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日本のプーチン小沢一郎の自己運動   国家官僚資本主義の「内的必然性」について 
http://www.asyura2.com/09/senkyo73/msg/622.html
投稿者 愚民党 日時 2009 年 10 月 21 日 19:46:22: ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 【小沢一郎には油断するな】 国家官僚を批判否定しながら、実は、国家官僚資本主義を2015年体制として基礎構築する小沢一郎 投稿者 愚民党 日時 2009 年 10 月 21 日 19:24:51)

    国家資本主義について

                                 1999.5.18 飯島 広


1,国家資本主義の概念について

 ソ連のように、基本的な生産手段が国有企業と国有農場(協同組合企業・コルホーズも国有工・農場を補完していた)という形態をとり、その管理・運営を党と国家の官僚が独占し、あらゆる決定権を奪われた労働者と農民を構造的・継続的に収奪する社会では、生産手段は実質的には国家資本として機能する。こうした社会は国家資本主義といえる。こうした体制は、直接生産者自身、すなわち労働者自身が生産や分配や消費全般を管理・運営する本来の社会主義とは対極にある社会である。

 ソ連で国家資本主義が成立したのは、1926〜29年の「工業化」とそれを補完した1929〜34年の農業集団化、この二つの結果である。政治的な画期となったのは、急速な工業化の一定の成果の上に農業集団化を打ち出した1927年のソ連邦共産党15回大会であり、36年のスターリン憲法によってソ連における国家資本主義体制は名実とも成立した、と考える。

 なぜソ連で国家資本主義体制が生まれたのかについては、ソ連国家が戦争・革命・内戦から労働者・農民の革命権力として生まれたことが決定的に重要な意味を持った。

 ヨーロッパ革命の挫折の後、ソ連が直面したのは帝国主義諸国の包囲網下という孤立した情況、しかも国民の大部分が農民からなる後発国だという現実であった。こうした状況下でソビエト国家が生き延びるには資本主義への無条件降伏か強権的手法を伴う急速な工業化によって対抗する以外に選択の余地が無くなった。

 しかし無条件降伏といっても、革命と内戦で多くの血を流してきたソビエト国家の指導部にとってそれは反革命やクーデターによる自分自身の破滅と直結したわけで、選択しようがないものだった。それにネップ期以降新たに形成されつつあった党・国家・企業官僚層はすでにソ連社会内部で利権集団化しつつあり、ソ連の生き残り自体が彼らの集団利益にもなっていた。

 結局、戦争・革命・内戦から生まれたソビエト国家という過酷な出自と、その内部に発生した新しい特権階級が帝国主義諸国の包囲網下のなかで生き延びるために選択した特異な方策が、ソ連型国家資本主義体制といえるのではないだろうか。

 新しく生まれた国家はまず自らの延命・保全を考える。

 ソ連国家資本主義を特徴づける労働者・農民の過酷な収奪による急速な工業化による経済拡大路線と軍事大国化路線、及び強制収容所や大粛正に象徴される強権的な独裁体制は、当時の特殊な状況に置かれたソ連国家の支配階級の延命策そのものであった。

2,いくつかの論点について

 1)国家資本主義の「内的必然性」について

 全国社研の国家資本主義論は、「ソ連=堕落した労働者国家」、「反帝・反スタ」などソ連に対する道徳的・観念的批判の克服を意図するあまり(このこと自体は正当)、国家資本主義の成立とその展開について「人民国家」からの「必然的な進化形態」(はじめにC)として、あるいは「内在的な社会発展の法則性、必然性」(はじめにD)即ち体制内部の矛盾の展開=自己運動として捉えすぎている。こうした「客観主義」「決定論的傍観主義」が結果的にはスターリン体制への免罪符ともなっている。

 ロシアの農耕共同体(ミール)がヨーロッパ革命の支援を前提として共産主義に直接移行できる可能性についてマルクスが言及したことを引き合いに出すまでもなく、人民国家が「必然的に」国家資本主義に進化するわけではない。ロシアにおける国家資本主義の成立は、たとえば帝国主義諸国による包囲網、革命から生まれたイデオロギー国家内部の階級闘争、広大な国土や豊かな天然資源の存在など、いくつかの特殊な条件下ではじめて成立したことを見る必要がある。全国社研の国家資本主義論は、帝国主義の包囲網下での国家としての生き残り策という側面の重要性を過小評価していると思う。

 国家の目的としての「固有の歴史的使命」などあるわけではない。いつでもその国家の維持・保全である。その維持・保全の諸方策は、与えられた条件下で自ずと決まってくる。したがってソ連の工業化路線や独裁体制は、後進国革命の「必然的」な「自己運動」というよりも、帝国主義国による侵略への恐怖心から生まれた「対抗戦略」であり、また同時に、足元の労働者・農民の反乱に対する恐怖感からの「対抗策」の結果である。

 「自己運動」「内的発展」といっても、それは対外的・対内的な諸関係の関連の中でソ連の新たな支配階級がいくつかの選択肢から自分たちの階級的利益に沿った一つの道筋を選択していった結果もたらされたものである。

 2)「国家資本主義」の歴史的性格について

 スターリン体制の成立が歴史的に見て進歩的であったのか反革命だったのか、という対立した見解がある。結論だけいえば、私はスターリン体制はロシア革命で成立した「労働者・農民国家の進化形態」という『スターリン体制から自由化へ』(以下『体制論』)の立場を踏襲せざるを得ない。具体的には、生産力の拡大という社会主義の物質的基盤を準備するという点で歴史的な進歩性を認めるが、それは政治的な反革命と不可分のものだったと捉えている。単なる進歩でも反革命でもない、いわば発展と反革命の「複合社会」がスターリン体制だったと考える。

 広い意味での「反革命」だという場合、革命によって再編成された階級関係が元の階級関係に取って代わられる、ということを含む概念だと考えられる。しかし、革命ロシアから変質したスターリン体制とそのもとで新たに生まれた支配階級は、ツァー体制への復活でも封建的再生産システムへの逆戻りでもなく、むしろ国家主導の急速な拡大再生産を可能にした新しい再生産システムであり、それを担った党・国家官僚という全く新しい支配階級だった。

 ソ連では基本的に国家が生産手段の唯一の所有者であり、国家そのものが労働者・農民の搾取・収奪システムの当事者となっていた。国家は上部構造であるばかりか、下部構造そのものでもあった。そこでは労働者は国有工場や協同組合工場(国営農場・集団農場を含む)との雇用・労働関係によって経済的な従属関係に置かれると同時に、その雇用・労働関係も国家による統制と直結していた。いわばソ連社会は、資本所有によって労働者を搾取・収奪するばかりでなく、国家の統治権によっても直接搾取・収奪される社会、すなわち経済的な搾取と政治的な支配が分離されていない前資本主義的な社会であったともいえる。これはちょうど「たった1人」のではないが「万能の国家」の下にすべての人々が隷属する、アジア的共同体の進化形態としての「総体的奴隷制」に類似の性格を併せ持っている、ともいえる。

 スターリン体制が複合社会だったというのは、経済的には自給自足的な国有経済の枠組みの中で急速な経済発展を推進することが国家として生き残る唯一の道であるような膨張・成長社会であったこと、反面ではそうした膨張・成長社会の政治システムとしてはむしろ前資本主義的な独裁体制だったという、特異な社会だからだ。通常、資本主義社会の止めどもない膨張傾向は、利潤動機に基づく再生産原理自体から発生するが、スターリン体制の場合には、国家としての生き残り策そのものが再生産原理となっている。

 また資本主義社会での労働者は、資本への経済的従属を強要されるのに比べて、相対的に政治的自立化や独自の政治勢力としての結集が進む。しかし、ソ連では国家そのものが労働者の搾取・収奪の当事者であり、そこでは労働者・農民が直接国家に対して隷属関係に置かれることによって、政治的にも経済的にも自立化が困難な社会である。こうした意味でも前資本主義的な封建国家としての性格を持った社会といえる。

 上記のように、先行する資本主義諸国において資本家階級が果たしてきた工業化による経済発展が、前資本主義的な独裁国家によって推進されたのがソ連国家資本主義だと考えられる。したがって1960年代に言われた「自由化」も1980年代のペレストロイカも、基本的には生産力の発展にとって桎梏となった国家と経済の分離圧力との格闘であると同時にその追認政策であり、したがって国家資本主義の解体のステップだったと捉えられると思う。

 全国社研の『体制論』の立場は、ソ連国家資本主義は自由資本主義に後戻りしないで、その固有の矛盾のために労働者の階級闘争が激化して社会主義に転化する、という見通しを持っていた。言い換えればソ連国家資本主義を、封建社会から社会主義に至る「自由=独占資本主義」と並行して存在する一つの歴史的社会として認識していたと言える。これは歴史の現実によって覆された『体制論』の立場の最大の欠陥だった。

 なぜそうした欠陥が生じたのだろうか。

 それはスターリン体制の前資本主義的性格を見落としていたことにある。『体制論』もスターリン体制の「非文化的」で野蛮な性格を捉えていた。しかしそれは「スターリン体制(は)……商品経済を基礎に、経済外的手段によって国民的資本の形成を強行的に達成する国家資本主義に最もふさわしいものであり、その必然的な上部構造であったのだ」(はじめに)というように、スターリン体制をソ連国家資本主義の上部構造としてしか、したがって「体制イデオロギー」としての側面しか見ていなかった。『体制論』の欠陥は、実際には下部構造・上部構造を貫く、資本主義と前資本主義の複合社会という歴史発展上での位置づけを欠落させていたことから生じたと思われる。

 だから利潤原理などの経済的な動機がビルトインされていないスターリン体制の生命力は、過剰生産などの矛盾を技術革新や自己調整などで延命させてきた先進資本主義諸国に追いついた時点で、すでに限界に達してしまったと言えるのではないだろうか。

 3)対外政策とイデオロギーの問題について

 スターリン体制が最後まで自らを社会主義だと規定して「社会主義イデオロギー」を振りまき、他方でキューバやベトナムなどの「民族解放闘争」を支援した「社会主義的」対外政策を評価して、ソ連の社会主義的性格を肯定する見解がある。しかしこれも誤りである。

 革命当時はともかく、スターリン体制成立後は「社会主義イデオロギー」はスターリニストによって「ソ連至上主義」のイデオロギーに改竄されていた。

 ソ連社会内部で「社会主義イデオロギー」は、過酷な搾取・収奪と強権政治に対する労働者・農民の反抗を抑圧する階級支配の隠れ蓑となった。現実的に考えれば、反動階級だけでなく多くの労働者・農民を含む反抗分子を抹殺して生まれた強権的独裁体制としてのスターリン体制は、社会主義という「看板」なくしては決して生き延びられなかったと思われる。あの大粛正では「政治犯」があくまで「社会主義ソ連邦」の擁護を叫びつつ抹殺されていったが、こうしたケースは歴史上ないことだった。

 対外的にみれば「唯一の社会主義国」という現実と合体した「社会主義イデオロギー」は、革命当初から資本主義諸国の共産党と労働者をソ連防衛のために動員することが出来た。これは帝国主義諸国に包囲されたソ連にとって資本主義諸国にはないほとんど唯一の武器となった。

 また対外政策についても、ポーランド分割から始まって独ソ不可侵条約や対中政策やアフガン侵略など、そのほとんどすべてが社会主義的対外政策というよりもソ連の国益を目的としたものであり、また「民族解放闘争」への支援も、実際はアメリカなどの先進資本主義諸国との対抗戦略として、ソ連の勢力圏の拡大のために行われたものでしかなかった。

 ソ連における「社会主義的イデオロギー」は、「ソ連=社会主義」という先入観で見るのではなく、現実の歴史の中で果たした役割を客観的に評価することが重要である。そうしたものとしてみれば「社会主義イデオロギー」は「ソ連の国益至上主義」のイデオロギー以外の何者でもないことが明らかとなる。

 4)「資本の原始的蓄積」問題について

 スターリン体制が「資本の原始的蓄積」の体制だったかどうかについて議論されている。ただその場合、なにを対象として「原始的蓄積」が議論されているのかが曖昧だと思う。私としては急速な「工業化」とそれを補完した「農業集団化」を対象として考えているが、他方ではそれによって生まれた国家資本主義的な再生産システム自体を原始的蓄積の体制としていることを批判しているような意見もある。もっと厳密に議論する必要があると思われる。

 革命当時のロシアが世界5位の経済力を持っていたのは事実にしても、工業地域はペテルスベルグやモスクワなどごく一部に限られていた。国民の8割が農民であり、しかも農民の多くはツアー体制のもとにおける封建的農民か、あるいは農耕共同体を基盤とした農民だった。農村はまだ資本主義的な市場に組み込まれていなかった。工業力と封建的農村とはまだ併存状態だった。

 したがってロシア国家総体としてはロマノフ王朝下での半封建国家の大海に、フランスの金融資本をはじめとする資本主義国からの資金や技術を導入した軍需企業や鉱業を中心とする大規模企業群がごく一部に浮かんでいた、というのが実態である。

 こうした当時の革命ロシアを考えれば、スターリン体制下で行われた急速な工業化や農業集団化は全国規模で、しかも急激に資本主義的な本源的蓄積をやり直した、ともいえるのではないだろうか。一種の追加革命である。

 ロマノフ王朝下で始まった「資本主義の輸入」は、そのままのコースをたどったとしても、日本の明治維新がそうであったようにやがて工業化は全国化し、農村も資本主義的な市場に組み込まれることになっただろう。ロシア革命から生まれたスターリン体制は、そのコースを劇的に、またグロテスクな手法で実現したのである。このように考えればスターリン体制を通して無くなることがなかった強制収容所労働も、イギリスでの「囲い込み」同様、労働手段と労働の分離を極端なかたちで実現したものだとも考えられるのではないだろうか。

 政権の意図と実際に果たした役割が常に重なるわけではないことを確認しておく必要がある。

 資本主義諸国の歴史をみれば、ただ1回の革命によって資本主義が生まれ、順調に成長してきたといえる国家は実際にはあまりない。資本主義諸国の発展コースはそれぞれの国の事情を反映したコースをたどってきた。

 たとえばブルジョア革命の典型といわれている「フランス大革命」を振り返ってみよう。フランスでは1789年の革命によって封建的な土台をうち砕きはしたが、むしろクーデターによって共和制を倒したナポレオン帝政の時代以降、1800年代に入って資本主義的な発展が急速に進んだ。これはナポレオンが資本主義的発展を使命とした政権だったというよりも、ヨーロッパでの勢力拡張をめざしたナポレオンの施政が、企業の自由競争や土地利用の拡大や工業化の進展に適合していた、ということだろう。

 ひるがえってロシアの歴史をみると、新経済政策(ネップ)が行き詰まった時点でスターリンの政治はロシア国家の生き残りのため、「一国社会主義」路線、すなわち国家資本主義的体制への転換を図り、反対派を一掃してそれを実現した。それは政治的には反革命だったが、当時のロシアを取り巻く国際的な情勢や国内の固有の階級情勢の中では、再生産システム・国家システムとしては資本主義的な追加革命、国家資本主義革命とならざるを得なかった、といえるのではないだろうか。

 話は冒頭のテーマ、ロシア革命当時のロシアは世界第5位の経済力を持っていた、というテーマに戻る。

 私としては、資本の本源的蓄積を成し遂げた体制であるということがスターリン体制の最大の特徴だ、というつもりはない。しかしロシアが世界第5位の経済大国だった、という事実認識がその後のロシア革命の推移を把握するうえである種の障害になっていると感じている。

 一つは、数量的な比較は必ずしも国力の比較にはならない、ということである。

 ロシア革命当時、ロシアの遠隔地ではペテルスブルグやモスクワなどからの電報一本でその地方の政権がひっくり返った、という例や、日露戦争では日本に「敗北」した例もある。対外的な国力は、物資や人員の集積力や、政権基盤の強弱などの要素も密接に関連している。スターリン政治の軌跡をみても外国への侵略性より、むしろ列強の侵略に対する恐怖心が中心軸となっている。ソ連圏の耐えざる膨張路線にしても、第二次世界戦争以前はむしろ出城の拡大という防衛的要素が強いように受け止められる。世界5位という経済力はスターリンにとって決して安心できる経済基盤とはならなかったと思われる。

 5)ロシア革命の性格とスターリン体制の評価について

 しかしより重要なのはロシア革命前の世界5位という経済力が、ロシア革命とそこから生まれたスターリン体制の性格把握に予断を与えていることである。

 世界第5位という世界で有数の経済大国で実現した労働者・農民革命、という前提に立つ限り、それを社会主義革命として受け入れることは少しも不自然ではない。しかしロシア革命が社会主義革命だったとの前提で考えれば、20年後に成立したスターリン体制は何だったのか。社会主義体制になったのか、あるいは官僚支配国家になったのか。もしそうだとすればなぜそうなったのか、理解不能になる。

 事実1927年のソ連共産党の15回大会時点では戦前の生産力レベルは回復していた。こうした事実から新たな本源的蓄積の必要はさらさらなかった、とも言われている。したがって「裏切った」「反革命だ」「誤った政策だった」「変質した」等々という以外に理解しようがなくなる。

 これらはすべてその通りだとしても、「裏切り」や「変質」を糾弾することに止まっていては教訓とはならない。問題はなぜ裏切りが成功したのか、なぜ反革命が成功したのか、なぜ政策を誤ったのか、なぜ変質したのか、ではないのだろうか。実際は「裏切り」が成功する条件や「変質」を迫る条件が存在したのであり、大事なのはそうした条件の発生根拠を確認することであり、また現在の自分たちを取り巻く現実の条件と比較して現在の自分たちの客観的な位置関係を知ることにある。

 一例だけを挙げる。

 後のスターリン体制の基盤となったといわれれる党・国家・軍・経済官僚などの新しい支配階級の発生は、どういう推移の中で発生したのだろうか。客観的には干渉戦争と内戦の中で革命の推進力となった労働者ボリシェビキの多くが失われたこと、干渉戦争や内戦が終結した後、急速な国家・経済の再建に迫られたこと、国家や国営企業を運営する能力を持った労働者が決定的に不足していたこと、これらの状況の中で、旧体制の企業経営者や軍人などを高給で登用せざるを得なかったことなどによる。これらはスターリンではなくレーニンの時代に始まっている。誰の責任でもない。要は決定的な人材不足という厳然たる現実である。その人材不足は干渉戦争や内戦による人的損害の結果でもあるが、それ以前の問題として、ロシア革命以前に革命勢力の側で企業経営や国家・軍隊などの組織運営の能力を身につけた人材の育成が蓄積されていなかったことによるところが大きい。これらは歴史的制約以外のなにものでもない。これらは資本主義の永年の発展の中で労働者の広範な部分が経験や学習によってそうした能力を身につけることで初めて可能になることである。

 スターリンの勝利は、こうした特権的官僚層が党・国家・国営企業などで広範に形成されていたことが決定的な条件となっていた。特権的な官僚層は自らの利害に敏感であり、それを保持できる体制を支持したのは当然であろう。

 だからこうした官僚層が形成されざるを得なかった当時のロシアの政治的・時代的・国際的制約や、その中での主体的な政策判断が決定的な要素である。

 6)「開発独裁」との類似性について

 韓国や台湾などとソ連の類似性から、両者を国家資本主義のそれの特殊な形態として捉えることには疑問がある。

 確かに後発国・強権国家、等々という共通性はある。しかし再生産システムとしてみた場合、ソ連のように商品流通や私企業を否定した「現物経済」の中での生産力の拡大を追求した社会と、国有企業をテコに市場経済や私企業の創設・育成を目的にした「開発独裁」国の相違は歴然としている。

 これは生産手段が「国家資本」として機能しているソ連と、国営企業の主導性によって私的企業体制を育成しようとした開発独裁国家の相違でもある。いわば開発独裁が国家「資本主義」と言えるのに対し、ソ連が「国家資本」主義というような本質的な相違がある。

 なにより異なるのは、ソ連では国有経済下での現物経済のシステムのもとで、私的企業が禁止され、資本主義的な価値法則が意図的に押さえられていたことである。これらのことで価値法則がなくなったわけでも克服されたわけでもないにしても、本来の社会主義での生産・分配が一面では現物経済の形を取るのと形式上は同じように見えるわけで、確かにソ連が社会主義だと見間違う外形的拠は存在したのである。

 それにソ連では開発独裁とは違い、前資本主義段階の封建制・奴隷制と共通するものとして、労働者・農民に対する包括的な支配関係と併せて、労働者・農民に対して失業の抑制、平等的な賃金、それに労働者・農民の基礎的欲求に応える一定の義務を引き受けていたこと、即ちそれなくしては「社会主義国家」そのものを維持していくことが出来なくなるような一定の福祉システムが社会に組み込まれていた。

 最初に資本主義が生まれたイギリスを、たとえば自由競争からしだ
いに独占体制が生まれた「自由=独占資本主義」とすれば、後発資本主義国がそれと同じ道を辿ることはまずない。国情によって遅れた部分と物まね的な先進部分が混在する、様々に変寄した接ぎ木細工国家ができるのは必然である。

 これまで資本主義的工業化を成し遂げた諸国を大括りに分類すれば、「自由=独占資本主義」「開発独裁」「国家資本主義」の3つのルートが存在した、と捉えるのが自然だと思う。そして市場経済・私的資本という再生産システムを基準にすれば「自由=独占資本主義」と「開発独裁」の共通性が、他方で後発国の経済発展のルートという基準で見れば、「開発独裁」と「国家資本主義」は後発国家ゆえに急速な工業化やそれに付随する様々な類似点も多い、と捉えられるのではないか。

3、おわりに

 地球上の辺地の孤立した小国ならいざ知らず、周辺国と経済的にも情報的にも少なからず交流を持ち、そのことでお互いに少なからず影響力を持った国は、自分たちだけ世界の諸関係から独立して生きていくことは不可能だ。実際、ロシア革命とそこから生まれたスターリン国家、及びソ連圏諸国に対して、アメリカをはじめとする資本主義諸国は最大限のエネルギーを投入して包囲網を作り上げた。ソ連にしても同様に、自らの生き残りをかけて勢力の拡大をめざした。

 時代は巡り、いま「唯一の超大国」アメリカ一極支配のもとで、EU、中国、日本など、「多極化」も進んでいる。しかしその背後ではそれぞれの国境を越えて資本や労働力や情報の相互依存関係が拡大している。世界はこれまでになく統一されつつある。

 こうした諸国家の相互干渉的力学がその時代の世界的なシステムを形成しているわけで、そうした世界的なシステムを再編成するような、有力諸国を巻き込んだ革命によってしか社会主義は生まれない。ロシア革命は「一国社会主義」を標榜せざるを得なかったまさにその時点で、社会主義への成長を断たれた、ともいえるのではないだろうか。

 時代の制約の中で社会主義へと成長できなかったわけだが、時代の制約は客観的なものであるし、少なくとも現代はそうした条件は資本主義のグローバル化とともに生み出されていることだけは確認できるのではないだろうか。


http://www.workers-2001.org/iijimakoltukasihonnsyugironn.htm




 

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