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開局80周年NHK広島 ドラマ「帽子」 8月2日放映予定
http://www.asyura2.com/08/wara3/msg/522.html
投稿者 gataro 日時 2008 年 7 月 29 日 10:39:28: KbIx4LOvH6Ccw
 

http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10121247340.html から転載。

2008-07-29 09:20:27
gataro-cloneの投稿

開局80周年NHK広島 ドラマ「帽子」 8月2日放映予定
テーマ:戦争責任(歴史)


http://www.nhk.or.jp/hiroshima/eighty/boushi/index.html

完成記者会見の模様はこちら ⇒

http://www.nhk.or.jp/pr-movie/index.html?id=0121

予告編はこちら ⇒

http://www.nhk.or.jp/hiroshima/eighty/boushi/movie/index.html

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以下は「しんぶん赤旗」7月27日付テレビ・ラジオ版から直接貼り付け。

ドラマ「帽子」を語る(上) 体内被爆と広島・呉の記憶/街とともに人生も変わる

 NHK広島放送局の開局80周年ドラマ「帽子」が来月2日(後9.00)放送されます。胎内被爆を題材に、広島県呉市から東京へ、男女3人の再会と、生きる誇りを取り戻す物語です。脚本の池端俊策さんは、この作品を書くことで、故郷・呉の風化しそうな記憶を「もう1回味わいたい」と思いを語りました。

 呉は戦時中、軍港の街として栄えました。1945年、戦争が終わり「育った呉という街は、戦後、まったく違った街になりました。私は戦後生まれですが、親から聞かされました。人の人生が街とともに変わっていくというのは、とてもドラマチックです。ドラマの素材になるかなと思ったんです」

 軍帽と学生帽

 物語の主人公は、70歳を超えた帽子職人・高山春平(緒形拳)。池端さんは知り合いの帽子屋さんから、かつて軍帽を作っていたが、戦後は、学生帽を作っているという話を聞き、発想が芽生えました。

 「学生帽は、人の立場をはっきりさせているものでした。みなが、学生帽をかぶらなくなって、等しく外を歩いている、いい面もあるけど、さびしさもあります。そういう古さを感じさせる職業をドラマにしようと決めたんです」

 ドラマでは、帽子の注文が減っているうえに、物忘れが始まり、後継者もいない春平は、職人としての誇りを失いかけています。そのうえ、東京で暮らす息子が依頼した警備会社のカメラで安否確認とはいえ、監視される毎日です。

 「物忘れは、時間も忘れるんですよ。仕事で使うハサミを、いつどこに置いたんだと、近い記憶が薄れていく。年をとれば、昨日のことは忘れるけど、大昔のことはおぼえている。昔死んだ夫を、昨日まで生きていたようにいうおばあちゃんがいますね。この作品の中では、昔と今を行ったり来たりするような現象が起きてるんです」

 そのきっかけは、春平の家の巡回を担当している警備員の河原吾朗(玉山鉄二)という若者です。ふとしたことから、吾朗を捨てた母親が、春平の幼なじみの竹本世津(田中祐子)であることを知ります。胎内被爆者の世津は東京にすみ、がんで余命わずかでした。

 「一般に言われるボケが姶まり、世津との恋愛が昨日のことのように感じる。別れた痛み、当時、世津が抱えていた胎内被爆者ゆえの苦しみやつらさを、春平は今の出来事のように感じる。だから会いたいと思うわけです」

 内向する思い

 池端さんは“胎内被爆の世代”です。体が弱く、体育の授業を休んでいた同級生も少なくありませんでした。その親たちは被爆者手帳を持ち、定期健診を受けていました。「呉は広島から1時間以内で行ける場所ですから、それは常識であり、日常の出来事でした」

 「原爆を直接経験したわけではなく、胎内で音を聞き、おとなから話を聞いた世代です。皮膚のただれ、阿鼻(あび)叫喚を体験したわけではない、恐ろしさを大声で叫ぶ根拠がないわけです。思いは内向していくんですね」

 物語は、世津が、胎内被爆者の偏見から離婚させられたこと、別れた息子・吾朗との関係も描きます。春平は、かつて世津を「のほほんと生きろ」と励まし、一生懸命支えてくれた人。世津は春平と音信不通になった後も、彼が作った水兵帽をそばに置き、生きる糧にしていました。その帽子は春平の職人としての「生きる誇り」が詰まったものでした。

 そして池端さんがこの作品を書いた糧は…。

 「子どものころ、おとなたちのおぞましい原爆体験談を刷り込まれています。呉のおとなたちは、人類史上初の原爆の被害者なんだけれども、同時に戦争を起こした加害者なんだという複雑な心理を語っていました。呉で見聞きしたことは自分の生き方そのものです。そのことを忘れてしまうことは切ない。年を取ると記憶が薄れていきます。悲しいんです、忘れていくことは。原爆なんか冗談じゃないということを前提にして作品を書き上げました」

 いけはた・しゅんさく 1946年、広島県呉市生まれ。今村昌平監督の脚本助手となり映画「楢山節考」の第一稿を手がける。第3回向田邦子賞受賞。作品は、大河ドラマ「太平記」(NHK)、映画「優駿」など多数。

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以下は「しんぶん赤旗」7月28日付テレビ・ラジオ版から直接貼り付け。

ドラマ「帽子」を語る(下) 緒方 拳 広島でなければとれない作品j/田中祐子 原爆や戦争を新鮮な描き方で

出演者

 開局80年のNHK広島放送局制作のドラマ「帽子」(8月2日、後9.00)の出演者が思いを語りました。

 仕事の誇りを失いかけている帽子職人・春平を演じた緒形拳は「原爆へ戦争といった重要なテーマが盛り込まれていて、広島でなければ、呉でなければ撮れない作品になったと思います。せりふのひとつひとつにに宝石をちりばめたような池端俊策さんの脚本に出合えたことに感謝です。呉という街で、ひっそりと働いている青年と、おじいさんの二人の話がうまく伝わればいいなと思っています」。

 その青年・吾朗にふんするのは玉山鉄二です。

 「緒形さんという偉大な方に出会えたことが本当に幸せでした。今28歳ですが、30歳を前にして、自信や誇りを少しなくしたり、ちょっとシビアになったりしている自分がいます。そういう時期に、吾朗を演じられて本当によかったと思っています。作品を糧に、俳優として精進していきたいと思います」と役と自分を重ねます。

 春平の幼なじみであり、吾朗の別れた母親・世津を務めた田中裕子は「池端さんの台本には戦争で人が死ぬシーン、悲惨なシーンはありません(原爆や戦争を描くこういう作品があるんだなと、こういう見せ方があるんだなと、とても新鮮でした」と語りました。

 田中は、胎内被爆したために人生の苦難を経験し、やっと得た東京でのおだやかな生活も、末期がんで失うという役どころです。

 「若い時、春平にいちゃんが、世津に、のほほんと生きろと言います。世津は胎内被爆という、悲しい現実を背負っているわけで、その現実がなかったら、のほほんという言葉が、違ったものになったと思います。だから、彼女の人生は、のほほんにいきつくまでの歳月だったのではないでしょうか」

 主題歌「空に咲く花」を歌ったのが元ちとせ。「広島に行ってあらためて戦争の恐ろしさであったり、悲しさであったり、教えていただきました。それを語り継いでくれた広島の方々に、今平和であることに感謝を込め、希望や夢を描くような気持ちになる曲を届けられたらいいな、と歌いました。ドラマを見せていただいて何度も涙しました。心が温まりました」

 

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