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数多の政権を葬り去ってきた検察という名の「権力の暴力装置」=本誌政界特捜班 (SAPIO 2009.4.22号)
http://www.asyura2.com/09/senkyo62/msg/331.html
投稿者 旅烏 日時 2009 年 4 月 28 日 14:16:04: SWN/9Stw90kzo
 

〈独走第36弾〉そしてまたも旧田中派が潰された
数多の政権を葬り去ってきた検察という名の「権力の暴力装置」=本誌政界特捜班
(SAPIO 2009年4月22日号掲載) 2009年4月27日(月)配信
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20090427-01/1.htm

文=本誌政界特捜班

 新内閣ができると、閣僚名簿が発表される。おなじみの光景だが、その一番はじめに名を挙げられるのが誰かご存知だろうか。法務大臣である。権力の暴力装置≠ニも呼ばれる検察に対して指揮権を持つ立場は、それだけ重いとされている。そして、検察の動きの背後には、常に大きな政治のうねりがある。

 小沢一郎・民主党代表の秘書を政治資金規正法違反容疑で起訴した日、東京地検の谷川恒太・次席検事は記者会見で異例のコメントを出した。

「政治資金規正法は、政治とカネを国民の不断の監視と批判の下に置き、議会制民主主義の根幹を成す。ダミーの政治団体を使って、長年にわたり特定の建設業者から多額の寄付を受けてきた事実を国民の目から覆い隠した。規正法の趣旨に照らして、看過できない重大悪質な事案と判断した」

 しかし、元長崎地検次席検事の郷原信郎・桐蔭横浜大学法科大学院教授は「法解釈のねじ曲げがある」と捜査のありかたを厳しく批判する。

「政治資金規正法は政治腐敗防止法ではない。献金は賄賂ではなく、国民の浄財であるとの考えの下に、政治資金の流れを透明にして良い方向に持っていこうという法律です。ところが、検察の会見では、献金を賄賂と同じように捉えている。これでは検察が規正法の罰則を自由に適用、運用して政治家を摘発できることになり、検察が立法府より優位に立ってしまう」 (1/9)

 行政機関の一部門で国民のチェックが及ばない検察が立法府より力を持てば、「検察ファッショ」の危険がある。

 東京地検特捜部は世論の批判を受け、バランスを取るため二階俊博・経産相ら自民党にも捜査を伸ばすと見られているが、郷原教授は内実をこう看破するのだ。

「小沢事件はこの先新たな問題に発展するようには見えない。特捜部は戦略的な捜査目標もなく、やみくもに突進するだけのガダルカナル的状況に陥っている。バランスを取って自民党側に展開しても、小沢捜査と同様、無理筋の事件ばかりで、ますます泥沼にはまり込むだけではないか」

 しかし、それは単に捜査の見通しを誤っただけなのか。

 過去の大型疑獄事件を振り返ると、政治の地殻変動が起きる時、「検察捜査」という暴力装置が発動されてきた経緯がある。 (2/9)


■「ロッキード」と「グラマン」の対照的な結末
  <保守合同を生んだ造船疑獄>

 戦後、検察が最初に権力中枢に捜査を向けたのが吉田茂内閣当時の54年に起きた「造船疑獄」だ。東京地検特捜部は、朝鮮戦争特需後の不況に陥った海運業界の救済政策をめぐり、業界から献金を受けていた自由党の佐藤栄作幹事長、池田勇人政調会長の捜査に着手、佐藤幹事長を収賄容疑で逮捕する方針を決めた。

 ところが、吉田内閣の犬養健・法相が指揮権を発動して逮捕見送りを指示し、捜査を止めた翌日に法相を辞任。佐藤藤佐・検事総長は国会で証人喚問され、「指揮権が捜査に支障をきたした」と批判して吉田内閣は窮地に陥った。

 だが、注目すべきは「検察VS政権」の対決ではなく、事件が保守分裂という政界の地殻変動の中で起きたことだ。

 当時の政界は保守勢力が吉田自由党と、公職追放から復権した鳩山一郎、岸信介らの鳩山自由党に分裂し、社会党が勢力を伸ばしていた。鳩山、岸は憲法改正・再軍備と占領体制での諸制度の改革を主張し、一方の吉田は慎重派だった。そのさなかに起きたのが造船疑獄であり、政官財の吉田派から多くの逮捕者を出した。鳩山はその年、日本民主党を結成し、吉田内閣は総辞職、鳩山内閣が成立する。

 それを機に、翌55年、日本民主党と自由党は「憲法改正」と「社会主義勢力から日本を守る」ことを掲げて合併し、現在の自由民主党が結成された。疑獄の裏には、鳩山ら「国権派」を後押しした米国CIAの動きがあったとも指摘されている。事実、鳩山政権に続く岸、池田政権時代、自民党に米国から秘密資金が流れていたことが、公開された米国務省文書に記載されている。 (3/9)


  <自民党の新興勢力・田中を潰したロッキード事件>

 次の大きな捜査は「前総理の逮捕」として名高いロッキード事件である。

 76年、特捜部は外国為替法違反で田中角栄・前首相を逮捕した(起訴はロッキード社から5億円の賄賂を受けたという受託収賄容疑が加わる)。

 当時の政界は岸、池田、佐藤という官僚出身首相が10年以上に渡って政権を担い、霞が関と自民党による国家支配体制が確立した時期だが、そこに田中が新興勢力として勃興し、岸、佐藤の後継者である元大蔵官僚・福田赳夫や党人派の三木武夫といった政敵を破って首相に就任した。しかし、飛ぶ鳥落とす勢いだった田中はこの事件で「刑事被告人」となり、政治の表舞台に立てなくなる。

 当時の首相は三木武夫であり、疑獄史に詳しい評論家の室伏哲郎氏は「三木が政敵を潰すために逮捕にゴーサインを出した」と指摘しているが、それだけではない。

 法相の稲葉修は元中央大学教授(法学博士)であり、検察の捜査畑の検事には中央大出身者が多く、パイプが太かったとされる。稲葉が田中逮捕の1か月前に地方で法務省刑事局長だった安原美穂(後に検事総長)と会談したとの説もある。

「自民党の再生の道はこの事件で出すべきウミは出し、『よく思い切ったな。自民党も良心があるな、反省をして出直そうとしているな』と国民が思ってくれるようにすれば、総選挙では負けないで済む」(田中逮捕前の稲葉の講演)

 事件後、三木内閣の後を受けて政権に就いたのが、田中の真の政敵・福田赳夫だった。 (4/9)


  <反田中派が捜査を逃れたダグラス・グラマン事件>

 一方、ロッキード事件と対照的な経緯をたどったのが福田退陣直後に噴出したダグラス・グラマン事件(79年)だ。

 2つの事件の構図はそっくりで、米航空機会社グラマン社が自衛隊に早期警戒機を売り込むために、商社を通じて日本政府高官に資金を渡したという米国議会での証言が発端となった。名前があがったのは、岸信介、福田赳夫、中曽根康弘、松野頼三で、奇しくも田中と敵対した勢力だ。

 ロッキード事件当時に東京地検次席検事として指揮を執った伊藤栄樹・法務省刑事局長は、この事件でも「巨悪を取り逃がさない」(参院予算委員会)と大見得を切ったが、結局、捜査は政界に伸びなかった。その後、伊藤栄樹は検事総長に上り詰めた。 (5/9)


■小泉首相の政敵が次々と検察の標的に
  <竹下派分裂を呼んだ金丸事件>

 田中失脚後、再び党の主導権を握った「竹下派」を打ち砕いたのも検察だった。特捜部は田中以上の権勢を振るっていた金丸信・自民党副総裁に対し、佐川急便からの5億円闇献金事件(92年)で強制捜査に乗り出す。

 当時、竹下派内では派閥の後継者と見られていた金丸側近の小沢一郎と、同派「七奉行」の一人、梶山静六が対立。小沢は「検察との徹底抗戦」を主張したが、梶山は法務事務次官の根來泰周とN─Kライン≠ニ呼ばれる太いパイプを築き、「政治資金規正法違反を認めて略式起訴」という司法取引を主張したとされる。金丸は容疑を認め、罰金判決が出た。

 この事件を契機に竹下派は分裂し、小沢は「政治改革」を掲げて自民党を離党、残った旧竹下派勢力は次第に力を失っていった。 (6/9)


  <「裏金疑惑」封印で手を握った小泉と検察>

 そして、政治史上、最も検察への影響力が強かったと言われているのが、実は01年に誕生した小泉政権である。

 きっかけとされるのが、検察を揺るがせた裏金問題だ。検察幹部の調査活動費を流用した裏金づくりが内部告発で発覚すると、検察首脳部は疑惑隠しに走る。小泉内閣発足直後の01年12月、時の原田明夫・検事総長は疑惑はない≠アとを印象づけるために問題の幹部を福岡高検検事長に昇格させる人事を内定し、小泉首相は人事を承認して疑惑の封印に力を貸した。

「これで小泉首相は検察首脳部に大きな貸しをつくった」(法相経験者)のである。

 それからの検察はまるで小泉政権のための捜査機関と化したかのような動きを見せた。

 当時、小泉首相は党内基盤が弱く、自民党では反小泉の野中広務を中心とする旧竹下派が小泉おろし≠フ機会をうかがっていた。最初に検察の標的となったのが野中の腹心で、田中眞紀子外相とバトルを展開した鈴木宗男だった。特捜部は02年6月、鈴木を斡旋収賄容疑で逮捕する。

 その田中も外相を更迭されると小泉批判の急先鋒となり、内閣支持率は30%台まで急落した。そこに田中の秘書給与疑惑が発覚、詐欺容疑で告発され、議員辞職に追い込まれた(検察は不起訴処分)。 (7/9)

 そして小泉内閣の政権基盤を決定的に強くしたのが日本歯科医師連盟の闇献金事件(04年)である。特捜部は日歯連から1億円の闇献金が渡った旧竹下派(橋本派)を強制捜査し、村岡兼造・元官房長官を在宅起訴。現金授受の場にいた3人の同派首脳のうち、橋本元首相、青木幹雄・参院議員会長は不起訴、すでに政界引退していた野中元官房長官は起訴猶予となった。

 この事件では旧竹下派以外にも自民党に幅広く献金がばら撒かれていたが、捜査は自民党中枢には向かわず、3000万円の迂回献金をもらった小泉首相の盟友の山崎拓・元副総裁も不起訴となった。

 小泉首相は検察捜査で旧竹下派の力が削がれるのに合わせて、同派の利権だった道路公団と郵政3事業の民営化を推進し、一方で法務・検察は司法制度改革で裁判員制度の実現に動く。 (8/9)


 今回の小沢捜査を承認した樋渡利秋・検事総長は法務官僚出身で裁判員制度の生みの親であり、伊藤鉄男・最高検次長検事は鈴木宗男事件を指揮した特捜部長、谷川恒太・東京地検次席検事はその取り調べ検事だった。小泉─検察蜜月時代の国策捜査組≠ェ西松建設事件捜査をバックアップしている構図だ。

 検察捜査の歴史を振り返ると、標的にされたのは田中派→竹下派→橋本派の流れである。グラマン事件の岸信介、福田赳夫、リクルート事件では未公開株が流れた安倍晋太郎、森喜朗といった「清和会」(森派)人脈はなぜか捜査を免れてきた。

 今回の西松建設事件でも、「森派支配」が続いてきたなかで、検察が小沢政権の誕生=田中人脈の復権を阻止する暴力装置として働いた構図は気味悪いほど一致している。二階経産相も竹下派出身だ。同様に西松建設のダミー団体から献金を受けている森、尾身幸次(元財務相)ら森派人脈に捜査が向かう気配はいまのところない。

 自民党支配の半世紀において、検察の政界捜査が権力闘争と深く結びついてきたことは否めない。特に、21世紀の政界を牛耳り続ける「清和会」と検察の親和性≠ヘ、後世の歴史家に大きな研究テーマとして注目されるに違いない (9/9)
 

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