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【関連:主戦論の反省なかった朝日】報道の翼賛化は戦後すぐの「天声人語」に芽があった【JANJAN】
http://www.asyura2.com/09/hihyo9/msg/417.html
投稿者 一市民 日時 2009 年 7 月 04 日 23:28:34: ya1mGpcrMdyAE
 

(回答先: 郵政劇場型選挙の反省ゼロ 民放TVの大罪(日刊ゲンダイ) 投稿者 めっちゃホリディ 日時 2009 年 7 月 02 日 10:15:48)

http://www.news.janjan.jp/media/0907/0907036310/1.php
報道の翼賛化は戦後すぐの「天声人語」に芽があった
赤松峰男2009/07/04

 現在、日本はかつて無い不安社会に陥っている。倫理破綻が招いたと言っても過言では無かろう。
 何時の頃か、「まるで人情紙風船」と唄った流行歌があったが、人情どころか、すでに生命が紙風船になっている。
 殺された赤ん坊を0.5人とカウントした大学教員まで現れる始末である。
 自殺者と凶悪犯罪の犠牲者を合わせれば、もう10年も、毎年硫黄島より規模の大きい戦闘に負け続けていることになる。
 元をたどれば小泉・竹中政治の聖域無き規制緩和と民営化を推進する改革政策に行き着くことは、大方の承知するところだろう。

 小泉内閣の政治を評せば、中身が説明されることのない、問われることのない、従って議論の尽くされることのないスローガン政治であった。
 だから、未だに「改革とは何だったのか」なんて言葉を見たり聞いたりする。
 後期高齢者医療制度なぞは、法を可決した自民党議員でさえも内容を知らなかったと言って憚(はばか)らないほど、政治は腐っていた。
 腐らせた報道の責任は重い。

 田中外相更迭時には報道全体が翼賛化したことが顕著になった。
 外務省のリーク記事に埋まり、オーストラリアの外相にまで迷惑をかけているのに、守秘義務違反を問うでもなく、いじめに近いような報道を繰り返した。
 外相更迭後は劇場選挙に一役買って、というより政権の露払いのようにスローガンを高唱して小泉・竹中政治を助けた。

 中国にいるのか日本にいるのか混乱を起こすくらいに「特区、特区」と聞かされ、季節を問わず「ミン、ミン、ミン、ミン」うるさく鳴かれて辟易した思いがある。
 新聞喇叭(らっぱ)の下、規制緩和は進み、悪徳業者が老人を食い物にして、不安社会を招来した。

 官の牽制が効かないところに民の悪事が生じ、政の牽制が効かないところに官の悪事がはびこり、選挙の牽制が効かないところに政の悪事がのさばる。
 野放図な規制緩和は牽制システムを壊すことに他ならず、壊せばどうなるか、なんてことは、壊してみなければ分からない事ではなかった筈である。
 その後、尻に品格を敷いた品格本が次々出版され、まさに大道廃れて仁義ありの世を呈したのである。
 小泉改革に最も貢献したのは、ただひたすらスローガンを流し続けた報道であろう。

 論語に「温故知新」という言葉がある。
 「歴史から知恵を学べ」と言うことである。

 朝日の「天声人語」は入試問題にも使われるほどの、名の知られたコラムである。
 その選りすぐりを朝日文庫で出版している。戦後新聞が何に警鐘を鳴らしてきたかを見るには縮刷版より、この方が分かり易いかも知れないと思って読んでみた。

 東京版の「天声人語」は昭和20年9月6日から始まった。記念すべきこの日のコラムを選りすぐりから落とすわけには行かない。その日の題は「敗戦」とあった。
 それまでは「神風賦」という題で戦意高揚に一役買っていました、とは書いてなかった。
 そこでは、翼賛の責任を国民に詫びるどころか、戦争責任を国民に斉(ひと)しくなすりつけていたのである。
 「『敗戦の因って来るところは、もとより一にして止まらず今日我々がいたずらに過去に遡って誰を責め、何を咎むることもないが前線も銃後も、軍も官も民も国民尽く、静かに反省する所が無ければならぬ』、この首相の宮殿下の御言葉の通り敗戦の責任は国民斉しくこれを負荷すべきである」と一億総懺悔を認めかつ勧めている。
 傷を持つ身の自分が認めるはよしとしても、一般国民にまで広く斉しく戦争責任を押しつけることには納得できない。
 この文中、「敗戦」を「現状」に、「前線」を「国会」に「銃後」を「財界・学界」に「軍」を「政」に、「首相の宮殿下」を「小泉・竹中」に置き換えて読んでみると、この一文がいかに国民を小馬鹿に観ていたかが分かる。

 また、「黙して職を退くのも責を引く途といえるだろう。退いて責を引くよりも、進んで、今後の難事に献身することこそ責任を知る方途であるという論もたつ。引責の方法についての考え方は、各人に信ずるところがあり、それを、とやかくあげつらうべきではない」なんてことも言っている。
 無責任の原点がここにある。

 今、政も官も民も、悪事が表沙汰になれば一応儀式として頭は下げる。だが、儀式だから形は整えるが心は見えない。
 陳謝しているのやらどうやら、儀式はあっても職を清く辞す者を見ない。
 信ずるところに従ってやってきた。時に利あらず部下に人を得ず、結果として間違いになった。そんなことで一々辞めてたまるか、ということであろうが、これが、いかに立たない論であるかはプログラミングの仕事を例にとれば分かり易い。

 プログラムの間違いを虫にたとえてバグと言う。その虫退治ということで、プログラムミスを見つけることをデバッグという。
 ミスをおかそうと思ってプログラムに向かう者はいない。万全の注意を払って取り組む。だから皆、成果品は正しいものと信じて疑わない。
 成果品のミスを作成者に見直しさせると、大きな論理回路にばかりに目を奪われる。が、大きな論理回路にはそれなりに注意を払うからミスは少ないし、また見つけ易くもある。
 細部にこそミスは隠れている。しかし、自信に目が霞んでなかなか見つけるのは難しい。
 堂々巡りを繰り返しているうちにパニックに陥ってしまう。
 だから、デバッグは必ず他人の目で見直しさせるのが常道である。
 冷静な他人の目で見るから間違いが見つけ易いのである。
 自分の目で自分の過ちを見つけさせることを「時間の浪費」という。

 誤りをおかした責任者が居座って誤りを正すも責任の取り方なんて理屈は、机上の論としては成り立っても現実を知る目からはとうてい成り立つ論ではない。
 砂上に城を造るに似て、そもそもの基本から出発しない論は空論と言うより愚論である。

 戦前の翼賛体勢の反省もなく、再び翼賛を繰り返すの愚は、戦後出発の日の「天声人語」に読みとることができる。
 これが古きを訪ねて新しい事実を知った温故知新の成果である。
 報道界は少し静かにして、国民に自ら考える弛緩を作ったらどうか。
 「邪魔にならぬも一仕事」と言うではないか。  

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