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『地侍の魂:副題日本史を動かした独立自尊の精神 柏文彦 著』を読む。
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投稿者 Ddog 日時 2009 年 6 月 06 日 17:32:05: ZR5JcjFY1l.PQ
 

『地侍の魂:副題日本史を動かした独立自尊の精神 柏文彦 著』を読む。

この本を読み終え、感動に打ち震えたと言ったら大げさとなるが、この本は歴史に興味がある方には、是非ともオススメデス!

私は司馬遼太郎ファンで、司馬遼太郎がスポットライトを浴びせた数々の志士、先達達の物語を作品を通じて勉強し、楽しんできました。しかし、本書には、まだスポットライトが当たっていない数々の無名の英雄が数多いることを、教えてくれました。もし司馬遼太郎先生が存命なら、是非とも書いていただきたい誇り高き日本人がこんなに沢山いたとは驚きました。

武家政権である鎌倉幕府を生み出したのも、自ら土地を開墾し守り通した関東武士≒地侍のエネルギーであり、元寇を防いだのも鎌倉武士団≒地侍の力であった。また、中世を打破し近代の扉を開いた信長の全国統一への歩み、豊臣・徳川の世を生み出したのも、地侍抜きには語れない。実際に土地を耕し、独立自尊の精神を持っていた地侍のエネルギーは日本史を動かしていったのである。

豊臣秀吉の兵農分離、徳川家康の元和偃武(げんなえんぶ:武器を蔵に収める)政策で、兵農分離が行われ、地侍そのものは消滅したが、天下泰平の世になっても郷士など下級武士か商人、農民となっていったが、地侍の系譜を持った日本人達は清々しく時代を生きていた。

やがて、ヨーロッパ諸国とアメリカの植民地主義の爪牙から、身を鎧い、発展する体制を整える再出発であった明治維新動乱の時代を迎えたが、その時代に出現した傑物、薩摩の西郷隆盛(吉之助) 大久保利通(一蔵) 坂本龍馬、高杉晋作 木戸孝允(桂小五郎) 伊藤博文(俊輔)山縣有朋(狂介)それに対抗した新撰組の土方歳三・榎本武揚・勝海舟などは皆、中世の地侍の末裔、ないしは江戸時代に入っても地侍のような生活態度を守ってきた人々である。

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地侍とは、戦国時代に特に目立つが、武装した有力農民である。彼らは何のつても背景も無く独力で荒野を切り棚き、優れた農業技術と工夫で生活基盤を築き上げ、企画力、経営力を駆使して富を蓄積し、それから得た自由独立、尊厳を守るために武装した人々である。

豊臣秀吉の兵農分離政策で彼らの存在は否定されたが、江戸時代に入ると下級武士、有力農民、自立した商人と姿を変え、その魂、誇り、勇気、勤勉、忍耐、実直、工夫など一を受け継いでいった。下級武士となった彼らは耕地の開発、民生の安定、税制の改革などに力を尽くした。

有力農民となった彼らは、新作物を導入し品種の改良を試み経営力を発揮して、江戸期農業の生産性を世界最高水準に押し上げていった。商人となった彼らは新天地を開拓し、新商法(現金取引掛け値無し、広告の活用)を編み出し、商取引においては世界最先端の技術(先物取引、複式簿記)を獲得した。

また彼らの子弟は、江戸時代の中期以降、医学、天文学、洋学等々の分野で未開の荒野を切り拓いていった。そして、この彼らの獲得し蓄積した力こそが、日本をして幕末の危機を乗り切らせたのである。

現在、既成の価値観が疑われ、社会全般の規範の崩壊が曝かれ、未曾有の経済危機にまで見舞われている時、この窮状を打開し建て直すのは、かっての地侍が持っていたような剛直にして柔軟な精神ではなかろうか。
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本書は戦国時代から明治維新まで、これまで触れられることの無かつた地侍とその末裔の来し方を扱ったエポックメーキングな書であります。

序章 戦国―影の主役

蜂須賀小六、地侍の代表的な人物

本書では地侍は鎌倉武士団が弱まった室町期に武装する自衛農民が地侍になった説を採っています。(Ddog:その精神は大和朝廷以前の豪族、鎌倉武士団と同じく自衛する開墾農民であると思います。)
地侍軍団:伊達の名懸衆、土佐長宗我部の一領具足が有名だが佐賀の地侍、鍋島平右衛門清久が竜造寺氏に代わって肥前佐賀の支配者となる。

豊臣秀吉が小田原の北条氏を破り、徳川家康の領地を、三河、遠江、駿河、甲斐、信濃から関八州として、転封を命じ、家康もあっさり受け入れたのには理由があった。領国の武士団を全員連れて行ける大国であったのと、武士団(地侍)を土地と切り離すことによって飼い犬のような武士団が形成されることを考えたからであった。

秀吉、家康の時代に兵農分離が行われた。自立心の強い地侍を土地から切り離し鉢植えの飾り物にする意図が隠されていた。

秀吉はさかんに大名領主に転封を命じ、土地は天下のものとして、領主には領有権、農民には所有権、町民には用益権のみ認めた。この時長兄は侍の道を選び土地を失い、次兄が故郷に残る決断をし武器を手放した。

第1章 大地を拓く

市川五郎兵衛(1572〜1665年)
江戸初期の新田開発者。群馬県南牧村で砥石採掘、信濃国佐久(長野県)で新田開発。
戦国の地侍の独立自尊、不羈(ふき)の魂を持った地侍の流れを汲む大農民が新田を開発していった。

成富兵庫:佐賀での治水干拓による新田開発

大梶七兵衛(1621〜1689年)
江戸前期の植林・水利・新田開発者。出雲国松江藩(島根県)で不毛の砂地を私財を投げ打って用水路(高瀬川)を引き大新田を開発し人望を得たがゆえに藩から冷遇をうけた。

亀井茲矩(かめいこれのり)(1557〜1612年)
講談に出てくる槍の新十郎。戦国武将、地侍から牢人そして大名に成り上がる。因幡国鹿野城主ルソンなどと海外交易をするが、警戒され山国の津和野へ転封されると製紙製蝋林業を振興した。

第2章 挽歌

藤堂高虎(1556〜1630年)
戦国武将。世渡りの達人。伊勢国津藩主 地侍から7度主を変える。豊臣秀吉、徳川家康に仕える。情報収集、戦闘、造船、築城、海戦、交渉、調停の名手。

西島八兵衛(1596〜1680年)
藤堂高虎の家臣。京都二条城、大坂城の普請に加わる。
讃岐高松に派遣され自らも鍬を振るい、九十余の溜池を築造整備、旱魃被害を防いだ。
空海の満濃池の修復、香東川付け替えなど讃岐の治水事業に貢献した。

渡辺勘兵衛(1562〜1640年)
号は水庵。戦国期、主を転々と変え、藤堂高虎とも縁が深いが、晩年は政治を嫌い牢人、しかし有能な人間で蓄財し悠々自適に過ごす。

塙団右衛門(ばん・だんえもん)(1567〜1615年)
戦国の豪傑。加藤嘉明の家臣として朝鮮に出兵。のち大坂の役で活躍するが、戦しか能がなく京で乞食をしていた。死に場所を求め大阪夏の陣で散った。

成内三太郎:(八王子の三太郎)北条の遺臣、江戸庶民からは炭焼き三太郎と陰口をたたかれるほど、薪炭請負業で財を成す。

江戸幕府は成り上がり松倉重政を島原藩主に置き、苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)を極める
松倉武士団にキリスト教徒として農民の道を選んだ元地侍が決起、島原の乱となった。藩主勝家は斬首、地侍キリスト教徒は全滅。これは幕府の陰謀であった可能性が高い。

第3章 時代を掴む

太地頼治(1623頃〜1699年)
和田角(覚)右衛門。紀州太地(和歌山県)の鯨方宰領。捕鯨の新技法「網取り法」を創案。
新漁方で太地は富が集まり活気あふれた。
土佐の鯨組の組頭吉左衛門が流れ者の水夫に身をやつし潜入した。角右衛門は碁をたしなむ吉左衛門の素性を見抜き、来意を問うと、詫びて身分を明かし不漁続きで網取り法を学びたいと訴えた。周囲は反対したが、ノウハウを公開し、熟練の水夫と船まで貸与し土佐に帰した。以後日本各地から教えを請いにやって来た。日本近海では以後捕鯨業が栄えた。

小林五郎左衛門(?〜1687年)
小西屋五郎八。江戸前期。広島湾での牡蠣養殖の創始者。

河面仁左衛門三
松屋仁左衛門。元禄時代、牡蠣船を仕立てて大坂に進出。広島の人。販路を大阪に求め、牡蠣を館船で食べさせ、大当たりする。二代目の五郎左衛門は、大阪大火のおり、近くの高札場の高札を船で持って逃げ、以後大阪の牡蠣船の権利独占を許される。

第4章 景気失速

米村所平(1642〜1727年)
江戸中期の鳥取藩士。弓ヶ浜に水路を開削し、日本を代表する綿花産業を興す。定免法を導入するなど鳥取藩の地方(じかた)徒歩(かち)からたたきあげて800石の郡代に出世。

田中丘隅(たなかきゅうぐ)(1662〜1730年)
江戸中期の農政家。荒川、多摩川、酒匂川等で治水事業。『民間省要』を著す。

井戸平左衛門(1667〜1733年)
江戸中期の石見国大森の代官。飢饉に際し年貢米を放出、薩摩芋を導入。

第5章 再建の道

川崎平右衛門(1694〜1767年)
江戸中期の武蔵国多摩の名主、農政家。のち代官に。多摩川、長良川、揖斐川等で治水事業。
吉宗の時代献上された象は、中野村の卯右衛門に預けられ、百姓源助が世話をした。その糞から薬(象膏)を売り出す。

田中善吉(1694〜1767年)
江戸中期の地士、商人。紀州藩。櫨の木を植えて回り、製蝋業を興す。

中井清太夫(不詳)
江戸中期の代官。甲州に馬鈴薯を導入。治水事業にも功績。

第6章探査の時代

下奈良村市右衛門
白木木綿で成功し質屋金融で財を成し治水架橋の篤志家となる。酒醸造の権利も貰い、江戸の土地投資も行った。その先祖は石田光成が攻撃しても落ちなかった忍城の地侍であった。

伊能忠敬(1745〜1818年)
江戸後期の天文家、測量家。「大日本沿海輿地全図」を作成。上総国出身。

吉田市右衛門(1171〜1813年)
江戸後期。武州下奈良村の名主。篤志家。

上田宜珍
江戸後期。肥後高浜村天草町の庄屋。陶業家。

飛騨屋久兵衛
初代、武川倍行。江戸中期の蝦夷地場所請負商人。

右近家
江戸後期の北前船の大船主。越前河野浦に拠点をおく。

高田屋嘉兵衛(1796〜1827年)司馬遼太郎 『菜の花の沖』
江戸後期の蝦夷地開発者。北前船船主。ロシアの捕虜となる。淡路島出身。

第7章 維新の前夜

坪丼信道:江戸後期の蘭方医。江戸の三大蘭方医の一人。門下に緒方洪庵ほか。
木内石亭:江戸中.後期の弄石家。『雲根志」を著す。
木村莱葭堂:江戸後期の大収集家。造り酒屋を経営。
小野蘭山:江戸中.後期の本草植物学者。幕府医学館で講義。

第8章 維新

清河八郎:庄内藩郷士。尊撰派志士の先駆け。
武市半平太:号は瑞山。土佐勤皇党の創始者。剣客。
中岡憤太郎:土佐藩の大庄屋。倒幕派志士、陸援隊を組織。
坂本龍馬:土佐藩郷士。海援隊を組織。「船中八策」を発案。
土方歳三:武蔵多摩出身。新撰組副長。五稜郭で戦死。
吉田松陰一:長州藩士。教育家。尊撰派志士を育てる。
天野八郎:上州磐戸村出身。彰義隊を率いる。
榎本武揚:通称「釜次郎」。幕臣として五稜郭で戦う。明治期の軍人、政治家。

逸話はとても書ききれません。この地侍の魂をお読み下さい!

本書を読み、歴史小説のひとつでも書こうという気にもさせられます。本書でとりあげられた、偉大なる先人の事跡を追えば傑作が書けるかもしれません。

物足りない方はこのあと国際派日本人養成講座にでも読んでしてください。

【国際派日本人養成講座】
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogindex.htm

【Ddogのプログレッシブな日々】
http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/27612297.html
 

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