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【wiki、インパール作戦】(民主党は、小沢だけ捜査事件を「平成インパール」と捉えて連合軍的に対処するとよさそうです)
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投稿者 小沢内閣待望論 日時 2009 年 4 月 30 日 19:45:43: 4sIKljvd9SgGs
 

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インパール作戦
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インパール作戦

インパール-コヒマ間の路上を進撃する戦車を伴ったグルカ兵
戦争:太平洋戦争
年月日:1944年3月8日〜7月3日
場所:インパール
結果:英国軍の勝利
交戦勢力
大日本帝国
インド国民軍 イギリス
指揮官
牟田口廉也中将 ウィリアム・スリム中将
戦力
92,000 〜150,000
損害
戦死38,000
戦病40,000以上 17,500
ビルマの戦い
南機関 - 日本軍の進攻 - 第一次アキャブ - 泰緬鉄道 - チンディット - 第二次アキャブ - フーコン - インパール - ミートキーナ - 拉孟・騰越 - イラワジ会戦 - ペナン沖 - シッタン
インパール作戦(-さくせん)(日本側作戦名:ウ号作戦(うごうさくせん))とは、1944年(昭和19年)3月に日本陸軍により開始され6月末まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことである。 補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦により、歴史的敗北を喫し、日本陸軍瓦解の発端となった。 無謀な作戦の代名詞として、しばしば引用される。

目次 [非表示]
1 経緯
2 参加兵力
2.1 日本軍
2.2 インド国民軍
2.3 イギリス軍
3 作戦経過
3.1 苦戦の有様
4 結果
5 関連書籍
6 関連項目
7 外部リンク


[編集] 経緯
インド北東部アッサム地方に位置し、ビルマから近いインパールは、インドに駐留するイギリス軍の主要拠点であった。ビルマ-インド間の要衝にあって、連合国から中国への主要な補給路(援蒋ルート)であり、ここを攻略すれば中国軍(国民党軍)を著しく弱体化できると考えられた。

大本営陸軍部は、1943年8月、第15軍司令官牟田口廉也陸軍中将の立案したインパール攻略作戦の準備命令を下達した。しかし、作戦計画は極めて杜撰であった。川幅約600mのチンドウィン川を渡河し、その上で標高2000m級の山々の連なる、急峻なアラカン山系のジャングル内を長距離進撃しなければならないにもかかわらず、補給が全く軽視されていることなど、作戦開始前からその実施にあたっての問題点が数多く指摘されていた。さらに牟田口は援蒋ルートの遮断だけでなくインド奥深くに侵攻することまでも企図していたとされ、この作戦の成否を一層危ういものにしていた。こうした問題点を内包していたことで、大本営から派遣されてきた竹田宮恒徳王が、「一五軍ノ考ハ徹底的ト云ウヨリハ寧ロ無茶苦茶ナ積極案」と評したように、当初はビルマ方面軍、南方軍、大本営などの上級司令部総てがその実施に難色を示したインパール作戦であったが、1944年1月に大本営によって最終的に認可された背景には、日に日に敗色が濃くなっていく戦局を一気に打開したいという東條英機の思惑が強く働いていた。

この上層部の思惑を前に、インパール作戦の危険性を指摘する声は次第にかき消された。ビルマ方面軍の上級司令部である南方総軍では、インパール作戦実施を強硬に反対した総参謀副長稲田正純少将が、東條首相と富永恭次陸軍次官によって1943年10月15日に更迭され、第15軍内部でも作戦に反対した参謀長小畑信良少将は、就任後僅か1ヵ月半で牟田口自身によって直接罷免された。こうして作戦に反対する者が排除される様を目の当たりにする中で、反対者は次第に口を閉ざしていくことになった。また、インパール作戦の開始前に、支作戦(本作戦の牽制)として第二次アキャブ作戦(ハ号作戦)が、1944年2月に花谷正中将を師団長とする第55師団により行なわれた。この支作戦は失敗し、同月26日には師団長が作戦中止を命令していたにもかかわらず、本作戦であるインパール作戦に何ら修正が加えられることはなかった。

インパール作戦には、イギリス支配下のインド独立運動を支援することによってインド内部を混乱させ、イギリスをはじめとする連合軍の後方戦略を撹乱する目的が含まれていたことから、インド国民軍6000人も作戦に投入された。そのうちチンドウィン河まで到達できたのは2600人(要入院患者2000人)で、その後戦死400人、餓死および戦病死1500人の損害を受けて壊滅した。 一方、連合軍は第14軍第4軍団(英印軍3個師団基幹)を中心に、約15万人がこの地域に配備されており、オード・ウィンゲート准将のコマンド旅団が、ビルマ地域の日本軍の脆弱な補給線の破壊活動の分析を行い、また、暗号解析などにより日本軍が三方向より侵攻する情報などにより、スリム中将など連合軍司令部は万全の体制で補給は空輸作戦で行い、重火器装備をそろえ、日本軍の進出限界点(攻撃の限界点)での反攻方針を固めていた。すなわち、日本軍の補給不備を突き破綻させる作戦であり、戦う前から勝敗が決していた戦いであった。

 

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