究家だが、西岸地区の初代民政長官になった人でもある。つまり、パレスチナ人を理解するためではなく、敵を支配するために研究してきたということだ。
日本はパレスチナ問題と意外に深い関わりがある。一九七〇年代は、いろいろな立場の人々が関心を持っていた。横浜国際会議場で開かれたパレスチナ問題を考えるシンポジウムの呼びかけは、元外相や経済界の大物だった。国際民衆法廷も開かれた。皇太子がオックスフォードに留学したとき、イスラエルが皇太子に危害を加え、それをパレスチナ人がやったように見せかけるのを防ぐため、パレスチナ人に皇太子を守ってもらうように頼んでいた。今初めてあかす歴史の秘話である。

中東和平構想が抱える矛盾

 二〇〇一年9・11から世界の動きが転換し、国際テロリズムに対する反テロ戦争が叫ばれ出した。イスラエルのテロとの戦いを米国が引き継いだ。でも、反テロ戦争は実は一九七〇年代から始まっている。初期には日本赤軍もかかわっていた。
 中東和平という言葉があるが、これは一九六七年(占領地からのイスラエル軍の撤退を求める安保理決議)からの問題を考える、つまりイスラエルの存在は前提になっている。一九四七年国連分割(アラブ・イスラエル・国際都市エルサレム)決議に基づいてイスラエルは建国宣言したと思っている人が非常に多い。
 イスラエル建国以前にユダヤ人の取得していた土地は、パレスチナのわずか六%だった。決議はパレスチナの自決権に違反しているが、イスラエル建国はこの決議にすら違反している。イスラエル建国後、パレスチナをイスラエル・ヨルダン・エジプトの三分割にすり替えを行った。さすがに国連はこれではまずいと思ったのか、のちになってシオニズムは人種主義だとし、パレスチナの自決権を確認する決議を行った。イスラエルはこれへの対抗策として、パレスチナの抵抗はテロリズムだと宣伝し出した。
一九九一年湾岸戦争以後の世界は、パレスチナ問題は民族問題だから、お互いに譲り合って……と言ってきた。これが中東和平だ。しかしこれは現在矛盾をはらんでいる(@20世紀の大国支配が生んだ人口装置:中東諸国体制の大変動は避けられないA米国民主主義の欺瞞が隠しようもなくなったB欧米の反イスラームの風潮C二重基準で守られるイスラエル国家は絶えず自壊の危険性に脅かされている)。パレスチナ問題を宗教対立だというのはヨーロッパキリスト教の考えだ。東方キリスト教はイスラームと立場が近似している。

日本は悪いことをしていないのか?

 南アのかつてのアパルトヘイト国家とイスラエルは建国の時から時系列的に見ても非常によく似ている。ユダヤ人国家の成り立ちを見ると、ロシア・東欧からパレスチナへの移民運動が始まるが、この植民政策を促進したものはヨーロッパやロシアのユダヤ人移民計画だ。
 彼らが、ユダヤ人に国をつくれと催促した。ロシア帝国でのポグロム、ソ連でのユダヤ民族自治州、英国のバルフォア宣言(ユダヤ人の国家建設支援)とパレスチナ委任統治、独ナチによる迫害・虐殺。反ユダヤ主義がなければユダヤ国家は大きくなれなかった。
 このようにして、一九三〇年代にパレスチナに流入するユダヤ人が激増(それまでの8%から30%に)した。米国は入植運動の資金源を保護した。ホロコーストにまで結果した欧米社会のユダヤ人いじめの償いとしてユダヤ人国家の設立を支援し、償いをパレスチナ人に肩代わりさせる。このようにして、パレスチナ人の「新しいユダヤ人化」がつくられた。ユダヤ人国家は反ユダヤ主義の産物である。パレスチナ人は反ユダヤ主義の犠牲者だ。日本は中東では何も悪いことをしていないとよく言われる。ところが、第一次大戦後の戦勝国のサンレモ会議で、パレスチナを英国の委任統治に置くことを決定した。日本はこの決定に参加している。ここで、イスラエル建国を決めたのだ。
 イスラエルでは、高校生の兵役拒否運動もあるし反戦運動もあるが、広がりは非常に限られている。反体制組織マッペンも今はメンバーが高齢化し、後継者が拡大していない。イスラエルという自分の国がパレスチナ人に何をしたのか、その事実を全く知らない人が多い。国を持たない離散者としてのユダヤ人的思考はイスラエルでは弱くなって、それはパレスチナ人の方に移っている。

戦争犯罪責任者を裁く必要

今パレスチナ人の思いはどの方向に向かっているのか。それは、占領地にいるパレスチナ人、併合された地にいるパレスチナ人、イスラエル市民のパレスチナ人、世界に離散したパレスチナ人でバラバラだ。深刻なのは離散したパレスチナ人だ。
 ナクバ三十年の頃は、パレスチナに国をつくるという夢もあったが、その後の三十年、世界がパレスチナに説教し、彼らも、武装闘争、ハイジャックをしたり、譲歩もし裏切られ、パレスチナ人同士の殺しあいまでもしたが、いま万策尽きた状態だ。米国大統領も、パレスチナは郷土をあきらめろとすら言っている。でもパレスチナ人としては、何かしていかないといけないという状況だ。
われわれはどうすればいいのか。ビジョンがない。でも不正なことは不正なことだと言って声を上げる必要がある。日本政府は外交で果たす役割として、パレスチナ難民の受け入れに言及している。レバノンは、これから内戦の時以上にひどい状態になり、パレスチナにさらに弾圧がかけられる可能性があるから、一時避難としてはあり得るが、基本的には問題がある。
 9・11以後の反テロ戦争の克服を問題にする場合、戦争犯罪について責任ある指導者を裁くことができるかどうかが法的には鍵となる。個人・民族・集団として倫理的に問い直すことこそが必要だ。パレスチナ人の帰還権と彼らの財産に対する補償という国連決議をイスラエルに認めさせることが必要だ。

欧米中心主義を問い直そう

 日本社会は、欧米中心主義の思考法を問い直し、ヨーロッパのキリスト教に根ざした反ユダヤ主義の遺産に束縛されている欧米とは異なる日本の社会的・知的条件を活かすことだ。
 石油ショックの時、日本赤軍の件で謝罪していない日本には石油を売らないというアラブに対し、当時の二階堂官房長官は「イスラエルは占領地から撤退すべし、しないなら日本はイスラエルと外交を断絶する」と表明した。この立場を実行することが今こそ必要だ。    (T・T)
 


 

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