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投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 9 月 20 日 22:38:00: mY9T/8MdR98ug
 

(回答先: 投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 9 月 20 日 22:33:41)

今、ここが「猿の惑星」だ! (鈴木邦男)

http://kunyon.com/index.html

@論破されて楽しいのが「読書」だ

本を読むということは、「対話」だ。「討論」だ。いろんな人たちの考えを聞き、そして問う。反論する。単に知識を得る為だけではない。自分の「生き方」に関わる行為だ。実存的な行為だ。

学生時代や活動家時代は、「理論武装」の為に本を読んだ。左翼学生と闘い、彼らを論破する為に読んだ。敵の本(左翼の本)も読んだが、それも論破する為に読んだ。「敵」を知らなければ敵に勝てない。そういう理由で読んだ。功利的な読書だった。未熟だったし、邪道だったと思う。

「敵」に取り込まれてはならない。負けるもんか、と身構えながら読んだ。初めから〈武装〉して、その上で本を読んだ。「敵」に勝つものならば、どんな分野の本でも利用しようと思った。負けるわけにはいかない。勝たなくては。勝たせて下さい。最後のお願いです。アレッ、いかんな。選挙演説になっちゃった。こんな悲壮な絶叫調の演説をした人は皆、負けちゃったね。

そう、私も負けた。昔は、たとえ負けても、「認め」なかった。その事実を無視し、回避した。それが出来た。なぜなら、本を読むというのは個人的な行為だから、他人に知られることはない。オープンな討論とは違うからだ。他人に、多くの人々に、自分の〈恥〉をさらすこともない。〈恥〉や〈敗北〉を知られることはない。だから恥は隠した。そして、自分の好きな本、理論武装に役立つ本ばかり読んで、自分が「強くなった」と思った。錯覚した。

今は違う。いろんな本を読んで、「論破」されるのが嬉しい。「負ける」ことが楽しい。自分の長い間の思い込み、体験、思想が壊され、崩されるのが楽しい。うーん、そうだったのか。こんな考えがあったのか。これは気付かなかったな、と新しい〈発見〉があり、旧い自分が撃破される。それは又、多くの人の中で恥をかかされることではない。個人的、極私的な体験だから、腹も立たない。恥ずかしくもない。〈論破〉される為に本を読むのだ。〈論破〉される愉悦こそ読書の最大の目的だ、と最近は悟った。 

つまり、こうだ。自分の知ってることをただ、積み重ねる為の読書には何の意味もない。自分の思い込み、体験を覆してくれる本こそが、価値がある。そんな破壊的パワーのない本ならば、いくら読んでも意味はない。そう思う。
 

「本を読まない人はサルである!」と言った人がいる。お前だろう、と言われるだろうが、私はそんな失礼なことは言わない。「本を読まない人間は猫である」と言っただけだ。『罪と罰』も読んだことのない人は猫だ、と言ったのだ。ロフトで言った。そしたら、「猫でもいいニャン!」と最前列の女の子が言ってた。「私はかわいいから、十分生きていける。皆、チヤホヤしてくれる。本なんて読まなくていい」という意味らしい。 

でも、成毛眞は、サルだという。これは本屋で目に付いたので買った。なーに、こんな本は10分位で読めるさ。どうせハウツー本じゃないかと思って買った。ノルマを達成する為には、この手の簡単な本も読まにゃならん。そう思って買った。 
『闘う日本語』(エスエル出版会・1990年)
『闘う日本語』(エスエル出版会・1990年)

成毛眞の『本は10冊同時に読め!』(三笠文庫)だ。170頁の薄い本だ。題名からして、怪しい。すぐに読めるさ、と思った。サブタイトルに、「本を読まない人はサルである!」と書かれていた。 

でも読み始めて、驚いた。凄い本だ。深い本だった。人は(本は)、見かけだけで判断しちゃいけないと思った。たとえば…

〈本を読む、読まないという行為は、その人の品格に関わってくるのではないかと思う。品格に読書は関係ないと否定する人もいるかもしれない。だが、本を読んでいる人間が車の中に幼児を置いたままパチンコに興ずるとは思えないし、電車の中で平気で化粧をするとも考えづらい。なぜなら、本を読むには想像力が必要だからだ〉

エッ?関係ないだろうと思ったが、次を読んで、なるほど!と感心した。こう続くんだ。

〈たんなる活字の並びを目でなぞり、そこから遠い異国の情景を思い浮かべたり、目に見えない哲学や理論を構築したりするのだ。想像力が欠如している人間には、到底味わうことができない媒体なのである。
 そうした想像力があれば、暑い車内に幼児を置き去りにしたらどのような結果を招くか、電車内で化粧をしたら周りの人間がどう思うのか、ということに思い至るはずだ。それができないような人間には、本は読めないということなのである〉

A読書道は「聖なる行」ですね

そうなのか!と真理を発見した。本を読むから賢くなるのではない。賢いから本を読むのだ。他人への思いやり、想像力があって、はじめて読書という「行(ぎょう)」が出来るのだ。読書は人格を作る「行」なのだ。自分勝手な人や、思いやりのない人。想像力のない人は、本なんて読めない。うーん、凄いことを言う。「本を読む」という行為は崇高な行為なのだ。聖人の道だ。だから、本を読み、その世界に没頭できる人は、想像力があり、思いやりがあり、平和で自由なユートピアを心に思い描ける人なのだ。 

だから、本を読む人に悪い人はいない。本を読む人に車内で化粧する人はいない。本を読む人に、幼児を置き去りにする人はいない。うん、本当だ。実に分かりやすい。 

本を読んでる人に、覚醒剤をやってる人はいない。そんなクスリに頼らなくても想像力ひとつで「聖なる世界」にポンと入れるんだから…。警察は町でよく、挙動不審の人を呼び止めて、荷物検査をしている。これも酷い話だが、何を根拠にやっているか。元刑事の北芝健さんに聞いたら、「目の動き」と「体の動き」だそうだ。瞳孔が開いている、目がやたらキョロキョロする。これは覚醒剤じゃないかと怪しんで止める。又、動作に落ち着きがない。同じ動作を何度も繰り返す。これなんかも怪しいと思う。北芝さんは、「ヤクをやってるかどうかは一目で分かる」と言う。 

でも、もっと簡単に見つける方法がある。本が読めるか、どうかだ。クスリをやっている人は本を読めない。活字だけが並んでいるものをゆっくりと目で追って、さらに、何もないところに「別の世界」をつくることができない。クスリの力を借りないと「別の世界」にトリップできない。だから、活字を見てもイライラし、落ち着かない。怪しい人間には本を読ませてみるんだ。尿を調べるよりも確実だ。 
『行動派のための読書術』(長崎出版・1980年)
『行動派のための読書術』(長崎出版・1980年)

反対に、本を読める人は、クスリをやってない。だから、電車の中で、本を読んでる人は正常だ。本を読んでない人は怪しい。その怪しい人の何割かはクスリをやっている。 

成毛は言う。本来、想像力を持たなくてはならないはずの大企業のトップでも、ロクに本を読まない人がいる。そんなのはコネで出世した人間だ。そういう人は、何をやっても、中味がないからつまらない。「本を読まない人との会話は、本当に苦痛だ」という。

〈人間の品格や賢さに地位や年収は関係ないのだと、つくづく思う。話せばすぐにわかるが、人は中身まではごまかせないのだ。
 どんなに偉い人でも、本を読まない人間を尊敬する必要はない。人によく似た生き物、サルに近い人じゃないかと思えばいいだろう〉

おっ、凄いことを言う。ということは、我々は「人間社会」に生きてると思ってたが、違うんだ。人間なんて、あんまりいないんだ。周りは猿や猫や犬や豚ばかりだ。電車に乗っても、猿や猫が(生意気にも)服を着て、座っているんだ。そして、(生意気にも)携帯なんかやっているんだ。つまり、我々は、巨大なサファリ・パークに住んでいるんだ。 

「我々」といって、ちょっと不安になった。本を読んでる「生き物」だけが「人間」だとすると、「人間」はこのサファリ・パークの中に何割いるんだろう。2割か。1割か。怖い話だ。

B本を読まない人とは絶交しなさい!

成毛は更に、「本嫌いの人とつき合う必要はない」と言う。

〈よく、人生相談で「隣近所の人とうまくつき合えない」「上司にイヤな人がいる」と悩みを打ち明ける人がいる。なかには思い悩んでうつ病になる人もいるようだが、私が回答者なら「イヤならつき合わなければいい」の一言で終わりである〉

明解だ。今、ウツの人が多い。ほとんど全部、「人間関係」だ。それで悩み、自分を傷つける。この成毛の言うように、「付き合わなければいい」。1人で住めばいい。「分かってもらいたい」「愛してもらいたい」と一緒に住むからウツになる。1人で住めばいい。会社にも行かなければいい。大体、「人間関係」だと思うから悩む。本を読まない人は「人間」じゃないんだ。だから、「人間関係」ではない。「動物」との関係だ。犬や猿がいくら気ままでも、自分の責任だとは思わない。「私の口の利き方が悪いからかしら」「私は生きる資格がないのかしら」と悩まないだろう。同じことだ。

〈もちろん、職場や住んでいる地域が同じ人であれば、関係性を完全に断つことはできないだろう。だが、仕事の話以外はしないとか、挨拶しかしないとか、つき合い方を選ぶことはできるはずだ〉

そうだよね。「人間」だと思うから悩む。猫や猿だと思えば、腹も立たない。「あらあら、いけないわよね、おいたして」と笑って見てられる。たとえ、お尻を触ろうと、上司がいきなりキレようと、その辺でオシッコしようと、笑って、優しく見てられる。猫や猿なら、いつもしてることだし…。 

私たちは巨大なサファリ・パークに生きているんだ。そこの保育係なんだ。仕事が終わり、そこを出たら、はじめて「人間=本を読む人」と話をしたらいい。猫や猿相手に、悩むだけ損なんだ。

〈誰とでもうまくつき合おうと思うのは、相手から好かれたい=自分が悪者になりたくないという気持ちのあらわれである。他の人からどう思われようとかまわなければつき合う人は自然と選べる。
 本を読む人かどうかでつき合う人を選ぶのは、会話の質が違うからだ。本を読んでない人たちの会話とは、上司のグチ、会社の待遇への不満、女房のグチ、しょうもない自慢話など、生産性のない話ばかりだ。知識ゼロの人が何人集まっても、ゼロ。2倍や3倍になることはないのである〉

そうか。ゼロは何十人、何百人集まってもゼロなんだよね。だったら、1人で、本を読んでる方がずっと有意義な「対話」ができる。レクチャーが受けられる。

Cともかく本を読みなはれ!

この本は、ともかく驚きの本だ。見くびって、すぐに読めるさと思った私が愚かだった。こういう風に、「思い込み」をひっくり返し、逆襲してくれる。そこに読書の醍醐味がある。「すみません、悪うございました」と自己批判する。謝る。それが又、心地いいんだ。 

成毛は、こうも言う。

〈「使える金」はすべて本に注ぐ!〉

これも、思い切りのいい言葉だ。私なんて、とてもここまでは言えない。

〈若いころに貯金をするといっても、せいぜい年間で50万円か100万円ぐらいしか貯められないだろう。20代から毎年100万円ずつ貯金していったとしても、60歳になったとき貯まっている金は4000万円。一戸建てを買う値段にも満たない。
 そんなお金のために40年をムダにするぐらいなら、今もらっている給料の半分を本代に費やすべきである。
 頭の中に知識を貯金しておけば、いずれ億単位のお金を稼げるようになる。毎年1億円ずつ貯金するのも夢ではない。知識や教養があれば、5億円や10億円を稼ぐのはそれほどむずかしくないのである〉

ヒャー、いきなり、成金伝説だ。でもこの人は、マイクロソフト(株)の社長だった人だ。今は、投資コンサルティングをやっている。だから、説得力がある。もっとも、私は、金の問題じゃないと思うけどな。でも、そうなるのも夢じゃないということだ。 

私は貯金は一切ないし、「知識」を金にかえようともしないし、出来なかったが、ただ、学生時代、産経時代と、ムチャクチャに本を読んだ。今、本を書いたり出来るのも、その当時の読書の「貯金」があったからだと思う。その点ではこの成毛に共感する。 

産経の時は、ビルの1階に本屋があって、社員はサインで本を買えた。なんか、ただで買ってるつもりになって、毎日、やたらと買っていた。全部、給料から引かれるんだが、マイナスになった時もある。その時は、夏・冬のボーナスから引かれる。「給料の半分」どころじゃないな。ほとんどを本に使っていた。だから、猿から人間に「進化」出来た。産経ビルの本屋さんのおかげです。感謝しております。

でも、1日は24時間。これは誰にでも平等だ。その中で、どうやって本を読む時間を作るか、だ。

〈面白いデータがある。
1974年、フランスのブルターニュ半島のテレビ塔が過激派によって爆破され、その後1年間にわたりその地方にあった130万台のテレビが見られなくなってしまったという事件があった。
 その1年間、この地方ではどんな変化が起きたのか。みんな本を読むようになったので、本屋の収入が増え、子どもは外で遊ぶようになったので健康になったそうである。村の人々のコミュニケーションも増え、つながりが親密になったらしい。今の日本で起きている現象と、まったく逆のことが起きたのである〉

D「想像力を奪うもの」を打倒せよ!

そうなのか。いいことづくめだ。もっと子供だって増えただろうよ。日本の過激派は何をしている。テレビ塔を襲え!とハッパをかけてるようだ。そんなことはないのだが、テレビがなくなっても、ラジオやパソコンがあると思うが、違うと言う。

〈パソコンや漫画、ゲームがあるので、そちらに走るかもしれないが、それでも、毎日何時間もテレビの前にボーッと座っている習慣はなくなるだろう。
 テレビをみているとき、番組の内容や情報の裏を考えながら見ている人は少ない。タレントがバカなことをやっていれば爆笑し、陳腐なドラマでは涙を流す。流れる映像をそのまま脳で受け止めて反応しているだけなので、考えるという過程が抜けてしまっているのだ〉

恐ろしいことだ。「想像力」を奪うのだ。猿になるんだ。その点、ラジオは違う。自分で「情景」を、「絵」を想像する。脳の力をフルに使う。だから、ラジオを聞いている人はボケない。 

テレビでも、いい番組はあるが、主体的に情報を選びとるのは難しい。「うまくコントロールする自信がないのであれば、真っ先に切り捨てていい時間だろう」と言う。 

さらに、本を読む時間の「作り方」だ。〈お金で時間を買う発想〉を提案している。 

これは、和田秀樹も『大人の勉強法』の中で言ってたよね。本を読む、勉強する時間を作るためには、金惜しみするな、ということだ。
人間が猿ではなく、人間でいれれるのは、唯一、本を読むからだ。だったら、〈人間〉を維持するためには全てのお金を使うべきだ。そういうことになる。 

たとえば、1時間半も満員電車で通勤している人は、特急のグリーン車を利用すればいい。そして本を読む。この積み重ねは大きい。疲れているのに無理をして電車で立っているより、タクシーを利用したらいい。安いラーメンを食うために行列に並んだりするのも愚かだ。それで倹約して、その金を下らない遊びに費やしているのだ。あるいはデートの金を捻出しているのだ。でも、本を読まないメス猿といくら話をしても、交配しても、人間には戻れない。どんどん猿に退化するだけだ。猿だけが増えていくのだ。 

成毛は、自分の子供にも、ともかく本を読め、と言う。本さえ読めば、あとはいい…と。

〈私は、自分の娘には一流大学に行くことも、一流企業に入ることも、親孝行も望まない。自分の頭で考える人間になってほしいと願うだけである。
 本さえ読んでいれば、政治家や医者になろうが、泥棒やテロリストになろうが、一向にかまわないと思っている。ただし、泥棒なら『オーシャン11』に出てくるような知的な泥棒がいい。テロリストもチェ・ゲバラのように思想を持ったテロリストならいいだろう(どんな革命もテロから始まった)〉

思い切ったことを言う。偉い! 私も、そういう子供を育ててみたい。でも、本当に泥棒かテロリストになったらどうすればいいんだろう。「親孝行な奴だ!」と大喜びするのか。この娘さんの感想も聞いてみたいものだ。
 

では、皆さんも、猿にならないように本を読みませう。それで床が落ちて怪我をしても、猿のままで生き延びるよりはいい。オチマイ。

 

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