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都響の『第九』を聴いて    西岡昌紀
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投稿者 西岡昌紀 日時 2009 年 12 月 28 日 00:55:44: of0poCGGoydL.
 


http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1374224389&owner_id=6445842


12月26日(土)の午後、東京赤坂のサントリー・ホールで、東京都交響楽団(都響)の『第九』を聴きました。


年末に都響の『第九』を聴く様に成って、もう10年以上に成ります。東京交響楽団(東響)の『第九』と共に、都響の演奏で、ベートーヴェンの『第九』を聴くのが、恒例に成って居ますが、都響の『第九』は、毎年、指揮者が変はります。当然と言ふべきでしょう。都響(東京都交響楽団)の『第九』は、毎年、非常に違います。矢張り、指揮者が違ふと、音楽は全く違ふ事を実感させられます。今年、都響の『第九』を指揮したのは、ドイツの指揮者ゴロー・ベルク(Golo Berg)氏でした。

会場で配布されたパンフレット(月刊都響・2009年12月号)に依ると、ベルク氏は、1968年、ドイツ・ワイマール生まれと有ります。つまり、旧東ドイツ出身の指揮者なのです。

1968年生まれと言ふ事で、私より若いベルク氏は、1989年にベルリンの壁が崩壊した時、21歳だった事に成ります。都響の指揮台に立って、第九を指揮するベルク氏の姿を見ながら、ベルリンの壁が崩壊した時、彼は、どんな光景を見、何を思ったのだろう、等と考えました。

今年は、そのベルリンの壁が崩壊して20年目の年です。もしかして、都響は、今年、その事を意識して、旧東ドイツ出身のこの指揮者をベートーヴェンの『第九』の指揮者に選んだのだろうか?等と思ひましたが、演奏会のパンフレット(月刊都響)を読む限り、そう言ふ事は書かれてありませんでした。

そうして、『第九』を聴く内に、第四楽章に成りました。誰もが知るあの旋律が静かに、弦の音と成って流れ始めた時、ふと、この曲(ベートーヴェンの第九交響曲)を日本で初めて演奏した、ドイツの捕虜たちの事が、心に浮かびました。

広く知られた通り、この曲(『第九』)を日本で初めて演奏したのは、第一次世界大戦で、日本の捕虜と成り、四国の捕虜収容所で第一次大戦の終結を迎えたドイツ人たちでした。

(参考サイト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E6%9D%B1%E4%BF%98%E8%99%9C%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80


彼らは、日本側の温かい待遇に感謝する意味も有ったのでしょう。日本人たちの前で、日本で初めての『第九』を演奏しました。この逸話は、既に多くの場で語られて居ますが、毎年、『第九』を聴く時、私は、第四楽章の、テノールが声を上げる前の静かな箇所で、必ず彼らの事を思ひます。その時、彼らは、遠い日本で、敗北した祖国にどんな思ひを抱いたのだろうか?と思ふのです。そして、これは、もちろん、私の想像ですが、彼らの祖国(ドイツ)への思ひは、第四楽章前半の、テノールが最初の声を上げる前のこの弦の部分ではなかっただろうか?と思へてならないのです。

こう言ふ音楽の聴き方はいけないのかも知れません。しかし、『第九』のこの箇所を聴く度に、どうしてもそんな気がするのです。


おととい、都響の演奏で『第九』を聴いて居た時、曲が、第四楽章のこの箇所に来た時、私は、都響の指揮台に立って日本人のオーケストラと共に『第九』を奏でて居るベルク氏は、あのドイツ人捕虜たちの事を知って居るだろうか?と思ひました。知って居るに違い無いと思ひますが、旧東ドイツ出身のベルク氏は、旧西ドイツやオーストリア出身の音楽家よりも、彼ら日本で最初に『第九』を演奏したドイツ人捕虜たちの気持ちが分かるのではないだろうか?等と思ひました。

旧東ドイツをかつてのドイツ帝国になぞらえて居るのではありません。東ドイツなど崩壊して当然です。北朝鮮より少しましなくらいの警察国家で、「共産主義国家」であった東ドイツなどに、ベルク氏は、何の愛情も持って居ないに違い有りません。私は、旧東ドイツに生まれたドイツ人の大多数の人々と同様、ベルク氏が、旧東ドイツなどに何の愛惜しの念も持って居ないと信じて疑ひません。私の脳裏で、ベルク氏とかつて日本で『第九』を初演したドイツ人捕虜たちが重なって見えたのは、そう言ふ意味ではなく、一つの国家の崩壊を自分の人生の一部として目撃、体験した人間として、旧東ドイツ出身のベルク氏と、あのドイツ人捕虜たちがだぶって見えてしまったと言ふ事なのです。

そして、ヨーロッパから遠いこの国(日本)で、『第九』のあの旋律を奏でた時、ベルク氏も、あのドイツ人捕虜たちも、自分達がドイツ人である事と共に、自分達がヨーロッパ人である事を強く意識したのではないか?都響の指揮台に立つドイツ人指揮者の姿を見ながら、ふと、そんな事を思ひました。


2009年12月28日(月)


                  西岡昌紀


http://nishiokamasanori.cocolog-nifty.com/blog/

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