★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK72 > 865.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
JR西日本に対する情報漏洩問題、昇降機事故対策委員会、中小企業金融におけるコンプライアンス評価など(郷原信郎記者レク)
http://www.asyura2.com/09/senkyo72/msg/865.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2009 年 10 月 07 日 18:21:06: twUjz/PjYItws
 

2009年10月1日
第72回定例記者レク 

              名城大学コンプライアンス研究センター 郷原信郎

 今日のテーマのうちの一つは、先週以来問題になっている運輸安全委員会のJR西日本福知山線の事故調査報告書のJR西日本への情報漏えいの問題、それと少し前に、おなじ国交省の昇降機事故対策委員会の調査報告書が公表されたことに関して、スイスのシンドラー本社がこの件について国土交通省に抗議文を出したという問題です。両方とも国交省の関連する事故調査に関する報告書の問題なので、この2つの関連なども考えながらお話したいと思います。

 まず運輸安全委員会のほうですが、率直に言って、こういう問題が発生して運輸安全委員会の信頼が著しく損なわれたことを、私は非常に残念に思っています。3〜4年前からこのコンプライアンス研究センターでも 事故の原因究明と再発防止策を、重要な研究テーマの一つにしてきました。この問題に関して、日本では、刑事責任の追及がかえって事故原因究明と再発防止の支障になっている、本当の意味での再発防止のためには、刑事責任追及とは別に事故調査委員会の調査の充実を図っていかなければならないということを、ずっと述べてきました。そういう面では、少なくとも航空機や鉄道の事故について、事故調査委委員会の組織・権限が強化され、他の調査委員会と比べるとしっかりした体制になってきたことは確かです。この福知山線の事故についても、従来は警察の捜査が先行され、調査委員会の調査がなかなか十分には行えなかったのが、今回は調査委員会中心に事故原因の究明が進められ、かなり充実した調査がなされたと思っていました。
  ところが、そもそもこの報告書の内容が公正で中立性を保ったものだったのかという重大な疑念生じさせることになったのが、運輸安全委員会から事前にJR西日本に漏れていた、あるいは委員会の委員長も含めた委員と、JR西日本幹部との間で何度も通常的な接触がされていたという今回の問題です。

  改めて考えてみますと、これは、運輸安全委員会側のコンプライアンス問題であると同時に、そういう情報を委員の側から収集しようとしたJR西日本側の、企業のコンプライアンス問題でもあると思います。
 企業のコンプライアンスという観点から考えますと、こういう情報収集行為につき、JR側には、おそらく旧来の感覚から そんなに悪いことをしている認識はなかったのではないかと思います。要するに、事故を起こした立場から再発防止に係る取組みをするに当たって、専門的な立場から調査をしている委員会の意見を参考にしたい、報告書が仕上がっているなら早くみたい、そういうところから情報収集の動きが生じたのだと思います。そういう面からは、JR西日本側には悪いことをしているという認識があまりなかったのではないかと思います。
 しかし、私は、そこに、JR西日本という企業の側にとって、今回の事故が自分達企業にとってどういう問題があったかということの認識について不十分な点があったのではないかと思っています。
 事故直後からの経過を思い起こしますと、JR西日本は事故後の対応について社会から大きな非難を受けました。責任回避的態度をとり、被害者・遺族への配慮が欠けていたということで、100名以上の犠牲者を出したこの事故の重大さ、悲惨さが、ますます大きく取り上げられ、結局、従来の鉄道事故では考えられなかった業務上過失致死での企業トップ刑事責任追及に発展しました。それによってますます大きな批判をJR西日本が受けることにつながったわけです。
 事故調査委員会について情報を収集するということは従来の感覚からするとそれほど問題のある行為でない。しかし、JR西日本が事故発生以来社会から受けてきた批判からすると、もしそれが明るみに出た場合、どれだけの社会的批判を受けることになるかを十分に認識しなければならなかった。ところが、そういう観点が欠落していた。その結果、JR西日本側も、運輸安全委員会の側も、大変な批判と、信頼性の失墜という結果を招いてしまったわけです。
  改めて、こういう問題について、とりわけ加害者の企業には、社会の姿勢、我々のいっているところの社会の要請に応えるという意味のコンプライアンスの重要性をこの際、再認識して頂きたいと思っています。今回の問題は、長い間、多くの人々の努力によって事故調査委員会の充実が図られてきたのにも関わらず、その時計の針を大きく後戻しさせてしまうような結果になりかねないということを懸念しています。
 最悪なのは、やっぱり事故調査委員会のような中途半端な機関は駄目だ、そういう機関が調査をやっているから情報漏えいなどという問題が生じるんだ、捜査機関のような厳正中立な組織でないと駄目だ、という風に、議論が捜査機関中心に戻ってしまう、もともと限界のある個人責任追及という観点でしか捉えられないということになることです。刑事責任追及に偏った事故の調査捜査、証拠収集や事故原因の究明という方向に、日本の社会として向かっていくべき方向性が誤ってしまわないか、その辺が非常に心配です。

 この問題と対比して考えるべき題材としてのエレベーター事故の問題ですが、初めに改めてお断りしておきたいのですが、私は2006月12月から2007年6月までの間、私はスイスのシンドラー本社との関係で、独立アドバイザリー委員会の委員長として、アドバイスをする立場にありました。それ以降同社とは契約関係はありませんが、そういう立場にあったこともあって、港区のシンドラー製エレベーター事故問題についての日本での動きに関しては、いろいろ情報が入ってきますし、また、必要に応じて連絡がとれる立場にあります。
 一方で国交省との関係では、私は公正入札調査会議の委員ですし、何か国交省で不祥事があった場合の対策委員会の委員を務める立場にもあります。そういう意味では、私は今回のエレベーター事故の問題に関して直接業務として関わる立場ではありませんが、シンドラーと国交省の両方につながりがあるので、この問題については、どちらにつくということではなく、この問題が適切に解決されるように、できる限りのことをしたいと思っています。下手をすると国際的な通商問題に発展しかねない、そういうような問題と認識していますので、国交省とシンドラー社の間に立って、そういう重大な問題に発展しないよう、自分としてできる限りの対応をしているということです。

 そういう立場を前提にコメントさせてもらうと、まず今回公表された国土交通省の昇降機事故対策委員会の報告書の中身は、一言でいえば極めてレベルが低い、出来の悪い報告書であると思います。この程度の事故調査しか出来なかったことについて、報告書の作成名義人の委員長の向殿明治大学教授自身も、先週土曜日のNHKでの番組でのインタヴューを受けたなかで、体制も不十分で、権限もないので、本格的な事故原因の究明、十分な調査ができないと言っておられました。
 しかし、そうであればなおのこと、ろくな原因究明・調査もできなかったのであれば、報告書の内容もそれに見合った程度に留めるべきだと思っています。それをあたかもシンドラー社の製品の安全性に問題のあるかのような報告書をこの時期に殊更に公表し、しかも、実際は、国交省の事務方が公表の2日前に国交省記者クラブの記者に報告書を提供し、その段階で記者会見を行い、それに基づいて報道が行われたわけです。その報道の内容は、揃って、シンドラー社のエレベーターの設計や安全性に問題があることを公式の報告書で初めて認めたというものでした。
 現時点では本当の原因究明ができない、ろくな調査が出来ないということを明らかにしているのにも関わらず、一方的にシンドラー社に責任があったかのような公表を行うようなやり方は、極めて大きな問題だと思っています。
 手続的な問題についてシンドラーが抗議したのも当然ではないかと思います。少なくともこういう内容の報告書を公表するに際しては、社会的に非常に大きな反響が生じること、シンドラー製品の安全性に問題あり、との報道が行われることを当然予期すべきだと思います。実質的にはこの公表はそれを意図したかのようなものでした。先ず手続としては、シンドラー社側に十分に弁解・意見を聞くべきだった、これは当然のことです。それなのに、そういう手続を踏むことをしないで報告書の公表が行われたのは、先進国の行政がやることとして信じがたい、というのがシンドラー側の強い抗議・反論です。
 しかもこの件については、本当は事故原因、時間の関係で、いろんな要因が競合しておきています。製品の欠陥の問題ではないという警察の捜査による結論もでています。にもかかわらず保守の問題に関して、保守を行っていたSEC、その前の前に保守を担当していたシンドラー社幹部が起訴され、刑事責任が問われる一方、遺族からの民事訴訟も提起 されている。こういうような中で、それを訴訟の場で争って行きたい、責任がなかったことの反論をしていきたいとしていたシンドラー側に、何ら弁解の機会を与えることなくそれを無視して公表した、この点で本件の報告書公表には重大な問題があったと思います。
 内容面についての問題は、警察捜査の結果、ブレーキの故障、そしてコイルがショートしたことによってブレーキの不具合が生じそれが効かなくなったということが客観的な原因だということが判明しているわけですが、それに対して、この報告書では事故後隣接機のエレベーターの不具合が多発したことをひとつの問題として取り上げています。隣接機がインバーターからのノイズの影響を受けやすいような構造であったことを問題にして、それが不具合の多発した原因ではないかと推測されると記載されています。
 しかし、常識的に考えてみても、本来2つのエレベーターで運んでいた建物の住人を、事故後1つのエレベーターで運ぶことになったら、負荷が相当増えるのは当然です。それがエレベーターの不具合の発生にどんな影響を及ぼしたかは、解明されていません。しかも事故を起こしたエレベーターは事故後三菱製のものに取り替えられています。その取替え作業の際には電気的な作業なども行っており、そういったことも隣接機に影響し得る、そういう様々な要因がありうるわけです。
  それなのに、ノイズの点だけの影響を部分的に取り出し品質上の信頼性に問題があったと推測しているのは科学的に成立しない見解だと思います。
 また、この調査報告書での事故原因の捉え方は極めて偏ったものになっています。
 エレベーターの管理者である港区の側にも、シンドラー側から提供されていたマニュアルに基づいて保守業者にきちんとした保守を要求しなかったことなど、重大な問題があります。それどころか、保守業者の点検が不十分だったことについて保守業者も過失の刑事責任を問われているわけですが、それについても調査報告書は事故原因として指摘していない。報告書では、正規のマニュアルが保守業者に提供されていなかったことしか言っていません。正規のマニュアルがなかったらプランジャーなどの微妙な調整はできなかったかも知れませんが、点検できていたらブレーキがこすれて黒い粉が落ちていることがわかって、そうすればブレーキの異常に対応できていたはずです。自分達で直さないにしてもメーカーに直してもらう等して安全性を確保できたきはずです。安全確保の面から一番重要なのは異常な状態を発見すること、その最低限のことを問題として指摘していない点で、この報告書は完全に片手落ちです。
  もう一つの根本的問題は、日本のエレベーターの規格・基準の問題です。ダブルブレーキが篭が下に落ちる方向ににしか要求されていなかった。そういう日本の基準に問題があったのは間違いないんです。篭が上昇する方向へのダブルブレーキを基準化したエレベーターの新基準は、事故後、3年以上も経った今週からようやく施行されました。これは国交省自身がその基準の問題性を認めたようなものですが、しかし、国際的には当たり前であった上下のダブルブレーキシステムが基準化されていなかったという問題点も、報告書は一切触れてないのです。

 日本の建築基準法は既存不適格に適用されないので、新基準の導入が遅れたことでこの3年間に設置されたエレベーターは危険なまま放置されることになります。新基準の施行に関する今週の月曜日の朝のNHKのニュースで、遺族の市川さん、なぜこの新基準が既に設置されているエレベーターに適用されないのか強い不満を述べておられましたが、全くその通りだと思います。事故から3年以上も経って初めて新基準を適用して、しかもそれ以前のものには何で適用しないのか。こういう問題がわかっているのに報告書は何でこれを書けないのかというと、要するに、この調査委員会が国交省の社会資本整備審議会の下に設置された組織だからです。人員や調査権限が不十分という問題だけではなく、事故の原因究明を行って、それを社会に対して明らかにする姿勢の問題、ポリシーの問題だと思います。  私は事故の原因究明と責任追及に関する研究会やシンポジウムで、今回の委員会の委員長を務められた向殿教授といろいろお付き合いがありましたので、報告書の内容について聞いてみたところ、報告書の「意見」の中で品質に問題があったと書いてはいるが、それは、事故機は品質上の問題があった、事故機は結果的に事故を起したんだから問題があったということをいっただけで、それ以外のシンドラー社製の同型機に品質上の問題があったとは言っていない、という話でした。しかし、それは当然です。事故を起したんだから結果的に問題はあったんです。
  問題は、なぜ、事故機は既に取り替えられているのに、シンドラー社の同型機について、再度点検して安全性を確認すべきという意見になるのか、ということです。論理的にまったくありえない記載です。およそエレベーター事故に関する調査報告書として最低限のレベルに達していないわけです。こういうような報告書でシンドラー社の製品全般の品質への信頼がそこなわれたのは重大な問題だと思います。 この報告書の問題は、日本という国が事故原因の調査につき、どのような体制でどういう方針・スタンスで臨んだのかということについて、重大な不審を招くことになりかねないのではないかと思います。
 ちょうど同時期にJR西日本の報告書が公表され情報漏えいが問題となって、ある意味では中立公正であるべき運輸安全委員会という事故調査委員会が日本企業である加害者側のJR西日本側にねじ曲げられているかのような疑義が生じさせました。その一方で、逆に、このエレベーター事故のについては、当事者である外国企業のシンドラー社の存在を無視して一方的に不利な内容の報告書が公表されたわけで、両者を比較すると極端に不公平な取扱いが行われたように疑われても致し方ありません。
  同じ国交省という官庁内で、日本という国の外国企業に対する取扱い対応として、日本行政による非常に不公平な扱いである、ということを主張して、シンドラー社がWTOに提訴する事態にでもなったら、全く反論できないのではないかと思います。
 ただでさえ最近、EU諸国と日本との内外不均衡という問題は深刻な問題になりつつあります。最近では独禁法の問題で、日本企業が信じられないような高額の制裁金を科されたりしています。WTOが公式に行う措置とは別個に、ヨーロッパの当局が別のところで、日本企業に対して重大なマイナス、損失に繋がるような不公平な対応をしてくる可能性もあります。そういう意味ではこのエレベーター事故についての調査報告書の問題は、JR西日本の報告書の問題と同様に、極めて重大で深刻な問題だと私は思っています。


 二番目のテーマですが、ちょうど3日ほど前に日経ビジネスオンラインに、中小企業金融にコンプライアンスの視点を、と題する論考を寄稿しました。ここで私が言いたかったのは、今いろいろ話題になっている返済猶予制度、モラトリアムの問題に関してコンプライアンスという視点で考えたらどうかということです。  亀井金融相が入閣後、この制度の導入を強く示唆し、法案を提出すると言っています。それが銀行業界、金融機関からの反発を受け、それが東証での金融株の値下がりという事態になっているわけです。  基本的な認識ですが、昨年秋のリーマンショック以来、日本の企業は全体的に厳しい状況にあります。大企業は少しずつ最悪期を脱出しつつあるようですが、中小企業はまだまだ酷い状況です。倒産、廃業なども依然かなり高い数字で推移しています。こういった問題は社会的に考えてみると、景気がいいときならば、潤沢に融資を受け、健全な事業を行い成長していける中小企業が、今日のような厳しい状態の下では銀行から融資を止められたり、銀行側がいわゆる貸し渋り、貸しはがしのようなことを行うことによって、本来なら社会の要請に応えうるのに、倒産廃業に追い込まれていくというのは、社会的にみても大きな損失だと思います。そういった意味では、返済猶予制度によって、何とかそういう救われるべき中小企業を救いたいという気持ちは判ります。
 だからといって亀井金融担当大臣が言っているのが一律に中小企業を救済するという意味であれば、中小企業というのは玉石混交で、中には色んな問題を抱えている企業もあり、経営姿勢や経営者の資質や反社会的勢力等の結びつき等の問題がある、そういう企業もあるわけですから、それらを含め全て救済対象に含めるのだとすると、逆に大きな社会的問題を引き起こすのではないかと思います。そう考えるとそこではある程度選別の必要があり、その方法が問題になってくると思います。
 これまでの日本の金融機関は中小企業に対する融資に際し、返済の確実性というところが中心で、それにちょっとでも問題が生じるような、担保不足や業績悪化ということになるとただちに回収に走る、そういう単純、まあ単純とまではいえないにしても、そういった方向にかたよった金融機関の姿勢に少し見直すべき点があるのではないかと思います。それは、私の言うところの広い意味でのコンプライアンス、社会の要請に応えるという意味でのコンプライアンスのレベルを評価する。その要素としては、経営者の姿勢や 自分達の事業活動につきどうやって社会的要請に応えて行こうとしているのか、そういった観点から評価をして、救済すべき、救済に値する中小企業といえるのであれば、思い切って返済猶予等を行うということもあっていいと思います。むしろこういう状況下では、そういう融資は金融機関の社会的責任の一つではないかと思います。
  そういう意味で、今回亀井大臣が主張しているモラトリアム制度、これをそのまま導入していくのは難しいが、その方向性を何とか活かすのであれば、私は金融機関の側が、今まで以上に融資先の中小企業に対してコンプライアンス評価を充実させていく、それを社会的付加価値の向上に結び付けていく、そういうことが社会的責任とも言えるのではないか。結果的にその企業が倒産するという場合は、国がある程度支援・補填していくこともあっていいと思います。

  そういう中小企業に対するコンプライアンス評価の一例として書いたのが、公共調達に関する建設業者のコンプライアンス評価の問題です。ご存知の通り、私は和歌山県、山形県、東京都、京都府などで、公共調達制度の検討の取りまとめを行っている立場にあります。その中での基本的視点は、公共事業の大幅削減によって建設業界が大幅な供給過剰状態にあり、これを何とかしていかないと公正な競争基盤が形成できない、品質と価格のバランスの取れた競争とその淘汰が健全に働くように、悪貨が良貨を駆逐するということにならないように その地域の社会全体の要請に応えていけるような建設業者が生き残っていける環境の実現をしていくべきではないか、そういったことを言ってきたわけです。 そういう意味で、コンプライアンス評価を、業者の格付けの中や、入札参加資格の要件という発注制度の中にとりいれていくことを提言してきました。
 しかし現状はなかなか難しい状況にあります。色々な原因がありますが、公共工事の発注者は沢山あるわけで、特定の発注者だけがコンプライアンス評価を取り入れても業界の現状を全体的に変えるのは難しい、そこで、発注制度面からのアプローチを補うものとして、金融機関の側が建設業界の中で社会の要請に本当に応えて生き残っていけるような業者を評価していく、そういった業者に思い切って金融上のメリットを与えることによって、競争条件の差をつけていくべきではないか。それが、社会的要請への適応としてのコンプライアンスを金融機関が評価するということのイメージを具体的に認識していくことを可能にするのではないか、と考えてあえて書いてみたものです。

  実際にこういうコンプライアンス評価というものを金融機関側が取り入れていくには、課題が多いと思います。評価要素を誰がどう選定するか、そのためのスキルをどう身につけていくか。評価のコストをどうするか。メガバンクではシステム作りは何とかなるにしても、信用組合や信用金庫等ではそんなコストの捻出は難しいと思います。その場合に業界全体でどういう仕組みを作っていくべきか。
 そういうシステムづくりの側面に加えて、アメリカではこういう考え方の融資が行われることがあって、それが上手く行かなかった例として、地域再投資法、CRAというのが挙げられることがあるようです。金融機関は黒人は貸倒率が高いということで融資を渋っていたが、それを法律で黒人にもきちんと住宅融資を行われるようにした。その結果、貧困層の黒人が沢山家を建てたことで、大量の住宅ローンの貸付債権が焦げ付いた。それがサブプライム問題に繋がった、ということのようです。
 そういう意味で、中小企業への融資にコンプライアンス評価を導入するというのも簡単ではないのですが、日本の国民性、企業のあり方を考えた場合に、社会的要請の要請に応えていくという視点の融資を導入することも不可能ではないのではないかと、私なりに考えてみたことを提案してみたというのが、私がこの寄稿をした理由です。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > 政治・選挙・NHK72掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

★コメント投稿フォーム (1000字まで)
よかったら一言、ここに感想などお聞かせ下さい。
コメント投稿するとすぐにこの上部に表示されます。
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):

ch1:    ch2:  

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。