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日本人として考えさせる恐るべき真実     @ヤクザと自民党政治   
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/236.html
投稿者 怪傑 日時 2009 年 8 月 25 日 13:50:03: QV2XFHL13RGcs
 

父として伝えておきたいさんのページより
http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-18-1.html

■d-18-1 ヤクザと自民党政治の研究@
2006-11-12

『日本国研究─情報ブローカー日記』より転載させていただきます。

中立的な視点から“知られざる”日本の実態がコンパクトにまとめられていて、とても参考になるレポートだと思います。

ヤクザと自民党政治の研究part.1


今まで政官財暴の癒着をとり上げてきた本ブログ、今回は戦後日本政治とヤクザの関係の通史について取り上げます。日本の歴史にヤクザがはっきりと現れたのは江戸時代ですが、そこまで記述すると時間がいくらあっても足らないので。話は敗戦後の東京から始まります。


治安維持の切り札

1946年、敗戦による混乱の中、東京では三国人による凶悪犯罪が横行していました。それに対して東京の治安を守るべき警視庁はGHQの政策により弱体化し、「戦勝国民」である三国人に対して有効な取り締まりの手立てがありませんでした。

一方で戦前から繁華街利権を抑えていた日本の地元ヤクザも三国人の急速な進出によりその縄張りを侵食され戦後の経済混乱と相まって苦境に追い込まれていました。

そこに着目した警察上層部は、地元ヤクザに三国人鎮圧を託します。警察当局からヤクザに三国人に対する暴力のお墨付きを与えたのです。

1946年6月、新橋駅西口の闇市の利権に絡み松田組と台湾人露天商の間で抗争が発生、松田組側は機関銃を用いて台湾人を排除しました(新橋事件)。また、同年7月には台湾人による渋谷署襲撃事件に対して警察は地元ヤクザの落合一家らに救援を要請。共同でこれを撃退しています(渋谷事件)。

混乱期、警察当局はこうしてヤクザを利用して治安を維持しました。ここに見られるように日本政治におけるヤクザは単純に悪と割り切れない難しさがあります。なにはともあれこの一連の事件は、政治家に武装組織としてのヤクザの有用性に着目させる契機になりました。


反共の防波堤として

1947年、2.1ゼネスト中止命令をきっかけにGHQの占領政策は大きな転換を迎えました。アメリカは日本を反共の防波堤として位置づけ、戦犯の公職追放を解除し始めた一方、逆に左翼勢力に対してパージを始めたのです。

そんななか、ヤクザの実力に着目し彼らを反共の武装組織として再編したのが児玉誉志夫です。児玉誉志夫は後にロッキード事件で逮捕されて一躍有名人となりました。彼は戦前大陸で児玉機関を率いており巨額の財をなしたと噂されている大物右翼です。

A級戦犯容疑者だった児玉誉志夫は1948年末CIAと取引の末釈放され、反共活動のためヤクザとGHQ・政治家のフィクサーとしての活動を開始しました。その後の戦後政治はこの児玉誉志夫を中心に動いて行くことになります。児玉は1950年の自由党結成や1955年の保守合同と自民党の誕生を資金面で支援していたとも言われています。

50年代を通じて高揚した左翼運動が頂点を迎えるのが60年の安保闘争です。デモ隊が国会構内に乱入するなどの大きな混乱が生じ、自衛隊の治安出動まで検討されたと言われます。そこで当時の首相岸信介は最悪の事態に備え児玉にヤクザへの仲介を依頼。鶴政会(現・稲川会)の稲川角二、住吉一家(現・住吉会)の磧上義光らは岸の要請に応じて有事の際は組員の動員を決定しました。なお、この際山口組の田岡一雄は動員に応じず静観していたことは注目に値します。

現在、岸信介の率いていた岸派は福田派・三塚派を経て森派に受け継がれています。つまり自民党、とりわけ森派は歴史的に稲川会・住吉会に恩があるわけです。


頂上作戦と山口組

安保闘争を乗り切って日本が高度経済成長に移るとヤクザを囲む状況も変わります。1960年代、混乱の間隙を縫って勢力を伸張させた山口組による抗争事件が続発しました。そのため国民の暴力団に対する批判が高まり、警察庁は「第一次頂上作戦」(暴力団潰滅運動)を開始しました。実質的には山口組潰しです。(※注・1)

頂上作戦を受けて、岸に協力した関東ヤクザは児玉の指導の下、右翼団体「関東会」を結成して政治団体化、生き残りを図りました。関東会は錦政会、住吉会、松葉会、日本国粋会、義人党、東声会、北星会の7会派からなる連合体です。もっとも関東会は内部分裂により翌年には解散してしまいますが、これによって関東ヤクザの政治団体化と児玉の連携は決定的になりました。

日本における暴力団系右翼は現在も関東系の稲川会系と住吉会系が中心となっており、自民党と良好な関係を保っています。とりわけ森派の民族主義傾向の強さはこれら団体の存在と表裏一体であることがわかります。

実例を挙げるならば、森派が一枚噛んでいる「救う会」と住吉会系右翼「日本青年社」の間に密接な関係があることなど、枚挙にいとまがありません。

さて、このように当局と良好な関係を保っていた関東ヤクザとは対照的に、警察当局に徹底的に弾圧された山口組でしたが、港湾役務利権と芸能興行を柱としてその勢力は衰えませんでした。

港湾利権とは港湾の労働者の派遣業を独占的に行い利益を出していたことを指します。山口組は戦後急速に規模が拡大した港湾利権によって成長した組なのです。そして芸能興行とはまさに芸能人そのものです。当時のスター美空ひばりも山口組系の神戸芸能社に属しており、東京以西の芸能人の多くは山口組傘下でした。ちなみに今日もほとんどの芸能事務所はヤクザ関連と聞きます。

1971年に若頭に就任した山本健一は田岡の絶大な信頼を得て山口組は隆盛を迎えます。さらに勢力は拡大し、全国進出と権力への浸透を進めたのです。

この山口組の全国進出と権力への浸透が、暴力団の知能化、経済犯罪化が進んだことと相まってのちのバブル崩壊・不良債権地獄の伏線となりました。

※注・1…山口組による麻薬撲滅運動が警察当局を刺激して、頂上作戦に至ったという説がある。山口組が麻薬撲滅運動を展開したのは在日の勢力伸張を警戒して彼らの資金源の麻薬を断とうとしたからである。よって上の説が事実ならば60年代には警察は在日利権を容認していたことになる。

後に日韓国交正常化と賠償に関わる児玉誉志夫や岸信介、瀬島龍三らの「韓国利権」実態が明らかになったが、ここから推察するに60年代自民党内では主に南利権を持った政治家が登場したため、在日韓国・朝鮮人の日本国内での既存利権を容認するようになったと考えられる。

↓More Information(もっと知りたい方へ)

http://www.edp.eng.tamagawa.ac.jp/~sumioka/paper/hpaper/1992yakuza.pdf

http://members.tripod.com/~orgcrime/yakuzabanking.htm

http://www1.doshisha.ac.jp/~twatanab/watanabe/masukomi/97.6.html
(つづく)  

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