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イスラエル共和国建国の背後にひそむ十字軍の亡霊 【ユダヤ問題特集 第9章】  ヘブライの館
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投稿者 愚民党 日時 2009 年 1 月 12 日 19:34:23: ogcGl0q1DMbpk
 

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●1789年、「自由・平等・博愛」を掲げるフランス革命が勃発すると、その2年後に、フランス議会はユダヤ人に平等の権利を認めた。つまり、法的にユダヤ人差別の撤廃が決定されたのである! これはユダヤ史上、画期的な出来事であった。

ナポレオンがその人権宣言を基に、ユダヤ人を隔離してきたゲットーを解体すると、その潮流はヨーロッパ各国に広がっていき、世界的にユダヤ解放政策が行なわれた。

 


ナポレオン・ボナパルト
(1769〜1821年)

 

●もともと優秀な頭脳に恵まれていたユダヤ人は、それまでのゲットーでの隔離生活から解き放たれると、水を得た魚のように爆発的に各界に進出し、各地で目立つ存在になった。しかし、ユダヤ人の解放が行なわれたとはいえ、それは法的なレベルであり、現実的にユダヤ人差別が解消されたわけではなかった。

ユダヤ人は国家を持っていなかったので、他人の国に住み着くしかなかった。そのため民主・民族主義の興隆とともに、ユダヤ人を自分たちの国から排除しようとする強烈な反ユダヤ主義勢力(ナチスなど)が台頭するという最悪の事態が生じた。


●19世紀初頭から、ドイツを中心に反ユダヤ暴動が起こっているが、これはユダヤ人を諸悪の根源とみなす過激な反ユダヤ主義運動にまで発展し、1870年代頃から顕著になってきた。ロシアでは1881年から「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人大虐殺事件が波状的に起こり、十数万人がその犠牲になった。

1894年のフランスでは、ユダヤ人士官アルフレッド・ドレフュスが国家機密文書をドイツに売ったというスパイ容疑で逮捕されるという「ドレフュス事件」が起こり、真偽を巡ってフランスの世論は二分された。この事件は結局、冤罪ということが判明したが、ドレフュスがユダヤ人であったために、犯人にでっちあげられたのである。



●近代ヨーロッパ社会において、ユダヤ人の解放と脱ユダヤ化(キリスト教社会への同化現象)が進むようになってからも、ユダヤ人に対する弾圧や差別は依然として解消されなかった。そのために、ユダヤ人の間に伝統への回帰指向が強まり、“ユダヤ版の民族主義”すなわち「シオニズム(シオン/Zion主義)」が盛んになっていった。

シオニズム運動とは一般的に「ユダヤ人がその故地“シオン(Zion)の丘”に帰還して国家を再建する運動」と解されている。ここでいう“シオンの丘”とは、かつてソロモン神殿があった聖地エルサレムを中心にしたパレスチナの土地を意味している。


●ユダヤ国家再建のためのシオニズム運動は、厳密には「政治的シオニズム運動」と称されるものであり、その他に、離散ユダヤ人のためにパレスチナに精神的中心機関を設置し、ユダヤ固有の文化を興隆させようとする「文化的シオニズム運動」もある。更には、ユダヤ人は国家を失っても固有の宗教民族性を保持できたのであるから、あらゆる国の中にユダヤ人の精神的国家を樹立すべきだという「修正シオニズム運動」や、土地の開拓に基礎をおいた「実践シオニズム運動」などもあった。

近代における反ユダヤ主義と民族主義の台頭が、シオニズム運動形成への大きなベクトルとなったことは疑いがない。ユダヤ人は迫害されればされるほど民族的結束を強めていき、自分たちの民族的独立を夢見た。そのため、各種シオニズム運動の中で主流となったのは、政治的シオニズム運動と実践シオニズム運動を統合した「総合シオニズム運動」であった。


●シオニズム運動の先駆者にはモーゼス・ヘスなどがいたが、政治的シオニズム運動に決定的な役割を果たしたのはテオドール・ヘルツルであった。この「近代シオニズムの父」と称されるヘルツルは、シオニズム運動とは全く無縁な“同化ユダヤ人(キリスト教社会同化者)”であった。ところが、フランスのドレフュス事件に遭遇し、自らの民族感情を呼び覚まされたのであった。


ヘルツルは、ユダヤ人の悲劇の根源は“国家”を持たないところにあると考え、ユダヤ国家樹立こそ急務であるとした。彼は『ユダヤ人国家』を著し、1897年には、スイスのバーゼルで国際的な「ユダヤ会議(第一回シオニスト会議)」を開催し、「世界シオニスト機構」を設立。シオニズム運動の国際認知のために、精力的な外交活動を展開していった。

 

 
(左)テオドール・ヘルツル
(右)彼が書いた小冊子『ユダヤ人国家』

 

●一口に“シオニズム”といっても複雑多様な運動形態があったわけだが、互いに反目しあったり、更にはシオニズムそのものに反対するユダヤ人は少なくなかった。

「文化的シオニズム運動」を提唱していたアハド・ハアムは、ヘルツルの「政治的シオニズム運動」を批判していた。また、ユダヤ教の主流ともいうべき伝統にのっとった「ユダヤ教正統派」は、シオニズム運動そのものが世俗的なものであるとして支持しなかった。ユダヤ人社会主義組織「ブント」のメンバーも、シオニズム運動を“反動ブルジョア的”と決めつけ非難していた。更に「ユダヤ教改革派」も、ユダヤ人は民族ではなく宗教集団であるから、国家を樹立する必要はないとして反対していたのである。

が、しかし、興味深いことに、シオニズム運動は、第一次と第二次にわたる「世界大戦」を通じて急激な展開を見せていく……。

 

 

●1914年に始まった第一次世界大戦において、イギリス政府はユダヤ人に対して、連合国を支援すればパレスチナにユダヤ国家再建を約束するという「バルフォア宣言」を行なった。しかしこのバルフォア宣言は、実際にはイギリス政府とユダヤ人大富豪ロスチャイルドとの間で勝手に交わされたもので、パレスチナの地に圧倒的多数を占めるアラブ人の意向を全く無視した約束だった。

シオニズムを支持するユダヤ人たちはイギリス政府の約束を信じ、連合国に協力して参戦。第一次世界大戦後、パレスチナ地方はそれまでのオスマントルコ帝国の支配からイギリスの信託統治領(植民地)となった。ユダヤ人たちは、いよいよユダヤ国家建設が本格的に着手されると胸を躍らせた……。

 

  
ロンドン・ロスチャイルド家のライオネル・ロスチャイルド(左)と
イギリス外相バルフォア(中央)。(右)はバルフォアが
ライオネル・ロスチャイルド宛に出した手紙=
「バルフォア宣言」 (1917年)

 

●しかし、イギリス政府はユダヤ人に対するバルフォア宣言以前に、アラブ人側と「フセイン・マクマホン書簡」も取り交わしていた! イギリス政府はユダヤと同じような取り決め(アラブ国家樹立の約束)をアラブ側にも行なっていたのである!

あの有名なアラビアのロレンスは「アラブ国家樹立」を夢見て活動していたわけであるが、結果的にユダヤ国家樹立計画もアラブ国家樹立計画も宙に浮いてしまったのは、誰もが知るところである。

 

 
(左)イギリスの情報将校だったT・E・ロレンス中佐
(右)イギリスの大作映画『アラビアのロレンス』
(1962年制作/ピーター・オトゥール主演)

 

●宙ぶらりん状態になったパレスチナ地方は、イギリスとフランスの植民地になってしまった! しかも、それまで仲が良かったユダヤ人とアラブ人との間には大きな亀裂が生まれ、この時にアラブ人による本格的な反ユダヤ運動が初めて開始された。そして、ヨーロッパにおける反ユダヤ運動が高まり、それを恐れた多くのユダヤ人が東方の地パレスチナの土地を買い漁り、入植を始めると、アラブ人の反ユダヤ感情は激しいものとなっていった。

 


第一次世界大戦後の中東

 

●1930年代、ドイツに反ユダヤ主義を高々と唱える「ナチズム(アーリア人至上主義)」が台頭してくると、シオニズム運動に対して意見がまちまちであったユダヤ人たちは一致団結し、進んでシオニズム運動に協力するようになった。

ナチス・ドイツによる過激なそして露骨なユダヤ人迫害(ホロコースト)が世界に報道・宣伝されると、世界の多くの人々がユダヤ人に同情するようになった。多くの人がファシズムを恐れ、ユダヤ人に涙した。

ナチスをきっかけにユダヤ人に対する国際世論が180°転換され、良好になったことは、ユダヤ史において非常に重要な意味を持っている。この時期を境にして、ユダヤ人の国際的発言力は高まった。


●なお、ナチスのホロコーストが誇張されて報道されているとか、アウシュヴィッツのガス室は無かったとか、一部の特権的ユダヤ人がナチスに資金援助していたとか主張する研究家が後を絶たないが、真偽はともかくいずれにせよ、“ユダヤ人”と呼ばれる多くの人間が徹底的に迫害されたことは歴史的事実である。



●国際世論に支持される形で勢いに乗ったシオニズム運動は、第二次世界大戦終結後にイスラエル共和国を樹立するという快挙を成し遂げた。

しかし、イスラエル共和国がユダヤ人の純粋な“宗教心”によって建国されたと断定してしまうには、あまりにもムリがあるように思える。

ユダヤ人が悲願の建国を果たしたイスラエル共和国を、超正統派ユダヤ人は認めようとしない。なぜならば、イスラエル共和国は建国において“メシア信仰”を無視し、しかも政教分離という近代国家の原則を採用した世俗国家であるためだという。超正統派ユダヤ人からすれば、このようなイスラエル共和国が“国家”と名乗ること自体、神に対する許しがたい冒とくに他ならないという。


●この超正統派ユダヤ人は「聖都の守護者」を意味する「ナトレイ・カルタ」と呼ばれ、現在のイスラエル共和国はユダヤ教の本質を完全に逸脱した世俗的な寄せ集め集団に過ぎない、として徹底的に批判している。超正統派のユダヤ人の主張によれば、メシア(救世主)が出現して初めて真の栄光に満ちたイスラエル国家が誕生するという。従って彼らは、メシアの出現を待望してやまず、祈りと戒律を厳守した極めて求道的な生活を日々送り続けている。


●超正統派ユダヤ人の主張に限らず、イスラエル共和国が全てのユダヤ人にとっての理想の国であるのかといえば、必ずしもそうといえない現実がある。膨大な軍事費や移民政策により、国家財政は赤字であり、インフレ率も極めて高い。希望に満ちてイスラエル共和国に移住したものの、失望してもとの国へ帰ってしまうユダヤ人も少なくない。

しかも、イスラエル共和国に住むユダヤ人よりアメリカ合衆国に住むユダヤ人のほうが100万人も多い。また、ユダヤ教そのものが風化し始めており、イスラエル共和国の持つ宗教的求心力は弱まりつつある。

中東戦争は過去4回も行なわれ、かつて迫害される立場にあったユダヤ人は、現在、パレスチナ先住民を迫害する立場に立っている。

何かが矛盾している。

世界の多くの人々も、イスラエル共和国に何か矛盾したものを感じ始めているようだが……。

 

 


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<ユダヤ問題特集 第7章>

現在も続くシオニストたちの
反セム主義活動

 

●実は、ポグロムやホロコーストと呼ばれる、ロシアやドイツでのユダヤ人たちに対する大迫害の被害者のほとんどはアシュケナジー系ユダヤ人だった。そのため、イギリスの「バルフォア宣言」をはじめとする三枚舌外交や、ナチスの台頭などによって、欧米にいたアシュケナジー系ユダヤ人が難民としてパレスチナに大量に流入し始めると、アラブ人社会に大きな混乱が起きてしまった。パレスチナに入植してきた白人系ユダヤ人は異民族(非セム系)であるため、アラブ人とは最初から折り合いがつかなかったのである。


●第二次世界大戦終結直後、国連に支持される形でイスラエル共和国がアラブ人の地に強引に建国され、100万人以上ものパレスチナ難民が発生したわけだが、この時の功労者のほとんどはアシュケナジー系ユダヤ人ばかりであった。しかも当時のイスラエル人口の80%がアシュケナジー系ユダヤ人によって構成されており、パレスチナの先住民から見れば、イスラエル共和国は明らかに“白人国家”であった。


●現在もイスラエル政府の要職についている人間は、ほとんどがアシュケナジー系ユダヤ人であり、イスラエル国内は支配する立場のアシュケナジー系、支配される側のスファラディ系という二重構造になっている。政治家や学者、医者などにはアシュケナジー系が多い。その反面、肉体労働者にはスファラディ系が多く、彼らのほとんどは経済的に貧しく、下積み状態(二級市民扱い)に置かれている。

ちなみに、ユダヤ教自体もアシュケナジー系とスファラディ系とに区分されており、同じ町に住んでいても異なったシナゴーグ(ユダヤ教会堂)へ足を向けることになっている。現在のアシュケナジー系のチーフ・ラビ(ユダヤ教最高指導者)はアブラハム・シャピラであり、スファラディ系のチーフ・ラビはモルデカイ・エリヤフである。

 

 
(左)イスラエル(パレスチナ地方)の地図 (右)イスラエルの国旗

 

●もともとパレスチナに住んでいたユダヤ人は少数派だった。イスラエル共和国の建国運動がまだ存在していなかった19世紀半ばのパレスチナにおけるユダヤ人の人口は1万人前後だったとはじき出されている。

また、1922年のイギリス支配時代においても、66万8000人のアラブ人がパレスチナの土地の98%を所有していたのに対し、8万4000人のユダヤ人は2%の土地を所有しているに過ぎなかった。

それが1948年のイスラエル共和国建国の時になると、76万人に膨らんだユダヤ人がパレスチナ領土の75%以上を支配するようになり、135万人のアラブ人がパレスチナから追い出されてしまったのである。そして、1967年に第三次中東戦争が勃発すると、236万人のユダヤ人がパレスチナ全土を支配するようになり、パレスチナ難民は約300万人にまで膨らんだのである。


●「外国からのユダヤ人が来るまでは、お互い行ったり来たりしながら仲良く暮らしていたものです。」という言葉は、1948年以前にパレスチナに住んでいたアラブ人がよく口にする言葉である。

“外国からのユダヤ人”というのはいうまでもなく、建国後に移住して来た欧米系ユダヤ人エリート階級を指す。そのような指導者階級のもとで強引に推し進められた「植民(入植)政策」によって、カナンの時代からパレスチナに住んでいたアラブ・セム系先住民の土地が奪われていったのである。そのため“パレスチナ・アラブ人”たちの抵抗運動は死にもの狂いの“テロリズム”にならざるを得ない。


●そもそも「シオニズム」というものは、東ヨーロッパのイーディッシュ語圏のユダヤ人社会で生まれ、建国以前からイスラエルに移住して来たのも、主にこのロシア・東欧にいたアシュケナジー系ユダヤ人たちであった。アウシュヴィッツ強制収容所はドイツではなくポーランドにあった。ソ連(ロシア)によるユダヤ人迫害はナチスに劣らないものであった。

イスラエルの指導者たちのほとんどは彼らの中から出て来た。しかし、スファラディ系ユダヤ人の多くは、建国後に地中海沿岸地方やアフリカ地方から連れて来られ、現在では対アラブの楯とされ、下積み状態(二級市民扱い)に置かれたままである。



●このイスラエル社会の二重構造を初めて知る人は少なくないと思うが、否定しようのない悲しい現実である。イスラエル指導者たちはアラブ世界に激しい偏見を持つのみならず、アラブで染まったスファラディ系ユダヤ人たちを“下等民族”とみなす傾向にある。例えばイスラエルの初代首相デイビッド・ベングリオンは以下のような発言をしていた。

「モロッコから来たユダヤ人は何の教育も受けていない。彼らの習慣はアラブ的である。私が好きではないモロッコ文化がここにある。私たちはイスラエル人がアラブ的になって欲しくない。私たちは個人と社会を破壊してしまう『レバント(東地中海沿岸地方)精神』と戦い、ディアスポラ(離散)のなかで作り上げて来た本当のユダヤ的な価値を維持しなければならない。」


●イスラエル第4代首相ゴルダ・メイアは、スファラディ系ユダヤ人に対して人種差別的な傲慢さを明らかにした。

「私たちはモロッコ、リビア、エジプトその他のアラブ諸国からのユダヤ移民を抱えている。私たちはこれらのユダヤ移民たちを適切な文化レベルまで引き上げてやらなければならない。」


●イスラエル外相を務めたアバ・エバンは、スファラディ系ユダヤ人とアラブ世界に対する偏見をはっきりと言い表していた。

「私たちが自分たちの文化的状況を見るにつけ、心痛むことが一つある。それはアラブ諸国からやってきたユダヤ移民たちが、やがて優位に立ってイスラエル政府に圧力をかけることになり、隣国すなわちアラブ諸国の文化レベルにまで落としてしまわないかということである。」

 

 
(左)1996年1月29日 『朝日新聞』 (右)1996年1月30日 『読売新聞』

1996年1月末、エチオピア系ユダヤ人はエイズ・ウイルス感染の危険性が高いとして、
「イスラエル血液銀行」が同ユダヤ人の献血した血液だけを秘密裏に全面破棄していたことが発覚した。
更にイスラエル保健相が、「彼らのエイズ感染率は平均の50倍」と破棄措置を正当化した。

これに対して、エチオピア系ユダヤ人たちは、「エイズ感染の危険性は他の献血にも存在する。
我々のみ全面破棄とは人種差別ではないか!」と猛反発。怒り狂ったエチオピア系ユダヤ人
数千人は、定期閣議が行なわれていた首相府にデモをかけ、警官隊と激しく衝突した。

イスラエル国内は騒然とした。あるユダヤ人たちは言った。「この騒ぎは
かつてのアラブ人たちによるインティファーダ(蜂起)に
匹敵するほどのものであった」と。

 

●1996年1月末、エチオピア系ユダヤ人の献血事件が起きた。この事件について『読売新聞』は、「ユダヤ内部差別露呈」として次のように書いた。

「今回の事件は、歴史的、世界的に差別を受けてきたユダヤ人の国家イスラエルに内部差別が存在することを改めて浮き彫りにした。イスラエルヘの移民は1970年代に始まり、エチオピアに飢饉が起きた1984年から翌年にかけて、イスラエルが『モーセ作戦』と呼ばれる極秘空輸を実施。1991年の第二次空輸作戦と合わせ、計約6万人が移民した。

だが、他のイスラエル人は通常、エチオピア系ユダヤ人を呼ぶのに差別的な用語『ファラシャ(外国人)』を使用。エチオピア系ユダヤ人の宗教指導者ケシムは、国家主任ラビ庁から宗教的権威を認められず、子供たちは『再ユダヤ人化教育』のため宗教学校に通うことが義務づけられている。住居も粗末なトレーラーハウスに住むことが多くオフィス勤めなどホワイトカラーは少数に過ぎない。同ユダヤ人はイスラエル社会の最下層を構成している。」

「ヘブライ大学のシャルバ・ワイル教授は『とりわけ若者にとって、よい職業や住居を得ること以上に、イスラエル社会に受け入れられることが重要だ』と、怒りが爆発した動機を分析する。デモ参加者は『イスラエルは白人国家か』『アパルトヘイトをやめよ』と叫んだ。『エチオピア系ユダヤ人組織連合』のシュロモ・モラ氏は『血はシンボル。真の問題は白人・黒人の問題だ』と述べ、同系ユダヤ人の置かれている状況は『黒人差別』によるとの見方を示した。」


●『毎日新聞』は次のように書いた。

「ユダヤ人は東欧系のアシュケナジーム、スペイン系のスファラディム、北アフリカ・中東のユダヤ社会出身のオリエント・東方系に大別され、全世界のユダヤ人人口ではアシュケナジームが過半数を占めている。イスラエルではスファラディム、オリエント・東方系が多いが、少数派のアシュケナジームが政治の中枢を握っている。」

「エチオピア系ユダヤ人は、イスラエル軍内部でエチオピア系兵士の自殺や不審な死亡が多いと指摘するなど、イスラエル社会での差別に苦情を呈してきた。たまっていた不満に献血事件が火をつけた格好だ。」

 

 
イスラエル航空の旅客機で救出された
エチオピア系ユダヤ人たち (1984年)

 聖書ではソロモン王とシバの女王の関係が記されているが、
シバの女王から生まれた子孫とされるのが「エチオピア系ユダヤ人」
である。彼らは自らを「ベド・イスラエル(イスラエルの家)」と呼び、
『旧約聖書』を信奉するが、『タルムード』はない。1973年に
スファラディ系のチーフ・ラビが彼らを「ユダヤ人」と認定した。

その後、エチオピアを大飢饉が襲い、絶滅の危機に瀕した
ため、イスラエル政府は救出作戦を実施した。1984年の
「モーセ作戦」と、1991年の「ソロモン作戦」である。

イスラエルの航空会社と空軍の協力により
彼らの多くは救出され、現在イスラエル
には約6万人が移住している。

 

●1988年5月、東京で「イスラエルの占領・核・人権に関する国際シンポジウム」が開かれた。そのとき招かれた一人のスファラディ系ユダヤ青年が、以下のようなパレスチナ騒動に関する見解を述べた。

「初代のベングリオン首相から現在のシャミル首相に至るまで、イスラエルの歴代為政者は全て東欧・ソ連からアメリカを経由してイスラエルに入植してきた人たちである。これら“欧米系ユダヤ人”は、伝統的にアラブ社会を敵視してきた。彼らはユダヤ教とアラブ社会のイスラム教は互いに相いれない宗教だと決めつけ、戦って倒すべき相手だとする見方に立っている。」

「だが、イスラエルには中東や北アフリカから帰還したユダヤ人もいる。この人たちは伝統的にアラブ社会と友好・共存共栄主義者である。イスラエル政治が欧米系ユダヤ人の手から中東・アフリカ系ユダヤ人(スファラディ系ユダヤ人)の手に移るまでは、中東に真の和平は到来しないのではなかろうか……」


●ある日、イスラエルのエルサレム中に一夜のうちに多くのポスターが貼られたのだが、そこには「アシュケナジー系ユダヤはハザールだ!」と書かれていた。明くる日の朝、政府は警察によって全てをはがしてしまった。しかしその時、イスラエル中に与えた衝撃は計り知れないものだったと言われている。

このように、イスラエル国内ではパレスチナ人差別だけでなく、白人系ユダヤ人がスファラディ系ユダヤ人を差別するという現実が横行しているわけだが、スファラディ系ユダヤ人の不満は爆発しつつあるのだ。

 


イスラエルのアシュケナジー系の政治家が、スファラディ系ユダヤ人に対して
「差別発言」をしたことを伝える記事 (『朝日新聞』 1997年8月3日)

 

●ところで、一般にシオニズムを崇めるユダヤ人を「シオニスト」と呼ぶが、前回で触れたように、シオニズムには文化的なものから政治的なものまで、幅広いバリエーションがある。そこで私は、急進的かつ排他的なシオニズムを奉じる人々を、他の穏健で良心的なユダヤ人たちと区別する意味を込めて「ジオニスト」と呼ばせていただく。もっとも“シオン”は英語では“Zion”と表記されるので、この区別化は日本語でしか通用しないのだが。(発音も違う。正確には「ザイオニスト」)。


●アルフレッド・リリアンソールはイスラエル建国以来、一貫して“反シオニズム”の立場に立つジャーナリストである。彼の父方の祖父はアシュケナジー系ユダヤ人で、祖母はスファラディ系ユダヤ人であった。彼はアーサー・ケストラーの本よりも2、3年も早く『イスラエルについて』という本を書き、その中でアシュケナジー系ユダヤ人のルーツ、すなわちハザール人について以下のように述べている。

「東ヨーロッパ及び西ヨーロッパのユダヤ人たちの正統な先祖は、8世紀に改宗したハザール人たちであり、このことはZionist(ジオニスト)たちのイスラエルへの執着を支える一番肝心な柱を損ねかねないため、全力を挙げて暗い秘密として隠され続けて来たのである。」

 

 
ユダヤ系アメリカ人のアルフレッド・リリアンソール。
反シオニズムの気鋭ジャーナリストであり、中東問題の
世界的権威である。(国連認定のニュースレポーターでもある)。

 

●イスラエル建国前、イギリスと裏取引したといわれる毒ガス化学者ハイム・ワイツマン博士。彼はのちにイスラエル初代大統領になった男だが、彼のことをピンチャス・エリヤフというユダヤ人は著書『聖地の戦い』という本の中で以下のように批判している。

「ユダヤ・コミュニティにおいてZionistたちは社会制度の支配権を握ろうとして多くのキャンペーンを張った。例えば第二次大戦中、エルサレムでは食料がなく、多くのユダヤ人たちが飢餓状態に置かれていた。そこへワイツマンが海外からの大量の食料援助を船に積んでやってきたのである。だからといってワイツマンは、飢餓状態にあるユダヤ人たちにそれを無条件に与えたのではない。彼らが宗教学校のカリキュラムから宗教色を除いてシオニズム化するならば、それを与えようという条件を出したのであった。当然、現地のユダヤ人たちは断固としてそれを拒んだ。そして、その結果、多くのユダヤ人たちが餓死したのである。多くの施設は非宗教化され、今日でもZionistの支配下に置かれている。」


●シオニズムについて、ジャック・バーンスタインというアシュケナジー系ユダヤ人は次のように述べている。

「実はほとんどのユダヤ人というものは無神論者である。あるいは反神の宗教ともいえるヒューマニズム(人間至上主義)に従っている。だからユダヤ人とは宗教的な人々であり、イスラエル建国は聖書預言の成就であるととらえるのは神話でしかすぎない。しかもユダヤ人が単一民族であるというのはもっと神話である。アシュケナジーとスファラディの間には完全なる区別がある。これこそ最大の証拠である。イスラエルで行なわれている人種差別は、イスラエルという国家を遅かれ早かれ自滅させてしまうことになるだろう……」


●サザン・バプテストの「新約聖書学」教授フランク・スタッグは、以下のような見解を述べている。

「今日のイスラエル国家は数ある国々の一つにすぎない。それは他のあらゆる政治国家と同様に“政治国家としての運命”を辿らなければならない。他のあらゆる政治国家のように判断されなければならない。現在のイスラエルの国や国民を“神のイスラエル”とすることは、『新約聖書』の教えにおいて致命的な誤りを犯している。」


●また、プレズビテリアンの「旧約聖書学」教授オーバイド・セラーも、このことを次のように結論づけている。

「現代のパレスチナにあるユダヤ国家は、聖書や聖書預言によって正当化されるものであるというZionistたちの主張を支持するものは、『旧約聖書』にも『新約聖書』にもないということに私とともに研究している者たち全てが同意している。更に聖書預言という“約束”は、ユダヤ人やZionistだけではなく全人類に適用されるべきものである! “勝利”“救い”という言葉は本当の聖書の意味としては宗教的・霊的なものであって、政治的な敵を征服するとか崩壊させるとかいう意味のものではない。」

「『新約聖書』を信じるキリスト教徒であるならば、もともとそこに住んでいた人々から政治的、また軍事的力によって奪い取ってつくった現代のイスラエル共和国を、キリスト教徒の信仰の神の“イスラエル”と混同させてはならない。これら2つのイスラエルというものは完全に対立しているものなのである。」


●厳格な反シオニズムで超正統派ユダヤ教徒グループ「ナトレイ・カルタ」の指導者であるラビ・モシェ・ヒルシュは、1992年に以下のような声明を発表した。ちなみに彼は自らを“パレスチナ人”と呼んでいる。アシュケナジー系ユダヤ人なのであるが、パレスチナ人と同じ心を持っているという意味なのである。

「敵であるZionistと私たちの戦いは、妥協の余地のない、まさに“神学戦争”なのである。」

「ユダヤ人たちが全世界に追放されたのは、神の意志によるのであって、彼らが神の律法を守らなかったためである。あらゆる苦難をへて、メシア(救世主)が到来するまでそれは続く。メシア到来によってのみそれが終わるのである。それゆえに、Zionistあるいはその関係機関が神を無視して世界中からユダヤ人たちに帰ってくるように強要するのは、ユダヤ人たちをいよいよ危険に陥れる“不敬の罪”を犯していることになる。」

「もしZionistが神を無視し続けるならば事は重大である。ここ、すなわちイスラエルは地上で最も危険な場所となろう。」



●ところで、ここで、念のために「ジオニスト」という用語の定義を再確認しておくが、「アシュケナジー系ユダヤ人=ジオニスト」ではなく、急進的で排他的なシオニズムを掲げる人間たちのことを「ジオニスト」と呼んでいるのである。アシュケナジー系でありながらも、自らの歴史に正しく直面しようと努力している人間や、シオニズム活動を“人種差別活動”として強く批判している人間はちゃんと存在しているので、誤解しないように。



●ところで、Zionistのシンパはアメリカに大勢いる。

世界中のユダヤ人の人口は約1350万人で、そのうちの約半分の580万人ものユダヤ人がアメリカに居住しているわけだが、この数は皮肉にもイスラエル共和国のユダヤ人口(460万人)を大きく上回っている。そもそもアメリカのユダヤ人たちは、1948年から1952年までのイスラエル建国にとって最も大切な時期に、わずか4000人しか移住しないという、これまた一般人には理解しがたい歴史を刻んでいる。

Zionist団体の中で最も強力に組織されているのが「アメリカ・イスラエル広報委員会(AIPAC)」という親イスラエルの圧力団体である。AIPACは「アメリカ・シオニスト評議会」を母体として1953年に創設されたものだが、政府や議会の多くの要人たちと常に連携して、アメリカの政策をイスラエルの利益と合致させるように努めている。このため、アメリカ外交全体に与える影響力は無視できないものがある。

 


「AIPAC」のシンボルマーク

 

●AIPACは“ワシントン最強のロビー”として有名であるが、議員の言動に少しでもイスラエルに批判的なところがあれば、容赦なく「反ユダヤ主義者」と決めつけ、その人物の政治生命さえ危うくしてしまう。

「反ユダヤ主義者」呼ばわりされることは、ヒトラーと同類と見なされるから、アメリカでは致命的である。


●AIPACはユダヤ人・非ユダヤ人からカンパを募り、イスラエルに送金したり、アメリカの政治家に献金したりする仕事も行なっている。ちなみに、アメリカにおいてイスラエルを援助するための献金には一切税金をかけてはならないと法律で定められているが、パレスチナ難民に献金しようものなら、たちまち税金がかけられてしまう。

また、アメリカ政府は世界最大の借金国となった今でも、アメリカ国民の税金を使ってイスラエル共和国に毎年30億ドル以上の無償援助を続けている。


●1996年初頭のアメリカ大統領予備選において、ブキャナン候補は「今、アメリカは自分の国のことで手が一杯である。アメリカ国民の税金はアメリカ人の幸せに使われるべきであり、イスラエルへの無償援助は削減すべきだ」と主張した。するとたちまち世界中の親イスラエル団体は「反ユダヤ主義者」「過激な人種差別主義者」「ヒトラーの再生!」と非難合唱した。


●ちなみに、ロシアからパレスチナに移住して来たゴルダ・メイアという女性は第4代イスラエル首相になった時、次のように言ったといわれている。

「我々ユダヤ人は、ほとんどが無神論者であることをお互いよく知っている。しかしアメリカやイギリスから多くの援助を得なければならない。ゆえに我々は信仰を持っているふりをしなければならない。」

 


白ロシアのピンスク地区出身の
ゴルダ・メイア。イスラエルの
第4代首相を務めた。

 

●さて、白人系ユダヤ人が本当のユダヤ人ではないという事実は、世界の何百万もの人間のアイデンティティそのものに関わる問題なので、多くの人は「そっとしておけばいいじゃん」と思うかもしれない。しかしジオニストたちが自分たちのことを『旧約聖書』によってたつ敬虔な「選民」だとし、イスラエル建国を「聖書預言の成就」だと一方的に正当化させ、排他的かつ急進的なシオニズム活動を公然と展開し続ける限り、我々はシオニズムの土台に当たる「ユダヤ人の定義」を厳密に問いただしていく必要があろう。

繰り返すようだが、『旧約聖書』においての「ユダヤ人」とは「民族としてのユダヤ人/イスラエル民族」以外にあり得なく、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫である人々(オリエンタル・ユダヤ人)のみを指し示すことを明確に厳密に定義づけている。

よって、彼ら(イスラエル政府含む)が主張し続ける宗教的優越性に満ちた「シオニズム(Zion主義)」は、アイデンティティの源泉である『旧約聖書』を完全に無視したものになっているのである。いつまでも“ユダヤ教徒”であることと“ユダヤ人”であることとを混合して、問題のすり替え(自己正当化)をし続けることは許されないだろう。


●このユダヤ人の血統問題に触れるとき、必ず、「ユダヤ人という人種は存在しない。なぜならば、『ユダヤ人=ユダヤ教徒』なのだから。『血統』を問題にするのは全くのナンセンスだ」と強く反論する人がいる。

なるほど。しかし、「ユダヤ人=ユダヤ教徒」ならば、なおさら、パレスチナを「先祖の土地」と主張して、そこの先住民を追い払って国を作った連中は、ナチなみのトンチンカンな連中だといえよう。



●以上のようにユダヤの“内部事情”を見る限り、パレスチナ問題は、イスラエル本国にいるジオニストたちに限らず、世界中(特にアメリカ)にいるジオニストたちが自分たちの“真の歴史”を明らかにして(認めて)、強硬な姿勢を崩さない限り、真の和平に到達できないと見るべきであろう。虚構と欺瞞に満ちたZion主義がのさばり続ける限り、パレスチナ人の血と涙は流れ続けるのである。

くどいようだが、同じアブラハムの末裔(セム系民族)であるオリエンタル・ユダヤ人とアラブ人が殺し合わねばならない必然的な理由は、本来どこにも見当たらないはずなのである。


●一般に、パレスチナ問題というと、短絡的に「ユダヤ人vsアラブ人」という民族的対立構造が持ち出されがちであるが、現在のイスラエル共和国は真のユダヤ人国家(セム系国家)ではなく、白人国家に限りなく近い存在なので、実際は「白人vsセム系先住民族」という帝国主義的対立構造が展開され続けているといえよう。湾岸戦争にも見られたように、数百年間続く西側諸国のエゴイスティックな政治的・経済的世界戦略が現在の中東の混乱状態を作って来たといえる。

現在も、イスラエル政府は積極的な「入植政策」を行なっているが、ソ連崩壊後のロシアから80万人以上もの白人系ユダヤ人を呼び寄せたり、占領地に鉄筋コンクリートの頑丈な住宅を増築していくなど、パレスチナ問題を一層解決困難な状態に導いてしまっている。

 


ロシア系ユダヤ人の入植地 (イスラエル)

 

●ところでZion主義の真相に触れようとすると、彼らは“反ユダヤ”という常套句を口にして非難するが、ユダヤ人でもないのに自らを“ユダヤ人”と偽ってセム系民族をかき乱し、セム系民族が主人公である神聖な『旧約聖書』と矛盾した行動をとり、アブラハム一族を汚し続けるジオニストの指導者たちこそ、反ユダヤ主義以上に悪辣な「反セム主義者」であることを忘れてはなるまい。このまだ解決のメドのたたない「反セム主義」の世界的放置は、戦後の世界史並びにユダヤ史における大きな汚点の一つになることはまず間違いないであろう。

『新約聖書』の預言には次のような一文がある。これは高慢なジオニストたちのことを指摘しているのであろうか?

「ユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たち……」
(「ヨハネの黙示録」第2章)


●ちなみに、欧米では一般に「反ユダヤ主義」のことを「anti-semitism」すなわち「反セム主義」と表記し、「反ユダヤ」と「反セム」を混同してしまっているのだが、非常に紛らわしい言葉使いであるといわざるをえない……。一説には、誤った印象を作り出すために故意に広められた表現だと言われているが、真相は不明である。ウェブスター女史によれば、この表現が実際に使われたのは、1923年に発行されたユダヤ系の新聞であるという。

 

  
(左)ヤセル・アラファトPLO議長 (右)イスラエルのネタニヤフ首相

 

●ところで、1992年8月20日付の朝日新聞夕刊は、アシュケナジー系ユダヤ人の由来まで踏み込まなかったものの、以下のような驚くべきニュースを報じている。

「6世紀から11世紀にかけてカスピ海と黒海にまたがるハザールというトルコ系の遊牧民帝国があった。9世紀ごろ支配階級がユダヤ教に改宗、ユダヤ人以外のユダヤ帝国という世界史上まれな例としてロシアや欧米では研究されて来た。 (中略) この7月、報道写真家の広河隆一氏がロシアの考古学者と共同で一週間の発掘調査をし、カスピ海の小島から首都イティルの可能性が高い防壁や古墳群を発見した……」

ボルガ川はかつて“イティル川”と呼ばれ、カスピ海は今でもアラビア語やペルシア語で“ハザールの海”と呼ばれている。この地に残る巨大帝国の遺跡群は、ジオニストたちに「おまえたちの故郷はパレスチナ地方ではなく、カスピ海沿岸のステップ草原である」ということを訴えているようだが……

 


発見されたハザール王国の首都イティルの遺跡 (1992年)

 

 


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<ユダヤ問題特集 第8章>

栄華を極める世界最大最強の
ロスチャイルド財閥

 

●前回まで私は、ユダヤ人はイエスを殺した民族として世界の嫌われ者となり、16世紀ごろからユダヤ人の隔離生活が制度化されたのだが、そんな風潮の中でも自由を享受していた「宮廷ユダヤ人(ホフ・ユーデン)」がいたことを紹介した。

また、ジオニストは20世紀前後に誕生した集団であり、ナポレオンによるユダヤ解放政策後に起きた反ユダヤ主義の台頭の反動として生まれ、第二次世界大戦後に自分たちの国(人工国家)をつくることに成功したということも紹介した。


●今回は“ユダヤ商人”の実態を取り上げたいと思うが、まず近代・現代における反ユダヤ主義の特徴は、ユダヤ人がイエスを殺した民族だからというよりも、彼らが急激なビジネス進出をして大成功を収めていくことに、他民族が“嫌悪感” “嫉妬” “ただならぬ不安”を抱いたという点にあったことに注目してもらいたい。何しろ彼らは世界不況の中でも稼ぎ続けた。そのため、世界不況や革命は全てユダヤの陰謀だとする書物も出回ったほどである。


●我々は冷静な目を持って、ユダヤ商人の歴史と現在の様子を眺められる時代に生きているわけだが、彼らは一体どのような世界を築いてきたのかを、ロスチャイルド家を軸として見ていくと面白いと思う。

 

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●資本主義の世界的発展とともに、当然の成り行きとして「国際資本家集団」という“国家”という枠組みにとらわれない新勢力(多国籍企業群)が台頭した。それまでの世界史において“世界戦略”と言う場合、「国家による領土獲得」という意味を強く持っていた。

しかし20世紀半ばに入ると、国家と国家による領土争いというよりは、「無国籍性を帯びたビジネス集団たちによる利権争い」によって世界が大きく動くようになった。国の利益よりも自分たちの利益を最優先する“国際資本家集団”たちの水面下での暗躍は、“国家”という存在を非常に分かりにくくしてしまったといえよう。


●無国籍性を特徴とする国際資本家集団のドンはロスチャイルド家である。日本人の中にはロスチャイルド家の存在すら知らない人が多くいることに驚くが、ちゃんと現実に存在しているファミリーであり、現在、世界最大最強の巨大財閥を誇っている。

欧米の上層階級で、ロスチャイルドの名を知らぬ者は皆無と言われているが、彼らはロスチャイルドの異常な世界的利権支配を大衆に知られることを妙に嫌っている。そのため、一般人の間でロスチャイルドを問題にすることはタブーとされる風潮にある。

私も、本当はこのロスチャイルド家の事柄にはあまり触れたくないのであるが、ユダヤ問題を総合的に取り扱うとき、どうしても避けられない存在なので、大ざっぱに触れておきたい。中途半端な説明をするとかえって大きな誤解を生じさせてしまう可能性があるので、彼らの想像を絶する世界的ネットワークを詳細に知りたい方は、『地球のゆくえ』『赤い楯』(ともに集英社)に血のコネクション&資本のコネクションが系図とともに克明に描かれているので、それを参考にするといいと思う。

特に同じユダヤ商人の血を持つ日本人(私の独断だが)は、彼らと対等に付き合うためにも知っておいて損はないと思う。

 


ロスチャイルド家の紋章

 

●ロスチャイルド家の公式な歴史は、1744年にドイツのフランクフルトで生まれた、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(ロスチャイルド1世)の活動とともに始まっている。

彼は少年時代にユダヤ教のラビとして教育され、商人であった父親からは商売を仕込まれた。彼は最初、ハノーバーの「オッペンハイム銀行」に見習いで入ったが、やがて独立して両替屋である「フランクフルト・ロスチャイルド商会」を営んだ。

26歳の時に、フランクフルトの領主であるヘッセン侯爵家のウィリアム皇太子(のちのウィリアム9世)に金貨を売ったことがきっかけで“御用商人”に登録され、そのうちにヘッセン侯爵家の財政や国際的な資金調達の仕事に深くかかわるようになり、「宮廷のユダヤ人(ホフ・ユーデン)」の一人となった。

 


ロスチャイルド財閥の創始者
マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド
(ロスチャイルド1世/1744〜1812年)

 

●ロスチャイルド1世は非常にラッキーマンであった。1785年にヘッセン侯爵が亡くなると、その子ウィリアム9世は4000万ドルもの財産を相続した。これは当時のヨーロッパで最大の私有財産と言われている。更にウィリアム9世は、自国の国民を全ヨーロッパの君主に「傭兵」として貸し付け、莫大な富に莫大な利益を加算させていった。

1801年、ロスチャイルド1世はヘッセン侯爵家の「銀行事務弁理人」に任命され、当時のヨーロッパ最大の資本国の金庫の管理を任されたのである! 更に、1806年にナポレオン1世のヨーロッパ遠征が始まると、フランクフルトのウィリアム9世は領土を放棄しなければならなくなったのだが、その時に、その巨万の財産を安全に保管するようロスチャイルド1世は命じられて、彼はそれを安全地帯であるロンドンに送って息子に管理させることとなった。このヘッセン侯爵家の財産こそロスチャイルド家の巨万の富の出発点となったのである。


●ロスチャイルド1世には5人の息子がいたのだが、それぞれをヨーロッパ列強の首都に派遣して次々と支店を開業させ、それぞれがロスチャイルドの支家となった。

三男ネイサン(ロスチャイルド2世)は1804年にロンドンに派遣され、そこで支店「ロンドン・ロスチャイルド商会」を出した。次男サロモンはウィーンに、五男ジェームズはパリに、四男カールはナポリに支店を開業し、長男アムシェルはフランクフルト本店に残った。

彼ら5人の息子はそれぞれの国の政府と癒着して“貴族”の称号を得て、政治的にも活躍し、今日の“ロスチャイルド金権王朝”の基礎を作ったのである。

 

    
ロスチャイルド1世には5人の息子がいたのだが、それぞれをヨーロッパ列強の首都に派遣して次々と支店を
開業させ、それぞれがロスチャイルドの支家となった。上の写真は左から、長男アムシェル(フランクフルト本店)、
次男サロモン(ウィーン支店)、三男ネイサン(ロンドン支店)、四男カール(ナポリ支店)、五男ジェームズ(パリ支店)

 

●パリの五男とウィーンの次男は協力して、ヨーロッパ全体をカバーする通信と馬車輸送のネットワークを作り上げた。そしてそこから誰よりも早く得られる情報を利用して、ロンドンの三男が金や通貨の投機をして大儲けするという兄弟ならではの連携プレーをし、今日の“多国籍金融ビジネス”の原型を作り上げた。

また、1810年にロンドン証券取引所の支配者フランシス・ベアリングが亡くなると、ロンドン支店の三男が新しい支配者となり、「世界一の金融王」として台頭した。


●知っている人も多いと思うが、三男(ロスチャイルド2世)には有名なエピソードがある。彼は1815年に自慢の通信網を駆使し、ナポレオンのワーテルローでの敗北をネタにして「ナポレオン勝利」のニセ情報をイギリスにタレ流し、大暴落した株を買いまくった。証券取引所が午後に閉まった時、彼は取引所に上場されている全株の62%を所有していたという。

そして後に「ナポレオン敗北」という真情報が公になり株が急騰したとき、彼は300万ドルの自己資産を75億ドル、すなわち2500倍に増やしてしまったのであった! ちなみにこの日、イギリスの名門の多くが破産したという。

この三男の死後、五男のジェームズ(パリ支店)が当主をついでロスチャイルド3世となった。


●ロックフェラー家は石油業がきっかけで成長したが、ロスチャイルド家は銀行業がきっかけであった。ロンドン支店はあくまでも金融中心に発展を遂げていった。それに対してロスチャイルド3世のパリ支店は金融だけではなく、やがて新しい交通手段として登場した鉄道の将来性に着目して鉄道事業に進出(1835年)し、「ヨーロッパの鉄道王」としてそれを支配した。

また南アフリカのダイヤモンド・金鉱山に投資し、更にはロシアのバクー油田の利権を握って「ロイヤル・ダッチ・シェル」をメジャーに育て上げるなど、情報・交通・エネルギー・貴金属を中心とした実業中心の膨張を遂げていくこととなった。


●1814年に東インド会社のインド貿易独占権が廃止されると、ロスチャイルド家が利権支配するようになった。1862年には、ロスチャイルド家を訪問したナポレオン3世と金融提携をし、1870年にはバチカン融資を開始し、ロスチャイルド家がカトリック教を金融支配するという事態になった。

1875年にはロスチャイルド資本の融資によってイギリス政府がスエズ運河会社最大の株主となり、ロスチャイルド家はイギリス政府&ヨーロッパ王室との癒着を更に深めていった。



●以上のようにロスチャイルド家の華々しい活動の一端を見てみるだけで、19世紀末にはロスチャイルド家が既に「世界最大の財閥」にのし上がっていたことが分かる。とりわけ、その時期の非鉄金属を中心とする資源の分野への進出ぶりは目覚ましいものがあった。

1880年には世界三大ニッケル資本の1つである「ル・ニッケル(現イメルタ)」を創設し、1881年には亜鉛・鉛・石炭の発掘会社「ペナローヤ」を創設し、スペインからフランス、イタリア、ギリシア、ユーゴスラビア、北アフリカ、南アフリカまで事業を拡大している。また、1888年にはロスチャイルド資本によって世界最大のダイヤモンド・シンジケートである「デ・ビアス社」を創設し、更には南アフリカ最大の資源開発コングロマリットである「アングロ・アメリカン」=オッペンハイマー財閥と提携した。今さら言う事でもないが、つい最近まで南アフリカを騒がしていたアパルトヘイトの真犯人はロスチャイルド家の代理人たちであった。


●20世紀は重化学工業の世紀であり、そこでは非鉄金属や石油を含む地下資源を押さえたものが世界を制するという大戦略が国家規模で発動され、ロスチャイルドのビジネス戦略と密接に連動して動いた時代でもあった。

20世紀末期を迎えている今、ロスチャイルド財閥はもはや単なる一財閥ではなくなった。現在、パリ分家とロンドン分家を双頭とするロスチャイルド財閥は、金融と情報という21世紀の主要メディアを支配し、また、そのあり余る力をアフリカ大陸をはじめ、全世界の金やダイヤモンドやウランをはじめとする地下資源の確保に注ぎ込む、巨大な先端企業連合体でもある。


●ところで、ロスチャイルドはアシュケナジー系ではなく、スファラディ系ユダヤ人であるとの噂があるが、イエス時代のパリサイ派ユダヤ人までの血統図を家宝として自慢しているという噂もある。もし、それらの噂が本当なら由々しき問題である。

パリサイ派ユダヤ人といえば、イエス登場の時に、イエス派ユダヤ人と真っ向から激しく対立した集団である。パリサイ派のユダヤ商人は当時のソロモン第二神殿をマーケット広場として利用し、のさばっていた。そのため、ソロモン神殿に入城したイエスに激しく罵られたことでも知られている。

イエスはパリサイ派ユダヤ人に対して「マムシの子らよ」とか「偽善者なるパリサイ人」とか常々語っていた。そして極めつけは以下のような言葉であった。

「あなたたちは悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しである」(「ヨハネ伝」8章)



●ロスチャイルド家の活動を批判的な目だけで受け取ってしまうと、具合が悪くなるので、彼らの言い分を載せるとしたら、次のような言葉が適切であろうか(^_^;)。

「我々は純粋に“ビジネス”を追求しているのであり、“国際ルール”を侵していない。先見性に優れた大胆かつ緻密なビジネス戦略の積み重ねが、今日のような確固たる“資本主義的地位”を築いたのである。我々のことを悪く言う人がいるが、我々は現代文明のあらゆる分野に多大な“恩恵”をもたらし、人類全体に計り知れない貢献をし続けているのであることを忘れないでくれたまえ。」

関係者によると、ロスチャイルドは自分たちが現代文明をリードしてきたという強い自負を持っているとのこと。確かにその通りだと思う。彼らの文化的事業は非常に国際的でアクティブである。映画産業界、ファッション業界は言うに及ばず、各種国際研究所、ノーベル財団などなどという学術面においても、全く輝かしい業績を挙げている。


●それにしても、ビジネスマンが国境を越えて、人類の向上のためにビジネスを追求することは一向にかまわないが、彼らのビジネスが国際政府機関&各国の王室&国際報道機関&国際諜報機関などと密接に結び付いてくると話は違ってくるだろう。ましてや、彼らが“軍需企業”と癒着(利権支配)するとあっては、なおさらである。

世界中にのさばっている“死の商人(兵器商人)”の多くは、ロスチャイルド財閥と何かしらの関係を持つ者たちであることは事実である。戦争あるところにロスチャイルドの姿ありと言われている。戦争を“ビジネス”として淡々と扱うところに、何かただならぬ怖いものを感じる。どこまで“ビジネス”が“ビジネス”として許されるかが、問題であるように思えるが。



●さて、ハプスブルク時代に金融力によって宮廷ユダヤ人(ホフ・ユーデン)となり、本来ならユダヤ人が絶対にもらえない「男爵位」を得たロスチャイルドは、ユダヤ金融資本のシンボルとなり、世界に散らばったユダヤ人の力が全てロスチャイルドに糾合されたわけだが、このファミリーは無数に婚姻しており、当然ユダヤ教以外の人物も多数含まれる。また、他の貧しいユダヤ人たちは絶対にこの中には入れない。

しかし、いずれにせよシェークスピアにも悪く書かれた“ユダヤ商人”たちは、現在、ロスチャイルドのネットワークの中にほとんど全て取り込まれているといっても過言ではない。彼らにとってみれば、国境はないに等しい。まさしく世界をまたにかけた商売をしているのである。よってもし現在、“本物の反ユダヤ主義”勢力が台頭してくるとすれば、それはターゲットをロスチャイルドに絞った“反ロスチャイルド”を掲げる集団となろうか。


●1940年当時のロスチャイルド一族は約5000億ドル、アメリカの全資産の2倍、全世界の富の50%を支配していたと推定されている。彼らの富は創業以来230年にわたって確実に増殖している。彼らの勢力範囲は、まずヨーロッパ、ついでアメリカ、アジア、そしてアフリカ、オーストラリアに広がり、戦争と革命、そして経済恐慌、あらゆる動乱のたびごとに膨張して現在に至っているわけだ。

ロスチャイルド家は近代・現代ビジネス史上、最も成功したファミリーであることは誰も否定しようがないと思う。ほとんど世界中に張り巡らされていると言っても全く過言ではない“ロスチャイルド金権王朝”の実態を知れば知るほど、こちらは尻込みしそうだ。しかし、私は彼らの異常資本蓄積状態 & 異常政略結婚がそんなに長く続かないと思っている。異論があると思うが。

いずれにせよ、ロスチャイルド家の存在を無視しては、20世紀も21世紀も、そして地球の戦争も平和も語ることができないということだけは確かなようである。

 

 


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<ユダヤ問題特集 第9章>

イスラエル共和国建国の背後にひそむ
十字軍の亡霊

 

この第9章は、私がネットニュースに投稿した
「ユダヤ問題特集13」と、ある人が投稿した
「ユダヤ問題特集を読んで思ったこと」への応答
(フォロー記事)をミックス加工したものです

 

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●『旧約聖書』はキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の正典ですが、世界55億のうち10億人以上の人間がイスラム教徒で、ローマ教会の背後には9億人以上の人間がいて、その他のキリスト教会においても何億人もの人々がいます。よって、人類の過半数が『旧約聖書』を聖なる書物として信仰していることになります。ということは、人類の大半にとってイスエラル12支族に関する事柄は、無視できない非常に大きな問題となっているわけです……。


●ところで、『旧約聖書』を全然知らない人まで、イスラエル共和国建国は“預言の成就”という西側のプロパガンダをそのまま信じる傾向にありますが、このイスラエル共和国は何の根拠も正統性もない人工国家であることは、もう十分にお分かりいただけたと思います。聖書の記述通りに復活を遂げた“神の国”だというZion主義者たちの主張は、全くの妄想に満ちたものと言えます。

何度も繰り返しますが、パレスチナにユダヤ国家が存在する必然性はどこにもないのです。今となっては信じられないでしょうが、そもそも初期のジオニストたちの間では、新国家をどこに建国するかで、もめていたのです!


●最初にユダヤ国家樹立を提唱した“ジオニストの父”テオドール・ヘルツル。彼はユダヤ教に全く関心を示していませんでした。そのため、必ずしも今日のパレスチナ地方にユダヤ国家をつくらなくてもよいと考えていました。彼はロスチャイルドのバックアップを受けるため、幾度もロスチャイルド家を訪ねましたが冷たくあしらわれ、しょうがなく、パレスチナを400年も支配し続けていたトルコ帝国の皇帝に会おうとしましたが、それも実現しませんでした。そのため彼は失意の中で、アフリカのウガンダ、あるいはマダガスカル島にユダヤ国家をつくろうという「修正提案」をしていたのです。

 

 
入植候補地の東アフリカ(=ウガンダ案)。ヘルツルはパレスチナにかわる
代替入植地として「ケニヤ高地」を勧めるイギリスの提案を受け入れていた。

 

●また、イギリスのユダヤ人作家イスラエル・ザングウィルは、テキサス州とオクラホマ州の一部の土地を購入して「ユダヤ州」を作ろうという提案をしていました。

しかし、あくまで“ユダヤ人”であることを名乗るZion主義指導者の間では、自分たちのアイデンティティを確保するため、ユダヤ国家はパレスチナ地方でなければならないという声が大勢を占めたと言われています。まさに今日におけるパレスチナ問題の元凶がここに見られます。


●なお、ユダヤ長老議会で正式に不採用となったヘルツルの「マダガスカル移住案」は、その後、ポーランド政府が自国内のユダヤ人を移住させるための計画として採用しました。また、1933年まで、ドイツ社会党の重要な綱領の一つとして、同党はパンフレットを作ってその問題を宣伝し続け、1940年には、ヒトラーが400万人のユダヤ人をマダガスカル島に移住させるための具体的な計画を立てていたと言われていますが、戦局が困難に陥ったため、2年後に放棄されてしまったとのことです。

ちなみに、ロスチャイルド家は最終的にジオニストの活動に全面的な資金援助をしたわけですが、ヘルツルがロスチャイルドを初代イスラエル大統領に推すと、ロスチャイルドは丁寧にそれを辞退しました。



●ところで、一連の「ユダヤ問題特集」の中において、ジオニスト問題に焦点を当ててイスラエル共和国の矛盾を説明してきたわけですが、その背後に潜む“欧米キリスト教勢力”という最重要テーマを省略していたため、私の中東問題全体に関する考察は中途半端な状態にとどまっていました。

確かに私はイスラエル共和国の急進的かつ排他的なシオニズム活動を、パレスチナ問題の元凶として批判しましたが、それが中東問題全体をこじらせ続けている全てだとは思っていません。中東における“欧米キリスト教勢力”の動きを考慮に入れなくては、そもそもイスラエル共和国が強引にパレスチナ地方に建国された最大の意図も、今後の中東情勢の全体像も見えにくくなってしまうことは十分に承知しております。


●パレスチナ地方に昔から執着心を抱き続けているのは、なにもユダヤやアラブだけでなく、キリスト教勢力もいるわけですが、彼らは7回にもわたる十字軍遠征によって、パレスチナ地方からイスラム勢力を駆逐しようという大々的な活動を展開してきた黒い経歴を持っているわけですよね。

この中世十字軍活動の中で、私が注目している事の一つとして、キリスト教勢力がパレスチナの地に「エルサレム王国(1099〜1187)」という純粋なキリスト教国家を一時的に建国していたという歴史的事実があります。(この時、パレスチナにいたユダヤ人たちは、乗り込んできたキリスト教徒によって真っ先に虐殺されています)。


●結局、パレスチナ地方に乗り込んだキリスト教勢力はイスラム勢力に撃退されてしまったわけですが、20世紀に入るまでのパレスチナ地方には、現在のような血生臭い「アラブ人とユダヤ人の対立」が無かったという歴史的事実も、現在の中東問題全体の根本原因&解決案を探る上での絶対に見過ごせない要素となりましょう。


●十字軍時代以降のパレスチナ地方を20世紀初頭まで400年間支配し続けたオスマン・トルコ帝国を解体したのは、「石油を制するものが世界を制する」ことに目覚めた大英帝国をはじめとする欧米列強であったわけですが、彼らが世界一の石油埋蔵地を確保したいがために、アラブの意向を全く無視した身勝手な中東支配戦略(植民地政策)を開始してしまったことこそが、現在のパレスチナ問題を発生させた最大原因であったと私は見ています。

そして、欧米列強は中東戦略をより円滑に進める駒として、ちょうどその頃に台頭してきたジオニスト勢力のシオニズム活動を最大限に“利用”したものと見ています。


●この件について、ユダヤ人イラン・ハルヴィが著書『ユダヤ人の歴史』の中で以下のような興味深い見解を示しています。

「もともと19世紀のヨーロッパには“東方問題”というものがあった。ユダヤ人問題は徐々に東方問題の一部となった。ナポレオン3世の副官であるエルネスト・ラハランは、ヨーロッパにおけるユダヤ人問題を憂慮し、『東方の新しい問題─エジプト及びアラブ帝国=ユダヤ人の再編成』という小冊子を出していた。 〈中略〉

“変革”という高圧的な面を持つ政治的シオニズムと西欧列強は強く結び付いた。既に達成されていた事実と既に進行していたプロセスに基づき、ヨーロッパ各国、特にイギリスは、ユダヤ人を東方に移すことによって、ヨーロッパの『ユダヤ人問題』とヨーロッパにおける『東方支配の問題』を一挙に解決できると確信したのである。」



●この欧米キリスト教勢力の中東戦略は20世紀半ばに入ると、より露骨なものになります。1948年に国連の承認を得て建国された“イスラエル共和国”という人工国家は、100万人以上のパレスチナ難民を生み、アメリカの全面的なバックアップを受けて中東一の軍事国家となり、周囲のイスラム諸国を挑発し続け、実際に武力介入&領土拡張(不法占拠)を行ないました。

有名な「モサド」という超一流諜報機関と最新兵器に身を固めたイスラエル精鋭部隊は、常時、イスラム勢力の動向と旧ソ連の南下政策ににらみを利かせることに成功してきたわけですが、歴代のイスラエル政権が白人系ユダヤ人によって独占され続けていることを含めて、イスラエル共和国というものは建国当初から、欧米勢力が軍事的経済的戦略を中東の地で展開する上での「不沈空母」としての役割を宿命づけられていたことが伺えます。


●しかし、80年代後半あたりから、イスラエル共和国の存在価値は軍事的な面においても経済的な面においても、欧米勢力にとって以前ほど重要ではなくなってしまったと言われています。イスラエル共和国の中東におけるイニシアティブの低下を世界に見せつけたのは、1990年8月2日以降の湾岸危機であり、湾岸戦争だったといえます。なぜならば、この時、イスラエル軍の力を借りずして、アメリカ主導の多国籍軍によって中東をコントロールすることができるようになってしまったためです。

イラク軍のスカッドミサイルを市街地に打ち込まれながらも、出撃をアメリカに制止され、屈辱に耐え忍んだイスラエル市民の姿はまだ記憶に新しいです。このイスラエル軍不参加の湾岸戦争を境にして、国連はその巨大な中央集権能力をもって世界の表舞台に立つことになったわけですが、冷戦終結や湾岸戦争を境にして欧米の中東戦略そのものが急変してしまったといえるでしょう。


●また、湾岸戦争後に大きな動きを見せたのはカトリックの総本山であるバチカン(ローマ法王庁)です。1993年12月、バチカンは独自の外交権を駆使して、イスラエル共和国との国交を樹立させました! 新聞では「2000年がかりの和解」という見出しが踊っていましたが、両国の国交締結はイスラエル政府が不法占拠し続ける「聖地エルサレム」の帰属問題をユダヤとアラブだけの問題ではなく、全世界的な宗教問題として広げることになったといえます。


●ちなみにバチカンは、1965年の「第二回バチカン公会議」において、「イエス処刑に責任があるのは直接関与したユダヤ人だけだ」との公式声明を出し、ユダヤ勢力に歩み寄りの姿勢を示していました。更にバチカンは、湾岸戦争後に対イスラエル関係に限らず、アラブ諸国との活発な外交活動を開始しており、中東和平という枠組みの中に積極的に入り込んでいこうとの姿勢を明らかにしているわけですが、今後、中東問題におけるバチカンの国際的発言力は急速に高まっていくものと思われます。(参考までに、バチカンは聖地エルサレムは国連によって“国際管理”されるべきだと主張しています)。



●戦後の中東地域は、イスラエル共和国の建国によって永続的な政情不安定状態に置かれてきたわけですが、イスラエル共和国をサポートしてきた欧米キリスト教勢力がイスラム勢力に対して、歴史的にどのような態度を見せてきたか、そして今後どのような態度を見せていくのかに注目することなしには、バチカンを含めた欧米勢力が描く“中東和平構想”という代物を総合的に考察することができないと思われます。

現在、中東地域には険悪なムードが漂い始めておりますが、私が今後の中東情勢を測る上で大きな関心を払っているのは、「アメリカによる露骨なイラン叩きの行方」です。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争や湾岸戦争を見て、現在のアメリカ主導の“国連”の活動を“十字軍活動”になぞらえてしまうのには、多くの無理があるかもしれませんが、近い将来、「第二次湾岸戦争」が起き、イラク、そしてイスラム勢力がアメリカ軍によって最終的に征伐されるという最悪パターンが私の頭の中にチラつき始めています。


●世界警察を目指すアメリカの軍事戦略、宗教的主導権の世界的確立を目指すキリスト教勢力(バチカン)のエキュメニカル運動、中東和平そのものをご破算にしかねない強硬派ジオニスト勢力(ネタニヤフ政権)のかたくなな態度、アメリカとの対立を先鋭化しつつあるイラン&イスラム原理主義勢力などなどの諸勢力の思惑を絡めた、私なりの総合的な中東情勢分析・未来予測は、現在製作中のホームページにおいて慎重に展開していきたいと思います。

 
http://inri.client.jp/hexagon/floorA1F/a1f1000.html



 

 

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