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戰後のGHQに據る日本洗腦政策
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/195.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 11 月 21 日 20:28:58: Gsx84HOp6wiqQ
 

(回答先: 近衛上奏文 近衛文麿と左翼の敗戦革命 投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 11 月 19 日 23:24:40)

 
 
 
 
戦後のアメリカの占領政策
昭和の吉田松陰と言われる安岡正篤先生の著書「運命を作る」より
http://www.accordcompany.jp/i/3r5d3s.html
 
 
昭和の吉田松陰と言われる安岡正篤先生の著書「運命を創る」より

アメリカの占領政策ー3R、5D、3S政策
この欠陥(昭和の教育が知識、技術に偏り人間学の教育が無かった)が終戦後また現れまして、占領軍の日本統治に対して対応する仕方を全く誤りました。占領軍は、むしろ日本を非常に買かぶっておりましたから、いかにこれをアメリカナイズするかということにたいへん研究を積んでおります。このアメリカのGHQの対日政策というものは実に巧妙なものでありました。
この政策に巧妙な解説がありますが、たとえば3R、5D、3S政策というものです。
これについて、私に初めて説明した人の名前を今、記憶しないんですが、当時GHQにおりました参事官でガーディナーという、ちょっと東洋流の豪傑のようなところもある人物からも直接聞いたことがあります。
それによると、3Rはアメリカの対日占領政策の基本原則、5Dは重点的施策、3Sは補助政策です。


3Rの第一は復讐(Revenge)です。
アメリカ軍は生々しい戦場から日本に乗り込んだばかりで復讐心に燃えていたので無理もありませんが、復讐が第一でした。

第二は改組(Reform)。
日本の従来のあらゆる組織を抜本的に組み替える。

第三は復活(Revive)で、改革したうえで復活、つまり独立させてやる、抹殺してしまうのは非人道的だからというわけですが、この点、日本はアメリカが占領軍で有難かったわけですー共産国だとどうなったかしれません。

5Dの第一は武装解除(Disarmament)、第二は軍国主義の排除(Demilitalization)、第三は工業生産力の破壊(Disindustrialization)で、軍国主義を支えた産業力を打ち壊すというもの。
第四は中心勢力の解体(Decentralization)で、行政的に内務省を潰してしまう。
警察も国家警察も地方警察とに分解する。
そして財界では、三井総元方あるいは住友、三菱の総本社を分解する、つまり財閥解体です。
第五は民主化(Democratization)で、日本の歴史的・民族的な思想や教育を排除してアメリカ的に民主化する。
そのためにはまず日本帝国憲法を廃棄して天皇を元首から引き降ろし、新憲法を制定してこれを象徴にする。
皇室、国家と緊密な関係にあった神道を国家から切り離す、国旗の掲揚は禁止する。
教育勅語も廃止する。
これにはかなり抵抗がありましたけれども、GHQのひとにらみで駄目になってしまった。
新憲法も、あれを受け入れるならば、「日本が独立の暁には、この憲法は効力を自然に失う」という付則をつけておくべきであったが、そういうことも何もしていない。
ドイツなどは、それをちゃんとやったのです。
これをやらなかった日本は、本当に間抜けというか、意気地なしというか・・・、そしてアメリカ流のデモクラシーに則って諸制度を急につくり上げてこれを施行したわけです。
これが5D政策です。
それを円滑あるいは活発に行わしめる補助政策として3S政策があった。
第一のSは、セックスの解放、第二のSがスクリーン、つまり映画・テレビというものを活用する。
それだけでは民族のバイタリティ、活力、活気を発揮することがないから、かえって危ない。
そこで精力をスポーツに転ずる。これはうんとやらせる。
スポーツの奨励ーこれが第三のS。
これらを、3Rの基本原則と、具体的な5D政策の潤滑油政策として奨励した。
なるほど、これはうまい政策でありまして、非常に要を得ておる。
これを3R、5D、3S政策というわけです。
こうした占領政策を施行された時に、日本人は堂々と振る舞うと思ったのですが、案に相違して、我も我もとGHQ参りを始めました。
特に公職追放が行われてから後は、表向きの人々はGHQ様々で唯々諾々として「命これを奉ずる」という有様でした。
そこへゆくと、同じ敗戦国でもドイツ人は違っていました。彼らは、なにしろ昔から勝ったり負けたり繰り返してきているから、たまたま負けても動ずるところがない。
ですから、占領軍が命令しても悪いことは堂々と拒否する。
日本人は唯々諾々、直立して「イエス・サー」と言うからイエスマンといわれたが、ドイツ人はこういうふうですからNein Mensch No Manです。
占領軍は、だから、初めは日本人を可愛がり、ドイツ人を憎みましたが、しばらくすると、「日本人はつまらぬ、骨がない」と軽蔑し、逆にドイツ人は「しっかりしとる」と褒めるようになったのです。
日本を全く骨抜きにするこの3R、5D、3S政策を、日本人はむしろ喜んで、これに応じ、これに迎合した、あるいはこれに乗じて野心家が輩出してきた。日教組というものがその代表的ものであります。
そのほか悪質な労働組合、それから言論機関の 廃、こういったものは皆、この政策から生まれたわけです。
今日の日本の堕落、 廃、意気地のなさ、こういう有様は昨日今日のことではない。
非常に長い由来・因縁があることを考えないと、これを直すことははできません。
皆さんが今後起こってくる諸般の問題をお考えになるのには、目先の問題をとらえた流行の皮相な理論では駄目でありまして、先程申したように、少なくとも明治以来の思考三原則によって徹底した考察をなさらないと正解を得られない。

したがって、今後の真剣な対策も立たないということを私は信ずるのであります。
 
 
 
 
 
 
 
 
日本人が知らない 恐るべき真実
2006-03-16■戦後のGHQによる日本洗脳政策 02:48
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060316
 
 
■戦後のGHQによる日本洗脳政策 02:48

1945年8月末、アメリカ軍を主体とする連合国軍の進駐が始まり、日本の占領が始まりました。ポツダム宣言は「日本軍」の無条件降伏を確保するため「日本政府」に降伏条件を提示した文書であり、日本政府の無条件降伏を意味するものではありませんでしたが、戦艦ミズーリ艦上で停戦協定にあたる降伏文書への調印がなされると、アメリカは態度を急変させます。

占領統治は、日本がアメリカの脅威とならないような無力な国にすることを目的とし、マッカーサー司令官率いる連合国軍総司令部(GHQ)の指令を日本政府が実行するという形で行われました。

GHQは1945年9月から占領終了までのおよそ7年間、言論の検閲を行いました。また、国民に検閲が行われていることを認識させないよう検閲制度への言及を厳禁しています。

プレス・コード

1945年9月21日、日本新聞遵則(日本出版法、プレス・コード)、日本放送遵則(ラジオ・コード)が報道関係者に公表されました。

〈日本出版法〉

第1条 報道は厳に真実に則するを旨とすべし。

第2条 直接又は間接に公安を害するが如きものは之を掲載すべからず。

第3条 聯合国に関し虚偽的又は破壊的批評を加ふべからず。

第4条 聯合国進駐軍に関し破壊的批評を為し又は軍に対し不信又は憤激を招来するが如き記事は一切之を掲載すべからず。

第5条 聯合国軍隊の動向に関し、公式に記事解禁とならざる限り之を掲載し又は論議すべからず。

第6条 報道記事は事実に則して之を掲載し、何等筆者の意見を加ふべからず。

第7条 報道記事は宣伝の目的を以て之に色彩を施すべからず。

第8条 宣伝を強化拡大せんが為に報道記事中の些末的事項を過当に強調すべからず。

第9条 報道記事は関係事項又は細目の省略に依つて之を歪曲すべからず。

第10条 新聞の編輯に当り、何等かの宣伝方針を確立し、若しくは発展せしめんが為の目的を以て記事を不当に顕著ならしむべからず。

1945年9月29日には、言論機関がいかなる政策ないしは意見を表明しようとも、新聞、その発行者、または新聞社員に対して、日本政府は決して懲罰的措置を講じてはならないとする「新聞と言論の自由に関する新措置」が指令されました。

遵則により連合国に不都合な記事はすべて封じ込められ、「新聞と言論の自由に関する新措置」によって国家に対する忠誠義務から解放された日本の言論機関には、連合国の「政策ないしは意見を表明する」機関とならざるをえなかったのかもしれません。

事前検閲

民間検閲支隊内に新聞映画放送部(PPB)が新設され、要員事情が許す限り主要新聞は事前検閲、それ以外の新聞はすべて事後検閲の対象となりました。また、あらゆる形態の印刷物、通信社、ラジオ放送、映画、宣伝媒体に属する他の娯楽も検閲を受けることになります。

1945年10月8日より、同盟通信社に対して実施されていた事前検閲は、朝日、毎日、読売報知、日本産業経済、東京新聞の5紙に拡張されました。

検閲により削除が命じられた箇所は、墨で塗りつぶす、余白として残す、○○等によって埋めるなどの方法を取ってはならないとされました。検閲の秘匿を徹底させるためです。

検閲指針

「削除または掲載発行禁止の対象となるもの」として30項目からなる検閲指針がまとめられ、連合国批判、東京裁判批判につながる一切の言論が封じ込められました。

1.SCAP−連合国最高司令官(司令部)に対する批判

2.極東軍事裁判批判

3.SCAPが憲法を起草したことに対する批判

4.検閲制度への言及

5.合衆国に対する批判

6.ロシアに対する批判

7.英国に対する批判

8.朝鮮人に対する批判

9.中国に対する批判

10.他の連合国に対する批判

11.連合国一般に対する批判

12.満州における日本人取り扱いについての批判

13.連合国の戦前の政策に対する批判

14.第三次世界大戦への言及

15.ソ連対西側諸国の「冷戦」に関する言及

16.戦争擁護の宣伝

17.神国日本の宣伝

18.軍国主義の宣伝

19.ナショナリズムの宣伝

20.大東亜共栄圏の宣伝

21.その他の宣伝

22.戦争犯罪人の正当化および擁護

23.占領軍兵士と日本女性との交渉

24.闇市の状況

25.占領軍軍隊に対する批判

26.飢餓の誇張

27.暴力と不穏の行動の扇動

28.虚偽の報道

29.SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及

30.解禁されていない報道の公表

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムとは、民間情報教育局(CI&E)によって展開された、日本人に戦争の罪悪感を植えつけ、民族の誇りと自尊心を奪い、再びアメリカおよび連合国の脅威とならないよう、無力化、弱体化させることを目的とした計画です。

民間検閲支隊による検閲と民間情報教育局による宣伝が相乗効果を発揮し、戦前の日本人の歴史観、道徳観は変えられていきました。

太平洋戦争史

1945年12月8日、新聞各紙で「太平洋戦争史」の掲載が始まりました。連合軍司令部が提供するその記事は「今や日本国民が今次戦争の完全なる歴史を知ることは絶対に必要である」とし、日本軍がいかに残虐であったか、日本の軍国主義者がいかに非道であったかを強調する内容でした。

「太平洋戦争史」掲載開始から1週間後の12月15日、いわゆる「神道指令」により「大東亜戦争」という呼称は禁止となりました。日本人の立場による「大東亜戦争」史観を封印し、連合国の立場による「太平洋戦争」史観を植え付けることが目的のようです。

江藤淳氏は著書『閉された言語空間』の中で「歴史記述をよそおってはいるが、これは宣伝文書以外のなにものでもない」とし、次のような指摘をしています。

そこにはまず、「日本の軍国主義者」と「国民」とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている。

これは、いうまでもなく、戦争の内在化、あるいは革命にほかならない。「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、「国民」に対する「罪」を犯したのも、「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである。

そして、もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI&Eの「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。つまり、そのとき、日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。以後日本人が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいないから。

1945年12月31日、民間情報教育局は、修身、国史、地理の授業を即時中止するよう指令し、翌年4月、文部省は新聞連載終了後に単行本として刊行された『太平洋戦争史』を国史等授業停止中の教材として使用するよう通達しました。こうして『太平洋戦争史』は教育現場に浸透し、戦後の日本に重大な影響力を及ぼすことになります。

真相はかうだ

1945年12月9日、民間情報教育局は「太平洋戦争史」をもとに、ラジオ番組「真相はかうだ」の放送を開始させます。

番組は日曜日の午後8時からNHKで放送され、全10回、1946年2月まで続きました。その後「真相箱」「質問箱」と名称を変えながら1948年1月まで続けられることになります。

櫻井よしこ著『「真相箱」の呪縛を解く』によれば、番組は反軍国主義思想の文筆家が太郎という少年に話を聞かせるという構成で、戦争を連想させる音響効果を大袈裟に使いながら状況を盛り上げていくドキュメンタリー形式であったといいます。

しかし、番組の放送が開始されると、それまで日本人を支えてきた価値観が全面的に否定され、日本が断罪される内容に、国民は強い拒否反応を示し、NHKには批判や反発の手紙が殺到しました。

日本人の世論を激昂させ、一致団結させることにもなりかねないと感じた民間情報教育局は、「真相箱」では断定的な口調を止め、聴取者からの質問に答えるという形式に変えました。

しかし、櫻井よしこ氏は、「真相箱」の設問が極めて意図的であり、設問の裏に隠された意図は容易に見えてくるとし、この宣伝は次のような理由から効果を発揮したのではないかと分析しています。

なぜなら彼らが使っている手法は、真実のなかに、一部の虚偽を織り交ぜるそれであるからだ。

聴取者はそこにちりばめられている真実のために、巧みに交ぜられている虚偽も含めて真実に違いないと思いこみがちだ。

虚偽が混ざっていても、正確に分析するのは難しい。どこまでが真実で、どこまでが虚偽かを見分けるのは語られている戦争を実際に体験した人や専門家でなければ難しいことだろう。だが敗戦のショックから、日本の戦争体験者は多くを語らなかった。GHQ主導の社会が彼らが語るような環境をつくらせなかったといってよい。また、専門家もGHQの意向に逆らう言論は口にしかねた。こうして、一般の人々は、おかしいと直感的に思いながらも、一体どこがどのようにおかしいのか、明確にできないまま、それを受け入れ、あるいは聞き流すしかなかったのではないか。

虚偽の情報が積み重なっていけば、長い時間の中でそれらは「真実」に変身していく。

これらの番組は東京裁判と同じ時期に放送されていました。日本側の戦時指導者が逮捕され、日本が犯罪国家として裁かれることが倫理的に正当であると日本国民に納得させようとする巧妙な心理操作だったようです。

修身教育

1945年12月31日、民間情報教育局は、修身、国史、地理の授業を即時中止するよう指令を発し、これらの教科書の回収が命じられました。

「修身」とは、古今東西の偉人らの逸話を通じて、努力、忍耐、責任、公益、勤勉などの徳目を子供たちに学ばせ、人格を陶冶する教科でした。

『精撰「尋常小學修身書」』の監修者、八木秀次氏は、「修身を学んだ世代は具体的な人物像を通じて血の通った形で道徳を学んでいた」と指摘し、「共通の人物像を結ぶことで、親と子が、兄弟が、夫婦が、職場の同僚が、共通の了解を行ない、それが人々の間に価値観の共有とコミュニケーションを生んでいる。ここには『世代の断絶』も『価値観の相違』ということもない」と述べています。

戦後の日本では、修身教育は軍国主義の象徴と見なされ、その文脈で道徳教育までもが忌避されてきました。その結果が現在の日本の世相に見事に現れているのではないでしょうか?


【参考】

http://blogs.yahoo.co.jp/teikokubungaku/5092413.html?p=1&pm=c

http://blogs.yahoo.co.jp/teikokubungaku/5137558.html?p=1&pm=c

http://blogs.yahoo.co.jp/teikokubungaku/5419410.html?p=1&pm=c

http://blogs.yahoo.co.jp/teikokubungaku/5650384.html?p=1&pm=c

http://blogs.yahoo.co.jp/teikokubungaku/6219833.html?p=1&pm=c
 
 
 
 
 

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