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【角川書店】角川春樹の神がかり経営術の危険な末期症状【幸福の科学】
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投稿者 提供人D 日時 2009 年 8 月 05 日 07:33:14: zjIwxfdYJcbls
 


噂の眞相 91年7月号特集2「角川春樹の神がかり経営術の危険な末期症状」
● レポーター 阿部治
 
●すっかり神がかりの角川春樹
中軽井沢から車で20分ほど、小浅間山の裏手にある「明日香神社」は、本誌5月号のグラビアでも特写されていたが、これまでは、取材を申し込んだマスコミにも一切非公開の聖域だった。この神社の大宮司をつとめるのが、角川書店社長であり、映画製作者であり、俳人であり、冒険家でもある……と、肩書多数の角川樹――その人なのである。
もともと、この社も、角川書店社員寮の敷地内に建てられたものだが、いわゆる道祖神を祭るように、小さな鳥居がポツンと建てられているようなよくある形式的なものではない。その証拠に年3回の大祭には、角川春樹は社員たちを連れて、宮司の衣裳を着こみ、神事を司る。大祭の時だけではなく、映画の製作やブック・フェアを開始する時なども、関係者を連れては、祈りを捧げているという。
なぜ、ここまで角川春樹は、神事に入れこみ、祈祷を欠かさないのか。自宅や、会社の社長室のみならず、かつて愛人が経営していた銀座のクラブの中にすら神棚をしつらえ、何かあるごとに柏手を打って拝むのが、春樹本人だけでなくその周囲の人間たちの日常でもあるという。出版界にも映画界にも、大きな波紋を投げかけてきた角川春樹の、この奇矯とも見える言動こそが、最近では低迷気味とも言われている「角川商法」を支える原動力となっているのだろうか。
春樹本人は、取材の場などでも「宗教が第一、二番目が俳句で、三番目がビジネスだ」と、冗談とも本気ともつかぬ表情で言ってのけたりしている。大真面目でなければ、神社を建立したり、神事に励んだりなどは、バカバカしくてやっていられないだろうが、文庫ブームを巻き起こし、「犬神家の一族」で世間に登場した頃から彼の“神がかり”ぶりは、業界でも有名なものだった。
10数年前、大型カヌーの野性号でフィリピン沖を航行中、黒潮の流れにうまく乗れず、水も食糧も尽きて、春樹たちは1週間漂流したことがあるという。進退窮まった春樹は、日蓮宗の経文を唱えて、「神、我ともにいくなら、我を救いたまえ」と怒鳴った。6時間ほど後に、潮の流れが変わって島に到着することができたそうだ。「奇跡が起きた。その頃から、自分の超能力を意識するようになった」と春樹自身は語っているが、伊勢神宮に足しげく参詣し、神道にのめりこむようになったのもこの頃が境だと言われている。
そのうち、自社の文庫フェアに関わる作家たちにも、この霊験あらたかな超能力療法は広められるようになってくる。「野獣死すべし」や「汚れた英雄」で知られるハードボイルド作家の大藪春彦は、肺炎から意識不明になり点滴を受けている状態の時に、春樹の剣祓いという儀式を受けた。すると、たちまちのうちに、病気は快方に向かい、3日後には退院できたともいう。売れっ子作家の宿痾ともいうべき腱鞘炎も、春樹が痛みを感じる部分をさすると、テキメンに治ってしまうともいわれた。森村誠一、西村寿行、平井和正、栗本薫などの著名作家が、角川式超能力の治療を受けて、持病を癒やしたとも言われている。
 
●単なる病は気からの延長話
本稿は、角川春樹の超能力が、いかに効くかというキャンペーンのパブ記事ではないので、上記のエピソードを本誌流に推理してみよう。
まず、野性号漂流事件だが、春樹自身天候に恵まれない時に祈りをはじめるのはクセのようなものであり、最近でも「天と地と」の撮影中、冬の羽黒山ロケで、思うように雪が降らず断念しようとしたところ、神仏に祈願してめでたく雪を降らせたという話を嬉しそうに周囲に語っているようだ。だが、これは上手くいった、たまたまの例にすぎない。
「天と地と」にしても、国内や海外ロケで思うような天候に恵まれず、春樹が一心不乱に祈ってみたものの、さっぱり変化せず、側近に癇癪を起こした事実もあるようだ。偶然が作用して、たまたま成功した例ばかり吹聴していると見られても、これでは仕方がないのではないか。確率論からいえば、春樹の祈りが天に通じるパーセンテージは、ずっと低くなるはずである。
作家たちの病気を全快させたというエピソーードも、よくよく聞いてみれば首を捻らざるをえないものばかり。ひとつは、なぜフェアを仕掛けている最中の売れっ子作家にばかり、その効能が集中するのかという疑問である。熱を出してウンウン捻っている患者に対し、お祓いをすれば(それが死に至る病でもない限り)、いずれ患者本人の回復力や投薬が効いて、熱が下がるのは当り前の事ではないか。お祓いという行為自体が、角川文庫の隠れキャンペーンのひとつであり、もう少し深読みすれば角川春樹のキャンペーンではないのかとさえ言いたくなってくる。
流行作家という職業自体情緒不安定に陥りがちであり、その不安定さを創作のバネにしている例も少なくないと聞く。暗示にかかりやすいタイプが多く、まして出版社のオーナーが神事を施してくれるのだから、効果の種類も違ってくるのではあるまいか。剣祓いの儀式をした後、まさか耳許で「増刷……増刷……」と囁いたりするわけではないだろうが、フェアを開催中の作家に限って超能力が効くのはまんざらそれとも無縁ではないのかもしれない。そうだとすれば、「病は気から」をフルに活用した単なる新手のPR作戦にも見えてくる。
春樹は常に隕石と仏舎利を肌身離さないという。上着の内ポケットの小さな袋にいつも入れており、隕石はアリゾナに落ちたかけら、仏舎利は知人から貰ったといわれている骨のようなもの。窮地に陥ると、春樹は咄嗟にこの袋を握りしめて、経文を唱えるらしいが、ウソかマコトか、そうして引き起こした奇跡の数々を試みにここに書きとめておこう。超大作「復活の日」撮影時、ロケ地に雨が降りやまず、春樹の祈祷でピタリと雨が止んだ。自作「愛情物語」の主演女優の風邪が治らず、高熱を発した時に、春樹のお祓いで、アッという間に治癒した。自作「キャバレー」の撮影時、主演女優が骨折などの怪我を繰り返し、撮影の続行が不可能視されたものの、春樹の剣祓いの儀式の効能で回復が早まり、無事に出演場面を撮り終えることができた……などなど、書けば書くほど映画のPRじみてくる……。
 
●「天と地と」で頂点を極めた“不幸”「天と地と」では“神がかり”も極まったのか、と業界から思われながら自らを「毘沙門天の化身」とまで言い出した。「天と地と」の製作動機も神の啓示を受けたからだという。公開前後に発表されたコメントによれば、「なぜ上杉謙信かというと、謙信は『我即毘沙門天』、我すなわち毘沙門天だと言っている。しかも秘仏とされる刀八毘沙門天の信仰を持っていることを私は突き止めたんです。私は信貴山で刀八毘沙門天を描いた曼陀羅を見たんですが、その夜、明らかに自分が刀八毘沙門天そのものになったと感じた。同じ時刻に、東京にいる人間が何人も、私が剣を振り回している姿を見ている」そうだ。
「天と地と」カナダ・ロケの最中にも、インディアンの酋長に就任したそうだが、それも彼のコメントによれば、「神に通じていないと酋長にはなれないんですが、地元のインディアンが『角川さんは神だ』と言いだした。というのは、私が祝詞を奏上しているとき、赤い鷹が現われたといって大騒ぎになりました。鷹は、彼らのトーテムポールでは第一位なんです。二番目がバッファロー、三番目がコヨーテだったかな。その鷹の中でも、伝説の赤い鷹が上空を舞った。それで私は、天と地を司る『白雲酋長』に就任したんです」となる。事務所の元社員は、そんな赤い鷹など見ていないし、大騒ぎになった記憶もないと語っているにもかかわらず、だ。
それにしても、言いも言ったりで、「刀八毘沙門天」に化身したかどうかは、本人の意識の問題だから知ったことではないが、剣を振り回した春樹の姿を見たのは、いったいどこの誰なのか。差し支えなければ、その目撃者の氏名、連絡先を御教示願えないだろうか。ぜひ証言を掲載したいところだが、今までに具体的な氏名はいっさい明らかにされていない。もしそれが角川書店関係者では、こちらの方でお断わりと言っておく。
しかし、ことでも大きな疑問はつきまとう。映画の成功と無事とを祈願する御祭事が、撮影前に盛大に行なわれたのにもかかわらず、なぜ「天と地と」では、次から次へとトラブルが発生したのか。それも並大抵のトラブルではない。上杉謙信役の渡辺謙が、撮影中に急性骨髄性白血病に冒されていたのが分かったのは、映画の製作そのものを左右する致命的なトラブルだった。
だが、あの映画の場合すでに40社を超える大手企業が、総製作費50億円を出資しており、撮影の中止は春樹本人が日本中の企業に二度と顔向けできなくなることを意味していた。結果として、榎木孝明が代役に起用されたが、春樹の動揺は相当に大きかったはずだ。それ以外にも「天と地と」には、公にこそされていないが、様々なトラブルが起きている。
スタッフや出演者の数も多く、エキストラだけでも数千人という大規模な撮影の超大作では、ある程度のトラブルは大なり小なりやむをえないことだろうが、問題はその質である。主演の「急性骨髄性白血病」の発病というケースも滅多にないだろうが、完成後には春樹当人も、その時期顎が腫れ上がる悪性の腫瘍にとりつかれていたことを、自ら明らかにしたほどだ。
もっとも春樹は、そうした障害を乗り越えて映画が無事に完成し公開に漕ぎつけられたのも、神仏のお蔭と強弁しているが、それでは撮影前の儀式は一体彼の中では、どう位置づけられるのだろうか。結局は映画の完成が最優先という彼のエゴイズムに、神仏も奉仕したことにはなるまいか。映画に関わった角川書店や事務所の関係者数人は、公開前後に追われるようにして、辞めている。
「天と地と」成立の裏には、多大の犠牲が支払われている。幸い、渡辺謙は快方に向かい、今年夏に公開される「幕末純情伝」に出演できるまでに回復したが、映画全体には春樹と日本から連れて行ったアイヌの酋長、そしてインディアンの酋長の三者によるお祓いでさえ撃退できないほどの悪霊がとりついていたというのだろうか。
 
●春樹の神がかりのルーツをさぐる
さて、角川春樹がなぜこれほどまでに“神”に固執するのかを探ってみよう。それには、彼の経歴をふりかえってみれば、糸口が掴めるかもしれない。角川春樹の父親であり、角川書店の創始者である故・源義は、折口信夫門下の国文学者であり、俳人としても有名な存在であった。学究肌の知識人だったが、好き嫌いの激しい性格で、社員からは“鬼源”と呼ばれていたという。
その家庭生活も特異なものだった。厳しい父親ではあったが、家庭をかえりみず、別宅から出社する毎日だったらしい。母親も二度目の後妻であり、そうした家庭に反発して、春樹は学生運動に没頭したり、ボクシングに夢中になって青春時代をすごしていたそうだ。両親の愛憎に挟まれて、春樹の腹ちがいの妹は、彼が大学1年の時に自殺したほどである。
国学院大学を卒業後、春樹は取次会社の栗田書店に入社した。家業を継いで出版の道へ入るかどうか、かなり悩んだらしいが、返本の山を見てビジネスとしての本作りに奮起。出版人としての道を歩むことを、ここで決意したらしい。昭和39年秋には栗田書店から学術出版の創文社へ。ここで出版全般についての薫陶を受けた後、40年春、角川書店へ入社。父源義の反対を押し切って、カラー写真を満載し、声優に詩を朗読させたソノシートを付けた「カラー版世界の詩集」を出版し、全12巻、計250万部のベストセラーにして成功させる。
次いで、「日本の詩集」全12巻を出版するが、これは大惨敗。社内人事の軋轢に巻きこまれた形になり、反発しあっていた父親からは「顔も見たくない」と非難され、常務から課長に降格される。社内ではこの時期、最も不遇な扱いをされていたらしい。春樹が再起したのは、「ラブ・ストーリー」の大成功がきっかけ。エリック・シーガルの原作が、アメリカでベストセラーになり、映画化(「ある愛の詩」)がヒットした状況に目をつけた。父親の目を盗んで、独断専行で出版することにしたが、営業部では大反対。春樹はクビを覚悟で出版に踏みきったが、百万部を超える大ベストセラーになり、父親の勘当もとけて、編集局長にカムバックする。浮沈の激しい出版人生であり、同時に父親との葛藤に苦しんでいたのだろう。
角川源義は、昭和50年10月27日、肝臓ガンで死去するが、春樹のワンマン体制は、この時から始まったといってもいい。亡くなる3週間前に、春樹は自分を副社長にする辞令を総務部に出させ、告別式前の11月1日には役員を集めて「今後は私が事実上のゴッドファーザーだ」と宣言。11月6日には、社長に就任し、翌年には「犬神家の一族」で、映画製作に乗り出していく。
角川書店のイメージは、父・源義の時代とは、ガラリと変わった。創業精神を覆すかのように、エンタテインメントに積極的に力を入れるようになる。文庫に代表されるような“商品”としての本作りは、父親への反発に根ざしていることは、明白である。その反面、父親の遺志を継いだ「角川日本地名大辞典」を律義に刊行しているあたりは、いじらしいものがある。父親への愛憎が、春樹の仕事の中でも大きな比重を占めていることが分かる。本を「商品」として扱い、メディア戦略の中で売りまくることと、自ら俳句を作り、俳句の世界で最も権威のある「蛇笏賞」を受賞する(「蛇笏賞」は、財団法人・角川文化振興財団が主催していたことから、批判の的にもなったりしたが)、一見相反し、矛盾する行動こそが、角川春樹のキャラクターを支えているのかもしれない。そして、その矛盾を本人の中で濾過するための装置こそが、宗教への傾倒とはいえないだろうか。
キーワードは「思い込み」である。角川春樹は、学生時代に取次店でアルバイトをしている時、ナポレオン・ヒル著「巨富を築く十三条件」を読んで、強く影響されたという。これは潜在意識を活用した一種の成功理論であり、そう見れば、彼独特の強気一点張りの発言や、奇矯とも見える行動も納得できる。
「明日香宮神社」が神社本庁には属しておらず、独立系の一宗一派であることも考え合わせれば、春樹の神が実は彼自身であり、唯我独尊であるのも頷けるというもの。しかも彼には巨大な存在だった父親に、追い付き追い越せという大命題がある。「出版一筋」だった父親へのコンプレックスを解消するかのように、映画製作をはじめとする様々な異分野に挑戦したのも、その成功理論を応用すると見えなくもない。
しかし、必ずしもそれが成功するケースばかりではない。数年前には角川映画を自主配給すると宣言したものの、東映など大手興行会社に、無言の圧力をかけられて、あえなく断念。またブロードウェイ・ミュージカル「三文オペラ」「将軍」が大失敗したのも、周知の事実。だが、そうした失敗例をおくびにも出さず、角川春樹は「快進撃」を主張するが、いちいち疵を気にしていては、キリがないからだろう。
度重なる結婚、離婚の繰り返しや、愛人の存在なども、生き別れた母親へのコンプレックスや憧れが作用していると考えれば、彼の行動は申し分なく首尾一貫しているのだ。そのカリスマ性も、あくまで自己暗示の産物であり、社内の上下関係ばかりに気を遣う大多数のバカな社員どもによって、その風潮はいっそう煽られていると見ていいだろう。
春樹の「神通力」は、社内には効くかと思われるかもしれないが、そうでもないあたりが面白い。「ザ・テレビジョン」のような成功例は少なく、文庫版サイズの小説誌「小説王」や「びっくり文庫」などは見事に敗退して休刊。文芸誌「月刊カドカワ」は、同業他社から蔑視されながらも、芸能誌に変身して息をつき、女性誌「PEACH」、情報誌「トーキョー・ウォーカー」、少女漫画誌「ASUKA」などは発行部数の低迷で青息吐息の有様らしい。決して強気だけで支えられるほど、出版業界も生やさしくはないのが実情だ。
 
●春樹の手口はヒトラーの「我が闘争」
角川春樹は、アドルフ・ヒトラーの「マイン・カンプ〈我が闘争〉」を最大の教科書にして、出版事業に取り組み始めたという。「ヒトラーのナチズムの本質は、民族主義というテーマを美学におきかえたところにある。そこにヤツの天才的なテクニックがあると思う。そのために軍服のファッション、ニーチェの超人思想、あるいはリルケの詩、ワグナーの音楽すべてを動員した。これはすべて活字と映像と音に集約される。要するにそれらのものをたくみに総動員することで、民族主義というひとつのテーマを美学に仕上げて大衆を陶酔させていった」と、春樹はヒトラーに引きつけられた理由を説明している。
映画をヒットさせ、原作本を売りまくるために、あらゆる媒体を駆使して、集中的にキャンペーンを打つ。そして大衆を動員する「角川商法」は、このヒトラーの戦略を踏襲したものだが、ここにはナチスの非人道的な行為への考察などは微塵もなく、ただ大衆を煽動するためのテクニックへの崇拝があるだけだ。宗教人としての自分を、春樹が事あるごとに強調するのは、カリスマとして、大衆に自分を認めさせたいという願望の直接的な表われだろう。
半ば本気で“神がかり”を演じているのは、それが大衆操作に効果的であることを、知っているからかもしれない。いかに非現実的に見え、嘲笑されようと、人々の脳裡にカリスマ的イメージを繰り返し叩きこめば、下地は出来上がったことになる。後は世間の要求する華やかなパフォーマンスに応じていれば、金は転がりこんでくる。最前線の社員(兵隊!?)たちにしてみれば、数字との神経をすり減らす戦いになってくるが春樹にしてみれば、宗教は自分のワガママを通すために必要不可欠の装置なのだろう。消耗した兵隊は、切り捨てれば良いのだから。
しかし、春樹の誤算は、最初のうちこそ「角川商法」に批判的だった世間が、口では批判しながらも、儲かるとあらば、その手法を真似しはじめたことだろう。文庫ブームは、アッという間に過熱して飽和状態に達し、皮肉にも安定した作家を抱えこんでいない角川文庫の売り上げは、ジリ貧状態になってきた。活字と映像と音の三位一体で攻める方法も、他の映画会社に、そのまま真似されるようになってしまった。
数年前からの角川の凋落は、世間の側が、軽薄にも角川化したことによるものと思われる。それならばと、勝負に出たのが「天と地と」であり、ここで春樹は自分の宗教観を前面に出し、宗教のビジネス化を試みたといえる。
映画会社にしてみれば、作られるプロセスはどうあれ、興行的にヒットさえすれば、文句を言う筋合いはない。イベントとしての角川映画にはうま味はあるが、ジャーナリズムも配給会社も、映画的な完成度は、春樹に対して最初から求めてはいなかった。自分のカリスマぶりを誇示しようにも、振り回す刀のやり場に困った春樹は、海外に評価の場を求めたが、今のところ興行的に成功したり、海外の映画祭で受賞したりという話は聞こえてこない。
かくして「天と地と」は、空虚な大イベントとしてのみ記憶されるだろうが、それでも春樹は懲りず、井上靖原作「蒼き狼」や、「ノストラダムスの大予言」映画化の構想をぶちあげている。その際には、前売券を押しつけられた観客がワンサカ劇場につめかけたりするかもしれないが、日本人は、それほどバカではない証拠に、この種の映画は決して評価されることはないだろう。宗教人であるには、春樹は、あまりに邪念が多すぎるからだ。
角川映画で高く評価された「Wの悲劇」や「蒲田行進曲」は、どちらも大衆の煽動を目的に作られたわけではなく、むしろ映画作家の持味が生かされた作品だった。低迷気味の文庫に活を入れるため、角川文庫は「幸福の科学」を設立した大川隆法の著書「太陽の法」や「黄金の法」「ノストラダムスの新予言」などを一挙に収録した。いずれも似たりよったりの安直なエセ人生論だが、売り上げは順調に伸びているらしい。これも宗教書は儲かるという計算に基づいた作戦だろう。儲けるためには手段を選ばずという強引な手口が、ここでも目立つ。
活字と映像と音を駆使して、自らの願望を達成し、実現しようとする角川春樹の動向は90年代の否定的な座標として、注目する必要があるかもしれない。目を凝らせば、彼の“神がかり”も、それなりの算盤によって支えられた胡散臭い商法の一手段であることが見えてくるだろう。その上、春樹の周辺には、彼の“はだかの王様”ぶりを忠言する部下はほとんど残っていない。神がかりはますます危険な傾向を強めていくのだろう。 〈敬称略〉


 

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