★阿修羅♪ > 国家破産66 > 603.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
日・米・英   株価 比べ      (1985年〜2009年) 【finance.yahoo.com】
http://www.asyura2.com/09/hasan66/msg/603.html
投稿者 hou 日時 2009 年 12 月 27 日 00:08:05: HWYlsG4gs5FRk
 

新自由主義といっても、イギリス・フランス・ドイツと日本・アメリカ型に分かれる。
もともと国営・社会主義だったイギリスは、市場を活性化させるために
今回、同じ新自由主義でもフランスが一番傷が浅く。
ドイツは、完全に公的な郵政部門と公的金融機関を民間部門へ移行を完了。
しかし、欧州各国はセーフティネットなどを含めて全体の財政支出からみると、少し民営化したのに対して。(小さな政府へ)


日本・アメリカは市場主義にもかかわらず、すべてを開放した。
(小さな政府からさらに小さな政府へ)
その結果、アメリカの公的部門である公的金融機関ファニーメイやフレディマックによる多額の信用創造(桁外れの事業拡大・高レバレッジやデリバティブを利用・低金利で資金を調達可能・信用スプレッドが他の金融機関より有利に調達可能・政府系企業だから格付けはどんなに無茶してもAAA・専門の規制当局はあったが、数が多くて権限が十分でなく、機能不全だった。)により、不動産バブルが発生し破綻した。つまり、今回のバブルの犯人は半分民間組織で半分公的機関という厄介な組織が流した、(監査機関は、他の金融機関と別組織で監査及ばず)公的資金が原因だったと考えられる。
また、貧富の拡大により、保険に入っていない人が4700万人に達し、さらに
マイケルムーア監督は、民間保険システムが全く機能してないことを告発した。


日本は、小泉首相・竹中大臣が不良債権を片付けること宣言して。
いままで、民間にたまっていた、不良債権を公的資金で処理する方法を行った。
銀行に多額の税金を投入。
しかし、これは10年前から引きずってきた物を清算しただけで、改革と呼べるだけの
効果は発揮せず、寧ろ、失われた10年の結果、家計部門は、受け取れる利子と仕事を
さらに減らされた格好で幕を閉じる。1997年からのデフレは収束せず。
デフレスパイラルに陥る。さらに近年の金融恐慌によりデフレが加速し、
先進国で最悪の貧困率となる。
---------------------------------------------------------------------------

イギリス

1979年5月の総選挙で労働党は敗れ、保守党のサッチャーが首相に就任しました。サッチャー首相の政策は金融政策ではマネタリズムの採用、財政政策では所得・資産課税減税と付加価値税(消費税に相当)増税、財政支出削減、それに加えて国営企業の民営化に手をつけました。

NHS(National Health Service)とは、イギリスの国営医療サービス事業をさし、患者の医療ニーズに対して公平なサービスを提供することを目的に1948年に設立され現在も運営されている。利用者の健康リスクや経済的な支払い能力にかかわらず利用が可能であり、基本的に無料である。また、6か月以上合法的にイギリスに滞在することが可能なビザを取得している外国籍の学生なども、NHSのサービスを利用することができる。

イギリスでは約80%が国の一般財源から賄われている。内訳として、税収による一般財源(80%)、国民保険(約12%)、受益者負担(2-3%)、その他となっている。Department of Health(DoH:英国厚生省)から、4つのNHSにそれぞれ予算が配分され、地域に必要な医療サービスに基づいてそれぞれの医療機関(病院、診療所、ケア・ホームなど)に予算が配分されるという仕組みになっている。

【英国医療の流れ】

●1948年、国民保健サービス(NHS:National Health Service)は第二次世界大戦を経て、発足。

戦後に始まったこの制度は、「ゆりかごから墓場まで」を標語に英国に住む人は誰でも無料で医療サービスを提供する社会主義的な制度。

財源は税金で患者の負担は原則無料。

医療従事者の公務員化や病院の国有化.。

↓ 年月が流れるにつれて、効率の低下、サービスの低下などが進む

●1979年、サッチャー政権(保守党)の医療改革で市場競争を取り入れる。

今までの効率の悪化などを改善するため、市場原理を導入した。

ひとつは、普段の住民の健康管理を担うプライマリーケアトラスト側と大きな病院側に分け、住民の健康を担う側が、住民が必要とする医療サービスを大きな病院側から購入するという形態となったこと。

ふたつめは、予算保持家庭医。これはプライマリーケアトラストが決めていた予算配分や内容を、家庭医が決定する形態となったことである。

↓ これにより地域差、組織差が拡大する形になる。

↓ また医療の質や効率の改善にはつながらなかった。

●1997年、ブレア政権(労働党)に「第3の道」をキーワードとして医療改革を行う。

第3の道とは、完全な社会主義政策(第一の道)でもなく、完全な自由主義政策(第二の道)でもない第3の道という意味である。

新しい公共事業運営(New Public Management)という考え方を背景に診療ガバナンスによる質や安全と経営的指標がともに向上していけるシステムの導入を目指す。

日本

橋本内閣の金融改革の不幸は、その過程で日本の金融危機が想像以上に深刻化していったことである。そのために「ビッグバン」は、日本の金融市場を外国に負けないものにするため始まったのに、それどころか、日本の金融機関は21世紀に生き残れるかどうかという危機的な極限状況に追い込まれていった。

 その最大の原因は、不良債権問題を軽視し、先送りしたことにあった。

★90年代後半期の不良債権と深刻な金融危機
 政府は90年代初頭の5年間、バブル崩壊の後始末ともいうべき「不良債権」について、その実体さえ明らかにせず、放置してきた。
 
 95年になって重い腰を上げてようやく政府が直接責任を持つ「住専」の不良債権問題に取り組んだ。しかしその結果は、6,850億円の公的資金を投入したことから、国民的な批判を浴びることになった。そのため、その後は公的資金を投入した不良債権処理はほとんどタブー視されることになり、不良債権の処理は更におくれることになった。
 
 公的資金の投入なしに不良債権の処理は不可能である。それが住専問題の不手際から再び先送りになった。大蔵省は当初、不良債権の大物は「住専」であり、「住専問題」が片づけば、大体、不良債権問題の山は越えたと思っていたふしがある。

 94年3月期末に、主要銀行21行の公表ベースの不良債権額は、13兆5千億円であった。この他に3業態の「金利減免先」を、大蔵省は、当時、約10兆円と見込んだ。併せて24兆円、貸出総額の7%が不良債権の総額と推定した。

 これに対して、95年3月期には、3業態で約3兆円、翌96年3月期には、0.5%という史上最低の金利を背景にして、銀行は史上最高の利益を上げ、一挙に9-10兆円の不良債権の償却を行なった。
 公表されている不良債権額はこれで大方、処理されたことになる。あとは10兆円の「金利減免先」だけであり、「概ね5年」をかければ、十分に償却可能な額であった。

 ところが実態の不良債権額は、この段階で大蔵省発表の2倍である40-50兆円はあるといわれており、100兆円とする人もいた。銀行経営の箸の上げ下ろしまで統制してきた大蔵省は、不良債権の実態さえも把握出来ていなかった。

 バブル崩壊により1000兆円の資産が失われたのであるから、その1割の100兆円が不良債権として残っていても不思議はなかった。この不良債権額の実態把握さえ、バブルから5年をへても行われていなかったことが日本の不幸であった。


アメリカ
グーグル、アップルといった米ITベンチャーに大敗した日本 日本製品にはiPhoneのような感動がない
[はてなブックマークに追加する] [このエントリーのはてなブックマーク数] twitterでつぶやく | コメント(45) | 経済 | 2009/12/25 11:16
1 羽根ペン(アラバマ州) 2009/12/24(木) 19:44:29.14 ID:P71OzLNZ
※ 「ものづくり」にこだわり進化への対応を逃した日本

日本と米国とのGDP格差が開きだしたのは1990年代である。この時期はIT革命が起きた時期と重なる。それから10数年経過し、米国の若いITベンチャーが日本の巨大エレクトロニクス企業を赤字決算に追い詰めたのである。

敗北の原因はいくつもある。ITの業界では、技術革新が驚異的なスピードで進み、意思決定に時間のかかる日本企業は迅速な対応ができなかった。その間に多くの製品で「技術の標準化」と「コモディティ化」が進み、利益を確保できる製品が急速に少なくなってしまった。日本企業が「ものづくり」にこだわり、ソフトの重要性を見逃してしまった面も米ベンチャーを躍進させた一因と言えるだろう。

※ 日本の電化製品にはiPhoneのような感動はない

日米の量販店にぎっしりと陳列された日本の製品を見て、筆者は何の感動も覚えない。筆者がiPhoneを最初に手にした時は違った。そこには感動があった。「こんな製品が欲しかったんだよ」とひとり呟いた。日本の名門企業はどうして人を感動させる製品を作れないのだろうか。「買う側の視点」などはどこかに飛んで行ってしまったのではないだろうか。
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2009年12月27日 07:28:53
なんでグラフの縦軸のメモリの幅が均一じゃないのでしょうか?

02. hou 2009年12月27日 08:03:46: HWYlsG4gs5FRk
移動平均線をオプションで選択すると、そのように記入されるみたいです。
最初は、目盛りの幅は均一で表示されるのですが。

03. 2009年12月27日 09:01:41
<失われた10年の結果、家計部門は、受け取れる利子と仕事を
さらに減らされた格好で幕を閉じる。1997年からのデフレは収束せず。
デフレスパイラルに陥る。さらに近年の金融恐慌によりデフレが加速し、
先進国で最悪の貧困率となる。>

同感です。

 竹中氏は、デフレは1994年からといっていました。いつからデフレは始まったか、興味があります。
 ヨーロッパのデザインは、絵画は勿論、ビル、街並み、商店のデコレーション、文房具のデザインなどすばらしいですね。日本も、デザイン部門に力を入れることが次の時代の展開の様な気がします。


04. 2009年12月27日 10:13:11
デフレは平成5年からじゃないでしょうか、企業がリストラをはじめて、安売りが安売りでなくなっていった時期です

05. hou 2009年12月27日 23:38:25: HWYlsG4gs5FRk
上の方が指摘されているように
1990年以降

>企業がリストラが始まり、安売りが安売りでなくなった。

>不良債権の処理が遅れて、銀行へ借金の金利が止まったにも関わらず
ゾンビ企業を生きながらえさすために、更に融資して
ほかの、企業にリストラを迫った。

この2つがループしているのです。1997年までこの関係はなんとか保ったが
1997年に5%の消費税を導入してからこのループさえ維持できなくなり。

不良債権と倒産件数は増加の一途をたどり、デフレスパイラルに陥ったと
思います。

このループを処理したのが竹中さんで、このループの中にあったのが特殊法人
や郵政の特別会計と天下りの問題でした。

やっと、2001年になって日本は正常な金融システムを取り戻したのです。

竹中さんは、あくまでも日本の改革者でのなんでもないのです。
10年前の不良債権を処理しただけでした。
その過程で邪魔だったのが、ヤクザと銀行員・官僚・官僚OBだっただけです。
それらを排除したという意味での改革ならやり遂げました。

ですから、次はデフレの改革者が必要です。
それが民主党なのか、見極めるにはまだ時間はかかりそうです。

デザインについて
欧州には良いものをつくり、長くそれを使うという文化と市場がありますからね
そして、それを手入れするための公的資金
日本には、そういう発想はないですね。
でも大正時代には、そういう発想の建造物がおおいです
東京駅・日本銀行や中央三井信託銀行、三越などです。
それらが日本に普及するとなると、日本国内の生産性をもっと向上させないと
負担が大きいので中々できません。

あと、身近なものにデザインを取り入れて普及するという意味では
アメリカのリミデットブランドおよび子会社のベッドバス&ビヨンドが成功しています。無印良品も結構な売り上げになってきたので成功といえますね。
あとケユラなども注目ですね。
欧州では、小規模販売が多いので、日本にあまり入ってこないのが残念です。
最近ステーショナリーに凝っていて
集めているのですが。
丸善・伊東屋や東京ミッドタウン、六本木ヒルズなどでは少し見かけるのですが
肝心の大手百貨店 たとえば日本橋三越、新宿伊勢丹にもほぼ見かけません。


デザイン重視のステーショナリーは、どこにあるか。
どなたか教えていただきたいものです。 いまはブックエンドを探しています。



  拍手はせず、拍手一覧を見る

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。