★阿修羅♪ > 国家破産61 > 697.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
『堺屋太一著「大激震」副題:堺屋太一かく語りき 実業之日本社』を読む
http://www.asyura2.com/09/hasan61/msg/697.html
投稿者 Ddog 日時 2009 年 2 月 28 日 11:16:15: ZR5JcjFY1l.PQ
 

@『堺屋太一著「大激震」副題:堺屋太一かく語りき 実業之日本社』を読む

つまらない人生を生きていると嘲笑されても結構です、昭和三十八年に生を受け爾来(じらい)四十数年、私の最も楽しかった出来事は「1970年の大阪万国博覧会」体験です。

私と同じ年代で「大阪万博」へ行かれた方なら誰しもこの思いは共有できるのではないかと思います。「大阪万博」は戦後日本の幸福体験の一つであり、誰もが明るい夢を抱くことができた最後の夢の実現であったかもしれません。確かに当時夢見た明るい未来は、2009年の今現在ある意味では現実化しています。超高層ビルが林立する東京(さすがに透明のチューブにエアカーがはしってはいませんが・・・)、TVも観れカメラTV電話になる携帯電話などいったい万博当時いったい誰が想像していたでしょう?誰もが気軽に宇宙旅行へは行けませんが、大画面の薄型TV、パソコン・インターネットの発達など当時の想像をはるかに超えた日常を、今日我々は、当たり前のように生きています。こうやってブログで誰でも当たり前に自らの意見を発信するという行為も、驚愕の未来であったかもしれません。
前置きが長くなってしまいました、この大阪万博をゼロから立ち上げ大成功させたのが、今更説明することもありませんが、堺屋太一先生です。

堺屋太一(本名・池口小太郎)先生は、実務も出来、本も書き、何より未来を見通す眼力を持った稀有な存在である。例えるなら自身の作品の主役「世界を創った男:チンギス・ハン」に匹敵する「天眼通」(未来を見通す眼力)の持ち主かもしれません。

本書は、過去堺屋先生がデビュー作「油断」以来、「平成三十年」「団塊の世代」「知価革命」「世界を創った男:チンギス・ハン」などに込められてきた、その時代を見通す力と意味、歴史分析などから、21世紀初頭に襲来した未曾有の世界危機脱出を図る為の指針を啓示しています。

堺屋氏が危惧する日本の没落として、よく日本のアルゼンチン化の例えを聞くことがあります。アルゼンチンタンゴを踊る体型には少々無理がある私にとっては、具体的なイメージが湧かなかったのですが、下の引用のアルゼンチンの例えを読むと背筋が寒くなります。

P42〜43
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
日本が「21世紀のアルゼンチン」にならないために

アルゼンチンという国は、20世紀の初めには世界で有数の豊かな国でした。第二次世界大戦が終わった時でも、アルゼンチンはアメリカに次いで世界で二番目に金保有の多い国でした。それがあっという間に没落、1980年代には誰が見ても発展途上国になってしまいます。
アルゼンチンは過去百年、平和で災害のない国でした。ブエノスアイレスの首都一極集中がそのまま維持されて、二世・三世が経済を牛耳る。そうすると、これに反発する政治家が登場、福祉ばらまき政策をやり出す。ミュージカル『エビータ』の主人公は、ペロン大統領(1946〜55、77年に再任)の夫人ですが、ペロン政権だった戦後の10年間の福祉政策で見事に財政は破綻し産業は低迷しました。そうすると軍を背景にしたクーデターが起こり、旧勢力の財閥が実権を持ち、古い産業を保護し、利権を貪り合う。そういうことの繰り返しで、あっという間に発展途上国に落ち込んでしまいました。
経済的に見ると、アルゼンチンは大規模農業にこだわり過ぎたのです。日本も今、モノ造り、つまり製造業にこだわり過ぎています。過去の成功体験に埋没したアルゼンチンの失敗を他山の石とすべきでしょう。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}
そうならない為には今、享保の改革ではなくて、明治維新的な「革命」をすべきと堺屋先生は警告しています。
P29〜32
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

日本で改革、革新、革命、維新とかいろいろな言い方がありますが、結局は二種類です。
一つは、「享保 (1716〜1736)の改革」に代表される守旧的改革です。寛政の改革や天保の改革もこれに類するものでしょう。
また昭和十年代に、「革新官僚」といわれた官僚や統制派軍人の進めた改革もこれに入ります。やっている本人は新しくしているつもりでも、歴史から見ると体制強化の逆行に他なりません。
もう一つは、織田信長や明治維新、つまり体制そのものを変える改革です。どちらも「改革」ですが、発想も担い手も結果もまったく違います。本来なら「革命」というべきでしょう。
享保の改革は、封建社会を維持し、徳川幕藩体制を一段と強化しようという改革でした。
このため、武士の身分をより固定化し、徳川幕府の統制力を強くする一方、勃興してきた貨幣経済を抑圧する。それによって崩れかかった部分を再補強する。祖法、つまり先祖の徳川家康時代の法に戻る、というものです。
一方の典型は明治維新。これは武士の身分あるいは徳川幕藩体制を破壊して、封建社会から近代工業社会に変える凄まじいものでした。歴史的発展段階を変える「革命」です。
だから、享保の改革や天保の改革では戦乱や暴動はほとんどなかったが、その後では、日本の経済と文化は停滞します。だいたい、元禄時代(1688〜1704)までは、日本もヨーロッパも、経済にしても技術にしてもそれほど差がなかった。それが百年後の1800年頃にはぐっと差が開いてくる。ヨーロッパが産業革命でどんどん新しい技術を開発し制度を刷新しているのに、日本は守旧的な改革で進歩を抑制したため立ち遅れたのです。
享保の改革は、昔の制度を再強化したので、進歩がとまりました。そしてその後、享保の大不況や享保の大飢饅が来て、日本経済は衰退し、人口も増えなくなってしまいます。
それにもかかわらず、享保の改革を行なった八代将軍吉宗は名君の誉が高いのは、江戸時代の世論形成者だった下流武士層にとっては、武士身分の固定化と成金商人たちの没落が嬉しかったからでしょう。
それに比べて明治維新は、一時的には大混乱を招きました。鳥羽・伏見の戦いから戊辰戦争までさまざまな小競り合いが起こり、合計一万三千人の戦死者があったといいます。
もっともこれは、他の国々の大改革-フランス革命やアメリカの南北戦争に比べると何十分の一に過ぎないものです。
また、武士は身分と収入を失って没落します。あるいは、成り上がりの人々が出てきて品格が下った、ともいわれました。ヨーロッパかぶれが伝統的な文化財を随分壊したりもしました。混乱があり、格差が広がりました。
だけども、その後百年、日本は大発展をします。封建社会から近代工業社会に変わったのです。
今、私たちに必要なのは、明治維新と同じ「時代の変化」、近代工業社会から知価社会への転換です。物財が豊富なことが幸せだという社会から、満足が大きいことが幸せだという社会に変わった。これは、身分が大切な封建社会から物財が望まれる近代工業社会に変わるのと同じぐらい大きな変化です。
だから今、享保の改革ではなくて、明治維新的な「革命」をしなければいけないのです。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}
明治維新の要点と現代執るべき堺屋氏が提言する施策
@鎖国を止め開国⇒FTAと移民導入(私は移民に関し少々反対)
A武士の身分の廃止⇒公務員制度改革 公務員は職業であって身分であってはいけない。民間との人事交流。流動化。
B廃藩置県⇒道州制(道州制もどうか?私は県単位の大幅な権限委譲なら支持)
C新貨令 ⇒金融財政制度改革 財政支出不均衡を前提とした経済政策をとること。
D教育制度、軍制改革

個性を締め出す日本の教育に明日はない。⇒個性も独創性も乏しく受験勉強で共通の知識や技能を叩き込まれた者だけが、一流大学を出て官庁や大企業に入った。⇒個性や独創性に富んだ人は、漫画アニメーション・流行の音楽・ゲームソフトの分野に多く集まりこの三つだけは、日本が世界を圧倒しています。

21世紀に入り、政治が主導力を失い、官僚主導が復活強化されると、日本は政治的にも経済的にも国際的地位が低下する事になり、たった6年間で一人当たりGDPが3位から18位へ落ちた本当の原因ではないかとしています。

##############################################################################

A『堺屋太一著「大激震」副題:堺屋太一かく語りき 実業之日本社』を読む その2

私の出世を諦めた愚妻ときたら、娘の尻を引っぱたき今この時間(PM10:30)も、中学受験勉強に全精力を傾けております。拙女が勉強中はTVを観ないのが我が家のルールで、おかげさまでブログを書く時間ができありがたい限りです。が、愚妻が教え切れない算数や社会などが私の担当となっており、時々呼び出されます。度々「ありゃ、簡単に解けないじゃん!」と中学受験の算数問題に難儀しております。我が家の全てのエネルギーは現在小4の拙女の教育に注がれております。社会の問題など、大学生でも答えられない問題も多いですよ!この私ですらエッ!と思います。例えば、あなたはTVディレクターです、新しい信長像の番組を創りたいと思います、あなたはどのようなコンセプトの信長の番組にしますか?・・・例えば・・・と回答例がありましたが、これは織田信長のことを深く理解していなければ答えられず、大人でも難しい・・・。

さて、本題に戻ります。
P126〜127
{{{++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

その結果、日本で成績優秀という人は、皆辛抱強くひたすら丸憶えばかりする。しかも、協調性があるから多数に従う。日本の優等生は試験に通る知識には長けている。けれども、独創性と個性は乏しい。そういう試験で一番成績のいい人が公務員上級職試験に通って財務省や経産省に行く。だから、独創性や批判精神のある役人が生まれるはずがありません。

それでも80年頃までは、外国の例を学んで計画を立てていればうまくいった。ところが、アメリカを上回る水準に達すると、何をしていいかわからないのでたちまち行き詰まってしまったのです。

今、教育改革が問題になっています。教育の中に愛国心や郷土愛を入れるかどうかなど、枝葉末節の問題です。大事なのは、どんな人間をつくるのかという教育の理念です。けれども、教育行政の中心にいる文部科学省の役人は、全く独創性がないから、理念の議論など思いもよらない。それでゆとりを広げたり減らしたり、まあ、枝葉末節のことばかり議論しているわけです。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}

昨年、一昨年と東京の女子中学・高校の学園祭へ足を運びました。勘違いしないでください、ロリコンとかそういった趣味ではありません、「きょ・興味は確かにありますが」・・・ちなみに、入場チケットのないおっさん一人ではけして入場することはけして適いシステムです。あくまでも拙女と愚妻と小生の3人でなら入場可能でした・・・。JG(女子学院)雙葉、桜蔭の所謂ご女子御三家を回ったのですが、その知的、文化的レベルの高さに驚愕しました。優秀な人間は、少なくとも中学高校時代はけして没個性ではなく、個性が弾けていた感じがします。
【女子偏差値表(四谷大塚)】http://www.yotsuyaotsuka.com/deviation/pdf/girl_08.pdf
(新説では新四天王 桜蔭、豊島岡、吉祥、鴎友だそうです)別格:慶応(女子)
【男子偏差値表(四谷大塚)】
http://www.yotsuyaotsuka.com/deviation/pdf/boy_08.pdf
ちなみに、男子御三家(開成・麻布・武蔵)別格:筑波大付属駒場

東大出身の方は私の会社にもごろごろいます。(皆さんそれなりに個性的で、中には個性が強すぎる方もいました。)そういえば、「ほりえもん」も村上世彰氏も東大だったかな・・ある意味では、奴等も個性的ですよね・・・。

ただ、有名進学校⇒東大⇒官僚コースを歩んだ方は、残念ながら私とは縁遠く存じ上げません。

堺屋先生を基準の物差しで計れば、確かに皆没個性と言われてもしかたないかもしれません。
でも、そんなこと言えるのは堺屋先生ぐらいで、我々凡人はけして、エリートは没個性だなどとは言えません。三流大の学園祭こそ没個性の町内会盆踊り大会と変りがありません。

P127〜128
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

9全国の頭脳機能を東京に一極集中させる

規格大量生産体制のための、三つの政策は東京一極集中の地域構造です。
日本がこれから規格大量生産に入ろうという昭和一〇年代、当時の役人や軍人は日本全体を一番効率的にするためには全国地域構造を有機型にすべきだ、と考えました。

有機型というのは人間の身体のようにすることです。そのためには頭脳は一つにする必要がある。したがって、全国の頭脳機能は東京に一極集中する。東京以外で全国的頭脳活動をさせない、と決めたのです。
では、国家社会の頭脳活動とは何か、それは三つあります。まず一つ目は産業経済の中枢管理機能。これを東京以外で行なってはならない、と決めました。
では、産業経済の中枢管理機能を東京だけに集中するにはどうしたらよいか。それには、あらゆる産業業種に全国団体をつくらせる。銀行協会、電気事業連合会、白動車工業会、鉄鋼連盟。農業協同組合にも全国連合会をつくらせる。それから職能団体。医師会とか弁護士会とか労働組合とか芸術院とか学術院とか、縦割りの職業別職能別の全国団体をつくらせる。そして、その全国団体の本部事務所は全部東京都に置く。東京以外に置いてはならないとしたのです。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}
p130
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

情報発信機能も東京に一極集中させる
二つ目の頭脳機能は情報発信機能です。
情報の媒体には紙と電波があります。まず紙、つまり書籍については、全国に7000社くらいある出版社と2万軒以上ある本屋さんです。各出版社の出した書物をそれぞれの本屋に並べるためには、取次店に本屋さんが仕入れたい本を申し込む。そうすると、出版社から注文した本を取り次いで送ってくれるのです。いろんな出版社の本を20冊、30冊と集めて、ダンボールで送られてくる、というわけです。この取次店を東京に集中したのです。
日本の情報集中のきっかけとなった取次店の整理統合は、戦前に行なわれました。その主要な目的は言論統制でした。それを昭和二十四年(1949年)、占領軍司令部(GHQ)の命令で複数にするのですが、第二の取次店(東販)も東京につくりました。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}
政府は、電波も統制しています。東京のテレビ局をキー局に指定しキー局でないと全国番組編成権が無い仕組みとしてしまい、情報の一極集中化は決定的となってしまいました。

p135
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
三つ目の頭脳機能は文化創造活動です。
そのために何をしたかというと、特定目的の文化施設は東京都に集中する、ということです。
たとえば、歌舞伎が上演できる場所、東京には歌舞伎座、国立劇場、明治座といくつもあります。ところが、東京以外で歌舞伎がきちんとできるところは京都の南座ぐらいです。
歌舞伎をきちんと上演するためには、第一に花道が要ります。第二に緞帳のほかに引き幕がいる。第三に回り舞台が要ります。回り舞台は日本が発明した演劇装置で、昔は電動がないから舞台の下に男性がいて舞台を押して回していた。それが「縁の下の力持ち」です。
それから第四に和式の畳を敷いた楽屋が要ります。そして、歌舞伎役者が着替え、顔をつくるためにだいたい40〜50分の幕間ができるので、その間を観客が過ごすために食堂や喫茶店(芝居茶屋)が要ります。この五つの施設が揃っていないと本物の歌舞伎をきちんと上演できません。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}
[ミューザ川崎シンフォニーホール]
http://www.kawasaki-sym-hall.jp/

地方には、多目的ホールが多いが、結局専門ホールでは無いので、歌舞伎も「それらしきもの」しか上演できない。また、多目的ホールはシンフォニーホールと異なり、音響も良くない。
結局、地方では歌舞伎にしても、管弦楽にしても「それらしきもの」は上演できるが、本物は上演できないこととなり、歌舞伎役者や音楽家でも皆、東京に一極集中せざるを得なくなってしまっている。

p138
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
「地方は手足の機能」が挫折
手足の機能というのは、農業と製造業と建設業の現場ということです。だから、地方振興は工場誘致、工場誘致以外に地方を振興する方法はないという、「工業先導性の理論」までできました。

幸い、高度成長時代には工場がどんどん増えていたので、地方も成長しました。国の補助金や白治体の予算が伸びて公共事業が盛んになり、建設業が発展しました。「文化、国際、情報に関係したい人は東京へ行けばよい。地方に留まるなら、農林か製造業か建設業の現場でがんばれ」、これが戦後官僚の発想です。

ところが、九〇年代に入ると規格大量生産の時代が終わりました。途端に、工場も建設工事も増えなくなり、地方は為すべきことがなくなってしまいます。
今や地方には金持ちが居なくなってしまった。その結果、日本経済全体が下落しているのです。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}
仕事の関係で、1995年から、2006年にかけて四国、九州、京都・・と地方都市に住んでおりました。(我が家では「失われた11年」と呼んでおります。)京都は別として、地方の衰退の激しさには目を覆うものがあり、心を痛めました。

地方は完全な車社会で、わが故郷水戸でも中心商店街は壊滅的で、昔は人で溢れかえっていた中心商店街もシャッターが降り人影がまばらとなってしまいました。バイパス沿いとイオングループのショッピングモール周辺には、人が集り街として機能していましたが、全国変わり映えのない画一的なファストフード化(ファスト風土化)した町並、没個性な街には何の魅力も感じません。

##############################################################################

B『堺屋太一著「大激震」副題:堺屋太一かく語りき 実業之日本社』を読む その3

2006年2月から2007年8月まで、日経新聞の朝の連載小説で、堺屋先生の「世界を創った男―チンギス・ハン」が楽しみで、朝も新聞配達のバイクの音が聞こえると新聞を取りに行くくらいに嵌り、欠かさず読んでいました。
【nikkei世界を創った男―チンギス・ハン】http://www.nikkei.co.jp/novel/
現在日経に掲載されている小説は舞台が上海で、私にはいまひとつ興味がわかず読んでいませんが、その代わり、毎朝「私の履歴書」ドトールコーヒー名誉会長 鳥場博通氏を楽しみに読んでいます。
鳥場さんは苦労して、今日のドトールコーヒーをまったくのゼロから立ち上げ、読んでいて本当に素晴らしいと思いました。キャノンの御手洗などに経団連会長を降りてもらい、鳥場さんに是非お願いしたいような方です。本日(26日)は、鳥場氏の座右の銘の奥が深い話が載っていました。『釈迦の言葉で「因果倶時」(いんがぐじ):現在の果を知らんと欲すれば過去の因を見よ、未来の果を知らんと欲すれば現在の因をみよ。現在の自分は過去の積み重ねの中にあり、一日一日の積み重ねの中に将来の自分がある』深い!リーダーは「主師親の三徳」を備えねばならない。「品質は人質」皆いい言葉だ!【ドトールストーリー 】http://www.doutor.co.jp/story/dtr/doutor_01.html

話は「世界を創った男―チンギス・ハン」に戻します。

なぜ、チンギス・ハンが世界を創った男なのか、それは人類史上初めてグローバルな世の中、国境の無い世界を目指した人間だったと堺屋先生は、考えに至ったようです。

チンギス・ハンの生きた時代と今日21世紀のグローバル社会に似ており、チンギス・ハンの思想や実践は今日多くの示唆に富んでいます。

【チンギス・ハンの征服と帝国領の拡大】
http://www.nikkei.co.jp/novel/20070523tua5n002_23.html

チンギス・ハンは何故、世界征服を考えたのか?p203
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
まず、チンギス・ハンはなぜ、世界征服を考えたのか。
世界征服を考えた国は歴史上いくつかあります。たとえば、アレキサンダー大王もそうですし、ローマ帝国もそうでした。東洋の漢帝国や唐帝国もそうです。あるいは、イスラム教を広めたサラセン帝国とか、十六世紀のスペインやポルトガル、十九世紀のイギリスやフランス、そして20世紀の社会主義国際運動などもそれに入るでしょう。いろいろそういう国はあります。
こうした世界征服を考えた国の共通の目的は二つなのです。
一つは経済的目的です。交易を広げ、資源を奪い、市場を広げて国の富を増やし、国民を豊かにしようという経済的目的です。
二つ目は、自分たちの文化や宗教を世界に広げようという文化的、信仰的目的です。たいていはこの二つが重なり合っています。
ところがチンギス・ハンには、この二つが二つとも全く見当たりません。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}

21世紀に通じるグローバリズム(全球主義者)p205
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
では、チンギス・ハンは何のために世界征服をしたのか。それは、他の征服者とは全く逆なのです。
「人間(ジンカン)に差別なし、地上に境界なし」こそ彼の理想でした。どんな人種、どんな宗教、どんな言語、どんな体形の人間も、全く差別しないで実力主義で採用し、出世させる。どこまでが本国で、どこからが植民地だという境界を地上につくらない、完全に境界のない世の中をつくろう。無差別無境界な世界をつくろう。そのことによって、人も物も金も情報も完全に自由に動き回るグローバルな世の中をつくろう、としたのです。だから私は、この人に「世界を創った男」という尊称をつけたのです。
グローバルな世界をつくるという思想は、チンギス・ハンが初めてでしょう。そして、それと同じことを考えた国は、長い間、全くありませんでした。ようやく20世紀になって、アメリカ合衆国が同じことを考えます。だから、モンゴル帝国とアメリカ合衆国とは、多くの共通点があります。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}
堺屋先生は、チンギス・ハンの強さの理由を3つに分析しました。
@イノベーション:軍事技術開発=鉄の矢じりの量産
A組織改革:自分の命令だけで動く組織をつくり、大胆な組織改革を断行した。
全ての部隊を自分で直轄する独裁体制の確立=中世的封建体制から近代的独裁体制への移行 後年織田信長も同じことを行うが、それに先駆ける事400年であった。
B情報力:丹念な情報活動

情報の価値とおもしろさを知るp217〜218
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
どうしてそれだけ情報が集まったのか。もちろん、さまざまな情報をとる人を使いました。グローバル化の到来で、商人や旅芸人、僧侶や売春婦の行き来も多かったのです。
けれども肝心なことは、今日の経営でも同じですが、情報というのは、持ってこい、探してこいというだけで集まるものではありません。あの人のところに言いに行ったら、必ず聞いてくれる、あの人はまじめに取り上げてくれる、あの連中はおもしろい、と思うところでないと情報は集まりません。
チンギス.ハンの凄いところは、誰からでも好奇心を持って情報を一生懸命聞いたことです。チンギス.ハンは、生涯モンゴル語しかできませんでした。ところが、あらゆる国の言葉、あらゆる人種、あらゆる宗教の人が、チンギス・ハンのところに情報を持って集まってくる。お金を払っただけではなくて、おもしろおかしく一生懸命聞いてやったんです。
情報というのは、どれだけの人を雇うか、どれだけのコンサルタントをつけるかではなくて、持ってきた人に、「この人のところに来てよかった、話に行ってよかった」と思わせることが大事なんです。そうでないと本当のことはわかりません。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}
p219
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
織田信長は、よく怒る怖い人だったといわれます。しかし、『信長公記」を見ると、世間話をよく知っている。ということは、話のしやすい楽しい人だったはずです。怖い人(怒りつぽい人)は、自分は人を怒って気持ちいい。それが社長や大臣なら、あえてとがめる者もいない。だが、そのシッペ返しは、情報が断絶することです。あの人と話したらおもしろい、と思われなければ情報は集まらない。これが情報集めのコツなのです。
チンギス.ハンの強さの秘密は、あくなき好奇心と聞き上手、そして情報の価値と利用法を知っていたことです。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}

チンギス・ハン帝国はなぜ長続きしたのか。p220
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
チンギス.ハンの王朝は、最も短い中国南部で約百年、同北部では百四十年・そして北アジアや西アジアでは二百年も続きます。チンギス・ハンの子孫の王朝で長いものは、インドのムガール王朝やロシァ南部のクリル・ハン国などは、実に六百年以上も続きます。
この理由の第一は、安上がりの「小さな政府」だったことです。
チンギス.ハンの国は非常に税金が安い。基本的な国税は、取引高税が二%と保有税が2%、ヒツジ百匹飼っていると二匹出せというものです。中国の元朝は、この他に塩の専売益金があり、これが最大の国家収入でした。
安上がりにするためには、支出を減らさなければいけない。この支出を減らすことを徹底的に行なったのです。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}
自治と信仰の自由を維持するための大量報復戦略p221
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
「小さな政府」を実現する第一は、自治です。どの地域でも地域自治をさせています。
自治の第一は信仰の自由です。十三世紀の世界で、信仰の自由を認めるのは大変珍しいことでした。何しろヨーロッパでは十字軍をやっている最中です。中国では儒教精神の科挙(高級官僚試験)が確立していました。
そういう宗教的情熱が燃え上がっている時に、チンギス・ハンは信仰の自由を積極的に取り入れました。そして、行政面では各地の伝統や特色を入れた自治をさせた。これが第一です。
自治と自由のよいところは、貿易が盛んになり経済が栄えることです。けれども、自治をさせたら命令に服従しない者が出て反乱が起こる。治安を維持し、貿易の自由を保つためには、反乱を抑える軍事力が要ります。これが高くつく、つまり、自治自由と治安の維持や帝国の統一は矛盾するわけです。チンギス・ハンは治安の維持を徹底的に安くする方法を考えました。それが大量報復戦略です。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}
叛乱を起こした町は、老若男女、徹底的に例外なく殺戮し一人として残さない。例外は一切無し、建物と言う建物には火を放ち、水攻めをして、最後に3ヵ月後もう一度立ち戻り、生き残ったものがいないか徹底検証した。この噂は瞬く間に広がり、叛乱する町がなくなる。これが最も安上がりな治安維持法であった。⇒アメリカが20世紀日本に対して行った無差別絨緞爆撃、原爆投下は、このチンギス・ハンが行った究極の大量報復戦略を踏襲したものであった。

人類初のぺ-パーマネー(不換紙幣)の発行p225〜226
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
そして、第三はぺーパーマネーです。モンゴル帝国は税金を安くしたので、万年財政赤字でした。また、モンゴル高原はあまり生産力がないので、「国際収支」も大赤字でした。
つまり、今日のアメリカと同じく「双子の赤字」だったのです。
財政を維持しないと政権は長続きしません。安い税金で財政を維持する方法をチンギス・ハンとその家来たちは考え出した。それがぺーパーマネー、何の物財にも裏づけられていない不換紙幣を発行する、という方法です。
お札、紙のお金というのは昔からありました。けれどもそれは、この紙を持ってきたら金貨や銀子や銅銭に換えるという見換券です。つまり金、銀の支払いを約束した手形です。
日本の藩札も同じです。だいたい、金や銀は重くて危険、その保有量にも限界があるので、紙の証書を出して支払いを約束する、という方法は自然発生的に全世界で起こりました。ところが、チンギス・ハンの孫のフビライ・ハンは、史上初めて、金や銀や銅に換えないお札を出しました。「そんなものが通用するのか」と誰しも思います。
それを考え出したのは、チンギス・ハンの家来で財政家のマフムード・ヤラワチという人物です。チンギス.ハンの死後、孫のフビライ・ハンの治世まで長命を保ったヤワラチは、「通貨は金や銀だから通用するのではない。需要と供給が均衡していれば価値を保ち流通するのです」と主張します。
では、通貨の需要とは何か。それは「借り手のことだ」とヤラワチは考えました。「紙幣を有利子で借りる者がたくさんいれば、紙幣は喜んで受け取られ、価値が下がることもない」というのです。
フビライ.ハンの元朝は、権力者の官僚や軍人には給与を紙幣で支払う。その一方、政府に納める税金も紙幣で受け取る。つまり、給与も納税も政府に関わるものは紙幣で回るようにする。同時に、官僚や軍人、出入商人などの受け取る紙幣に需要をつけるべく投資システムをつくりました。それが「オルトク」と呼ばれた利益分与型のファンドです。
紙幣をもらう官僚や軍人などに出資をさせて、商人(実業家)に貸す。これで、利益分配の収入になれば価値は維持されるというのです。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}

#########################################################

C『堺屋太一著「大激震」副題:堺屋太一かく語りき 実業之日本社』を読む その4

サブプライムローンを思わせるファンドの劣化
p226〜228
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
初めはオルトク(ファンド)の規模は小さかったのですが、だんだんとお札を増発するとそれが増えていく。オルトクの投資対象は、初めは主として貿易、つまり商業金融でした。
千一夜物語には、「船乗りシンドバツドの冒険」という元朝時代の話があります。シンドバツドが、今はイラク領のバスラの金持ちからお金を借りて、中国の福建省に来て絹や香料を持ち帰って大儲けをする。シンドバツドのシンドはインド、バッドは風という意味です。シンドバツドとは「インドの風」という名前です。ペルシャ湾からインド洋経由で中国の福建省へ行く商人の話です。モンゴル帝国の時代は、国際貿易の大発展期でした。
それがやがて鉱山開発に使われ、さらには製造業の投資にも使われます・設備資金に使われ出します。やがて、それでも借り手が足らなくなり、ついには王侯や軍閥に貸付け先を広げた。王侯や軍閥は豪華で安全な借り手に見えますが、しょせんは消費者、きわめて危険な借り手です。発行を始めてから80年ほどで、元朝のぺ-パーマネーは流動性過剰に陥ったのです。
いかなる物資にも裏づけられていないぺーパーマネーが世界の基軸通貨になったのは、チンギス.ハンの孫のフビライ・ハンのときからの約80年間、そして1971年の米国による金ドル交換停止以後の現在の二回です。
この二回は非常によく似ています。レーガン大統領は、米国が財政赤字、貿易赤字の双子の赤字になっているのに、財政を引き締めるのではなく、景気振興の減税をしている。これで米国の景気は回復したが、財政も国際収支も赤字で、「双子の赤字」が育ってしまいます。ハーバード大学の先生たちは、「そんなことをしたら一遍にドルの値打ちがなくなり、ドルは国際通貨の地位から落ちる」といったものです。
ところが、チンギス.ハンの財政家たち、マフムード・ヤラワチやその息子のマスード・ベイ、後継者のアフマドから盧世栄と続く人々は、20世紀のハーバード大学の先生よりは少し頭がよかったようです。「お金がたくさん出るのなら、その需要を広げたらいい」というヤワラチの発想を受けてファンドを拡大していきます。
ところが、これがどんどん進んでいくと、通貨の需要をつくるために投資対象を広げる、だんだん信用度の低い投資が増えるのです。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}
モンゴルが陥ったハイリスクの罠
p228
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
財政が赤字になってドルが余ると、それを投資に使う。だから、投資対象を広げようとする。投資対象を広げると適格ではない対象も入ってきます。その部分だけ高金利でリスクの高いものに貸す。
つまり、財政と貿易の赤字が続く以上、ドルはどんどんあふれ出す。それに見合う通貨需要をつくり出すとなれば、怪しげな投資商品が出てきます。それをいろいろとつくりかえ、衣がえして、いかにもうまいこと見せる。いわゆるハイリターン・ハイリスクの金融商品だから、ある投階まではよく見えます。三年、五年経つ間に、いつしかこれが当たり前になり、さらに大胆大規模化する。そして、やがて膨らみ切って破綻してしまう。そういう仕掛けになるわけです。モンゴル帝国でも、いく度かオルトク一ファンドの破綻はありました。
それでも、チンギス.ハンの孫やひ孫たちが実に上手にやって、八○年間このぺーパーマネーが世界に通用し、経済は大発展します。モンゴル帝国白体が遊牧征服国家から、巨大な通商世界帝国へと変身していきます。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}
p230                              
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
モンゴルの紙幣は、80年間で価値が100分の1ほどに下がりました80年間で100分の1に下がったというとすごい値下がりだと思われるかもしれませんが、20世紀の米ドルが、ちょうど80年間で100分の1になっています。1930年には石油1バレルは1ドル以下でした。それが今は100ドル。1930年にはニューヨークの高級ホテルは3ドルでしたが、今は300ドル以上します。
モンゴルの紙幣「交鈔」は、20世紀で最も安定していた通貨の米ドルぐらいの安定度を持っていたということですから、大したものです。
しかし、当初の発行から80年ほど経っと、中国で叛乱が起こって通用しなくなります。同時に元王朝も急速に傾きます。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}
米ドルがいつまで保つかは知恵の問題
p231〜2
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
もし20世紀のアメリカの財政・金融担当者が13世紀のモンゴル人ほど賢かったらアメリカのドルも80年ぐらい保つでしょう。
アメリカのドルが金から切り離されてぺ-パーマネーになったの1971年・ことしで37年です。そうだとすれば、あと40年ぐらい保つ、2050年までドルは大丈夫だということになります。問題は、21世紀のアメリカ人が13世紀のモンゴル人ほど賢いかどうかです。
そういうことを考えると、これからのぺ-パーマネーとグローバルな世界がどんなものかというのは、チンギス.ハンの小説からおわかりいただけるのではないかと思います。
そういう中でやっていくには、絶えざる組織改革ときわめて高度な情報が必要です、4特に情報の問題で、早耳情報と裏話を聞かないことが大事です。これは、主観的情報で客観的情報ではないからです。
未来を見通すには、大きく世間を見る対数観察が必要です。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}
「観念通貨」は需給が均衡すれば、価値を保つ
p275
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
従来の近代工業社会の金融は、「客観性に基づく金融」でした。近代工業社会が信じた「価値不変の法則」に基づく金融の根底には、金本位制という共通の基盤がありました。「通貨には金に裏づけられた不変の価値がある。少なくともあるべきだ」という発想です。
ところが、1971年のニクソン・ショックで金ドル交換は停止したため、現在の通貨は何らの物質にも支えないぺーパーマネー(観念通貨)になりました。完全なぺーパーマネーを国際基軸通貨にした前例は、歴史上一度だけあります。それは1270年に、大モンゴル帝国のフビライ・ハンがはじめた紙幣です。この紙幣は「交鈔」と呼ばれ、初めから金や銀、銅(銭)に交換できないことを明確にしていました。
これが約80年間、価値が下落しながらも全世界的に通用したのは、これを投資資金として活用するファンド(当時の言葉でオルトク)を拡げたことです。当時のモンゴルの通貨当局者(主としてイスラム教徒)は、「通貨も他の物財と同じく、需給が均衡すれば、価値を保つ」と考えたのです。二度目の観念通貨時代の現在も、基本的には同じです。
1971年に米国の金ドル交換が停止されたあとも約10年間、人類は金本位があるがごとく振る舞っていました。かごの鳥が、かごがなくなっても飛び立たないように、いかにも金本位があるがごとく、米国は財政赤字と国際収支の赤字を抑えようとして猛烈な引き締め政策を採ったのです。
ところが、1981年に大統領になったレーガン氏は、発想を変えました。米国の通貨発行量は何ものにも妨げられることはない。唯一の問題は物価の上昇、つまり通貨価値の下落である、と考えたのです。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}
リスクを伴う金融に耐え得るだけの知恵が必要
p276〜279
{{{+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
レーガン大統領には歴史に残る3つの業績があります。第1は冷戦に勝利したこと、第2は観念通貨に対する新しい解釈を明示したこと、そして第3には、知価革命を惰け容赦なく推し進めたことです。
レーガン大統領は、財政が大赤字の中で大減税をします。米国のGDPの2.9%、今の日本に置き換えると14兆円ぐらい減税をするわけです。当然、もの凄い勢いで国債を発行、通貨供給は増えました。その一方で物価上昇を抑えるために、貿易や運輸を自由化、世界中から安価な物財が流入するようにしました。もっともこれには「冷戦に勝つ」というもう一つの狙いもありました。

レーガン大統領に、私は二度お会いしたことがあります。「財政の赤字などは大した問題ではない。ある日、政治家がガソリン一ガロンに一ドルの税金をかける決心をすれば解決する程度の問題ですよ。政治家の決断で解決できるのなら、深刻な問題ではない。それに比べて、冷戦や犯罪の問題は、政治家の決断で明日にはなくなるものではない。だから私はまず、この二つの解決に全力を上げたのだ」と語りました。私は、その時には随分無責任なことをいう大統領だと思いましたが、結果としてはこれが的中しました。米国が輸入を白由化することで世界の国々を魅きつける。同時に米国が軍備を強化し、ハイテク戦略を推進して、ソ連を軍事的に絶望させる。この戦略が成功したのです。
人類の社会において、経済力で尊敬されるのは消費力であって、生産力ではありません。個人でもそうでしょう。豪華な買い物をし、高級車を乗り回して、高級レストランでチップをはずめば、みんな丁寧に扱うでしょう。たとえそれが親の遺産か、会社の資産の喰い潰しでも、みな「偉いもんだあ」というに違いありません。
逆に、生産力が高く所得は多くても、木造アパートに住んでインスタントラーメンばかりすすっていたのでは尊敬されません。

レーガンの米国は前者、このためアジア・アフリカの発展途上国も中国や東欧も、米国に引き寄せられ、ソ連は雪隠詰めになったのです。それで米国はドル価値が下がって物価が急騰したかといえば、さにあらず、日本やアジア諸国から安い輸入晶が流入、物価は上がらなかったのです。
ただこの間に、米国の規格大量生産型工業は壊滅的な打撃を受けました。多くの企業が倒産し、工場は閉鎖になり、中西部の工業地帯は荒廃しました。中堅技能者や中間管理職は職を失い、スーパーのレジやモーテルの清掃人にならざるを得なかったのです。

こんな荒っぽい時代(それが知価革命です)を経て、米ドルを基軸通貨とする金融の世界は一変しました。金の裏づけで安定した価値を保つ通貨から需給の間に変動する通貨になったのです。
米国では90年代後半に一時財政黒字が実現しましたが、イラクの戦争などですぐ大赤字になります。国際収支はますます大きな赤字になっています。これに耐えるためには、通貨の需要を増やす必要があります。つまり投資対象を増やし、その価格を上げることです。
80年代末には、ジャンク・ボンド(信用度の低い社債一が流行しました。90年代末にはIT企業の株式が持てはやされるITバブルが生じました。そしてそのあとには、低所得者への住宅ローン、「サブプライム」が拡大しました。

いずれも過剰なドルを吸収するために考え出された投資機会の幻想的拡大です。
世界の通貨構造から見て、これからもさまざまな装いを持ったハイリスク・ハイリターン金融商品が出現するに違いありません。これからの金融は、常にリスクを含むものとの考えが必要です。
「価格は変動する、されど価値は変わらず」と考えられた近代工業社会の金融思想はもう過去のものです。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++}}}

私のブログは堺屋先生が本書で伝えたかったその1/10も伝えられていません、皆様是非本書をご一読する事をお勧めします。

【Ddogのプログレッシブな日々】
@『堺屋太一著「大激震」副題:堺屋太一かく語りき 実業之日本社』を読む
http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/24141942.html

A『堺屋太一著「大激震」副題:堺屋太一かく語りき 実業之日本社』を読む その2
http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/24177061.htm

B『堺屋太一著「大激震」副題:堺屋太一かく語りき 実業之日本社』を読む その3
http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/24214737.html

C『堺屋太一著「大激震」副題:堺屋太一かく語りき 実業之日本社』を読む その4
http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/24214996.html
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > 国家破産61掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。