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竹中式バカの作り方に扇動され偽装マニフェストとTVパフォーマンスに踊る日本
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/520.html
投稿者 鷹眼乃見物 日時 2009 年 8 月 02 日 11:49:42: YqqS.BdzuYk56
 

[民主主義の危機]竹中式バカの作り方に扇動され偽装マニフェストとTVパフォーマンスに踊る日本


[副 題1][歴史の評価] 2009年春/チェコ・プラハの印象(3)


[副 題2]「EU懐疑主義」と格闘する欧州/左派離れが喧伝される欧州議会選挙の深層(2)


<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090802


【画像1】Alfons Maria Mucha(1860-1939)『Evening Contemplation』
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1899. Color lithograph.  107.7 x 39 cm


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二枚目の画像(2009.3.21、撮影)は「Mucha Museum Puragh」の建物。同美術館のHPはコチラ → http://www.mucha.cz/index.phtml?S=home&Lang=EN


・・・モラビア出身でアール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナーであるアルフォンス・ミュシャは、初めウイーンで活躍するが、28歳のときパリのアカデミー・ジュリアンで美術を学んでいます。


・・・1939年3月、プラハに入ったナチス・ドイツ軍によって、「その絵画は国民の愛国心を刺激する」という理由で逮捕されます。第二次大戦戦後には、共産党政権がチェコ民族意識心との結びつきを警戒しミュシャの存在を意図的に無視します。しかし、民衆レベルでミュシャへの敬愛は生き続け、1960年代以降におけるアールヌーボーの世界的な再認識とともに改めて高い評価を受けるようになりました。


【画像2】プラハ・アールヌーボーの総決算とされる『プラハ市民会館』(2009.3.21、撮影)
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・・・この建物は、建築家アントニーン・バルシャーネック(Antonin Balshanek)とポリーフカ(Oswald Polivka)が協力して建てたものです。


・・・内部には、スメタナ・ホールなど大小五つのホールがあり、『国際音楽祭プラハの春』のメイン会場となります。また、一年をとおしてチェコ・フィルの演奏などが行われており、プラハ市民の誇りとなっている建物です。


【画像3】プラハ・ツェントラル・ホテルの正面(2009.3.21、撮影)
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・・・ホテル・ツェントラルは、小さい建物ですが、アールヌーボーの傑作の一つとして見逃せないもので、このホテルにはドイツやイタリアの音楽家が好んで宿泊しました。


【画像4】プラハの風景、ア・ラ・カルト(2009.3.21、撮影・・・12枚目の画像は、http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/takeyu/cabinet/bohemia/hoj-62430.jpgより)
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・・・プラハは「百塔の街」と呼ばれることがあります。それは、ロマネスクからアールヌーヴォーにいたる数多くの塔やドームが存在するからです。


・・・ある調査によれば、その数は大小合わせて600以上というデータがあります。その中でも代表的なものがプラハ城にあるヴィート大聖堂(一枚目)、あるいは聖ミクラーシュ教会(四枚、五枚目)です。


・・・チェコの人形劇は、特に19世紀前半の民族復興運動で盛んになったとされています。が、その伝統の発症は、もっともっと歴史をさかのぼります。


・・・ハプスブルクとドイツによる支配の長い歴史(ドイツ化の歴史と見なせば約1000年に及ぶ)の中で、人形劇が唯一の合法的な抵抗と批判の手段(サブ・カルチャー)であったという訳です。同時に、この人形劇はチェコ語で行われたため、チェコ独自の言語と文化を伝える役割をも担ってきました。


・・・ボヘミア・ガラスの工芸技術は13世紀まで遡りますが、その特徴はボヘミアの森で作られた木の炭から得られる炭酸カリウムを使った無色透明のカリ石灰ガラス(水晶に負けないほどの硬さと輝度を持つ)だということです。


・・・それに17世紀(神聖ローマ皇帝ルドルフ2世のとき)に開発された独特の彫り込み技術と絵付けが加わり、ボヘミア・ガラスはヴェネチアを超えたともされています。


・・・チェコ・ビールの特徴は、ドイツのローカルビールだったピルスナーを普及させたということにあり、国民の一人あたりビール消費量はチェコが世界一だというデータもあるようです。


・・・現在、チェコには約470銘柄以上のビールがあり、ピルスナーと黒ビールが主流で、プラハニは数多くのビアホールがあります(参照 → http://www.czechtourism.com/jpn/jp/docs/interesting/gastronomy/czech-cuisine-drinks/beer/index.html


1 概観、チェコ史3:自治権喪失=ハプスブルク支配〜三十年戦争〜暗黒時代(テムノ/Temno)=民族運動胎動期〜チェコスロバキア独立まで


1453年にビザンツ帝国を滅ぼしたオスマントルコの支配圏は、中世末期からバルカン半島を更に西進します。やがて、ボヘミア=ハンガリー王を兼ねるルドヴィーク1世(Ludvik 1/位1516-1526/ヤギウオ朝)が「モハーチの戦い」(Mohacsi csata/ハンガリーvsトルコ)で敗死(1526年8月29日)します。


このため中・東欧をオスマントルコから守る共同防衛の構想が浮上し、ボヘミア領邦議会とハンガリー諸侯議会がオーストリア・ハプスブルク家のフェルディナント1世(Ferdinannt 1/後に兄カール5世を継ぎ神聖ローマ皇帝/位:1556-1564)をボヘミア・ハンガリー同君連合の国王(位:1526 - 1564)に推挙します。この出来事は、それ以降のチェコ(ボヘミア)の王位が、事実上ハプスブルク家の世襲となり、中世後期〜近世〜現代初め(1918)までの約500年に渡り“チェコが殆どドイツ化する原因”となります。別に言うなら、11世紀ドイツ人植民時代・14世紀ドイツ系ルクセンブルク朝〜1918年までの長い歴史時間から見れば、約1000年に及ぶチェコ史はドイツ化との鬩ぎ合いの歴史であったと見なせます。


その後、1529年の「オスマントルコの第一次ウイーン包囲」を退けたハプスブルク家(スレイマン1世が大軍でウイーンを包囲したが、オスマントルコは長期戦に押され支配下のハンガリー・ブダへ退却した)は、中・東欧における覇権を掌握します。つまり、この事件が西欧世界に与えた大きな衝撃を奇禍として、ハプスブルク家は、ローマ教会の権威を利用しつつ当時の経済活動の一大中心地ボヘミアを本格的に掌握するためチェコ領邦議会・貴族・都市への抑圧を強め、1556年にはチェコにイエズス会が入り、これ以降はチェコの再カトリック化活動が強化されます。


一方、この時代はチェコに拡がっていたボヘミア兄弟団(フス派の流れ)やルター派などのプロテスタント勢力の抵抗活動も激化します。プロテスタント勢力は、特に啓蒙・教育活動を重視したため、16世紀のチェコではヤン・ブラホスラフ(Jan Blahoslav/1523-1571/宗教改革家・音楽家)がチェコ語文法の研究に取り組み、聖書のチェコ語への翻訳も完成させます。


このようにして、16世紀のチェコでは、かつてフスが形を整えたチェコ語(チェコ人の口語)がボヘミアの公用語としての地位を獲得するまでになり、フス、ヘルチェッキー、ボヘミア同胞兄弟団、ブラホスラフらの平和主義と高度な精神性が個性的なチェコ文化の実りをもたらしています。


なお、ハンガリーの大反乱に手を焼くなど政治的に無能である一方で学問と芸術を好んだとされる神聖ローマ皇帝ルドルフ2世(Rudolf 2/位:1576 – 1612)は、ウイーンよりチェコを好みプラハに居を定めます。そのため、この時代のプラハにはヨーロッパ中から学者や芸術家が、例えばG.アルチン・ボルド(G.Arcimboldo/1527−1593/ミラノ出身、マニエリスムの画家)、ティコ・ブラーエ(Tycho Brahe/1546-1601/デンマークの天文学者)、ヨハネス・ケプラー(Jahannes Kepler/1571−1630/ドイツの天文学者)らが集まりました。デューラーのドイツ・ルネッサンス絵画、ブリューゲルのフランドル絵画などをルドルフ2世が収集していたことも良く知られています。


17世紀に入ると、プロテスタント弾圧に汚名を残す神聖ローマ皇帝フェルディナント2世がボヘミア王(兼/王位:1617-1637)になるとチェコのプロテスタント派貴族との対立が強まり、1618年に「第二次プラハ窓外放擲事件」が起こります。フェルディナントがボヘミア王を継承したことに怒ったボヘミアの領主貴族らがプラハ城へ押しかけ、ウイーン宮廷の代官3名を城の窓から放り出した事件です(第一次事件は、フス処刑(1614)後の1619年に起こった/フス派の人々がドイツ人のプラハ市長や市参事会員らを城の窓から放り出した)


ともかくも、この事件が切欠となり「最後の宗教戦争」あるいは「最初の国際戦争」と呼ばれる神聖ローマ帝国領内を戦場とする「三十年戦争」(1618-1648)が勃発します。1620年の「ビーラーホラ(白山)の戦い」(参照 → http://www.t3.rim.or.jp/~miukun/tyere12.htm)で敗退したチェコ・プロテスタント軍はハプスブルク側の過酷な処罰を呼び、三十年戦争時代のチェコは人口の激減、その人口減少地へのドイツ人入植、耕地の荒廃、ドイツ系等外来貴族の領地支配、プロテスタント各派への弾圧と国外追放、絶対王政とカトリック教会権下での自閉的経済、農奴制の復活(再販農奴制)など多くの悲惨に見舞われます。


そして、チェコのプロテスタント文化は根絶され「カトリック化と強力なドイツ化」が深まります。このため、チェコの民族的歴史学派は、この「民族の独立が失われた17世紀」〜「19世紀民族再生運動」が起こるまでのチェコの悲惨な時代を『暗黒時代(テムノ/Temno)』と名付けています。しかしながら、実は、この17〜18世紀の『暗黒時代』のなかでも、換言すれば“徹底したドイツ化が進み”ながらも、ドイツ文化からアンビバレンス(ambibalence)な意味での影響を受けつつチェコ民族の遺産(民族、言語、文化)へ新たに目を向ける運動が徐々に進んでいました。


やがて、オーストリア継承戦争(1740-48)でプロイセンに奪われたシュレジェンに代わり、ハプスブルク領内における繊維工業の中心地となったチェコに経済活発化の兆しが現れます。そのような環境下で精神文化が活性化し、特に18世紀以降のチェコではドイツから流入した啓蒙主義とドイツロマン主義がチェコの民族文化遺産の再発見を促しました。特に、ドブロフスキー(Josef Dobrovsky/1753−1829 /スラブ言語学の創始者)の著書『チェコ語文法』と『古代スラブ語の基礎』は重要で、彼は「スラブ学の祖」と呼ばれています。


ナポレオン戦争(1803-15)の最中、1806年に神聖ローマ帝国が解体する(ナポレオンがフランツ2世を退位させオーストリア初代皇帝フランツ1世となる/Franz 2/位:1792-1806)と、オーストリア帝国(1804-1867、オーストリア=ハンガリー二重帝国/1867-1919)が成立しますが、チェコはそのままオーストリア帝国に組み込まれたままでした。しかし、ウイーン体制期(1815-1848/フランス革命以前への回帰を目指す復古的国際協調体制期)にドイツへ留学し、そこで伏流するドイツ統一運動などの影響を受けたチェコ人とスロバキア人の知識人たちは「文化的スラブ民族運動」の担い手となります。


この時代の特徴は、チェコ人とドイツ人の民族対立が先鋭化しなかったという点にあります。つまり、チェコで生まれたドイツ知識人・文化人の自由主義者らの中には、むしろチェコ人の文化活動に共鳴する者も多く、彼らはチェコの英雄を主人公とする作品を発表することさえありました。このため、フランス第二共和制の発端となる「七月王政の覇者ルイ・フィリップの上層ブルジョワ傾斜政策」が批判を浴びて起こる「フランス2月革命」がドイツ(3月革命)など欧州中に波及した「1848年革命」でも、オーストリアの保護下でチェコ領邦の自治を要求する「オーストリア・スラブ主義」を求める動きとなりました。


しかし、この動きはハプスブルク・オーストリア帝国内での民族独立を求めるハンガリー人、ポーランド人、ドイツ人などの自由主義者・社会主義者から激しい批判を浴び、やがて1848年6月にはチェコでも民族主義的な民衆蜂起が起こりますが、これは徹底的に武力鎮圧されます。1867年のアウスグライヒ(和協)によるオーストリア・ハンガリー二重帝国の成立はチェコ人を満足させるものではなく、今度は、チェコ人をロシア主導の「汎スラヴ主義」に接近させました。


19世紀後半のチェコは、ドイツ系資本家によってボヘミア炭田を活かした工業が活発化し産業革命期に入ります。この頃には、首都プラハの人口も急増して、チェコ人の数がドイツ人を上回り、民族意識の高揚とともに、1868年からは「プラハ国民劇場」(チェコ民族劇場)の建設が始まり1881年に完成しますが、すぐ焼失し、1883年に再建されています。


第一次世界大戦(1914-1918)でオーストリア・ハンガリー二重帝国が崩壊すると、民族自決の理念のもとに、1918年10月21日にチェコスロヴァキア共和国の独立が宣言され、初代大統領にはトマーシュ・マサリク(Tomas Garrigue Masaryk/大統領位:1850-1937/社会学者・哲学者・政治家)が就任します。マサリク政権では西欧的民主主義が行われたが、チェコスロバキアでは工業先進地のチェコ人が社会のほぼ全てを支配し、農業地域でハンガリーの支配が長かった地域のスロバキア人と対立することとなり、スロバキア人はドイツへ接近します。1935年からナチス・ドイツの圧力が強まると、1938年にミュンヘン会談でズデーテン地方をドイツに割譲し、1939年にはボヘミアとモラヴィアは保護領としてドイツに編入され、反チェコ・親ドイツ派の多かったスロバキアはナチス・ドイツの保護国となりました。


・・・以下、第二次世界大戦後(ナチス・ドイツからの解放〜ソ連・傀儡政権下の社会主義共和国時代〜プラハの春〜ビロード革命〜ビロード離婚(チェコとスロバキアの分離)〜 )のチェコ史は省略するが、関連記事として下記◆を参照乞う・・・


◆チェコ『プラハの春』が透視する非民主的な『裁判員制度』の正体、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090523


◆(ユーラシア中央〜バルカンにおける侵略的グローバリズム(民族移動・抗争・混交)の歴史/概観)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090416


2 根強い“EU懐疑主義”と格闘する欧州の深層


2-1 カルト的空気への強固な警戒心

・・・この一部分は、下記★からの再録です。


★2009-06-21 2009年春/チェコ・プラハの印象(2)/第4章 EU懐疑主義”と格闘する欧州の深層−1/カルト的空気への強固な警戒心、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090621


・・・・・


15〜17世紀におけるチェコの先覚者たちに共通するものは「アンチ・カルトの精神」(=人間性を喪失した超閉鎖的な支配者意識に対する懐疑と警戒心)ということです。それは、殆どカルト化(=同上の意味での超官僚組織化)していたローマ教会を徹底批判したフスの流れを汲むものであり、特に「ボヘミア同胞兄弟団」の役割は重要です。


無論、この「ボヘミア同胞兄弟団」もフス派プロテスタントのグループであるので、そこに一種のカルト風の空気を読む向きもあるようですが、この教団活動にはカルト的な意味での“閉鎖性”はありません。宗教教団=カルト教団と理解するのは余りの短絡思考であり、それはA「理想としての民主主義」とB「現代日本の如きカルト風の偽装民主主義」を混同するようなものです。因みに、Aの条件は人間が“開放系”に位置するということであり、Bの条件は人間が“閉鎖系”(=囲い込まれ自縄自縛的になっている空気)に取り込まれているということです。


ところで、『新しい型の宗教組織による法の侵害に関するEC議会決議、およびフランスにおけるセクト教団の定義』http://page.freett.com/sokagakkai_komei/shukyou/cult_french.htmlなどを参照しつつ、カルトの主成分(条件)を集約してみると、次の三点になります。やはり、これは人間が“閉鎖系”に取り込まれているということに他なりません。


●カルトの主成分1=限りなくタコ壺的・空論的な“観念世界を天高く飛翔し浮遊し続ける”超利己的な意識構造&ネットワーク(人間性の喪失1)
●カルトの主成分2=限りなく教条的な思考を杓子定規で当て嵌める“異常に自己目的化し内向化した”意識構造&ネットワーク(人間性の喪失2)
●カルトの主成分3=「主成分1」と「主成分2」を固定する現実的装置としての超官僚組織の形成(人間性の喪失3/“閉鎖系”へ誘い込んだ人間の孤立化・奴隷化・ロボット化・サイボーグ化)


そして、驚くべきことですが現代のチェコ社会にも<カルト的空気への強固な警戒心>の役割を果たす“カルト予防ワクチンとしての歴史的フス体験”が存在します。フスは、そのような意味で再びチェコの民族精神の拠り所として尊敬されており、チェコ人は自らを“フス派の流れを汲む民族”と理解することでフスをチェコ人のアイデンティティと尊厳の中核にしているのです。


因みに、現代チェコ人の特徴の一つとして“未来志向型の分析的・論理的思考を優先させながらも、最終的に彼らは経路依存的(歴史・民族・地域特性等との十分に多角的・多視点的な照らし合わせという意味で経験主義的)に厳格な判断を併せて行う”ということが指摘されています。ここには、彼らが「フス体験という歴史経験」から学びとった“カルト的な要素を極力排除するチェコ的な知恵”の存在が窺われます。


2008年秋のチェコ憲法裁判所による“チェコが批准することについての合憲判決”とチェコ上・下院の議決を得たばかりで、後はチェコとポーランド大統領の署名、ドイツ憲法裁判所の判決、アイルランドの第2回国民投票を乗り越えれば発効するところまで漸く到達した「EUリスボン条約」について、チェコのバーツラフ・クラウス大統領は批准書への署名を未だ保留していると報じられています。


もともと新自由主義思想の信奉者と目されてきたクラウス大統領ですが、EU(欧州連合)の現況が、市場主義へ傾斜しつつも「戦時を含む凡ゆる条件下での死刑廃止を規定する欧州人権条約・第13議定書の署名国であることがEU加盟の条件になっている」ことに象徴されるとおり、<資本主義の有効なツールとしての市場主義>と<人権意識と生命倫理の確保・保全>との絶妙なバランスを維持しようと努力する、いわゆる社会民主主義的な考え方をベースとするEU(欧州連合)への本格参加は望むところのはずです。


しかし、実は、チェコ国内には国民レベルで根深い“反EU感情”(=超官僚組織化への懸念があるEUへの警戒心)と“EU加盟なくしてチェコの経済社会の将来発展はあり得ない”という知識人主導型の理念型思考との歴史的な葛藤があるのです。そこへ、昨年秋以来の米国発金融・経済パニックが襲った訳ですから、チェコのみならず、なべて中・東欧諸国が海外からの債務額が大きいことを考慮するならば、今回の異常事態(パニック)への対処が如何に困難であるかが理解できます。なお、このように責任感旺盛な、そしてフスやコメニウスらの先見性(=健全な合理主義)の伝統を引き継ぐチェコ知識人の存在は羨ましい限りで、それは日本における竹中平蔵らの如き無責任で軽薄で“さもしい”詭弁型御用学者連中の口先「ヘラヘラ」の比ではありません(関連参照、下記▲)


▲「市場原理主義者、竹中平蔵のイカサマ許さぬ」 郵政造反官僚が衆院選に出馬(田中龍作ジャーナル)、http://tanakaryusaku.seesaa.net/


<参考データ>


西欧諸国が中・東欧等へ貸し込んだ主な債務額 [(  )内は対GDP比、出典:2009.3.31朝日新聞]
・・・チェコ1859億ドル(106%)、ハンガリー1450億ドル(105%)、セルビア241億ドル(61%)、ブルガリア397億ドル(100%)、ルーマニア1188億ドル(725)、ウクライナ534億ドル(38%)、ラトビア406億ドル(149%)、ロシア2147億ドル(17%)・・・合計8222億ドル、約82兆円(minimum !)


そして、ここに見られるような自国内における非常に困難な葛藤と八方塞(ふさがり)であるかに見えるジレンマのなかにこそ、あの「自らを“フスの民族”と規定することでフスをチェコ人のアイデンティティと尊厳である」とみなす「経路依存を尊重するチェコ人流の合理性」が存在しているのであり、また、それこそが「宗教・イデオロギー・政治権力のカルト性」(≒権力機構の超官僚主義化)を徹底的に見抜き、それを排除しようとするチェコ人の強い意志の現れであると言えるかも知れません。そして、チェコをはじめとする中・東欧諸国の国民は次のような点で、従来の米国流市場主義よりEU型市場主義が優位であることを見抜いているはずです。


<参考情報>・・・米国よりEU型グローバル市場経済の方が優位と見るべき観点・・・


●歴史・文化・宗教・地政学的つながりから、欧州に比べ中・東欧における米国の存在感は薄い
●中・東欧など発展途上国が求める、きめ細やかな基本生産財(後述のミーディアム・ハイテク分野)あるいは生活必需品の生産で米国企業には比較優位が見当たらない
●米国が得意な「先端的IT部門」だけで中・東欧およびバルカン諸国の国民経済建設の支援は不可能
●EU諸国には中・東欧諸国の重化学工業化を促進してきた実績がある・・・特に、ミーディアム・ハイテク分野(medium high-tech=生活環境支援型の製造業・流通業・金融業分野)で・・・

●EUの東方拡大がもたらす果実の方がEU10(新たに加盟したチェコ、キプロス、エストニア、ハンガリー、ラトヴィア、リトアニア、マルタ、ポーランド、スロヴェニア、スロヴァキア)の政治・社会的不満を凌駕している
●歴史的・伝統的社会を地盤とするEU諸国(EU15→+EU10)には「巨大な所得格差」や「人権保護・福祉制度の崩壊」は許さぬという強い意志が存在する
●拡大EUの基本には、米国が捨ててきた「グローバリゼーションと地域主義(リージョナリズム)」の均衡を重視する視点が存在する
●同じく、EUには「新しい経済社会モデル」(=ロバート・B・.ライシュのコトバで言えば暴走する資本主義とは異なる資本主義モデル)を提起するという動機が潜んでいる


2-2 スウェーデンの手腕に託されたEUの新たな挑戦=チェコの歴史経験などに学びつつ「人間主義・地域主義の視点を回復させた新たな統治手法」の模索


我が国では殆どニュースになっていませんが、この5月にはチェコのプラハで「EUプラハ雇用サミット」が開催されました。これはEUの東方に位置する六カ国(モルドヴァ、アルメニア、アゼルバイジャン、グルジア、ウクライナ、ベラルーシ)との新たなパートナーシップを構築することが目的のサミットでした。


つまり、EU(欧州連合)が、中東欧地域の政治・経済・軍事的な安定を確保する重要手段の一つとして、その地域の更に東方にある、これら六カ国の雇用安定(=あらゆる角度からの経済支援活動)に全力を傾注しつつ、濃密な協力関係の構築を惜しまなぬことを「EUプラハ雇用サミット」で宣言したということです。ここで、より重要なのはNATOの存在が、かつての時代のような意味での欧州における安全装置の役割は果たせなくなったという認識が存在することです。


それは、ロシアがNATOの東方拡大を“明らかな挑発”と受け止めているという現実があり、この現実的な発火の危機を回避するには、西欧とロシアの間に横たわるグレイゾーン(EUの東方に位置するこれらの六カ国)、言い換えるなら、今まで欧州とロシアが半ば放置同然にしてきた、この“政治的空白地域”を欧州とロシアの新たな外交・経済協力関係で充填するという地政学的戦略です。そして、忘れてならないのは、今回の「米発大金融パニック」が、中東欧はもとより、このグレイゾーンを特に激しく襲ったという事実があるため、この地域の不安定化はEU危機のシグナルであると再認識されたということです。


元々、EU対ロシアの関係は一筋縄でゆかぬ問題の典型です。EUの多国籍企業は既にロシアへ進出しており、その意味でユーロ経済圏はロシアまで到達しています。一方、ロシアは産油国であるためドルと結びついています。このためロシアの自国通貨ルーブルは、ドルとユーロの「通貨バスケット制」(ドル65%、ユーロ35%)を採っており、ユーロとドルの双方からの影響を無視できない状態です。また、資源国ロシアの経済は、石油とガスの輸出がルーブル高を誘発する構造となっているため、一方では、そのことがロシアの製造業を苦しめることになります。なお、このようなロシアの実情はロシア旅行で体験することができます。つまり、ロシアでの買い物はルーブル、ユーロ、ドルのいずれでも可能となっているのが実情です。


従って、現実的には、強い競争力を持つ西欧先進諸国の製造業あるいは流通業がロシアへ進出することでロシア国民の内需経済基盤の押し上げと製造業・サービス業・流通業などの底上げを図ることが期待されており、このような意味でのEUとロシアの地政学的・地理的優位性に基づく結びつきに対する米国の警戒感は未だに相当なものがあります。また、当然ながら、ロシアの豊富な資源はEUにとり不可欠な存在であるので、「ロシアの資源」と「EUの非資源部門」(製造業・流通業など)の相互補完性は非常に高いものであることが理解できます。


一方で、EUとロシアの間には中・東欧を挟んだデリケートな綱引き関係があります。例えば、市民革命で共産党政権を倒して市場経済を導入したチェコ、ハンガリー、ポーランド三カ国は、初めから反ロシア・親EUでありヨーロッパへの回帰を旗印にしてきた経緯があります。しかし、チェコはクラウス政権が長く外資に対する閉鎖政策を採ったため、市場経済が本格化したのは1998年にクラウス政権が退陣してからです(参照 →http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761556878_6/content.html


また、スロバキア(首都=ブラチスラヴァ)は、チェコスロバキア当時の「ビロード革命」(参照 → http://www.revo.uh-oh.jp/revo/b.htmlで民主化したはずですが、産業構造が軍需等の重工業に偏重していたため、親ロシア路線を採り、市場経済が本格化したのは1997年以降です。また、1993年にスロバキアがチェコから分裂したことにも、この問題点が関係しています。無論、分裂の背景はそれだけではなく、そこには同じ西スラブ人に属しながらも根強く存在してきた、歴史的なチェコ人(文化・産業の先進地域チェコ)とスロバキア人(農業中心の後発地域スロバキア)の対立感情が影を落としています。


なお、チェコ、ハンガリー、ポーランドの三国は、中・東欧の中で最も早く議会制民主主義が根付いたうえに、ドイツとオーストリアに接していることもあってEU諸国等からの「海外直接投資」(FDI/Foreign Direct Investment)が最も早かった地域(開始1995年〜)ですが、一方で、これら三国はナショナリズムと独立・自尊意識が強く(政治的には中道右派左派が拮抗)、通貨ユーロへの参加へも独自の考え方を貫いており、また財政赤字の問題も抱えることから、今のところ通貨ユーロには未参加となっています(チェコ=コルナ、ハンガリー=フォリント、ポーランド=ズウォティ)。なお、スロバキアは本年1月から通貨ユーロを導入しています。


当然ながら、このように複雑な歴史と現実を抱える「中東欧〜グレイゾーン(EUの東方に位置するモルドヴァ、アルメニア、アゼルバイジャン、グルジア、ウクライナ、ベラルーシの六カ国)」を挟んだEUとロシアの関係は、今後のEU全体の発展動向へ大きな影響を与えます。


そこで、いま欧州では“この7月からEU議長国がチェコ(2009年1−6月期)からスウェーデン(2009年7−12月期/現在は中道右派政権/が、右派と左派が殆ど拮抗)へバトンタッチされた”ことが注目されています。周知のとおり、スウェーデンとノルウエーは欧州で最も先進的な民主主義を実現している国です。このため「リスボン条約」批准のため二度目のアイルランド国民投票(2009.10.2、予定)を控えるという重要な節目の議長国を務めるスウェーデンの手腕への期待が高まっている訳です。


各国の社会事情が異なるため民主主義の先進国スウェーデンが簡単にEU議長国としての手腕を発揮できるということではなく、民主主義の理想を実現しているスウェーデンと経路依存(歴史体験重視)的(参照、下記・注▲)で地政学的な合理主義思考を得意とするチェコ・ハンガリーなど中欧諸国の知性が、この正念場で相乗効果的・相互補完的・上昇思考的に結晶することが期待されている訳です。無論、先に見たとおりのことですがスウェーデンなど欧州先進諸国には、EUによる「東方の経済統合戦略」の一環として中・東欧等へ貸し込んだ巨額の債権が存在するというのっぴきならぬ事情もあります。


<▲注記>例えば「チェコにおける無宗教層(無神論者)の存在」について


・・・チェコの宗教事情は『無宗教59%、ローマン・カソリック27%、プロテスタント諸派2%、東方正教諸派少数』(出典:http://hiki.trpg.net/BlueRose/?CzechRepublic-basicData2008)となっており、無宗教が多い。その背景には、ソ連傀儡のフサーク政権下(1975〜1989)で旧東独と並ぶ警察国家の経験があるとされる。つまり、官僚化した教会組織を通じて密告社会が実現した経験から教会組織への不信感が根強く残った。一方、チェコ人はフスの思想などキリスト教文化とキリスト教的な考え方や生活習慣は大切にしている。


2005年に当初のEU憲法条約がフランス、オランダの国民投票によって否決されてから、官僚的・圧力的ガバナンスへの批判を打ち消すため、EUは「市民社会ディスコース」(市民社会との対話を深化させる工夫)へ取り組んでおり、その要素となるキーワードが「共同体との連帯」と「アソシエーションによる調整・調和」に絞られています(出典:田中俊郎他編『EUのガバナンスと政策形成』(慶応大学出版会))。そこで連想されるのがハンガリーの偉大な学者二人の知見、カール・ポラニーの「暗黙知」 とマイケル・ポラニーの「動的・選択的客観統合」です。それは、この二つの知見とEUの「市民社会ディスコース」の要素には深い繋がりがあると考えられるからです。そして、そこにはチェコ的な意味での経路依存的な合理主義が共鳴しています。


ところで、歴史的・伝統的に美しい都市景観や自然環境などをネオリベ傾斜型の市場原理主義による「カネ」以外の尺度で評価すべきだという観点から、カール・ポラニー(Karl Polany/1886-1964/ハンガリー出身の経済人類学者)の「社会の中に埋め込まれた経済」という視点が見直されつつあります。また、カールの弟・マイケル・ポラニー(Michael Polanyi/1891-1976/物理学者・社会哲学者)が提唱した「暗黙知」(tacit−knowledge)の意義も再検討されています。


そもそもマイケル・ポラニーの「暗黙知」は経験で得られる「相対知」の広がりと見做されてきましたが、近年はやや異なるアプローチが行われています。その新しい着眼とは、「相対知」の集成としての結果(知識、成果)よりも、人間がその「相対知」を獲得するまでの「知の発見のプロセス、別に言えば、そのプロセス領域内でのスナップ・ショット(一場面ごと)の作用メカニズム」を十分に固着的に観察すべきだということです。


この考察のルーツは、マイケル・ポラニーに影響を与えたフランスの社会哲学者レヴィ・ブリュール(Lucien Levy-Bruhl/1857-1939/前論理的思考様式存在の立証を試みつつ、異文化研究に新機軸を開いた)にあります。レヴィ・ブリュールは、未開部族の観察から、実は個人の感情・情動・動機などが外界の出来事と、しばしば共感的に同一視されるという作用に注目し、これを「参加」(participation)と呼びました。が、マイケル・ポラニーは、この作用を「dynamo-objective coupling」(動的・選択的客観統合=一種のプロセス重視型の状態原理)と名づけました(参照 → http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0151.html


この熾烈で、繊細かつフラジャイルで、しかも二律背反的な「dynamo-objective coupling」の中にこそ「未知の真理」を発見する「創発」の作用が隠れており、そこで究極のリスクを 回避し、難渋しつつ学び取るものこそが「暗黙知」です。しかも、これは、表層的に見れば不可解に思えるかも知れませんが、かくの如く繊細で壊れやすく、スナップ・ショット的な意味で苛烈で闘争的な認識作用の瞬間的鬩ぎあいの中でこそ、新しい真理の発見や社会・文化的リアリズムの知見が凝集・析出してくるのです。その意味で、マイケル・ポラニーの「暗黙知」は、自然科学だけでなく人文・社会科学、ジャーナリズム等の領域へも重要な示唆を与えています。


去る6月7日開票の欧州連合(EU、加盟27カ国)の欧州議会選挙については、“深刻な金融危機に襲われた加盟国で国政与党(フランスとドイツの左派など)が敗北し各国で極右が健闘するなど、雇用不安を招いた政府に対する市民の不満が噴出して、全般的な欧州市民意識の右傾化が進んだ”と報じられましたが、これは粗雑で危いミスリードな報道スタンスだと思います。


なぜなら、先に見たとおり、この7月からスウェーデンが議長国となったEU(欧州連合)では、チェコ・ハンガリーなど中東欧諸国の経路依存的な合理主義思考に基づきつつ、グレイゾーン(EUの東方に位置するモルドヴァ、アルメニア、アゼルバイジャン、グルジア、ウクライナ、ベラルーシの六カ国)でのリスク回避も視野に入れた「マクロプルーデンス・モデル(Macro Prudence Model)」の理念下で新たな「市民社会ディスコース」(市民社会との対話を深化させる工夫)への取り組みを実現しようとしているからです。


換言すれば、それは、これまでの政治・経済のあり方の根本を徹底批判しつつ「人間主義の視点を回復させた新たな統治手法」に取り組むことで政府(EU及び各国)の統治機能それ自体の信用を復興させない限り、昨年末いらい世界を覆っている「米国発の大金融危機」は、その根底から絶対に終息し得ないという危機感を共有することであり、この考え方は「Trans‐Atlantic Agenda」として、米国の理念(核廃絶を唱えたオバマ大統領のCHANGE)とも繋がっています。また、そのEU(欧州連合)の中枢に位置するベルギーで『非核三原則を法制化する動きがある』ことも視野に入れておかなければなりません(関連参照、下記★)


★ベルギー「非核三原則」法制化へ 米の配備困難に/ベルギーで禁止法が成立すれば、撤去を求める動きが他国に波及する可能性がある、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090719-00000005-mai-int


2-3 竹中平蔵式バカの作り方に扇動され偽装マニフェストとTVパフォーマンスに踊る日本


これまで見てきたことからも明らかなことですが、総選挙を目前とする今こそ「政治権力」について極めて重要な「妥当性評価」(relevant appraisal)の課題(=政治権力の現状を正しく評価し、それを客観的に伝える役割への回帰の問題)を突きつけられているにもかかわらず、わが国のマスメディアは、このような意味でジャーナリズムの根幹にかかわる視点に気づかぬ振りを決め込んでいます。


そのため、マスメディア総がかりのマニフェスト騒ぎでは、「小泉〜安倍〜福田〜麻生」と“竹中平蔵式バカの作り方”の路線に乗って、無責任にタライを回してきた自民党・悪政への反省を具体的に報ずる姿勢が一向に見えません。なぜなら、マスメディアは取材対象との間で適切な距離を維持してこそ『リアリズムの眼』を確保することができるはずであるにもかかわらず、長らく官製談合の“情報下賜システム”である「記者クラブ制度」に飼いならされてきたからです。


ともかくも、上で見たマイケル・ポラニーらの「状態原理」の視点はネオリベ市場原理主義型の「イデオロギーの暴走」を批判するためにも役立ちます。なぜなら、“市場(=神の手)に任せろ”型のネオリベ市場原理主義(=ノージック哲学や新古典派経済学の立場)が想定するのは「初期条件」と「結果」だけであり、あとは予定調和的な解決が期待できる「市場のプロセス」に任せろという訳ですが、その「初期条件」には「情報の非対象性の問題」が永遠に付き纏う(参照 → http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060315/うえに、「市場のプロセス」をブラックボックス化するということは、まさに「状態原理」による貴重な「知と真理、人間性の真実」の獲得機会(チャンス)を放棄していることに他ならないからです。


従って、これは、まったく無自覚で、バカげていて、ノー天気な考え方であり、それを信用しろと他人へ強要するのは“イワシの尻尾を有り難く信仰するカルト”の押し付け同然です。巷では、米国発金融パニックが薬となり「ネオリベ市場原理主義」も軌道修正されるだろうとの甘い楽観論も流れていますが、そう易々と問屋は卸さぬようです。


例えば、「国家経済会議」(NEC/National Economic Council)委員長のローレンス・ヘンリー・サマーズ(首尾一貫してグローバル市場原理主義を強く主張してきた人物)に限らず“国家的ポンジー・ビジネス(ネズミ講型詐欺ビジネス)の考案者”と思しき人物らの多くを政権中枢に抱えざるを得なかったオバマ政権が、その身中に巣食うネオリベ派の蘇生と揺り戻しで苦境に立ちつつあります。


片や、8/30の総選挙を目前とする日本では、B層中心の無党派層を意識しつつ自民党と民主党のマニフェストを表面的に値踏みして、できる限り“扇動的・扇情的スタイルで両天秤に掛けてみせる”というB層向けの『テレビ紙芝居』を意識したパフォーマンスがネオリベ派を中心に跋扈し始めています。


例えば、地方分権の要が道州制だとするアンチョコな議論はその典型です。小泉構造改革がもたらした地域格差問題の「理念部分の闇」を放置したまま、より権力が強大な道州知事制度(廃藩置県後の県令の如き大時代な仕組みとなるリスク大)を導入すれば万事目出度しというマスゴミ・メディアを巻き込んだバカ騒ぎの構図は、あの忌まわしい「小泉・郵政選挙」の再来を懸念させます。大阪・橋下知事は、この道州制実現のため経団連ネオリベ派と“草の根(B層向け)の政治闘争”を展開するとか報じられていますが、その安易な導入は、むしろ中央集権強化と地方切り捨ての恐れがあります(関連参照、下記◆)


◆橋下知事、道州制で経団連会長に協力を要請・・・橋下知事と経団連の御手洗会長が会談して『道州制についての“政治闘争”を経団連と共に取り組み、その実現に向かって国民の理解を得るため“草の根”政治運動を起こす』ことを申し合わせた?、http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1/20090725-OYT1T00422.htm


◆橋下知事 「民主党に、政権担当能力なし」「2層構造なら日本は滅びる」…道州制めぐり酷評、http://blog.livedoor.jp/a6news/archives/788657.html


また、竹中平蔵が『小泉構造改革(つまり竹中改革)の理念はオランダモデルと同じことだ』と主張していたことを知り驚かされます。周知のとおり、オランダモデルは欧州におけるスウェーデンとは異なる形での、もう一つの民主主義の見事な成果(=政府・財界・労働者が対等なパートナーとして果実を分かち合うという理念の徹底実行)であり、新自由主義(ネオリベ)の理念とは根本的に異なります。


従って、竹中平蔵の図々しい詭弁に過ぎませんが、この竹中のマスゴミ・メディア(特にテレビ)を使った詭弁の連発は明らかにB層向けを意識しているようです。『・・・だから小泉改革を徹底すれば格差も解消して日本はとてもハッピーになった筈だったのに・・・』というおぞましい詭弁は、政治学者・山口二郎氏との議論でも巧妙に、かつ執拗に繰り返されており、サンデープロジェクト等のテレビ番組(竹中平蔵式バカの作り方の実践番組?)でも同じ主張を執拗に繰り返しています。


このような竹中平蔵のシブトサはもはや『バカの作り方教・カルト』とでも呼ぶほかありませんが、財界、自民・民主両党、自治体組長らの中に多くのシンパ(橋下、東国春、中田ら)が潜伏しているので、決して侮ることはできないと思われます(関連参照、下記▼)


▼元旦の夜、NHK番組で竹中氏が語ったこと(小泉構造改革=オランダモデルだって?)、http://japan.cnet.com/blog/mugendai/2009/01/03/entry_27019125/


▼山口二郎「新自由主義か社会民主主義か(竹中平蔵氏との対談)」、http://www.yamaguchijiro.com/?eid=694


▼『竹中平蔵式リアリズム』(バカは何人寄ってもバカ=B層戦略)の作り方、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090106


なぜなら、これは前の記事(参照、下記◆)でも書いたことですが、今にして漸く「政権交代の可能性」という「市民社会におけるポスト・モダンの画期」を迎えたにもかかわらず、特にB層中心の無党派の人々にとっては、未だに我が国における『宿命=運命の力』(fate、destiny)が意味するところは、西欧における市民革命(啓蒙思想の定着)期より前のレベルに留まったまま、つまり「政教未分離」のまま、別に言えば「公共意識不在」のまま現在に至ったということのようです。


◆KY麻生と無党派の干渉で壊れた「小泉郵政マジック」の先に見据えるべきもの、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090726


チェコの首都プラハの歴史を顧みると、その都市の形が出来上がったのは14世紀です。その時代は「黄金のプラハ」と呼ばれる時代であり、1348年に中欧(ハプスブルク領内)で初めての大学であるカレル大学(現在のプラハ大学)が設立され、欧州各地から芸術家・建築家・文化人らが集まり、その時のプラハの都市としての規模は、ローマを除きパリ・ロンドン・ウイーンを抜く大きさでした。


しかし、16世紀以降の約300年間はフス(宗教)戦争、ハプスブルク支配によるドイツ化の促進、30年戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦、ソ連の軍事介入と弾圧による警察国家・・・という真に不幸な事件(歴史)の連続であったため、西欧諸国に比べると圧倒的に経済的な遅れを蒙ります。しかし、不思議なことに歴史的建造物を主とする過去の遺産(街並みなど)は殆ど破壊を免れています。つまり、プラハでは、過剰な市場原理に傾く資本主義(市場原理主義)開発の爪痕がゴシックからアールヌーボーに及ぶあらゆる建築様式の建物を破壊することはなかったのです。


そして、このような形で重層的な歴史遺産都市プラハを擁する「チェコあるいはハンガリーなどの中欧諸国」と「民主主義の先進国スウェーデン」のEU(欧州連合)を舞台とする図らずもの出会いが、「Trans‐Atlantic Agenda」のような、まったく新しい国際関係の展望にすら希望を与えつつあるということは真に興味深いことです。


我が日本もいい加減に『偽装&詐称オランダモデル=竹中平蔵&小泉純一郎らのネオリベ・カルト』(=新自由主義カルト・官僚統制型カルト・極右政治勢力らの癒着)からの脱却を図り、日本はどのような国の形と社会・経済のあり方を目指すのか根本から構想し直すべきです。


その意味で、大阪・橋下知事、宮崎・東国春知事、横浜・中田市長らのごとく、自民・民主の両サイドへブレながら小泉改革劇場の二番煎じの「TV&マスゴミ・パフォーマンス」でB層中心の無党派層をたぶらかすことばかりにウツツを抜かし、視野狭窄で大時代な『地方分権』幻想をふりまく、まるでヤクザか河原乞食の如き橋下・東国春・中田ら“竹中平蔵・親分配下のネオリベ組・若頭(舎弟頭)”は日本の未来にとって害毒以外の何物でもありません。


【Disinfection】Lara Fabian - Evergreen
[http://www.youtube.com/watch?v=67VBVxeXYns:movie]
 

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