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使徒来襲「豚インフルエンザ」:ウィルスは神が使わす使徒である。【阿修羅版】陰謀論菌に犯された奴にはつける薬がありません!
http://www.asyura2.com/09/buta01/msg/195.html
投稿者 Ddog 日時 2009 年 4 月 29 日 00:07:55: ZR5JcjFY1l.PQ
 

                   [使徒来襲:第三使徒サキエル]

使徒来襲「豚インフルエンザ」:ウィルスは神が使わす使徒である。

人類は太古の昔より病原菌に襲撃され淘汰を繰り返してきた。ウィルスという神の審判により生存を許され、運よく生き残っているのが我々だ。ウィルスと人類は太古の昔より聖戦を戦ってきた。

例えばネイティブアメリカンを絶望的状況に追いやったのは、白人達が土地を奪い更にカスター将軍の奇兵隊がバンバン銃で撃ち殺したからではない。白人がヨーロッパから持ち込んだウィルスだったことはもはや定説である。(それも陰謀と言う人もいるかもしれないが)

紀元前5世紀地中海都市国家群のリーダーアテネは全盛を迎えていた。ライバルのスパルが盟主のペロポネソス同盟と戦争を始めたが、アテネは包囲されていた頃エチオピア方面から入り込んできた疫病(チフスや猩紅熱に似ているが今日の病気ではない)で人口の半分が死亡し、結果その後の地中海の歴史は変わった。まさかその頃から細菌兵器があったとは思えないが、歴史書では、スパルタの兵士には罹らずアテネ市民ばかりが倒れたとある。細菌は特定の遺伝子を持つ人間を選好して発症することもある。

英雄ナポレオンが20年間不敗の栄光の記録を保持して、1812年ロシアに30万の軍隊が侵攻した。ところがロシアに到着できたのは9万人に過ぎず、その9万人も有名な冬将軍に完膚なきまで叩きのめされ悲惨な末路をたどった。慣れぬ雪道に足を取られ補給が拙かった点もあるが、虱の大量発生による発疹チフスがその大敗の原因であった。日本のインパール作戦や南方で多くの日本兵の命を奪ったのは連合軍の銃弾ではなくマラリヤによる病死であったのだ。

ヒトの病原菌とのかかわりは黒死病(ブラック・デス)=ペストのことを語らなくてはならない。

村上陽一郎の『ペスト大流行』岩波新書
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「ちょっと病人と話をしたり、ときどき訪ねて行ったりしただけでも、健康体に感染して、同じように死んでしまったり、甚だしきは、病人の着物とか、病人のさわったり使ったりしたものはなんでも、それにさわると、たちまち感染するのでございました。……一日千人以上も罹病しました。看病してくれる人もなく、何らの手当を加えることもないので、皆果敢なく死んで行きました。また街路で死ぬ人も夜昼とも数多くありました。また多くの人は、家の中で死んでも死体が腐敗して悪臭を発するまでは、隣人にはわからないという有様でした。
上に述べましたような移しい数の死体が、どの寺にも、日々、刻々、競争のように運びこまれましたものですから、…墓地だけでは埋葬しきれなくなりまして、どこも墓場が満員になると、非常に大きな壕を掘って、その中に一度に何百と新しく到着した死体を入れ、船の貨物のように幾段にも積み重わて、一段ごとに僅かな土をその上からかぶせましたが、しまいには壕もいっぱいに詰まってしまいました」
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【村上陽一郎の『ペスト大流行』岩波新書】
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/books150.htm

古代から欧州は4回ペストのパンでミック( pandemic )を経験した。
ペストが、最初にヨーロッパを襲ったのは、西暦542年〜548年にかけて東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルが、ペストの最初の洗礼を受けたのである。

わずか四ヶ月のあいだに20〜30万人の死者を出し、東ローマ人全体の半分が死んだとさえ推定されている。当時の皇帝ユスティニアヌスの悪政のせいだということで、ユスティニアヌス病と名づけられた。

股(また)の付け根や脇(わき)の下のリンパ腺がはれあがり、全身に暗紫色の斑点があらわれて、ひどい膿疱(のうほう)ができる。中世ヨーロッパで名づけられた黒死病という名称は、死体の膿疱の「黒さ」からきている。

症状は急性で、1日から6日の潜伏期の後、あっというまもなく40度以上にも達する高熱を発し、熱のために脳神経系までもが冒されてしまう。ノミが媒介するペスト菌が原因である。

このため、ギリシア、ペルシア帝国、ローマ帝国と、もともとヨーロッパよりはるかに
先進文化圏だった地中海沿岸は、この後、長いこと西ヨーロッパや北ヨーロッパに遅れをとることになる。7世紀、イスラム帝国は、この地中海沿岸の混乱に乗じて、かすめとるようにしてこの地域を占領したが、ペスト菌まで占領してしまった。ペルシャのクテシフォンに大流行が起きた(628年)。東ローマ軍に敗れたペルシャはペストに苦しめられ、ついにサラセンへ滅ぼされることになる。


最大の流行は14世紀のもので、当時の全人口(1億人)のうち3千万人近くが黒死病で死んだと推定されている。ヨーロッパ中世に終焉をもたらした真の主役は、ほかならぬ
ペスト菌だった。
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大流行の端緒は中国(元)だった。1320年代の終わりから天候不順が続き、1334年に杭州で大地震が起こり、この時「悪疫」で500万人が死んだとの記録がある。これが天山北路経由で西に持ち込まれた。1337年にはクリミヤ半島やエーゲ海沿岸でペストの流行が見られた。1347年にはコンスタンチノープルや地中海の主要な港町に広がり、アビニヨン、フィレンチェ、ロンドンに伝播した後、スエーデン、ポーランドそしてロシアまで拡大している。この時代の欧州人口は1億人とされるが、2500〜3000万人がペストで死んだと推定されている。
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結局、14世紀のヨーロッパ全体で2500〜3000万人の死者が出て、全人口の1/4ないし1/3が死んだ。イタリア全土では1/12の人が死に、1349年 黒死病(ペスト)の大流行イングランドでは、全人口の半分もの人間が死に絶えてしまった。
そして、その後も黒死病は、ほぼ300周期で2度にわたって世界的に大流行した。
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ペストによる人口の激減は、ヨーロッパの中世農村社会の仕組みを根本からくつがえすことになった。ドイツの一部地域などでは、耕地や居住地が放棄される「廃村」現象がみられた。さらに、労働人口の激減の結果、労働者の賃金が上昇したのに対して、食料・穀物需要の減少は農産物価格の下落をひきおこしたので、農村における領主の所領経営(→ 領主制)は危機におちいった。これが14〜15世紀のヨーロッパ社会を特徴づける「農業危機」とか「封建領主制の危機」とよばれる事態である。
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【黒死病】
http://jp.encarta.msn.com/text_761572742__1/content.html

ペストは全ヨーロッパ〜アラビア〜中国に広がり、10年〜14年の周期で流行を繰り返した。つまり、ペスト菌は、ある時、一気に活性を高めて大量にヒトに感染し致死させ、ヒトの免疫性が高まっているあいだは潜伏して、再び登場するという歴史を繰り返した、というわけである。

ヨーロッパにおける黒死病とヒトとの関係から、今日のヨーロッパ人は、ペスト菌が宿主として、「好む」タイプの人たち、すなわち感染してはいれるけど、発病しない人びとや、発病しても死なない人びとだけが残された。

病気は必ずある種の体質の人びと、ある一定の遺伝上の特質を持つ人びとのグループを直撃するこのも記録されている。つまリ、ウィルスやバクテリアが登場して活躍すると、死ぬべき体質の人は死ぬ。生き残った人の免疫は高まっており一旦鎮まる。しばらくすると、また発病すべき体質の人が出て死亡する。その病原体たるバクテリアやウィルスをヒト全員に故意に接種したとしても、発病率は絶対100%にはならないし、もちろん、体力のあるなしが発病に影響することはあるが、100%の致死率には至らない。そうやって人類は病原菌やウィルスと戦って、淘汰され生き残ってきたのだ。

ヨーロッパであれだけの人が死んだということは、ほぼ100%の人が感染していたはずで、だとすれば、生き残った人は、ペスト菌という神か閻魔の審判によって生を許されたのかもしれない。大多数の宗教が崇め奉っている神とは、ペスト菌かもしれないのではない。

日本の北里柴三郎がペスト菌を発見したのは、19世紀末の歴史上最後の大流行の最中であった。ノーベル医学賞の第一号となっても何等遜色のない偉業であったと思うが、西洋以外野蛮人の国だと思っていた時期に、ヨーロッパ人の天敵を東洋人に発見されたのは屈辱であったのかもしれません。

ペスト菌が人類の手によって克服された後、神は使徒として新たに「インフルエンザ」を使わした。
WIKI【インフルエンザウィルス】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9

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インフルエンザと人類の関わりは古く、古代エジプト時代にはすでにこの感染症が知られていたことが記録に残っている。1876年のコッホによる炭疽菌の発見以降、さまざまな感染症についてその病原体が分離・発見されていったが、インフルエンザ病原体の発見は困難をきわめた。
1892年、北里柴三郎らがインフルエンザ患者の気道から病原体の候補となる細菌を分離し、Haemophillus influenzae(インフルエンザ菌)と名付けたが、コッホの原則に基づいた証明には至らなかった。当時はまだウイルス自体が認知されておらず、ディミトリ・イワノフスキーによってウイルスの存在が初めて報告されたのが、北里の発見と同じ1892年のことである。
1918年から1919年にかけて、スペインかぜの大流行が発生。人類は初めてインフルエンザの世界的大流行に遭遇した。このときの感染者数は6億人、死者は4000-5000万人にのぼると言われるが、候補となる細菌やウイルスが報告されたものの、マウスやウサギなどの一般的な実験動物で病気を再現することができなかったため、その病原体の証明には誰も成功しなかった。
1933年、ワシントンで発生したインフルエンザの患者から分離されたウイルスを使って、フェレットの気道に感染させてヒトのインフルエンザとよく似た症状を再現できることが実験的に示された。この実験によって、インフルエンザの病原体がウイルスであることが明らかとなり、インフルエンザウイルス(後にA型インフルエンザウイルス)と名付けられた。後に、この当時の流行株に対する抗体が、スペインかぜのときに採取されていた患者血清から検出され、スペインかぜの病原体がこれと同じもの(H1N1亜型のA型インフルエンザウイルス)であることが明らかになった。
1940年、インフルエンザ患者から従来とは抗原性が異なるウイルスが分離され、B型インフルエンザウイルスと名付けられた。
1946年、鼻かぜ症状を呈した患者からA、B型と異なるウイルスが分離され、1950年に病原性が証明されてC型インフルエンザウイルスと名付けられた。
1957年、アジアかぜが世界的大流行を起こす。それまで流行していたH1N1亜型とは異なり、H2N2亜型に属する新型ウイルスであることが明らかになった。同時にH1N1亜型のものは姿を消した。
1968年、香港かぜの世界的大流行。H3N2亜型に属する新型ウイルスであった。同時にH2N2亜型のものは姿を消した。
1977年、ソ連かぜが流行。これはスペインかぜと同じH1N1亜型に属するものであった。アジアかぜ以降姿を消していたH1N1型が再び出現した理由は明らかになっていない(一説には、アザラシなどヒト以外の生物が保存していたためとも言われている)。このときはH3N2亜型は姿を消すことなく、以後H1N1とH3N2が毎年流行を起こすようになっている。
1997年、香港でH5N1亜型という新型の、しかも高病原性インフルエンザウイルスが、トリからヒトに直接感染して死者が発生した。トリからヒトへの直接感染は起きないというそれまでの定説を覆すものであり、世界的大流行が危惧されたが、ヒトの間での伝染力が低かったため大流行には至らなかった。
2001年、欧米や北アフリカ、中近東の数カ国でH1N2亜型に属するウイルスがヒトの間で流行していることが確認された。これはH1N1亜型のH1とH3N2亜型のN2を併せ持ったウイルスであった。2006年現在、流行は小規模にとどまり、H1N1やH3N2に取って代わるほどの勢いはない。
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【豚インフルエンザ】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B6
それにしても最近のWIKIのUPは神速だね。

【Ddogのプログレッシブな日々】
http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/26384017.html

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ここからは、阿修羅版 <陰謀論菌に頭を犯された「豚インフルエンザ」陰謀論支持者にはつける薬がありません!>

陰謀論菌に頭を犯された重傷の陰謀論者諸君への侮蔑である。

感染力から見れば兵器とは違うのでは?まあ、陰謀論菌に頭を犯された人間には直す薬はなさそうですね(笑)「陰謀だ!陰謀だ」って、近代以前の社会で、天変地異が起きたり日食などの自然現象すべてが「祟りじゃー!」と騒いでいるのと同じ次元だということにいい加減気がつかないかナァ!

菌は1年間に何万世代も代変り、時として人類は何度も病原菌に襲撃され淘汰を繰り返してきた。スペイン風邪や中世ヨーロッパを襲った黒死病もすべて陰謀だったのか?よーく考えてみましょうね。

もっともこの板は悪い冗談を本気で信じたように見せかけ皆で笑い飛ばすブラックジョーク板でジョークを理解しない私が不粋者なのかしら?

脳ミソが陰謀論菌に犯された重傷な豚インフルエンザ陰謀論支持者諸君には、とてもつける薬がありません!「うましか!」「うましか!」

下記の記事を読んで笑った笑った!↓

【さてはてメモ帳】< 2008年 12月 03日>
豚インフルエンザによる大虐殺 by ユースタス・マリンズ 
http://satehate.exblog.jp/10254804/
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豚インフルエンザによる大虐殺

今では「豚インフルエンザによる大虐殺」として知られている風邪が流行したとき、米国大統領[1974-1977]ジェラルド・フォード[Gerald Ford, 1913-2006]は全国キャンペーンを展開して国民にこの予防接種を受けさせた
実はこの計画を裏で操ったのは大手製薬会社で、彼らはこの計略のおかげで一億三五〇〇万ドルの思いがけない利益を得たのであった。
−−
March 24, 1976: Ford Orders Swine-Flu Shots for All
http://www.wired.com/science/discoveries/news/2008/03/dayintech_0324
初め製薬会社は、豚が感染する「豚インフルンザ」のワクチンを開発した。しかし用心深い養豚家たちは、ワクチンのために豚が全滅してしまうことを恐れて、このワクチンに手を出さなかった。 製薬会社は養豚家から単に八〇〇〇万ドルの儲けを得ようとしただけであったが、販売に失敗したので「市場」を変更することにした。つまり対象を「人間」に変えたというわけである。

全国的な豚インフルエンザの予防接種を直接推進したのは、ジョージア州アトランタにある疾病管理センターCDCであった。同じころ、日米欧三極委員会TCの米国委貞ジミー・カーターが、ジョージア州での大統領選の選挙運動を計画していたのは、おそらく偶然の一致であろう。

当時の現職大統領ジェラルド・フォードは、官僚機構の巨大な支持基盤を背景に選挙戦で断然優位に立ち、無能で名の知れないジミー・カーターなど問題ではなかった。しかし突然、アトランタの疾病管理センターから全国規模での「豚インフルエンザ」 の予防接種キャンペーン計画がもち上がった。実際には米国国内にこの病気に罹っていた者など一人もいなかったのだが、だからといって医療支配者たちは自分たちの計画を思い止まりはしなかった。

かつて養豚家たちは、数頭のブタにワクチンを接種する実験を見て衝撃を受けていた。なぜならブタは接種後に衰弱して死んでしまったからである。 そのあとで開かれた巨大製薬会社の役員会議が重苦しいものであったことは想像に難くない。 しかしある聡明な若手社員が次のように提案してから状況は一変した。 「そうですね。もし養豚家がこのワクチンをブタに注射しないなら、残された唯一の販売市場は人間だと思います」 

しかしフォードが支援したこの「豚インフルエンザ」キャンペーンは、ほとんど途中で挫折した。

その発端は、保健教育厚生省HEWにつとめ、その後食品医薬品局ウイルス局の局長として活躍していた良心的な公僕、アンソニー・モリス博士が次のような発言をしたことから始まった。

   「信頼すべき豚インフルエンザのワクチンなどあるはずがない。なぜならこの病気に罹っている患者などどこにもいないので、実験のしようがないからである」

さらに博士は声明を発表した。

   「豚インフルエンザのワクチンなど、まったく効果がない」
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FLU Vaccines 'Worthless' Says Eminent FDA Virologist
http://members.iquest.net/~macihms/SpecialInfo/flushot.html
−−
モリス博士はただちに食品医薬品局を解雇されたが、この計画はすでに損害を被っていた。

損害を穴埋めするため、偉大な博愛主義者ウォルター・クロンカイトと米国大統領は、力を合わせて医療独占支配体制の救援に乗り出した。
クロンカイトは大統領を彼のニュース番組に引っばり出し、国民に豚インフルエンザの予防接種を受けることをテレビを通じて訴えさせた。
しかし番組を放映したCBSは、それ以降豚インフルエンザワクチンの分析や科学的な批判をあえて報道する理由を見つけることができなくなった。しかし、ワクチンには多くの有害物質が含まれていることが明らかになっていた。見つかったのはウイルス性異種蛋白粒子、ホルムアルデヒド、ニワトリの卵の幼胚の残漬物、サッカロース、スィーモロサル(有毒な水銀誘導体)、ポリソルベート[界面活性剤]など約八〇種類の物質であった。

さて、モリス博士の方であるが、博士が食品医薬品局をただちに解雇された後、特別処理班が博士の使っていた四つの研究室を一掃するために突然押し入った。研究室には博士の言い分を立証するデータを持つ多くの実験動物が残されていた。これらの動物は約三年間の絶え間ない研究の象徴であった。特別処理班はすべての動物たちを即座に処分し、博士の研究記録もすべて焼却した。 彼らは部屋中に塩をまくことまではしなかった。自分たちの仕事はこれで済んだと思ったからである。

一九七六年四月十五日、米国議会は豚インフルエンザ予防接種の全国キャンペーンに、国民の税金から一億三五〇〇万ドルを提供する 「公法第九四−二六六号」を可決した。この法律で保健教育厚生省HEWは、州あるいは地方の保健所に政府基準に基づいて無料でワクチンを配布することになった。

しかし保険会社各社は、ワクチンの影響を予測しうるような試験がまったく行なわれていないので、もし予防接種が原因で製薬会社が裁判に訴えられたとしても、そのようなメーカーの損害の保険は引き受けない、という警告を公に発表した。

このような保険会社の態度を挫くために、ジェラルド・フォード大統領はCBSの番組に登場し二億一五〇〇万人の米国民に向かい 「まだ間に合ううちに自分の身を守り、親切な地域保健所に急いで行って無料の豚インフルエンザの予防接種を受けなさい」と熱烈に訴えた。この番組はCBSの名高い 「公共サービス」 の歴史上、最高の番組であったかも知れない。

けれども予防接種の全国キャンペーンがまだ終わらないうちに、ワクチンによる犠牲者が続々と報告され始めた。そして二、三カ月のあいだに、豚インフルエンザワクチンが原因で麻痺になった被害者からの賠償請求額は、合計一三億ドルにも達したのであった。

しかし医学界の権威者たちは、これに十分に対処した。この麻痺に 「ギラン・バレー症候群」[医学的には原因不明とされている]という新たな病名を付けることで医療独占体制の擁護にまわったのである。

「エイズ」が流行し始めたのは、フォード大統領が国民への予防接種を訴えてからまもなくのことであったが、この病気は単に豚インフルエンザワクチンのウイルスが変異したものであると推測する者が、今[1988]ではしだいに増えてきている。(引用注:1988年にはまだ、いろいろな議論があった。しかし、ヤコブ・ゼーガル博士らによって、「The Origin of AIDS 1989」、邦訳「悪魔の遺伝子操作」中で分析されているように、実際はヒツジの致死性ビスナウイルスとウシ白血病ウイルスを混合して作った可能性が高い。「予防接種キャンペーン」には、ブタインフルエンザワクチンの処理のためだけではなく、当初よりこういう病原体を植えつける意図があっただろう。エイズの開発は、1970年代に行われていたのである)

さて、豚インフルエンザ大虐殺の下手人、ジェラルド・フォード大統領はその後どうなったであろうか?

大統領は「大失敗」(「」は引用者)の責任を負うべき当然の人物として、国民の非難の嵐に耐えなければならなかった。その結果、まったく当然ながら、次の大統領選で敗北した(ちなみに以前フォードが大統領に指名されたのは、国際製薬トラストの諜報部員がリチャード・ニクソンを大統領執務室から追い出した結果であった)。(引用注:ニクソンは「ユダヤ人」が税金を払っていないのを調査させようとしたそうである。これも、ニクソン失墜の大きな原因だろう)

ジミー・カーターは、日米欧三極委員会TCの超秘密メンバーのあいだでしか知られていない、一般国民にとってはまったく無名の人物であったが、国民のフォード大統領に対する怒りのおかげで大統領選に楽勝して政権の座についた。

しかしその後、カーターが大統領[1977-1981]に選ばれたことは、国民にとって豚インフルエンザの大流行とほとんど同じくらい酷い災難であったことが明らかになるのである。(引用注:そして、「エイズウイルス入りワクチン」の注射・接種が始まったのだった。「同じくらい」どころではなかった)

一方、政治活動から引退したジェラルド・フォードは、選挙に負けただけでなく、残りの人生をパームスプリングスのゴルフコースで熱い砂地のコースを飽き飽きするほど歩いて上がったり下がったりするという刑に服することになった。
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大爆笑だね!

私が知る限り1976年にアメリカで大虐殺なんか無かったよ〜。お年よりが2〜3人この予防接種で亡っただけだ。

もしもしー!夕方のニュースじゃ3000〜4000万人のアメリカ人が予防接種を受けたというではないか!30年以上前だからそのうち1000万人がすでにお亡くなりになっていたとしても、2000万〜3000万人はすでに免疫を持っているということになるぜ!
お年寄りが2〜3人この予防接種で亡くなって、中止になったと言う話だったが、これじゃ陰謀論ではなくてフォード大統領の隠れた功績を讃えているのでは!

まったく陰謀論の人達の脳内構造はどうなっているんだ!

それにしても昨年12月に豚インフルエンザを騒いでいた功績は讃えようじゃないか!偶然だろうけど。
 

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