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資本主義の精神について小室直樹先生の指摘するエスト(急所)
http://www.asyura2.com/09/hasan61/msg/552.html
投稿者 Ddog 日時 2009 年 2 月 14 日 16:31:46: ZR5JcjFY1l.PQ
 

(回答先: 再確認: 資本主義の精神 投稿者 健奘 日時 2009 年 2 月 14 日 12:14:32)

健奘 殿の言っておられるのは
たぶん、小室直樹「日本資本主義崩壊の論理」光文社P149のことでしょう。

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資本主義の理想では、人間は富を管理するだけの機械である
結果としての富は「神の恩恵(グレイス)」である。が、それは神のものであって、人間が消費するなんてとんでもない。ヴェーバーは言う。
人間のものではない。
人間は神の恩恵によって与えられた財貨の管理者にすぎず……その一部を、神の栄光のためでなく、自分の享楽のために支出するなどといったことは、少なくとも危険なことがらなのだ。……人間は委託された財産に対して義務を負っており、管理する僕(しもべ)・いや・まさしく「営利機械」として財産に奉仕する者とならなければならぬ・…:。
(ヴェーバー339ページ)
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小室直樹先生に向かって”資本主義の精神”が分かっていないはちょっと・・・・・・釈迦に説法ですよ。(でもブッタは自分の思想がここまで変節するとも思っていなかったでしょうね。)
本書において小室先生が、資本主義の精神こそ、経済を発展維持することに成功した資本主義の本質であると説いています。
その資本主義の精神は、いかに大切で、いかに生まれたかを知れば、小室先生の言葉の意味を理解すると思います。

p136〜139
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そもそも、なぜ古代から、先進国に、資本主義が発生しなかったのかいよいよ本書は佳境に入る。かつて、大塚久雄博士は、はじめてヴェーバーの書に接したとき、「あっと驚いてしまった」という。

近代資本主義の萌芽は、オリエントや古典古代とは違って、徹底的に資本に敵対的な経済学説が公然と支配してきた地域に求めねばならない。(黒正巌・青山英央訳=般杜会経済史要論』岩波書店241ページ)

こんなベラポーなことを言うものだから、「そう言うのですから、この部分だけを卒然と読みますと、じっさい何のことかわからない」(訳者解説376ページ)と大塚博士が言うのも当然至極。

ところで、ここで大塚博士が「何のことかわからない」と言っているのは、「利潤」についての考え方のことである。博士日く、利潤追求の営みとして成り立っている資本主義からその利潤追求を抜いてしまえば、およそ意味をなさなくなるのに、利潤追求に反対する経済思想が公然と支配したようなところで、なければ近代の資本主義は生まれえなかった、と言うのだからです。(同上)

摩訂不思議。

「利潤追求に反対しないと、近代資本主義は出て来ない」というのである。

ここがポイソト。

資本主義発生のための条件は、技術進歩と資本(資金)の蓄積であると思われがちである。英国古典派経済学(アダム.スミス、リカード、マルサス、ミルなど)もマルクスも、だいたい(ここでは、詳論はさしひかえる)、このように考えていた節がある。

スターリニズムの根本的誤りも、実にこのような考え方にあることは、別の機会に論じたい。
技術進歩と資本(資金)蓄積が資本主義を作る。俗耳に入り易い(だまされ易い)説ではあるが、ヴェーバーは、この説に反対する。

また、商業の発達が資本主義を生むという説にも、ヴェーバーは反対している。
技術進歩、資本蓄積、商業の発達などが資本主義¬―といえば、本解説では「近代資本主義」を意味することにくれぐれも注意―を生むとすれば、ヴェーバーはこう借問する(仮説を立てる)。

資本主義は、もっともっと早く発生し、存立していたであったろう。古代エジプト、古代メソポタミア、古代イソド、古代中国、ヘレニズム世界、ローマ末期、サラセソ帝国、中世イタリア都市、中世末の南ドイツなど……右の意味において資本主義発生の諸条件がととのった杜会は、世界史上、数かぎりなく発生した。それなのに、かかる諸杜会から資本主義は発生することなく、チャソスは空しく消えてしまった。

「発生していそうで発生しない」ことと、「実際に発生する」こととのあいだには、千里の差、いや何兆光年もの差がある。この差は、どこから来たか。この差を生んだものこそ、繰り返し述べているところの資本主義の精神の存否である。

では、資本主義の精神は、いかなる土壌に発芽するのか。
それは、資本主義に徹底的に反対する経済思想が公然と支配してきた地域にかぎる。これぞ、ヴェーバーの主張。
奇妙奇天烈。大塚博士は、「ヴェーバーの見解は、常識はずれと言われかねない」なんて言っている。(略)
資本主義は徹底的に敵対的な経済学説が支配する地域から生まれた
(略)
資本主義の精神なくして資本主義なし。資本主義だけではない。資本主義の精神なくして杜会主義なし。共産主義もなし。これが、本書のテーマである。

資本主義の精神は、資本主義に徹底的に反対する経済思想が、公然と支配してきた地域にかぎって発生する。これが、ヴエーバーの思想である。ここまで、語ってきた。
これは、いったい全体、どういうことなのか。「利潤追求」こそが資本主義の本質であるならば、「利潤追求」が許されるような所にこそ、資本主義は生まれて来るはずではないか?
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P50
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「キリスト教的禁欲」こそ、実は、「資本主義の精神」の濫觴(らんしょう:はじまり)に汲むものである。資本主義の精神が生んだ行動様式の原型をここに見ることができる。この「キリスト教的禁欲」は、あくまで、「世俗の外での禁欲」であった。俗塵を遠くはなれたカトリック修道院内だけの存在であった。

この世俗外にあった「キリスト教的禁欲」が、世俗内にもちこまれたとき、革命が起きた。
資本主義の精神に確固たる基礎を与えた。この資本主義の精神によって、近代資本主義は、有史いらいはじめて、赫然(かくぜん)たる日の目を見たのである。

これこそ急所(エスト)。「キリスト教的禁欲」の行動様式の基本についてスケッチしておきたい。
カトリック修道院におけるキリスト教的禁欲とはいかなるものであったか。
それは、「修道士たちを-客観的にはー神の国のための労働者として訓育するとともに、それによってさらにー主観的にはー彼らの霊魂の救いを確実にするためのものとなっていたのだった」(ヴェーバー201ページ)。

ここで、決定的に重大であるのは、労働は、救済(サルヴエーション)を保証するこのことである。神は、いかなる人を救済するか。これこそ、啓典宗教(ユダヤ教、イスラム教、キリスト教)におけるいちばん大切な問いかげである。この問いにいかに答えるか。それによって、啓典宗教ならば、どの宗派でも致命的重大な価値評価が決定される。
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p96
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資本主義の精神を生んだ「行動的禁欲」とは、(略)それは、行動しない禁欲ではなくて、行動する禁欲である。

一心不乱にわきめもふらず、ただ、ある行動だけをする。その行動にだけ全身全霊を集中してしまう。だから、他のことはすっかり忘れるーだから禁欲。パウロはこれを、オリソピックのマラソソ競走にたとえている。マラソソ選手は、ただひたすらに走りに走る。走ることにだけ精神が集中しているから、他のことに心を用いる余裕なんか少しもない。全くありっこないのである。
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p144
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そもそもキリスト教の反営利的なエートスのなかから生まれ、本来反営利の倫理に結びついていた「世俗内的禁欲」がなぜ、また、どのようにして営利を許容するばかりか、ある意味ではそれを倫理的義務とさえ考えるような「資本主義の精神」の一要素と化していったのか。(訳者解説383ページ)
営利(金儲け)は、古来、倫理的に否定されてきた。いつ、どこででも。あるいは、寛容される程度であり、あるいは厳しかったが、せいぜいで容認されるといった程度であり、確平たる倫理的正統性を与えられることはなかった。これが、従来における「営利」(金儲け)の倫理上の地位。

が、営利(金儲け)が、倫理的に正統簑与えられ自由自在に活躍しうるというのでなければ資本主義は成立しえない。

では何が、営利に倫理的正統性(レジティマシー)を与えたのかというと、最も厳しい反営利主義を標榜する禁欲的プロテスタソティズムなのである。

これをヴェーバー自身の筆で表現するとこうなる。「富を目的として追求することは邪悪の極致としながらも、」(ヴェーバー344ページ)

しかも他方、〔天職である〕職業労働の結果として富を獲得することは神の恩恵(グレイス)だ。

一神の恩恵一は、勿論、キリスト教の価値評価においては最高である。つまり、結果としての富は最高の善である。同じ富が、目的であるか結果であるかによって、評価は正反対になる。

これぞ資本主義の精神の決定的特徴、この極端な両極性を銘記しておきたい。そして、この考え方こそが、資本主義の成長、発展に中心的な役割を演ずる。

なぜならば、このことから生ずる経済的効果によって、資本主義の本質は維持されるからだ。
この宗教思想からの経済的結論として、禁欲的節約強制による資本形成がなされるからで
ある。(ヴェーバー345p)

資本形成こそ、実に、資本主義の真面目の発揮。資本主義は、拡大再生産し、成長し、発展するであろう。かかる禁欲の決定的重大さに気づき、とくに論じているのが、山本七平氏である。
利潤の追求は許されないが、結果としての利潤は肯定される。(山本七平:日本資本主義の精神133p)

ところで、禁欲的プロテスタントは、ヴェーバーの言を借りれば「純粋に衝動的な物欲と戦った」という。では何故、物欲はわるいのか。否定されなければならないのか。その理由は何か?

この衝動的禁欲こそが「貪欲」「拝金主義」(マモニズム)などとして排斥しもの、つまり、富裕となることを究極目的として富を追求することにほかならなかったからであり、所有そのものが誘惑だったからだ。(ヴェーバー344ページ)

物欲がわるい理由は、目的としての富を追求することになるからである。所有そのものをもとめるようになるからである。これぞポイント。

すでに強調したように、結果としての富は神の恩恵であるが、目的としての富は呪い(カース)である。それもたいへんな呪いである。
所有そのものをもとめてはならない。これぞ、禁欲的プロテスタントが生んだ資本主義の精神からなる重大な結論。このことから生ずる経済的効果によって、資本主義の本質は維持される。
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ウォール街の「強欲資本主義」は、いかに「資本主義の精神「と乖離したものかお分かりだと思います。「資本主義」に代わるものはいまのところ「資本主義」しかありません。

「資本主義の精神」によって、「禁欲的節約強制「による資本形成がなされ、禁欲的な労働の結果の経済的効果によって、経済は循環するのです。

金融危機が表面化して、日米欧ともに「資本主義の精神」が消えかけていた事に改めて気づかされました。もう一度、資本主義とは何か?資本主義には資本主義の精神がいかに大切であるか、認識し直す必要があると思います。

健奘殿の言っておられる『資本主義の精神を必要としなくなってしまった。なぜなら、資本は有り余っているから。農地も、生産設備も、余ってしまっている。個人においても、1年や2年、車も、服も、家具も、食器も、テレビもパソコンも、買わなくたって、別に困らない。余りに余ってしまっている。資本主義の精神を必要としない時代となってしまった。結果、資本主義は、決して作動しない。』は、少し違うと私は思います。

「資本主義の精神「によって、「禁欲的節約強制」による資本形成がなされ、禁欲的な労働の結果の経済的効果によって、経済は拡大再生産し、成長し、発展するのであって、資本主義の本質は「資本主義の精神」が維持されるか否かではないだろうか?

追加:資本主義の精神から考察すると、新興国(主に中国・ロシア)経済は、資本主義とは名ばかりの、鵺(ぬえ)のような怪物であり、経済発展が持続するか否かはおのずと知れよう。

※鵺(ぬえ)とは凶鳥のことで、サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビで、「ヒョーヒョー」という、鳥のトラツグミの声に似た大変に気味の悪い声で鳴いた、とされる雷獣。

【Ddogのプログレッシブな日々】
http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/23731247.html

 

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