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| 2006年3月。東京メトロ高田馬場駅構内を歩いていて、一枚のポスターの前で足がとまった。ミュージカル女優の新妻聖子さんが微笑んでボール(地球?)を抱えている。「もっと知ってほしい。自衛隊のイラク復興支援活動」の見出し。ボールのなかに、自衛隊の給水活動や空輸活動などのカラー写真が並ぶ。まるでボランティア活動の宣伝のようなレイアウトである。「122カ所に及ぶ、学校など公共施設の復旧・整備。約1100人の雇用創出(1日あたり最大)。総給水量は53,500トン以上。サマーワ住民の約7割が活動の継続を希望。医療器材などの関連物資を空輸。様々な医療支援」ときて、「日本らしさを活かした誠実な活動と持続力が、イラク復興のために大きな成果を上げています。防衛庁」と結ぶ。女優の笑顔と数字などからは、イラク派遣は実にすばらしいことのようにも思えてくる。この女優は、関連サイトに自筆メッセージを寄せ、「日本人として嬉しく思います」と書いている。なお、ポスターの掲示期間は短く、次に通ったときには撤去されていた。 「復興支援」。響きこそいいが、忘れてはならないことがある。イラクに「復興」を必要とする悲惨な状況を作ったのは誰なのか、である。 フセイン大統領の独裁政権は、北部のクルド人に残虐な仕打ちをしてきた。「大量破壊兵器」保有の「疑惑」も存在した。1991年湾岸戦争で多くの犠牲者を出し、国民生活はどん底だった。経済制裁で薬品や食料が不足し、多くの子どもたちが死んでいった。その疲弊したイラクは、歴史と伝統のある中東有数の国であり、国連創設時の51カ国の一つである。そのイラクという国家を、安保理決議もなく、自衛権行使の要件もクリアしないのに、最新兵器の展示会のような過剰な武力の行使によって崩壊させ、悲惨な無秩序状態を作りだした張本人は誰か。「侵略の定義」(1974年国連総会決議3314)に当てはまることを公然と行ったのは、ほかならぬ米国ブッシュ政権であった。 イラク特措法で派遣された陸自「復興支援群」は、宿営地サマーワで、「自らを衛る隊」に徹して、2年半、死傷者も出さずに撤収した。給水活動にしても、1リットルに換算したら「世界一高い水」になるだろう。現地の人々にとって、それなりに「役立った」ということをもって、自衛隊派遣の本質的問題が解消するわけではない。小泉首相(当時)が選択した、自衛隊派遣というブッシュ支持の方策は、イラクに対する侵略戦争と違法な占領統治への加担行為として評価されざるを得ない。「自衛隊の国際政治的利用」を外交カードとしたい政治家たちや、これに便乗して「普通の軍隊」を目指す高級幹部。イラクで実際に活動したのは、饒舌な政治家や高級幹部たちではなく、自衛隊を「職場」として選択し、与えられた任務を誠実に果たす寡黙な陸曹クラスの隊員たちであった。 ここに、10次にわたるイラク復興支援群のなかの、ある部隊の隊員がイラクに持参した『隊員必携(陸上幕僚監部)〔第3版〕』がある。持ち物について、肉筆の書き込みもある生々しいものだ。現地情勢、国際法等、突発事案対処、通信、兵站、衛生、英語、現地語、生存自活の大項目に、カラー写真をふんだんに使った詳細な記述がある。「不測事態時の行動原則」は「近づかない」が大原則。「自爆テロ」には『近づかない』『射つ』『離れる』、「デモ・暴動」には『頼む』『間を取る』『入れない(宿営地)』『離れる(宿営地外)』などが続く。 さて、別刷の『サマーワ配置図』はもっとリアルである。「第1ゲート」図を見ると、MG(機関銃)陣地などがあり、サマーワの宿営地は「引きこもる」ための要塞と化していることがわかる。「警報発令区分」を見ると、迫撃砲の攻撃を受けた場合の警報(クラクション「ブーーブーー」)や襲撃警報(クラクション「ブブブブブブ」)などが列挙されている。「警衛隊」の編成基準を見ると、巡察班、阻止班などと並んで、「デモ対処」という部門もある。現地の人々と治安出動的発想で向き合う姿勢が見てとれる。平和的な復興支援とはかなり距離がある。イラクには、初めて110ミリ個人携帯対戦車榴弾「パンツァーファウスト3」をもっていったから、これを使う事態が起きなかったのは「不幸中の幸い」に近いことというしかない。 2008年4月17日、その空自の輸送活動に対して、憲法9条1項の「武力行使」に該当するという画期的判決が名古屋高等裁判所で出された。判決は、バグダット空港を「戦闘地域」と認定し、空自の輸送活動を違法なものと断定した。また、武装兵員の輸送という行為は、武力行使との密着度が多角、自ら武力行使を行ったと同等評価される部分は、憲法9条1項違反とされた。 今後、「国民の知る権利」の観点から、これまで非開示にしてきた「秘密」の類の公開を求めたいと思う。とりわけ、1985年8月12日の日本航空123便墜落事件の真相をはっきりすべきである。圧力隔壁の破損などではないことは、大方の関係者にはわかっていることだろう。権力が関わった、この巨大な「国家秘密」の闇が、来年の「事件」から25周年を前に明らかにされる時が近づいている。 |
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