★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK66 > 824.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
少しばかりの想像力と思いやりの心を!〜田母神氏の広島講演について(江川詔子ジャーナル)
http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/824.html
投稿者 kamenoko 日時 2009 年 7 月 05 日 03:46:14: pabqsWuV.mDlg
 

少しばかりの想像力と思いやりの心を!〜田母神氏の広島講演について

2009年07月04日

 あの田母神俊雄・前空幕長が原爆記念日の8月6日に広島で講演を行う、という。しかも、「ヒロシマの平和を疑う!」という、いかにも挑発的な演題だ。東京新聞によれば、講演では「日本も核武装すべき」「核廃絶は世界の安定にマイナス」という持論も展開するらしい。
 それについて、秋葉忠利市長が田母神氏と主催団体に宛てて、次のような手紙を送った。


<表現の自由という視点で考えれば、何時何処で何を発言するかは自由であり、当然の権利ではありますが、広島市の立場は以下のとおりです。

 御承知のとおり、8月6日は、人類史上最初の原子爆弾が広島に投下された日であり、被爆者や原爆死没者の遺族をはじめ世界中の人々にとって、原爆死没者の霊を慰め世界の恒久平和を祈念する掛け替えのない日です。
 広島市では、8月6日を条例により「平和記念日」と定めており、「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式(平和記念式典)」を開催するとともに、市内各地でも慰霊祭や平和の記念行事が行われるなど、一日中、原爆死没者の慰霊と世界恒久平和への祈りで包まれます。
 そうした日に、広島の地において、マスコミに注目され市民への影響も大きい田母神氏が、「ヒロシマの平和を疑う」という演題で講演されることは、夜明け前から心静かに原爆死没者の慰霊を行う被爆者や肉親を失った遺族の悲しみを、いやが上にも増す結果となりかねません。広島における8月6日の意味は表現の自由と同様に重要なものと考えています。
 つきましては、こうした事実に思いを致し、被爆者や原爆死没者の遺族をはじめとした多くの広島市民の心情に御配慮をいただき、講演の日程の変更を御検討いただければ幸いです。>
 
 これに対して、田母神氏や主催者団体の日本会議は「言論の自由」を盾に、秋葉市長の依頼を突っぱねている。
 日本会議は「議論すらするなというのは言論封殺だ」(毎日新聞より)と反発。田母神氏は東京新聞の取材に対して、「国を守るために自衛隊の増強や核武装の主張をした途端にマスコミにたたかれ、国会も紛糾する。これでは言論が守られた国とは言えない」と意気軒昂なのだそうだ。
 また、論文の問題の時にも田母神氏に理解を示していた産経新聞は、<憲法の「集会の自由」が脅かされ、「言論封殺」と批判された“田母神事件”が再燃する恐れも出てきた>と書いた。
 
 しかし、今回の出来事は「言論封殺」などと大仰な言葉を持ち出す類の話だろうか。
 秋葉市長が送ったのは、非常に丁重なお願いの手紙だ。「封殺」などという表現が似つかわしい強権的なものではないし、「議論すらするな」などというニュアンスは、どこにもない。
 広島にとって8月6日は、原爆の犠牲になった人たちへの慰霊と、このような悲劇が2度と起こらないようにという祈りの日であることは、わざわざ説明されなくても、日本で暮らし、日本で教育を受けた者であれば分かっているはずだ。そういう日に、しかも原爆ドームまで徒歩1分という場所で、わざわざ殴り込みをかけるようにして、核武装論者の講演会を開く。そのデリカシーのなさ、想像力の貧困さには、驚きを禁じ得ない。
 こういうイベントは、確かに話題にはなる。今回のように、新聞で報じられたことで、主催者は「してやったり」の思いだろう。軋轢があればあるほど、報道される機会も増え、彼らの存在感は増す。彼らの目的は、充分に達するのだろう。しかし、そこには、被爆者や遺族に対する思いやりは、かけらも感じられない。
 そんな話をしていたら、知人のアメリカ人女性が、憤慨しながらこう言った。
「友人の家族がイラクで戦死したの。その葬式の時に、イラク戦争反対のデモが来たわ。私もイラク戦争には反対だったけど、主張するのは時と場所を考えるべきよ」
 まったく同感だ。
 日本の自衛隊は幸いにして全員無事に戻ってきたが、もしイラクで殉職者が出たとして、葬儀や法事の会場の傍らで、「自衛隊派兵反対」を叫ぶ反戦活動家がいたら、どうだろう。それを叫ぶ「言論の自由」があると、その活動家が主張したら、遺族や故人の友人たちはどう感じるだろうか。
 今回の広島の一件で問題なのは、こうした思いやりや想像力の欠落だ。ところが、デリカシーのなさをやんわり指摘されると、自らを省みるどころか、たちまち被害者意識を肥大させ、声高に「権利」を主張する。その姿は、頭でっかちな子供が、わがままを通そうしているようで、なんだかとてもみっともない。それをたしなめるどころか、心得違いを増長させるような一部メディアの報道もいただけない。
 何も、講演会を開くなと言われているわけではないのだ。田母神氏と主催団体は、少しばかり思いやりと想像力を働かせて、時と場所を再考したらどうか。
 
 主催の日本会議は、活動目標の1つに「日本の感性を育む教育の創造」を挙げている。
 
<行きすぎた権利偏重の教育、わが国の歴史をあしざまに断罪する自虐的な歴史教育、ジェンダーフリー教育の横行は、次代をになう子供達のみずみずしい感性をマヒさせ、国への誇りや責任感を奪っています。
 かつて日本人には、自然を慈しみ、思いやりに富み、公共につくす意欲にあふれ、正義を尊び、勇気を重んじ、全体のために自制心や調和の心を働かせることのできるすばらしい徳性があると指摘されてきました。(中略)私たちは、誇りあるわが国の歴史、伝統、文化を伝える歴史教育の創造と、みずみずしい日本的徳性を取りもどす感性教育の創造とを通じて、国を愛し、公共につくす精神の育成をめざし、広く青少年教育や社会教育運動に取りくみます>

 今回のように、「言論の自由」を振りかざし、時と場所をわきまえない行為を押し通そうとすることこそ、「行きすぎた権利偏重」ではないのだろうか。大人たちによる、想像力と思いやりに欠けた、こうした行為こそが、「時代をになう子供達のみずみずしい感性をマヒさせ」、自分たちの目的のためには、人の痛みなど知ったこっちゃないという風潮を蔓延させるのではないか。
 自然を愛する心や、思いやり、公共心などがもっぱら日本人の特性なのかどうかは、私には疑問だ。しかし、「日本の感性」を説くなら、「惻隠の情」という言葉もあるではないか。もう少し思いやりの心を持とうではないか。
 「勇気」を語るなら、面子にこだわって、しゃにむに前進するばかりが「勇気」ではないことを知るべきだ。相手の気持ちを思いやり、静かに身を引くことは、徒党を組んで殴り込みをかけるより、もっと偉大な「勇気」を必要とする。
 「全体のために自制心や調和の心を働かせることのできるすばらしい徳性」を青少年たちに根付かせたいと願うなら、田母神氏と主催団体の日本会議は、自らそれを実践してみせて欲しい。

http://www.egawashoko.com/c006/000294.html  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > 政治・選挙・NHK66掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。