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敵の敵は・・・? ブログ「神州の泉」をめぐって
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投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 8 月 26 日 20:03:54: mY9T/8MdR98ug
 

「神州の泉」というブログがあります。数年前、私は一度だけこのブログの記事を阿修羅サイトに投稿したことがあります。このブログの記事の投稿はこの一回こっきりです。なぜ一回で止めてしまったのか。それはブログのタイトルが理由です。「神州」という聞きなれない言葉を使っています。その用語から「神国日本」を連想しました。ブログ管理人のプロフィールもそうした考え方を裏付けるような内容でした。一言でいえば「民族派極右」です。民族派極右の主張は個別事例において往々にして左翼の主張とオーバーラップするものです。

その共通点が植草一秀氏をめぐる数々の主張です。この点では反体制左翼と一見、まったく同じことを主張していて、見分けがつきません。しかし、このブログの植草一秀氏以外のリンク先はいずれも右翼サイトです。このブログが植草一秀氏をめぐって主張する内容は、反体制左翼の主張と同じですが、それ以外は相いれない考え方を持っていることがうかがわれます。

「神州」を国語辞書で意味を調べると次のようにあります。
「神国。日本で自国を誇っていう。」
かつて「日本は神の国だ」と言って物議をかもした森なんとかという首相がいましたが、「神州の泉」というブログは、その森首相と同じ主張をブログのタイトルにしていることになります。おそろしやおそろしや。

このブログが極右のブログであることを如実に示す記事がありましたので、少し長いですが全文引用します。

--- 引用開始 ---
http://www.blogpet.net/viewer?url=http%3A%2F%2Fshimotazawa.cocolog-wbs.com%2Fakebi%2F2008%2F11%2Fpost-13a5.html

忘却の国民精神を掘り起こした「田母神論文」の凄さ!!

 田母神論文は忘却の帳(とばり)を開いた

 戦後史とは、無理やり眠らされた日本の魂の上に構築された虚構の生存空間である。私は1946年に成立した日本国憲法下で生まれ、その後56年をこの憲法下で生きてきた。普段、憲法とは何であるかなどは、いっさい考えずに、これは日本の秩序や規則を明文化したものだから、とにかく守っていればいいものだというくらいにしか考えていなかった。しかし、いざという時に、愛する郷土や家族、国家を守る概念のない憲法ははたしていいものなのかという疑念にいつもとらわれている。

 戦後の高度経済成長期に育ち、成人となる過程で、私は戦争のことはほとんど考えたことがなかった。時々、「太平洋戦争」というワードに目が触れた時は、自分が、いくらその時代を生きていなかったとは言え、何だか後ろめたい気持ちになって、日本がそうとう悪いことをしたのだろうという漠然とした思いしか湧いてこなかった。父親が歩兵連隊で中国で戦ってきたことは知っていた。しかし、詳しいことは知らなかったし、訊ねてみようとも思わなかった。母は若い時に一家で開拓団として満州に住んでいた。

 戦争の話や満州の話は、父母から断片的には聞いていたが、詳しく聞くようになったのは比較的後のことだった。物心付いたときから両親の戦後史を何となく知っているだけで、それ以前、すなわち、戦前に彼らの過ごした環境や歴史はほとんど情報として入ってこなかった。私が積極的に聞かなかったからだ。ただし、両親が幼少年時代を過ごした生まれ故郷の話は度々聞いたことはある。私は、父が戦地に、母が満州にいた当時の話は意識して聞かなかったような気がする。

 サウジでの黙想

 私には後ろめたい気持ちがあった。今、日本は戦争していないからわからないが、以前の日本人は、辺りの国にひどいことをしていたという漠然とした刷り込みが、少年時代や青年時代の私の気持ちを蚕食していたのである。今から28年前の28歳の時、サウジアラビアで働くことになった。その時、砂漠の真ん中で、必死に働く日本人仲間を見ながら、日本人って何だろうかと考えた。そして遠い祖国、日本に思いを馳せた。私が日本をまじまじと考えたのはこの時が初めてである。サウジの国営企業は、巨大な石油プラントのプロジェクトを、多国籍企業を使って建設していた。したがって、労働者の現地キャンプには台湾人、韓国人、日本人、タイ人、イタリア人、ドイツ人、アメリカ人、フランス人などがいて、周辺アラブ諸国からの出稼ぎ者も数多くいた。つまり、プラントという狭いエリアで多様な人種が混じり合って働いていたのである。

 そういう擬似的な国際万博会場みたいなところで、いろいろな人種と接しているうちに、おぼろげながら日本人の新しい顔が見えてきたのである。休日に街(リヤド)に出かけて買い物をすると、いろいろな外国人が買い物をしていたが、日本人は別格扱いをされていた。丁寧に扱われるのである。アラビア語で二人称の「YOU」は「アンタ」と発音する。店のアラビア人はアジア人の客に、「アンタコリア(あなたは韓国人か)?」とか「アンタ ヤバーニ(あなたは日本人か)?」と聞くのである。私は当初、「アナヤバーニ」(自分、日本人)と真面目に答えていたが、ずいぶんと親切に応対してくれた。品物を値引きしてくれたり、愛想よくしてくれた。

 彼らは日本人とわかると、空を指差して「アッラー フィー?」(神はいると思うか?)と聞く。日本人が確信的に「フィー」(存在する)と言うと非常に喜ぶのだ。

 いつか同じ事を聞かれたとき、私は冗談で「アナコリア」(自分 朝鮮人)と言ってしまった。反応が知りたかったからである。これが大失敗だった。売り子は途端に態度が頑なになり、絶対に商品をまけてくれなかったし、買ったら早く出て行けと言わんばかりだった。同様にアッラーの存在について、「知らない」とか「いないと思う」とか答えたら、態度が激変した。この話は差別感覚で言っているのではなく、正直な体験談だ。

 韓国人と日本人に対する目線の違いは確かにあった。私にはそれが衝撃だった。態度が逆なら話はわかる。日本人は先の大戦で外国人に大迷惑をかけているから、アラビア人も良く思っていないのかなくらいに思っていたからだ。ところが、実際は逆で、日本人はそうとう信用され、尊敬されていたのだ。すべてのアラブ国家ではどうなのかわからないが、少なくともサウジでは日本人は別格扱いされていた。これに驚いた私は、砂漠で日本を思い、それまで自分が培った日本というイメージに大きな修正を迫ることになった。

 サウジの荒涼とした砂漠はそこで暮らす者を内省的にした。遠い異国に出て、砂嵐とぎらつく太陽のほかは何もない風景は、日本を強く考えさせてくれた。暑さで脱水気味になっても、愚痴も言わずに必死で働く同胞には誇りが湧いてきた。日本人は何という強い責任感と仕事完遂の熾烈な欲求があるのだろうと思った。他の外国人が怠け者だとは言わないが、圧倒的に日本人は働き者だった。初めて日本人はいいなあと思った。

 私はサウジで汗だくになって働いている日本人も、あの戦争でアジア人をひどい目に合わせた日本人も、同じ血が流れているとはとうてい納得できなかった。わずか一世代、二世代の違いで、悪鬼のごとく外国人を惨殺する日本人から、アラビア人に尊敬される日本人に変わるものだろうかと。左翼の人たちは反省と抑制が効いているからだろうと言うかもしれないが、そんなことは受け入れがたい。

 民族の習性はどこにいても、どの時代も普遍的に出るからだ。作家の森村誠一氏は戦争は人を狂気に追いやると断言したが、母から聞いた話では、極限状態の日本人は、狂気よりも冷静さや誠実さがよく出ているという感が強かった。関東軍と一緒だった母の満州南下逃避行の話はいつか書きたいと思っている。泣き叫ぶ赤ちゃんを殺せと言った民間人がいた。しかし、殺さないで可能な限り連れて行けと庇った軍人さんがいた。ソ連軍の銃弾が飛び交う中で、母たちや軍人さんたちはそうとうの犠牲を出しながらも、助け合いながら逃げ延びた。その模様は何度も聞いている。

 母はかなりの年なので、最近その話をボイスレコーダーに記録した。そこには死の恐怖にさらされた人間のドラマがたくさんあった。しかし、それは狂気ではない。狂気は確かに発生するが、森村氏が指摘したように、全的にデモーニッシュ(悪魔的)な空気に支配されるなどということはない。全的狂気はないが、戦争には美もない。助け合って生き延びた物語は美しい面もあるが、逃げられず無残な最期を遂げた人々の話は、血の匂いがして、気持ちを閉ざしたくなる酸鼻なものだった。逃げ延びても赤痢などで無念の死を遂げた人たちの様子も聞いた。戦争というものを一刀両断にこういうものだとは言えないことだけはわかる。でも、戦争には人間存在のリアリティがある。

 サウジで私は思った。もしかしたら、私は大きな勘違いをしているのではないのか?学校で教わったこと、大人に教わったこと、常識だと思っていたことは、実は何らかの理由があって、虚構の上に構築された洗脳的映像だったのではないのかと。アメリカが正義で、日本は中国、朝鮮、台湾などを侵略して暴虐の限りを尽くしたなどという戦史イメージは歪曲されているのではないのかと。

 日本人が知らない「閉ざされた言語空間」

 今の日本人は、終戦直後の占領軍の行った占領政策の実態をどういう風に認識しているのだろうか。おそらく占領軍(GHQ)は敗戦国日本に上陸して、日本の秩序を建てなおすために何年か管理統制していたくらいにしか思っていないだろう。戦後教育の近現代史では、占領軍の占領政策の内実を絶対に教えないからである。

 戦後史のベーシックを知るには、占領期の実態を知ることが必須である。これを知るには、江藤淳の「閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」(文春文庫1994年)を読むといい。これは江藤淳が1979年10月から1980年6月までの9ヶ月間、アメリカのウイルソン研究所で行ったGHQ占領政策の骨子、すなわち検閲研究の集大成と呼ぶべき研究論文である。以下、主にこの本を参照して書く。この本に出ていない事柄は、私の拙い知識から出ているので、その辺は斟酌願いたい。

 この本には随所に興味深いことが書いてある。江藤氏が研究所に調べものの文書コピーを頼みに行くと、若い係員が「あんた、何を調べたいの?」と訊いた。江藤は「CCDの検閲を調べています」と答えると、若い男は「検閲?」と、怪訝な顔をしてから、「ああ、日本を民主化するためにやったんだろう」と言った。CCDと言うのは、占領軍の米軍民間検閲支隊(Civil Censorship Detachment)のことだ。

 この係員の言葉が、戦後史における日本人の誤謬の基本認識を表している。我々戦後生まれの日本人は、占領軍が日本に置いて行ったものは欧米風の民主化だと思い込んでいる。いわゆる戦後民主主義である。占領軍のCCDの検閲の詳細については江藤の本を読むと詳しく書いてある。戦争末期、日本は国土防衛隊の組織を命じて徹底抗戦を望んだが、その武器は竹槍(たけやり)しかなかった。この頃は弾薬も重油も尽きかけており、飛行機の燃料を松根油(松の木から採取した松脂)で代用するような状況だった。戦艦大和に搭載した重油が事実上、日本の最後の重油だったと考えてもいいだろう。

 終戦後、CCD(民間検閲支隊)は、占領政策への批判はもとより、竹槍しか武器がなかったことを川柳風(自嘲的)に歌った下記の俳句まで検閲した。

 一円と二十銭なる竹槍で
みいくさせしも夢のまた夢

これは国民精神の弾圧と言っていい、言論統制の象徴である。もっとも、俳句を知らないアメリカ人が見たら、この短い文言の中に、日本人だけが理解する闘争心を煽る符牒があると考えたのかもしれない。占領軍は日本の伝統精神が宿るものは片っ端から禁止した。特に剣道、柔道、銃剣術など、武道は真っ先に禁止した。何と碁や将棋まで禁止したと聞いたことがある。

 今から思えば教育勅語とは、ただの道徳律である。ただし、これには日本の国体精神が宿っていた。これは日本の固有性であり、危険思想でも何でもない。米国人は教育勅語が日本人の死を恐れぬ闘争精神を奮い立たせた元凶的文言であるかのように勝手に解釈した。要するに日本的なエッセンスの強いものは何でも危険視したのである。

江藤の「閉ざされた言語空間」に書かれた最も重要なことは第五章にある。民間情報教育局(GHQ CI&E)は、CCDの提供する確度の高い情報にもとづいて、WGIP(ワー・ギルト・インフォメーション・プログラム War Guilt Information Program)を数次にわたって強力に展開していた。WGIPとは、戦争についての罪悪感を日本人に植え付け、その潜在意識に刷り込み(imprinting)するための宣伝計画である。簡単に言えば、日本悪玉史観である。これによって戦後の日本人は精神にクサビを打ち込まれてしまったのである。

 ナチ・宣伝担当相だったゲッベルズは「嘘も百篇繰り返せば真実になる」と、大衆洗脳の方法を語っている。占領期の検閲と放送コードは、このような洗脳原理が働き、新聞やラジオ放送で日本人の精神を深部まで洗脳した。その宣撫工作の中心がWGIPだった。

 大東亜戦争侵略史観は、主にここから展開されていると考えた方がいい。田母神論文では満州帝國、朝鮮総督府、台湾総督府について、きわめて重要なことを述べている。これらは列強の植民地とはまったく性格が異なっていて、そこでは内地と同じようにする政策が取られたと書いている。つまり「同化政策」が取られた。そこでは神社を強制的に拝ませたなどと言う者がいるが、内地では自主的に参拝するだけである。神道には強制性はない。神道は原理的に多神教アニミズムであるから、一神教のように排他的特性はなく、現地の他の宗教も受け入れている。

 田母神氏の言うように欧米に比べればきわめて穏健な統治社会であった。それは台湾人の記憶に残っている。一方、李氏朝鮮に朝鮮総督府をつくって統治した日本は莫大な国費を投入してインフラを形成している。しかし、韓半島の人間は統治様態を列強のそれと等価扱いにし、いまだに日本を責め続けている。これは同じアジア人でも民度の違いと言うべきか。満州も同様である。日本が入って国は豊かになった。

 大東亜戦争史観から太平洋戦争史観というパラダイムの切り替え

1945年12月8日に民間情報教育局によって、日本の日刊紙に「太平洋戦争史」と題する連載企画が始まった。この「太平洋戦争史」の中で、特に日本軍の南京とマニラにおける残虐行為が強調されている。この時期、BC級戦犯容疑者のリスト発表と関連して、戦時中の残虐行為が強調された「インフォメーション・プログラム」が新聞向けに行われている。徹底的な罪悪感の植え付けである。

 この「太平洋戦争史」の前文で、マッカーサーは日本の軍国主義者の権力濫用や国民の自由剥奪、捕虜への非道な取り扱いなどを強調している。これらの洗脳宣伝が戦後日本の歴史認識のパラダイムを規定した。日本の言語空間が閉ざされたのである。その象徴的出来事は、この宣伝文章に初めて「太平洋戦争」という呼称を日本語の言語空間に嵌めこんだということである。昭和20年12月15日、大東亜戦争という呼称は禁止され、それに伴って、日本側から見た大東亜戦争史観は封印されてしまったのである。

 これが私が冒頭に書いた、日本の魂が眠らされてしまったあとに戦後史が始まったという意味である。

 田母神論文の歴史的意義

 田母神論文の画期的なことは、歴史の地下深くに封印されていた真実の大東亜戦争史観を白日の下に引き上げたことにある。彼は閉ざされていた言語空間を開いたのである。日本人は深く考えてみるべきだ。先人たちが常用的に使用していた「大東亜戦争」が、ある日を境に「太平洋戦争」に入れ替えられたのだ。その結果、何が起きたのか。日本人の伝統的精神や潔癖性、先祖を尊崇する極当たり前の感情が封印され、相互互恵精神や助け合いの共同体的心情が溶解した。日本人本来の美しい民族特性が掻き消されていった。

 その原因は精神の深部に「自民族はデフォルトで有害な性向を持つ」という間違った刷り込みが行われてしまったからだ。そのために若者は自国に誇りが持てなくなり、先祖を蔑むようになった。由々しき事態である。しかし、あの戦争の時代、日本には侵略ではなく自衛の要素や共和の精神が息づいていたとしたらどうだろう。日本人はまったく違う精神の位相に移ることになる。だから日本人は、あの戦争の何が史実で、何が捏造による洗脳史観なのか、よく見極める必要がある。

田母神論文こそ、迷妄の眠りに沈んでいた日本人に救国の鶏鳴を轟かせているのだ。戦後日本の言語空間とは、アメリカに都合の良い歴史観、すなわち「太平洋戦争史観」に対しては、思いっきり開かれており、日本側の真実の「大東亜戦争史観」に対しては、思いっきり閉ざされていたのだ。現行日本国憲法第21条に謳う言論表現の自由とは、太平洋戦争史観に対してのみ、有効に作用してきたのだ。しかし、この表現の自由は大東亜戦争史観に対しては、こじ開けられない牢獄のように、まったく無効化しているのが戦後の現実だった。

 つまり、日本人が忘却している真実の歴史認識は、凄絶なる非対称性の中で戦後の60年を放擲(ほうてき)されてきたのだ。田母神論文は、この闇に沈んでいた日本の精神を地上に今、引き上げたのである。まさにこれは戦後史の快挙というべきできごとである。

 特に若い人たちは、田母神論文を精読し、そこから日本の真実を汲み取って欲しい。この論文には、失われた日本の原風景がたしかにある。

 江藤淳は書いている。昭和20年12月8日から15日にいたる僅か一週間の間に、日本人が戦った戦争、「大東亜戦争」はその存在と意義を抹殺され、その欠落の跡には、米国人の戦った戦争、「太平洋戦争」が嵌めこまれたのだと。これは単なる呼称の入れ替えではなく、この戦争に託されていたすべての意味や価値観そのもの、すなわち歴史認識のパラダイムまでが米国製に入れ替わったことを示している。

 この事実認識から田母神論文に意識を照射してみて欲しい。封印されていた真の日本が浮かび上がってくる。そして最後に、田母神氏が参考人招致を終えたあとで、記者に「村山談話の正体が今回わかった。言論弾圧の道具だ、あれは」と喝破した。そのとおりである。村山談話とは大東亜戦争パラダイムと言う、本邦の言語空間を閉ざすための道具にほかならない。

                              神州の泉 高橋博彦

--- ここまで引用 ---

冒頭、サウジアラビアで日本人というとすごく厚遇してくれたことが強い印象を受けたこととして書かれています。高橋氏は、なぜ日本人だと大切にされるのか、その理由を知らないようです。それは簡単な話しです。かつての大戦において米国と闘い、原爆を落とされるまで米国と闘い続けた日本人は、米国から宗教的、文化的侵略を受けていると考えている大半のアラブ人たちにとっては、今でも尊敬すべき反米の英雄なのです。かつて成田空港の開港直前、新左翼過激派が管制塔を占拠、破壊し、開港を二ヶ月近く遅らせるという闘争がありました。当時、管制塔占拠の知らせを受けたアラブの武装組織の戦士たちは銃を空に向けて撃ちまくり、歓呼として連帯の意志を表しました。それほどアラブ人にとって、日本人は大国アメリカと闘った英雄と映っているのです。

なんだか皮肉なものです。新左翼とは対極にある極右の人がアラブの人たちから歓迎される。歓迎された方は理由が分からず、ありもしない「別格」の日本人の「民族意識」に目覚めるという。結果的にアラブ人からの厚遇は本人の「日本人」に対する考え方を的外れなものにしてしまったということです。

「田母神論文」を絶賛してやまない「神州の泉」は、極右ブログであることを宣言しています。よくあるネット右翼の一つです。

ではなぜ、このブログの管理人は植草一秀氏にこれほどの思い入れを持つのでしょうか? おそらくこのブログの管理人にとって、植草一秀氏は正しいことを主張して国家から弾圧を受けるも戦いを止めようとはしない「憂国の士」として映っているのでしょう。ブログの管理人にとって、植草一秀氏はありもしない「日本民族」の「英雄」であり、全力を挙げて擁護すべき対象なのです。高橋博彦はそのブログのタイトルやプロフィールなどから「民族派極右」というカテゴリに当てはまります。

ブログの管理人のように田母神氏を絶賛する人は、ここ★阿修羅♪サイトの読者には少ないと思いますが、そうした人が同じように植草一秀氏を絶賛する。ここに共通するには幻想の神の国「日本民族」への盲信です。今は植草一秀氏をめぐって★阿修羅♪サイトの大半の読者と共通の認識を持っていますが、「思想の根本」において多くの読者とは「敵対する思想」の持ち主です。

ブログ「神州の泉」の正体を見過ごしてはなりません。

 

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