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植草事件と国策捜査(2)(信州の泉、2009.7.1)【植草事件はなぜ起きたか】
http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/713.html
投稿者 南青山 日時 2009 年 7 月 03 日 06:27:01: ahR4ulk6JJ6HU
 

http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/

○国策捜査は歴史や伝統文化にそぐわない政権が樹立された時に起きやすい

 さて、「国策捜査」という言葉は、2005年に出た佐藤優氏の「国家の罠」を読んで初めて目にした言葉だが、その出所は背任と偽計業務妨害の被疑者となった著者を取り調べた検事が使用した言葉として出てくる。この言葉が以前からあったのかどうか、私は寡聞にして知らないが、最近では国策捜査が有名になったために、ネットではこれから派生した「国策逮捕」という言葉まで同義的に使われ始めている。今ではこの言葉は世間的にかなり定着しつつあるように思う。国策捜査はいわゆる冤罪とは決定的に異なる構造を持つ。

 佐藤優氏の言に従えば、「冤罪」とは、捜査当局が犯罪を摘発する過程で間違いが生じ、無実の人を犯人としてしまったにもかかわらず、捜査当局の面子や組織防衛のために、強引にその人間を犯人として継続捜査をして行くことである。これに対して、国策捜査は国家の「自己保存本能」により、国家の政策方針を変えうるような多大な影響力を持つ人間を、初めから狙い撃ちし、検察を媒介にして政治的な事件や不名誉な事件を創出することである。(佐藤優「国家の罠」300項参照)  

 私は国策捜査をこう捉えている。国策捜査とは、時の政府が推し進める政策上のトレンドに対し、そのベクトルを変えうるような大きな影響力を持ち、政府が思い描く時代形成に反する志向や方向性を持つ学者や政治家を狙い撃ちすることであり、これから国民がけっして描いてはならない国家のグランドデザインを象徴的な意味で抹殺することである。植草さんの事例で言うなら、彼を国策捜査に嵌めた小泉政権、それに連なる偽装チェンジ勢力は、植草さんが万民幸福の国家的グランドデザインを描いていることが絶対に許せないのである。

 なぜなら、この政権のグランドデザインは、アメリカの犬になって日本人を奴隷国民として飼いならすことにあるからだ。その目的は宗主国のアメリカに国富を献上することと、一部特権階級のみに富が傾斜的に配分される階級格差社会を望んでいるからだ。上杉鷹山(うえすぎようざん)、ジョン・メイナード・ケインズを尊敬し、経世済民の世の中を熾烈に志向する稀有な経済学者、植草一秀さんは悪の権化とも言うべき、日本破壊を企む悪徳ペンタゴンから、第一級の危険人物としてロックオンされた。それは現在も強くなっている。なぜなら、りそなに関する金融疑惑を暴いた植草さんは、現在は郵政民営化の巨大悪に向かっているからだ。

 小泉政権と植草事件の例で言うならば、国策捜査とは、植草さんの政権指弾を封じる目的で行なう恣意的な捜査のことである。佐藤優氏に従えば、その目的は、時代のけじめをつけるために、何か象徴的な事件をでっち上げ、時の政府の政策トレンドに異を唱える影響力のある人間を、警察・検察が主体となって恣意的に断罪するということである。植草事件は二度とも完全にこのパターンに合致している。

 佐藤氏を取り調べた検事の言によれば、国策捜査は冤罪ではなく、これというターゲットを見つけ出して、そのターゲットの隙を見つけ、それを徹底的に揺さぶって国家の罠に引きずり落とすことである。そのターゲットになる人物はその道の第一人者であり、その言論表現を放置すると、時の政府のマクロ的な国家運営に甚だしい阻害要因となる能力を有している。従って国策捜査とは、国民に時代が変わったことを印象付けるために、旧時代を代表する人物を、もはや不要な者として、あるいは新しい時代に有害な考え方を持つ者として、その人間を象徴的な人身御供とする国家の断罪行為と言える。これはまったく植草さんに生起した二度の事件に見事に合致している。

 植草氏の逮捕劇を、有名な経済アナリストが痴漢性癖で捕まったと世間が面白おかしく騒いでいた時、私は彼の経済学者としての自己同一性、つまり、彼の世の中に対する姿勢を把握し、その基本姿勢と小泉政権時代が有していた国家的性格を比較検討し、その整合性の不具合を見て、植草氏の逮捕劇を社会学的に、哲学的に捉えなおしてみた。植草氏は経済学者ではあるが、その経済学的視点は、徹底して政治に反映される経済こそ意味があると考える、いわゆる実戦派エコノミストであるが、その基本は人々に対する愛情である。その上、植草氏は衒学的な経済エッセイストではなく、きわめて政治色が濃く、国家の政策中枢レベルに影響を与えうる提言と予見ができる非常に稀有なエコノミストなのである。

 われわれが認識する「事実」について少し考察しておきたい。われわれが普段知覚する「事実」(ファクト)には、実は大きく分けて二種類ある。一つは日常の中で、自分の目の前で生起する生々しい現象としての事実である。これは、目の前で起きたこと、視覚、聴覚、嗅覚など、いわゆる五感をもって知覚しうる体験的事実のことである。その臨場感、迫真性は疑いの余地のない場合がほとんどである。もし、この日々の実体験に疑いを持つとすれば、人間は実存感覚や生存のリアリティを見失う危うさに陥って、ゲシュタルト崩壊を起こす。

 われわれ人間が内包するこの実存的な脆弱さを精神的に制圧しているものこそ、日常に生起する多様な情報から得られるリアルな感覚というか、生き生きとした存在感なのである。もう一つの「事実」は、マスコミによって日々、目や耳にするニュースと言われる情報から得られる仮想的な事実である。テレビやラジオ、あるいは、新聞等の活字媒体から目にする情報は、物理的に放送局や記事の書き手という中間の媒体を介して流れる物であるから、その情報は程度の差こそあれ、必ず加工されていると見るべきである。

 その人為的な「加工」の度合いによっては、われわれが知らされるニュースは事実(ファクト)とは大きな懸隔(けんかく)が生じるものと考えられる。しかし、我々は、時には胡散臭さを感じながらも、前提としてメディアは正直に遠方の物事を伝えているという暗黙の信頼という担保を与えている。事実上、至近距離で目にする日常性に比べると、マスメディアが報じるニュースは事実として受け止める以外に取るべき態度を持たないのだ。

 国策捜査とマスコミの誘導操作情報は密接不可分な相互補完性を持つ。間違った政権とマスメディアがリンクした時、国民は最大級の不利益や実害を蒙ることになる。ここに大手メディアの最大の問題がある。権力機構がマスメディアを掌握した場合、国民は操作された情報を見たり聞いたりすることになり、一方的に洗脳されてしまうが、中には植草さんのように真相を見抜いて警告を発する稀有なタイプの有識者が出現する。権力機構はこれに脅威を感じて国策捜査を仕掛けるのである。  

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