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水道フッ素化の真の狙い フッ素公害隠し、アメリカ産官学癒着の実体 全文
http://www.asyura2.com/08/wara3/msg/172.html
投稿者 てんさい(い) 日時 2008 年 6 月 17 日 11:32:59: KqrEdYmDwf7cM
 

(回答先: 訂正>Re: おや、あったんですね>Re: Re:姉葉大作さんが投稿したものは生きていますよ。 投稿者 千早@オーストラリア 日時 2008 年 6 月 17 日 11:14:55)

http://members.jcom.home.ne.jp/tomura/murakami/page3.index.htm

水道フッ素化の真の狙い
フッ素公害隠し、アメリカ産官学癒着の実体
フィリップ・ヘーゲン(1999年4月)    
翻訳・解説・脚注 村上 徹(医学博士)

目  次

訳者まえがき
はじめに
公害の始まり
概説 その1
概説 その2
エピローグ 近エピローグづきつつある対決
文献
アメリカ司法省への手紙
文献
訳者による脚注と解説

訳者まえがき

 本編は、アメリカのフッ素問題研究家フィリップ・ヘーゲン氏の評論"How We Got Fluoridated"の全訳である。原著はインターネットサイト“http://www.rvi.net/fluoride/howplain.htm”に掲載されており、この翻訳は氏の承諾の下に行ったものである。

 私は、この3、4年来、努めて世界中のウェブ・サイトから発信されるフッ素問題に関する情報を時間が許すかぎり丹念に見てきているが、最近の充実ぶりは目を見張るばかりで、まるでこの問題だけの月刊誌が2、3新規に発刊されたかのような感がある。それだけこの問題について人類的な立場から危機感を抱き、自ら情報発信している人が多いわけだが、残念ながら、これは全て英語圏の話であって、わが国となると状況は全く異なる。環境ホルモン等を別にすれば、私が知るかぎり、フッ素を含めて有害化学物質の毒性について情報をもたらすインターネットの大規模なサイトなどは極めて少ない。その癖、サリン事件(サリンはフッ化物である)やヒ素中毒事件などが起こると、ヒ素やフッ素という毒物に関する基本的な情報の提供もないまま、ヒステリックな騒ぎだけがマスコミを覆い尽くす。まことにわが国の報道の世界は底が浅い。

 しかし、フッ素の毒性を隠蔽してひそかに巨悪を企んでいるのは、別にカルト教団だけではない。むし歯予防の名の下に、水道フッ素化やフッ素洗口を推進する(予防に熱心として賞賛されがちな)一部の歯科医師らも、ひょっとするとその片棒担ぎの一人かも知れないのである。オウムの教祖の命令に盲従した医師や化学者を非難するのは、急性中毒が殺人という明確な犯罪となって現れているだけにたやすいが、アメリカ公衆衛生当局の戦略的ドグマを盲信してフッ素によるむし歯予防を推進する行政や歯科医師らを批判するのは、慢性中毒が他の病気(例えば、ガンや関節炎など)に紛れ込むだけに、因果関係が複雑で容易ではない。

 そう言うと、直ぐさま次のような反論が来そうだ。その一つは、オウムは私的ドグマに支配された宗教集団であるが、アメリカの公衆衛生局はれっきとした国家の大機関である云々。しかし、ことフッ素の安全性に関しては、大企業の利益にのみ奉仕するこの連邦機関は国民として少しも信用できないというのがアメリカのフッ素批判者共通の確信であって、過去50年にわたる論争の過程で次第に顕わになりつつある事態の輪郭は、薬害エイズをひたすら隠蔽しようとしたわが国の厚生省より、はるかに悪質で異常である。本編も勿論こうしたスタンスから書かれているのは言うまでもない。

 特に最近の海外の動きで強く目をひくことは、この機関が強引に推進する「フッ素化信任委託法」(フッ素化の安全性については、自治体が一々リスクアセスメントなどすることなく、連邦政府に全部を信任委託することを州法で定めるという法律)に対する市民らの強い反感であり、これをきっかけに、多数のアメリカ国民が、なぜそんなことまでして政府はフッ素化を推進するのかという、この運動の背後に潜む不条理について何事かを知り始めてきた機運である。

 この動きは端的に、マサチュセッツ州ネイティックタウンやオーストラリア、ブリスベーン市の自治体当局が公表した水道フッ素化を拒否する詳細なレポートにも表れているが、この機運はイギリスでも強くなり、メジャー政権以来政府が推進してきた全国の水道をフッ素化する計画を一時凍結し、フッ素の毒性について何年かかけて詳細な評価を行おうとする所まできた。

 私は欧米の友人たちとこの問題の話をする時には、当局のフッ素政策をよく「ベルリンの壁」に譬えるものだが、これらの動きは、壁の存在を嫌悪する市民がやっとその周囲に集まり出したというところであって、まだ多数の者が攀じ登って鶴嘴を振るうところにまでは至っていない。

 このままゆけばアメリカやカナダでは、おそらく今後数年の間に、政府や行政当局、さらにフッ素入り歯磨剤メーカーなどに対する集団訴訟が続出するだろうが、その過程でフッ素行政の背後に潜む権力者の巨悪に気がつけば、市民の怒りはおそらくタダではすむまい。
 その巨悪とは何か。それをここで簡単に言うわけにはゆかないが、本論に出てくるメロン財閥の統帥であったアンドリュー・メロンやオスカー・ユーイングのような、アメリカのエスタブリッシュメントたちが利益追求の過程で行った諸々の背徳的行為と、それと結託した衛生官僚の腐敗によるものとだけ言っておこう。日本の田中金脈などは、これに比べれば児戯に等しい。

 ここでそのエスタブリッシュメントたちが深く関与するアメリカの大企業という存在について若干の解説をしておこう。

 この大企業こそ、ミリタリー・インダストリアル・コンプレックス(産軍複合体)と言われる軍需産業に他ならない。こうした企業は、枝葉のものまで入れると全米に約2万社あると言われているが、こうした企業群がアメリカの経済を支え、パックスアメリカーナの力の核心をなしているのも言うまでもない。だからこそ、これらの業態を発展させるのがアメリカの「体制」なのであり、これに歯向かう人間は、誰もが「反体制」とされるのだ。
 国際ジャーナリストの落合信彦氏は、これについて次のように書いている。

「伝統的に言ってアメリカには常にひとつの“力”が支配的であった。歴代大統領といえどもこの“力”に歯向かうことは不可能だった。そして、その“力”は第二次大戦後、特に顕著に台頭してきた。これが俗に言われる“産軍複合体”(ミリタリー・インダストリアル・コンプレックス)である。(略)この“力”の手足として情報、諜報活動をになったのがCIAである。1950年代後半になるとこの“力”は一種の独裁的要素を発揮し“見えない政府”として君臨し始めた。アイゼンハゥワーはその大統領職を去るにあたり、その最後のメッセージの中で、“産軍複合体”の危険性についてアメリカ国民に警告を発した。彼はその影響力は「あらゆる町、あらゆる州政府、そしてあらゆる連邦政府の機関にまで達している」とさえ言いきっている。(二人の首領・集英社文庫・20-21頁)

 落合氏によれば、ジョン・F・ケネディ大統領も、その弟の司法長官ロバート・ケネディも、軍縮政策に本腰をいれ、この牙城を脅かしたからこそ暗殺されたという。この体制は、自らに刃向かう者は自国の大統領すら暗殺するのだ。
 この体制を守るためには、アメリカはどうしても、十年に一度位は世界の何処かに爆弾の雨を降らせ、武器を消費しなければならない。しかし、軍需品や人工肥料の製造とともに激増するフッ素性廃棄物は、どこかに安全に投棄しなければ、企業そのものの存在が危うくなる。そこで比較的安全な濃度にうすめて全世界の水道水に混ぜて消費するほか、様々の薬品にして歯科医師らに使用させるのがよい。その名目は、「フッ素はむし歯を予防する必須元素だ」ということにする。

 しかし、科学者や市民のなかには自由な魂をもつ厄介な人種がいて、真実を述べることに命懸けになる奴がいる。この人種は、アメリカが自由主義国家を標榜する以上、そう簡単に暗殺するわけにはゆかない。このためには、政治や諜報活動の常套手段たるディスインフォメーション(攪乱情報、偽情報)作戦をとり、彼らを封殺してゆくのが得策だ、ということになる。
 前記の落合氏によれば、こうしたディスインフォメーションとは、

「普通虚偽の情報や煽動的デマで敵を攪乱することを言うが、諜報界においてはその意味合いがはるかに複雑かつ深いものとなってくる。ニセの手紙、ニセの写真、ニセの書類など、敵を攪乱するためならあらゆる偽造テクニックが使われる」(21 世紀の演出者たち、CIA vs KGB。集英社文庫、15頁)。

 フッ素問題の混乱とは、まさにこの攪乱情報が、一見、学術的な論文の衣をまとって科学の世界を跋扈する事によって起こっているのだ。フッ素毒の被害を受けた患者について次々と論文を発表していた当時最高のアレルギーの専門医、内科医ジョージ・ウォルドボット博士の家に入り込んで数日間彼と起居を共にし、その事実を作ってから、ウォルドボットの研究方法について露骨なデマ文書をアメリカ歯科医師会雑誌で全世界に流したドイツ人保健官僚のホルヌング(ウォルドボット博士はドイツの移民だった)などは、まさに彼を人格的に抹殺(キャラクター・アッサシネション)するため当局が植えこんだディスインフォメーション作戦のスパイであったのは疑えない。そして、この目でみると、アメリカ政府から研究資金を貰って、「虫歯予防に使用するフッ素は安全である」と軒並み同じような結論を下している一部の口腔衛生学者らのいい気な論文の類は、みなその疑いを免れないのだ。
 最近日本でも話題になったアメリカ厚生省の"フッ素の効用とリスクに関するアド・ホック委員会報告"なども、その一つの典型であろう。さすがに露骨なデマが通用しなくなった現在、その手口も非常に巧妙になってきているので、これなどはどこから見ても、立派な学術的レポートとしか思えない体裁になっていて、フッ素の毒性についても最近の情報に言及したりしているももの、よく読めば論旨が矛盾撞着し、とても論文といえるような著作ではない。
 このように考えると、フッ素研究とは、こうしたディスインフォメーションと、真実の科学との対決の場であるとすら思われてくる。これらについては、今後機会を見て逐次紹介して行くつもりである。

 世界でも指折りのナイーブな国民性の日本人には、以上のようなことはとても理解できにくいかも知れない。しかし、これが世界で現在進行中の出来事なのだ。科学をとんでもないことに利用するのは、何もナチやオウムばかりではない。

 本論の中で解説があった方がよいと思われる箇所には、訳者である私の手で、出来るだけ詳しい注釈をつけてみた。読者の参考になれば幸いである。更に詳しい情報を得たい方はそれぞれの箇所に記した文献やインターネットのURLにアクセスして頂きたい。

 最後になったが、ここで原著者であるフリップ・ヘーゲン氏について紹介しておきたい。私の要請に応じて氏が送って下さった自己紹介の一文は下記の通りである。氏の真意を直接伝えたいため、これは敢えて翻訳せず、これはそのまま掲載させて頂くことにした。翻訳を許可して下さったご好意と共に、ここに改めてお礼を申し上げる次第であある。

Biographical self-introduction

In the 1960s and early 1970s Philip Heggen worked at the University of Washington and in public school districts in four states with a special interest in intellectually gifted and talented children. In the late 1960s he became president of the Northwest Gifted Child Association. Research and observations had indicated that the higher mental processes are most easily damaged by high body temperatures, poor nutrition and by neurotoxins.
It became recognized that fluorides used for treating water are neurotoxins and, as such, pose a special threat to our higher mental capacities. This led to further research and writing on this important subject.

Philip Heggen
http://move.to/stopfluoride][http://www.rvi.net/~fluoride/

 それでは、このフッ素問題という異常な論争の一局面を、あなた自身の目で直接お確かめあらんことを。

(村上 徹)


  
はじめに

 有史以前から、あらゆる生き物はフッ素に曝露され続けてきた。これは何も新しい発見ではない。フッ素は地殻の中にありふれている物質の一つであり、極めて少量であらゆる種類の生命に害を及ぼす蓄積性の毒物なのである。

 60年前にはアメリカの歯科医師たちは、16州の各地で見つかった醜い斑状歯が、じつは深刻な問題であるのを認識していた。そして30年前には、世界保健機構(WHO)は、高濃度のフッ素が全ての大陸で見つかっており、歯牙フッ素症( 斑状歯) は、フィンランドから南アフリカ、イギリスから日本までの問題であることに気づいてもいた。

 しかし、フッ素は、発育中の歯の他にも、もっと深刻な影響を及ぼすものだ。あの恐竜ですら、火山のガスや降灰で汚染された水や植物からフッ素を摂取し、その結果、関節の痛みに苦しんでいたのである。

 鉱業や工場はミニ火山のようなもので、地下のフッ素を生物圏に振りまいて、人間社会に同様な被害をもたらした。前世紀あたりから、人間は、それがどんな結果になるのかよく考えないまま、夥しい数のこの「ミニ火山」を産み出した。また、近代の掘削技術は、必要に迫られるまま、地中深くから水を汲み上げるのを可能にした。そしてこれが、同様にフッ素中毒をもたらすという結果になった。このことは言葉の普通の意味では陰謀というものではないが、いずれにしてもとんでもない結果になりつつあることに変わりはない。

 「問題は限りなく、信じられないくらいあります」と、インドのデリーにある地方開発財団フッ素症研究所のA・K・スシーラ博士は言っている。彼女はこの十年ほど、インド全土のフッ素症患者の実態の解明にたずさわってきておられるのであるが、彼女の見積もりでは「痛みに苦しみ、肢体不自由になっている」フッ素症患者の数は、従来百万人とも2千5百万人とも言われていたのが、今ではじつに6千万人もいるということが明らかであり、何万という地域に散在する子供のフッ素症患者だけでも、6百万人にも達しているのである。
「ある村落では、人口の3/4が重度のフッ素症患者なのですよ」と、彼女は言っている。[注1]

 私は本編を、近代産業の歴史の概説と年表で構成したのであるが、ここで私が明らかにしようとしたことは、フッ素の汚染がどのように惹起し、経済的な動機が人間の健康を如何に無視してきたかについてである。私はまず、読者の方々に、ヨーロッパにおける初期の金属精錬産業がひき起こした公害と、フッ素の被害にまつわる数々の訴訟の記録を示したい。これは同時に、訴訟による工場の閉鎖を恐怖するアメリカの産業界の姿を赤裸々に示すであろう。次に、私は、フッ素公害から世間の関心をそらさせるために、産業界がどんな手を打ってきたかを明らかにした。年表を読んで頂ければ分かるように、水道フッ素化が始まったのもこの恐怖心のなせるわざであり、子供の歯に対する関心などではなかったことがよく理解して頂けるであろう。

 原爆を開発した1940年代には、核兵器の製造のために夥しい量のフッ素を扱う必要があった。ここで記録されているのは、原子力委員会(Atomic Energy Commission) の手によって行われたフッ素の安全性に関する膨大な研究である。この広範な研究の結果、アメリカ政府は、フッ素中毒に関する情報の抑圧に関与するようになった。かつては厳重な秘密とされていたこれらの政府文書は、今では情報公開法によって入手できるようになり、年表のブランクを埋めることができたのである。[注2]

 このようにして、巨大な政府と巨大企業とは、その理由こそ異なれ、ともにフッ素の危険性に関する情報の隠蔽工作に関係した。この企業と政府の共同謀議は細部に至るまで記録に残っている。

 しかし、長い間国民をごまかし続けることは非常に困難である。フッ素化のような現在進行中の問題に関しては、特にそうである。フッ素化に関して政府がなぜ不正直な言明や行動をくりかえしているのかといえば、彼らの最初のごまかしを何とかして糊塗しようとしているために過ぎない。この認識が正しいことは、ある部分では特にそうである。そしてこれは、フッ素化の擁護論とも関係する。本稿のエピローグで、私はやがて来るべきこの対決について意見を述べた。

     
はじめに

 有史以前から、あらゆる生き物はフッ素に曝露され続けてきた。これは何も新しい発見ではない。フッ素は地殻の中にありふれている物質の一つであり、極めて少量であらゆる種類の生命に害を及ぼす蓄積性の毒物なのである。

 60年前にはアメリカの歯科医師たちは、16州の各地で見つかった醜い斑状歯が、じつは深刻な問題であるのを認識していた。そして30年前には、世界保健機構(WHO)は、高濃度のフッ素が全ての大陸で見つかっており、歯牙フッ素症( 斑状歯) は、フィンランドから南アフリカ、イギリスから日本までの問題であることに気づいてもいた。

 しかし、フッ素は、発育中の歯の他にも、もっと深刻な影響を及ぼすものだ。あの恐竜ですら、火山のガスや降灰で汚染された水や植物からフッ素を摂取し、その結果、関節の痛みに苦しんでいたのである。

 鉱業や工場はミニ火山のようなもので、地下のフッ素を生物圏に振りまいて、人間社会に同様な被害をもたらした。前世紀あたりから、人間は、それがどんな結果になるのかよく考えないまま、夥しい数のこの「ミニ火山」を産み出した。また、近代の掘削技術は、必要に迫られるまま、地中深くから水を汲み上げるのを可能にした。そしてこれが、同様にフッ素中毒をもたらすという結果になった。このことは言葉の普通の意味では陰謀というものではないが、いずれにしてもとんでもない結果になりつつあることに変わりはない。

 「問題は限りなく、信じられないくらいあります」と、インドのデリーにある地方開発財団フッ素症研究所のA・K・スシーラ博士は言っている。彼女はこの十年ほど、インド全土のフッ素症患者の実態の解明にたずさわってきておられるのであるが、彼女の見積もりでは「痛みに苦しみ、肢体不自由になっている」フッ素症患者の数は、従来百万人とも2千5百万人とも言われていたのが、今ではじつに6千万人もいるということが明らかであり、何万という地域に散在する子供のフッ素症患者だけでも、6百万人にも達しているのである。
「ある村落では、人口の3/4が重度のフッ素症患者なのですよ」と、彼女は言っている。[注1]

 私は本編を、近代産業の歴史の概説と年表で構成したのであるが、ここで私が明らかにしようとしたことは、フッ素の汚染がどのように惹起し、経済的な動機が人間の健康を如何に無視してきたかについてである。私はまず、読者の方々に、ヨーロッパにおける初期の金属精錬産業がひき起こした公害と、フッ素の被害にまつわる数々の訴訟の記録を示したい。これは同時に、訴訟による工場の閉鎖を恐怖するアメリカの産業界の姿を赤裸々に示すであろう。次に、私は、フッ素公害から世間の関心をそらさせるために、産業界がどんな手を打ってきたかを明らかにした。年表を読んで頂ければ分かるように、水道フッ素化が始まったのもこの恐怖心のなせるわざであり、子供の歯に対する関心などではなかったことがよく理解して頂けるであろう。

 原爆を開発した1940年代には、核兵器の製造のために夥しい量のフッ素を扱う必要があった。ここで記録されているのは、原子力委員会(Atomic Energy Commission) の手によって行われたフッ素の安全性に関する膨大な研究である。この広範な研究の結果、アメリカ政府は、フッ素中毒に関する情報の抑圧に関与するようになった。かつては厳重な秘密とされていたこれらの政府文書は、今では情報公開法によって入手できるようになり、年表のブランクを埋めることができたのである。[注2]

 このようにして、巨大な政府と巨大企業とは、その理由こそ異なれ、ともにフッ素の危険性に関する情報の隠蔽工作に関係した。この企業と政府の共同謀議は細部に至るまで記録に残っている。

 しかし、長い間国民をごまかし続けることは非常に困難である。フッ素化のような現在進行中の問題に関しては、特にそうである。フッ素化に関して政府がなぜ不正直な言明や行動をくりかえしているのかといえば、彼らの最初のごまかしを何とかして糊塗しようとしているために過ぎない。この認識が正しいことは、ある部分では特にそうである。そしてこれは、フッ素化の擁護論とも関係する。本稿のエピローグで、私はやがて来るべきこの対決について意見を述べた。


公害の始まり

 19世紀の後半になると、ヨーロッパには次々と鉱石精錬産業や化学プラントが勃興した。産業革命のこの初期の時代にも、大気汚染が極めて深刻な問題であった。この元凶として最悪なのは製鉄や精銅工場であった。これらの工場の煙突が吐き出す煙や灰は、周辺の人畜や農作物などに甚大な被害を及ぼし、疾病をひき起こした。

 この時代にはまだ不明だったのだが、この排出物のなかで最も恐るべき化学物質はフッ化水素(HF)であった。これは現在ではPPBレベル[訳注:10億分の1]でも有害なことが分かっている。この頃では大気汚染に関連して一般に使われるフッ素という用語には、フルオライドといわずにフルオリンという言葉が使われていた。19世紀の終わり頃にはフッ化水素は産業廃棄物と同一視されていたのであり、それがどんな風に作用するのかは、汚染源である工場の周辺では自明のことだったのである。

年表 初期のヨーロッパ

1855 ドイツ、フライブルグの精錬工場がフッ素の排出で付近の住民に障害を与え、ヨーロッパで最初の補償金を支払った。
 
1893 フライブルグの精錬工場がフッ素汚染の被害のため88万マルクの補償金を支払い、永久的な救済のため64万4 千マルクを支払った。
 
1900 ドイツとイギリスでは、フッ素被害による訴訟での相次ぐ敗訴と厄介な法的規制の
   ため、精錬工場の存在そのものが危うくなった。
 
1907 フライブルグ周辺で20年あまりも牛に流行している疾病の原因が、精錬工場に起因するフッ素中毒であると確認された。
    
1912 牛のフッ素中毒症は、イタリーの過燐酸工場の近くでも報告された。1890年代には、過燐酸肥料工場の周辺で植物がダメになるという苦情が数え切れないくらい相次いだ。    
1918 スイスでも、アルミニウム工場の周辺で牛の中毒が起こった。アルミニウムの精錬には、融剤としてホタル石( フッ素49%)と氷晶石( フッ素54%)が用いられるため、これが主な原因となってフッ素の大気汚染が起こったのである。

概説 その1

 アメリカでは大気汚染に関連する場合、フルオライド[訳注:フッ素化合物の意味]という言葉がフルオリン[訳注:元素としてのフッ素] という言葉に代わって用いられるようになった。フッ素は化学的に極端に活発な性質があるため、他の元素と結合しないでいることが極めて稀だからである。そしてこれこそが、あらゆる生物の組織にとってフッ素が本質的に毒だということの基盤なのである。

 ヨーロッパにおける空中フッ素の被害に対する多くの訴訟の成功は、アメリカでも産業に対する脅威と思われた。この恐怖感が強い動機となって、事実を抑圧し、フッ化水素の大気汚染に対する世間の関心をわきにそらさせようとする企画を生んだのである。

 アメリカの精錬産業が膨張するにつれて排煙も増加し、被害者の訴訟や法的規制が産業を悩ませた。ここで決定的に重要と思われたのは、フッ素というものに対する大衆のイメージを変化させることであった。そのためにまず最初に採用された戦略は、水こそがフッ素の主な摂取源であり、他のものには大した重要性はないと信じこませることであった。

 このカモフラージュ作戦は、まず1931年に、アルコア(アメリカ・アルミニウム株式会社)の主任化学者であるH・V・チャーチルの言明で開始された。即ち彼は、ピッツバーグの子供に見つかった斑状歯は「水中のフッ素に原因がある」と述べたのである。勿論、ピッツバーグはアルコアの精錬工場がある所だ。このトリックは、5 月31日づけのピッツバーグ・プレスの記事となって記録に残っている。その見出しには、「当地の科学者が子供の歯を黒変する謎の毒物を発見」とある。チャーチルの言明は、「斑状歯の原因は水中のフッ素だけである」という印象を大衆に植えこんだ。今日ではこの非難は、フッ素入り歯磨剤に移っている。

 アルコアのごまかしは、ピッツバーグにおける空中フッ素による被害を隠蔽するのに極めて有効であった。この計略の成功は、チャーチルのような専門家の意見が、極めつきの偏見である時にはかえって大衆に正しいと思いこませることができたというところにある。こんな意見の偏向ぶりを見抜くには、何も専門家であることなどを要すまい。しかし、専門家の意見でさえあれば無比判のまま急速に大衆に受け入れられるという傾向は、その後次第に、プロパガンダの道具として利用されるようになってゆく。フッ素化に関する文献を通読してみれば、あらゆる権威がフッ素化を推奨(これが専門家の意見)しているのが分かるだろう。

 後年になると、「人間にはフッ素が必要であり、誰もがフッ素を摂取出来るようにするために水道水に添加すべきだ」という主張まで現れた。この戦略の狙いは、廃棄物としてのフッ素に無数の出口を供給する所にあった。フッ素に対する世間のイメージをこのように刷り込むと、これはこのまま一貫として70年も維持されたのである。1960年代の中期以降になると、この目的にためにはテレビのコマーシャルが盛んに使われるようになり、クレストのフッ素入り歯磨剤の広告のために、何と一年で3千万ドルも使われたのである。

 1931年には、斑状歯はエナメル質が形成される期間に、歯胚がフッ素中毒になることで起こるということが広く知られるようになった。歯が歯肉から出る前に、フッ素は血行を介して歯胚に到達するが、飲料水中のフッ素は歯胚とは直接的に接触はしない。斑状歯が全身的なフッ素中毒の証拠だという事実は、この理由からも明らかである。また、斑状歯は、汚染された空中のフッ化水素によっても屡々発生する。同様に、フッ素汚染された土壌や空気にさらされた農作物の食餌によっても起こるのである。

 フッ素に対する世間のイメージの形成と同時に、産業界は、カギをにぎる政府機関にも働きかけた。合衆国公衆衛生局(USPHS) や、後になると環境保護庁(EPA) が、産業廃棄物である有害なフッ素の投棄で、逆に企業が利益をあげられるよう驚くべき協力をした。産業のヒモつき科学者を役人に任用するということで、これらの政府機関は産業のモチベーションと固く結びついたのである。この過程では、彼らは、人間の健康を深刻に障害するフッ素や様々の化合物の毒性を無視せざるをえない。産業の要求を安易に満たすため、彼らは、人間や環境の衛生を推進するというこれらの政府機関の基本的な義務を放棄したのである。

 この政府機関と産業の癒着は大気汚染に関しても真実であり、後の水道フッ素化になるとさらに典型的になる。何しろ公衆衛生局は、今世紀の末あたりから、全米の水道のフッ素化を政府に信任委託するという目標まで掲げ出したのだ。そして環境保護庁はその後この方針を、廃棄物のリサイクルに有効だとして正当化した。

 公衆衛生局がフッ素化の強力な支持者として再編成された結果、この恐るべき汚染問題に関する学術機関の研究は、巨大産業のコントロール下に置かれることになる。このコントロールは、政府の研究助成金や研究の委託を与えたり引き上げたりすることで行われた。この領域の学術機関に対する政府の助成は、すべてが産業の色眼鏡をかけた公衆衛生局というチャンネルを通じて行われる。この圧力は産業が巨大になるにつれ、より強くなっていった。何年も何十年も、情け容赦なくこれが繰り返され、フッ素関連産業の学術に対する圧力は、殆ど20世紀全般を通じて加えられたのである。

 同じような経済的動機から、アメリカ歯科医師会もフッ素化に関して最も有名かつ活発な推進者となった。この推進は、歯科医師全体の意向を装う小規模な派閥が行っている。世間はアメリカ歯科医師会を公正な専門家の集団とみなす傾向があるが、これはじつは並みの動機で動く同業者団体にすぎない。フッ素化における彼らの役割は日和見的である。この団体は現在でも公衆衛生局より助成金を受けているが、これは事実上、彼らが巨大産業の片腕になっているということである。彼らはフッ素化によって歯科医師の収入が減るのも厭わず、虫歯予防という歯科医師の役割の倫理性さえ強調してみせる。しかし、歯牙フッ素症の修復に必要な美容歯科は高額で、かえって歯科医師の収入を増やしているのが実情である。この結果、この同業者団体は、産業廃棄物であるフッ素を投棄することで利潤をあげるという巨大企業のスキームにとって、まさに理想的な前線となっているのである。

 強力な医学団体も、フッ素化のスキームが成功するためには極めて重要である。膨大な数のアメリカ医師会の会員が、今日では国立衛生研究所(NIH, 公衆衛生局の一部局)の助成を受けるようになってきてきる。大部分の医科大学も、公衆衛生局を通じて政府の助成をますます多く受けるようになってきているのが現状である。この影響の一端は、医学書ではフッ素症が些細な問題としてしか扱われていないのにも現れている。この結果、殆どの医師や歯科医師が、フッ素の慢性中毒については何も知らずにいるのである。

 水道をフッ素化するという産業界の決して公の場で語られることのない動機は、日毎に蓄積する廃棄物のフッ素を経済的に投棄する方法を見つけることであり、労働中に空気中のフッ素で障害を受けた労働者から賠償を請求されるのを避けようとするところにある。一方、公衆衛生局は、産業が大気のフッ素汚染を隠蔽するのを強力に支持することで彼らを支えている。今日では、公衆衛生局は、あらゆる地域の保健所を通じて影響力を行使し、以前の住民投票でフッ素化を拒否した市議会の決定を無視して民主政治の基本原則を転覆させ、公衆衛生を棄損しているのである。

 政府や学界や歯科医師会、医師会に対する産業界のこのような恐るべき影響力の下では、専門家が水道フッ素化に反対したり、これに疑問を表明しただけでも、ただちに政治的自殺に繋がりねない。大胆にもあえてこのような行動をとった者は、すぐに職が危うくなるのを経験した。遠慮なく意見を述べた歯科医師ですら、フッ素に反対する専門家とみなされて同業者団体(アメリカ歯科医師会)から疎外され、専門家としての経歴が傷つけられるのを経験した。アメリカ歯科医師会や産業のパトロンたちは、明らかに反対者の封殺にのり出したのである。

 産業界にとって何より重要なことは、フッ素の有害性について完全な知識を保有することであった。1925年にはケタリング研究所が設立されたが、これはそもそもフッ素をベースとする冷凍材フレオンに関して、エチール・コーポレーション、ゼネラルエレクトリック、デュポンその他の関連企業からの寄贈や援助で作られた機関である。このような研究を世間の目から隠しておくことは、ケタリング研究所の一貫したポリシーであった。

 1925年以来、アメリカで行われたフッ素中毒に関する研究は、その殆どがこれらの企業の資金でまかなわれた。そしてこれらの研究は、ケタリング研究所を設立した会社を保護するためにあくまで秘密にされた。シンシナティ大学に置かれたケタリング研究所の所長であるロバート・ケヘ博士は、同時にエチール・コーポレーションの医学部門の長であり、原子力委員会の顧問であり、また公衆衛生局の産業医学部門の顧問でもあった。相提携しあうこれらの3機関のいずれもが、フッ素の危険性を抑圧することに強い動機があったのである。

 企業が資金提供するフッ素研究は、厳重な管制下におくために、すべてがケタリング研究所で行われた。合衆国政府が資金提供する研究は公衆衛生局のチャンネンルで行われたが、この機関が巨大企業の事実上の片腕となったのはいうまでもない。その強力な偏向ぶりで公衆衛生局は研究の方向を操作し、雑誌での発表にまで口を出した。そればかりか、発表後の論文の検閲まで行ったのである。このようにして、フッ素に関係する企業は、この国で行われるフッ素研究の殆ど全てをコントロールするようになったのである。

 ヨーロッパやアジア各国のフッ素研究は、勿論こんな強圧の下で行われたものではない。従って、これらの研究は、フッ素の危険性をより明らかに際立たせているのである。そのためヨーロッパの98%で水道のフッ素化が禁止されており、このことがアメリカのフッ素研究の偏向ぶりをいかんなく証明している。1935年と1937年に発表されたKaj Rohlomのフッ素中毒に関する古典的な研究以来、外国の医学文献は、フッ素中毒に起因する様々な深刻な疾患に関する研究報告を、現在もなお続々と発表している。これは合衆国の獣医学方面の文献についても同様である。しかし、我々の医学文献は、ケタリング研究所の秘密主義と公衆衛生局の偏向および言論統制の影響を、今なお受け放しのままなのである。

年表 その1 1909 年から1938年まで

1909 当時アルコアは毎年16,500 トンのアルミニウムを製造するようになり、大気汚染物質であるフッ化水素を毎年132 トンも放出した。
    
1909 ペンシルバニアの州法は、食品や水にフッ素化合物が含まれることを禁止した。
    
1916 全米学術会議(NAS) の下部組織として、全米研究協議会(NRC) が非政府的な機関として組織された。しかし、これは公衆衛生局と全米の産業が蜜接な関係をもつきっかけとなり、メンバーが提携することによって産業を代表するものになっていった。政府機関は、自分らのスタッフを使う代わりに、NRCから出される勧奨を採用することで公認の責任を肩代わりさせるようになった。産業を左右するような決定はこのようにして操作され、産業にとって極めて有利になっていったのである。

1922 アルミニウムの調理器具がアメリカに導入された。アルミの生産は、有害な副産物であるフッ化ナトリウムとともに急増した。
    
1925 ケタリング研究所が、産業の国際協会の委託で、工場の操業に伴う化学物質の有害性について研究を開始した。研究の結果は隠蔽されたままである。
    
1925 アンドリュー・メロンが合衆国財務長官に就任した。公衆衛生局は財務省の直轄下にあった。メロンは、有毒のフッ素廃棄物を排出する点で第一であるアルコアの大株主であった。1920年代には、海外やわが国の農務省、鉱山局などで、フッ素公害に対する関心が高まりつつあったが、公衆衛生局だけは別である。20年代の10年間の公衆衛生局の公文書でフッ素に言及しているものは何一つない。さらにこの年に、アンドリュー・メロンとアルコアの前オーナーであるリチャード・メロンによって「メロン研究所」が設立された。
    
1930 世界で最初の大規模なフッ素汚染による惨事がベルギーのミューズ・バレーで起こった。この事件で60人が死亡し、6千人が重症の被害にあった。死んだ牛の数も数え切れなかった。デンマークの科学者Kaj Roholmが、この事件の後フッ素中毒の患者とフッ素の作用について研究した。ロンドンとコペンハーゲンで出版された彼の古典的な著書「フッ素中毒症(Fluoride Intoxication) 」は、この時期に出版されたものとしては類を見ない名著で、十分に確められた多数の中毒患者について詳細にわたって検査が行われている。
    
1931 ケタリング研究所の施設の相当な部分が、フッ素研究、とくに最初のうちはフレオン12の研究に供された。この研究がなされている間何一つ世間に公開されたものはない。アルコアのピッツバーグの精錬工場では付近の子供たちにフッ化水素の汚染による斑状歯をひき起こしていたのであるが、同社の主任化学者はすでによく知られていたこの関連性を無視し、水中のフッ素が原因であると表明していた。この成功したカモフラージュ作戦は、後に、空気のフッ素汚染がひどい都市のフッ素中毒の原因を、その都市の水道のフッ素化によるものとする説明としても用いられた。かくして空気の汚染から世間の注意をそらせたのである。
    
1931 公衆衛生局の歯科医師であるH・トレンドリー・ディーンが、アルコアの創立者であるアンドリュー・メロンによって派遣されて、ある遠方の西部の町のフッ化カルシウム濃度が高い井戸水の調査に赴いた。ディーンの使命は、目に見えるダメージが子供の歯に出る前に、子供たちがどの程度のフッ化カルシウムの負荷に耐え得るかを見きわめることにあった。

1933 農務省の首席毒物学者リョイド・ディエズ博士が、慢性フッ素中毒に関する60頁の総説を発表した(Medicine 12 : 1-60, 2 月,1933)。彼はその中で次のように述べている。「フッ素の毒性の深刻な様態が、それも慢性中毒に関してのそれが認識されてきたのはごく最近であり、この10年以内のことである。フッ素が公衆衛生にとって重要であるとするのは、この慢性毒性に関する見解からである。」彼はアルミニウムプラントの近くの植物や家畜の中毒について議論し、また、過燐酸肥料工場が空中に排出するフッ素は、毎年2万5千トンに昇り、さらに9 万トンが表土に捨てられていると述べている。
    
1935 増加する大気のフッ素汚染に直面するに及んで公衆衛生局は、「斑状歯」は「水に由来する疾患であり」合衆国におけるこの疾病がどの程度のものであるか調査を開始すると記すに至った。
    
1938 ディーンと公衆衛生局は「ゲールスバーグ・クィンシー」研究を行ったが、この二つの研究のうちの、一つがフッ素化の基礎となった。( もう一つは、1939年から1940年にかけて行われた21都市研究である) 。そしてこの2 研究がもととなって「フッ素−虫歯仮説」が生まれ、ミシガン州グランドラピッズ市、ニューヨーク州ニューバーグ市、オンタリオ州ブラントフォード市で実験にかけられることになったのである。
    
ノート:これらの研究は、後に政府と無関係な統計学の専門家により、統計学的に誤ったものであり、その他にも重大な問題があって全く無価値であることがわかっている。( ジョン・イアムイアニス, Fluoride the Aging Factor, 119-123 頁、フィリップ・R・サットン, DDSc, LDS, メルボルン大学口腔外科, 口腔医学教室上級研究員でサー・アーサーB・P・エーミース, メルボルン大学歯学部歯学部長との共著によるFluoridation Errors and Omission in Experimental Trials を参照) 。ディーンが、1934年の初期の斑状歯の調査にもゲールスバーグを訪れており、この地を「定量的な研究には必須なものが欠けている」都市のリストにあげているのは興味をそそられる。


概説 その2
税金を使った大企業支援の国家戦略

 アメリカにおけるこうした初期の産業のフッ素公害に関する秘密主義が、合衆国政府によって国家の安全という名目の下に増強されたことは運命のいたずらである。フッ素は原爆の製造には欠かせない物質であって、フッ素化合物による健康被害のおびただしい事実は、第2次大戦の戦中戦後を通じ一貫して秘密にされたのである。このことで、フッ素関連企業が、どのようにしてフッ素汚染を隠蔽することに国の協力を得ることができたかがよく説明できるであろう。[注3]

 水道フッ素化という考えが表面化してきたのは1939年あたりからであるが、これはただちに大企業に採用され、世界中の水道をフッ素化するという構想に傾斜して、無法ともいえる容赦のない運動へと発展していった。この動きは公衆衛生局によって、まるで軍隊による信任統治、即ち「ミッション」ででもあるかのように実現化されていった。

 合衆国公衆衛生局はこのような使命の遂行において、その組織が軍と同様な点でまことに理想的であった。この局の官僚は公衆衛生局長[Surgeon General, 訳者注: この呼称は軍医総監と同じである。] の命令に従うことが任務である。世間は公衆衛生局長を完璧かつ客観的な医学の権威者だと見なしているが、こうした見方はナイーブすぎる。現実の世界では、局長は、現在実施されている政府の政策を支持し実行することしか求められない。たとえ、ある政策、例えばフッ素化が、二代や三代の公衆衛生局長によって成功裏に支持されてきたとしても、だからこの政策が科学に基礎をおいたものだなどと考えるのは、少しウブすぎるのである。

 公衆衛生局には歯科医師の集団があるが、これはアメリカ歯科医師会の役員や委員、代議員などとメンバーを交換しあっていて、両者は固く結びついている。重大なことに合衆国では、医科や歯科の重要な雑誌の編集役員には公衆衛生局の官僚が加わっているのである。

 世界中の水道をフッ素化しようとする戦略は、州や郡の保健部を野戦司令部の代理品のように利用する。極めて偏向したケタリング研究所の1963年のフッ素論文の抜粋集や、1960年のアメリカ歯科医師会の重要な宣伝文書「フッ素化の事実( Fluoridation Facts) 」などが使用されたゆえんであるが、今なお流通している後者に全く信頼性がないことは、その文書の引用自身によって明らかである。30年以上も前のこのパンフレットは今なお訂正されずに使われているが、まことにデタラメとしか言いようのない代物だ。こういったプロモーション材料が、国中いたる所の保健機関に配付されたのである。[注4]

 こうしたディスインフォメーションによるキャンペーンが1960年代の終わりあたりから各地方の保健機関に対して行われるようになり、時には州や郡などでフッ素化のためのまとめ役が雇われることもあった。州や地区の適当な保健機関のネットワークを全国的に張りめぐらして地域の評価が行われ、抵抗の弱い所が真先に標的にされた。前のフッ素化で成功した戦術が次の地区で採用された。キャンペーンではこんな押しつけが自治体に対して文字通り何百回も行われ、やがて作戦はより巧妙になってゆく。地区の保健官僚たちは、主に市議会に対して、一方的かつ強力にフッ素化を売り込むとともに、国の資金援助をチラつかせて働きかけた。これが、市民の投票によらずに市議会の票決だけでフッ素化を決定するというやり方を生んだのである。これはある場合には必ずしも違法ではないが、地域の住民らが毎日直接影響を受けることについて、以前の住民投票で決定した結果を市議会で無効にするという事態にもなるのである。

 自治体がこんな策略で翻弄されている時には、勝利はより多くの衆目を集める結果となることが多い。これは心理戦によくある手である。公衆衛生局のキャンペーンには、彼らの「使命」を妨げるような州法の転覆すら意図していることについて確かな状況証拠がある。例えば、ワシントン州では、市議会は前に行った住民投票の結果を無視してはならないとういうことが州の倫理規範として制定されており、これが1984年のスポーケン市でフッ素化を中止するために機能した。しかし、翌年、この州の倫理規範は、ワシントン州の内部で何のきっかけもないまま廃止されたのである。この出来事を時系列的に大きな視野から見ると、こうした状況証拠には注目せずにはいられない。

 大企業にとっては、紛争を法廷外の和解で処理することは何よりも急務である。こうしなければフッ素被害に関して判例が残ることになり、それがさらに他の訴訟に道を開くことになるからである。この好例が、第2次大戦中にアルコアが操業していたポートランドの東のトロウトデールにあるオレゴン・アルミ工場の場合であろう。大戦終了後に何百万ドルもの被害の補償を求める訴訟が起こったが、この裁判では工場の新な貸し手であるレイノルズ・メタル社より巨額の補償金が支払われて和解したのであった。

 ポール・マーチン家を襲った深刻なフッ素被害も訴訟になった。この訴訟を大企業は極めて重大視し、6 つの会社が「裁判の友」として連合体を組んで訴訟に臨んだ。その6つの会社とは、アルコア、カイザー、ハーベイアルミニウム、オリン・マシーソン、ビクター化学、フード・マシーナリー・アンド・ケミカルの6社である。この裁判でマーチン家側が勝利しそうになると、マーチン家の牧場を高額で買い取るという和解が持ち出された。もう一度繰り返すが、法的な記録として判例が残らないのが彼らにとっては何より重要なのである。

年表 その2 1939 年より1959年まで

1939 フッ素の産業廃棄物を投棄する一つの手段として、水道フッ素化という考えが生まれた。この手段を用れば投棄の費用が利益に変わるのである。この事実は環境保護庁の水道局副局長レベッカ・ハンマーの1983年の手紙で確かめられている。

1939 ニューディール機関である合衆国事業企画庁の被雇用者が政治献金を強要されたという事件が明るみに出た後で、ハッチ法が議会を通過した。この新法は政治化した合衆国の力からの保護をうたっている。また、この法律は、合衆国の資金による如何なる機関も、それが地域であれ州であれ国であれ、公共の住民投票に力を及ぼすことを禁止している。しかし、1940年に水道フッ素化を開始しようとする運動が起こって以来、ハッチ法は目に余るまで繰り返し蹂躪されている。
    
1939 9 月29日、メロン研究所の科学者ジェラルド・コックスが、次のように述べることでフッ素化推進における彼の大きな役割を開始した。「食物や飲料水からフッ素を除去しようとする最近の傾向は、逆転が必要なのかもしれない。」    
   
ノート:科学者コックスは1939年に次のように述べてもいる。「フッ素は最も毒性 が強い物質の一つである。斑状歯は飲料水中にある0.001%とというごく少量のフッ素で起こる。水道をフッ素化する前には、使用に供するどの水も検査しなければならない。」(Journal of the American Water Works Assn. pp.1926-1930, Nov. 1939) 。この発言にもかかわらず、アルコアはコックスが彼の研究室でラットにフッ素化飲料水を与える実験のスポンサーとなった。じつに奇妙なことに彼はその研究で、「フッ素はむし歯を減少させる」と結論しているのだ。やがて彼は全米の水道をフッ素化すべきだという説を唱えるようになり、アメリカ中を遊説する旅を開始した。
   
1939 アメリカ水道事業協会が、フッ素は鉛やヒ素と同様な有害物質である十分な根拠があると決定した。また、その理由で、飲料水中のフッ素は0.1 ppm を越えてはならないと示唆した。
   
1941 公衆衛生局は、フッ素の投棄を禁止する代わりに、水道中のフッ素は1.0 ppm まで許容できるという規制を定めた。この規制のおかげで、企業は河川へのフッ素の投棄を続行することができた。
    
1941 12月、日本が真珠湾を攻撃した。全ての反汚染規制は延期された。アメリカの様々な所で空前のフッ素汚染が起こった。大規模なフッ素公害は第2次世界大戦の軍需物質の製造によって増加したのである。これが巨大企業の公害隠蔽に関する政府と企業の共謀をいっそう強化した。
    
1942 イギリスの医学雑誌ランセットが、589 人のロンドンの子供のうち28% に斑状歯が見られると報告した。アルコアの主任化学者や公衆衛生局のいうところが真実なら、こうなるためには、ロンドンの飲料水中には1 ppm 以上ものフッ素がなければならないはずだが、検査では0.19ppm にすぎなかった。明らかにフッ化水素が原因であったのである。この場合は燃料にフッ化水素の主な排出源である石炭が使用されたためであるのは明らかであった。[注5]
    
1942 高性能ガソリンの製造の触媒に、硫酸に代わってフッ化水素がはじめてロサンゼルスで使用された。このプラントのためには毎年500〜750トンものフッ化水素が必要であった( Fluorine Industry Chem. and Met. Eng., 52:94-99 Mar.1945)。

1943 ニューヨーク州ニーバーグ市でフッ素化プロジェクトが開始された。合衆国で最初のこの実験では原爆製造計画の科学者が極めて重要な役割を演じたが、このことは一切公けにはされなかった。原爆を製造するためにフッ素は最重要の物質であった。核兵器の製造に欠かせないレベルのウランやプルトニウムを作るためには、何百万ポンドものフッ素が必要だったのだ。今日の情報公開法の下で公表されたこの時のメモには、原爆製造計画から派遣された科学者が密かにニューバーグ市のフッ素化実験の指導をしたことが示されている。このメモは明らかに、合衆国政府の利害の矛盾と、フッ素の安全性を証明しようとする動機とを示している。
    
1944 オスカー・ユーイングがアルコアの職員名簿に、弁護士として搭載された。俸給の   年額は75万ドルである。
    
1945 合衆国原子力委員会(AEC) によって「F 計画」が実行された。これは合衆国におけるフッ素の健康への影響に関する研究では最大規模のものであった。フッ素は原爆の製造には不可欠の化学成分である。この研究のなかで、人間にとって最も有害な物質の一つであるフッ素には、中枢神経に対して強い為害性があることが分かった。しかし、それに関する情報の大部分は国家の安全という名目の下に「秘密」にされたままである。これによる訴訟が原爆製造の全貌を明らかにするかもしれないという恐怖感からである。[注6]

    
1946 明らかな証拠も何の言明もないままに、公衆衛生局は飲料水中のフッ素の最大許容
   量を1.5 ppm にひき上げた。
    
1947 アルコアの弁護士であるオスカー・ユーイングが、国家安全局( 後のHEW)の長官 に任命された。これは公衆衛生局を監督する立場である。彼はアルコアでは、アンドリュー・メロンに次いで二番目の権力者であったが、この立場を得ることで、彼が公衆衛生局を指図してこれを実質的に巨大企業の手先へと変貌させるとすることを完成させたのである。ユーイングの下でフッ素化キャンペーンは急速に具体化していったが、この先鋒をつとめたのも公衆衛生局であった。この後の3年間で87都市がフッ素化された。この中には、最初のミシガン実験で比較対照都市として選ばれたマスキーガン市が含まれているが、これで安全性のための科学的客観的な試験は、実験が半分も終わらぬうちに消えてなくなってしまったのである。[訳注:HEW=Department of Health, Education and Welfare(健康教育福祉省)]
    
   ユーイングのPR作戦の戦術家は、S・フロイドの姪であるエドワード・L・バーネイであった。彼女はフロイド心理学を宣伝や政府のプロパガンダに応用したパイオニアであった(1928年の彼女の著書「プロパガンダ」を参照)。バーネイの戦術のため世間はフッ素が毒物であることを忘れ、フッ素化に反対する者は狂人のように描かれた。1996年でも反対者はまだ市民権の運動家、変人、右翼などと描かれている。新聞も大企業の宣伝に強い影響を受けているため、こうしたプロパガンダの重要な担い手になっているのである。[注7]
   
1948 ドノーラの殺人スモッグは、大気汚染によるものとしては歴史上二番目の大惨事であった。これは工業化された狭い谷間に、製鉄所や亜鉛の洗練工場から吐き出されたフッ化水素がよどむことでひき起こされた。このペンシルバニアの町では1万3千人の人口のうち6千人が傷害され、4日目で17人が死亡した。著明な法化学者であったフィリップ・サドラーがこの事件を調査し、急性フッ素中毒の強い証拠があると報告している。彼の報告は「ドノーラとウェブスターの死亡事故は、産業廃棄物であるフッ素ガスが環境中に放出されたことに原因がある」という見出しの下に、科学雑誌「ケミカル&エンジニャリング・ニュース」に掲載された。しかし、公衆衛生局は、彼らのレポートではこの事故を抹殺した( Public Health Bull. No.306,Washington,D.C.,1949を参照 ) 。彼らの結論は「現存の汚染物質でこのような惨事をひき起こしえるものは何もない」というものであった。次の一文は、このレポートに対するフレデリック・B・エクスナー博士の批判である。(強調原著)
   
●「173 頁に及ぶこのレポートは、異常な種類や量の汚染物質は何も認められず、そこで得られた汚染物質ではこんな事故は起こりえないというものである。しかし、標本の採取にあたっての時と場所の選択が恣意的であって信頼性が疑わしく、得られた結果の平均値に対して適当な重みづけをすることは何もなされていない。そこからの計算にも誤りや矛盾が多く、それが排出量の推定を全くの想像で行うことにしてしまっている。
   
   ●このレポートでは、家庭で210トンの石炭を燃やと30ポンドのフッ素を排出するが、フル回転している工場のボイラーでは、213トンの石炭の燃焼でもわずか4 ポンドしか出ないといっている。しかし、この違いを説明する理由はどこにもない。
   
   ●104頁では、送風炉の排気には1‰あたり4.6mgのフッ素があると述べられているが、108 頁ではそれが1/10である。
   
   ●暖炉からのフッ素の放出の計算でも数千倍の食い違いが見られるが、この間違いがどこにあるのかは調べる方法もない。
   
   ●生物学的な研究と空気のサンプルの採取は、等しく不適切で無意味である。1949年2月16日から4月27日までの間に恣意的に選ばれた12カ所で採取された空気の標本は、この事件の間の濃度以外に何も語るものがない。」
   
   ドノーラの惨事についてUSスチールが行った研究の結果は、今日もなお世間には公表されないままである。これは極めて毒性が強いフッ化水素の放出を隠蔽しようしている明白な証拠である。[注13]

1948 ドノーラの惨事のすぐあとに、公衆衛生局はアメリカ中の大都市27カ所の空気中のフッ素濃度について秘密裡に調査を開始した。この調査で、次の12都市の空気が深刻なフッ素汚染(80ppbまで) にさらされていることが判明した。その12の都市とは、ピッツバーグ、ボルチモア、シカゴ、クリーブランド、ミルウォーキー、セントルイス、フィラデルフィア、サンフランシスコ、バッファロー、デンバー、オクラホマ・シティー、インディアナポリスである(Register of Air Pollution Analyses, US Dpertment of Health, Education and Welfare. USPHS, Washington DC, 1949-1961 を参照) 。
   
1950 公衆衛生局が集めた大気のフッ化水素汚染の新データは、大問題を提出した。集められたデータの中には80ppbもの汚染を示すものがあり、これは標準値の10倍以上であった。
   
   ピッツバーグのアルコアが10年以上も前に採用したカモフラージュ作戦は、公衆衛生局の戦略にも影響を及ぼした。もし、フッ化水素による深刻な大気汚染を抱えるアメリカのこの12都市がフッ素化されるならば、改善するのに甚だしい費用を要する汚染問題もカモフラージュすることができる。そうなれば歯牙フッ素症は飲料水のせいにできるであろうし、権威者連中が「斑状歯は、むし歯の予防のためのフッ素化の取り引きとして受容すべきだ」と書くことも可能である。このために、グランドラピッズ市ほか3 都市で進行中のフッ素化の大実験は、実験の終了見込みの5年も前の1950年に突如として「実験の成功」が宣言された。この時期にはフッ素化飲料水の影響下で発育を完了した歯牙などは1本もなかったのであるが、公衆衛生局は50% 〜60%のむし歯の減少を宣言したのである。(Dean, H.T.et.al., Studies on Mass Control of Dental Caries through Fluoridation of the Public Water Supply, Public Health Report 65, 1950)。
   
   この「成功」で、公衆衛生局は大気汚染問題をカモフラージュするために、空気汚染が甚だしい12都市のフッ素化を急いだ。その後の5年間に、この12都市は全てフッ素化されてしまったのである。これと同じカモフラージュが、アルコアによりオーストラリアで行われた。
   
1950 ドノーラの悲劇から2 年たってアメリカ中の空気がフッ化水素で汚染されているのが公衆衛生局に分かった時、彼らはその分析の方法を、空中のHFレベルの代わりにフッ素イオンの濃度で計ることに転換した。この動機がごまかしにあったことは明らかである。フッ素イオンはフッ素ガスと同様、空中の廃棄物としては毒性を示すことが比較的少ない。かくして公衆衛生局は、より毒性が強烈なフッ化水素(HF)に代えてフッ素イオンを計測することで、原因物質であるHFのデータが漏洩するのを避け、もう一度フッ化水素をどうにか無視することができたのであった。
   
1950 1950年から51年にかけてアルコアは、飲料水に添加するためのフッ化ナトリウムの販売を宣伝広告した。
   
1950 アメリカ歯科医師会雑誌(30:447,1950) は、ピッツバーグ大学の教授となったG・J コックス博士の記事を特集した。その中で彼は次のように述べている。「斑状歯の被害者の審美的問題の解決のためには、ポーセレン冠やジャケット冠、ある場合には義歯までもが必要となる」。
   
ノート:これらの修復のためには公共団体は費用を負担しなければならないが、歯科産業はこれによって利益を得ることになる。
   
1951  1951年の初頭にオスカー・ユーイングは、「フッ素化をアメリカ中に推進するため」2 百万ドルを配分した。
   
1951年オスカー・ユーイングがある法案の後押しをしたが、これに保守的なアメリカ医師会が、「医学を社会化する最初の一歩だ」として反対した。医師会はこの法案を葬るために会員に「闘争資金」を呼びかけ、3 百万ドルが集まった。しかし、ロサンゼルスでのアメリカ医師会定期総会の時に、ユーイングは医師会のある委員会に対して、その法案の撤廃を知らせた。その同じ委員会は、( その委員会はそれまでにそんな議題を審議したことはなかったのであるが) 急遽ステートメントを発表し、アメリカ医師会は全面的に「フッ素化の安全性」を認めると宣言したのである。当時、アメリカ医師会がフッ素化を支持するような論文はそれまでに一つも公表されていなかった。しかし、それ以後、医師会は、フッ素化を、歯科医師やアメリカ歯科医師会を操作する強力な権力のなすままに任せたのである。
   
1952 アメリカ歯科医師会雑誌は、会員である歯科医師に対して、フッ素については個人的意見をひかえるように指導した。ここにアメリカ歯科医師会の政治的偏向の明らかな証拠がある。
   
1952 ロンドンで気温の逆転による史上最悪のスモッグ公害が12月5 から9 日にかけて起こった。以前に起こった二つの惨害と同様、フッ化水素が元凶であった。この5 日間にロンドンだけで普段より2千人が余計に死亡し、周辺のテームスバレイを入れると1万人以上が殺された。このような騒ぎがロンドンでは、この惨事と前後して何回か起こっている。1945年には有毒ガスのため6 百人が死亡し、1956年では5 百人、1957年には4 百人が死亡した(Air Pollution, published on behalf of World Health Organization, Columbia University Press, N.Y.,1961,p.175)。
   
 何ともショッキングであるが、犠牲者の数だけがこの事件の全貌を物語っているのではない。さらにショッキングだったのは、これらの事件を通じて、空気の毒性の評価も、最大どの程度の汚染があったのかということを確めるテストも何もなされていなかったということである。これらはフッ化水素中毒がもたらす精神機能への影響を考える上でも是非必要である。人間の行動は、ごく微量のppb レベルのフッ化水素にも左右される。これには混迷、疲労、部分的な記憶喪失、精神的遅鈍、無感動などが含まれ、ロンドンでは何百万人もがこんな影響を受けたと思われる。これらの症状は1982年に慢性疲労症候群と同じとされ、人間の健康が蝕まれてゆく初期症状と考えられているものであるが、今ではダメージを受ける人の数も増え、場所も広がっている。この同じ症状が空気のフッ化水素汚染でも起こる。しかし、この研究は欠けたままで、そのための資金もないのである。
   
1952 公衆衛生局の官僚であるディーン、アーノルド、マックルーア博士らが、オーストラリアとニュージーランドのフッ素化に精力を傾けるようになった。フッ素化が産業の動機で行われたものであるのを示すより明らかな証拠がここにもある。

1952 アルコアが、オーストラリアで最初のアルミニウム精錬工場の建設を開始した。場所は、タスマニア州の小さな町ビーコンスフィールドから2 マイルの所である。その翌年ビーコンスフィールドの水道はオーストラリアで最初にフッ素化された。ここでも歯牙フッ素症は、むし歯を予防するための「やむを得ない取り引き」ということになった。これは偶然の一致などではない。ここにも空気のフッ化水素汚染を水道水のフッ素化でカモフラージュしようとする、産業の戦略の明らかな証拠があるのである。

1955 シンシナティにあるケタリング研究所は120 人の研究スタッフを擁し、この種の組織としては世界最大となった。ここでの特別の目的は、アメリカの産業の拡大に伴って増大した化学物質による健康被害を研究することであった。( これは訴訟となってヨーロッパの産業界を襲い、これを防ぐことがアメリカの産業を優位にすることに繋がった。) 。
   
1956 6月26日プロクター・ギャンブル社(P & G) は、ニューヨークタイムズに全紙大の広告をのせ、同社のフッ素入り歯磨剤である「クレスト」は、フレミング博士のペニシリンの発見にも比較すべき医学の重要な道程であると宣伝した。P & G は、この誇大な広告を支持する科学的根拠については何も触れなかった。アメリカ歯科医師会専務理事のハロルド・ヒレンブランドはこれについて、「どのフッ素入り歯磨剤であろうと、それが虫歯を予防するという根拠は全くない」と述べている。最初はクレストにも、現在の[アメリカ製のフッ素入り歯磨剤には添付が義務づけられている]食品薬品局の警告ラベルが張ってあったのであるが、1958年になると、説明もなしにそれが消え、その後40年間も現れることがなかったのである。[注8]
   
1957 アルコアが水道フッ素化をする市や町にフッ化ナトリウムを直接販売すること広告した。しかし、その10年後に、燐酸肥料企業が煙突の集塵器から回収したフッ素をもっと安く売り始めたため、この会社はダンピング市場から締め出された。
   
1957 アメリカ歯科医師会は、1957-1973 年にかけて、合計6,453,816 ドルもの助成金を政府から受け取っている。
   
1958 世界保健機構(WHO) が、ジュネーブに水道フッ素化を研究する専門委員会を設置した。その7人の委員のうち少なくとも5人は、それぞれの国でフッ素化を推進している人物であった。その一人であるアメリカのH・C・ホッジ教授は、ウランの加工で深刻なフッ素の廃棄問題に直面していたアメリカ原子力委員会の資金で研究していたし、スェーデンのエリクソン教授はヨーロッパにおけるフッ素化の推進者として有名で、アメリカの公衆衛生局の資金援助も受けており、スェーデンの歯磨剤メーカーからも特許料を受け取っていた人物である。WHOのフッ素化推進とはこんなことで始まったのである。
   
1959 レイノルズ・メタルが、セントローレンス川の沿岸にアルミニウムの精錬工場を建設した。その場所はモホークインディアンの特別保留地の風上であった。そこの島には1,500人のインディアンが牧場を作って暮らしていた。45人の農民が40戸の牧舎を作り、364 頭の乳牛を飼育していた。牛は次第にビッコになり、死んでしまうものが多くなった。1977年にはたった177 頭しか残らなかった。農民自身の筋肉や骨にも異常をきたす者が多くなった。モホークの暮らし方が、予防することができたフッ化水素による人工の伝染病の犠牲者を作ったのである。
   
年表 その2 1960年より1999年まで
   
1960 カナダのフッ素化に関する委員会がトロントで開催された。D・E・ハル博士がここでの審議を指導した。彼女の娘は、フッ素の汚染問題をかかえるアルミニウム会社の社員であった。彼自身もフッ素化に主導的な立場の団体から名誉顧問として待遇されており、彼の大学( 西トロント大学) は合衆国公衆衛生局から助成金を受けていた。果せるかな、ここでカナダすべての水道のフッ素化が推奨されたのであった。
   
1960 8月にアメリカ歯科医師会は科学的根拠が何一つないのに、フッ素入り歯磨剤「クレスト」を「安全かつ有効」であると認定した。P&Gの株は8ドルも値上がりした。コルゲート・パルモリブ、ユニリーバー・アンド・ビーチャムをはじめ世界中の歯磨剤メーカーが、これをきっかけに、歯磨剤にフッ素を添加するというバスに飛び乗った。
   
1961 公衆衛生局がさらに水中のフッ素濃度の許容レベルを引き上げた。局のある研究者でさえ「1.5ppmでも安全係数はゼロである」といっているのにもかかわらず、今回は2.4 ppm にした。
   
1963 スポンサーである産業界への贈り物として、ケタリング研究所が合衆国中のフッ素に関する研究論文を集め、その各論文の知見を改竄するという「消毒」をして「公衆衛生におけるフッ素の役割」と題する要約集を出版した。そのスポンサーとなった企業は、アルコア、アメリカ石油、コロンビア・ジュネーブ製鉄、デュポン、ハーショウ化学、カイザーアルミ化学、ミネソタ鉱業、ペンシルバニア製塩、レイノルズメタル、国際石油製造などであった。これらの企業はいずれも、フッ素の大気汚染に関する規制や労働者の健康問題に関係あるものばかりであった。
   
   この158 論文の「消毒」された要約集は合衆国中の保健機関に配付され、州や国の保健部の役人が引用する基準となった。多忙な保健の専門家たちは、消毒されていない原著を渉猟するよりも、この簡便で入手が容易な要約集を参考にした。このため保健に関する合衆国中の主な専門家が、フッ素中毒の問題で騙され続けたのだ。〔注9〕
   
1967 10月15日、ピッツバーグプレスが「ピッツバーグの13歳〜15歳の学童の98% が奇形歯を有している」と報道した。この記事は、幼児からのフッ素中毒がこんな不正咬合を作ったとは述べていない。しかし、ピッツバーグ地域にあるアルコアのアルミニウム精錬工場のフッ化水素による中毒は、いまだかつて一度もモニターされたことがない。さらに重要なことには、ピッツバーグの水道は、その15年前の1952年にフッ素化されていたということである。
   
1968 環境保護庁の化学者アービン・ベラックが、燐酸肥料工場から回収される酸性廃棄物に19% のフッ素があることに着目した。彼は、23% の割合でフッ化珪酸を含有するこの高濃度の廃液は、フッ化ナトリウムの代わりにフッ素化の原料として使えると報告した。この廃棄物の量は、アメリカ中の水道をフッ素化してなお余りあるほどある。環境保護庁と公衆衛生局は、安全性のテストも何もせずにこの使用を認め推進した。
   
   ノート: この廃液を合法的に投棄しようとすれば、高度の毒性を有しているため1 ガロンあたり1ドル40セントの費用がかかる。それなのにこの廃液は、今や自治体の水道局に1ガロン60セント以上で売れるのである。その廃液中に含まれる有毒物質の詳細は、売り手の仕様書に書き込まれている。
   
   フッ素化のために売られるこの廃液の量は、何年もの間毎年100 万トンを越えている。このパースぺクティブで見れば、巨大企業がこのスキームを合理化し合法化しようとたくらんでいる時間の長さが簡単に理解できるであろう。悲しいことであるが、このために、今や100 万人以上ものアメリカ人の健康が永久に傷害され放しなのである。
   
   上記のようなことを告発すると、これに対して決って帰ってくる返答はたった一つ、「毒性とは、濃度の機能」であり、水中の1 ppm のフッ素には毒性がないということである。この尤もらしい説明は、フッ素に関して最も重要なこと即ち、フッ素は体内に蓄積するという事実を無視しているのだ。毎日の摂取量が半分であっても、2 倍の時間をかければ同様な中毒の効果が現れる。いってみれば慢性フッ素中毒とは、老年期に入った大多数のアメリカ人が直面する時限爆弾のようなものだ。それは引退期に入った人間の殆どを関節炎にし、さらに増悪させるのである。
   
1970 今ではアメリカの歯磨剤の90% 以上はフッ素入りである。こうなったのも、公正な権威者ででもあるかのように思い込まれているアメリカ歯科医師会が強力にバックアップした宣伝のおかげである。この宣伝は、フッ素をまるで有益な必須元素ででもあるかのように言っているが、事実はフッ素は公的にも、鉛やカドミウム以上の毒物とされているのである。アメリカ人は洗脳されているのであろうか。それはあなた方に決めて頂きたい。
   
1971 ドイツがフッ素化を廃止した。[注10]
   
1971 アラバマ州バーミンガムは南部の鉄鋼都市であるが、ここで悲惨な汚染公害が起こった。何千人もがズキズキと目をやられ喉を傷めた。報道された死者は8人であった。ジョージ・セイベルス市長は、「これはこの地域にある製鉄会社の排煙が原因である」と語っている。気温の逆転のため排煙が3日間も都市の上を覆ったのである。不幸にも、この都市はフッ化水素に対して何の基準も有しておらず、この気体をモニターすることもしていなかったのである。この地方の新聞はこぞってこの公害の原因を「超微粒子」のせいにしたが、この微粒子については何の情報ももたらさなかった。
   
   地元の環境団体であるGASPが環境保護庁に救いを求めたが、国の基準は設定されなかった。それどころか死者さえ出たのにこれに触れもしなかったのである。2か月後、独立機関である全米研究協議会(NRC) が急遽環境保護庁に報告書を提出したが、その中ではこう述べられている。「空気中のフッ素は人間に対して直接傷害を与えるものではない」。この言葉は、もしこれがフッ素イオンのことをいっているのであれば技術的には間違いではないが、この場合の元凶はフッ化水素であり、NRCがこれを知らなかったはずがない。そしてさらに言えば、フッ化水素について何の基準もデータもない時に、NRCのどの委員会がこの物質の安全性について科学的判断を下し得たというのであろう。明らかに合衆国の大気汚染政策は、汚染源や毒をタレ流す者を保護しているのである。
   
1972 アメリカ歯科医師会雑誌が2月号で「歯科医師の収入も住民一人あたりの歯科医療費も、フッ素化されている地域の方が多い」と報告した。歯科医師はフッ素が歯のエナメル質を丈夫にするどころか、却ってこれを脆くすることを少しも考慮していない。その結果、歯が欠けたり砕けたりすると修復はより難しくなり、医療費は高額になるのだ。また、フッ素はエナメル質を多孔性にして、そのため歯の表面がすり減る割合はより高くなるのである。この事実一つをとっても、歯のフッ素処理など拒否するに足る正当な理由がある。
   
1972 スエーデンがフッ素化を廃止した。
   
1973 オランダが憲法でフッ素化を廃止した。[注11]

 1976 CBS の「ニュース年鑑」を見ると、フッ素化地域の歯科医師は人口10万人あたり76.7人であるが、非フッ素化地域では59.6人である。この事実は代表的な30都市について研究した結果に基づいている。これを見て本当に驚くのは、この中にアメリカで最も長いフッ素化の歴史を有する3都市があることである。即ち、ミシガンン州のグランド・ラビッズ市、ニューヨーク州のニューバーグ市、イリノイ州のエバンストン市である。この3都市の歯科医師数は人口10万人あたり平均121人であるが、これは、フッ素化されて25年たった全国平均の2倍以上である。アメリカ歯科医師会が何故こんなに攻撃的にフッ素化を推進するのか、これで簡単に理解が出来よう。

 1980 この年の5月から12月までの間にヒューストンの保健課は、テキサス州におけるフッ素化推進のために1,399,822ドルの配分を受けた。テキサス州保健部はヒューストンの保健機関に対して、どのようにフッ素化を推進していったらいいのか指導して次のように述べている。「政府の低姿勢はこのまま維持されること。市民に対しては、皆さんは何ら地方税を使わずに健康上の利益を受けることができると説得すること。」ここに公衆衛生局のキャンペーンの証拠がある。

 オレゴン州ポートランド市では、メディアでのフッ素化の宣伝のために9万4千ドルも使った。そのうちの5千ドルは、何故フッ素化の法案の通過が失敗したのかについて世論調査するためであった。

 アリゾナ州フェニックス市では、市当局が要望もしなかったのにフッ素化に対して9万ドルもの政府助成金が交付され、このうち38,000ドルはメディアでの宣伝に使うよう用途がきめられていた。ここに公衆衛生局のキャンペーンのさらなる証拠がある。

 1982 ワシントンDCから出版された「水の化学全書」に、水道のフッ素化に使用されるフッ化物は鉛で汚染されていると記載された。さらに述べておくと、このようなフッ化物には強い腐食性があり、このため水道パイプの接合部から鉛が溶出するというのは周知の事実である。パイプの中に水が停滞すれば、水中の鉛汚染は簡単に2倍や3倍になる。さらにこれも又周知の事実であるが、フッ素は水中で鉛と共働作用し、人体への鉛の吸収を増加させるのである。

 1982 1977年に合衆国議会での公聴会の結果命令されたフッ素の発ガン性に関する動物実験のうち、最初の一連の研究を公衆衛生局が指揮した。この研究は1984年まで続いたが、実験計画とその進行過程に過ちがあったという理由でおクラ入りとなった。

 1985 上記の実験の二度目の研究を公衆衛生局が開始した。じつに8年前に発令されたものである。公衆衛生局はこの実験を再度オハイオ州のバテレ記念研究所に委託した。この研究は1987年まで続き、1988年にその結果が公表された。

 1985 合衆国における歯科医療費が、1979年の136 億ドルから1985年には271 億ドルと急増した。この増加は、多くの排出源から環境に浸透するフッ素の量の増加と平行している。歯科医療費のこの増加の割合は6年でほぼ2倍だ。こんな大きな変動はインフレでは説明がつかない。

 1985 環境保護庁が飲料水のフッ素汚染の最大許容量を4 ppm (1リッターあたり4 mg)まで引き上げた。これはかつて1961年に公衆衛生局の手で2.4 ppm に引き上げられていたものである。二回にわたるこの公的な引き上げは、何ら科学的証拠や合理性なしに行われたものである。庁の専門家のユニオンは、この政治的決定に対して、これを阻止すべく法的行動を開始した。

 1986 合衆国における無鉛ガソリンの生産が急激に増加した。この製造の過程では、鉛を使用せずにハイオクタンにするためにフッ化水素の使用が必要である。現在ではフッ化水素は、鉛の代わりに車の排気ガスから放出されている。鉛よりこの方がはるかに有害なのであるが。(Townsent N., Campbell D. ,Deadly Risks of Lead-free Petol. New Statesman, 20 October 1988 を参照) 。

 1987 テキサス州テキサス市、カルフォルニア州トーランス市、オクラホマ州タルサ市などで起こった一連のフッ化水素による事故は、産業用にフッ化水素を使用している現場が公共の安全にとって大きな脅威であることを示している。フッ化水素の溶液が少量漏れたたけでそれは地面をおおう密度の濃いガスとなり数マイルにもわたって致命的である。ごく微量のフッ化水素による曝露の最初の兆候は、混迷、疲労、部分的な記憶喪失、心的な遅鈍などを含む精神的症状である。

 1988 バテレ記念研究所が公衆衛生局に対して、フッ素の発ガン性に関する動物実験の結果を報告書として掲出した。そこには、フッ素とガンの発生の関連性が極めてが強いと述べられていた。このデータは公衆衛生局によって国立毒性計画(NTP)に回送され、NTP は又このデータを実験病理研究所に送り、そこでフッ素推進派に不利となるようなガンのデータを分類しなおしたり削除したりした。この改変されたデータは、その後1989年12月6日に「病理検査グループ」に提出されたが、これは改変に着手してから1年後のことであり、この経緯を環境保護庁は全て知っていた。公衆衛生局は、フッ素が骨ガンを誘発する国立ガン研究所やプロクター・アンド・ギャンブル社のデータも保有していたのであるが、同様にこれらも隠蔽することにした。1年以上もダラダラと時間を空費することで、結局は公衆衛生局は、1977年の議会の命令をマンガにしてしまったのであった。〔注12〕

 1990 プロクター・アンド・ギャンブル社はクレスト(フッ素入り歯磨剤) のテレビの宣伝のために3千万ドルを使っている。3 月5 日のアメリカ歯科医師会新聞は、歯科医師会会長のマイク・オーバーベイがプロクター・アンド・ギャンブル社から10万ドルの小切手を受け取っている写真を掲載した。これはアメリカ歯科医師会が「クレストを推薦商品として認定してから30周年の記念行事」であるという。

 1990 環境保護庁の首席毒物学者であるウイリアム・マーカス博士がクビになった。その理由は、フッ素が発ガン性を有している事実を当局が隠蔽したのを、彼が明らかにしたためである。

 1991 環境保護庁本省に勤務する科学者、技師、弁護士ら1200人で組織するユニオン(労働組合)の副委員長であるロバート・カールトン博士は、環境保護庁科学顧問評議会の飲料水小委員会に出席して、庁が設定した飲料水中のフッ素の汚染許容量基準に関して科学的なウソがあることの証拠を提出した。その後この件に関して、科学顧問評議会は何らの調査も行っていない。

 1991 この年だけで14万3 千トンものフッ素が合衆国の水道に投入された。その主な物質は化学肥料産業の副産物であるフッ化珪酸であるが、この安全性について政府は今日にいたるまで何らの試験も行っていない。

 1992 12月、行政法判事デービッド・A ・クラーク二世は、環境保護庁に対して、ウイリアム・マーカス博士の復職および訴訟費用並びに損害賠償金として5万ドルの支払いを命じた。これで博士は免職の汚名を晴らすことができた。庁は控訴したが、これは1994年に労働省長官ロバート・ライヒによって却下された。同長官は、「マーカス博士が公共に対して真実を語った報復として庁が免職した」と非難している。同長官は、庁が、法廷でマーカス博士に有利になる重要な証拠をシュレッダーにかけて捨ててしまったことを知ったのである。また、この裁判で、マーカス博士側の証人として証言しようとした職員が彼らの上司から脅されたという事実も明らかになった。庁当局はマーカス博士のタイムカードも偽造し、彼が不当に勤務時間を延長したとして告発さえしたのである。

 1997 ワシントンDCにある環境保護庁本省の専門家のユニオンは、1995年に制定されたカルフォルニア州のフッ素化信任委託法を廃止させるための飲料水安全運動の共同後援者になることを満場一致で議決した。政府機関被雇用者全国連盟2050支部は、庁当局の「フッ素に関して庁の立場を方向づける際に行ったデータの改竄と事実の無視」を告発している。この環境保護庁に関する大ニュースはアメリカの大部分で報道されなかったが、これはフッ素に関して報道管制がしかれていることの明らかな証拠である。〔注15〕

 1997 フッ素化を行政に「信任委託」する法案がペンシルヴァニア、カンザス、ワシントンの諸州で否決され、その他にも昨年中に多数の自治体で否決された。これはフッ素問題について世間の関心が高まり、大衆が何かに気付いてきたことの新な現れである。

 1998 過去50年間に産業界が環境に放出したガス状のフッ素や微粒子の量は、2千5百万トンにも昇っていることが決定をみた。フッ化水素が起こす身体症状で最も一般的なものの一つは関節炎であるが、今日ではこの疾患は合衆国の高齢者の殆どに認められる。こんなにも同時発生していながら、なぜこれが調査されないままなのであろうか。答えは簡単。産業界が望まないからである。

 1998 歯科医師の同業団体が財政に対するモチベーションを高めた。カルフォルニア州では、この年の9月に、デルタ歯科計画が10万ドルを、アメリカ歯科医師会が3万ドルを、次第に金がかかるようになってきたカルフォルニア州のフッ素化の取り組みに対する資金援助として与えることを約束した。

 1999 1月21日。インターネットのニュースワイヤー社がこの日に、各市や自治体に対して、2000年問題でコンピュターが誤作動するおそれがある間は、フッ素による死亡事故を防ぐため、フッ素化の装置を水道から切り離しておくよう強く要望した。この25年間に、水道に混ぜるフッ素が過量になったための死亡事故が何回も起こっており、その原因の中にはコントロール・システムの誤動による過度のフッ素の投入によるものがあった。1994年に医学雑誌ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メデシィンは、アラスカにおける過度のフッ素添加による死亡事故についての研究を掲載した。それによれば、アラスカ中の市や学校でフッ素の「過度の混入」が何回も起こっていたことが明らかである。その致命的な過剰投与の危険性は学校において最も高く、体重の少ない児童がより危険なのであった。埋込みコマンド式やコンピュター制御による添加装置は、他に安全だと証明できるまで「危険」だと考えておくべきだ。[注14]


エピローグ 近づきつつある対決

 アルコアは、産業を守るために世間の認識を変えるという最初の計画を、そのまま変えずに、ピッツバーグにおける健康被害の問題を延ばし延ばししてきた。アンドリュー・メロンとオスカー・ユーイングの二人は、フッ素汚染の最大の元凶であるアルコアから、合衆国公衆衛生局を牛耳る立場へと転身した。彼らが就任中の産業にとってよき時代は20年も続き、その間に、人間の健康を守るために創られた機関は、産業を守る機関へと方向転換した。初代長官ウイリアム・ラッケルスハウスに率いられた環境保護庁も、1971年に創設されて以来同様の役割を果してきた。その当時は、フッ素化水素の排出に関する国の基準の必要性が久しく叫ばれていた。1971年1月の環境保護庁が全米記者クラブで行った最初の記者会見で、ラッケルスハウス氏は真面目な顔つきで固くその実現を約束した。しかし、彼も彼の後任者であるラッセル氏もトレイン氏も、何一つしようとはしなかった。

 産業もこれらの政府機関も、事実をあいまいにしておくことにこれまでかなり成功してきた。この成功は、明確に科学で支持されてはいない事柄を権威といわれる立場の者が主張することにより、また、教宣家やプロパガンディストがあらゆる手立てを繰り返すことにより得られたものである。それと同時に、フッ素汚染に反対することはおろかこれを公けの場で議論することさえ、メディアの中では抑圧されてきた。これらが全て相まって、フッ素に関する世間の考え方を誤らせてきたのである。これらを是正する最もよい対策は、何より事実を調査研究することであり、この結果を人々が容易に入手できるようにすることである。そして現在ようやく、数十年にもわたって構築されてきた偽りの仮面を、ラジオのトークショーやテレビ番組、インターネットのサイトなどがひっぱがし始めてきた所である。

 この歴史をもう一度見直すということは、アメリカでは市民に対する挑戦という姿勢にも映りかねない。これがオルダス・ハクスクレーが言った「素晴らしい新世界」なのであろうか。それとも、民主主義とは、全てがフィクションにすぎないものなのか。この国では何千万人という人たちが斑状歯にかかっており、これらは全てフッ素によって引き起こされたものなのである。しかも、この歯牙フッ素症は数が増えるとともに重度も増しつつある。あくまでこれは正常であり、単なる「美容上の」問題にすぎないとして、それで済むのであろうか。(強調原著)

 最近の研究によれば、フッ素は多くの慢性疾患と関連があるといわれており、漠然とした症状としてしか把握できない中枢神経系の傷害とも関係があるとされている。しかし、現在の法律ではフッ素による健康傷害はただ一つ、佝僂性の骨フッ素症だけである。フッ素化を食い止めるためには、我々はまず最初に、我々に遵守を強いている現在の法律に焦点を当てなければならない。

 環境保護庁は「飲料水安全法」の遵守に責任がある。しかし、この法律が蹂躙されてきたことには議論の余地がない。もし、環境保護庁がこの法律の遵守に力を尽くしてきたならば、アメリカにおいて公共水道をフッ素化するなどということは、明らかに違法行為になる。もし、議会が、環境保護庁がこの法律を侵犯してきたことを詳細に調査するならば、フッ素化など国のレベルで葬り去ることが可能であろう。(強調原著)(完)

文  献

.Caldwell, Gladys and Philip Zanfagna, Fluoridation and Truth Decay, Top-Ecol Press, 1974
Exner, F. B., Economic Motives Behind Fluoridation, Aqua Pura, Jan 1966
Griffiths, Joel and Chris Bryson, Fluoride, Teeth, and The Atomic Bomb, 1997
Ronsivalli, L. J., Fluoridation of Public Water Supplies, Mermakk Pub, 1998
Smith, E. G., The Secret War and The Fluoride Conspiracy, Epeius Pub, Australia, 1997
.Valerian, V., Analytical Chronology of Fluoridation, Leading Edge International Research Group, 1997
Government document summaries on fluoride, hydrogen fluoride, sodium fluoride, and fluorosilicic acid, obtained under the Freedom of Information Act.


アメリカ司法省への手紙


合衆国司法省
環境犯罪局御中 
601 Pennsylvania Ave.,NW 6TH Floor
Washington,DC 20004

        飲料水安全法
        飲料水中のフッ素汚染の最大許容量に関する件


 かつて環境保護庁は、飲料水中のフッ素汚染の最大許容量を1リッターあたり4mgと決定しましたが、当局はその際に、フッ素は、20mg/日を20年もしくはそれ以上摂取しても問題がないという間違った数値を根拠と致しました。この計算は、最大10mg/日を10年もしくはそれ以上と訂正されるべきものであります。この数値は全米研究協議会(NRC) が、佝僂性の骨フッ素症を惹起するとした1日あたりのフッ素量の合計を表しているものであります。

 環境保護庁は又、フッ素に対する耐性の個人差と、一生涯の曝露量を考察しないという点でも過ちをおかしております。20年間で人間の一生涯と見なすわけには参りません。

 環境保護庁は更に、関節炎( 第1相および骨フッ素症) を健康の「障害」と考えず、醜い歯牙フッ素症も健康障害ではなく単なる「美容」の問題にすぎないとした点で、飲料水安全法の精神を蹂躪しているといわなくてはなりません。

 環境保護庁が設定したフッ素汚染の最大許容量はあまりにも高く、これでは法律が要求している安全幅を与えることは不可能です。さらに上記の過ちに加えて、環境保護庁は日常生活の背景にあるフッ素の量も無視しております。50年前と異なり、飲料水によって供給されるフッ素の量は、現在では数倍にも昇り得るものです。要するに、環境保護庁は、時代遅れの不正確な情報を根拠としているのであります。

 環境保護庁は、法律にもとづいて、この最大許容量を再度計算し直さねばなりません。佝僂性骨フッ素症を惹起するフッ素の最小量を1日あたり20mgで20年とした彼らの数値は、1953年にハロルド・H・ホッジ博士が計算ミスをした誤った数値なのであり、彼自身これを1979年に訂正しているものであります。NASもNRCも、彼らの数値を1993年に訂正しております。現在では、この最小量は1 日あたり10mgを10年間と考えられており、一生涯フッ素を摂取し続けるか、可溶性フッ化物の毒性に作用されやすい人間では、この量はこれよりはるかに少なくなるとされているものであります。しかしながら環境保護庁当局は、頑固にこれらの事実を無視し続けているのです。

 私が本日貴職にこの手紙を差し上げた理由は、合衆国環境保護庁をしてこの法律を遵守せしむるため、貴職のご尽力を懇望するためであります。


文  献


The Safe Drinking Water Act, 42 U.S.C. 300f, et seq.
National Primary Drinking Water Regulations; Fluoride, Federal Register, 50(220): 47142-47171, Nov. 14, 1985.
National Academy of Sciences / National Research Council, HEALTH EFFECTS OF INGESTED    FLUORIDE, 1993, p 59.
U.S. Department of Health & Human Services, REVIEW OF FLUORIDE BENEFITS AND RISKS, 1991, page 46. See images of the USDHHS symptoms & NAS/NRC dosage figures at: http://move.to/stopfluoride


敬具
フィリップ・ヘーゲン

訳者による脚注と解説

〔注1〕
 フッ素症の蔓延は中国ではさらに深刻で、1994年に北京で国際フッ素研究学会が開催された時の示説では、軽症患者を含めると、ほぼ人口の9%に達するという。殆ど信じられない数である。A・K・スシーラ博士はインドのフッ素中毒症研究の第一人者。同時に、水道水フッ素化を始め、フッ素の歯科応用の批判者としても世界的に著明。博士の持論。「フッ素症にはいまだ治療方法がない。この病気には予防しかない。その予防とは、余分なフッ素を1mgといえども摂取しないことである。」


〔注2〕
これに関する情報は、 「フッ素と歯、そして原爆( ジョエル・グリフィス、クリス・ブライソン著、村上 徹訳) 」(フッ素研究 No.17, 1997) に詳しい。


〔注3〕
 原爆に何故フッ素が関係してくるのかというと、一言でいえば、ウランやプルトニウムの精錬にフッ素が不可欠だからである。以下、簡単に解説する。
 鉱石として採掘される天然ウランは殆どがU238であるが、0.7%の割合で同位体のU235が存在する。核分裂に利用できるのはU235だけである。従って、多量のU235を取り出すためには、この0.7%の割合を何とかして増加、つまり濃縮させ、原爆に使用できる純度の80%にまで高めなければならない。このために考案されたのが、ウランをフッ化水素と化合させて気体の6フッ化ウラン〔暗号名ヘックス〕にし、僅かな比重の差を利用して両者を分離する方法である。この方法はニールス・ボーアでさえ「合衆国を一つの巨大な工場にしてしまわないかぎり無理だ」と考えていたと伝えられているが、原爆の製造に関与した多くの天才的頭脳がこれを可能にした。ちなみに、広島に投下された原爆はウラン爆弾で、その中の金属U235の総量は64kgであった。一方、長崎に投下されたのはプルトニウム爆弾で、それに使用される金属プルトニウムは、プルトニウムのフッ化物を還元して作られる。(リチャード・ローズ:原子爆弾の誕生・上・下・紀伊國屋書店・1995と、同著者(Richard Rhodes):DARK SUN The making of the hydrogen bomb, TOUCHSTONE BOOK, 1996を参照) 。
 アメリカでは一貫して隠蔽されているフッ素公害を追求している医学ライターのジョエル・グリフィスらが、秀作レポート「フッ素と歯、そして原爆」の中で、マンハッタン計画のためにデュポンが何百万ポンドものフッ素の製造を請け負い、その工場の周辺で深刻なフッ素公害が起こったと書いているのは、今なお隠蔽されているこのフッ化水素の製造にまつわる秘話である。
 さて、U235を分離した残りカスのU238は、当面何の利用価値もないまま廃棄物として夥しい量が放置されていたが、固くて重い性質に着目され、最近になって無料で企業に払下げられ、金属に精錬されて砲弾や戦車の装甲に使用されるようになった。これが劣化ウランである。
 劣化ウラン弾はイラクとの湾岸戦争で始めて大量に使用され、目を見張るような戦果をあげたのは日本でもよく知られていよう。厄介なことにこの劣化ウランにも、余り強くはないものの放射能があり、その半減期は何と45億年である。
 現在、湾岸戦争の被災者や当事国の兵士に「ガルフウォー・シンドローム」という深刻な健康傷害が起こりつつあるのは、この時の爆弾や砲弾の爆発から超微粒子となって飛び散った劣化ウランに被曝したためとされているが、何しろ大量に使用され、しかも半減期が45億年なので、チェルノブイリの事故のように全地球がやがてこれに汚染されるのは目に見えている。湾岸戦争がもう一つの核戦争と言われ、アメリカの知識人らが問題にしつつある所以であるが、わが国でこの実体が殆ど知られていないのはフッ素問題と同様であろう。(新倉 修/ 監訳・劣化ウラン弾・日本評論社・1998を参照)


〔注4〕
これが露骨なディスインフォメーションというものであるが、後年になるとこの手口が巧妙になり、簡単には真偽の見極めが難しくなり、そのために幾多の原著を付き合わせる煩瑣な考証が必要になって行く。まさに諜報の世界である。
 カナダ、カルガリー大学D・H・ヒル名誉教授は、ジェット機のテストパイロットという軍務経験があり、今なお国際学術雑誌の編集長をしている科学者であるが、カルガリー市のフッ素化問題に際して市当局に膨大な意見書を提出し、その中で、アメリカ厚生省の見解とされる『フッ化物の検討・その効用とリスク(1991)』(フッ素に関するアド・ホック委員会報告)(原文:U.S. Department of Health & Human Services,REVIEW OF FLUORIDE BENEFITS AND RISKS,1991)を「大企業に奉仕するディスインフォメーション」として厳しく批判している。
[参照:http://www.cadvision.com/fluoride/calgary.htm]
[参照:村上 徹・インターネットで見る歯科関係情報・群馬県歯科医学会雑誌・第2巻・26-29頁・1998] 


〔注5〕
 この石炭によるフッ素中毒は、今なお中国内陸部の貧困地帯では深刻である。これは、粗悪な石炭を室内で煙突なしに燃やすことによって呼吸器よりフッ素の曝露を受け、さらにそのフッ素が室内で薫蒸する食物を汚染し、それを経口的に加重摂取することにより生じている場合が多い。そして、多くはフッ素と同時にヒ素にも複合汚染されるため、状況は悲惨である。「煙突をつける金さえあれば、この病気は相当防げるのですよ」と知人の中国人衛生学者は悔しそうに私に話した。


〔注6〕
 フッ素に脳機能に対する為害性があることは今日では常識である。ここでこの研究が極秘とされたのは、原爆のほか、フッ素が「化学兵器」すなわち「神経ガス」と深く関係しているからであろう。前記[注3]のデュポンの公害事件の際のマンハッタン計画の対策会議に、合衆国化学戦当局の係官が出席しているのがその証拠である。
 代表的な神経ガスには、「タブン」(米軍の通称:GA)、「サリン」(GB)、「ソマン」(GD)があり、この順に毒性が強烈になる。フッ素を含んでいないタブンは、毒力が比較的弱いため現在では殆どの国で製造されていないと言われている。すなわち、現代のあらゆる神経ガスはフッ化物だといえる。オウムが作ったのも、純度は不明だが、このサリンであろう。

 フッ化物であるサリンとソマンは、いずれも、戦前のドイツの世界的化学工業トラストであったイーゲー・ファルベン(IG-Farben)によって開発された。ちなみにサリンという名称は、開発に従事した4人の人物すなわち、Schrader, Ambros, Rudriger, Van Der Lindeの頭字語である。
[参照: http://www.trufax.org/fluoride/apathy.html]

 サリンの構造式は(CH3)2CH-(CH3-)POFで、その毒性は松本サリン事件や地下鉄サリン事件でよく知られているとおりであるが、コリンエステラーゼを阻害することにより、コリン作動性神経刺激を遮断して、全身のマヒや窒息死を来す。しかし驚いたことに、これに水かイソプロピル、または水酸化ナトリウムを添加してFを抜き去ると、サリンは一挙に無毒化する。
 この機序は、サリンの毒性の本質即ち、生体内でのサリンからのFの脱離および、その部分へのコリンエステラーゼの結合によるアセチルコリンの分解の阻害を、予めFを抜くことによって防止するという所にある。即ち、フッ素はサリンの毒性の上で決定的な働きをしているのである。ちなみに、1995年3月の地下鉄サリン事件の際に、地下鉄のホームや車両で防護服に身を固めた人たちが撒いていた物質は、水酸化ナトリウムだったという。
[参照:常石敬一・20世紀の化学物質・122頁・日本放送出版協会・1999]
 このサリンの製法は善良なる一市民の伺い知れぬ所だが、恐らくフッ化ナトリウムに強酸等を作用させてフッ化水素を作り、それを有機リン等と化合させるのだろうと推測される。オウムのアジトから、トラックに積みきれないくらいの量のセメント袋のようなフッ化ナトリウム(フッ化ソーダ)が押収されたのは、テレビ等でまだ皆さんはよくご記憶であろう。
 このフッ化ナトリウムでさえ、2.5〜5gの内服で人間を殺傷する毒力がある。一チューブのフッ化ナトリウム入り歯磨剤を幼児が間違って全部呑み込むと、まず間違いなく死亡するだろう。微量とはいえ、こんなものを歯磨剤に入れたり、うがい剤にしたりするというのは正気の沙汰とは思えない。(尤も文献を調べて見ると、今世紀初頭あたりのドイツでは、放射能には強壮作用があると信じられており、複数の社が弱い放射性物質であるトリウムを歯磨剤の中に混ぜて発売し、評判になったという。ラジウム温泉などというのも、この迷信の名残であろう。)

 フッ化ナトリウムは、胃液中の塩酸と反応して、フッ化水素(酸)を形成する。フッ化水素はコリンエステラーゼを阻害するとともに、激しい腐触作用で皮膚や粘膜を損傷する。フッ素液でうがいをして、その液を呑み込むと気分が悪くなる人が出るのは、胃粘膜が微量のフッ化水素でただれるせいである。(しかし、殆どの患者は、歯科医師からこんな話は聞かされないため、何で気分が悪くなったかはわからないまま、胃薬を飲んだりする。)無知な歯科医師の薦めるフッ素など絶対に拒否すべきだ。
 アメリカでは、歯科医院でフッ素塗布をして幼児が死亡し、莫大な賠償金を支払ったケースがあるが、こんな情報はフッ素を薦める歯科医師からはまず得ることはできない。
[参照: http://www.opcw.nl/info.htm ]


[注7]
 このプロパガンダは日本でも、様々な学術書にまで浸透している。一例を挙げれば、日本で初めてフッ素化を実施した美濃口 玄教授ら一門の「水道弗素化量に関する文献的考察」(小山一ほか・1962・日本口腔科学会雑誌)という論文は、フッ素に批判的な副島侃二教授らに対して、学術論文でありながら次のようにキメ付けている。
 「アメリカ歯科医師会の(略)ごく最近の見解によれば、「弗素反対の声について、それを分析してみると大体次のようである。(略)歯科医師という高いクラスの人々の主張に対して、事実の善悪にかかわらず、多少ともそれより低クラスと考えられる人は、歯科医の主張に故意に反対する。特に教養の低いものに反対が強い。」

 また、フッ素応用に関する歯科医師や歯学生の教科書という触れ込みの『フッ素とう蝕』と言う訳本(飯塚喜一ら・1975)には、フッ素に反対する人たちについてわざわざ一章を設けて言及されており、「反対者は、比較的低収入であり、職業も中程度か低レベルの人たちであって多くは高校も出ていないのに、賛成者は専門家、管理職に多く、大部分は大卒である」と言うような記述が堂々と載っている。
 さらに奇怪なのは、日本歯科医師会の『弗化物調査委員会報告書』(1971)で、口腔衛生学者、厚生省歯科衛生課長らが合議したあげく、次のような極めて低次元の文言を記録にとどめた。
 「上水道のフッ化物添加に関しては、毒物学的観点から、いまだに反対の声もある。しかし、根拠をもった反対はなく、観念的なもの、空想的なもの、幻想的なもの、先入観からのものがほとんどである(略)。」この結果、フッ素に批判的な歯科医師は少しおかしな連中であるという空気が歯科界に広がった。


[注8]
 アメリカでは1997年4月より、フッ素を含む歯磨剤等の歯科用品には、「毒性」を警告するラベルを添付しないと販売出来ないことになった。このラベルには、「ごく少量しか使用するなと」という注意と共に、「幼児の手の届くところには絶対に置くな」とか、「もし歯磨きに使う量以上を呑み込んだらすぐ医者に行くか中毒センターに連絡せよ」とも書かれている。
 ひるがえってわが国の実状を調べてみると、フッ素入りと明示してなくともフッ素入りの歯磨剤が堂々と販売されているのには呆れるばかりである。特に幼児向けの歯磨剤には、子供が好きそうな味付けとともに、全部フッ素が入っていると考えて間違いがない。入っているものには[薬用成分]という箇所に、虫眼鏡で見なければ見えないような小さな字で印刷されている。
 安全性について行政が鈍感なのは今に始まったことではないが、薬務行政のうえで薬害エイズの教訓が一向に生かされていないのは、市民として警戒しなければならない。
[参照:フッ素研究17号・1997・50-52頁]


[注9]
 ケタリング研究所のこの要約集が如何に原著を歪曲したものであるかは、アメリカの一市民が詳細に突き合わせ調査を行って明らかになった。この結果、NRC(日本の学術会議に匹敵する組織)でも激しい議論を呼んでいる。まさに科学論文の衣をまとったディスインフォメーションの典型である。なお、ここで使用されている「消毒」という用語は、不利になる証拠や人間を抹殺する意味として、諜報界ではよく使われる言葉である。
[参照: http://www.sonic.net/kryptox/history/hodge2.htm] [ http://www.sonic.net/kryptox/essays/dareto.htm]


[注10]
  西独のフッ素問題の顛末については、ドイツ・ガス水道専門家協会発行の『飲料水フッ素化の問題に対する証明記録』(1975)(翻訳掲載・フッ素研究第二号・1981)に詳しく述べられている。


[注11]
 オランダでは、水道にフッ素を添加することは憲法で非合法とされている。単なる法律での禁止といった簡単な規定ではない。憲法を改正しない限り、フッ素化は実施不可能なのである。数ある先進国のうち、これほど厳しい規定を設けているのはオランダだけである。
 このような決定がなされるまでの闘争の経緯については「フッ素と虫歯」(高橋晄正編著・三一書房)にある程度書かれている。内科医ハンス・ムーレンバーグ博士ら医師グループのフッ素毒に関する綿密な研究と、それに基づく献身的な啓蒙活動が実を結んだのである。博士の「フッ素:自由への闘争」という著書には、要約次のような記述がある。
 「フッ素と言う毒物を水道水に添加して集団的強制的に国民に投与しようとするのは、完全に独裁者のやり方だ。アメリカの『フッ素化信任委託法』などはまさにこの現れである。アメリカ人やイギリス人は、独裁者ヒットラーと戦ったことはあっても支配された経験がないので、これが傲慢な一部のエリートの独裁的な発想だということがなかなか分からないようだ。また、分かっている人も、独裁者と闘うゲリラ戦の経験がないものだから、どう対応したらいいのか分からないでいるらしい。アメリカやイギリスでフッ素の反対運動がなかなか実を結ばないのも、ここら辺に理由があるのだろう。
 自由というものは、侵害されるのは簡単だが、ひとたび侵害されてしまったら、それを取り戻すのは実に容易ではない。私がフッ素化主義者と戦ったのも、ナチにやられた経験があったればこそだ。」

 ムーレンバーグ博士の直感は、まことに鋭かったと言わねばならない。当時博士は知らなかったようであるが、後年明らかになった史実によれば、歴史上初めて飲料水にフッ素(フッ化ナトリウム)が添加されたのはナチの強制収容所においてであり、その目的は、被収容者の知力を鈍化させて反抗心を削ぎ、無気力にするためであった。そして、このフッ素化装置を運営したのは、サリンの製造元のイーゲー・ファルベンだった。
 ナチスドイツとソ連とはある時期、不可侵条約を締結していたことがあり、様々な情報交換をしていた。その中の一つにこのフッ素化があり、これは理想的なマス・コントロールの手段として、ナチ参謀よりソ連参謀を介してスターリンに伝えられた。そこで彼も、自国の強制収容所で早速実行に移したという。
 やがてドイツはソ連と交戦するに至るが、このソ連をアメリカは極秘裏に極力援助した。その内容が、また想像もつかない程のものである。7926機の航空機を含む艦船、様々な工場プラントとその技術援助というだけでもびっくりするが、何と超極秘の原爆の設計図や1200ポンドの精製ウラン鉱石、2ポンドの精錬ウランや重水までが大量のフッ化ナトリウムと共に供与された。

 この時のアメリカの輸送基地に連絡将校として勤務したジョージ・R・ジョーダン空軍少佐は、後にこの事実を議会で証言し、著書を出版した。この本はアメリカの大きな図書館にでも行かない限り読めそうもないが、要旨はインターネットで公開されており、ピュリッツアー賞を受賞したRichard Rhodesの近作DARK SUN, The making of the hydrogen bomb,  TOUCHSTONE BOOK, 1996 に「ラシャン・コネクション」として一部分引用されている。少佐の議会での証言によると、物資の輸送にあたったロシア人らは、「フッ化ナトリウムは強制収容所の囚人の精神を鈍化、痴呆化させて、媚びへつらわせるため飲料水に混ぜるのだ」と言っていたという。戦後KGBの強権下に置かれたソ連の諸都市でフッ素化がかなり普及していたのは、おそらくこの名残である。
 これらの独裁者は、別に虫歯の予防に熱心であったわけではない。フッ化ナトリウムが脳機能を障害する力を利用していただけである。これが目に見えないロボトミーと言われる所以である。
 かつて第二次大戦中、ナチの強制収容所に収容され、危うく難を逃れてアメリカに移住したE.H.ブローナーは、アインシュタインの姪としてより、嚇々たる業績ある化学者として知られていたと言われるが、早くも1952年に、マサチュセッツのある都市でのフッ素化の計画に対して痛烈な批判を展開し、フッ化ナトリウムの性質を市民に説明するとともに、アメリカの行政がこんな手法に走るのは「まさに狂気の沙汰の犯罪であり、国家を崩壊に至らしめる自殺行為だ」と極言していた一文(The Catholic Mirror, Springfield, MA, January1952) が最近インターネットで明らかにされた。まさに肺腑の言というべきであるが、戦後の好況に浮かれていたアメリカ国民の心には届かなかった。
 このナチの「水道を通じての集団投薬」という思想が、ドイツやソ連からアメリカに伝わった経緯は、実に奇々怪々としか言いようがない。
[参照: http://www.sonic.net/kryptox/editors/moolen.htm]http://www.trufax.org/fluoride/apathy.html


[注12]
 この経緯についてはジョン・イアムイアニス博士の「フッ素化が何で虫歯の予防になるのか」(フッ素研究・第11号、6-12頁)に詳しい。NTP研究はアメリカでも権威ある研究機構と言われ、日本の医学者らには無条件で信奉する者が多いが、政治的圧力(産軍複合体の力)に科学が簡単に膝を屈する現状はよく見ておかなくてはならない。落合信彦氏がしばしば警告するアメリカの産軍複合体とは、まことに凄まじい存在である。


[注13]
 この地下鉄サリン事件を上回る公害事件は、「フッ素と歯、そして原爆」の共著者である気鋭なジャーナリスト、クリス・ブライソンによって今なお追跡調査されているが、企業と行政の隠蔽作戦はいまだに徹底を極めているようであり、殆どの手がかりが失われてしまっているという。その様子はインターネットで公開されている。ちなみに、フッ化水素の毒性はサリンと同様、コリンエステラーゼを阻害することによる。サリンと同様な症状が出るのは当然である。
[参照: http://www.enviroweb.org/pen/issues/fluoride/donora-fog.html]


[注14]
 ニュースワイヤー社は、地域住民の「生活の安全を守るための選択肢の提供」を目的としているインターネットによる情報提供会社。参考のため、このニュースワイヤー社の記事の全文を引用しておく。
Y2KNEWSWIRE.COM Urges Municipalities To Cease Water Fluoridation During Y2K
Cody, Wyoming; January 21, 1999 ・
Y2KNEWSWIRE.COM today urged cities and municipalities to disconnect water fluoridation equipment during the Y2K rollover to prevent possible fluoride fatalities. Over the last 25 years, fatalities have occurred when fluoride saturation levels ran too high; some due to faulty flow control systems. In 1994, the New England Journal of Medicine published a study of a fatal fluoride overdose incident in Alaska, and dozens of verified fluoride "overfeeds" have occurred in cities and schools across the country.
 Fluoride is highly toxic and can be fatal even in very small doses. Consumer protections groups -- including, "Citizens For Safe Drinking Water" -- have been fighting fluoridation of the nation's water supplies for years. Now the Year 2000 problem presents a new risk to fluoridation: the possibility that control systems might malfunction, dumping fatal doses of fluoride into city water supplies.

 A story related by Senator Bennett (R-Utah) and reported by the Salt Lake Tribune on January 18 describes such an incident, "Curious about what would happen when the new millennium ticks in, a water-purification plant in Utah set its clocks ahead to Jan. 1, 2000. With computers ill-equipped to handle the new date, the plant malfunctioned, dumping poisonous quantities of chlorine and other chemicals into the water."

 On July 1, 1996, a national fluoridation engineer writing for the Centers for Disease Control and Prevention wrote, "When communities fluoridate their drinking water, a potential always exists for a fluoride overfeed." The risk of a fatal fluoride overdose is highest in schools, where the low body weight of children increases the risk of fluoride fatalities.

 Fluoridation equipment that is not electronic or chip-controlled does not have a Y2K risk, but saturation devices based on embedded systems or computer controls should be considered "unsafe" until proven otherwise. As a precaution, Y2KNEWSWIRE.COM recommends that people avoid drinking from fluoridated city water supplies and that parents do not allow their children to drink water from a school until the risk of fluoride poisoning has been eliminated


〔注15〕
現在、このユニオンは、母体である環境保護庁の方針を厳しく批判し、フッ素化は国民の健康に危害を加えるものとして公然と反対している。
[参照: http://www.rvi.net/~fluoride/070797.htm]

 

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