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「死因不明でいいんですか?」押尾学事件は第二の時津風部屋事件だ[日経メディカル]
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/166.html
投稿者 feel 日時 2009 年 11 月 05 日 19:40:50: /berAdga6DXu.
 

海堂尊の「死因不明でいいんですか?」
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/kaidou/200910/512950.html
2009. 10. 30
押尾学事件は第二の時津風部屋事件だ
 先週末テレビ画面を占拠したのは、俳優・押尾学被告の麻薬取締法違反での公判でした。薬物使用裁判でありながら、世間の注目は一緒に合成麻薬を使用し亡くなった女性に対するものでした。この事件は日本が「死因不明社会」である一端を垣間見せると同時に、その原因の一つに、司法捜査の閉鎖性と司法報道の恣意性があるという点で、要因的には「司法制度が原因の死因不明ケース」であり、時津風部屋事件と社会構造的に同類に近いものです。

 公判で明らかになった事件概要は、
1)午後3時ごろ女性と押尾被告が合成麻薬をやった。
2)午後6時ごろ女性が死んだとして、心臓マッサージをしながらマネジャーや知人を呼んだ。
3)怖くなって同じマンションの別の部屋に逃げ込んだ。
4)午後9時ごろ、警察を呼んだ。
 というものです。これが保護責任者遺棄罪、もしくは保護責任者遺棄致死罪に問えるかどうか、現在捜査中だというメッセージがメディアで流れていますが、捜査当局が正式に発表したかは不明瞭です。

 死亡女性は司法解剖されているのですが、その事実が新聞を中心とした大メディアできちんと報道された形跡が少ない。だから金曜日のテレビ報道も錯綜し、「遺体が戻った時、なぜご自分で解剖依頼されなかったんでしょうね」などという驚くべきコメントも飛び出していました。でもスタジオの人間は誰も訂正しない。一度司法解剖されているというのに、その後何を解剖しろというのでしょう。これがメディアの死因究明制度に対する基本理解度なのか、と呆然と報道を眺めていました。

 そして市民の同情を買っているのが、被害者遺族が死因を知りたいと言っても、教えてもらえない点です。国家命令で強制的に行われる司法解剖の結果が、善良な市民に届けられないのでは、司法解剖は一体誰のためにあるのでしょう(もちろん国家捜査のためですが…)。

 死因は医学的な真実であり、その真実は捜査状況の一端とは質の異なる情報のはずです。ところが、捜査関係者の思考法は明治維新直後に策定された刑法の考え方に根ざしています。あれから1世紀半近く経過しましたので、素晴らしい科学的進歩や情報革命が起こった時代にはそぐわなくても仕方がないでしょう。ですが、こうした状況を放置し続けると、捜査情報だから死因を伝えられないというのは、単に警察関係者に不都合だからからではないか、などと邪推されかねません。

 法医学者が常日ごろアピールしているように、市民のため、死因究明制度をきちんとしたいというのであれば、捜査当局を説得し自ら死因を遺族に伝え、社会に発信するべきでしょう。警察捜査の中立性を担保する意味でも、そうした方がいい。警察の要望に従うか、市民の願いを叶えるかという選択肢は、実は法医学者自身の判断でできることなのです。こうした市民感情に反する選択を積み重ねていくと、法医学者が市民から支持されなくなってしまう日も遠くないのではないか、と他人事ながら心配になります。

 ところで、死因が報道されない理由は、司法解剖を行っても死因不明だったに違いないと推測します。死因が確定されれば死亡と容疑の因果関係がはっきりするはずだからです。上記の事件進行で、法律的には被害者死亡と押尾被告の行動の因果関係は不明だというのが司法の考えです。さすが明治時代に策定された刑法を金科玉条として守り、新しい時代に即した対応をしてこなかった司法と警察らしい、非情なロジックですね。医学、つまり科学的推測論法で考えれば、実は司法解剖で死因が不明だったという情報も有効に機能するのですが。

 つまり、司法解剖で死因が不明だということは、突発的な脳出血や心筋梗塞が否定されているということです。この「陰性所見」が重要で、30歳の健康な女性でも、「脳出血や心筋梗塞」というような疾患であれば、突然の発病で亡くなる可能性はあります。もしそうした病気が原因でないとすれば、直前に行われた「尋常ならざる行為」が死亡原因だと推測するのが自然でしょう。この件で、尋常ならざる行為とは何か。常識で考えれば合成麻薬の摂取でしかあり得ません。こんなの素人が考えても簡単に分かりますよね。

 ところが、司法の世界では、こうした死因の直接の因果関係を証明しなくては罪に問えない、というのです。これが本当だとすれば、日本の法律は犯罪者保護の観点が強すぎるという危惧を抱かせます。そして司法鑑定の実力は低く、その社会貢献度も低く、信頼がおけなくなってしまいます。何より、被害者遺族という、何の罪もない善良な市民の、ささやかで当然の希望にも応えられない非情な仕組みに成り果てたままになってしまいます。

 ここで本件と時津風部屋事件の類似性を見ていきましょう。本件では、
1)警察官が事件性を見過ごした。一部情報では当初、検視前に事件性なし、と警察関係者が言った、という話も伝わっていますが真偽は明らかでなく、肯定されていませんが否定もされていません。
2)司法解剖で死因が不明だった。
 という構図です。一方、時津風部屋事件は以下のような流れです。
1)警察官が事件性を見過ごした。
2)行政解剖で死因が不明だった。
3)別の法医学教室で再鑑定し、死因を確定した(らしい)。

 2)の行政解剖は新潟大学法医学教室で行われた解剖なので、司法解剖と同等、と考えていいでしょう。当時の週刊誌報道で、ある法医学者が「医療現場でCTが行われたが死因が分からなかった。だからAiはあまり役に立たず結局解剖をせざるを得ない」とコメントしていました。ここで考えていただきたいのは、時津風部屋事件では確かにAi(エーアイ、Autopsy imaging:死亡時画像病理診断)を行っても死因は不明でした。でも解剖でも同じく「死因不明」だったのです。この論法はまさしく、前々回のブログでも指摘した「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」での症例報告例における思考法(Aiは解剖と同程度の診断能があったが、死因不明という不利益部分だけはAi部分にのみ記載された)と相同の構図なのです。

 彼らの主張は以下のように思えます。
1)Aiで死因が分からなかった。だからAiは解剖ほど役に立たない。
2)(後日)解剖でもAiと同様に死因が分からなかった。それでも解剖はAiより有用だ。
 
 何だ、これ? (笑)
 
 正直な感想を言わせてもらえれば、解剖してもAiと同等の死因判明しかできないのであれば、解剖はAiよりはっきりと劣っており、さらにいえば有害ですらあります。なぜなら、遺体を損壊しないで分かることを、わざわざ遺体を傷つけ、人手とお金を掛けるというムダを行うことになるからです。

 では、解剖でも死因が不明だった本件ではAiセンターが存在しても意味がなかったのでしょうか。断じて違います。「Aiセンターは医療現場の最終点に置き、医療従事者が行い、その費用は医療費外から医療現場に支払われる」というプリンシプルが成立すれば、たとえ死因が不明でも大きく変わる点があるのです。

 死因を遺族にお伝えすることができるのです。

 そうすれば本件の遺族の願い「家族の死因を知りたい」という希望が叶えられます。その願いは、市民として叶えられて当然のことです。そんな基本的なことが許されないのであれば、制度設計自体が間違えている。ところが法律家は「刑法を変えることは困難」と現状維持の怠惰な姿勢です。明治時代の社会制度を土台に作り上げられた仕組みなんですよ、これ。いまだに旧カナ遣いの厳めしい文章を読んでいるのは、日本広しといえども古文書研究者と法律家くらいでしょう。

 ここで新しい手法であるAiを新しいポジションに置けば、時代遅れの解剖システムに手を着けずに市民社会の願いに応えることができる。でも旧カナ遣いの世界にCTという文明の利器は入り込む余地がなく、きっと彼らの目にはAiという概念がペリーの黒船来襲のように見えているのでしょう。

 今の状況は、死因という医学情報を、捜査当局が隠匿容易なシステムに留めようとしているように思えてなりません。Aiを医療現場に置くことに対し、どうして一部の法医学者は反発するのでしょうか。理由の一つは、そうなると司法解剖がAiによって外部監査されてしまう可能性があるからでしょう。情報を隠匿したがるのは人間の本性ですが、それを許すとシステムは必ず腐敗します。

 一方、司法解剖の現場の先生方は疲弊しています。地方の第一線で活躍されている法医学者とお話しすると、口をそろえて「Aiを放射線科医に診断してもらえれば大変助かる」という、私の主張に全面賛同して下さる先生ばかりでした。具体的に言えば、私が講演会に招かれたことのある栃木、群馬、広島、佐賀、神奈川の法医の先生たちです。でもこれが日本法医学会上層部になればなるほど、Aiアレルギーになる先生が増える。特に東大系の先生方はそうした傾向が強いようです(笑)。現場で格闘されている法医の先生たちを見殺しにしかねない状況なのです。

 もう一方で放射線科医からは、「診断は業務が膨大で大変なので、せめて診断料をつけてほしい」というしごく当然の要望を承っています。こうした現場で格闘されている法医と放射線科の先生方の要望を達成すべく、私は東奔西走しているわけです。ところが法医学会上層部と同様、日本医学放射線学会の上層部にも事なかれ主義の大物が潜んでいて、「放射線科は司法関係のAi診断には手を出すべきではない」と頑迷に主張されている先生もいらっしゃるとかいないとか。これは日本放射線科専門医会のAiワーキンググループの先生たちが出した結論と正反対ですので、風聞だと信じたいです。もしそんな先生が放射線学会上層部にいたら、それは前回ブログに書いたような“臨床医見殺し”につながり、医療界全体から見たら、自分だけ安全地帯にいればいいという、臆病風に吹かれた裏切り行為でしょう。
 
 義ヲ見テセザルハ勇ナキナリ。

 これはあくまで風聞ですので、念のため。社会がここまでAiを理解したというこの状況下で、法医領域で発生したAi画像の診断に関わるべきではない、などという自分の利益の安全拡張にしか関心がなく、社会貢献が視野にはいらないような放射線科医は、まさかこの日本にはいませんよね? もしいたとしたら、そんなお偉い放射線科医を支えているのがどういうロジックか、ぜひとも直接伺ってみたい。その際は、日経メディカル オンラインさんにでも舞台設定していただき、直接拝聴させていただきたいものです。

 でも私は、現場や若手の先生には希望を持っています。5年後「Aiセンターは医療現場の最終点に置き、医療従事者が行い、その費用は医療費外から医療現場に支払われる」という仕組みが全国にできていることでしょう。なぜって、それが市民の願いを叶えるための唯一の解だからです。そして医療従事者は、市民の願いを叶えるために邁進している人たちがほとんどだからです。

 義を見て動いてくれる人も少なくない。世の中、そんなに捨てたものではありません。

 最後に、今回の押尾学事件から類推して、医療安全に関してはっきりしたことを改めて述べておきます。それは以下の2つの原則にまとめられます。

1)医療安全調査委員会は、従来の司法の枠組みでは構築できない。
2)医療安全調査委員会は、解剖ベースでは構築できない。

 1)の理由は単純です。医療事故に遭った遺族の一番の願いは、「何が起こったか、真実を知りたい」というものです。ところが捜査に入ると、今回の押尾学事件のように、一番の基本である死因すら知ることができなくなる。だから遺族の願いを叶えるというのが第一義であれば、医療事故調査のファースト・ステップで刑事捜査を行ってはならない、という結論になります。
 
2)については、もし解剖ベースにした場合、犯罪を疑っていれば警察は有無も言わさず司法解剖してしまいます。それは前回のブログの事件からも明確です。つまりたとえ医療安全調査委員会を作っても、警察が疑えばいつでも捜査対象になり得るのです。そうなった場合、解剖適用が問題視されるので、行政解剖が途中で司法解剖に切り替えられたりしてしまうように、結局司法に都合のいいシステムを構築させられてしまうでしょう。だから医療事故調査委員会は「解剖ベースでは構築できない」のです。

 ではどうすればいいのか。もうお分かりですね。「Aiベースで構築すればいい」のです。かくして解剖ベースの医療事故調査委員会の制度設計を目論んだ「モデル事業」は、論理的に完全崩壊したのです。

 医療安全調査委員会は、患者に一方的に利益供与する仕組みであってはなりません。問題を指摘する機能も大切ですが、同時に、問題がなかった場合に納得してもらうという、患者と医療従事者にとって互恵的なシステムとして機能させなければ、現場には根付かないでしょう。そしてそれは、解剖ベースでは、絶対にできない仕組みです。でもAiセンターであれば、それができるのです。

具体的にAiセンターベースになった場合の、現場対応を見てみましょう。
1) 問題が起こったらAiを撮像し遺族に説明する
2) 医療事故だと分かればそこで謝罪する(これが遺族の望む最速の謝罪になります。またそこで対話が成立しますので、そうしなかった場合よりも和解はスムーズに進むでしょう)。
3) 医療事故でなければ遺族は納得する。遺族が納得しなければ中立的第三者機関を招集し、議論後に遺族に説明する。
4) それでも納得してもらえない場合、あるいはAiで死因が分からなかった場合は、しかるべき解剖システムに回す手続きをとる。
  以上です。

 Aiセンターがあればこれが1日で対応できます。注目すべきは、ここでは解剖は「Aiセンター付属の医療安全調査委員会」の最終検査になりますが、適応前に問題の枠組みが解決してしまう点です。だから判断基準点を解剖におかずにすみ、迅速性が確保される、というわけです。

 モデル事業が従来通り解剖ベースであれば、それは市民と医療現場の人間の両方を傷つけるシステムになってしまう可能性がある。しかしAiベースであれば、透明性と迅速性の高い、患者と医療従事者双方に利益をもたらす新しいシステムができます。

 間違えたときは勇気ある撤退も大切です。厚生労働省が選択したモデル事業は骨格的に間違いだったと認めないと、百年の禍根を医療現場、ひいては市民社会に残します。官僚や学会上層部の方々も人間です。たまには間違えることもあるでしょう。無謬など、絶対にありえない幻想なのです。

 なぜ、娘の死因を教えてもらえないのか、という押尾事件で死亡した女性の両親の悲痛な叫びに、「Aiセンターを創設すれば、こうした理不尽な問題は解消します」とお伝えしてあげたいと、みなさんは思いませんか? あるいは、真面目に医療に従事している現場医師が不当逮捕や捜査を受けることから解放されるためには、Aiセンターが有効だということに同意していただけませんか?

 

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