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“脱官僚、天下り禁止”に覚える違和感 民主党の経済政策を点検する(小峰 隆夫)
http://www.asyura2.com/09/senkyo70/msg/641.html
投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 9 月 04 日 23:12:36: mY9T/8MdR98ug
 

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090902/203960/?P=3

 民主党はドラスチックに政策決定プロセスを変更しようとしているようです。「官僚支配からの脱却」がスローガンなのですから、当然だと言えるでしょう。

 この点については、私自身長い間官僚として仕事をしてきましたので、相当の違和感があります。我々は、自分自身の経験によって身についた考え方から逃れることは難しいものがあります。私自身の考えも、官僚としての経験に基づくものなので、あるいは官僚寄りのバイアスがかかっているかも知れません。

 しかし、以下に述べることは私の偽らざる考えであり、官僚の味方をするためではなく、日本全体のために何が必要かを考えた上での議論であることもまた間違いありません。このような前提で読んでいただきたいと思います。

根回しのために説明する政治家の数が増えるだけ

 まず注意すべきことは、政策決定プロセスの議論は、政策の中身の議論ではないということです。プロセスを変えたからといって、立派な政策が行われるとは限りません。その割には、政策決定のプロセスを変更するには多大の時間的、経済的コストがかかります。

 こうした点を考えると、従来の政策決定プロセスを大きく変えようとすることは「労多くして功少なし」の議論であり、「政策をどう決定するかよりも、どんな政策を実施するかを論じた方が良い」というのが私の考えです。

 ではなぜ「労多くして功少なし」なのでしょうか。具体的に述べていきます。

 第1に、民主党のマニフェストでは「政府に大臣、副大臣、政務官(以上、政務三役)、大臣補佐官などの国会議員約100人を配置し、政務三役を中心に政治主導で政策を立案、調整、決定する」としています。私は、この案は中途半端だと思います。

 現在でも政府には60〜70人の国会議員が参画していますから、100人を送り込むということそのものは、実はそれほど劇的な変革ではありません。問題は、こうして送り込まれた国会議員がいずれも局長の上に立つ役割を担うということにあります。

 各省庁で具体的な職務についての責任者は各局の局長です。局長は局全体の仕事を統括し、行政を担っていく役割を担っています。送り込まれてくる政治家は、局全体の仕事の基本的な方向を決めるという役割を果たすことになりますが、そうであればそれほど多くの政治家は必要ないと思います。役人にとっては根回しのために説明して回る政治家の数が増えるだけの結果になります。

 もちろん、局長自身を政治的に任命するという方法もあります。これは劇的な改革となりますが、その場合は政治家ではなく、官僚そのものを新たに任命する必要があります。

 民主党の案は、政治家が基本方向を示して具体的な実務は官僚という従来型の仕組みと、実務の責任者を政治的に取り替えるという仕組みの中間であり、中途半端な改革にとどまっているように思われます。

 第2に、民主党のマニフェストは「事務次官会議は廃止し、意思決定は政治家が行う」としています。しかし、私は、次官会議の廃止にはほとんど意味がないと思います。

 しばしば「次官会議は形式的な会議であり、その場で実質的な議論が行われることはない」と批判されます。これはその通りです。大半の次官会議は、案件を淡々と処理するだけで、実質的な議論はありません。では無意味かというとそうではありません。次官会議は「いざというときの伝家の宝刀」なのです。

事務次官会議には、実は大きな意味がある

 例えば、内閣府が経済対策を決めようとした時、経済産業省がその内容について別の意見を持っていたとします。内閣府が経済産業省の意見を無視していると、最後はいざとなれば経済産業次官が次官会議で反対します。

 次官会議は全員一致が原則ですから、反対があると議案は成立しません。この担保があるから、各省庁は意見を擦り合わせ、意見が一致するまで案を練り上げるのです。

 「そこまで意見を統一する必要があるのか」という疑問を持つ人がいるかもしれませんが、閣内不一致を避けるためには、そこまでする必要があるというのがこれまでの考えなのです。

 仮に次官会議がなくなったとしても、閣内不一致は避ける必要がありますから、意見の刷り合わせが必要であることは変わりません。「それは政治家がやればいいではないか」ということなのでしょうが、実際のところ、技術的な細部まで含めて(多くの対立は、技術的な細部で起こります)政治家が調整するのは難しく、やったとしてもかなり時間的ロスが生ずるでしょう。

 次官会議を廃止することは、まさに「労多くして功少なし」の典型だと思います。

しがらみを断ち切り無駄を排除することはできるかも

 第3に、マニフェストは「天下り、渡りの斡旋を全面的に禁止する。国民的な観点から、行政全般を見直す『行政刷新会議』を設置し、全ての予算や制度の精査を行い、無駄や不正を排除する。官・民、中央・地方の役割分担の見直し、整理を行う。国家行政組織法を改正し、省庁編成を機動的に行える体制を構築する」としています。

 これは確かに必要なことです。将来、財政再建のために国民負担を求めようとすれば、行政の無駄や不正を排除することは不可欠です。この点では、政権交代が、自民党では過去のしがらみにとらわれてできなかったことを可能にするかもしれません。

 日産自動車にカルロス・ゴーン社長がやってきて、それまでのしがらみにこだわらず、大幅なコストカットを実現したのと同じようなことを期待できるかもしれません。

 ただし、今のところは「組織を作ります。具体的な方向はその組織で議論して決めます」と言っているわけですから、まだ何もしていないのと同じことです。くれぐれも、組織・機構を作って政策をやったような気にならないように(よくあることなので)して欲しいと思います。

そもそも「天下り」とは何なのか?

 ただし「天下り」の全面禁止という部分には若干の異論があります。この点は、多分読者からたくさん批判が飛んできそうな予感がしますが、正直な感想を書かせていただきます。

 まず、「天下り」とは何か、という定義が問題になります。「役人が第2の職を得ることが天下りだ」とすると、例えば、私は、役人を辞めた後、法政大学に職を得ているわけですが、これは「天下り」なのでしょうか? 周りの人にこの点を聞いてみると、大部分の人は「それは天下りではない」と言います。役所の世話にならず、自力で職を見つけたからです。

 すると、「役所の口利きで第2の職を職得るのが天下りだ」ということになります。しかし、大学で経済政策に詳しい実務家の官僚を採用したいので誰かいないでしょうか、という依頼を受けて就職を斡旋するのは、天下りでしょうか(こういうケースは、実際にかなりあります)。これも天下りではないような気がします。

 私は「天下り」という言葉そのものに否定的なニュアンスが含まれており、しかもその定義がはっきりしないような言葉を使うのは、知的怠慢であり、止めるべきだと考えています。

 もちろん、税金を使って、実質的にろくな仕事もしない役人のOBの面倒を見ているという例があることは事実です。それを止めさせたいのであれば、そういう補助金そのものを廃止すれば良いのだと思います。

 なお、役人の再就職そのものをなくすと、必然的に全員が定年まで働くことになりますが、すると公務員の数は増え、しかも高コストの公務員が多くなりますから、人件費はますます増大することになることにも注意する必要があります。

 民主党の官僚依存体質からの脱却という方針は、現実を踏まえて十分練りなおす必要があると私は考えています。

 次回からは、「財政」「雇用」「年金」について、それぞれの政策について検討していきます。

 

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