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【ビデオニュース、自動車文明の終焉】(トヨタも下請けに対する態度、労働者に対する態度を改めなければ倒産します)
http://www.asyura2.com/09/lunchbreak19/msg/882.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2009 年 5 月 11 日 11:56:06: 4sIKljvd9SgGs
 

http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20090511-01-0901.html
自動車文明の終焉
2009年5月11日 ビデオニュース・ドットコム
ゲスト:下川浩一氏(東海学園大学経営学部教授)

下川浩一氏
 自動車文明発祥の地であるアメリカで、大手自動車メーカーの「ビッグ3」が深刻な経営危機に陥っている。日本でも自動車メーカーが軒並み減産に踏み切るなど、自動車産業の凋落を伝えるニュースが後を絶たない。その一方で自動車産業は、エコカーの開発など、時代の先端産業としての顔を、今なお持ち続けてもいる。「自動車の世紀」と言われた20世紀を経て、今、自動車文明はどこに向かっているのだろうか。
 自動車産業史研究の第一人者で、世界の自動車産業の興亡を長期にわたって分析してきた東海学園大学の下川浩一教授(法政大学名誉教授)は、大量生産・大量消費に支えられた自動車文明はもはや限界を迎え、20世紀を通じて成長してきた自動車文明は、今大きな岐路に差し掛かっていると話す。冷戦後、西側先進国の主要自動車産業は、グローバル化の波に乗って、世界中に市場を拡大していった。しかし、それが今、一転して危機に瀕しているのは、自動車文明自体が終焉を迎えているからだというのだ。
 1920年代のT型フォードに始まった自動車文明は、20世紀文字通り時代の担い手だった。先進国では高速道路や橋など自動車中心のインフラ整備が進み、僅か1世紀の間に自動車産業は経済界の新参者から基幹産業にまで成長した。
 しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いだった自動車文明に最初に翳りが見えたのは、公害が深刻な社会問題となった1970年代だった。また、70年代はオイルショックも自動車産業の未来に影を落とした。自動車を中心に社会を構築することが経済繁栄につながるという短絡的な考え方に対し、東京大学の宇沢弘文教授は『自動車の社会的費用』(1974年)で、道路建設など自動車が発生させる社会的コストがいかに大きいかを指摘しているし、ケンブリッジ大学のエンマ・ロスチャイルド教授は、このままでは自動車産業は今世紀中に終わるとまで予言していたと、下川氏は話す。
 オイルショックと公害の70年代、日本車が燃費効率や排ガス規制技術で大きく競争力をつけたのに対し、アメリカの自動車産業は法規制ぎりぎりの対応で乗り切ることしかできず、日本車に大きく市場シェアを奪われる。また、その一方で、ビッグ3は、次第に本業の自動車製造から金融への依存体質を強めていく。更に、90年代以降アメリカがITバブルや住宅バブルの好況に沸く中で、ビッグ3は燃費効率を無視した大型車を次々と投入していった。
 そして、21世紀に入り、それらが全て裏目に出る。地球温暖化が人類共通の問題として浮上し、原油価格の高騰とも相まって、燃費問題は世界中の消費者の最優先課題となる。しかも、それに金融危機が追い打ちをかけると、燃費効率で日本車の後塵を拝し、金融で儲ける体質にどっぷり漬かっていたビッグ3が、一気に苦境に追い込まれるのは当然の成り行きだった。
 しかし、今アメリカ自動車産業が直面する苦境は、決してビッグ3固有の問題ではない。今後、エネルギーを含めて資源の使用はこれまで以上に制約されることは明らかだ。資源を大量に消費し、高速道路などコストのかかる社会インフラを必要とする現在の自動車産業のままでは、早晩行き詰ることが避けられないと下川氏は言う。
 自動車の利便性は私たちの暮らしを大きく変えた。車を保有することは一つの社会的ステータスであり、自動車は多くの人にとって豊かさのシンボルでもあった。また、自動車関連産業は全就業人口の約8%を雇用するなど、重要な基幹産業であることも間違いない。
 しかし、ガソリンを消費し排気ガスを出すという高い環境負荷、インターネット等の普及で実際に移動しなくても濃密なコミュニケーションが可能になったことなど、自動車を取り巻く環境は大きく変化し、それに呼応して自動車産業も大きな変革を迫られている。
 21世紀の自動車産業はどのようなものになっていくのか。自動車という文明の利器は生き残れるのか。武田徹、宮台真司両キャスターが自動車文明論の大家である下川氏とともに、「自動車の世紀」を振り返り、現在自動車が直面している問題と、自動車社会の次に来る社会がどのようなものになるかについて議論した。


自動車産業に何が起きているのか

武田: 自動車の時代的考察を行いたいと思う。下川さんは、今の状況をどのように考えておられるか。
 
下川: ベルリンの壁崩壊から20年が経つ。その間、経済のグローバル化が非常に速いスピードで進み、その結果新興途上国がものすごい勢いで伸びた。そして、この20年は先進国同士が国境を越えてビジネスを展開した時代だっただろうと思う。それが、ここにきていわゆる世界同時不況となった。
 今まで、グローバル化によって経済は地球全体で繁栄することだけが強調され、それに乗って売り上げを伸ばし、世界中に事業を展開したのが自動車産業だった。日本の自動車産業が一番そういう道を歩んだのだと思う。ヨーロッパの自動車メーカーもビッグ3も、つい10年前までは世界のグローバル再編をリードすると言っていたのだが、今ははっきりと格差がついてしまった。
 格差がついているのは、一時的にビッグ3が数々の戦略的な誤りを犯したということもあるが、今まで20世紀を支配していた自動車産業、あるいは自動車文明のパラダイムというものが大きく変わろうとしていることが背景にあるのではないか。
 
宮台: 自動車産業の凋落には2つの面がある。一つは、ビッグスリーあるいは日本ではトヨタの戦略的な失敗だ。これは比較的、短期的な問題だが、それとは別に文明論的な、ステージの変化に適応できているのかという大問題がある。実は戦略の問題と文明論は関係がある。
 社会学者の見田宗介氏が、1996年に「現代社会の理論」という本を出しており、基本的には文明のステージの変化を記述するものだが、GMという会社は何であるのかということを切り口にしている。GMはガソリン車のT型フォードを普及させた会社だが、1950年代から隆盛になった背景には、「機能よりも付加価値」ということがあったという。GMはジェット機の噴射口をつけたり、メッキのバンパーをつけたりした。
 モデルチェンジは、基本的に機能は不必要だが新しいアピアランス・意匠で消費者を誘引するために行われた。つまり、まだ耐久力・耐久性から言えば十分使えるものを買い替えてもらうために、意匠、化粧を施すのがモデルチェンジあるいはマイナーチェンジだ。これが大当たりをして広がってきたというところに、見田宗介氏は文明の問題を見ている。
 それまでは、機能が必要だからモノを買う。そういう時代から、もう機能は満たされているところで、昔で言うと顕示的消費、見せびらかし的な消費。後の時代で言うと自己満足的な消費など、機能とは関係のない付加価値で勝負するようになっていった。
 自動車としてのスペックよりも、付加価値で勝負という時代になった今、環境への優しさという機能の側面と、「環境の時代なのにまだスポーツカーに乗っているのか」というコミュニケーションの領域の変化にどれだけ追随していけるのかということが、実は戦略的な重要性になっている。
 自動車そのものの文明論的な要不要の問題と、それを背景にしたコミュニケーションの付加価値の問題がある。後者には戦略が重要になってくる。
 
武田: 自動車産業をこれから日本は持ち続けるべきなのか、ということも議論しておくべき時期なのかと思う。
 
下川: 結局、自動車文明とどう付き合うのかという問題に帰着すると思う。車社会がすべての中心で、社会資本投資でも自動車に便宜を図ればそれが経済繁栄につながるという短絡的な考え方がある。エンマ・ロスチャイルド氏が1973年に出した『パラダイス・ロスト』で、まだ石油ショックも起きていない時期に、このままではアメリカの自動車産業は問題を起こして、自動車産業時代は今世紀に終わるという見事な予言をしている。
 一つは、テレ・コミュニケーションが発達するとか、パーソナル・モビリティがそんなにやたらに、何でもかんでも遠乗りすることだけが脳じゃないと。そういう風な形で車は作られていると書いている。
 それから、たとえばアメリカはやたらにハイウェイを作った。ついに保険会社が、事故が増えるばかりで支払いが増えてビジネスが成り立たなくなると言っているとか、ハイウェイトラストファンド(日本の道路公団)でも、自動車の事故が増えて頻発して、これ以上道路を増やしても維持できないと言い、社会的コストから見ても問題であるという指摘をした人もいた。当時から、そういう点を指摘している人もいた。
 これからのエネルギーを含めた資源制約の中で、自動車というものは、どの程度の位置づけと役割を与えられるべきか。マクロの分析をもう一度やってみて、その中で許容される範囲の車づくりを考えていかないと、いずれは資源制約との関係で行き詰るという可能性を否定できない。


なぜGMは危機に瀕しているのか

武田: GMとクライスラーが、政府融資を受けるまでにいたった。かつては我が世の春を謳歌していたメーカーがここまで急激にだめになってしまった。ここにいたるまでに、伏線があったということだが。
 
下川: アメリカ政府はマスキー法を廃案にした後、78年に燃費規制を始めた。ガソリンを一番食っているセクターは乗用車なので、乗用車に規制を行って燃費を倍くらいに良くしようとした。10年がかりで行わせてビッグ3は辛うじてクリアしたが、その後燃費規制をやめてしまった。今でも、燃費基準は中国の方がアメリカより高い。
 また、排ガス規制については、ビッグ3は自力開発をほとんどしなかった。これが後々の新車開発にも影響を与えたのではないかと思う。
 
武田: 技術開発がかなり遅れたところがあると。ハイブリッド車を出したという話題も聞くが、技術面で厳しいということか。
 
下川: 特に、世界一のメーカーだったGMがなぜこんなことになったかということを学会でもどこでも質問される。多くの人はいぶかるが、私に言わせれば、なるべくしてそうなったという気がする。
 その第一の大きな原因は、金融への依存だ。97年頃、GMはキャッシュフローがフォードと変わらないくらいあり、トヨタの3倍程あった。ところが、その中身を見るとGMACという販売金融会社が占めていた。GMACはローンをどんどん拡大し、しかも販売金融だけを取り扱うだけでなく、サブプライムローンなどの金融商品で儲けていた。
 当時のGMの経営陣はどう考えたかというと、結局金融収益で儲かるのならばそちらで頑張ればいいと。キャッシュフローは潤沢にあるから、金の力で何でも解決できると考えた。だから、自前の乗用車のヒット商品はほとんど出ていない。
 ライトトラックの大型SUVにも力を入れたが、これは5〜6万ドルもする。売れているときは非常に利益率が高いハイリターン商品だが、一旦売れなくなるととんでもなくリスクの高い商品になる。一度作りだすと、ビッグ3の工場はマスプロ・ハイボリューム向上なので、どうしても一度に大量に作ってしまい、結局ディーラーやレンタカー会社に押し込まないと工場の稼働率が上がらなくなった。そういうことを繰り返し行った。車で儲けているかどうか疑わしかったが株価は上がった。


出演者プロフィール

下川 浩一(しもかわ・こういち)
東海学園大学経営学部教授。1930年東京都生まれ。57年九州大学経済学部卒業。62年富山大学経営短期大学部講師、69年法政大学経営学部助教授、同教授などを経て99年より現職。法政大学名誉教授。経済学博士。著書に『世界自動車産業の興亡』、『グローバル自動車産業経営史』など。
 
武田 徹(たけだ・とおる)
ジャーナリスト。国際基督教大学大学院博士課程修了。84年二玄社嘱託として編集・執筆を担当し、89年よりフリー。著書に『NHK問題』、『偽満州国論』、『隔離という病い』など。07年より恵泉女学園大学文学部教授を兼務。
 
宮台 真司(みやだい・しんじ)
首都大学東京教授/社会学者。東京大学大学院博士課程修了。東京都立大学助教授、首都大学東京准教授を経て現職。専門は社会システム論。博士論文は『権力の予期理論』。著書に『制服少女たちの選択』、『14歳からの社会学』、『日本の難点』など。

※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。
 

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