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講演「何が拉致問題の解決を阻んでいるのか」への質問に蓮池さんが回答します(アジア記者クラブ)
http://www.asyura2.com/09/senkyo58/msg/1146.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2009 年 2 月 14 日 19:06:41: twUjz/PjYItws
 

http://kishadan.com/request/article.cgi?id=200902051622414

質問


講演「何が拉致問題の解決を阻んでいるのか」への質問に蓮池さんが回答します

 アジア記者クラブの1月定例会「何が拉致問題の解決を阻んでいるのか」で講演された蓮池透さんが、企画「回答する蓮池透」として回答する記者団に登場してくださいました。蓮池透さんの講演録も全文掲載中です。

 元外交官の天木直人さんは2月9日のブログで、蓮池さんのこの講演録を「蓮池透氏の証言こそ、拉致問題の真実を語る、日本で存在する唯一の、超一級の外交資料である」「拉致問題についてはこれまでに、様々な立場から、様々な思惑で、語られ、書かれてきた。それらすべての正しさと誤りを、蓮池氏の講演は指摘してくれている」と賞賛しています。

 いまネットでこの講演録を掲載しているのは回答する記者団だけです。この機会にぜひお読みください。

 さらに、あなたの質問に蓮池さんが回答します。この講演に関連して蓮池さんに聞きたいことがありましたら、回答する記者団に質問をお寄せください。

 蓮池さんへの質問は1度に1つで、月1890円の会費以外の料金はかかりません。回答する記者団の会員のみ質問できます(会員登録)。回答は800字程度のミニ回答です。質問と回答は回答する記者団のウェブサイトに掲載されます。質問によっては回答が得られない場合もありますので、予めご了承ください。

みなさんの質問をお待ちしています。この企画は3月5日までの予定です。


回答


何が拉致問題の解決を阻んでいるのか マスメディアと日本政府、救う会、家族会の功罪を問う
アジア記者クラブ1月定例会での蓮池透さん講演録


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ほかの誰かが拉致されたかもしれない
故郷の明かりが小さくなっていく
「日本に帰りたい」と思ったら死ぬ
家出人捜索番組にも出演
家族会を結成、苦難の活動
家族会の「9・17」
「5人生存、8人死亡」のシナリオ
帰国者でなく「使節団」
故郷でアイデンティティーを
止めたのは家族
「北」の信頼
「日本と北朝鮮を見返す」
過去の問題の先送り、24年目に初の事情聴取
「北」に真実を語らせる
それで救出できるのか
話し合うしかない
マスコミの責任と思考停止
会場での質疑応答

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アジア記者クラブ定例会で講演する蓮池透さん。撮影=横山隆英さん

 2002年9月17日、当時の小泉純一郎首相の電撃的な朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)訪問から既に6年。日朝首脳会談によって、十数人の日本人が拉致されていたことが判明し、うち5人とその家族は帰国することができたが、残る拉致被害者とされる人たちの安否は今なお確認されていない。北朝鮮の国家的犯罪に対し、日本側は拉致被害者家族連絡会(家族会)をはじめメディア、あらゆる政治勢力など国を挙げる形で怒りをぶつけ被害者の帰還を要求したが、問題解決への進展はない。この間、北朝鮮の核実験実施やミサイル発射実験などへの反発から日本は経済制裁に踏み切り、日朝関係は膠着するばかりに見える。何が拉致問題の解決を阻んでいるのか。拉致被害者、蓮池薫さんの兄で家族会の元副代表、蓮池透さんが解決への具体的な道筋を開くよう訴える。(アジア記者クラブ通信2月号)

 私は高い所から皆さんに話をする立場でも身分でもありません。「お前のところは解決したんだからだまっていろ」「お前が何だかんだ言っても説得力がない」とも言われます。しかし、弟たちは「自分たちだけが帰ってきて忍びない」と言っています。いまでもその思いは変わっていません。なんと言うか、毎日のびのび暮らすことができない状況にあります。いつも他の拉致被害者の方々のことが頭の片隅にあり、心の底から喜びにひたれない。そういう生活を強いられています。24年間不自由な暮らしをしてきて、日本に帰ってきたにもかかわらず、まだ本当の自由のない状態。そういう時間がもう7年目に入りました。弟たち5人の被害者だけでなく、周りにいる私たち家族も同じ思いをしています。早く、(拉致被害者の)皆がそろって自由奔放にのびのびと、誰にも束縛や中傷めいたことを言われない生活ができることを願っています。そのためには一刻も早く拉致問題という難題を解決しなければなりません。そこで私なりの考え方を知ってもらい、なんとか解決につながればと思っています。いま、こうして話す機会を得ましたので、それをみなさんに話し、またみなさんからご指導いただければと思います。


ほかの誰かが拉致されたかもしれない

 弟たちは拉致されて24年間、北朝鮮にいました。帰国して6年以上ですから、長い人では30年以上(北朝鮮に)いることになる。昨年、北京オリンピックが行われましたが、オリンピック6回、7回分に当ります。そういう時間が経過しました。それだけ長い間、いまも日本人の人権が侵されています。それは許し難いことだと思っています。昭和53(1978)年7月31日に弟たちは拉致されました。ごく普通の海岸で北朝鮮の工作員に暴力的に拉致されました。弟たちは海岸にデートしに行きました。海岸に出たところ前に人がいたので、もっと人がいない所へ行こうということで、右に行こうか左に行こうかと迷い、北に当たる右に行きました。南に行っていたら他の誰かが拉致されていたかもしれない。そう考えると他の誰にも拉致される可能性が十分にありました。ここにいる皆さん、皆さんの知り合いが当時、拉致される危険性があったのです。もし皆さんや皆さんの知り合い、親族が拉致されていたら、きっと私たちと同じ様な目に遭っていたと確信しています。皆さんが日本人であれば必ず同じ目に遭う。それは明白だと思います。


故郷の明かりが小さくなっていく

 拉致の手口について弟は最初、なかなか明かしませんでした。2人で座って夕日を見ていたら、後から屈強な男が寄って来て「たばこの火を貸してくれ」と言ってきたそうです。ライターを差し出した途端に弟は目を殴られました。その後、2〜3時間ですか視力を失いました。そして体中をグルグル縛られて袋に詰められ、夜が来るのを待たされました。さすがに妻の祐木子は殴られはしませんでしたが、体中をガムテープで巻かれました。そして漆黒の闇の中をゴムボートに乗せられて、沖合の船まで行く途中、ガムテープのすき間から故郷の明かりが見えたそうです。

 その明かりがどんどん小さくなってゆく。その話を聞いた時、私は心が裂けるような気持ちになりました。一体、どんな気持ちで故郷の明かりを見ていたのか、どんな気持ちで連れ去られたのか。どこに行くのか分からない、誰に捕まったのかも分からない。そういう状況は経験した者にしか分からないと思います。決して「気持ちは分かる」とは言えません。


「日本に帰りたい」と思ったら死ぬ

 しかも弟たちは24年間、北朝鮮当局に言われるままの生活をしていたそうです。もちろん最初は反発しました。弟は当時は大学生だったので「学校が始まるから返せ。人権侵害だ」と抗議した。朝起きるとなぜか天井が違う。「夢よ覚めろ」と何度も思ったそうです。しかし、その夢は覚めることはありませんでした。そして1年もしないうちに、「北朝鮮で生きてゆこう」と決めたんだそうです。

 たまたま地村(保志)さん夫妻と一緒だったので4人で話し合ったそうです。この地で生きよう、そのためには北朝鮮の言いなりになっていればいい。自分のアイデンティティーを捨て去り、相手に逆らわない生活をしようと、日本に帰ることをあきらめてここで暮らそうと。やがて生まれてくる子供たちのために自分たちを捨てて生きようと決断した時に、肩に背負っていた重い物がすっと降りたような気がした、と言っていました。

 日本に帰ることをあきらめることが北朝鮮で生きるためのプラス思考だと弟が言うんです。「それはおかしいんじゃないか」と何度も討論をしました。しかし北朝鮮で生きてゆくためには「日本に帰りたい、と思ったら死ぬしかないんだ」と言っていました。その不自由な24年間に身に付けたのが朝鮮語。そして、結構ずぼらだった男が神経質になり、相手の気持ちを読むことに秀でているんです。

 最初は相手の言うことに従っていた。それが段々、相手がなにを考えているかを想像して、相手が喜ぶようなことを先回りして言ったり、行動に移す。そうすると相手に受けが良い。自分たちの待遇も良くなり、担当者の地位も上がる。そのため相手の心を読む能力に長けてしまった。色々なことを分析する力にはすごいものがあります。その彼の冷静な分析で私も色んなことを学びました。そして長い間、感情を抑えていた、また抑えられていたせいで非常に激情型になっています。カッとなって怒る。そうやってサバイバルのような生活を送ってきたんです。

 月に1〜2回は外貨ショップのような所に連れて行ってもらっていたそうです。日本人を見かけると隠れていました。また「日本に電話してやる」「金を出せば手紙を出してやる」という誘惑は相当あったそうですが、一切、断ったそうです。それをやればどうなるか、彼らは分かっていたからです。


家出人捜索番組にも出演

 弟は当時、中央大学の3年生でした。夏休みで1週間ほど新潟・柏崎の実家に帰っていました。その間に拉致されました。亡くなった祖母の自転車に乗って出かけました。事件性を示すような物証はありませんでした。その自転車が市立図書館の自転車置き場に残されていただけ。彼らの消息はプッツリと途絶えてしまったんです。家出や駆け落ちなどはまったく考えられない。お金も持っていない。「どうしたんだろう。どこへ行ったのだろう」と。

 警察にも捜索願を出しましたが匿名だったので、なかなか動いてもらうことができませんでした。実家には作成途中のレポートが残っていましたし、駆け落ちなんて絶対にあり得ない。そういう状況で原因が分からないまま、本当にきつねにつままれたような気持ちで弟の帰りを待ちました。ただ待つだけでなくできる限りのことをしました。相当な距離も歩きました。しかしなんの手がかりもありませんでした。

 当時あったテレビの家出人の捜索番組に2回出ました。1回目はなんの情報もありませんでした。ただ疲労感が残ったのを覚えています。数年後、2度目に出たときに「名古屋のパチンコ屋で見た」という電話がありました。そこで次の休みに弟の写真を持って新幹線に飛び乗りました。とにかく名古屋のパチンコ屋を手当たり次第回りました。しかし、なんの手がかりも得られませんでした。そうして時間だけが過ぎて行きました。本当に神隠しにあったのではないかと思いました。無言電話がかかってきたこともありました。家族はそのたびに「薫か?返事しろ!」と受話器に向って叫んでいたのを覚えています。

 地元では冗談ではなく「あいつはUFOに連れ去られたんだ」と言われていました。祖母は神仏に頼るしかなくなりました。よく当たると言われる占い師がいれば訪ねて歩きました。ある占い師には「死んではいないが、そう簡単には会えない」と言われました。そういうことが続くと家族の間でも弟の話をするのがタブーになってしまいました。弟のことを決して忘れた訳ではないのですが。そんな蛇の生殺しのような時間が過ぎました。失踪直後に産経新聞が「外国の情報機関の関与か」と報じましたが、その後の報道はなく終わってしまいました。それから10年以上が過ぎて大韓航空機爆破事件があり、李恩恵(リ・ウネ)という(実行犯の)金賢姫の教育係が日本から拉致されていたことが分かりました。「弟たちも拉致されたのではないか」「でも、まさか北朝鮮に」という思いがあり、100%確信が持てませんでした。「弟の妻が李恩恵ではないか」、そんな話が出て週刊誌に取り上げられました。その間、私が見る限り両親はどんどんやつれていきました。


家族会を結成、苦難の活動

 そういう中でようやく家族会を作ることになりました。同じ気持ちの人が集まることで少しでもつらい気持ちを共有できて、軽減できるメリットがありました。署名や陳情で動き回ることで余計なことを考える時間がなくなったことも大きなメリットでした。そうすると、だんだん両親の顔にも精気がよみがえってきました。

 私は東京の多摩地区で議会に陳情したことが何度かあります。ある議会で陳情させてもらった際に15分間の陳述の機会が得られました。傍聴席に大勢の人がいたので心強く思いました。話が終わった後、その人たちが私を取り囲みました。「あなたが言ったような話がもし議会で通ってしまったら、また私たちは差別される」。大きな声で言いました。朝鮮総連の人たちでした。署名を駅前でやっていた時に、被害者の写真を張った看板を蹴られたこともありました。当時は拉致はあくまで疑惑であり、でっちあげだったんです。なかなか世間の人たちにも認知してもらえませんでした。それが2002年9月17日、疑惑でもでっちあげでもないことがはっきりしました。

 人間を拉致することは人権侵害。憲法にもうたわれ、国際条約にも規定され、国連でも決議されている人権侵害です。日本にも外務省には人権人道課、法務省には人権擁護局があります。もう少し尽力してほしいなと常々、思いますが。基本的人権は何者にも侵されることのない、生命の自由と幸福を追求する権利です。それが一瞬のうちに奪われました。北朝鮮による拉致について言えば、日本国憲法は順守されていないと言っても過言ではありません。

 弟が残していった教科書に『日本国憲法』がありました。基本的人権のところに赤い棒線が太く引っ張ってあったんです。人権を一生懸命勉強していた人間が自らの人権を奪われる、とても皮肉な結果で少しショックを受けました。

 少し話はそれますが、昨年3月、弟は中央大学をようやく卒業させてもらいました。本人はずいぶん喜んでいました。弟が失踪した後も学費を払っていた両親が最も喜んだことでしょう。


家族会の「9・17」

 「9・17」で情勢は一変したんです。拉致が白日の下にさらされました。しかし「9・17」は日本と北朝鮮が仕掛けた“謀略”の一日ではないかと思っています。あの一日で拉致を終わりにしようとした。そうとしか思えないんです。もし、そういう謀略がなかったら拉致はまだ闇の中だったかもしれない。それを思うと複雑な気持ちがします。

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