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「辺境最深部に原発立地せよ」の信念で動いてきたのは「中央権力」ですよ。>Re: 「日本の辺境」という表現はいかがなものか
http://www.asyura2.com/09/genpatu6/msg/159.html
投稿者 passenger 日時 2009 年 6 月 14 日 01:57:26: eZ/Nw96TErl1Y
 

(回答先: Re: 「日本の辺境」という表現はいかがなものか 投稿者 異論半論 日時 2009 年 6 月 13 日 23:40:18)

異論反論さんに私の真意が伝わらなかった感があるので、一言付け加えましょう。


私自身は、少なくとも日本に関する限り、アンリ・ルフェーブルじゃないが
全国津々浦々に「都市化」というか、都市的な資本主義が貫徹してしまった
今では、「辺境」と呼べるものはすでに解体され、消失してしまったのでは
ないかと感じています。 

ただし、政治権力や金の流れという観点からみれば、日本に「中心」と
「辺境」という度し難い差別的空間落差、あるいはそういう落差を
生み出す差別意識がが厳然と存在している。

実際、原発のような迷惑施設は、「中心」の権力が、「辺境」の現地ミニ権力を
札束その他の強制力(ゲヴァルト)によって一定程度支配することによって、
まさに「辺境」に作られてきたものである。

太田「竜」はかつて、「左翼」運動から「退却」するに際して、「辺境最深部に
退却せよ」と叫んだものだったが、これにならって言えば、原発立地を
押し進める権力「中心」の連中は、まさに「辺境最深部に原発立地せよ!」
というスローガンに沿って、日本の「辺境」のなかの、そのまた「辺境」の
ような場所を選んで、その土地のコミュニティーを滅茶苦茶に破壊しながら、
原発立地を行なってきた。

おそらく明治維新で西洋風の近代中央集権国家を打ち立てるまでの日本では、
たとえば江戸時代のように、統治権力の中心はたしかに現在の東京に
あったわけだけれども、それでも諸藩・諸国の自治は、今よりもずっと
自由度が高く、各地方には独自の文化と生活が、おおらかに展開して
いたであろう。 私の短い人生経験からいえば、まだ1970年代の前半
くらいまでは、全国各地に独自の文化が活発に生きていて、地方都市は
そうした独自文化の“結節点”として、面白い状況が展開していた。

ところが1980年代以降、あれよあれよという間に東京一極集中が
病的な速度と深度で進んでしまい、地方の文化は枯れてしまったように
思える。 (ついでにいうと、日本の文化状況がこれほどアメリカ一色に
染まってしまったのも、終戦直後を除けば、80年代からである。)

だから私は、日本の国土を覆っているのは、「中心vs辺境」という
二元対立ではなく、あたかも食中毒になると腸管に体液が異常浸出して
腸管の内容物が水様の下痢便になってしまうような、民衆的活力というか、
活性というか、そういうものの病的な偏差と集中だと見ている。

日本に「中心と辺境」とか「中心と周縁」といった、たとえステレオタイプでも
あっても、そうした空間的な異質性があるなら、山口昌男の「中心と周縁」
シェマじゃないが、それこそ「周縁」から「トリックスター」でも現れて、
「中心」から放射される権力秩序を攪乱してくれるんじゃないかという、期待感も
出るだろう。 ……だが、そういう「中心と周縁」の可能性は、今の日本には
望めないのかもしれない。

私が下記の
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【日本の辺境ではまだ原発カーゴカルトの土俗信仰が続いている】「原発は腫れ物でなく宝物」新潟県の大名誉教授が説く原発活用論
http://www.asyura2.com/09/genpatu6/msg/157.html
投稿者 passenger 日時 2009 年 6 月 08 日 00:37:29
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という投稿で「辺境」という言葉をつかったのは、情けないことに、
原発立地を受け入れた現地で、その近辺のイナカの「大教授」センセイ
なるものが説教して、原発を「地域おこし」のネタに使いましょう、などと
馬鹿なことを吹聴し、現地の新聞がそれを批判もせずに書き立てて
いるからだ。 中央官庁のテクノクラートや権力に連なる政治屋たちは、
「辺境最深部に原発を立地せよ!」という差別的な発想で、「僻地」に
原発を押しつけた。 そして、原発を受け入れた地元では、この地方蔑視の
発想や思想を、原発とともに受け入れて、自らを「辺境」と規定しながら、
地域おこしを考えている。 

「辺境」のいう言葉に、差別的・蔑視的な意味合いがあるとすれば、この
卑屈な態度は、まさに「辺境的アイデンティティー」とでも言うべきものだ。

都市化、というか、近代化、というか、あるいは資本主義の貫徹といっても
いいだろうが、そうしたものが日本全土を覆ってしまえば、地方での暮らし
のほうがスリリングで面白い。 実際、戦後「近代化」が飽和状態に達した
感がある今、地方の小都市から面白い文化がどんどん生まれつつある。
かつて原発立地を受け入れてしまった地域であっても、「原発は腫れ物で
なく宝物」などというクダらないアジテーションを蹴飛ばして、原発に経済的
に寄生することなく、地域おこしをして欲しい。 

……とまあ、そういう気持ちから、皮肉と批判をこめて、「大教授」センセイの
絶望的なアジテーションをだまって受容している原発立地地域の状況を、
紹介したわけです。

 

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