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【羽柴誠三秀吉】(そのまんま東とラッシャー橋下が選挙区から出る場合、彼と東郷健を刺客に擁立すべきです)
http://www.asyura2.com/09/lunchbreak23/msg/299.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2009 年 6 月 28 日 17:51:27: 4sIKljvd9SgGs
 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E6%9F%B4%E8%AA%A0%E4%B8%89%E7%A7%80%E5%90%89
羽柴誠三秀吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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この項目では、実業家・政治活動家の人物について記述しています。戦国武将については「豊臣秀吉」をご覧ください。
羽柴誠三秀吉(はしば せいぞう ひでよし)や羽柴 秀吉名義の政治活動で知られる三上 誠三(みかみ せいぞう、1949年10月11日 - )は、日本の実業家。青森県五所川原市(旧北津軽郡金木町)出身。羽柴企業グループ社主として羽柴観光小田川温泉株式会社(旅館「秀吉のやかた」)や東北興産建設株式会社などを経営している。公認候補者として所属した自由連合では幹事を務めた。


五所川原市役所向かいのビルにある看板
(2008年4月)目次
1 来歴・人物
2 選挙立候補
3 旅館「秀吉のやかた」
4 選挙歴
5 著作
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
9 脚注


[編集] 来歴・人物
若き日に近所の住職より「お前は戦国武将豊臣秀吉の生まれ変わり」と言われて以来、現在の名前を名乗っているという。

五所川原市役所向かいのビルには、「大坂城攻略」というネオン看板を掲げている。

「女性を口説く情熱の半分を仕事に傾けよ」など独自の経営哲学のもとに一代で羽柴グループを築き上げた。日本各地の選挙に出馬する。Vシネマ俳優・三上大和(元気が出るテレビのコーナー「口ケンカ王」出身)は次男である。自宅は大阪城の形であり、日本の国会議事堂を模した建物もある。金箔を食べるなどの成金的パフォーマンスはしばしば雑誌で取り上げられていた。

地元では経営している温泉等の施設が古びてくると、無人の時に原因不明の火災が起き保険で再建される事が知られており、その疑惑は週刊文春で報じられた。イオンド大学名誉教授でもある。


[編集] 選挙立候補
政治にも興味をもっており、1976年地元金木町長選挙に出馬するものの落選(この時は本名の「三上誠三」で立候補)、公職選挙法に基づく選挙違反により逮捕。その後1999年東京都知事選挙を皮切りに、長野県知事選挙・大阪府知事選挙・参議院選挙・衆議院選挙・大阪市長選挙など多数の選挙に立候補。

選挙のキャッチコピーは、2002年の長野県知事選挙からは「輝く(地名)新時代」を使用していた。(例:2007年4月22日に投開票された夕張市長選挙のキャッチコピーは、「輝く夕張新時代」であった。)

金木町長選挙では本名の「三上誠三」を、東京都知事選では「羽柴誠三秀吉」をそれぞれ名乗っていたが、大阪府知事選挙・市長選挙では「羽柴秀吉」として立候補した。長野県知事選挙ではヘリコプターからの演説、大阪府知事選挙では金箔を使用した武士の鎧兜姿のポスターなど、派手な選挙活動でも注目された。また、長野県知事選挙では、田中康夫知事の「脱ダム宣言」を非難し、ダム建設推進を積極的に唱えた唯一の候補であったことも注目された。なお、本人の弁によればあくまでも目標は大阪であり、国政選挙や東京・長野は「羽柴秀吉」を通称として認めさせるための出馬だったとのこと。

2005年3月28日に旧五所川原市、金木町、市浦村の合併によって新たに誕生した、五所川原市の市長選挙に本名で立候補。成田守・旧五所川原市長との一騎打ちとなった。独自候補擁立を見送った民主党県連の一部、今博県議・横山北斗(衆院選候補者、のち当選)らからの支援も受けたが及ばなかった。

2005年9月11日の衆議院総選挙では、小泉純一郎首相の選挙区である、神奈川11区から立候補するが落選。「小泉さんを支持する国民に失望した。もう国政選挙には出馬しない」と落胆した(ただし、その後2007年7月の参議院選挙に北海道選挙区から出馬した[1])。

2005年、関市長辞職に伴う大阪市長選挙に出馬の意向を示すが、結局は出馬を見送った。2006年、自身のウェブサイトにて、宮崎県知事選挙に出馬する可能性があることを明かした。そこには、「輝く宮崎新時代を切り開く よみがえる羽柴秀吉」、「宮崎県民の希望と幸せを願い、羽柴新党党首羽柴秀吉いざ出陣!!」と書かれている。しかし、この時も出馬は見送った。

2007年、自身のウェブサイトにて、東京都知事選挙への出馬を否定。夕張市長選挙に出馬した。この選挙では住民票を夕張に移し、公約には大企業を5社誘致、閉鎖される市営温泉施設の私財を投じての再開(だが、当選した場合は公務員となり、私財の投入は認められていない)などを掲げ、自主投票となった一部の商工連盟や地元有力者の支援を受け、事前の世論調査でも高い支持率を示し、マスコミにも当選の可能性がある有力候補として扱われた。連合夕張などが推薦し、投票日直前に公明党が事実上の支持を決定した無所属の新人藤倉肇に敗れたとはいえ、得票差342票で次点まで迫り、これまでの選挙で最も善戦した(この際藤倉が獲得した票のうち1000票は公明票とされ、藤倉の選対幹部はこの票が無ければ負けていたと語っている[2])。また、2005年に行われた五所川原市長選に続き供託金没収を免れた。

選挙後、自らが経営する企業が夕張に進出し、行政サービスの受託事業などを展開している。また、同年の暮れにはかつて夕張市の中心産業であった石炭の採掘を復活させ、その収益全額を市に寄付する構想を発表した。

同年、第21回参議院議員通常選挙北海道選挙区に「羽柴秀吉」名で立候補した。代表的なキャッチフレーズは「輝く日本新時代」「一票一揆」。選挙報道では泡沫候補と有力候補の境界線上の扱いを受け、5位で落選。供託金没収となった。しかし10万票を超える票を得て、社民党公認候補を上回ったことは健闘と言え、開票翌日の北海道新聞には敗戦の弁が写真付きで掲載された。また、夕張市では自民党の伊達忠一を上回り、民主党の小川勝也に次ぐ2位の得票数を記録した。事前の世論調査では、農村部の高齢者に一定の支持層を形成していた。

同年12月には、2008年1月27日投票の大阪府知事選に無所属で立候補するとの意向が報道された。「いつでも最終目標は大阪城奪還(大阪府知事就任)と言ってきた。まさに出陣の時。大阪から日本を救っていきたい」と語った。

しかし2008年1月上旬、大阪府知事選への出馬を断念。北海道・夕張市にできた後援会「秀吉会」からの要請に応えたものと報じられた。

2008年9月19日、北海道新聞の取材に対し、第45回衆議院議員総選挙に北海道第10区から出馬すると表明した。夕張市を本拠地に地域格差の是正を訴え、新党大地との連携・選挙協力を図っていると述べた。しかし、2009年1月14日、出馬断念。次の夕張市長選に専念するためとしている。

2009年4月4日、私有地に3,500万円を投じて対北朝鮮用のミサイル基地を建設していることが報道された。 ミサイルは全部で14基[3]。

2009年5月24日、田子町内で記者会見を行い、同年6月21日に行われる田子町長選挙の出馬表明をした。 同年6月21日、pm9:50 一騎打ち投票の結果3,339票対815票と大敗。即座に陣をたたみ、翌日には跡形も無く撤退した。


[編集] 旅館「秀吉のやかた」
青森県五所川原市(旧北津軽郡金木町)にある国会議事堂の形をした旅館である。小田川温泉として営業している。
選挙に出る際には「青森事務所」にもなる。
以前は平等院鳳凰堂の形をしていたが失火により全焼。立て直した際に国会議事堂形になる。
かつて、息子の三上大和がこの温泉のCMに出演していたが、そのCMが放送されていたのが青森放送の日曜日夜8時前に放送されていたミニ番組であった(このあとに元気が出るテレビが放送されていた)。

[編集] 選挙歴
「無」は無所属。

選挙 政党 得票 惜敗率 順位 当選者
金木町長(1976) 無 649 13.8 3/4 大橋忠勝(4,677)
金木町長(1990?)[1] 無
東京都知事(1999.4.11) 無 2,894 0.17 10/19 新人・石原慎太郎(1,664,558)
大阪府知事(2000.2.6) 無 26,781 1.9 4/4 新人・太田房江(1,380,583)
衆院大阪1区(2000.6.25) 無 6,347 7.2 4/4 前職・中馬弘毅(87,068)
参院比例区(2001.7.29) 自由連合 9,382 - 12/47 自由連合は当選者無し
長野県知事(2002.9.1) 無 9,061 1.1 5/6 前職・田中康夫(822,897)
大阪市長(2003.11.30) 無 32,126 8.7 4/5 新人・關淳一(368,433)
五所川原市長(2005.4.24) 無 5,718 22.9 2/2 新人(旧五所川原市長)・成田守(24,939)
衆院神奈川11区(2005.9.11) 無 2,874 1.4 5/5 前職・小泉純一郎(197,037)
五所川原市長(2006.7.9) 無 1,415 6.7 3/3 新人・平山誠敏(21,174)
夕張市長(2007.4.22) 無 2,988 89.7 2/7 新人・藤倉肇(3,330)
参院北海道選挙区(2007.7.29) 無 103,282 13.6 5/8 現職・小川勝也(1,018,597)、現職・伊達忠一(757,463)
青森県田子町長(2009.6.21) 無 815 24.4 2/2 現職・松橋良則(3,339)


[編集] 著作
『天下の経営戦略』 (アイシーメディックス、2003年) ISBN 4434034200

[編集] 参考文献
笹倉明『にっぽん企業家列伝2 社長の出陣-秀吉への路』(アイシーメディックス、2001年)ISBN 4434009699

[編集] 関連項目
青森県出身の人物一覧
羽柴秀吉
1999年東京都知事選挙

[編集] 外部リンク
天下の名湯 秀吉のやかた 小田川温泉
羽柴の選挙公報
羽柴秀吉城を見学する しんいちろう茶屋Blog
『ザ・選挙』羽柴秀吉政治家情報ページ(動画あり)
秀吉と私

[編集] 脚注
^ 『スポーツニッポン』紙2007年5月24日付。
^ http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/yubari_9000/
^ http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090404/trd0904040153007-n1.htm 羽柴秀吉さんがミサイル基地$ン置
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E6%9F%B4%E8%AA%A0%E4%B8%89%E7%A7%80%E5%90%89" より作成
カテゴリ: 日本の実業家 | 日本の政治運動家 | 国政選挙立候補経験者 | 知事選挙立候補経験者 | 青森県出身の人物 | 北海道の政治家 | 1949年生
 

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