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[《西松=民主・小沢事件》の周縁情報(現代日本に根付く中世的政治環境の弊害)]への反照
http://www.asyura2.com/09/senkyo60/msg/417.html
投稿者 鷹眼乃見物 日時 2009 年 3 月 18 日 18:30:52: YqqS.BdzuYk56
 

[《西松=民主・小沢事件》の周縁情報(現代日本に根付く中世的政治環境の弊害)]への反照


<注記>

●当記事は、[2009-03-15付toxandoriaの日記/《西松=民主・小沢事件》の周縁情報(現代日本に根付く中世的政治環境の弊害)]へのコメント&レスを転載したものです。お手数でも、本文は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090315

●「渦中の小沢=民主党問題」の周縁情報(現代日本に根付く中世的政治環境の弊害)から見えてくることを端的に言うなら、それは「“民主主義”とは、一方的にお上から賦与される筈のものではなく、良きにつけ悪しきにつけ自国の歴史を冷静にふり返りつつ中央の政治権力側(与党政治家&一般の行政諸官庁のみならず検察・警察・公安・軍事等のファスケス(参照、下記◆)を握る中央官僚組織および司法も入る!)と主権者たる国民一般が切磋琢磨の努力の積み重ねる中で絶えず進化させるべきものだ」ということです。特に、マスゴミ化したジャーナリズムと目に余るテレビ芸者たち、および御用学者らが、このことについて殆ど無自覚であるのがわが国の致命的欠陥です。

◆民主党「小沢・公設秘書逮捕劇場」の奥深くで不気味に“あざ笑う”ファスケスの暴走、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090307


・・・以下、コメント&レスの転載・・・

zhivago1917 2009/03/15 08:36 はなゆーです。

聖俗両権を支配するトレント司教大公座は、日本で言うと阿蘇や富士の神官が戦国時代に武装してなかば大名化したケースと微妙に似ているように思います。
(^_^)


toxandoria 2009/03/15 19:37

“はなゆー”さん、コメントありがとうございます。

たしかに似ていますね。ただ、日本の神官が武装化した姿には、なぜか“一種独特のヤクザ性か任侠道に似たもの”があり、それが現代日本の権力の舞台(政・官・財・学および御用メディア界)にもに引き継がれているような気がします。

それに、コムーネの経験がないためか、日本社会には“このヤクザ政治”を無意識に評価するような<弱点>が潜んでいることも気がかりです。

pfaelzerwein 2009/03/15 11:49

リンクの映像なども興味深く拝見しました。其処で語られる米国流の経済力にものを言わせての金権思考には触れませんが、代議員制には限界がありますので、市 民の政治参加の方法は選挙だけではないと言うことでしょう。金権にも係わりますが、市民は、その自らの生活の中でその思想や趣味に応じて出来るだけ多くの ロビイストを抱えることも一つの手段です。

そもそも労働組合自体も職業ギルドなどに基礎があったとすれば、経済的社会的弱者も連帯して団 結すれば立法司法を通して為政者に対抗出来ることが民主主義でしょう。それが現在の複雑化した社会構造の中で、個人が唯一つの組織や社会に属する訳ではな いため、多種多様な要求や圧力を如何に政治化していくかが問われます。

最大の弊害は、不透明な利権構造が水面下に存在して、果てはODEや公共事業や民営化、支援政策などの社会資本行政が、有権者の監視や議論に曝されることなく密室において決定され、其処に新たな不透明な利権構造を生むことに他なりません。

金が動くところには必ずそうした利権が生じる事を前提とすれば、万人が納得する形で「その富みの分配方法」を議論するのが立法府であり、談合などを生み出す 入札とかの行政の裁量権が必ずしも利権構造から解放されて公明正大なものではなく、しかし其処には議論の余地がないことはご存知の通りです。


toxandoria 2009/03/15 21:25

pfaelzerweinさま、コメントありがとうございます。

“ はなゆー”さまへのレスでも書きましたが、日本社会にはカブキ者(例えば、小泉キャラクターのような歌舞伎ぶり)を愛でるという意味で「一種独特のいかが わしさ(=アングラ世界と極右が融合したような空気)への嗜好」が未だに充満しています。そして、その延長で言えば日本の政治資金は「寺銭」(テラセン= みかじめ料)という受け止めが一般的なのかも知れません。

欧州の場合は、ギルドの更なる古層にコムーネ(自治共同体)の伝統があることが「民主主義の強さ」となっているのではないでしょうか? たとえば、小泉構造改革での「やらせタウンミーティング」を見逃すようなことは欧米ではとても考えられないと思います。

この場合は最もベーシックな国民(市民)の政治参加の形が冒涜された訳ですから、本来ならもっと市民レベルから怒りの声が湧き上がってもおかしくないのですが、結局はウヤムヤの中で忘れ去られており、そのプロセスで「日本民主主義の進化」は片鱗も窺うことができません。

従って、日本の場合は義務教育段階で「民主主義の基本」をシッカリ教えることから取り組む必要があると思っております。


もえおじ 2009/03/16 22:30

トレンティーノ特別自治区は、イタリア語では、Trentino-Alto Adige 、ドイツ語では、Trentino-S・tirol といいます。 この土地は、イタリアで唯一、3つの公用語、ドイツ語 (69.15%)、イタリア語 (26.47%)、レト・ロマンス語群のラディン語 (4.37%) を持っています。 一部では、「自分達はドイツ民族に属するのでイタリア人ではない」ことを理由に、分離独立を主張している政治家もいるようです。 私の 知り合いで、Trieste 特別自治州出身のイタリア人がいましたが、彼も、「あそこはイタリアではなくて、外国だ」と言っていました。 言葉の問題に関して言えば、Valle d'Aosta 特別自治州も、フランス語がイタリア語と並んで公用語だそうです。( ちなみに、女子フィギュアスケート選手の Carolina Kostner は、トレンティーノの出身者です。 彼女が何ヶ国語も話せるのも、納得できます。)

Wikipedia によると、「レト・ロマンス言語群のスイス・ロマンシュ語(Rumantsch)は、スイス全域で公的に使用出来るスイスの公用語の地位はなく、実際はス イス南東部にあるグラウビュンデン州のアルプス北山麓の渓谷地などきわめて限られた土地でしか使用されていない。 その使用人口は3万人強といわれ、スイ ス人口の0.5%にも満たない。

スイス・ロマンシュ語と親類関係にある同じ レト・ロマンス言語群に属する言語で、現在も使用されているものに、イタリア北部のドロミテ山岳地帯で話されているラディン語、及び、イタリア北東部とス ロベニアの国境付近のフリウーリ地方で話されているフリウリ語がある。 後者は50万人の話者を持ち、レト・ロマンシュ言語群では最大であるが、スイスに おける第四の国語のような地位はイタリアでは獲得していない。」とあります。私は、昔、スイスでロマンシュ語を母語とする青年に会ったことがあります。 彼は、ドイツ語を学び始めたのが遅かったので学校や職場でドイツ語を習得するのが大変だった、と言っていました。


toxandoria 2009/03/17 07:08

“ もえおじ”さま、大変に興味深いコメントを有難うございます。

グローバリズム(の観念)が大手を振って闊歩( or 至る所で跋扈しユビキタス化)する現代の風潮に比せば、まるでガラパゴスの如くに見えるトレンティーノ地区に類似する地域現象が現代のイタリアに残っているのは、とても面白いことだと思います。

もっとも、類似した現象(諸島群のように狭隘な多言語地域が点在する姿)は欧州(典型はベル ギー、スイス、フランスなど)やイタリアだけでなく世界中に見られ、訛が強い方言までその仲間に数えれば、それは日本でも見られるようです。が、現代のア ジア各国や日本では、これらの“狭隘な多言語地域”がしだいに、しかも着実に消されつつあるように見える一方で、欧州ではそれらが容易に消えそうに見えな いことが不思議です(一時、消されかかったフランスでも、今は逆の方向へ進みつつあるようです)。

話題が飛躍しますが、どうもその背景に は“新自由主義で汚染されたグローバリズム”に安易に流されないための何ものか(=アンチ・グローバリズム型免疫機能のようなもの)が存在するのではない かと思っています。それが具体的に何であるかは未だ掴んでいませんが、コトバとして「アンチ・トリクルダウン」あるいは「アフォーダンス」などが連想され ます。

それは新自由主義の理論根拠の一つとされるマネタリズムへのアンチ・テーゼです。全くの私見(愚考)に過ぎませんが・・・、例えば ブッシュやコイズミ(タケナカ)らが掲げた「自己責任論、福祉・医療等の個人勘定化」(privatization、personal accounts)および、特に最近かまびすしい「政府紙幣発行論」(アソウも乗りを見せ始めたようです・・・)などの考え方は、この立場からすれば否定 されるべきでしょう。高々がケインズ的意味での役割であるべきで、これを万能視するのは危険だと思います。

言い換えれば、経済的・社会的 な意味での付加価値(=新しい富)がもたらされるのは誰のおかげで、どのような働きの結果なのか、ということです。そこで評価すべきものこそが、本来の意 味での市場(=小さな地域の個性と多様な地域の個性を前提する市場)の役割ではないかと思います。このような視点からすると、ブッシュ・コイズミ・タケナ カら“トリクルダウン論者の信仰”は、絶対王政時代の“君主大権信奉”そのものです。

その意味で、「政府紙幣発行による造幣益」という考え方もマユツバだと思います。まかり間違えば、より重症で深刻な“流動性の罠”に嵌るだけであり、これは「円天」と同類の詐欺行為、あるい庶民・弱者層への「つけ回し」だと思います。


もえおじ 2009/03/18 00:17

toxandoria さま、コメントありがとうございます。少数言語といえば、最近知ったのですが、(国際的な基準だと)日本には「日本語」以外にも、北海道の「アイヌ 語」、東京都・八丈島などの「八丈語」、鹿児島県・奄美諸島の「奄美語」、沖縄県の「国頭(くにがみ)語」「沖縄語」「宮古語」「八重山語」「与那国語」 の8つの言語が存在するそうです。 これらの少数言語は存続が危うく、とりわけアイヌ語は話し手が15人しかおらず「極めて深刻」、八重山語・与那国語は 「重大な危険」とのことです。

これらの少数言語を話す人々は、標準的な和人の日本人とは、かなり異なる生活文化・伝統を持っている可能性 があり、とても興味深いものがあります。それらの少数言語を文化遺産として認識し、保全していくことは重要ですが、それ以前の問題として、(自分も含め て)アイヌ語以外のそれらの少数言葉が『方言ではなく独立した言語である』ことの認識が最近まで存在しなかったこと自体が、「驚くほど少数派への配慮が足 りない」ことを表しています。

この、少数言語が危機にさらされている日本の現実は、日本の文化・政治風土のあり方が、中央集権的、多数決 民主主義思考から抜けきれていない未熟さとも考えられます。 それに対して、欧州のEU憲法の条文には「少数派への配慮」が基本原則として謳われており、 多民族、多文化、多言語の共存を原則とする民主主義の成熟が感じられます。( ただし、その範囲は欧州内に限られる。)

上手くは言えないのですが、確かに、そのような地元に根ざした産業文化や多様性は、画一的で危険なグローバリズムに対抗する基盤になるかもしれません。

ただし、欧州にしても、そのような少数派への配慮がされるようになったのは、そう遠い昔の話ではないと思われます。 例えば、フランスのアルザス州には、ド イツ語アルザス方言を母語とする人たちが多くいますが、3〜40年前までは、公共の場ではフランス語を話すように強制されていたようです。それを彼ら は、自分達の文化を守る努力をすることでアルザス語が失われないように努力してきました。 ちなみに、私が直接聞いた話では、逆にフランス語の綴り方でと ても苦労する場合が多いそうです。


toxandoria 2009/03/18 17:38

“もえおじ”さま、ベルギー憲法などを読むと(下記▲、ご参照ください)、おっしゃる通りだと実感します。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080901より、関連部分の抜粋

→・・・ 「ベルギー憲法」は国民の基本的な権利として「信仰の自由、教育の自由、結社の自由」とともに「出版の自由」(第25条)を掲げています。因みに、「ベル ギー憲法」の第30条は“ベルギー国で用いられる言語の使用は任意である”(つまり、ベルギー国民が何語を使うかは一切自由である)ことも定めていま す。・・・

また、アルザス地方(アルザス語)の問題と関連するかどうかは分かりませんが、地道な考古学調査の積み重ねから「フランスとド イツの歴史がメロヴィング朝フランク王国(およびガリアの英雄ウェルキンゲトリクス)を共有しており、国家フレームと言語の違いが目立ち始めるのはカロリ ング朝フランク王国(この頃からラテン化、つまりフランス化の傾向が強くなる)辺りからであること、およびカロリング朝が断絶する頃から“ゲルマン民族の 中核を担うドイツ語圏”に住む人々、つまりドイツ人としての意識が次第に形成されてきたこと」についての確証が深まり、このことがヒトラー以後における 「独vs 仏・和解」の一助となり、ひいてはEU誕生への端緒となったということがあるようです(下記資料★などを参照して知りました)。

★ヘルベルト・ヘルビック著、石川 武・成瀬 治共訳『ヨーロッパの形成、中世史の基本的諸問題』(岩波書店)

また、フランスの司法体系の頂点に位置した国王裁判所である高等法院(Parlemen/中世からフランス革命期の間に存在)に纏わる興味深い事実を思い出 しました。地方の領主たちが、強大な王権に対抗する手段として、この高等法院内で「身分制社会に対する不満を持つ民衆の代弁者としてふるまうという戦略」 を採り、その口実として地方の民衆も含む彼ら「地方に住む人々の自由」を主張したということです。このため、フランスでは地方が国王と領主たちの“主戦場 ”だという伝統が根付いたようです。

いずれにしても、このような点をお浚いするだけでも、「欧州における民主主義の進化プロセス」と「わが国における停滞したままのお仕着せ民主主義」(例えば、渦中の小沢=民主党問題に見られるような民主主義政治の閉塞状況)の異質性が見えてくるようです。

偶然ですが、村野瀬玲奈さんも、新しい記事「世界愛人主義同盟公約(2)(不定期連載)」(http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1155.html)で、この「地方・地域言語の問題」に触れられているようです。  

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