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22世紀には、日本語と英語が世界の二大公用語として使われるようになる。アメリカ帝国が滅びれば英語も廃れていくようになる
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/186.html
投稿者 TORA 日時 2009 年 7 月 04 日 14:41:12: GZSz.C7aK2zXo
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu195.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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22世紀には、日本語と英語が世界の二大公用語として使われるよう
になるだろう。アメリカ帝国が滅びれば英語も廃れていくようになる。

2009年7月4日 土曜日

◆<漢字>世界中で復活の動き、日本も麻生首相のおかげで関連産業「花盛り」―中国紙 7月4日 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090704-00000002-rcdc-cn

2009年7月3日、中国紙・国際先駆導報は、中国の国際的な影響力が増大するにつれ、世界中で漢字復活の動きが活発化していると報じた。漢字を捨てた韓国やベトナムのほか、日本では漢字が読めない首相のおかげで間違いやすい漢字の本がベストセラーになっていると伝えている。

記事はまず日本における漢字ブームについて、麻生太郎首相の頻繁な「読み間違い」により、「読めそうで読めない間違いやすい漢字」(出口宗和著)が大ベストセラーになるなど「漢字産業」が花盛りだと伝えた。中国と「漢字の起源」をめぐる争いを展開する韓国でも、中国経済への依存が高まるにつれ、今年初めには首相経験者が小学校からの義務付けを提議するなど復活を求める声が高まっているという。

中国を最も重要な貿易パートナーとするベトナムでも、中国語学部を設ける大学が急増。先日は、学者数十人が連名で教育訓練省に小中学校での必修を求める意見書を提出している。中国政府が中国語教育の普及のために設立した「孔子学院」が世界で最も多いのは太平洋をはさんだ米国だ。全米で57か所にも上る。

世界中のこうした漢字ブームについて、北京大学中文学部の陸倹明(ルー・ジエンミン)教授は「国際社会における中国の地位が向上した証拠」と指摘。総合国力をさらに高め、世界中が中国から先端技術を学ぶようになれば、世界共通語になることもあり得ると胸を張った。(翻訳・編集/NN)


◆漢字と格闘した古代日本人 H13.12.23 伊勢雅臣
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog221.html

■1.日本語と近代中国■

 中国の外来語辞典には、「日本語」とされているものが非常に多い。そのごく一部を分野別に拾ってみると:

思想哲学: 本質、表象、理論、理念、理想、理性、弁証法、倫理学、倫理学、、、
政治軍事: 国家、国民、覇権、表決、領土、編制、保障、白旗、、
科学技術: 比重、飽和、半径、標本、波長、力学、博士、流体、博物、列車、変圧器、冷蔵、
医学:   流行病、流行性感冒、百日咳、
経済経営: 不動産、労動(労働)、舶来品、理事、保険、標語、例会、

 博士などは、昔から中国にあった言葉だが、近代西洋の"doctor"の訳語として新しい意味が与えられ、それが中国に輸入されたのである。

 日本が明治維新後、西洋の科学技術、思想哲学を導入する際に、各分野の概念、用語を表す数千数万の和製漢語が作られ、それらを活用して、欧米文献の邦訳や、日本語による解説書、紹介文献が大量に作成された。中国人はこれらの日本語文献を通じて、近代西洋を学んだのである。

 軍事や政治の用語は、日露戦争後に陸軍士官学校に留学する中国人が急増し、彼らから大陸に伝わった。後に国民党政府を樹立した蒋介石もその一人である。当時はまだ標準的な中国語は確立されていなかったので、各地の将校達は日本語で連絡しあって革命運動を展開し、清朝打倒を果たした。

 さらに中共政府が建前としている共産主義にしても、中国人は日本語に訳されたマルクス主義文献から学んだ。日本語の助けがなかったら、西洋の近代的な軍事技術や政治思想の導入は大きく遅れ、近代中国の歴史はまったく異なっていただろう。

■2.外国語を自在に取り込んでしまう日本語の柔軟性■

 日本人が文明開化のかけ声と共に、数千数万の和製漢語を作りだして西洋文明の消化吸収に邁進したのは、そのたくましい知的活力の現れであるが、同様の現象が戦後にも起きている。現在でもグローバル・スタンダード、ニュー・エコノミー、ボーダーレスなどのカタカナ新語、さらにはGNP、NGO、ISOなどの略語が次々とマスコミに登場している。

 漢語を作るか、カタカナ表記にするか、さらにはアルファベット略語をそのまま使うか、手段は異なるが、その根底にあるのは、外国語を自由自在に取り込む日本語の柔軟さである。

 漢字という表意文字と、ひらがな、カタカナという2種類の表音文字を持つ日本語の表記法は世界でも最も複雑なものだが、それらを駆使して外国語を自在に取り込んでしまう能力において、日本語は世界の言語の中でもユニークな存在であると言える。この日本語の特徴は、自然に生まれたものではない。我々の祖先が漢字との格闘を通じて生みだしたものである。

■3.文字のなかった言語■

 漢字が日本に入ってきたのは、紀元後2世紀から3世紀にかけてというのが通説である。その当時、土器や銅鐸に刻まれて「人」「家」「鹿」などを表す日本独自の絵文字が生まれかけていたが、厳密には文字体系とは言えない段階であった。

 しかし、言語は本来が話し言葉であり、文字がなければ原始的な言語だと考えるのは間違いである。今日でも地球上で4千ほどの言語が話されているが、文字を伴わない言語の方が多い。文字を伴う言語にしても、そのほとんどは借り物である。

 アルファベットは紀元前2千年頃から東地中海地方で活躍したフェニキア人によって作り出されたと言われているが、ギリシア語もラテン語もこのアルファベットを借用して書けるようになった。現代の英語やロシア語も同様である。逆に言えば、これらの言語もすべて文字は借り物なのである。

 わが国においても文字はなかったが、神話や物語、歌を言葉によって表現し、記憶によって伝えるという技術が高度に発達していた。今日、古事記として残されている神話は、古代日本人独自の思想と情操を豊かにとどめているが、これも口承によって代々受け継がれていたのである。

■4.古代日本にアルファベットが入っていたら■

 アルファベットは表音文字であるから、どんな言語を書くにも、それほどの苦労はいらない。現代ではベトナム語も、マレー語もアルファベットを使って表記されている。

 古代日本人にとっても、最初に入ってきた文字がアルファベットだったら、どんなに楽だったであろう。たとえばローマ字で「あいうえお」を書いてみれば、

a i u e o
ka ki ku ke ko
sa si su se so

 などと、「a i u e o」の5つの母音と、「k s 、、」などの子音が単純明快な規則性をもって、日本語のすべての音を表現できる。漢字が入ってきた頃の古代の発音は現代とはやや異なるが、この規則性は変わらない。日本語は発音が世界でも最も単純な言語の一つであり、アルファベットとはまことに相性が良いのである。

■5.日本語は縁もゆかりもない漢語と漢字■

 ところが幸か不幸か、日本列島に最初に入ってきた文字は、アルファベットではなく、漢字であった。「漢字」は黄河下流地方に住んでいた「漢族」の話す「漢語」を表記するために発明された文字である。そしてあいにく漢語は日本語とは縁もゆかりもない全く異質な言語である。

 語順で見れば、日本語は「あいつを殺す」と「目的語+動詞」の順であるが、漢語では「殺他」と、英語と同様の「動詞+目的語」の順となる。

 また日本語は「行く、行った」と動詞が変化し、この点は英語も「go, went gone」と同様であるが、漢語の「去」はまったく変化しない。発音にしても、日本語の単純さは、漢語や英語の複雑さとは比較にならない。似た順に並べるとすれば、英語をはさんで漢語と日本語はその対極に位置する。

 さらにその表記法たる「漢字」がまた一風変わったものだ。一つの語に、一つの文字を与えられている。英語のbigという語「ダー」を「大」の一字で表す。bigという「語」と、ダーという「音」と、大という「文字」が完全に一致する、一語一音一字方式である。さらに、英語では、big, bigger, bigness、日本語では「おおきい」「おおきさ」「おおいに」などと語が変化するのに、漢語はすべて「ダー」と不変で、「大」の一字ときちんと対応している。漢字は漢語の特徴をまことに見事に利用した最適な表記法なのである。

 たまたま最初に接した文字が、日本語とはまったく異質な漢語に密着した漢字であった所から、古代日本人の苦闘が始まる。

■6.漢字との苦闘■

 漢字に接した古代日本人の苦労を偲ぶには、イギリス人が最初に接した文字がアルファベットではなく、漢字であったと想定すると面白いかもしれない。英語の語順の方が、漢語に近いので、まだ日本人の苦労よりは楽であるが。

 イギリス人が今まで口承で伝えられていた英語の詩を漢字で書きとどめたいと思った時、たとえば、"Mountain"という語をどう書き表すのか? 意味から「山」という文字を使えば、それには「サン」という漢語の音が付随している。「マウンテン」という英語の荘重な響きにこそ、イギリス人の心が宿っているのに、「山」と書いたがために「サン」と読まれてしまっては詩が台無しである。

逆に「マウンテン」という「音」を大切にしようとすれば、「魔運天」などと漢字の音だけ使って表記できようが、それぞれの漢字が独自の意味を主張して、これまた読む人にとっては興ざめである。

 英詩には英語の意味と音が一体になった所に民族の心が宿る。それが英語の言霊である。古代日本人にも同じ事だ。漢字は一語一音一字という性質から、それ自体に漢人の言霊が宿っており、まことに他の言語にとっては厄介な文字であった。

■7.言語と民族の心■

 こういう場合に、もっとも簡単な、よくあるやり方は、自分の言語を捨てて、漢語にそのまま乗り換えてしまうことだ。歴史上、そういう例は少なくない。

 たとえば、古代ローマ帝国の支配下にあったフランスでは、4世紀末からのゲルマン民族の大移動にさらされ、西ゲルマン系フランク人が定住する所となった。フランク人は現代のドイツ語と同じ語族に属するフランク語を話していたが、文化的に優勢なローマ帝国の残した俗ラテン語に乗り換えてしまった。これがフランス語の始まりである。

 英語も1066年フランスの対岸からやってきたノルマン王朝に約300年間支配され、その間、フランス語の一方言であるノルマン・フランス語が支配階級で使われた。英語はその間、民衆の使う土俗的な言語のままだった。今日の英語の語彙の55%はフランス語から取り入れられたものである。そのノルマン人ももとはと言えば、900年頃にデンマークからフランス北西岸に植民したバイキングの一派であり、彼らは北ゲルマン語からフランス語に乗り換えたのである。

 こうして見ると、民族と言語とのつながりは決して固定的なものではなく、ある民族が別の言語に乗り換えることによって、その民族精神を失ってしまう、という事がよくあることが分かる。前節の例でイギリス人が漢語に変わってしまったら、「やま」を見ても、"mountain"という語と音に込められた先祖伝来の言霊を全く失い、「山」「サン」という漢人の心になってしまっていたであろう。

■8.カタカナ、ひらがなと訓読みの発明■

 漢字という初めて見る文字体系を前に、古代日本人が直面していた危機は、文字に書けない日本語とともに自分たちの「言霊」を失うかも知れない、という恐れだった。しかし、古代日本人は安易に漢語に乗り換えるような事をせずに漢字に頑強に抵抗し、なんとか日本語の言霊を生かしたまま、漢字で書き表そうと苦闘を続けた。

 そのための最初の工夫が、漢字の音のみをとって、意味を無視してしまうという知恵だった。英語の例で言えば、mountainを「末宇无天无」と表記する。「末」の意味は無視してしまい、「マ」という日本語の一音を表すためにのみ使う。万葉集の歌は、このような万葉がなによって音を中心に表記された。

 さらにどうせ表音文字として使うなら、綴りは少ない方が効率的だし、漢字の形を崩してしまえばその意味は抹殺できる。そこで「末」の漢字の上の方をとって「マ」というカタカナが作られ、また「末」全体を略して、「ま」というひらがなが作られた。漢人の「末」にこめた言霊は、こうして抹殺されたのである。

 日本人が最初に接した文字は不幸にもアルファベットのような表音文字ではなく、漢字という表語文字だったが、それを表音文字に改造することによって、古代日本人はその困難を乗り越えていったのである。

 しかし、同時に漢字の表語文字としての表現の簡潔さ、視覚性という利点も捨てきれない。mountainをいちいち、「末宇无天无」と書いていては、いかにも非効率であり、読みにくい。そこで、今度は漢字で「山」と書いて、その音を無視して、moutainと読んでしまう「訓読み」という離れ業を発明した。こうして「やま の うえ」という表現が、「山の上」と簡潔で、読みやすく表現でき、さらに「やま」「うえ」という日本語の言霊も継承できるようになったのである。

■9.日本語の独自性と多様性■

 こうして漢字との格闘の末に成立した日本語の表記法は、表音文字と表語文字を巧みに使い分ける、世界でももっとも複雑な、しかし効率的で、かつ外に開かれたシステムとして発展した。

 それは第一に、「やま」とか、「はな」、「こころ」などの神話時代からの大和言葉をその音とともに脈々と伝えている。日本人の民族文化、精神の独自性はこの大和言葉によって護られる。第二に「出家」などの仏教用語だろうが、「天命」というような漢語だろうが、さらには、「グローバリゼーション」や「NGO」のような西洋語も、自由自在に取り入れられる。多様な外国文化は「大和言葉」の独自性のもとに、どしどし導入され生かされる。

 外国語は漢字やカタカナで表現されるので、ひらがなで表記された大和言葉から浮き出て見える。したがって、外国語をいくら導入しても、日本語そのものの独自性が失われる心配はない。その心配がなければこそ、積極果敢に多様な外国の優れた文明を吸収できる。これこそが古代では漢文明を積極的に導入し、明治以降は西洋文明にキャッチアップできた日本人の知的活力の源泉である。

 多様な民族がそれぞれの独自性を維持しつつ、相互に学びあっていく姿が国際社会の理想だとすれば、日本語のこの独自性と多様性を両立させる特性は、まさにその理想に適した開かれた「国際派言語」と言える。この優れた日本語の特性は、我が祖先たちが漢字との「国際的格闘」を通じて築き上げてきた知的財産なのである。


(私のコメント)
最近の欧米では英語が公用語とされて、EU議会などにおいてもフランス人やドイツ人も英語で演説している。このようになったのも欧米における英語文化圏の文化レベルや経済レベルが、フランス語やドイツ語文化経済レベルを凌駕する事態になったからだろう。世界の留学生も留学先をフランスやドイツなどよりもイギリスやアメリカなどを選択する人が圧倒的だからだ。

だから世界の国際会議などでは英語が事実上の公用語となって、フランス語もがんばっていたが廃れてきてしまった。中国紙が書いているように総合的な国力を反映してきた結果ですが、将来的には中国の政治的地位が向上して文化的経済的最先端国家となることが出来れば中国語が世界共通語になると書いています。

日本では麻生総理が漢字を読み間違えて話題になりましたが、日本では未だに英語よりも漢字の読み書きで知性が判断されていると言う事の証明でしょう。他の発展途上国のように欧米に留学しないとトップレベルの文化や技術が学べないと言う事はなく、自国語で最高レベルの教育ができる。

それは欧米の進んだ文化が日本語に翻訳されているからであり、わざわざ留学しないと学べないと言うことがないからだ。最近では日本人のアメリカへの留学は語学留学が圧倒的に多くて、博士号を取得するなどの専門分野の留学は少なくなっていうる。アメリカで博士論文を書いても英語に翻訳する業者任せだから、アメリカの大学で博士号をとっても英語のできない博士はたくさんいる。

日本人がなぜ英語が出来ないか不思議ですが、テレビのニュースキャスターですら英語が出来ない人がほとんどだ。英語が出来なければ外国での取材すら出来ないにもかかわらず英語が話せない。企業のトップも海外での交渉は通訳任せであり、学界ですらノーベル物理学賞取った人ですら英語が出来ない人がいる。裏を返せば英語が出来なくても仕事が出来るということであり、英語が出来なければ仕事にならないのならもっと英語が出来る人が多くなっているはずだ。

伊勢氏が書いているように欧米人の使っている文字はアルファベットですが、フェニキア人たちの文字であり、英語といってもイギリス人が発明した文字ではない。ところが日本人が使っている「カタカナ}や「ひらがな」は日本人が発明した文字であり、漢字を略して作られたものだ。世界にも文字の種類が100種以上もありますが、多くが少数民族の文字であり国家や民族の衰退によって消えて行くと予想されます。

日本語も最初からアルファベットが入っていれば苦労はなかったのでしょうが、漢字が入ってきたために万葉仮名を使って間に合わせた。韓国語もハングルと言う民族文字を使っていますがなぜアルファベットを使わなかったのだろうか? 日本語も明治維新や戦後など表記にローマ字を使うことが検討されましたがうやむやになった。

もし日本語ワープロが出来なかったならば電子化で大きく遅れを取る事になり、インターネットにも乗れずに、仕方なく日本語がローマ字表記になったかもしれない。そうなったら今でも手書きで文字を書き、タイプライターやインターネットで入力する時はアルファベットで入力していた事だろう。

問題は中国でも同じであり、中国でも共産革命後にアルファベットを使うことが検討されましたが、発音が地方でバラバラだから意味が通じなくなってしまう。仕方なく漢字の簡略化で対応しようとしています。日本もアルファベットだと秋田弁や鹿児島弁など外国語みたいに通じなくなっていた事だろう。漢字を使っていたから発音がバラバラでも通じましたが、表音文字は言葉が訛ると違う言葉になってしまう。

アルファベットは表音文字ですが英語のように世界で使われるようになると訛りが出来て米語や英語やオーストラリア英語など分かれてくる。時間が経てばラテン語がイタリア語やスペイン語やフランス語になっていったように別の言葉になっていくのだろうか? ラテン語はローマ帝国滅亡と共に滅んだように、アメリカ帝国が滅びれば英語も分裂していく。

アメリカ帝国は21世紀中におそらく滅びて幾つかの国に分裂するだろう。それと共にグローバル言語となった英語もラテン語のように消えてなくなって行くだろう。表音文字を使っていれば訛りの変化は避けられないから少しづつ違ってくる。それに対して漢字は表意文字だから発音が違ってきても意味は通じるから統一性は保たれる。

だからこのまま英語が世界の公用語となって行くかどうかはアメリカ次第なのであり、アメリカが石油が枯渇して衰退していけば、世界第二位の経済大国である日本語が世界共通語になる可能性がある。日本がこのまま技術力や経済力でトップを走り続けていけば、日本に追いつくには日本語を学ぶ必要があり、世界中から留学生が集まるようになるだろう。

中国人が日本語を学ぶのは簡単だろう。そうなれば13億人が日本語人口となり英語人口を上回る人口となり文字通りの世界言語となるだろう。韓国が日本語文化を受け入れようとしないのは日本語によって占領されてしまうのを恐れるからだ。日本語世代の台湾の老人が言っていた様に難しい事を考えるには日本語でないと出来ないと言う事があるからだ。

日本人がなかなか英語を覚えようとしないのも、難しい事を考えるには日本語でないと出来ないからであり、英語を学ばないと難しい事が考えられないとすれば高等教育は自然と英語で行なわれるようになるはずだ。多くの発展途上国はそうなってきているし、多くのヨーロッパ人は非常に英語が達者だ。自国語では本も手に入らないから英語の本を読まなければならない。必然的に英語が上手になる。ところが日本では主だった本が数ヵ月後には翻訳されて出るから英語が出来る必要がない。

中国で使われている専門用語の多くが日本語であり、今でも専門用語が日本から中国に輸出されている。中国人や韓国人が英語を学ぶよりも日本語を学んだ方がいいと分かれば日本語の普及が東アジアで広まるだろう。日本語は発音が簡単だし、漢字がわかれば大体の意味が分かるから英語ほど苦労しないで済む。そして22世紀には日本語と英語が世界共通語として使われるようになるだろう。


 

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