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経済は生き物、国民の側に立つ亀井大臣のような政治家だけがまともな政策を行う 【神州の泉−高橋博彦】
http://www.asyura2.com/09/senkyo73/msg/499.html
投稿者 弥太郎 日時 2009 年 10 月 18 日 16:17:22: 2j9DCs8Lv3S7M
 

【神州の泉−高橋博彦】

2009年10月18日 (日)

経済は生き物、国民の側に立つ亀井大臣のような政治家だけがまともな政策を行う

 「毒蛇山荘日記」の主宰者であり、文藝評論家の山崎行太郎さんが、最新記事「エコノミストは亀井金融相を何故恐れるのか?」で面白いことを言っている。この人は歯に衣を着せぬ言い方をするのが特徴だ。最近、この人の罵倒表現が少なくなったから少し淋しい。さて、山崎さんは日本経済が極度に疲弊したのは、エコノミストという蛮族の旗頭である竹中平蔵などに頼りすぎたせいであり、エコノミストは経済がわかっていないと一刀両断にしている。

 山崎さん曰く、国家国民の経済問題は純粋な経済ではなく、徹底した政治問題であるとずばり位置づけ、本当に経済がわかっているのは、亀井静香大臣のような、重厚で老練な政治家だけであると喝破した。物凄く大雑把な物言いであるが管理人もその通りだと思っている。エコノミストは確かによく勉強しているし、経済学という学問を修め、一般人には馴染みのない語句を駆使していろいろ社会や経済の動向を予測したり推論したりする。

 ただ、そのやり方に、いろいろな分析視点や理論文脈があることはわかるが、実体経済を的確に言い表すことは少ないと思う。ド素人の無邪気さで思いっきり言わせてもらえれば、世界や国家の実体経済は、確立された学問経済の領域をとっくに過ぎて、より複雑により予測し難い性向をもっているように思う。「合成の誤謬」という経済用語も、最近覚えた数少ない経済の知識であるが、実際の経済も、テキスト的な知識経済のみでやると、得られた分析結果にその「合成の誤謬」が起きているように感じる。

 言いにくいが、感じたことをそのまま言えば、実体経済を動かしている方程式は確かにあると思うが、解析に必要な未知の変数が多すぎると思うわけである。例えば日本経済を見る時、表面に出ていない未知の変数として、米国による目に見えない属国支配の圧力があり、これが経済実態に強い影響を与えていると思う。もう一つ目に見えない変数と考えられるのは、日本の階級構造の中で生じているエスタブリッシュメントによる国民支配である。これらを構造方程式モデルで、潜在変数として専門的に捉えることができるとすれば、ある程度の解析はできるかもしれない。

 しかし、それさえも経済という複雑な総体からすれば群盲像を撫でるの観が拭えない。国家や社会の動向は、ニュートン力学的、ユークリッド幾何学的な世界とはまったく違う、生きた有機的な複雑系のシステムである。そういう生きたダイナミズムを把握する時に、机上の理論では到底捕捉しがたい実態があると思う。大きくは新古典主義(新古典主義)経済とか、ケインズ主義とか、その時々の傾向を見ることはできるが、現実は教科書とはるかに隔たっていると思う。

 従って、エコノミストが必死で考え、モデル化して得られたシュミレーションでも、実際とは食い違うような気がする。なぜかと言えば、理論経済は必ず自家撞着の側面があり、現実から遊離した要素に強くこだわりすぎて、その世界では完結した世界が得られても、実態から見れば、一つのミクロレベルの現象だったりする。つまり、そこからいくら完璧に敷衍しても、得られる全体像は合成の誤謬を招いているような気がする。一つの論理に拘泥すると、他の無数の論理が無視され、総体が複雑系の原理で動く経済と乖離するのではないだろうか。

 こんなことを言うと、経済を学問や仕事ととして携わっている人たちは身も蓋もないが、素人の大胆さで言わせてもらえればそういう感じが拭えない。管理人は国家像を有機的な生き物として捉えているが、経済も人間社会の有機的な営為が反映している以上、生きた実態なのではないだろうか。しかも、それは山崎さんが言うように、間違いなく政治の領域だ。生半可な理論よりも、亀井大臣のように海千山千の政治現象を潜り抜けた人だけが、職人のような経験則で国家経済の本質をつかんでいるに違いない。しかも彼は属国状況を知悉している。

 だからこそ、鳩山首相が有象無象のエコノミストや経済学者に意見を聞くよりも、亀井郵政・金融大臣に相談した方がはるかに得るものが大きいと言う、山崎さんの言うことはもっともである。重要なことは、経済を職人感覚で知る者が国民利益の視点に立っていることである。ここで植草一秀さんのことを少し言う。植草さんはエコノミストの中では稀有な存在である。その理由は、彼が理論経済ではなく、政策経済を一貫して貫いているからだ。

 彼は副島隆彦氏との共著「売国者たちの末路」 (P16)で、自分のエコノミストとしての姿勢をこう言っている。「私はある時点から「マーケット・リサーチ」から「ポリシー・リサーチ」に切り替え、研究の重点を政治・経済過程や政策立案に移して、そこをベースにして自分の考え方を構築してきた」と。植草さんの経済分析は、徹底して政治に反映されてこそ意味があると考える、政策実践派エコノミストである。だから、彼の経済分析には学者的衒学性は微塵もなく徹底した政治的リアリズムだけがある。

 ここが彼の強い特徴である。その意味で植草さんが蓄積する経験則や思考過程は、政治にそのまま役立つのである。ここにも職人的気質がうかがえる。山崎さんは一国の宰相はエコノミストなる蛮族は相手にするべからずと喝破しているが、植草さんは別格である。

http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2009/10/post-bd72.html  

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