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キリスト教は他宗教に対してきわめて攻撃的だった反面、権力には従順そのものだった。布教のためには権力を肯定しこれに接近した
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/200.html
投稿者 TORA 日時 2009 年 9 月 23 日 15:32:13: GZSz.C7aK2zXo
 

株式日記と経済展望
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キリスト教は他宗教に対してきわめて攻撃的だった反面、権力には
従順そのものだった。布教のためには権力を肯定し、これに接近した。

2009年9月23日 水曜日

◆地球人の歴史  10.唯一の神と地上の国
http://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/history10.html

「選ばれた民」の戦い

 アウグストゥスがローマの初代元首となってから100年目の紀元73年、泰平が続く帝国に衝撃を与えた属州ユダヤ(現在のパレスティナ)の反乱は8年目をむかえ、最終局面にさしかかっていた。

 反乱軍の中心だったエルサレムは3年前に数十万の犠牲者を出して陥落し、この時点で蜂起の失敗は決定的であった。それでも、死海西岸の岩山に築かれたマサダ要塞には女子供を含む967人がたてこもり、絶望的な抵抗を続けていた。ローマ軍は包囲陣を築いて要塞を封鎖し、攻城塔から雨のように石と矢を浴びせかけた。ついに城壁が破れると、籠城者はほぼ全員が自殺して果てた。

 この反乱は、パレスティナの地で多数を占めていたユダヤ教徒たちがローマからの独立をめざしておこしたものだったが、玉砕も辞さないという過激さは当時の常識からすればかなり異様であった。しかも、ローマはユダヤ教徒を過酷に扱ったわけでもなければ、ユダヤ教を禁止したわけでもない。

 前章でみたように、帝国という広域支配システムではふつう、無用の摩擦を避けるために様々な信仰が認められる。帝国がもたらす平和の中で人やモノが活発に動くようになれば、一般庶民の間でも宗教の違いはあまり問題にならなくなる。多くの神々を崇めることは人々にとってあたりまえのことだったから、その中に他の土地の神がまぎれこむことも珍しくない。たとえば、エジプトの女神イシスや、ゾロアスター教の太陽神ミトラはローマ領内で爆発的に流行している。

 ようするに、ローマの支配者にとって、帝国の一角にユダヤ教徒が存在することはべつに異存がなかった。悲劇の原因はむしろ、「帝国の臣民」に甘んじることをよしとしないユダヤ教の特異性にあったといえよう。

 ユダヤ教は、「ヤハウェ」を唯一絶対の神とし、それ以外の神を認めない「一神教」という形態をとっている。しかも、ユダヤ教徒は自分たちこそがヤハウェから繁栄を約束された「選ばれた民」だと自負していた。もともと、他の宗教に対しては非妥協的な態度を示す傾向にある。

 「選ばれた民」であるにもかかわらず、現実にはユダヤ教徒は大国に翻弄される苦難の歴史を歩んできたのだが、それは過去に神の命令に従わなかった「罪」のためであると考えられた。「罪」をつぐなうことさえできれば、「救世主」があらわれて自由と繁栄をもたらしてくれるはずであった。そのためには、エルサレムのヤハウェ神殿における祭祀を絶やしてはならないとされたから、ユダヤ教徒はどこに住んでいても毎年かならず神殿に税を送り続けていた。

 つまり、ユダヤ教徒にとって、神殿を中心とする自治を守ることはたんなる政治の問題ではなく、救われるか否かを左右する重大事だったわけである。実際、ローマ当局が他の属州なみに納税を要求し、滞納者の分を神殿から取り立てたことが大反乱の引き金となったのであった。蜂起の鎮圧後にエルサレム神殿は跡形もなく破壊されたが、過激派の残党は60年後にふたたび立ち上がり、最終的に壊滅した。

 もっとも、これによってユダヤ教徒が消え去ったわけではなかった。ローマが台頭するはるか前から、数百万におよぶ信者が地中海や西アジアの諸都市に住んでいたからである。

 神殿を失った彼らが「罪」をつぐなう手段としてもっとも重視したのが、「律法」にのっとった生活であった。

 律法とは、前5世紀頃に成立し、絶対的権威を持つとされた戒律である。分量は膨大で、死語となっていたヘブライ語で書かれ、物語の体裁をとっているため、誰でもすぐに理解できるというものではない。そこで、学者(ラビ)に師事して学習することが信者のつとめとなる。会堂(シナゴーグ)に集まって教えを学び、義務を守って暮らしていくことで、ユダヤ教徒は独自性を維持し続けたのである。

 ただし、彼らはどの地でも「少数派」であり、「救世主」があらわれるまで地上の権力者による支配を堪え忍ぶしかなかった。支配者側も、同化を拒み続けるユダヤ教徒に不快感を抱きつつも、反乱をおこさない限りにおいて独自の信仰生活を認めた。

 結局、ユダヤ教徒は律法をよすがとしつつ、多数派住民との共存への道を模索することになった。

不寛容の時代

 ユダヤ教の主流派がマイノリティとしての生き残りを余儀なくされた一方で、東地中海全域に急速に拡大しつつあるユダヤ教の分派が存在した。彼らは、後30年頃にパレスティナ活躍したイエスという宗教家こそ待望の「救世主」(ギリシア語でクリストス)であると考えており、その教えはやがて「キリスト教」とよばれることになる。

 イエスはユダヤ教の祭司集団に危険視され、ローマ総督によって処刑されたのだが、それによって人類が背負っていた「罪」は消え、あらゆる人々に「救い」への道が開かれたとキリスト教徒は考える。しかも、この事実はあらゆる人々に伝え知らせなければならないとされたから、布教は広範囲に及び、しかもきわめて熱心なものとなった。

 このような態度はしばしば他宗教からの嫌悪と迫害をまねいたが、キリスト教側は信者の組織化と理論武装でこれに立ち向かった。信者は難解な経典を読んだり面倒な義務を守ったりすることを求められないかわりに、「教会」という団体に属し、「聖職者」(司教、司祭など)の指導に従わねばならないとされた。そして、聖職者は教義を一本化し、思弁の限りをつくして論敵に挑んでいった。

 キリスト教は他宗教に対してきわめて攻撃的だった反面、権力には従順そのものだった。戒律の遵守などの「行為」ではなく神を信じる「心」こそが重要であり、「救い」はこの世ではなく、死後にもたらされるとされたので、体制を変革するような意図を持たなかったのである。むしろ、布教のためには権力を肯定し、これに接近することが効果的だと見抜いていたらしい。

 とくに、ローマ帝国が危機にみまわれ(第9章参照)、従来の諸宗教が動揺した3世紀頃から、キリスト教は権力機構の内部に改宗者を増やしつつ、「帝国の精神」の乗っ取りをめざすようになる。曲折を経ながらも、この戦略は功を奏した。392年、キリスト教は帝国唯一の公認宗教の座をえるにいたった。

 その背景には、ローマの支配者側が「権力の正当化」を求めていたという事情もある。宗教的寛容が帝国統治の原則ではあるが、帝国のサイズにあわせて広範囲に信者を持つ宗教があらわれれば、それに権力を支えてもらったほうが得策だと考えてもおかしくない。こうして、帝国政府がキリスト教に便宜をはかる一方、教会は皇帝を「神の代理人」とみなして統治に協力するという、相互依存関係ができあがったのである。

 様々な宗教や思想が共存していたローマの精神風土は一変した。キリスト教会は権力を笠に着て多くの宗教を迫害しただけでなく、内部の対立者を「異端」として弾圧することもいとわなかった。

 このような特定宗教の「国教」化は、ローマの東隣に位置する強敵ササン朝で一足先に進行していた現象であり、ローマはそれにならったのだとも考えられる。ササン朝は3世紀にはゾロアスター教の祭司集団と結びつき、権力を強化しつつキリスト教など他宗教を攻撃していたのである。

 ビザンツ=ローマがキリスト教を、ササン朝がゾロアスター教を奉じて覇を競う中においては、権力の後ろ盾を持たない他の宗教は衰退への道をたどるしかなかった。「マニ教」は、そのような宗教のひとつであった。

 マニ教は、3世紀中頃ササン朝治下のバビロニアで活動した思想家マニの教えであり、ゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、仏教などの要素が取り込まれている。これらの信者にとってはとっつきやすかったために大いに広がったが、まもなくササン朝とローマ双方で弾圧された。

 マニ教が最後に生き残ったのは、中央アジアと中国であった。7〜8世紀にこの地域を支配した唐(とう)王朝は「諸宗教の楽園」であり、仏教、ゾロアスター教、キリスト教などとともにマニ教が流行した。また、モンゴル高原の遊牧帝国ウイグルではマニ教が国教とされるほどだった。

 しかし、最後の楽園にも不寛容の波が押し寄せた。9世紀中頃にウイグル帝国が瓦解し、唐でも民間信仰を基盤とした「道教」を奉じる皇帝によって迫害がはじまった。13世紀頃には、マニ教は地球上からほぼ姿を消した。

(私のコメント)
日本においてはキリスト教徒の割合は1%にもなりませんが、日本には多くの宣教師が来日して布教に努めている。どうしてキリスト教はそれほど布教に熱心なのだろうか? それはキリスト教の歴史を見なければ分からないことでもあり、また欧米人を理解するにはキリスト教の本質を理解しないと彼らの精神が理解できない。

キリスト教というユダヤ教の分派が出来ましたが、ローマ帝国によってユダヤ王国は滅ぼされましたが、ローマ帝国は宗教には寛容な帝国だった。しかしユダヤ教徒は帝国の臣民である事を好としなかったが為に弾圧されるようになった。神によって選ばれた民であるとする意識が帝国の臣民である事を拒否した。

簡単に言えば、ローマ帝国の皇帝とユダヤ教の「ヤハウェ」はどちらが偉いかということが問題になるからだろう。日本人から見れば国家権力の長と、精神世界の長とを比較する事がナンセンスなのですが、ユダヤ教は、「ヤハウェ」を唯一絶対の神とし、それ以外の神を認めない「一神教」という形態をとっている。

日本人は死ねば神となり仏となる事に何の違和感も持たないのですが、だから日本各地には偉人を祀った神社がある。これは先祖を崇拝する意味からいえば当然にも思えるのですが、ユダヤ教やキリスト教から見れば人が「神」となる事などはとんでもない事だ。彼らにとっては「神」が七日間で世界を作ったと言う世界観であり、人から神になるという発想そのものが無い。

ローマ帝国の頃はローマ皇帝が即位すれば先帝が神格化されて、自らを神の子と称する事で権威を持った。ローマ帝国には30万もの神様がいたと言うことですが、800万もの神様がいる日本人から見れば不思議でもなんでもない。つまり日本は古代社会の宗教観がそのまま引き継いでいるのに対して、欧米人(ユダヤ教徒とキリスト教徒)は「神」は唯一絶対の神であり、一神教である限り人が神になるという事は論理的にあり得ない。

太古の昔から人にとっては自然を神として崇拝して来た。太古の昔は生きるも死ぬも自然任せだったから自然を神と崇拝するのは当然の事です。その中からユダヤ教は、「ヤハウェ」を唯一絶対の神とし、それ以外の神を認めない「一神教」が出来たのですが、人の脅威が自然よりも他の人であると言う事から自分たちの守り神が一神教となって現れたのだろう。

ユダヤ人こそ神に選ばれた民族という事は、他民族に対して排他的な性格を持つようになる。ローマ帝国のような大帝国は様々な宗教に対して寛容でしたが、ユダヤ人は帝国の民とはならないで唯一の神のみに従った。だからローマ帝国もユダヤ教徒の反乱に対しては弾圧してユダヤ人の国は滅んでしまった。

ユダヤ人である限り国家の一員とはならないと言うのだから、現代においてもユダヤ人は国家によって弾圧の標的になりやすい。なんとも因果な神様を信じているものですが、神に選ばれた民族という事は他の民族は神に選ばれていないということになる。ここにユダヤ教の根本的な問題があるわけですが、その中から分派としてキリスト教が生まれてきた。

ユダヤの国が滅ぼされてしまった以上は、彼らの救世主としてキリストが現れてキリスト教が生まれた。キリスト教は国家権力には逆らう事はせず、むしろ国家権力に迎合して他宗教を弾圧する方向に向かった。だからキリスト教徒が増えるにしたがって国家権力もキリスト教を精神的な支えとして利用するようになった。だからキリスト教がローマ帝国の国教となるのも自然の流れだ。

だからキリスト教をローマ帝国の国教としてからはかつての寛容さは失われて、様々な宗教や思想が共存していたローマの精神風土は一変した。それは多様さへの否定となり弱小の民族や宗教に対する弾圧を正当化する精神的な支えとなった。キリスト教とはそう言う宗教であり、現在のローマ帝国のアメリカの国教もキリスト教である。

国家権力と宗教とが結びつけば排他的になり宗教と宗教とが戦争で決着をつける事も当然起きてくる。ヨーロッパのキリスト教同士の宗教戦争は血で血を洗うような凄惨なものであり、国家権力と宗教とが結びつけば異教徒や外国との争いは避けられなくなるだろう。布教の名の下に外国を侵略すれば正当化されるのであり、キリスト教に改宗しない他民族は野蛮人として殺しても罪の意識からは逃れられる。アメリカ人が原子爆弾を広島や長崎に落としても罪の意識が無いのはその為だ。

ユダヤ教やキリスト教に対して日本人が違和感を感じるのは、自然観や先祖の対する崇拝意識に差があるからだろう。日本人にとっては自然=神であり、自然の一部である人が死んで神になる事に対しても矛盾は感じないが、ユダヤ教やキリスト教のように神が世界を作り人間を作ったという論理からすれば人間が死んで神になるという論理は成り立たない。

ユダヤ教やキリスト教では人間は神が作ったものであり、神の僕に過ぎない。しかし日本人は死ねば神や仏になるのだから、欧米人には理解に苦しむところだろう。だから宣教師が日本にやってきて布教しようと思っても「罪は許される」と言ったところで、人間は神の被造物と思っていないのだからピンと来ないのだ。欧米人にとっては自然も神が創ったものですが、日本人にとっては自然=神である。

日本人にキリスト教が受け入れられないのは、キリスト教の先祖に対する扱い方が日本人の先祖崇拝とは相容れないからだ。


◆日本でプロテスタントとカソリックを合わせても、1パーセント以下にしかならないのは、「神道破斥」という思想にあるからだと思います。 2006 年 8 月 20 日 株式日記
http://www.asyura.com/0601/bd45/msg/517.html

私は宗教学者でもないので詳しいことは分かりませんが、日本でキリスト教が広まらないのは祖先に対する感覚がキリスト教の教えと日本人の伝統的な考えとが相容れないものがあるからだろう。この事は以前にも書きましたが、日本人はキリスト教の洗礼を受けても違和感を感ずるようになるらしい。

戦国時代に始めてキリスト教が日本に来ましたが、信長も秀吉も家康も最初はキリスト教の宣教師達を歓迎した。そしてキリシタン大名も生まれるようになり日本にキリスト教が定着するかに思われたのですが、キリシタン大名の領地で神社や寺の打ちこわしが始まるようになって秀吉を初めとして日本人は違和感を持ち始めたのだろう。

キリスト教は「個」の宗教であり先祖崇拝といった「家」の論理とかみ合わない部分があるのだろう。日本人はお盆やお彼岸などに墓参りの習慣がありますが、欧米のキリスト教国では墓参りといった習慣はないようだ。霊魂が現世に戻ってくるといった話しをキリスト教では信ずるわけにはいかないだろう。

欧米人にとってはキリスト教=文明と信じられていて、日本などは先祖崇拝とか群像を崇拝する未開の宗教を信じていると見下しているようだ。しかし江戸時代の新井白石とローマ教会の宣教師のシドッチとの討論などを書いた「西洋紀聞」を読むとどちらが文明人だか分からなくなる。例えば信長は地球が丸い事を直ぐに理解したが、ヨーロッパでは地動説は排撃された。新井白石はその点をついたのだろう。

現在のアメリカでもキリスト教原理主義では進化論や地動説などのように、聖書にかかれた事以外は信じない人たちがいるが、どちらが文明人なのだろう。ヨーロッパのカトリックなどは宗教戦争に疲れ果てて洗練されてきて、先祖崇拝にも理解を示し始めたところもあります。日本の靖国神社が焼かれずにすんだのもローマ教会の判断ですが、西洋よりも東洋の方が精神文化が進んでいる事に気がついているのだ。


 

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