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投稿者 怪傑 日時 2009 年 8 月 22 日 00:32:29: QV2XFHL13RGcs
 

(回答先: 裏切られたか・・・・・小泉元首相と稲川会の限りなく灰色に近い関係 投稿者 怪傑 日時 2009 年 8 月 21 日 15:19:15)

前回の小泉自民党の郵政の是か非かの総選挙直後のジャーナリスト関係者?
のホームページより
http://benjaminfulford.com/NewKoizumiYakuza.html

【カイザー誕生】

 はたして9.11のあと、日本は明るい希望につつまれたのだろうか。第四十四回衆議院総選挙。日本列島にはマスコミが煽り立てた小泉台風がふきあれた、自民党は歴史的な大勝利をあげ、小泉純一郎は「現代の皇帝」となった。

「国民にありがとうという気持ちでいっぱいです」(選挙後の小泉首相)

 勝者の弁は、以外に控えめなものであった。郵政民営化ただの一本槍でかつてない強大な権力体制を築いてしまったことに、驚いているのは小泉自身だったのかもしれない。

 一方で週刊誌ジャーナリズムにとっては、9.11というのは屈辱の歴史として記憶されることになるだろう。「小泉亡国政権の末路」「大増税時代が庶民の生活を破壊する」、「不倫メール流出!」――。小泉政権は発足してから今回の選挙に至るまで、各週刊誌は手を変え品を変え、一貫して小泉政権批判をつづけてきた。しかし民意は小泉支持と出た。郵政民営化や新自由主義改革を支持する大手新聞や、ワイドショー政治の片棒を担ぎ続けるテレビなど、客観報道を装いながら事実上の小泉応援団と化している巨大メディアの広報活動のまえに力及ばなかった。

「郵政民営化は、郵貯、簡保市場に狙いをつけているアメリカの外圧なんだ。これはアメリカの公文書にも書かれている事実。しかし、新聞、テレビは私の主張をタブーとして黙殺した」

 今回、小泉に刺客候補を送り込まれ政治生命を絶たれたある自民党議員はこう嘆いた。ハンドマイクで選挙区を走り回った彼の主張は、小泉台風の威力のまえにあっさりと霧散した。

「反小泉の人は色眼鏡でみているので、見通しが外れた」

 小泉首相は批判勢力に対してこう皮肉った。正義は小泉・自民党にあり。圧倒的な投票結果、息を呑むような民意のまえに、多くの批判者たちは自信を喪失したのではないだろうか。しかしヒトラーもムッソリーニも国民から選ばれた指導者であった。現在でも北朝鮮のようないくつかの国で、間違ったリーダーが君臨したがために国民が苦しんでいるのではないか。

 本当にこれでよかったのか。

私が取材してきた小泉純一郎という政治家のルーツは決してリーダーにふさわしいものではなかった。彼がどこの誰で、いずこからやってきた政治家であることを私たちはもっとよく知る必要があるのではないのだろうか。

【青春時代の背徳】

 小泉首相のルーツを探る取材に入ることになったきっかけは、永田町に流布していたある噂について取材するためであった。

「小泉純一郎は大学生時代にある女性とのあいだに事件を起した。地元では事件が周知のこととなったため、横須賀にいられなくなりロンドン留学したーー」

 首相就任と同時に永田町界隈で浮かんでは消えていった噂。いわゆる「小泉レイプ疑惑」である。某有名ジャーナリストによると「小泉レイプ疑惑」は警察情報からも確認されているという。しかし、警察庁では森前首相の売春検挙疑惑の反省から徹底した情報管理体制が敷かれるようになり、警察ルートからの証拠入手は期待できないという話であった。

 ときの総理大臣に関する大疑惑。にわかには信じがたい噂ではあるが、多くのメディアが関心を払っているとも聞く。取材方針としては、とりあえず地元で聞き込みしてみるしかないという結論に達した。

 横須賀入りした初日、ある財界関係者との談話のなかで噂の存在はあっさり確認することができた。

「小泉さんのレイプ疑惑? ああ、後援者の娘さんとトラブルになったという話だよね。噂は聞いたことがある。私は小泉さんのかなり後輩なのに知っているぐらいだから、当時はかなり噂になっていたんじゃない?」

「小泉の話がまた広まっているんだって。スーパーフリーの事件があったから、また注目されているんだろう。事件を記事にするのは被害者が可哀想だよ。いまは家庭も孫もいるだろうに。それに横須賀ではその手の話はめずらしくない」etc。

同様の話は何人もの人物から聞くことができた。噂として話すものもいれば、ある事実を隠している感で意味深な物言いをするものもいた。

 一方で、東京では別な形で「小泉レイプ疑惑」が表沙汰になろうとしていた。木村愛二氏が「小泉レイプ疑惑」訴訟をおこし、平野貞夫議員が「インターネットで話題になっている」と国会で質問するという流れができたのだ。疑惑が急速に広がりつつあった。

 結論から先にいえば「小泉レイプ疑惑」に関する取材の感触は、かぎりなく黒に近いグレーということになる。細かい取材経緯を明らかにすることはできないが、事件がおきた場所とされるのが現在、某大手ショッピングセンターが立地するのあたり。被害者とされるのが大物後援者の娘、Aさん。当時、父純也は「純一郎を地元においておくわけにはいかない」と嘆き小泉はロンドンに留学することになったという。その父純也が亡くなり急遽ロンドンから帰国することになった小泉を、被害者の父親とされる大物後援者は空港まで出迎えにいっている。そのとき小泉はサングラス姿で空港に姿を現したという。サングラスが悲しみを隠すものだったのか、不遜を示すものだったのかは今となってはっきりしない。

 現在、某所に住むAさんにも話を聞きにいった。いまも清楚ないでたちのAさんは取材意図を告げると声を裏返して叫んだ。

「どうしてわかっちゃうんですか?

 純一郎のことはよく知っています。でもお話しすることはありません」

 当事者の証言が得られない以上は、被害者のプライバシーの保護も含めて疑惑は疑惑としてとどめておくしかないというのが、現在のマスコミの見解なのだろう。だが、いぜんとして取材を続けているマスコミは多く、新事実をもとに再び「小泉レイプ疑惑」が話題にのぼる日がくるはずである。

 その一方で、意外なところから、「小泉レイプ疑惑」が、彼の政治背景とリンクしている事実が浮かびあがってきた。『追悼! 噂の真相』が書いた「小泉総理のツメ切れなかったスキャンダル英国留学・レイプ疑惑とSM嬢との交際説」の記事を読んだある人物から一本の電話があったのだ。

「あの噂の真相の記事は本当なのだろうか? じつは私も同じ噂を聞いたことがある。小泉さんが落選した初選挙のときのこと。演説会で『この婦女暴行野郎!』という罵声が投げかけられたんだ。どうやら小泉さんが初選挙で落選した理由は、この噂が原因だったんじゃないかという話だ」

 首相の若き日のトラブルの噂は、彼の初選挙にどのような影響を与えていたのだろうか。

【堕ちたプリンス】

「野比の親分には、小泉さんはまだ頭が上がらないじゃないのかな」

 かつて小泉の側近を努めた人物は、やや苛ついた表情で語った。話を聞かせてもらっている場所が騒々しい喫茶店のなかであったからかもしれない。彼が「親分」と語った人物の話になると急にそわそわとした感じで落ち着きをなくし、周りを気にしはじめた。それだけ口にしずらい話題なのだろうか。

――なぜ、頭があがらないのですか?

「まぁ、選挙でお世話になっているから」

――背中には入墨が入っているという噂ですよね。

「誰も見たことはないけど、そういう噂。夏でも長袖のワイシャツを着ているし」

――その人物はヤクザなんですか?

「――」

 果たして「親分」と呼ばれる人物と小泉はどのように関っていたのか。どうやら「選挙」が一つのキーワードのようであった。

 小泉が三世の世襲政治家であるというのは広く知られた話である。かつて自身も「祖父と父で十四光です」と語ったように、祖父又二郎は逓信大臣を務め、父純也は防衛長官を努めた。小泉家はまさに日本でも有数の名門政治一家といえる。

 しかし、先に述べたように名門のサラブレッドであるはずの純一郎青年は初出馬した選挙であえなく落選をしている。

 当時を知る後援会の幹部は「準備が足りなかったから負けた」と証言をするが、それはいささか奇妙な話である。現役の防衛長官だった父純也が急逝したのが1969年の8月であった。当時、ロンドンに留学していた小泉は緊急帰国。同年12月に衆議院が解散総選挙となり小泉は後継者として出馬する。生前、父純也は「必勝 小泉純一郎君」と色紙にしたためていた。

 現役大臣の弔い選挙で落選する。いくら予見が難しいと思われる解散総選挙であったとしても尋常ではない事態である。落選にはいくつかの背景があったようであるが、その一因となったのが公明党の中傷攻撃であったという。

 選挙スタッフが、「ほとんど知られていない話だが」と当時の秘話を語ってくれた。

「敗因は公明党が小泉の女問題に関する噂をさかんに流したことにある。『小泉が女性をたぶらかした』とかいう中傷で、演説会で野次を飛ばしたり、川崎では便所に『子どもをかえして』と落書きされたり、横須賀では創価学会員が勺伏のときに女性問題をふれ回っていたとも聞いている。

 川崎の事務所ではこんな事件もあった。ある後援者がこのままでは選挙に勝てないと公明党事務所に殴りこみに行くと息巻きはじめた。後援者の後ろには付き人のような若い衆がいて、布に包まれた細長いものを抱えていた。おそらく日本刀だったと思う。みなで『絶対止めてくれ』と必死に止めた。小泉はこの中傷攻撃で二千票を失った。いってこいで四千票です」

 公明党が吹聴した女性に関する噂とは、まさに永田町で流布していた「小泉レイプ疑惑」そのものであったのだ。

【疑惑の浪人時代】

結局、小泉は十万三千票を得ながらも四千票差で次点に終わり落選した。行き場を失った小泉は、福田赳夫のもと秘書として下足番を勤めるなど下積み時代を経験することとなった。

 秘書時代の小泉は毎朝四時に起き、横須賀から東京の福田邸まで通ったという。主が東京で政治家修行を行なっているなか、地元の小泉事務所では知人をかき集めたような若いスタッフが後援者への葉書書きなど地盤固めに努力を重ねていたという。

「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろです」(04年6月 衆議院決算行政監視委員会)

 この発言はロンドン留学後しばらく国民年金に加入していないことが発覚した年金未納問題にひき続き、勤務実態がないのに厚生年金に加入していたといういわゆる「ユーレイ社員疑惑」が追及されたとき小泉の国会答弁である。

「もちろん勤務実態はありません。給与は弟の正也さんがとりにきていました」(三福不動産関係者)との証言が示すとおり、小泉はスポンサーに養ってもらうという形で浪人生活を送ることになる。

政治をファミリービジネスとしてきた小泉家にとって、この落選時代は暗黒の時代だったと想像できる。純也の死後、小泉家のもとを離れていった人物は数多かったという。小泉の側近中の側近である飯島勲・現総理大臣秘書官は当時の事情についてこう語っている。

「オレが小泉家に入ったとき、三代続いた政治家なのに、小泉家の姉弟のほかに誰もいなかった。(中略)身内以外の他人を信じ切ることが出来ない境遇のなかで、小泉は落選を経験したと思うんです」(「文藝春秋」’03・11)

 地盤を固めきることができなかった原因は自身にあったのか、後援者にあったのか。いずれにせよ、再出馬となる72年の選挙は小泉家として絶対に負けられない勝負の選挙となった。

 だが、絶対絶命の小泉に対して,神奈川二区をめぐる選挙事情は厳しいものがあった。後援者が定着せず選挙の支えとなる地盤も脆い。しかも母体である自民党ですら落選した書生政治家候補にあまり肩入れしていなかった節がうかがえるのだ。

「小泉と同じ選挙区には田川誠一がいて彼のほうが選挙は強かった。私も田川を応援しろとよくいわれたものです。

 ところが、72年の選挙前だった思いますが田川と対立していた中曽根(康弘)がある県議に衆議院に立候補しろと持ちかけてきた。一千万円の現金を積んで『持って帰って、オマエが選挙をやれ』ってね。結局小泉さんに義理があるし、立候補はしませんでしたけど」(神奈川・自民党OB)

 中央政界は中央の事情で選挙に取組んでいたのである。堕ちたプリンスはすっかりその価値を失ってしまっていたのかもしれない。

 選挙戦も佳境に入った72年の12月。小泉家の菩提寺には悲壮感を漂わせた弟・正也の姿があった。「小泉純一郎・必勝祈願」のために後援者三十人を引き連れ宝樹院に訪れていたのだ。

 父・純也の墓前に立った正也は、墓石にすがりつくと「なんとかしてくれ、政治生命がかかっている」と泣き崩れたという。

【小泉を支える顔役】

「小泉純一郎には地元にこだわらず、国政を考える。スケールの大きい政治をしてもらいたいし、してもらっている」(後援会関係者)

 自民党のニューキャラクターとして総裁に就任した小泉は、地元の寛容な姿勢のもとで“変人”と評される個性を磨き上げていったのだろう。落選寸前だった書生政治家候補は、やがてしがらみのない“改革派”政治家として名前をあげていった。地元のしがらみを排除すれば金権的な匂いは薄まる。極論をいえば選挙にクリーンで金に疎いという一点のみで、潰しあいの自民党政治のなか総理大臣までのぼりつめていったのではないかとすら思えてしまう。しかし、このクリーンという見方にも異を唱えるむきもある。

「昔は『井戸塀』といって、政治をやると何も財産が残らないといわれたものだ。みな資産を切り売りして政治をした。ところが小泉はまったくそうじゃない。小泉が身銭をきったなんて話は聞いたことない。いわばタカリの政治家なんだ」(横須賀政界関係者)

 政治家小泉純一郎には三福不動産に養ってもらっていたユーレイ社員時代をはじめ、弟正也氏が代表をつとめる謎の政治団体・「小泉同志会」による政治資金流用疑惑、そして現在も後援者である川崎タクシー社から高級乗用車の提供を受け続けているという不明朗な実態がある。別の後援会関係者はズバリこう指摘する。

「小泉さんは“お御輿”の人だから」

 曰く、彼は担がれている政治家だから、奔放に振舞うことができたのだというのだ。では、誰が小泉を担ぎ、支えてきたのか。疑問は暗黒の入り口である。とある横須賀市議が解説したくれたのは驚くべき事実であった。

「小泉はある人物に頭を下げることによって当選できたんだよ。

 その人物は、当時県会議員だった竹内清。彼は横須賀政財界の顔役といわれる人物で、トップ当選を重ねて選挙には抜群に強かった。竹内が仕切る三万票を手にすることによって代議士小泉純一郎が誕生したのさ」

 ’72年の選挙から小泉陣営に参加した竹内氏は、中軸の役割を担い初当選に尽力したといわれている。絶対絶命だった小泉家は救われた。かつての側近が語った「野火の親分」という人物こそがこの竹内清氏なのである。

 はたして竹内氏とはどのような人物なのか。彼は神奈川の県議会議員を長く務め、県議会議長の要職にもついた一級の政治家でもある。では、なぜ「親分」と呼ばれているのか。じつは彼には様々な黒い噂がまとわりついているからなのである。特に横須賀を仕切る広域暴力団・稲川会とのつながりに関する噂はひきをもきらないほどである。なかには彼は昔、稲川会の構成員だったと指摘する人物までもいる。

 絶対匿名を条件にある行政関係者がこっそり話をしてくれた。

「竹内さんは談合の仕切り屋としても有名だった。それも稲川会との関係があるがゆえでしょう。私も横須賀の人間なので、これ以上のお話はできませんがーー」

 横須賀の顔役というだけあって竹内氏にまつわる話を聞くと、みな一様に慎重な口調となる。だが、政財界から一般市民まで幅ひろく話を聞いてみたが竹内氏が元ヤクザであったという見解だけはみな一致していた。

 小泉が竹内氏と関係を深めることになった由来についてかつての側近が語る。

「もともと竹内さんは田川(誠一)についていた。ところが朝日新聞出身のインテリである田川に『ヤクザを奥座敷に入れるわけにはいかない』と疎まれたため、行き場を失い小泉の側につくことになった。また竹内さんとしても名門・小泉家のブランドを支えるという名誉が欲しかったという部分もあったと思う」

 背徳の青年時代を送っていた小泉純一郎を、政治家として国政に送り込んだのは「親分」と恐れられる地元の重鎮・竹内清氏だったのだ。小選挙区となってからは、小泉はほとんど地元に顔を出すこともなく当選をつづけた。選挙を仕切ったのが竹内氏で、弟正也は代理として走り回るだけ。野党は竹内の威光のせいか、小泉に対抗できる候補者を立てることができなかったのだ。小泉が金や票を無心する必要がなかったのも、横須賀で竹内が睨みを効かしていたからゆえと考えるのはうがちすぎだろうか。

「たよりない、ひ弱、若すぎる、と散々の評判だった小泉が当選できたのは竹内のおかげだ。彼は横須賀にぜんぜん帰ってきていないんだから、今でも竹内が選挙から手を引いたとしたら小泉は危ないよ。

 頭があがらないといのはそのとおりだろうね。正也なんか、竹内によく怒鳴りつけられていた。竹内に当選させてもらった小泉はいまでも彼のことを大先生(おおせんせい)と呼んでいるんだ」(前出・横須賀市議)

 小泉政権が誕生することになる01年総裁選前の四月。小泉はヨコスカ平安閣で竹内と会談した後、総裁選への「出馬宣言」を行なっている。

【軍港とヤクザの街】

 JR横須賀駅は日本で唯一、階段のない駅だという。列車で戦車を輸送するときなどのために階段をつけない平らな設計となったのだとか。駅を一歩でれば、海岸沿いの遊歩道がつづき戦艦三笠が港に浮かんでいる姿を目にすることができる。海が広がる開放的な景色とは裏腹な、鉛色の重苦しさを感じさせる軍艦のたたずまい。軍隊とか兵器というものに馴染みがないものにとっては異次元の世界が横須賀には広がっている。

 横須賀は江戸の時代から軍事的に重要な拠点と見られてきた街である。本格的に軍港として発展を遂げたのが、明治時代以降の富国強兵政策によってであった。小泉の祖父・又次郎もまた小泉組という土建会社を率いて港湾労働などに従事し、軍港の発展に寄与したと伝えられている。

「小泉組は横須賀でも有数の土建会社だった。軍が拡張していくことと結びついて成長していったのが小泉家でもあるわけです。古い世代の人からは聞いた話では第二次世界大戦で日本軍が南方に進出していった時代、小泉組も占領地などの兵舎建設にたずさわっていたそうです」(横須賀・議会関係者)

 また、又治郎は龍の彫り物を背負った“入墨大臣”としても有名な存在であった。普通選挙運動の先頭にたった庶民派政治家として尊敬を集めていた人物であるだけに見逃されがちではあるが、又治郎の“入墨”の存在はヤクザとの関りを感じさせるものである。

「軍人になる夢をあきらめるために入墨を彫ったといわれているが、私は違うと聞いている」と語るのは小泉家に近い市議OBである。

 前出の議会関係者はつぎのように分析する。

「当時の港湾労働では囚人を働かせることが多く、脱走や争いごとが絶えなかった。入墨を彫るような人物ではないと現場を仕切れなかったのではないか」

 ヤクザと時代との関りについて書かれた文献「ヤクザと日本人」(猪野建治著・現代書館)によれば、明治・大正期の自由民権運動や社会主義運動には多くのヤクザが庶民の立場から参加していたという。さらに土建業とヤクザの癒着を考えれば、小泉家のルーツが限りなくヤクザに近いところにあったと考えることが妥当なところではないだろうか。

「(明治・大正時代の)土建業界の顔役、組合長といった地位にある人物は、例外を除いて博徒と深いつながりをもつか、現実に『任侠界』の大親分であった」(前出「ヤクザと日本人」)

 一方で、戦後の時代になると横須賀でのヤクザは又次郎の時代とは別の形で存在することが多くなったという。「庶民」の立場から一転して、権力へと寄り添う。いわゆるアウトロー機動隊や圧力装置となって、軍事施設に対する反対運動などを「体制」の意向にそった形で押さえ込む役割を担うようになったのである。

「軍隊とヤクザというのはクルマの両輪なんですよ。例えば自衛隊があれば必ずヤクザもついてくる。基地がある街ではこの二つが存在することによって反対運動が鎮まり、地域のバランスは保たれるのです」(地元ジャーナリスト)

 横須賀の名門・小泉家を支えてきた支持層が、ヤクザや自衛隊を含んだ人たちであるのは、その由来も含めて決して偶然ではないのである。

 また米軍の存在も横須賀という街の歴史に陰影をあたえてきた。第二次世界対戦末期、すでに日本の占領政策を立案していた米軍は、戦争終了後に軍事拠点として横須賀軍港を利用することをすでに決めていたという。ゆえに横須賀は空襲をまぬがれたといわれている。

「横須賀は戦中のまま戦後になった街なのです。戦後、空襲を受けた多くの都市では街がつくりかえられて人間関係も刷新された。ところが横須賀は街並みも人脈も戦中のまま残ったのです。教育勅語をつい最近まで掲げていたところすらある。日本軍やヤクザの色彩が濃く残っているのもそのためです」(前出・議会関係者)

 戦後、日本国民の多くは困窮した。だが小泉の支援者の多くは米軍相手に財をなし、戦後の闇経済で伸し上がっていく。“親分”と呼ばれ敬服される竹内は、米軍相手の慰安機関でもあった赤線の仕切り屋として名を上げていった人物だという。有力後援者のMは日本軍で備蓄していた米を売りさばくことで財をなした。小泉を物心両面で支えてきた横須賀経済界の重鎮は闇のドル買いをしていたと噂される。

 いわば横須賀は、米軍、自衛隊、ヤクザが入り乱れバランスをとっていた土地なのである。そして戦後があいまいとなっている時代の捻じれと、その紊乱した風土は、そのまま小泉の政治思想性に色濃く反映されていったようにも思える。

【親分の証言】

 政治家小泉純一郎誕生のキーマン、竹内氏へのインタビューはとある日の午前中に行われた。野火の自宅は稲荷と池を備えた豪勢なもの。かつては凄みある風貌をみせていた竹内氏も、いまは80歳となり温和な雰囲気を漂わせる老紳士になっていた。

 部屋の中には叙勲の勲章や、竹内氏と福田赳夫元首相とのツーショト写真などが飾られていた。ヤクザと関係が深いといわれただけに怪人物風を予想していたが、実物の竹内氏は物事を包み隠さず語ってくれる任侠心あふれる人物であった。「かつては不良だった」と語る竹内氏は、タブーとされていた経歴について自ら語りだした。

「私が現役のとき、正直いうと博徒だったんですよ。せがれが生まれてカタギになって、(入墨は)洗いました」

――小泉さんは竹内さんがヤクザだとご存知だったのでしょうか?

「わからないけど、知っていたんじゃないかな」

――初当選のまえに、小泉さんが頭を下げにきたと聞いてますが。

「ああ、来ました」

月刊現代の取材によると、このとき小泉は「アニキと呼ばせて欲しい」と竹内氏に頭を下げたという。「アニキ」とはヤクザの世界では兄弟分を示す言葉であるといわれている。ところが竹内氏が「アニキ」と呼ぶ人物は、ヤクザ世界の大物中の大物であった。

――稲川会の元会長石井進氏と深い付き合いがあるとお聞きしました。

「私のほうがアニキとよばなくちゃいけなくてね。すごく可愛がってもらいました。石井さん、青ちゃん(竹内氏の旧姓は青木)と呼ぶ仲です。石井さんからは『お前は議員でもって頑張ってくれ。俺はヤクザの道で名前になる』と、そんな話もしてくれましたよ。

 石井さんが亡くなられたとき、私は家族のつぎにお参りさせてもらいました」

――石井さんとの関係が、小泉さんの選挙に有利に働くということはありましたか。

「選挙を頼みにいったことはありません。黙ってもやってくれる人でしたから」

 竹内氏の「黙ってもやってくれる」という証言は、事実上の選挙協力があったことを示唆している。地域を取り仕切る彼らには、表にでなくても票をとりまとめる力がある。中選挙区時代、横須賀とともに小泉の地盤となっていた川崎の後援者はつぎのように証言している。

「暴力団の影響力が強かった川崎では、組への挨拶がすめばあとはポスターを貼るだけが選挙活動だといわれたものです。じっさいに川崎の山川一家(稲川会系)の組事務所には小泉さんの側近が客分として出入りしていました」

 竹内氏には、もう一つ聞いておくべきことがあった。ある稲川会の資料には竹内氏の名前が組員として掲載されている。元博徒というだけではなく、現在も稲川会と深い関係を保ち続けているのではないかという疑惑についてだ。

――私たちが入手した資料に竹内さんの名前が載っています。

「どれ! 見せてください」

 それまで温和に話していた竹内氏は、驚いたような表情で身を乗り出してきた。

「こういうのをね、我々が知らなくてもやってくれる人がいるんですよ。気持ちはいい気持ちでね。でも、たいへん困るときもある」

――先生も稲川会に入っていらしたんじゃないですか。

「だから、稲川会に入ってねぇって!」

 しつこく追求すると竹内氏ははじめて声を荒げて、椅子を叩いた。しかし資料に掲載されている名前が自分であることについては否定をしなかった。

 最後の質問は、小泉首相誕生の背景について聞いてみた。

――小泉さんは総理になれると思いましたか。

「厚生大臣になった時分から、こんどは総理にしようと。みんなで下がらないで頑張ってくれって」

――横須賀では誰一人総理になる器だと思っていなかったようです。

「あれだけ俺たちが総理にさせようとやっていたんですから」

 核心については言及を避けていたが、竹内氏の話からは小泉を首相に祭り上げた自負が感じられた。小泉首相が総裁選に出馬するまえ、竹内氏に挨拶を行ったことは前述した。このときの自民党総裁選は国会議員投票だけではなく、各県連による予備選が導入され、結果的に雪崩現象がおきて小泉総裁が誕生することになる。このとき自民党神奈川県連とともに予備選導入をしかけたのが、竹内氏の子息・竹内英明(神奈川県議)氏を中心とする小泉勝手連と呼ばれる議員たちであった。神奈川県連の動きが予備選での小泉の地滑り的大勝につながり、小泉ブームの引き金にもなった。

 政治家小泉純一郎の誕生から首相就任まで、竹内一家のバックアップと影響力はとてつもなく大きかった。そして竹内一家の背後には、日本有数のヤクザ組織である稲川会の影響力があったのは紛れもない事実なのである。

【自民党とヤクザの戦後】

 竹下登が総理大臣に就任するまえに起きた「ホメ殺し」事件は、戦後政治史に汚点を残す事件である。がしかし、ある意味で日本の知られざる構造を浮き彫りにした事件であったともいえる。総理大臣誕生の影にヤクザがいた。竹下は広域暴力団稲川会の二代目会長・故石井進に「ホメ殺し」を中止するよう尽力してもらうことによって総理大臣に就任できた。故石井進は横須賀一家の出身で、前出のとおり竹内氏とはかつて愚連隊時代からの友人であったという。そしてはからずとも、竹下内閣のもとで小泉は厚生大臣として初入閣することになる。

 また、こちらも稲川会との繋がりが噂されている元代議士の浜田幸一(ハマコー)は熱心な小泉応援団として知られている。8.8郵政民営化法案が参議院で否決された日、浜田氏がテレビ番組で反対票を投じた議員を罵倒しつづける姿が放送された。竹内氏によれば「(ハマコーは)石井進の舎弟ですから」とのことだ。ハマコーの地元・富津と横須賀には第二アクアラインの建設が計画されており、改革が叫ばれるいます在においても正式な中止が決まっていないと報道されている。

 さらに闇は深い。「週刊文春」(’04・3.11号)が報じた「小泉首相が暴力団関係企業の税務調査に介入」や「フライデー」(03・2,28号)が追求した「小泉首相と産廃業者」など数々の疑惑がマスコミを賑してきた。

 こうした小泉とその黒い人脈をめぐる問題は、いったい何を意味するのだろうか。

 ある政治ジャーナリストは次のように語る。

「昔から自民党はヤクザとつながっていて、小泉さんになってもそれは同じだということなのです。自民党がヤクザと繋がっていることを示す証拠はいくらでもあります。私も複数のルートから小泉さんがヤクザと関係があると聞かされてきました。結局、小泉さんも昔からつづいている自民党・癒着政治の流れを汲んでいるにすぎないのです」

 一説には自民党はCIAと軍事政権の残党とヤクザでつくられた政党であるという分析もある。そして小泉首相自身が政治的にはアメリカ追随をつづけ、地元ではヤクザの支援を得てきた、自民党の歴史そのものを体現するかのような政治家なのである。

小泉首相が「改革」と叫ぶたびに、ある一つの疑問が頭をよぎる。かつての経済白書は「もはや戦後ではない」と高らかに謳いあげたが、果たして本当にそうなのだろうかという疑問だ。少なくとも政治的には、ほとんど進歩をしていないのではないか。ヤクザと政治家の癒着が横行するような社会は前時代的であるとしか考えようがない。自民党が築き上げてきた政・官・暴の癒着が、国民の税金をいかに無駄に浪費してきたかはいまさら論を重ねる必要もないだろう。

 彼には本当に改革のリーダたる資質があるのだろうか。あらためて小泉事務所に青年時代のレイプ疑惑、そして暴力団との関係について取材を申し込んだ。しかし広報担当は「いっさい取材にお答えすることはございません。ファックスもお送りいただく必要はございません」と答えるのみだった。今回に限らず、数々の疑惑に対していっさい説明責任を果たそうとしないのは小泉首相の一貫した政治スタイルである。

背徳の青春時代を送り、選挙に落選した小泉純一郎は、本来、政治家になるべき人間ではなかった。だが暴力団にも顔がきく有力な選対本部長がつくことで国政に参加することになり、さしたる政治的実績もないまま総理大臣まで上り詰めてしまった。そして正しい検証もしないまま小泉ブームを煽ったメディアの責任もまた大きい。長年日本を支配してきた自民党総裁が、改革をすすめるという論理矛盾にもっと早く気づかなければいけなかっただろう。

 改革への道は、まず正しいリーダーを選ぶところから始まるのではないだろうか。

 

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