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「ネットを利用して政治への発信力を高めていく為に」、「匿名性」について、「Twitter」の良し悪し、など
http://www.asyura2.com/09/senkyo71/msg/847.html
投稿者 Roentgenium 日時 2009 年 9 月 25 日 00:45:32: qfdbU4Y/ODJJ.
 

『「ネットを利用して政治への発信力を高めていく為に」、“Flower Is Not Flower”、「匿名性」について“個人情報保護”以外の意味を考える、
「Twitter」の良し悪し、など』

(まえがき)

今回は、具体的な政策などに関する投稿ではないのですが、ネットを利用して政治への発信力を高めていく為に、
政治にもマスゴミにも関係のあることなので、阿修羅「政治71」に投稿させていただきました。
いわゆる「匿名性」というものについて、もう少し掘り下げてみたいと思い、
玄有宗久さんの『現代語訳 般若心経』という本を読んで、関連性のある箇所にマーキングをしました。
その引用を中心に纏めておきたいと思います。参考テキストとして纏めましたので、問題提起や結論付けはここではあまりしていません。
僕は、匿名性というものは、“個人情報保護”やアバダーといった役割の他にも、意味があるんじゃないかと思っています。
他の方がこのテキストを読んで、参考になるかどうかはわかりませんが、考えてみるきっかけなどになれば、ありがたいです。

アバダー(avatar)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%90%E3%82%BF%E3%83%BC


玄有宗久著『現代語訳 般若心経』ちくま新書より抜粋

http://www.genyu-sokyu.com/index2.html

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480063199/


-------------------------引用開始--------------------------


(玄有宗久著『現代語訳 般若心経』ちくま新書 P.14〜P.20)


「個」の錯覚が元になった自己中心的な世界の眺めは、このもう一つの「知」である「般若」の実現で一変するのである。
絶えざる変化と無限の可能性が「縁起」として実感され、
あらゆる物質も現象も、「空」という「全体性」に溶け込んだ「個」ならざるものとして感じられる。
そのとき人は、「涅槃(ねはん)」と呼ばれる究極の安らぎに到り、また「しあわせ」も感じるのではないだろうか。

こうしたもう一つの「知」の系譜は、たまたまとうかほぼ共時的に中国でも発生していた。
老子や荘子によってである。
『荘子(そうじ)』には「吾、我を喪う」(斉物論篇)とあるが、彼らも瞑想をしていたのは確かだろう。
それによる「全体性」の実感を、老子は「道(タオ)」と表現し、荘子は「渾沌」と云ったのである。
おそらくそれが世尊と近似した実感であった為、仏教もスムースに中国に浸透したのだろう。
「ブッダ」は当初、荘子の言葉から「大覚」と訳された。
またブッダの菩提樹下での瞑想に焦点が当てられ、達磨大師の仏教が中国に禅として根づくのも、
そのような瞑想的な「知」の在り方がすでに老荘を初めとする道家系統の体験知として存在していたからだと思える。

しかしそれでも理知的な「知」と誤解されることを懼れた鳩摩羅什(くま らじゅう)や玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)は、
『般若心経』のなかのそれを原語のまま、「般若」と音写した。いや、「般若波羅蜜多(はんにゃはらみつた)」というキーワードを、
意訳しようとしなかったのである。
何故なら、それこそが提出すべきもう一つの「知」そのものであり、訳せば通常の「知」の堕してしまうからである。

「般若波羅蜜多」は「プラジュニャー・パーラミター」の音写だが、「パーラミター」は従来「到彼岸」と訳され、
全体としては般若によって理想郷に渡ることだと解釈されてきた。
最近では違った語根説から「パーラミター」を「完成」とか「究極」と訳し、「般若波羅蜜多」は「智慧の完成」とい訳されることが
多いが、いずれにしてもそれは知的に理解出来ることではない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E7%BE%85%E8%9C%9C

名詞で訳されると尚更、実践から離れる気がするが、「般若」はあくまでも実践的叡智であることを忘れてはいけないだろう。
むろん彼らは、それによって辿り着く「悟り」の境地も「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみやくさんぼだい)」という音写のままにした。
この二つと最後の「咒(じゅ)」だけが、翻訳されずに音写で残されたのである。

http://www.wdic.org/w/CUL/%E9%98%BF%E8%80%A8%E5%A4%9A%E7%BE%85%E4%B8%89%E8%97%90%E4%B8%89%E8%8F%A9%E6%8F%90

(略)

この経典は、すべてが理知にとって解釈されるはずだという科学主義に対し、
「いのち」や「しあわせ」というリアリティーはそうではないのだと、いわ真っ向から挑戦状を叩きつけている。

(略)

ブッダは弟子たちの幾つかの質問に沈黙を以って答えたとされ、それは「無記」と呼ばれているが、
このことの真意もそういうことだった気がする。
弟子たちを導こうとしている「目覚め」の体験からすれば、合理的な説明や議論がかえって体験を妨げることがあることを、
世尊は熟知していたのだろう。
人間がいかに言葉の意味にさらわれ、合理性に絡めとられやすいかを、きっとブッダや老子や荘子はつくづくご存知だったのである。

『般若心経』は難しいと申し上げたが、それは何よりこの経典が、我々に以上のような体験的な「知」への転換を迫るものだからである。

(略)

しかし理知や合理性の限界を感じ始めている現代の我々にとって、これほどもってこいのお経があるだろうか。
いや「これは、じつは科学技術がここまで発達した現代に限った問題ではない。
老子はすでにブッダと同じ頃、
「民に利器多くして、国家滋昏る(ますますみだる)」(五十七章)と云い、「智慧出でて大偽あり」(十八章)と書いた。
人間が合理性を根拠に便利さを追求する本性は、たぶん言葉を使い始めたとき以来連綿とありつづけ、
それによって失われる「いのち」のリアリティーを憂える人々は昔からいたのだろう。
そんな人々が「道(タオ)」や「渾沌」、そして「明」や「般若」を説いたのである。

話を随分広げてしまったが、とにかく『般若心経』には我々が「いのち」のリアリティーを取り戻す現実的な道が示されている。
むろんソクラテスと同様、世尊は一冊の著作も残さなかったから、このお経だって世尊が書いたわけではない。
それどころか、これは仏滅後数百年経ってから書かれたフィクションである。
しかし、時間が経っていることもフィクションであることも、決してそのこと自体が経典の価値を貶めることにはならない。
あらゆる人間の著作はフィクションなのだし、物事の「全体性」が常に人間には把握出来ないものである以上、
人は他人の脳に構築された虚構をなぞることで事実の意味を知ることも多い。
そしてその為に、「歴史」と呼べるほどの時間を要することも、稀ではないのである。

(玄有宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 P.122〜P.138)


次に「名づけ」の問題です。これは今の十二因縁についても云えることですが、人は「名づけ」によって物事を確定的に
受け止めてしまう生き物です。
例えば「花」という言葉は、そう呼ばれた途端に「花」以外のものとの関係性が絶たれます。
まるで茎や葉がなくとも「花」は存在すると感じられるような、奇妙な自立性を言葉によって帯びるのです。
また言葉には、そのもの自体の無常性を奪う機能もあるようです。
「花」は散るものなのに、言葉で示された「花」は何となく不変に感じられるからです。
あらゆるものに名前が付けられ、概念が実体化し、それが更に思考を呼びます。
それによって実物にはなかった自立性と恒久性が具わったモノたちは、やがてお互いが対立する存在にもなっていくのです。
これではどんどん「全体性」が分断され、「空」から離れていってしまいますね。

(略)

ただどうしても心得ておいていただきたいのは、
世尊を含めた今のインドの宗教者たちが、文字情報を一つも残していないことの真意です。

(略)

つまり世尊を初めインドの宗教者たちが、教えの伝達については今尚「口承」という形式をとっているのは、
伝統的な習慣でもあるわけですが、やはり意志的にそうしつづけていると考えるべきでしょう。
教育効果を今風に考えるならば、言葉を文字で伝えたりメモをとったりすることこそ効率的に思えることでしょう。
しかしインドの人々は、そうはしなかった。何故か。
それは先ず、言葉というものが、どのような状況で誰に向けられたものであるかを抜きに一般化されて伝えられるべきではない、
という考え方。
そしておそらく、文字言語が音声言語を矮小化し、限定し過ぎることを、世尊はこれまでの宗教家と同じように
深く承知していたのでしょう。
表情や声の響きその他、音声言語には文字には写しとれない豊かな情報が含まれているということです。

(略)

いわば、真理は常に誰かに向けられた聖者の言葉に宿るのであって、万人向けの一般的な真理というのはあり得ないということです。

(略)

ただ世尊の死後、その言葉や教えの散逸を懼れた弟子たちは、このラージャグリハ(王舎城)に五百人も集まり、
四十五年間の説法を蒐集(しゅうしゅう)して教えを編纂します。
これは、誰もが憶持していた自分向けの教えを示して確認しあい、覚えやすい一般的な形に纏めた、ということですね。
これによって保たれたものもむろん沢山ありますが、私はこれによって失われたものを考えてほしいのです。
またそれから三百年ほど経った紀元前一世紀ころ、
その教えが初めて貝葉(ばいよう、貝多羅葉、ターラ樹の葉)にブラーフミー文字で書かれ、書物という形になります。
これは記録の保持という意味では画期的なことでしたが、これによって失われたものはじつは甚大であったと云わざるを得ません。

(略)

名前や概念というのは、いわば実相という向こう岸に渡る為の筏(いかだ)のようなもので、渡りきったら本当は必要のないものです。
「般若の智慧」が実現した彼岸から見ると、そんなものは対岸の遥かな景色に過ぎません。既に「戯論」なのです。

(略)

科学で扱われる「知」とは別な「知」の様式が、対岸にはあるということです。

(略)

名づけのなかで、最も罪深いのが「私」という代物です。
考えてみれば、私たちはモノゴコロがついたときにはすでに生まれていたわけでしょう。
そしてそれまで「私」など関係なく生きていた「いのち」を、あるときから「私」だと思い込んだ。
以前も申し上げましたが、モノゴコロがつき、知恵づき、そして様々な分別を身につけることでそれが肥大化していく。
そうして「いのち」の実相に関係なく、いつからか「私」という名の何者かを中心にモノを見るようになっていったのです。
当然、先ほどの「花」のように、実物の「いのち」にはなかった自立性や恒久性が「私」にも付加されることになります。
ちょっと大胆な言い方をすれば、これこそがあらゆる「苦」の根源かもしれません。
「私」の芽である「行」の滅尽こそが修行の一大テーマであったのは、そういうわけなのです。

こうした「私」の発生の問題には、じつは言葉全体の問題も含まれてきます。
中国の荘子は、言葉は「封」だと云います。つまり全体を仕切るもの、ですね。実相を仕切って「渾沌」を台無しにしてしまうものです。
彼はまた「名は実の賓(ひん)なり」(逍遥遊篇)とも云います。

(略)

彼にはまた「名」を桎梏(しっこく、手かせ足かせ)と感じる人こそ「至人」なのだという発言もあります。
「私」という「名」が自動的に誉れを求めることを、おそらく荘子は知り尽くしていたのでしょう。
また老子は、『老子』の冒頭に、「道の道とすべきは常の未知に非ず。名の名とすべきは常の名に非ず」と云います。
つまり本当の「道」というものは、これが「道」だと謂えるようなものではない。
あらゆるものの名前というのはそういうもので、名づけられた以上それは本当の「名」ではないのだ、というのです。
三十二章には「道は常に無名なり」ともあり、老子においては「無名」や「不言」が尊ばれます。

(略)

東洋では便利に使われながら毛嫌いされるという、不思議な存在が「言葉」ですが、
その発生については言語学でも二種類の分析があるようです。一つはコミュニケーションの為に生まれたのが言葉だ、というもの。
もう一つは、言葉は既に生まれてしまった自らの概念整理の為に生まれたというものです。

(略)

売り言葉に買い言葉とも云いますが、人の口が言葉によって作る罪は計り知れないものだと思います。
言葉の発生がはたしてコミュニケーションの為だったのか、自らの概念整理の為だったのかは、私にはわかりません。
しかし少なくとも老子や荘子だけではなく、世尊にとっても言葉が厄介極まりない道具、罪作りな道具だと思われていたことは確かだと思えます。
そして「花」や「私」の例で申し上げたように、元々全体性から切り離し、架空の自立性をもたせた犯人が言葉であったわけですから、
それが終にはコミュニケーションの助けになったとしても咬まれたイヌに舐められるようなもの。
或いは、「いのち」どうしのコミュニケーションと「私」どうしのそれとは、全く次元が違うということなのかもしれません。

(玄有宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 P.199〜P.202)


「私」がどう転んでも真の安らぎはやってきません。
知的に明確に知ることで得られるのは、安らぎではなく単なる満足に過ぎません。知的に知る主体は「私」だからです。
「私」には、断片化された世界を安易に「全体」と勘違いする危険もありますのでご注意ください。
長年、世界の中心であるかのような意識を持ちつづけた「私」の殻は、相当に強固なのです。

「私」を形成する力は「行」と呼ばれました。
これは梵語では「サンスカーラ」といい、本来は自然な素材に手を加え、目的にあったものに仕立てるという意味です。
この言葉はまた、社会的には様々な通過儀礼の意味でも使われます。
つまり一人前の社会人に育てる為に必要なシステムということでしょう。
要するに、この社会に生きてゆきやすいように「私」を仕立てることは、ある意味で仕方のないことなのです。
「私」なしでは日常生活が送れないことも確かです。しかし同じ「私」が、幾多の苦悩をも生み出してきたこともまた確かです。
だからこそ世尊は「一切行苦」と仰ったわけです。「いのち」の実相とかけ離れた「私」の思い込み。
不変で、自立的であるという顛倒夢想が、あらゆる「苦」を今も生み出しつづけているのです。

(略)

むろん初めから安らぎは無理でも、とにかく「いのち」の響きと「全体」に潜在する意味とに静かに身を委ねるのです。
そして「花」も「私」も自立的でも恒久的でもなく、隔てなく融合しながら同じ「いのち」の縁起のなかにあることを感じ取ってください。
これは自分というものが真の意味で変革される最上の方法です。
「全体」との本当の関係性のなかで、自分が再生していく道なのです。

人が成長するとは、むろん多くを知るということではありません。無始と呼ばれる始めなき「いのち」を支える関係性(縁起)を、
いかに実感していくか。それ以外に人間の成長する道はないはずです。
暗闇のなかでも、苦悩の最中にも、また病に臥せっていても、はたまた悲しみに打ち沈んでいても、
いつでもどこでも「般若波羅蜜多」への道は静かに続いています。それは究極のやすらぎ(涅槃)へと続く道です。

-------------------------引用終了--------------------------

ペンネーム、雅号、俳号、名跡・屋号・俳名、芸名、リングネーム、活動家名、登録名、HNなど
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%A0

様々なハンドルネーム(HN)のあり方
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%A0

ペンネーム図鑑(近代日本文学)〜解説・参考文献

「ペンネームの起源は古い。(エフェソスの)クセノフォン Xnophon Ephesius(3〜4世紀)もペンネームであろうと云われている。
日本でいちばん古いのは、紫式部と云われる。鴎外や子規や直木三十五などは生涯にいくつものペンネーム(号)を持った。云々」
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/pen-name/index.html

Twitterの投稿、4割は「意味のないつぶやき」――米調査 -
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0908/17/news047.html

Twitterに深刻な脆弱性? つぶやきを見ただけでアカウント乗っ取りの恐れ - ITmedia News
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0908/27/news025.html

Twitter中毒について
http://urarara.blogspot.com/2009/01/twitter.html

http://ascii.jp/elem/000/000/212/212822/

Twitter、著名人の成りすまし問題で「Verified Account」を導入へ
http://journal.mycom.co.jp/news/2009/06/09/069/index.html

Twitterで「良好な人間関係」を維持するために--フォロワー管理に役立つ6つのツールスペシャルレポート - CNET Japan
http://japan.cnet.com/special/story/0,2000056049,20382690,00.htm

Google、Twitter買収で最終段階か--TechCrunch報道ニュース - CNET Japan
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20391058,00.htm

Twitter議員 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Twitter%E8%AD%B0%E5%93%A1

オバマからのTwitterメッセージ:瀧口範子「シリコンバレー通信」
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/column/20081106/1009471/

なぜオバマ大統領は「Twitter」をやめたのか at ブログヘラルド
http://jp.blogherald.com/2009/02/27/why-did-obama-abandon-twitter/

Twitterの重大なセキュリティ問題がまだ未解決状態のままだ on 2009年8月27日
http://jp.techcrunch.com/archives/20090826massive-twitter-security-problem-not-resolved-just-yet/

Twitterのfollowing-followers大量消滅に見るTwitter運営の問題点 OKの日記
http://oksoftware.blog52.fc2.com/blog-entry-982.html

オバマ米大統領、SNSの危険性をティーンに警告 世界のこぼれ話 Reuters
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-11417720090909

SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%B9

J-CASTニュース イラン美少女惨殺を速報 メディア変える「Twitter」
http://www.j-cast.com/2009/06/22043748.html

「産経Twitter事件」は何を意味したか=「編集の重要性」と「読者の囲い込み」
http://news.livedoor.com/article/detail/4336753/

ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報 ジェイ・ロックフェラーが、サイバーテロ対策でネット切断法案 ←中田安彦さんのblog
http://amesei.exblog.jp/10206878/

→注.ジェイ・ロックフェラーは、小沢さんの「日本改造計画」にも寄稿しています。

非常事態発生時、全国民のネット切断に踏み切れる統制法案を検討中 Gizmodo Japan(ギズモード・ジャパン)
http://www.gizmodo.jp/2009/09/post_6097.html

フランス政府、スリーストライク法案を蘇らせようと画策 P2Pとかその辺のお話
http://peer2peer.blog79.fc2.com/blog-entry-1497.html

違法コピー常習者はネット切断、プロバイダー業界が合意 - 自動ニュース作成G
http://gnews.x0.com/20080315_201811/

児童ポルノ画像を勝手に保存するウイルス「MELLPON」と児童ポルノ単純所持を通報するウイルス「Noped」
http://news.livedoor.com/article/detail/3652680/


砂曼荼羅(砂曼陀羅は、絵が完成したら、形として残さずに砂に回帰させます)
http://www.tibethouse.jp/event/2006/sandmandala/index.html

http://www.mmba.jp/daisyoin/02Avalokiteshvawa.html


最後に、ゲシェ・ソナム・リンチェン師の法話から一部抜粋して、このテキストを締め括りたいと思います。
こうした事象について日頃から考える習慣こそが、「プロパンガンダ」などの洗脳から逃れ、本質を見極めるのに必要なことだと
考えます。政治を窺うのも、先ずは、正しい見極めや、情報の本質を見抜く目、全体を見通す力が必要なのではないでしょうか?
当り前に思っていることを、「そう言えば何でだろう?」と考えてみるとか、洗脳教育の道具「テレビ」について考えてみるなど・・・・続く。

僕は、今はPODAM「日本テレビ放送網」と、「プロパガンダ」による洗脳支配の実態を広く知ってもらう為に、テキストを作成している最中です。
10月始めには、阿修羅に投稿出来ると思います。

ゲシェ・ソナム・リンチェン師の法話より抜粋

http://www.lung-ta.org/buddhism_teaching/teaching5.html


-------------------------引用開始--------------------------


「人は、実に様々な性格、能力、希望を持っているものだ。
心に浮かぶ心象は、ときには水に描いた絵のようであったり、砂に描いた絵のようだったり、石に刻み込まれた絵のようだったりする。

そして、その心象は、心に様々な余韻を残す。
故に、煩悩による悪い感情や業は、水に描かれた絵のように不安定で、消えゆくものとしなければならない。
反対に、肯定的な良い感情、例えば信、親愛、慈悲、智慧、菩提心などは、
石に深く刻まれた絵のように、簡単には消えず、安定したものとしなければならない。

この為には先ず、仏の教えを聞き、聞いたことに対して何度も考え、瞑想により習慣づけることにより、
心に染み込み、馴染むようにするという段階的過程が必要なのだ。
こうして、心に善なるものを深く刻み付けることが出来るようになるだろう。

心が仏の教えと一体となった人を、「仏の教えを体現する者」と呼ぶ。
だが、自分の心はこちら、仏の教えはあちらに置き、その間に大きな象ほどの距離をおきながら、
仏の教えをアカデミックに求める者もいる。勿論、その者は学者にはなれるかもしれない。
だが、仏の教えはその者の心に何の影響も与えることがなく、性格はいつまでも変わらないだろう。

だから、仏の教えを聞くときには、本当にそれを自分に言われたこととして受け取り、
自分の限界、欠点をなくす為に、また、良き性格を増すために使おうと思うことが大切なのだ。
だからこそ、仏の教えを聞き、考察し、瞑想するときには、正しい動機を持たねばならない。
自分の心を善なるものに変えようとする正しい動機を。

『死に対し準備せよ、執着心を捨てよ』と言う教えは仏教だけでなく、他の宗教や、宗教に関わらずとも一般的な教訓にもあるだろう。

仏教においては、人生は死によって終わるのではなく、来世、来々世と永遠に続くものだ。
どんな来世を受けるかは、今生の善悪の業による。
業が影のようにその人の死から中有、再生のプロセスに従いゆく。

初めにも言ったように、悪業は水に描いた絵にように、善業は石に刻んだ絵のようであるべきなのだ。
悪業をなしたとしても、すぐに悔い改め、懺悔することにより、水に描いた絵のように流れさることが出来るであろう。

そして、善なる感情、思考、行動は、
石に深く刻み込まれた絵のように、堅固で安定したものであるようにせねばならない。これが仏教を行じることなのだ。

善なる感情が心に強く印象づけられれているならば、死が近づいたとき、
自然にその力により、肯定的な感情を持つことが出来るし、これが良き来世を得る大事な因となるであろう。
善なるものに習慣づくことが大切なのだ。

こうして序々に完全なる解放へと近づくことが出来るであろう。
煩悩に惑わされた行動や言動を捨て去り、心が浄め清められたならば、もう二度と輪廻を繰り返すことのない覚者、仏陀となるであろう。

先ず、人を傷つけるような行動、言動を慎み、心は常に肯定的な善なるものに向かい、
怒りや執着といった悪い感情が起きないようにしなければならない。
この最も効果的な方法として、仏は『先ず、我への執着を捨てよ』と説かれた。
自分可愛さの故に、自分を守ろうとして、人は時に他人を傷つける。
この我への執着こそが、全ての苦しみの原因なのだと仏は説いた。
そして、この我への執着は、自分というものへの誤った見方から生じると説いた。

ありもしない「自分」「私」という心象、考えに縛られ、人は時に暴君として、
或いは「自分」を守る剣士として、立ち振る舞う。
その「自分」「私」は存在しない、「空」なるものだと理解し、
自分で勝手に作り上げた「私」という心象から自由になることが、正しい分別だと仏は説いたのだ。
「私」が無ければ、「私のもの」と言って所持するものに執着することも無いだろう。
「私」が傷つけられた、「私」が侮辱されたといって怒ることもなかろう。
そんな「私」はどこにもいないのだから。

「私」の損得を中心に行動するのを止め、人の幸せの為に行動せよと仏は説く。それこそが、自分に幸せを齎すのだ。
何故なら、
「私」とは、自分が思っているような固定された像ではなく、
相手との関係性の中で、一時的に生じ、また消えゆく無常なものなのだから。

だが、こう理解するだけでは十分ではない。仏教は、そこに至高の優しさ、慈悲を求めるのだ。
だが、すぐには難しいであろう。
先ずは、悪いことをしない。悪口や嫌み、人を傷つけるようなことを言わないといったことから始めよう。
遠い所ばかりを眺めていても仕方がない。先ずは今立っている場所から、歩き始めるのだ」


-------------------------引用終了--------------------------


≪BGM≫

YouTube - SAWA - ManyColors (Produced by Takeshi Hanzawa FreeTEMPO) ←本文とは、“色即是空”繋がりだったりする・・・・
http://www.youtube.com/watch?v=fND6QTju3q4

YouTube - Perfume Dream Fighter Live 2
http://www.youtube.com/watch?v=L-_Nna3894A&feature=related

YouTube - Perfume Dream Fighter Live 3
http://www.youtube.com/watch?v=FkZk55zk3wY&feature=related


 

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