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【オンザウェイ・ジャーナル「月刊 寺島実郎の世界」の紹介】
http://www.asyura2.com/09/senkyo73/msg/481.html
投稿者 matuoka yuuji 日時 2009 年 10 月 18 日 01:55:38: noT716RWWrvIk
 

【オンザウェイ・ジャーナル「月刊 寺島実郎の世界」の紹介】


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オンザウェイ・ジャーナル 「月刊 寺島実郎の世界」 の紹介

  オンザウェイ・ジャーナル「月刊 寺島実郎の世界」。この番組では、政治・経済・社会そして文化、歴史にまで視野を広げてこれからの日本のあるべき姿をテーマに、財団法人日本総合研究所会長で三井物産戦略研究所会長、そして多摩大学学長の寺島実郎さんと共に考えてまいります。
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最新の動画 vol.1[2009/9/26,27 OA]
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[2009/9/26,27 OA] :

今週のテーマは、 「ハンガリーという国に想う−原爆との因縁」。

寺島さんは、中東協力現地会議が行われたウィーンからハンガリーのブタペストの視察に行かれたそうで、「原爆」というキーワードで日本とハンガリーの因縁についてお話を伺います。

                      2009.10.17

【出展引用リンク】:

   http://www2.jfn.co.jp/tera/index.html">http://www2.jfn.co.jp/tera/index.html

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【参考リンク1】:【寺島実郎】:wikipedia :

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%B3%B6%E5%AE%9F%E9%83%8E

【同上リンク抜粋】:
北海道雨竜郡沼田町生まれ。幼少期を芦別市で育つ。北海道札幌旭丘高校卒業、早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了後、三井物産入社。ニューヨーク本店業務部情報・企画担当課長、ワシントン事務所長、三井物産常務執行役員などを経て、2009年から現職。

著書『新経済主義宣言』で第15回石橋湛山賞を受賞。

既に1970年代末から論壇に寄稿を始めているが、1980年代末から米国の政治経済や日米関係を論じる知米派論客として広く注目を集めた。以後今日に至るまで論壇で活発に活動している。政治経済における東アジア統合を唱えており、憲法9条2項の改正とともに、対等な日米同盟とアジアでの多国間安保関係を提唱する一方で、軽武装・経済国家路線の堅持を説くなど、穏健な保守派として知られる。ジョージ・W・ブッシュ政権となって以降はしばしば反米的な発言をするが、本来は親米派であり、「親米入亜」(雑誌『潮』)を標榜している。

商社勤務の経歴を生かし、エネルギー戦略の観点から外交・安全保障・経済政策などを論ずることが多い。日本のエネルギー戦略の脆弱さを指摘して、「日本人は原発をもっと引き受ける覚悟が必要ではないか」(NHK-BS1「世界潮流2006」)と発言したこともある。

アメリカ同時多発テロ事件陰謀説に深い理解を示し、事件の背後には巨大な陰謀がある、ペンタゴンへの航空機突入はアメリカ政府の演出であり実際には突入していない、ユナイテッド航空93便テロ事件の墜落現場は偽装されたもの、自爆犯とされた19人のうち8人は生きている、と主張する書籍『9.11テロ疑惑国会追及』(藤田幸久編著・クラブハウス)のカバー[1]に、「9.11を合理的に直視・再考することの大切さ」「粘り強く事実を追い求めることは、現代史を謎に終わらせないために不可欠である」との推薦文を寄せた(2009年)

社会的活動 [編集]
文部科学省中央教育審議会委員(第1期 - 第4期)
同 国立大学法人評価委員会委員(第1期 - 第2期)

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【参考リンク2】:ジョージ・ソロス : Wikipedia :


http://2.bp.blogspot.com/_5qKmGDArC04/Stnjjt98f0I/AAAAAAAAAdM/aHKjdbiqfdk/s1600-h/240px-Soros_talk_in_Malaysia%E3%80%80George+Soros.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;">http://2.bp.blogspot.com/_5qKmGDArC04/Stnjjt98f0I/AAAAAAAAAdM/aHKjdbiqfdk/s320/240px-Soros_talk_in_Malaysia%E3%80%80George+Soros.jpg" vr="true" />

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%82%B9
【同上リンク抜粋】:
ジョージ・ソロスはエスペラント作家Tivadar Sorosの息子である。カウフマンの伝記“Soros”(2002年)によれば、Tivadarはハンガリー系のユダヤ人であり、第一次世界大戦の戦中と戦後に捕虜となり、ロシアから逃走し、ハンガリーのブダペストで自分の家族と合流した。

ソロス一家は、ファシストの台頭と反ユダヤ主義の広まりに応じて、1936年にアシュケナジムに多いSchwartz(シュヴァルツ)からSoros(ショロシュ)へと姓を変えた(参照:Kaufmann, p.24)。Tivadarは、この新しい名前が気に入った。この名前は、回文であり、それなりの意味があったからである。その意味について、カウフマンの伝記でも明確に述べられているわけではないが、ハンガリー語では「SOROS」は「並びの次」または「指名されている後継者」を意味し、エスペラント語では「上昇するだろう」(「上昇する」を意味するsoriの未来形)を意味する。彼の息子であるジョージは、生まれたときからエスペラントを学んだ。このため、彼は数少ないエスペラント語の母語話者である。ジョージ・ソロスは後に、典型的なユダヤ人家族に育ったことと、彼の両親は宗教的なルーツに対して慎重であったことを述べている。ただし、ジョージの父はユダヤのルーツを誇りにしていた。これは、彼のホロコースト体験を綴った回顧録「Masquerade」にも記述されている。

ジョージ・ソロスは2度結婚と離婚を経験している。最初の妻はAnnaliese Witschak、2番目の妻はSusan Weber Sorosである。最初の妻Annalieseとの間にロバート、アンドレア、ジョナサンの3子がおり、2度目の妻Susanとの間にアレクサンダーとグレゴリーの2子がいる。兄ポール・ソロス(Paul Soros)はエンジニアで慈善家、投資家、ニューヨークの名士としてもよく知られている。

少年期 [編集]
ソロスが13歳のとき、ナチス・ドイツが同盟国であるハンガリーを軍事的コントロール下に置いた(1944年3月19日)。そして、ハンガリーのユダヤ人に対しホロコーストによる殺戮が始まった。ソロスは、短い間だが、ナチスが設立したユダヤ協会に従事した。この組織は、ユダヤ人弁護士たちに退去命令を送るものであった。ソロスは、退去命令がもたらす結果について、関知していなかったと主張した。翌年、ソロスはブダペストでのナチス・ドイツ軍とソ連軍による熾烈な市街戦を生き延びた。その後、ソ連軍による虐殺を目の当たりにしハンガリーを出ることを決意する。この時期、ハンガリーのハイパーインフレーションの間(1945年 - 1946年)、ソロスは初めて通貨取引をした。

1946年、ソロスは西側でのエスペラント青年議会に参加することによってソ連の占領から逃れた。ソロスは幼児期(母語獲得期)からエスペラントを教えられていたので、彼は貴重な「著名人としての」エスペラントの「母語」話者である。

1947年、ソロスはイギリスに移住し、1952年にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを卒業した。1956年にはアメリカに移る。その意図はウォール街で著述家と哲学者として自立するのに十分な資産を稼ぐことにあったと述べている。

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【参考リンク3】: 【ロス・アラモス(Los Alamos National Laboratory、LANL)】
  :Wikipedia :
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%82%B9%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80
【同上リンク抜粋】:以下の通り
ロスアラモス国立研究所(ロスアラモスこくりつけんきゅうじょ、Los Alamos National Laboratory、LANL)は、アメリカ合衆国ニューメキシコ州ロスアラモスに、第二次世界大戦中の1943年に、マンハッタン計画の中で原子爆弾の開発を目的として創設されたアメリカの国立研究機関である。

ロッキー山脈の南端の美しい森林に囲まれた広大な敷地(約110平方km)に2100棟もの施設が立ち並び、1万1300人の科学者・所員が勤務している。現在でも核兵器開発など合衆国の軍事・機密研究の中核となる研究所であるが、同時に生命科学、ナノテクノロジー、コンピュータ科学、情報通信、環境、レーザー、材料工学、加速器科学、高エネルギー物理、中性子科学、非拡散、安全保障など、様々な先端科学技術について広範な研究を行う総合研究所でもある。年間予算は22億ドルで、合衆国の頭脳が集まる名実ともに世界最高の研究機関であり、「合衆国の至宝」 と称される。研究所は「The world's greatest science protecting America(アメリカを守る世界で最も偉大な科学)」を標榜する。複雑系の研究で有名なサンタフェ研究所もロスアラモス国立研究所が母体となって設立された。

初代所長はロバート・オッペンハイマー。ここで開発・製造された原爆が、広島に投下された原子爆弾「リトルボーイ」、および長崎に投下された「ファットマン」である。(詳細:広島市への原子爆弾投下、長崎市への原子爆弾投下)

2000年5月にはセログランデで発生した山火事が研究施設の近くまで迫り、一時施設全体が封鎖された。

放射性物質の厳重な管理を怠ったり、機密情報を収めたディスクを紛失したりするなどの不祥事を続けざまに引き起こし、2004年7月16日に活動を一時停止した。

ロスアラモス国立研究所は、政府が所有し大学などが運営を行うGOCO形式(Government Owned Contractor Operated)の研究所で、エネルギー省の委託でカリフォルニア大学が60年以上に亘り管理・運営を行ってきた。2005年に行われた競争入札の結果、2006年6月からはカリフォルニア大学、ニューメキシコ大学、ニューメキシコ州立大学、ベクテル社(Bechtel)、BWX Technologies、Washington Group Internationalらで構成するLos Alamos National Security(LANS)という連合組織による運営体制に移行した。

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【参考リンク4】: 【オーストリアー=ハンガリー帝国】:Wikipeda :
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%EF%BC%9D%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%B8%9D%E5%9B%BD

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【参考リンク5】: 【ピューリツア賞】: Wikipedia :
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%BC%E8%B3%9E
【同上リンク抜粋】:以下の通り
賞は毎年21の分野を対象とし、このうち20の分野での受賞者に1万米ドルの賞金と賞状が、公益分野での受賞新聞社に対しては金メダルが与えられる。

同賞は、ハンガリー系アメリカ人ジャーナリストおよび新聞経営者ジョセフ・ピュリッツァーの遺志に基づき、1917年に創設された。同氏の遺志により、遺産の一部がコロンビア大学に寄付され、1912年にジャーナリズム科大学院 (Graduate School of Journalism) が創設された。同校は、現在に至るまで、アイビーリーグ唯一のジャーナリズム専門の大学院である。初回は、1917年6月4日に発表されたが、翌年から毎年4月に受賞者が発表されている。受賞者は、独立した理事会により選考される。2006年現在の理事会は、コロンビア大学学長を理事長とする19名で構成されている。うち4名はコロンビア大学関係者(学長、ジャーナリズム大学院校長、他2名)、残り15名は、学外の実務経験者、学者等で、最長任期は9年である。

ジャーナリズムの中でも新聞等の印刷報道が対象であり、テレビやラジオ等の放送ジャーナリズムは対象外である。放送ジャーナリズムを対象とした賞としては、1941年に始まったジョージア総合大学のHenry W. Gradyマス・メディア/ジャーナリズム大学が運営するピーボディ賞と、その1年後に始まったコロンビア大学ジャーナリズム大学院が運営するデュポンコロンビア賞 (DuPont Columbia Award) がある。


沿革 [編集]
ニューヨークワールド紙の発行者だったジョゼフ・ピュリッツァーは、1903年4月10日に死後の財産のうちコロンビア大学にジャーナリズム学部を創設するために200万ドルを寄付する協定にサインしたが、そのうち50万ドルをピュリッツァー賞にあてるという条項があった。ピュリッツァーは記者の資質の向上を願い、やがてコロンビア大学のジャーナリズム学部はミズーリ、ノースウェスタン両大学と並ぶ三大ジャーナリズム学部の一角となる[1]が、ピュリッツァー賞は彼の思惑以上に権威を持つことになる。ピュリッツァーが自らニューヨーク・ワールドで語った内容によると、「社会的不正義と当局の汚職の摘発こそ、審査を貫く基準である」[2]と語り、その基準によって「公益」部門を最上の賞として金メダルを設定した。そのため、権力側が隠蔽していた不正の報道による受賞は、1992年の時点では全体の40%を占めている。 ピューリッツァーの対象となる部門は、遺言を元に当初9部門の賞が設定された。すなわち、ジャーナリズム部門が公益、報道、社説、新聞史の四つ、文学が小説、伝記、アメリカ史の三つ、「戯曲」が一つ、そして「ジャーナリズム学部の発展と改善」をテーマにした論文の一つを賞の対象とした。しかし、新聞史は1918年度のみ受賞者が出ただけで以後取りやめとなり、論文に至っては応募がまったくなかったため、これも中止された。1922年には「時事漫画」が追加され、1942年には「写真」分野も追加される。また取材対象の広がりにあわせてジャーナリズム部門は細分化していった。また、文学も加重されていき、1922年には詩が追加され、1962年にはノンフィクションを追加、さらに小説分野はフィクションに改められ、対象の分野を広げた。1943年には新たに音楽のジャンルも追加されている。 賞金は開始当初のもので、公益が金メダル、アメリカ史が2,000ドル、その他1,000ドルとなっており、その後一律で1,000ドルとなった。その額は物価の変動に関わらず長い間据え置きとなり、1989年にようやく3,000ドルに引き上げられた。

【以上】

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植草一秀の『知られざる真実』:

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コメント
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デービッドやデービッドソン(ダビデから)なんかもユダヤ系の人が好む名前だな。しかし、いくら拘っても所詮、偽ユダヤ人ですから(笑)
2009/10/18 02:54

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