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Re: 残念だが
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投稿者 金十字架 日時 2009 年 5 月 27 日 00:12:35: mfAWtS4GF8MpY
 

(回答先: 陰謀大好きなようだね。 投稿者 Ddog 日時 2009 年 5 月 25 日 00:42:04)

概ね君の言いたい事は理解しているつもりだ
確かにそうした「倒錯した優越感」を
所持しているように見えてしまう 
実のところ君の言う事に気に障る点などない

しかし君の言う「倒錯した優越感」なるものに
私の注意した事が当て嵌まるという覚えも無い

何度も言うことではないが
君が「脳内麻薬」について曲解している点
その点についてのみ君に意見したのだ

そしてまだ解ってもらえてないらしい
だからもう一度この場を借りて説明させてもらう

まず「脳内麻薬」が分泌されることで君の当て嵌めたがっている
「倒錯した優越感」を引き起こす事などは絶対に起こらない

脳内麻薬が分泌されれば至福感を得られる
心が満たされるという事だ
心が満たされている者が何故
欲求のはけ口を求めて暴走するのかね

「至福感を得られる」という響きだけで
そうした曲解に導かれているのだと思うが

現実にそれを味わった事のある者しか
理解出来ないのだろうと思う
快楽を得んとして
体外から投与するドラッグとは別なのだよ

むしろそれによって理性が働く為に正反対の事が起きる

そしてまた逆に「倒錯した優越感」が「脳内麻薬」を誘発することなどもない

君の陰謀論に対する嫌悪感の旨
その主張自体は概ね理解する

しかし「脳内麻薬」というのは
人間に与えられている痛みや苦痛を沈静させ
及んでは理性を活性化させ
興奮や欲求を抑える為に働くものである事を知っておくべきだ

「迷い」に入っていく為に使われるドラッグとは真逆の
迷いに瀕することあってもいつでも
「自然」本来の人の姿を取り戻す為に「与えられしもの」だ

よってそれを分泌させるにも技術が必要となる
それには人の「感謝心」「懺悔心」「畏敬心」が
最も重要となる
そして姿勢
そして集中力
そして欲を捨て去る志
そして何より素直さが一番大切だ

君が言っているのは興奮や快感を促し増長させる
手軽な「ドラッグ」の事
そんなものと一緒にしないでほしい

何度も言うべき事でないが「正反対」である

「倒錯した優越感」なるものが誘発するのは
さらなる刺激と興奮だけであろう

何を調べて得た知織かは私は知る由はないが
君自身の経験に基づかない話であるならそれもおかしな話だ

君自身迷いの中から抜け出せておらぬのに
世を正しきに導こうとするのはおかしな話だ

そんな事を似たもの同士が互いにここでやっていてどうする
すべき事はまず自身がその迷いの中から抜け出す事
ただ自然本来の人の姿に「還る」だけの事

以上の点
私へ返答された君の主張の一つを完全な間違いと私は判断する
その上で君にもう一度問う

君が間違いを起こさない為に
考え直すきっかけをここに提示する
君が汚点を残さぬように

誤解ばかりが生まれても仕方が無い
少しばかり私の事を話そう
ありのままに聞いてもらいたい


基本的に私は自身の事はどうでも良い
また誰かが思うような身分や地位を私は有していない
そうしたものを生涯求める事も無いだろう
多分君は不可思議に思うかもしれないが
私は人というものはそうでなくてはならないと思っている
私はそれでいて充ち足りて居るからだ

君が思う人間らしさとは何か
"そうした"欲求に素直な動物の本能的性質を
君は「人間らしさ」だといいたいのなら
私はそうしたものはとっくに捨てていると言っていい

私は喜びもまた必要以上のものは要らない

故に心に錘も無く体は常に軽い
そして何怯えるものも無い

死を恐れぬとまではいかないが
実際果たすべきを果たせば
私は喜んで死を迎え始めるだろう

本来死を恐れぬと言い張る者は
生きる事に不安も無い筈であるだろう

死を恐れぬと吐いて
自ら死に走るような事は無い筈だろう

裏を読むということは必要な事である
昨今のここを見れば行き過ぎと感じるものも少なくない
ただどのような状況下で人間はそのような人間性に陥るかを
少し裏読みするのもいいだろう

表を裏に見るということは実は理想主義者の得意とする所でもある
理想に準じて「人」というものを正しく見ようとする事で
本来歪だった人の心を取り戻す事さえ出来る

私の見る世界は明るい
目に映る周囲の人も皆明るい
額は常に開ききっている

しかし私もまた単純に言えば
人生の半分を無駄に過ごして来たと言っていい愚図らな人間だ

そんな私は昨日
野に放たれた人なつこい兎を目にする数分前に
こんな事を思っていた

「仮にこの一生涯で得た経験則のみをそのままに
もう一度同じ人生をやり直せる事が出来たとしても
私は淡々とその時を待ち
淡々と状況をただ目で追い
やり過ごしてくるだろう」と

あの時ああしていれば
あの時こうしていれば

その状況下に再び置かれても
それが出来なかった状況とタイミングを事実として再確認するだけだろうと

「故人にあの言葉をあの時点で掛けていれば何かが変わっただろうか」
等という事がもし心に有っても
それは今こうして
「あの時掛けたい言葉はこうだった」とひとり空に漏らす事で
なんら足りる事ではないかと思いさえする

それよりそれらはすべて「今」に繋がっている
大事なのは常に「今」だ

疲れている者を見かければ
癒そうとする心が常に働く

「どのように声を掛け何が効果あるのか」
「声を掛けるべきか否か」
考えるまでもなく行動に起こせずして
知識なるものに意味など無い

世に役立たぬ思考や知識などゴミ以下だ
実績としてやれる事から手を付ける

対象となる相手の心になんら無理解のままに踏み込み
ただ人を罵る事や同情する事など
そんなこと等誰にでも出来る
無理解のままに人に被せられる憐れみの目や情
それらを君は必要と感じるか

そこに生じる責任だけは逃れて
尚もよかれと情を掛ける
ある種現代の「病理」とも見受ける事が出来る

人間の本当の強さが発揮されない世の中になっているとは感じないか
人の本当の能力が人の手によって隠されてしまってしまっている

皆平均値以上の事はしたがらない

人の強さとは一体どうした土台の基に生まれ
そして育まれるものと言えるだろうか

批判罵倒もまた同様
吐いたら吐きっぱなしだ

有情も非情 
情に絆される者
糸口さえ見る事なし

情に執らわれれば
道往く者の影踏んで
これこの影一体の影かと

道逝く者の姿に終わり無しと
出口など見せる事もなし

無関心より出る口に
無理解の有情のせて
情汲み分つも解く糸口掴まず
情弄ぶもこれ同然にして
弄ぶもの弄ばれる


同じ情を分つというのであれば
その痛み苦しみを理解するということではないか
理解するという事は解決策迄を考え抜き与えねば嘘である

批判罵倒の無意味さにも増して
不用意な同情もまた人を弄ぶも同然の行為と思う

それこそが「倒錯した優越感」なるものだろう

今の世に誰もがすべき事
それはひとつだけある

それを知りたいか

誰の為でもそれはなく
己の為でもそれはない

内なる誰かは迷いから離れれば全ては解決するといい
内なる誰かは迷いもまた必要だと言う

絶対矛盾的自己同一なる存在性
何に遵って君はゆくのか

信念とはそうした問いをもってそこから生まれるのだ
教化されて身につけたものを「信念」とは呼べない
現代の「迷い」から離れて「自然」に還り
そこで咀嚼する力を取り戻し
ようやく呑み込めたものだけをもって
その人の資質とする

迷いが生むのは
迷いだけである

迷いから離れるのは簡単な事である
しかし誰もそれをしたがらない

何をか願い志すのはいい事だが
自らまた迷いを発芽させるような願いだけは持つべきでない

君はどうにも自分の言い分があり
それを私にも当てはめたかったようだったが
それは今でも変わりがないか

君が言う「倒錯した優越感」による物言いとは
強引な押しつけによる話の摺り替えの甚だしさではないのか


同じ「教化」書を紐解くも
二種類の人間居れば二通りの解釈が生じるような事
読み手の「資質」次第で正も邪と読む

正を読み解く資質とは前向きさや人を敬い人を好む心と覚す
それをもって「信念」と呼べるものがその身に降るのである
それは大いなる神の威光を背に受け試練とともに歩むものへ

邪と読む者の資質とは我欲の固まり我執による執着心と嫉妬 
怒りや憎しみに打ち負ける弱さと甘さもまた学びと気づけば
それを打ち払い諦めの中に真に必要な己の姿を見出せば良い

信念に沿って歩もうとすれば一生涯にわたって
その人に必要な知識や経験というものは
追い求める事なくともきちんと得られるものだ

何案ずる事も無い
ただ信じていくだけ
ただ清めて務めていくだけ
私は一生涯の経験則にのみ基づいて得た知識のみですべてを話している

不思議な事に無駄に愚図な生き方をして来た割には
何故か無理無く知識は与えられて来た
有り難いものだ

念いが正しければそれは神に通ずる
欲に任せて無駄に門戸を叩く事も本を開く事も私はしていない

誤解されるようだが
私はどのような政治団体にも宗教団体にも属さない
私はどこへでも向き合い敵対しない
そこに話し合うべき「人」が居ると思うからである

人が「迷い」の中に入り込んで出られないというのは
単にその者が出ようとしたがらないだけである

救いを拒否する者も生まれる
自立した良き心構えにも感ずるが
愚痴をこぼすだけでは結局
それは単なる「甘え」であるだろう

甘えた姿勢が主体となれば人は終わりだ
とことんまで自堕落して行くだけとなる

世の中というものはそのようになっている

君が危惧し我慢ならぬ人の愚かさというのは
実体験に基づかぬ「教化」によって生まれた
「知恵」とも「法」とも呼べぬ浅はかなものに遵って
人が生きるに必要な「感性」を捨てさってしまっている事ではないだろうか

相当の愛無ければ離れるに越した事は無い
私なら迷わず「中道」をいく

出くわす事すべてに感謝し
満ち足りた自然観に念いをもって理を見つめていく

そうした中に己を住まわせれば
自分と同じ考えをもつ人との出会いや経験に
新たに必要な知識を獲得していくことだろう

私は君に敵対するものではない
私は実のところ誰にも敵対はしていない
ただ無意味な慰めもしないだけだ

私は君の真似をしてみて
それを君はどう感ずるかを
探ってみた

これもささやかながら謀りごとではあったが
こうした謀りごとに迂闊に乗らないことは大事だ

ハハハ
そのように時に裏を読む事
人の話半分に聞くという事

その程度の事はしておかしくないだろう
「するな」という方がおかしい

かといえ君の言うように
事実がとかく陰謀らしきものに見えたとしても
すぐに「陰謀だ」と声高に煽り騒ぐのはおかしい事だな

そうした行為に走る者の心理を読み解けば澄む事だ

しかし君もまた間違いを起こしやすい
ものを見つめる眼に長けていながら素直さに欠けている
それはそのまま君の欠点として目に映る
ありのままに物事を見る力の欠如をあらわす

案ずるな 
君が愛する者は必ず君の手で守れるだろう
その力は誰にも与えられている
その力を自ら奪う事はするな
そして理解した後は人にも与えよ

本当の君自身と一体となれ

今は理解などしてくれなくて結構だ  

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